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はてなキーワード: 感電とは

2021-04-14

anond:20210414154824

はぁ?バスタ構造といって、水がすべて流れ落ちて感電もしないキーボードもありますが?自分キーボードが水濡れ対策がないキーボードからといって

きちんとコーヒーこぼしても大丈夫キーボードを買っているひとまで巻き込まないで、

一体どれぐらい昔からどれだけの種類のキーボードが売られていると思うんだ?

コーヒーこぼしても大丈夫とか

水洗いできるとかいろいろあるよ

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-03-06

激辛のものを食べると火を噴く、感電すると透けて骨が見える…

理屈はよく分からんがヨシ!

2021-03-01

2年後の3月までに学位がとれなかったら自殺したい

できれば学籍を保持した状態自殺したい。

鬱っぽいので文章支離滅裂だ。

 現状を整理する。

現在27歳D1国立理系農学系。

院進学時に大きく分野を変えて今の研究室に進学し、3年目の終わり。

博士課程後期にも差しかると研究計画から論文化まで全て自分でできるものとして放任指導がなされる。

少なくともうちの指導教員はそう。

自分勉強不足および実力不足修士から今に至るまで殆ど業績はない。

半ば信じられないだろうが、D1現在で業績は国内学会での発表1件のみ。

それも、去年学会が中止になったので要旨を出しただけの幻の発表だ。

学会発表の要旨に研究が間に合ったためしがなく、期限を過ぎてから指導教員に発表しないとだめだよと指導される。

そんなことわかっているが、正しい研究の進め方が会得できていないので、結局翌年も同じことの繰り返しになってしまう。

修士の頃から院生なのだから自分研究できるよねと言われ続け、研究の正しい進め方などがよく理解できていないまま現在に至る。

院生なのだから当然放任指導で、研究の進め方を乞うても一からできるようになることが醍醐味だと諭されて結局何も得られていない。

指導教員手取り足取り指導されても学位取得後どうするのだという話になるので、厳しいがこれは合理的だ。

発達障害時間管理が苦手で、絶望的にスケジュール調整ができない。

準備に2週間かかる実験で、結果が出るまでに少なくとも1か月はかかるので、1回の失敗が重くもう6回失敗した。

半年データが出ない時点で危惧して指導教員相談したが、実りのある議論はできなかった。

何か足がかりになるデータがあるわけでもなく、このままだと3年で出られるどころか、5年かかっても出られるとは思い難い。

片親で経済状況が悪く、3年で出られないと博士後期課程を継続することは困難。

親は大丈夫というが、利子すら返せない借金がもう400万円にも膨れ上がっているのに全くもって大丈夫ではない。

 最近学振に出すためだけに業績を積もうとして指導教員と揉めた。

20万円もらえる治験に参加し、文字通り売血してまで治験協力費からゲノム解読の費用を捻出し、研究発表しようとしたからだ。

指導教員意見としては、業績が少なすぎて通るわけないし、君は学振に出すために研究をしているわけではないということだ。

それはわかるが、昨年同じような状況でDC2の申請を蹴ったら蹴ったで指導教員に遠回しに嫌味を言われた。

飛び級して同期になった元後輩がDC2に受かったこともあり、事あるごとに嫌味を言われる現状出さないという選択肢はないのだ。

話し合いの末、指導教員方針にそぐわない形で研究がしたいなら指導教員を変えろと言われてしまった。

同時に、学振に通らなかったら大学院を辞めるつもりでいるんだろうなとも脅された。

指導教員を変えると2年後に出られる可能性は限りなく低い。

結局、指導教員の考えているストーリー指導方針忖度して研究を進める宣言をするに至った。

事実上の隷属だが、指導教員忖度強要したしたわけではないことは留意

指導教員には入学から現在に至るまでかなりお世話になっている。

研究が進まないことで指導教員に多大な迷惑をかけている。

研究の話をしているときは殺したいが、人柄は好きなので不思議だ。

 子供の頃から昆虫博士になりたいと夢見て、アカデミアの研究者になることを志して現在に至るのだが、どうにも夢は叶いそうにない。

学部時代から日本学生支援機構奨学金を借り続け、博士後期課程の修了時点で1000万を超える借金の返済義務が発生する。

2年後に学位が取れなくて単位取得退学すると、29歳修士職歴なし借金1000万円おじさんになって人生が詰む。

学位がとれていても29歳Ph.D職歴なし借金1000万円おじさんになってしまうが、結婚しなければ細々と生きていけるだろう。

