はてなキーワード: 底辺校とは
べき論の前に、現行指導要領(もうあと2年だが)では、
・世界史A(近現代中心・内容やや薄め・文理合同の場合の必修向き・標準単位2単位:週に2時間)
・世界史B(古代〜近現代通史・内容網羅的・文系向き・標準単位3単位:週に3時間)
進学校でも世界史Bには6単位くらい費やしている所が多いのではないだろうか。
まして底辺校では、世界史Aを週2時間で教科書を終えることなど不可能だ。
建前上は教科書は隅々まで教えることが義務となっているが、それをやろうとすると物凄いスピードで進むか、内容を薄めまくってミクロな話をすっ飛ばした授業にするか、いずれにしても無理が生じる。
どうしても近現代が大切だーの声が大きくなるが、実は世界史の核は16世紀〜19世紀だろうと思う。
つまり、ヨーロッパがいかにアメリカやアジア・アフリカを植民地化したか、だ。
それを抜きに、いきなり日本の開国からやってもな、という気がする。歴史総合のことだ。
その一番大切な土台があってこそ、日本軍がインドネシアでオランダ人女性を慰安婦にした、という事件を、世界史的なスコープで見ることができる。
大東亜共栄圏を肯定する訳ではないが、なぜインドネシアのスマラン島にオランダ人がいたのか、そこを抜きにスマラン事件を語ることはできない。
例えば、前提となる都立高校の現状として、
・学校経営の責任は校長。例えば、入試倍率はそのまま評価の対象となる。
・偏差値が50を切る学校の、中学3年生とその保護者を対象とした学校説明会では、染髪禁止をはじめ生活指導についてかなり詳しく説明する。これはむしろ保護者が学校に望んでいることに他ならない。
ここまでは入り口の話。出口すなわち進路について。
・偏差値が50を切る学校では、進路が多様になる。概ね多い順に専門学校、大学、就職だろう。
・大学進学と言っても9割がた総合型(旧AO)か指定校/公募推薦なので、ほとんど全員が志望理由書などの書類と面接で進路が決まる。
・最も大事な点だが、大学や企業の担当者が学校訪問をしたときの印象は、指定校の枠や求人に影響する。
・学校運営評議会という、地域の代表や近隣の中学校の校長などから意見を伺う場がある。
・地域住民からすれば、もし地元に金髪ピアスの高校生が溢れれば「学校の指導が不十分」と映る。
「合理的」といったのは、こうした底辺校をめぐる入学・進路・地域社会との繋がりといった構造が、高校に染髪禁止を強いているという意味だ。
まして、地毛証明は染髪禁止規定から除外するための措置なので、それ自体を批判する奴は高校の事情云々の問題と関係なく、理解力のないただの馬鹿。
くせ毛や栗毛色「地毛証明」都立高の4割 生徒に届け出求める | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210225/k10012885111000.html
そのぶくま→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210225/k10012885111000.html
メディアは底辺校を取材しようともしてないし、ブクマカは無知すぎて、地獄。
そもそも地毛証明って、地毛が黒くない生徒には頭髪指導しないというものだから、何一つ批判の対象になるべきものじゃない。
そして、なぜ染髪が禁止されているかについては、極めて合理的な理由があるの。ただ学校がやりたくてやってるわけじゃない。
ブコメにこんなのがあった。
と言われて分からないのであれば、日本に現存する格差を知らなすぎ。
四半世紀生きてて前から薄々気づいていたんだが俺にはセンスがない。もうまるっきりない。
