はてなキーワード: 底辺校とは
23区出身でまあそこそこ金持ちだけど、上見りゃきりないしな〜って感じ
マジの金持ち、大学生の子供に入学祝いに六本木ヒルズのマンション買ってあげたりパリで友達と待ち合わせとか普通にするからほんと異世界。意味わからん
でもそんなの区民でもほんの一握りで、大半の家庭が大抵毎月とんとんの暮らししてるよ
それどころか、家賃高いし電車混むし正直生活という意味では都会ってそんなにいいことない
家庭持って実家から出たら、イオンとかめっちゃ便利じゃんって感動してるし、家賃めっちゃ安いし
ただ通勤とイベントのために都内に住んでるだけで、それがなければ絶対埼玉とか神奈川の方が暮らしやすいよ
ただやっぱり価値観は違うだろうね
というか、同じ区内でも進学校と底辺校ってだけで全然違うと思う。田舎と都会というより、その違いの方が大きくない?
だって簡単な慣用句や単語すら通じないんだよ?漢字も読めないんだよ?傾向として都会と地方は偏差値に差があるのはわかるけど、都会の底辺校と地方の進学校じゃ、後者の方がまだ話が通じると思う
AOや推薦入試にも飛び火しているようですが、中学入試も実はだいぶヤバいですよね。
純粋な学力勝負ではなく、家庭環境や居住地域なども見られているんじゃないの、というお話です。
https://kyushu-chugaku-juken.com/393.html
制服がダサい割にはコアなファン(?)の多いあそこです。不審者が出没したという話も聞きますね。かわいそう。
結論からいえば不合格だったわけですが、10年以上経った今もいまだに納得できません。
・試験自体の出来は、合格ラインを軽く超えていると思われる(算数はほぼ満点、国語も記述問題の大意はそこそこ合ってる、理社も悪くない)
・模試の成績も常に合格圏内、それどころか上位合格のレベルだった
まあ主観的な感触でしかないし、試験の出来が実はクッッッソ悪かったとか、もしくは1教科名前を書き忘れてたとかはあるかも。
受験生何人かでのグループ面接と、1対1の保護者面接があります。
グループ面接では当たり障りのない質問が出て、まあ意思疎通に困難がないかといったところを見ているのでしょう。
コミュ障ではないのでここで落とされたということはないと思います。
願書と一緒に提出だったか当日持参だったかは失念しましたが、家庭環境の調査書みたいなやつを提出させられます。
いや子どもの入試なのに親の職業訊いてどうするんだよ。お受験じゃあるまいし。
反社の人を除くためかな?
ということで、のちに母から聞いたことですが、保護者面接でどういうやりとりがあったか。
面接官「住所が〇〇とのことですが、合格したらお引越しされてくるんですか?」(実家の住所は都内に通学できるような場所ではない)
面接官「うちではお子さんの教育上、お父様も一緒に親子揃ってというのが方針なのですが…」(母子・父子家庭は論外ってことか?)
曖昧に誤魔化して面接を終えたそうですが、入試も合格発表も終わったずっと後にこの話を聞かされて「ごめんね。」と言われたときは胸が痛みました。
入試で問われるのは本人の実力だけではないのだ、と子どもながらにやるせない気持ちになったのを覚えています。
まあもう10年前の話だしどうでもいいんですけどね!