現状、どう考えても詰んでおり別の道を志して生きるべきだが、どうしても夢が捨てきれない。

アカデミアの研究者になるか自殺するか、極端な二択に追い詰められている。

アカデミアの研究者にはもうなれそうにもないので、自殺一択なのだ

中退してから自殺すると無職自殺になってしまうので、学籍があるうちに自殺したい。

親にはもう学位がとれなかったら学生のうちに自殺するとは通告済みで、許さないとの回答を得ている。

しかし、私が死んだ方が親の負担は確実に減るし、私が自殺すれば日本学生支援機構奨学金も死亡時の返済免除を受けられるのでいいことづくめだ。

私には二人の兄弟がおり、残機は2つ残っているのだから、私が死んだところで2人が子孫を残せば家計も絶えない。

長男の私が死ねば弟が全ての財産を引き継げるようになるのだから、私が死んだ方が世界がよく回るのではないかとすら思えてくる。

出来損ないが一人消えた方が家計家督も、そして研究室最適化されるのでないだろうか。

科学を志した以上、科学に貢献できないのなら自害すべきだと思う。

 問題自殺場所自殺方法だ。

幸いにして、うちは自殺者が多い大学とのイメージ通り、広大なキャンパス大自然を持ちどこでも首が吊れる。

図書館1階のX-1書庫は地上3メートルあたりに剝き出しの梁があり、ロープをかけやすい。

移動式のはしごを蹴ればすぐに自殺できる。

しかし、問題本質は如何に片付けが不要な死に方で死に、蘇生不可能になった時点で速やかに発見されるかだ。

首吊りには不安感が残る。

感電死もいいらしいが、電気工学知識はない。

現在ではエレベーターの中で液体窒素の運搬容器をひっくり返し、酸欠空気を吸引することで自殺しようと考えている。

研究棟のエレベーター内部には液体窒素の運搬容器と同乗する危険性を示す張り紙がある。

酸欠空気を吸えば一息で即死だと示してあり、エレベーターは昼夜を問わず利用者が多いので自殺後すぐに発見されるだろう。

死体を除去後十分に換気すればエレベーターの利用にも問題がない。

液体窒素の入手は大変容易だ。

大学では責任者の捺印がされた専用の用紙が必要だが、研究室に捺印された用紙が大量にストックしてあって、いつでも汲みに行ける。

 最後はい死ぬかだ。

少しでも楽しいことがあると自殺への意思が揺らいでしまうのでできるだけ早く、また指導教員に嫌味を言われるとかで致命的な出来事が起きて欲しい。

嫌味を言われただけで死ぬなんて馬鹿げているが、あまりにも突発的に死ぬと他殺を疑われてしまう。

指導教員と揉めて、将来への不安からかねてより病んでいた精神崩壊自殺に至ったというわかりやすストーリー重要だ。

直近ならばDC2の最後のチャンスでまた揉めて、結局申請できなくされるか、申請して落ちた後に嫌味を言われた時点で突発的に自殺できるといいな。

2021-02-25

救命講習受けてきた

各地の消防署でやってるやつ

全部で3時間だけど、Web講習を受けて合格証を登録しておけば2時間ですむ

内容については下記のとおり

要救助者を見つけたら、周囲の安全確認をする

慌てて近寄って自分事故に遭わないよう。車道なら車の往来があるだろうし、感電している場合はうかつに触ると自分感電してしまう。

要救助者の意識確認する

呼びかけながら肩をたたく等。自分は別の講習で、鎖骨をたたけば直に響くと聞いた。要は、骨の部分を直接たたけば振動がすぐに伝わるって話。

意識がなければ周りを確認し誰かがいれば119番通報AEDの準備をお願いする。誰もいなければ自分119番通報してからAEDの準備をする

胸骨圧迫(心臓マッサージ)をいきなりするよりまずは119番通報。誰かにお願いするときは名指しや特徴で誰かを指名すること。「誰かがやるだろう」という傍観者効果を起こさないようにする。

呼吸を確認する

無い、または死線期呼吸でないか10秒ぐらい様子をみる。

胸骨圧迫を開始する

1分間に100~120回。大人で5cmぐらいへこむぐらい。心臓側ではなく、中央大丈夫。一度はじめると救急隊に引き継ぐまで続ける。非常に疲れるので、質の低い胸骨圧迫にならないように交代してやる。

※今は感染予防として人工呼吸はやらなくてよいことになっている 過去に聞いた記憶では胸骨圧迫30回に対し人工呼吸2回

AEDが到着したらAEDをセットする

AEDの電源を入れる→パッドを要救助者に貼る→パッドのコネクタAED本体にさす→AED心電図を計測する→ショックが必要かどうか判定し、必要であればショックを与える

要救助者の上半身を脱がす。体表が濡れていれば拭く。パッドはだいたいAEDに貼る場所を書いているが、左胸と右わき腹。片方を反対に貼ってしまったらもう片方を反対に貼ればよい。