例えばスポーツ。一応小学生から硬式テニスをやっていた。小学生の頃は週に3回スクールに通い、中高大と部活としてやってきた。
結果、せいぜい県大会に行くのが関の山で大学から始めた奴に抜かされた。
努力が足りないと言えばそれまでかもしれない。
そもそもテニスをやるには致命的に俊敏力がなかった。それを補うためにも予測を鍛えたりしたけど結局は勝てなかった。
その後は惰性で続けていたけど結局10数年続けたテニスをあっさり辞めた。
他にも絵描きとかゲームとか麻雀とか色んなことやったけど本当に鈍臭い。要領が悪い。上達しない。
だから勉強はした。効率は時間でカバーしてなんとか一浪の末に医学部に入った(私立の底辺校だけど)。多分唯一の小さな成功体験だろう。
他の学生が部活やバイト、恋愛と勉強を両立させてる中、ずっと勉強してやっと卒業できた(成績は本当にギリギリ)
自分の中ではかなり努力してきたつもりだ。でもそれは他のやつにとっては当たり前に出来ることなんだ。それを認めるのが嫌で嫌で仕方なかった。
親の育て方が悪かったのか?と思うことも何度もあったけど高い学費を払ってくれて、また自分の我儘を許してくれる親には感謝こそすれど恨む気には1ミリもならない
自分のセンスの無さ、才能の無さが憎い。憎くてたまらない。そして才能な持ち主が羨ましくてたまらない。
今日も両親は酒に溺れて夢の中にいる。現実と妄想と夢の中でフワフワと漂い、喧しくわめきたてたり、泣いてみたり、歌ってみたり、交わってみたり。元気なことだ。
前の父親は酒を基本的には飲まなかったし、夜に営むときはホテルに行っていたらしい。そちらの方が静かでよかったなと思う。
別に前の父親が好きだったわけではない。離婚したことに不満などあるはずもないが、今となっては最早、そこにどんな感情が介在していたかも曖昧で、目を凝らしてもその残滓すら見えてこない。彼に対しての感情は「無」に近い。だがしかし、前の父親だった彼は、あの人は、ひょっとしたら今までの4人の親の中では一番、まともな人間だったのではないか。時折そう思うことがある。ただ1つの欠点は、義理の娘に手を出し、高校に入るまでそれを続けてしまったことだ。
その人が好きだった、泣いていたら笑いを持ってきてくれた男の歌を聞いてみたが、母親にバレてイヤホンを千切られた。友達に誕生日プレゼントとしてもらったイヤホンだったのだが。
母親をみているとよくもあんなに怒っていられるものだと感心する。怒りの原因が身近にいたら仕方がないのだろうか。……単純に、自分の感情と境遇に酔っているだけな気もする。酒もよく飲む。酔うのが好きな人だ。
酒に酔うと、母親はよく私に謝罪をしてくる。しかし、私にしているわけではない。ただひたすら自分の気を済ませたいから「娘の形をしたもの」に謝っている。怒っているときは「あんたのせいで私がどれだけ我慢してるか」「私はもうやりたいこともやれないんだ」とわめき散らす。何が本音だろうがどうでもいい。非常に煩く、煩わしくはあるが、特に興味はない。なんでもとりあえず聞いて受け入れて謝っておけばよい。
多分彼女は、私の写真を貼り付けたぬいぐるみでも、泣きながら謝罪をしたり怒鳴ったりするのだろう。
父親が弾くギターの音が聞こえる、夜中の3時。毎日毎日毎日毎日酒を呷っているからか、一般的な常識も忘れてしまったようだった。田舎にある家で、近所迷惑にならないからいいだろう。そう宣う彼は、きっと私が明日学校に行かなければならないなんてことは忘れているに違いない。「家族なんだから」と頻繁に言う彼は、娘になった人間がどんなことが苦手なのかを分かろうとしない。私はハグも、頭を撫でられるのも、急に大声を出されるのも苦手だ。それでも彼はそれをやめない。「家族なのにスキンシップをして何が悪い」と癇癪を起こして、今日も寝室に引きこもった。「家族なんだから」と母親が私に謝罪を促す。私は未だに、謝罪の理由を見つけられたことがない。