その時に味わった悔しさをバネに田舎の底辺校から東大に進学して、今はoinの人たちとも仲良くやっているので、恨みは晴らせたかなって感じです。
楽したくて底辺校に入った自分が一番悪いし間違ってたのはわかるけど人が蹴られてるのを大喜びして見てる人たちと一緒にいる空間がしんどい。よくわからない何が面白いの?やめようとか言ったり止めたりしたらみんな面白くなさそうにするし不機嫌になるしいい子ちゃんとか言われるし。それ繰り返してたらそのうちハブられそうで正直こわい残りの時間1人で陰口言われながら過ごせるほど強くないし。自分が可愛くて放置してる時点で同類なんだろうけど。
友達が痴漢された時だって爆笑して話聞いてるしそんなのおかしいし私は心配したけどみんな笑ってるし。盛り上がる話の内容がいつも頭悪いし、何が面白いのかわからない。愚痴だって自分の馬鹿さを露呈してるような内容ばっかで恥ずかしくないの?ちょっと教師の声がでかいくらいでキレるし意味わかんない一々キレなくちゃ生きていけないの?逆にしんどくないの?「授業受けたくない 教師はわざわざ受けてやってるこっちに感謝してほしい」とか、義務教育じゃないんだからやめればいいじゃん、そういう意図で言ってないのはわかるけど言ってることさすがによくわからない 声もでかいしほんとに恥ずかしくないの?最初の方は適当に合わせてわかる〜って言ってたけどそれすら最近できない何も共感できない表面上でも共感できないだからといって他のグループに入っていけるほど社交性ないし なんでこうなったんだろって考えてもここを選んだ自分のせいでしかなくてこんな性格の自分が悪いし全部全部全部自分が悪いし本当に何やってるんだろう。残り数ヶ月だけどいじめみたいなことして喜んでるとこ見てもう心が駄目になってしまった。
幸せな気持ちになったんだけどちょっともやっとすることもあったから書く。
田舎ってほんとに金の使い道がないの。
「車かキャバクラの話しかしない〜」みたいな話あるけど、ちがうんだよ、そこしか金使うことがないんだよ。他にお金かけることを知らないの。
都会なら子供に習い事たくさんやらせたり、海外旅行行ったりってお金使うことを知ってるけど、田舎の人はそもそもそういう発想がないんだよ。それでも働いてるとお金は溜まっていくから使いたくなって、どこに使いましょう?ってなったときに、車か家か酒なんだよね。
教育にお金かければ大抵国立大学いけるくらいにはなることをしらないの。才能だと本当に思ってる。
海外旅行なんて無縁なものだと思ってるの。飛行機なんて簡単に乗れるし言葉なんてカタコトでもどうにかなるのに。
「「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」が「田舎でも情報は受け取れる」って批判されてるけど、それでも周りの環境って大切だと思う。井の中の蛙は海があることを知らないって外から馬鹿にするのは簡単だけど、じゃあお前が蛙だったら井戸を出ていたのか?って。
田舎の暮らしが悪いものだとは思わない。幸せは確かにそこにある。
それでもやっぱり知る機会が少ない
これらの記事が話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505
私は今年で30才を迎える正真正銘、東北の田舎底辺校出身、都内勤務の人間である。
私の両親は共に高卒で父親は土木業、母親はスナックのママという家庭に育った。
勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動やアルバイトをして早めに社会勉強をしろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからはコンビニ、スーパー、引越し屋のアルバイト等をしながらお小遣いを自分で稼いでいた。
テストが赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分でアルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金はゲームに費やして過ごした。
さらに遡ると小学校低学年の時に分数の計算でつまづいていた私は家で父親に宿題を見てもらおうとしたが「わからないからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。
さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものはクラスに1、2人くらいだったと思う。
私も友人同様、当時ハマっていた漫画やゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金で東京に上京しフリーターになった。
私は当時、専門学校は自分が就きたい職業の専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。
大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。
そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生に出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。
しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおかしかった事に気づかされていく。
そのバイト先では東大生、慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。
また彼らと話していて大学というのがどういう場所か想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士、官僚、新卒で大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。
もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。
そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。
医者や弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手や芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)
彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校に入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。
これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。
その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽な感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまりに先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)
私の場合はスタートした時点で明後日の方向に走ってしまったか、スタート地点をグルグルと回っていたのだ。
そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。
誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。
間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般にブラックと呼ばれるような待遇の零細企業に就職し、自分で学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界の大手企業に勤める事ができた。
私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通の暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。
世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである。
そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである。
もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人の勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
上記記事の内容を大まかに説明すると、教育における「親の年収格差」に加えて、「東京と地方との格差」も大きいのではないかというものである。
主張として同意できる部分があるものの、やや違和感を覚えたので増田に記したい。
上記記事の阿部氏は、東大入学時に、阿部氏と同級生との家庭環境の違いにショックを受けたようだが、私の場合、大学より前の高校入学時点でそれを体験した。
私は、公立王国である地方某県No.1の高校から、都内の某文系国立大に入学した。受験難度的に、東大より下だが早慶よりは上の大学である。
生まれてから上京するまで、築30年以上2Kのアパートに家族4人で過ごした。当時は受け入れがたかったが、控えめに言っても貧乏な部類に入る家庭だった。
地方と言えども、県No.1の高校ともなれば、同級生の親は医者・弁護士・経営者等が多数を占める。大規模な牧場経営者などもいた。一流企業のサラリーマンは割合的に少なかったと思う。
(地方の場合、一流企業のサラリーマンは東京本社から単身赴任しており、子供は東京に残しているケースが多いのかもしれない)
親の平均年収は1000万を超えていてもおかしくない。言わば地方豪族である。不動産価格や物価が低いにも関わらず、年収は高いわけで、可処分所得は東京の一流サラリーマンより多かっただろう。
私の家庭は貧乏だったので、高校の同級生は違う世界の住人なんだと感じたものである。
阿部氏の場合、高校ではそうした格差を感じなかったのだろうか?
