はてなキーワード: 孤立とは
酔っ払ってポンコツ化したのは完全に自分の落ち度でしょうよ……
子連れがいるなら子供たちと一緒に遊んでれば面倒を見ているみたいになってちょうどいいぞ
俺の友達にもコミュ障女房をパーティーとかの場に連れてくる人いるけど、世間話が異常にしにくい人でいつも会の後半には孤立してて気の毒。俺もその人苦手なので敬遠してるけど。
結局な、「行きたいなら行けばいい」
「行きたくないなら行かなくていい」だけだと思うんだよな。
学校でいじめられてるとかで惨めな気持ちのやつのこころには響かんだろ。
俺みたいなひねくれ者だったら、こんなtwitterの流れを見ても
【誰もわかってくれない。この世界はみんな敵だ】くらいに思い込んでますます学校で孤立するよ。
そんなことするくらいなら学校なんて休んどけ、好きなことやりながら引きこもっとけって思う。
体育の時間はパフォーマンスが出せなくて地獄だった。それでまたいじめられるしさ。
学校にいかなければみたいに行き続けて、結果自分が分からなくなる。ああ、俺だ。
あのさ、
「(学校に)いくべきだ」って
思いこんだ俺みたいなやつを見つけたらフォローしてやってほしいだけだよ。
https://dot.asahi.com/dot/2019042600016.html
これを読んで思い出した。
私は小学校二年ぐらいまで傍若無人な振る舞いしてたんだけど、その結果、クラスから孤立していたっぽい。
皆も記憶を思い出してほしいんだけど、人を排除するときって、小学校低学年の時は協力して排除する知恵はなかったと思う。ただ、気に入らない奴だから、集合知で排除されていっぽい。
当時の私はそれを肌身で実感し、恐ろしくなったので、それ以降は傍若無人に振る舞うことはしなくなった。もう三十年も前の話だ。
8才でよく気づいたな私。66で気づかなくてよかった。
弊害?としては、性格診断とかで周りの顔色を伺ってしまうという質問項目に100%○をしてしまうことかな。俺様キャラなんてあり得ないし幻想だからしょうがないね。
複数の子供を生み成人するまで育てると「子供によって大変さが違う」「大変さの質や時期が違う」ことはちょくちょく経験する。
夜泣きの全くない子、反抗期の全くない子、おむつばなれも早く離乳食の偏食もなく病気もかからないかかかっても軽く済む子、
ほっといてもニコニコ機嫌よくして一人であそび、事故になるような危険な遊びをしない子。
なぜか他の母親(育児の苦しさをしきりに訴える)を批判するようなことをいいだしてママ友から孤立してしまうことも多いらしいです
あの母親のとこで育てられたら、残りの兄弟たちってやっぱり母親が自分の兄弟を殺した…っての
母親が隠し通したとしても…。
子供たちに隠しとおすの無理だと思う…。
署名どうこうより、単純に…残りの兄弟たちは離れて事件を知らずに育った方がいい気がするよ…。
せめて成人するまで…。
ここでいう保守派というのは現在の自民党の中核である清和会とか、保守派の代表として扱われている日本会議とか、保守派の新聞と言われている読売新聞や産経新聞を対象にしています。とりあえずこの辺の人たちの意見が現在の日本で最も影響力があると思っています。もしそうでなければご指摘ください。
他にもいろいろあるけど、上記の保守派の人たちが考えていることややっていることって、過去(主に戦後)の日本はダメダメなので、とにかく改革したいって思いがすごく伝わってくる。保守の定義とかそういうのはどうでもいいけど、保守派の人たちがやりたいこと全部やったら
東京以外が貧民窟と廃墟で、天皇制もなくて、世界から孤立して、人口も少ないから経済競争力もない、そういう日本を保守派の人たちは目指しているっていうことでいいのかな? 保守派の人たちって日本が嫌いで日本を破滅させるために活動しているのかなって思っているんだけど違うのでしょうか。多分違うと思うけど、じゃあ何が違うのかを本当に教えてほしい。
ここでいう保守派というのは現在の自民党の中核である清和会とか、保守派の代表として扱われている日本会議とか、保守派の新聞と言われている読売新聞や産経新聞を対象にしています。とりあえずこの辺の人たちの意見が現在の日本で最も影響力があると思っています。もしそうでなければご指摘ください。
他にもいろいろあるけど、上記の保守派の人たちが考えていることややっていることって、過去(主に戦後)の日本はダメダメなので、とにかく改革したいって思いがすごく伝わってくる。保守の定義とかそういうのはどうでもいいけど、保守派の人たちがやりたいこと全部やったら
東京以外が貧民窟と廃墟で、天皇制もなくて、世界から孤立して、人口も少ないから経済競争力もない、そういう日本を保守派の人たちは目指しているっていうことでいいのかな? 保守派の人たちって日本が嫌いで日本を破滅させるために活動しているのかなって思っているんだけど違うのでしょうか。多分違うと思うけど、じゃあ何が違うのかを本当に教えてほしい。
ここからが本題だが、文芸部の人が今どうしているのか気になる。
高校卒業後10年ぐらいたつが、色々わけあって卒業後高校時代の同級生とは一切連絡を取っていない。
携帯番号とかメールアドレス、SNSのアカウントも一切わからない。
そのため文芸部の人と連絡を取るためには実家に電話をするしかないが、不審電話扱いされて切られるのがオチだろう。
仮に連絡先を教えてもらって電話をしても、宗教の勧誘か選挙のお願い扱いされて相手にされないのは火を見るよりも明らかだ。
そもそも10年間連絡を絶ってきた人がいきなり電話するというシチュエーション自体胡散臭い。
それに文芸部の人と休日遊びに行くということもなかった。休日1日10時間ぐらい勉強しないと授業に追いつけない高校だったので遊ぶ暇すらなかった。