男性は確かに苦手だが、私はあなたが苦手なのだ。あの人からやられたことでそうなった訳じゃない。私があなたを嫌うのは、誰でもないあなたの責任だ。──伝えられた試しはない。
朝、父親が飲んだビールの缶を潰す。きちんと洗って乾かしてからでないといけない。家から離れたところにあるゴミ収集所では、ルールに則らないゴミはそのまま回収されず、置いていかれる。父親も、どこかに置いていかれればいいと思う。
昼、学校に行く。ドがつく田舎の超が付く底辺校で、今日もヒソヒソ声と嘲笑を受ける。私があなたたちに何をしたというのか。全く分からない。実際問題、喋ったこともない。おこづかいが勿体ないので、お昼は適当なグミみたいなもので終わらせて、機嫌が悪い友人の代わりに委員会の仕事をこなす。先生には仲直りしなさいね、と言われた。彼女は私のせいで機嫌が悪いわけではなく、単純にテストの点が悪かっただけなのだが。
夜、家に帰る。夕飯は両親の気分によってあったりなかったりと読めない。訊ねると怒られるので訊ねるのもやめた。食材を勝手に使うと1ヶ月はグチグチと煩くなる。部屋にこっそり隠してあるお菓子をかじって、ゲームをして眠ると、大体夜中に大きな声で起こされる。家の中で呼ばれたら、どんなときでもきちんと返事をしてすぐに親の元へ行かなければならない。私は子供だから当たり前なのだそうだ。
前の父親は、確かに仕事がちょくちょく変わっていたし、よくサボっていた。今現在、母親は彼のことを酷く嫌っている。だが、母親が彼に首ったけだったことを私は覚えている。彼女が書いていた手紙には、あの人への気持ち悪いほどの愛が溢れていたし、仕事をしなくてもいいよ、と声をかけていたのを覚えている。
しかし、離婚し、私が受けていた被害を告げた途端に彼女は変貌した。結婚は私があの人に懐いたから仕方がなく、ということになったし、本当はかなり前から別れを考えていたが、私が一人立ちするまでは、と我慢していたことになった。私が読んだあれはなんだったのだろう。
あんなことをするようなやつ、と現父親も彼を酷く嫌っている。だが、あの人は夜中の3時に大声で歌いも、ギターを弾きもしなかったし、飲酒運転で捕まることもなかった。言っていることが矛盾することも、ないに等しかった。
あの行為自体は、嫌だった。痛みや罪悪感が行為の間中延々自分のなかを駆け巡っていたのを覚えている。現在進行形で恋愛が出来る気はしない。性行為が怖いからである。男性に自分がどう見られているか、怖くて仕方がない。恐らくこれは、あの人のせいだろう。元々そんな性格だった気もするが。
しかし、最初に書いた通り、あの人に対する感情はほぼ無いのだ。罪を償ってほしいとも正直思わない。再犯の可能性なんて捕まろうと捕まるまいと存在する。だから、ただひたすら関わらないでお互い幸せにやっていければそれでいい。彼の不幸を私は望まないし、ましてや彼を呪うことはない。彼の家族がどうにかなってしまえば……と思うこともない。
だが、両親や周りの人間はそれが気に食わないのだ。だから誘っただなんだと詰問されることになる。何故なのか。私には分からない。 恨まなければならないのだろうか。呪わなければならないのだろうか。それが人間だとでも言うのだろうか。