だいたい、電源を入れれば音声で指示がある。心電図の計測中、ショックを与えるときは離れること。それ以外では胸骨圧迫を続ける。

救急隊が到着するまで、AEDのショックと胸骨圧迫を繰り返す

他にメンバーがいれば、倒れた時の様子等を記録しておいて救急隊に伝える。先ほども書いたが、胸骨圧迫は非常に疲れるので交代でやること。

AEDのショックが必要かどうかはAEDが診断するので、わからなければAEDを使うこと。

2021-02-21

13億人の中国人のうち、7億をしめる農民たちは善良な人間である。

彼らは日本人のように隣人を助けるし、善と悪を知っている。

ウイグル人レイプするようなことをするのは、中国人のごくごく一部だということを知っておきたい。

問題なのは、その7億の人間も、あるきっかけ(金への誘惑や恐怖)によって

カンタンに以下のような行為をする「可能性が高い」という点である

まり魂を売るということである

中国人レイプをしている」と言われても、善良な中国人無視するだろう。

自分がそんなことをしないと知っているかである

まりウイグル問題ダメージを受けているのは、自分が悪だと認めているごく一部の中国人だけなのである

日本人との決定的な違いは、その「境界」がきわめて薄いという点である

たとえば中国人は数年ペットのように育てた豚を、ごく当たり前に殺して食べる。

日本人なら情が移って殺せないこともあるが、たんたんと殺すことができるのが中国人である

この「無駄な情けがない」というのが、上に述べた、「利があればかんたんに簡単に悪にそまる」という恐ろしさである

当局はジヤウドゥンさんの身柄を1カ月拘束した後釈放したが、18年3月に収容施設呼び戻した。それが9カ月にわたる悪夢の始まりだったとジヤウドゥンさんは強調する。

米国からCNNの取材に応じたジヤウドゥンさんが語ったところによると、収容された監房には他に女性が20人ほどいた。そこでは食事も水もほとんど与えられず、トイレ使用は1日1回しか許されなかった。使用する時間も3~5分と決められており、「それ以上時間がかかると電流流れる警棒感電させられた」(ジヤウドゥンさん)

収容されている間、警官からカザフスタン暮らした年数について尋ねられた。ウイグル族の亡命者とつながりがあるかどうかも問われたという。

ある尋問最中複数警官から殴る蹴るの暴行を受けて気を失った。また別の時には、2人の女性警官がまだ傷の残るジヤウドゥンさんを別の部屋へ連れていき、テーブルの上へ寝かせた。「彼女らは私の体の中に警棒を入れて、電流を流した。私は失神した」(ジヤウドゥンさん)

それから10日後、今度は男性警官集団に監房から連れ出された。「隣の部屋で、別の女性が泣き叫んでいるのが聞こえた。5~6人くらいの男がその部屋に入っていくのが見えた。女性拷問しているのだと思ったが、間もなく私は集団レイプされた。それが終わってから彼女も同じことをされたのだと分かった」。ジヤウドゥンさんは涙を流しながらそう振り返った。収容施設にいる間、こうした被害には何度も遭っていたという。

警官らの残忍さは度を越していた。相手を痛がらせ、殴って体を傷つけた。頭を壁に打ちつけられもした。(中略)そういうやり方で私たちを罰していた」(ジヤウドゥンさん)

レイプ拷問に関するジヤウドゥンさんの糾弾は、最初に英BBCが報じた。CNNはこれらの主張の信憑(しんぴょう)性を独自確認できていないが、その内容はカザフスタン国籍ウイグルであるグリバハル・ジェリロワさんのもの共通するところがある。

昨年7月にCNNの取材に答えたジェリロワさんは、17年5月に収容施設に入れられた際、「刑務所のような」部屋に20人ほどの女性たちとともに閉じ込められたと語っていた。

ある時、収容施設性的暴行を受けたジェリロワさんは、相手警官に面と向かってこう言った。「恥ずかしくないの? あなたにも母親姉妹がいるでしょう。どうして私にこんなまねができるの?」。すると警官電流棒でジェリロワさんを殴り、「お前は人間に見えない」と言い放ったという。

19年9月26日の夜、収容施設でのことを口外しないよう中国当局から警告された後で、ジヤウドゥンさんは徒歩で国境を越え、夫の待つカザフスタンに帰った。

しかそれからの数日間、ジヤウドゥンさんの健康状態悪化し、膣から出血に苦しんだという。

昨年、ジヤウドゥンさんは治療のため米国に渡った。到着後すぐに医師らは手術によってジヤウドゥンさんの子宮を摘出した。診療記録をCNNが確認したところ、ジヤウドゥンさんには骨盤膿瘍(のうよう)、膣出血結核の診断が下っていた。