もし感じなかったとしたら、高校の偏差値はあまり高くなく、何年かに一人現れる神童タイプだったのだろうか。
阿部氏は釧路出身とのことだが、釧路トップの釧路湖陵高校、北海道全域で見れば、札幌光星や札幌北・南・西・東などの高校なら、おそらく親の平均年収も高いはずだ。
つまり、地方の中でも平均年収や教育関心の高い層が存在しているわけで、地方が全てダメというわけではない。結局のところ、「東京と地方との格差」というよりは、「親の年収格差」のほうが遥かに大きいのではないかと感じる。
阿部氏の言うように、地方特有の閉塞感、都会に出るのを否定される空気は確実に存在するし、県どころか、町を出るのすら反対されることも少なくない。だが、こうした傾向は、年収の高い家庭、平たく言えば合理的な思考ができる家庭においては当てはまらないことが多い。やはり、「親の年収格差」なのである。
念のため説明すると、地方の場合、東京の港区のような「年収が高い人が住むエリア」が少ない。というか、年収と住むエリアが密接にリンクしておらず、年収の高い層が片田舎に住んでいることが多々ある。東京なら、年収の高い層が港区や田園調布などに集中しているのかもしれないが、地方の場合、それぞれのエリアが東京ほどブランド化されていない。「お金持ちの住む街」、「ガラの悪い街」という区分けが、そこまで明確には存在しないのだ。
繰り返すが、エリアの格差よりも、「親の年収格差」のほうが大きいと思う。
まぁ、とはいえ、地方は受験産業が発達していないのは事実である。東京では有名なSAPIXも地方ではほぼ見当たらないし、中学受験も一般的ではない。受験してまで通うに値するような私立中学がない県も多いし、あったとしても、中学はあまり重視されていない。地方で重視されるのは高校であり、出身大学より出身高校が学歴的意味を持つことも多い。「どこ高?」とは聞かれても、「どこ大」と聞かれることは少ないだろう。
そうした意味で、阿部氏の言う「東京と地方の格差」に一定の理解はできるものの、それでもやはり、「親の年収格差」のほうがクリティカルな要因だと思う。地方で年収が高い層は、地方の衰退していく現実を直視しているし、子供を東京の一流大学に通わせることへの抵抗が少ない。地方の有力経営者の場合、いずれは子供に会社を継がせる意志があっても、まずは東京の大企業で修行してこいというパターンも多いだろう。
私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである。
大学に行って、勉強ができて、よかったと思っている。それは役に立つとか立たないとか才能があるとかないとかいう以前に、環境としての選択の問題だと思う。
そういうことが、周囲の環境のおかげで、「できたか、できなかったか」。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
自分は四国の県庁所在地出身で、県内では進学校に属するが、当然ながら首都圏の進学校とは比べ物にならないところ出身。
成績の良い理系学生のほとんどは医学部・薬学部・歯学部を目指し、教師もそれを勧めていた。
東大に受かるのは年に数名程度といった感じで、高校としても東大なんか行くくらいなら医学部にいった方がいいと公言していた。
おそらく多くの地方都市でそのような状況が今も続いていると思う。
東大入学者の首都圏割合が増加していることを鑑みると、その傾向は更に進んでいるかもしれない。
田舎ものが東大に入って驚くのは、こちらは受験勉強でひぃひぃいいながら過ごして、
やっと大学に入って新しいことを学ぶぞーという気分なのに、
既に大学レベルの勉強を高校時代からしていた怪物にいきなり出会うことだ。
大体、どのクラスにも数人は「こいつはやべぇ」と思う人間がいて、
それはガリ勉などとは異なる3シグマ外れた人間ということが凡人としてもわかる。
これは東大の良いところだ(そして、それ以外の大半は進化した凡人である)
このあとは様々な人生設計がありえて、3シグマ外れた天才に食らいついてでも付いていく、
凡人出身の秀才の極みを目指す、一流ではないがすべてにおいてオールマイティな才能を身につける、
天才と秀才の通訳役を目指すなどが一般的である(それに応じて職業や就職先が分かれていく)
ここで、東京出身者は相対的にオールマイティ型か通訳型になることができるが
それは社会資本、文化資本だけでなく、高校時代や塾でのネットワークが大きい。
とにかく街を歩いていると知り合いに会い、声をかけられるのが彼らである。
オールマイティ型か通訳型になることができるだけで秀才型が少ないというわけではない)