私は今までの人生で人を恨んだことも呪ったこともない。それを言うと「幸せな人生だね」と皮肉っぽく言われる。私は幸せな人生を送っているのだろうか。満足に風呂にも入れず食べ物も食べれず、洗濯機を使うことも許されてはいない。おまけに義理の父親に性的な虐待を受け、母親からは精神的な虐待を受け、ついでにいじめも経験した。それでも人を恨まないのは、そんなにおかしいことだろうか。
正直、本当に勘弁してほしい。私は「人を恨むな」とか「呪うな」とか言うつもりはないし、私の考えを押し付けないから、どうか私に何も押し付けないでほしい。
実際は言うほど底辺校じゃなかったやつか
自分は、自分のことをとても頭の悪い人間だと思っているし、実際どう考えても賢いほうではない。
そんな人間でも一応「大学」と呼べる機関に一瞬だけ籍をねじ込めていた時期があって、その頃が人生で最も楽しかった。友達はいなかったが、日々、図書館の本を片っ端から読み、大学が契約している論文サイトから気になるトピックを拾い、学生証を使ってたくさんの博物館美術館を訪ねた。楽しかった。
大学は本当に典型的なしみったれた私文で、偏差値もうんこだったが、同期はみんなとてもクレバーで好奇心旺盛で、専攻分野への野心に燃えていた。みんな僕よりずっとずっと賢かったし行動的だった。ゼミの先生も普通にその分野でブイブイ言わせてる凄い人だった。なので、こんな底辺校ですらこんな素晴らしい学生・教授が在籍しているのだから、「頭の良い」大学は楽園のような場所なんだろうなという憧憬をずっと抱き続けて生きてきた。
自分は、大学を卒業できなかったのでいわゆる就活もできず、適当な仕事を転々としながら生きている。それでもまぁ幸せと言っていい生活を送ることはできていると思う。
だから、インターネットでいわゆるKKO議論や若者の貧困なんかが話題になっていたとき、その当事者たちに旧帝大卒や、それでなくとも国立大卒がゴロゴロいるのを見て、頭を後ろからぶん殴られたような衝撃を受けた。
彼らはそんなに頭が良いのに、頭が良いのにどうして幸せじゃないのだ。おかしい。頭の良い人には幸せになる権利がある。この世界という本に書かれた文字を読むことができる人間にはそれ相応の見返りがあるべきだ。
そして何より、彼らに対して「学歴がないからだ(旧帝だぞ!?)」「努力を怠ったツケが来ただけ」みたいなバッシングが出てくるのに本当にびっくりする。
彼らに「学歴がない」のならクソみたいな大学にしか行けず、それすら卒業できなかった僕はなんなんだ。なんなんだよ畜生。
そもそも大学の格なんかどうでもいいんだ。どんな大学でも、どんな学部でも、それぞれに万金の価値がある。
日本で一番つよい大学は東大か京大だと思うが、先進分野では筑波のほうが強いように、考古分野では東北大のほうが強いように、偏差値がブッチギリであることそれ自体に意味はないんだ。ネットの一部で有名な国士舘だって中東に発掘調査に行くくらい地力があるんだぞ。
正直ここまで書き連ねてきて自分が何を言いたいか全く分からなかった。けども、とりあえず憤りと虚無感のようなものをいっぱい感じているのは分かった。
たくさんの興味を持って大学に行き、たくさんのことを学んできた人達が、大学の名前とか幾つかの数字だけでジャッジされているのを見ると凄く凄くつらいということ。彼ら一人ひとりの頭脳にそれぞれ互換性のない価値がある。忘れないでほしい。それは偏差値に関わらずきっと大切なものだから。
あと、やっぱり僕は学歴厨だから自分より良い大学に入れてちゃんと卒業できた人達にはみんな幸せになってほしいんだよ。そうじゃなきゃおかしいじゃん