医学的な合併症を患ったことについて、ジヤウドゥンさんは新彊の収容施設での扱いが原因だとしている。CNNはこの主張を実証できていない。

夫のハリクさんは「(収容施設を出てから彼女は中で経験したことについて何も話さなかった」「時々、彼女が夜中に泣いていたりすると、猛烈な怒りがこみ上げてきた。ひどい経験をしたとわかってはいたが、それを尋ねる勇気はなかった」と語った。

2021-02-11

感電っていい曲だよね

とくに最後の「答えは聞いてない」ってフレーズが痺れる

2021-01-21

anond:20210121132133

ルーターの電源だろ。

ただ、そんな物を切ったら、感電火災があるから危険だと思うけどな。

2021-01-17

anond:20210116205156

過労死といわれるが、理屈医者には説明しないが

電工エンジニア感電死するリスクが高いように

ITエンジニアにも死亡リスクがある。どんな職業にも死亡リスクはある。

その中でも、高い仕事で、かつ、大学院など、高度な学問要求される。高校生にでも教えることそのものはできるが、金をはらえ俺に。大学と同じ程度を教えるなら1000万

2021-01-10

anond:20210110230434

うちのプリンセス3歳は教えても教えても風呂上がりの手でコンセント触って感電してるやで

あれは生まれついてのバカやで

2021-01-04

anond:20210104192901

まぁ、看護婦ほどではないが、感電とかな、いろいろあるからなこの業界

とくに、うつ病関係となってくると、ちょっと

2020-11-24

anond:20201124194825

電気工事士感電事故もあるから、同じ仕事だったら安全な方がいいと思うのかもな。女性の方が、本能的に安全を求める傾向が高いと聞いた。

機械でも大きな物品を扱うものは、筋力的に敬遠してもおかしくない。

そういう分野でも女性を!といって、フォローに回った男性疲弊させるんだったら、ナンセンスだわ

2020-11-07

anond:20201107164636

医学専門家の話を聞かない→放置したり間違った民間療法病気悪化して死亡

電気工学専門家の話を聞かない→間違った機器の使い方で感電して死亡

ジェンダー論の専門家の話を聞かない→間違ったジェンダー表現フェミニスト女性に燃やされて死亡

2020-10-26

anond:20201025192616

なんでも、ほどほどがいいよね🐈今日ダイソー感電かかってた。Amazonmusicでは今日のJpopでプラセボかかってたし

lemonはもう知らない人がない状態韓流の曲もかかると知ってるのでやっぱ流行ってるんですね。

anond:20201026125710

当然わかってるとは思うけど、そのままのAEDでは誰かを感電させることはできない

逆に言えば措置必要な人を機械自動的判別して、安全動作させられるからこそAEDの利点がある

増田のような人が一人でもいなくなればいいね

2020-10-18

anond:20201018211229

感電死する可能性もあるし、そもそも無線電波が頭の真横で飛び交ってるっていうね。

2020-09-03

米津玄師感電内のゲーム

今更だけど、米津玄師感電最初のあたりでゲーム音っぽいのが入ってるけど

あれってNAMCOアーケードゲームMAPPYの音源?もしくはそれっぽいのイメージして入れたのかな?

警察ドラマMIU404用に書き下ろしというし、警察ものゲームでMAPPYっぽいの入れたのかな?

さすがに歌詞ハイウェイスタースクウェアゲームじゃなくディープパープルの曲のイメージだろうけど。

ただ曲中は犬と猫の鳴き声だけど、MAPPYはネズミ警官泥棒猫なので関係ない?

犬と猫は喧嘩する相棒ってことな関係いかな。

まりそういう制作話とか読まないしネットで探しても何も出てこないので、深読みしすぎなだけかもだけど

誰か知ってる人いるかな~と思って書いてみた。

2020-08-11

anond:20200811103304

いけ好かないというかなんかスカしてるかんじがしてダメだったけど、感電ビリビリとか言ってるの見て少し親しみを感じた。

2020-08-09

昨日四人でカラオケ行って私は米津玄師の「感電」を歌ったんですが、歌詞の「くたばるまで」を「くわばたりえ」にコッソリ変えて歌っても誰も気づきませんでした。

2020-08-04

40歳になって初めてサウナ後の水風呂気持ちよさを知った。今までなんとなく怖かったのだ、心臓麻痺とか。

酒でも飲んでたら別だがそうそ心臓麻痺とかねえよな普通

酸欠とか心臓麻痺とか感電死とかが昔から怖かった。地震火事おやじというが雷みたいな突然死が一番怖い。

まあめったに無いよな。ないない。まあ雷に打たれて死んだ人も同じ気持ちだったのかもしれんが。

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