そんなわけでいろいろな面で東京出身者・首都圏出身者と田舎者の違いを感じることがあるのだが、
観察者の視点から一つ面白いと思ったのが彼らのコミュニケーション技法である。
首都圏の進学校のコミュニケーションの文法はマウンティングが基本である。
しかし、そこでのマウンティングはセンスや格好良さのマウンティングである。
日本人ラッパー界隈が高学歴であることは周知の事実だが、ラップやDJにおける何を今、流すと格好いいかダサいかという
ハイコンテクストな文脈こそが彼らの持ち味であり、金や知名度とは直接的には結びつかない。
たとえば、就職先がトヨタよりもマッキンゼーの方が格好いいが、
マッキンゼーから内定が出たのに「あえて」鹿島建設に行けば、その「あえて」感が格好いいという風な。
これは普通に鹿島建設に行きたくて鹿島建設に行くのとは違うようだ。
大人になってわかったがシリコンバレーのベンチャー界隈も結構このノリで
これらのハイコンテクスト性は彼らが生まれながらに会得した一つの参入障壁のようなもので
例えば僕がマッキンゼーから内定が出たのに「あえて」ドコモを就職先に選んだとしたら
ダサいと言われるに違いない
おそらくインターネットが容易に乗り越え、全世界に運べるものではない
何が格好いいのか、何がダサいのかを決める上流にいるということが
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
twitter見てると
誰か「自分は釧路出身だけど、いくらなんでも話を盛りすぎ。自分の高校は結構都市部の大学に行った人いる」
別の誰か「いいや自分の知ってる田舎はこんなもんだ。全ての田舎はこうだ。あなたも自分の田舎はダメだと認識しろ。それ以外の意見禁止。東京最高。田舎は潰せ」
っていう闇が見えた。
はてなブックマーク - 「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
この記事なんだけど、何だか全然ピンとこない。なので自分の経験を書いてみようと思った。
俺はこの人より10歳くらい上で、出身はもっと小さな市だ。人口5万人くらい。主な産業は当然のように農業。鉄道も通ってないし駅もない。
地元の普通の公立小学校から公立中学校、公立高校、そして東京じゃないけど大学に進学。
中学は荒れてた。中学の歴史上で一番荒れてた時期らしい。眉を剃ったり剃り込み入れたり短ランとかボンタンとかそういう昭和な不良がリアルにたくさんいた。
家から一番近かった高校は自転車で10分かからないくらいのところにある農業高校で、名前さえ書ければ入れると言われるヤンキー高校。
けどそんな中学でも進路指導では普通に大学まで見据えて話をしてた。大学進学を考えるなら公立だとこの高校、県外の私立に入るという選択肢もあるって感じで。
「田舎では大学進学なんて想像の埒外だった」とか言われると「はぁ?」と返さざるを得ない。
大学なんて近所にないし大学生なんて子ども時代には見たことなかったし著者よりも10年近く昔でさらに田舎でも、大学進学は選択肢として普通にそこにあった。
両親共に高卒、親族には大卒もいたけど、そういうのは関係なく荒れた中学校でも進路指導では大学進学も普通に未来の選択肢として考慮されてた。高校の倍率はどこも1.0倍で偏差値で自動的に振り分けるとか、それ本当?
当時の大学進学率を今ググってみたところ短大含めて40%ちょっと、四大に限れば30%ちょいくらいらしい。田舎の同級生を思い返してみると、やや少なめかもしれないけど有意に低いといえるかどうかは微妙という程度だ。
言っとくけど東京と田舎に格差がないなんて言ってない。経済的格差も文化的格差もインフラの格差もある。何しろこっちにゃ駅もない。地元の本屋はここ20年くらいで全部潰れて、残ってるのはブックオフと数年前にできたツタヤのみ。
それなりに勉強とかしたかったって夢を抱いて底辺校から頑張ったのにコレかよ…と。
そういうのが嫌で一番難しいコースに行ったら、文化祭での研究室の出し物はコスプレキャバクラだった。
なんであれは規制されなかったんだろうかとか事故は起きなかったのかとか今でも思う。
友人をなんとか探そうと色々ソロで活動したけど、なんか次は会う人会う人キャバクラやスナック、ホストクラブで働いてる人にやたら遭遇した。
ある学部では先輩の紹介で実は女子の2割がキャバ嬢とかマジなのかな?
私は結局働くことはなかった。
東京でその後就職したんだけど、この話をしても信じてもらえない事が多いし、私が聞いたらきっと嘘だと思うと思う。
でも、本当にこれは何だったんだろう、ただの格差社会の片鱗を見たで片付けて良いのかなぁと整理がつかない。