小学校の頃私には二人の友人がいた。AちゃんとBちゃん。Aちゃんはちょっと変わってて、私の通ってた小学校は女子同士の派閥争いがあったけど彼女はどっちの派閥にもつかないタイプ。Bちゃんはゴシップとかが好きで、同級生が喧嘩したとかそういう話を嬉々としてするような子。正直私は二人のことがそんなに好きじゃなかった。Bちゃんに関してはむしろ嫌いだったかもしれない。Bちゃんは友達がいなくなったら他の友達にその子の悪口を言うような嫌な子だったし、Aちゃんは派閥のトップの子に脅されて喧嘩を買うような子だったからいつ立場が危うくなって私まで巻き添え食らっていじめられるかとヒヤヒヤしてた。でも一歩踏み出す勇気が無かった私はグループから離れて他の子と1から仲良くすることもできなかった。
そうしてだらだらと付き合いを続けて、6年生の時私は行動した。その頃友達グループは私とAちゃんとBちゃん、それと新しく入ったCちゃんの4人だった。掃除中にAちゃんとCちゃんと一緒に雑談していた時、私はBちゃんが二人がいない間に私に二人の悪口を言ってきたという話をした。AちゃんとBちゃんを仲違いさせて、嫌な性格のBちゃんをグループから追い出そうと目論んだのだ。話を聞いたAちゃんはショックそうだった。Bちゃんが自分の悪口を言っているなんて思いもしなかったんだろう。Aちゃんは好きじゃない人と友達でいるなんて絶対にしないタイプだから。
案の定AちゃんはBちゃんと友達でいるのをやめると言った。私は同調して自分もと返した。Cちゃんは特に興味無さそうにじゃあ私もと言った。多分Cちゃんは自分以外がどうなろうがどうでもよかったんだと思う。なんにせよ私にとっては都合がよかった。そうして次の日からBちゃんはクラスで孤立した…と思ったが、養護クラスの子と一緒のグループに入って仲良くしていた。私はBちゃんにもっと惨めな目に遭ってほしかったから気に食わなかったけど、自分と関わりない存在になった以上目的は果たせたので何もしなかった。
でも私は間違っていた。確かにBちゃんは嫌な性格だったけど、行動力があり暴走しがちなAちゃんを制御する役割でもあった。中学1年の4月、借りた雑巾を返せない理由を言い淀んでしまった時、私はAちゃんに「借りたものも返せないなんて呆れるし、友達でいてもつまんないから絶交しよう」と見限られた。そんなくだらない理由でAちゃんが誰かと絶交したことは今まで無かったけど、それはBちゃんが諭し窘めていたからだった。Bちゃんを陥れようとした罰が当たったのかも、とぼんやり思った。幸い中学に上がったばかりだったこともあり、クラスで別の小学校の子と友達になって孤立するのは防ぐことができた。6年間私が出来なかったことはこんなにも簡単なことだったのかと感じたし、ここから再スタートしようと思った。
けど人生そう上手くは行かない。私は小学校の頃の何倍も弱い人間になった。今までは嫌なことはちゃんと断れたのに、誰かに馬鹿にされても怒れない、物を借りパクされても追及出来ない、面倒事を押し付けられても断れない。いつしか周りから良いように使われるようになった。Bちゃんはいつの間にかAちゃんと仲直りして悪口も正面から言い合うようになっていたし、Cちゃんも小学校の頃のように傍観した態度じゃなく、自分のしたいことをするようになっていた。三人は本当の意味で仲のいい友達になっていた。それを見て私は失敗したんだと悟った。三人は私がパシリをさせられているのを見ても特に気に留める様子もなかった。私達はもう赤の他人だった。Aちゃんという拠り所を失った私は人にどんどん流されて、ほんとはもう少し上の高校も目指せたのに「私ちゃんも一緒の高校受けてくれるよね?」と友達に言われ地元での底辺校に入学することになってしまった。ガラの悪い同級生や先輩にカモにされたけど友達は見てみぬふりで助けてくれなかった。そして去年。バイト先の先輩に紹介された男性と断りきれずに関係を持って妊娠が判明し、出産を機に私は高校を中退した。男性は妊娠したと連絡して以来音信不通だし、中退してから友達とは連絡を取ってない。我ながら酷い転落人生だと思うが、今の私にはバイト先の世間話をする程度の同僚と家族以外の付き合いは殆どない。
今思えば、Aちゃんは向こう見ずだったけど「気に食わないなら従わないし友達のことは大事にする」っていう自分の我がちゃんとあって、友達が派閥の子に目をつけられてハブられたりしたらグループに混ぜたり相手に文句を言ったりして友達のことをちゃんと庇ってた。だからAちゃんと友達でいる間は「何かあってもAちゃんは友達でいて守ってくれる」っていう信頼があったし、それが元々気が弱くて流されやすい私に抵抗する勇気を与えてくれていたのかもしれない。
子供が生まれ、少し落ち着いてきた今時々考えてしまう。もし中学に入ってからもAちゃん達と友達のままだったなら、今とはまた違う人生だったのかな、と。今となっては後の祭りで、益体のないタラレバ話なのだけど。
それがわからないんだ。
・基本的に全て受け身、部活動に文化祭も授業態度も恋愛もそしてその結果中途半端な成績で終わる。
俺が成績が悪いのはイジメられたせいだと思ってる。
・優しいんじゃない、怒らないんじゃない
怒りを他人にぶつけることが怖い臆病者、嫌なこと面倒なことから全て逃げて楽な方に行く生き方。
それって生きてるって言えるのかな。
・恋愛をしたいし好きな子もいるけど、直接なんて話せないからじろじろ見て楽しむ。勝手に好きになって勝手に落ち込む。相手に認識されてないのに失恋したと思ってる。マジで時間の無駄だったと思う。
むっつり顔だし。顔に出てんぞ。
・不良に混じって補習を受ける。えっ!?お前なんでいるの状態。流石に不良達も困惑。まじで馬鹿な奴だと思われる。実際そう。でも逆に俺は他の人と違う感覚を持った特別な存在だと本気で思っていたから気にしなかった。哲学とかそんなことばかりぼんやり考えていた。
・将来何したいとか何も浮かばなかった。底辺校だったから文系も理系も無くてセンター試験を受ける人もほとんどいなかった。俺は近くの短大を受験したけど落ちて
親にまさか自分の息子がこんなに駄目な奴だと思わなかったと落胆されて惨めでヤケクソになってもういっそのこと無人島で暮してやろうかと企んでいた。
工場は気分が楽だと思ってる。もちろんきつい現場もあるが基本的には言われたことを素早く効率良くやれば褒められる。こういう作業は得意みたい。
・親や友達、恋人に迷惑をかけたくなくてお金が無かったけど全部自分で背負い込んだ。
・どうでも良くなった。社会のこととか生きてる理由なんて俺が楽しければ良いんだよ。誰にも迷惑かけず、今を楽しんだらいいんだってようやく気づいた。
世間は広いようで狭い、自分が悩んでいることなんて喜憂だった。だって俺は本当に社会に影響しないちっぽけな存在だから、俺は俺で人生を楽しもうと思う。
プログラマに転職を考えてた俺が元増田の部下に似過ぎて絶望してる。
当方、どこへ行っても仕事を覚えられず煙たがられて、職場を辞める話をすると上司がホッとしたり優しくなったりした経験を何度も目撃してきて、痛い酷社会不適合者の自覚がある。
発達障害扱いされて検査したら凹凸もなく全IQ110のごく普通の健常者だった。しかし致命的に理解力も短期記憶も無いので高校は偏差値40の底辺校を出た。
元増田の部下って、最初は愛想よかったり、話してみると趣味が無かったり、口語能力がとりわけ低かったりしない?
最初だけ愛想がいいのは働き出してから毎日がいっぱいいっぱいで気持ちに余裕がなくて頭も心も萎縮しきってるだけで、趣味がないのは幼い頃から社会環境に疲れきって寝てるのでなにか趣味を楽しもうと思える精神的リソースがないからで、口語能力が低いのは頭の回転が遅すぎて会話の反射神経がとりわけ低いだけで別に貴方に対して苦手意識があるとかそういうんじゃないんだよ。
俺は自分が迷惑かけるサイドの人間だから、迷惑かける人間の行き辛さがすごい分かるんだけど、かけた迷惑を被る人に対しては申し訳なさすぎて胸が詰まる。優しく根気よく指導してくれた上司がある日を境にすごい冷たくなって、ドアの向こうで「あいつには本当に参ったよ」と俺の話してるのが聞こえるの、そういうの凄い辛い。自分がいなければこれだけ迷惑もストレスもかけてなかったってのが嫌でもわかる。頭の中が真っ白になる。元増田の書き込み読んでると元増田に謝りたくなってくる。その部下は俺じゃないけど、間違いなく俺のそれだからだ。
社会が悪いとは思ったこともないし、周りが悪いと思ったことも無い。社会に参画しようと自分なり努力してきた過程で痛いほど「自分の頭が悪い」ことはわかった。
無能でも生きやすいように社会整備しろとも言わないし、無能のためにBI始めろとも言わない。ただ、社会に対して一つだけわがままを言えるなら安楽死させて欲しい。
基本、学力で輪切りされてる高校の場合は、一つの科目について、それぞれの学力に応じた動画が必要になる。
高校生は全員が大学に進学するわけじゃない。商業科や工業科もある。
そうした生徒向けのオンライン授業というのは、スタディサプリなどの大学受験向け動画とは、全く異なるものになるだろう。
大学受験という足枷からは自由な反面、逆に、その教科をもってして何を学ばせるか、またどう関心を持たせてオンライン授業に参加させるか、本質的なデザインの段階から教員の側が厳しく問われることになり、なかなか難しいと思う。
教科書のレイヤーでいえば、何を捨てて何を残すか、何を加えるかという話になったとき、どのような観点からそれがなされるべきか。
まずは、多くが就職や専門学校へ進学する生徒たちについて、キャリア教育的な観点からなされること。
もう一つは、教科の全体をもって、教養すなわちリベラルアーツの入り口に足を突っ込ませること。
オンライン授業の強みは何といっても視覚化に優れたところなので、サブカルチャーから何から総動員して、彼らの身近な関心や今後のキャリアに教科の内容をつなげ、全体として必要な教養に触れさせることは不可能ではないと思う。
奨学金を受けれて大学へ行けるやつは底辺家庭育ちとは言わない定期
こういう感謝を知らない言動を見るとセーフティネットとは?と思ってしまう
まぁ思ってしまうも何も子に罪は無いのでどうにも仕方がないのだけれど
キミみたいな自称底辺は電気ガスが止まるのが日常だったりこういう学校へ行く子らの想像も出来んのやろなって思う
学校に通うにも自家用車もバスもないという子どもたち(日本の話)が想像出来ないのだろうと思う
2019-02-11
■東京の底辺校なら anond:20190211003451
月18万稼いでる子とかおったやで
(理由:親が金稼がないorあるだけ使うので生活できない、親元で生活が出来ない)
後期中等教育としては大失敗だが (寝てても抜けても卒業出来るレベルの教育)
ボンヤリと人を救っておったな
こんな記事↓が話題になってたけど、実際のところアクティブラーニングは学校教育で子供の学習を底上げするメソッドだというのは明らかになっている。
公立小学校のアクティブラーニング実態に疑問の声「声のでかい子が全部やる」「二極化する学力」新時代の教育方法に賛否両論 - Togetter
超トップ校では、優秀で意欲も高いお子さんたちが集まっているので、アクティブラーニングもうまくいき、子どもたちの学力も向上する。当然の結果だろう。
超底辺校では、そもそも子どもが授業に参加するようになっただけで誇るべき大戦果である。それまではそもそも授業の体をなしていなかったのだから。ゆえにアクティブラーニングの実態が単に愚にもつかない考えをダベるだけの場であったとしても、それは子どもたちの学習意欲とかそういうものが向上したという結果だとみなされる。