文芸部の中でも孤立していたし、携帯電話を持っていなかったので(今も持っていない)メールのやりとりをするということもなかった。
母から怒られることに対して、私は「怒られると安心する」という共依存的な感情を抱いていた。私が怒られてしょんぼりしているのを見れば、母親は『安心』するのだ、そして私も母が安心してくれたことに対して『安心』するのだ、そういうものだ、母が怒るのは私の言動を正すことが目的ではなく、お互いがお互いを貶めあって、被害者同士になることを目指すための儀式のようなものだ。これが長い間、私と母との関係性だった。
私と母の関係性は、敵意を持ち、相手を傷つけるという感情や行動とは遠くかけ離れたものでありながら、お互いがお互いが損ないあうことにより保たれていた。毎日、うんざりしすぎてうんざりしなくなる程度に繰り返される儀式めいたコミュニケーションだった。母は驚くべき執着心と体力、精神力をもって加害者をこねくり回して嫌味を言い続け、「おまえは私の言うとおりにすべき存在である」というしくみを行動レベルから浸透させ、被害者と加害者の関係性を強化し続けた。
そういう状況であったから、私は何も考えないでいることが許され、私もそれに甘んじた。自分の行動のものさしは「母に決めてもらえばよかった」。自分が着るものも、ぬぐものも、髪の毛の形もあいさつの内容も、左右どちらの足を先に上げて歩き始めるかも全て「パターン学習」すれば良かったのだ。私は自分のものさしを放棄して親に自分の根幹となる主体性を差し出し、従順な態度を取り続けた。
一方で、親は私が主体的で明朗快活な人間になるべきだと考えていたし、私が何かを自分で考え、動き、生み出すことができるような人間になることを願っていた。矛盾、という一言で片付けるには語弊がありすぎるほど、そこらじゅうに爆弾が埋まっていた。
反面、私は何を言われても自分の判断を母に渡すべきではなかったと思う。私が母に甘えて自分の判断を渡すことを、自分に対して許してしまったことが、SADになった大きな要因のひとつだ。
自分で何かを決定せず、他人にすべてを任せておこぼれの結果を期待するというスタンスは、他人と接しているという点でコミュニケーションをしているに見えるが、実際には完全に他人と断絶している。コミュニケーションの基本は等価交換であり、貰ったものと等価の何かを返還できない場合に、尊敬や恩情、遠慮などが生じる。ただし、自分の意思という荷物を持っていない者は、価値を計ることができないので、他人から何かを貰っても適切な対価を返還することができない。よって、他人の思いやりようがないし、気遣うこともできない。相手としても、自分で何かを持っていない人間に対して、適切な手助けやアドバイスすることができない。よって、誰かに依存しがちな人間は他人とのコミュニケーションを断絶し、独りよがりの世界にこもるようになり、孤立する。口を動かして何かしゃべっていても、相手には何も伝わらない。考えることをやめるということは、人とのコミュニケーションをやめるということだ。私の場合、精神的に引きこもった時点でSADの元となる「他人とのコミュニケーションを苦手として断絶するが、他人からの評価を自分への報酬とし拠りどころとする性質」の下地はできていた。
本当に純粋に一人の人間としてその男性を信頼しているから友人として一緒に遊びたい、楽しい時間を共有したいと思うのは搾取なのか?
それってつまり、相手の男性はこちらのことを、性的な見返りがなければ時間を使う価値がない人間として見ていたということでしかない。
相手の男性に「性的な関係を期待しないお友達」とか「態のいいナンパ除け」としてしか見てないでしょ君も。
拒絶してない。
「だったらそれなりの付き合い方をするから先に言っとけ」といってるだけ。
本当に純粋に一人の人間としてその男性を信頼しているから友人として一緒に遊びたい、楽しい時間を共有したいと思うのは搾取なのか?
性的な見返りを与えなかったらそれは搾取だと言っているコメントが多くて病む。
それってつまり、相手の男性はこちらのことを、性的な見返りがなければ時間を使う価値がない人間として見ていたということでしかない。
人間として見られているのかも謎。価値があるのは性器にだけですか?
同性の友達相手だったら、一緒に遊ぶことが搾取だなんて思ってもみないのに。
女は信頼されやすくて狡い、男には信頼されにくい辛さがあるなんて言うけど、性器しか見てない人間が言えることかい。
市民、あなたはコンピューター様について何か誤解をされているようです。
パラノイアは1984年に発売された、冷戦下の赤狩りを皮肉るブラックユーモアに溢れたTRPGです。
舞台となるアルファ・コンプレックスは、サンフランシスコ地下にあるコンピューターの制御するシェルター都市である。小惑星の地球への衝突によりネットワークから孤立した各都市のコンピューターは、断片的な情報から共産主義国家の核攻撃中にあると誤認。結果、すべての都市は共産主義者に制圧され自都市だけが正常に営まれていると結論するに到った。以後数百年に渡ってコンピューターは「共産主義の攻撃」と「汚染」から市民を守護するという妄想を達成すべく、都市の人類が外に出られないように隔離し、独裁的・専制的・全体主義的な支配を行っている(ちなみに、XPの時点ではコンピューター歴214年である)。人類の自由を奪うコンピューターの支配体制は、かつてのアメリカが持っていた妄想的な「悪の共産圏国家」のイメージそのものである。共産主義者の攻撃から守るという名目で共産主義的な社会を作り出すというのは大きな矛盾なのだが、コンピューターはすでに狂ってしまっているのでそのことには気づけていない。
つまり、パラノイアでは市民は狂ったコンピュータ様の支配の下、特に存在しない脅威と戦い、どうでもよいミッションを遂行しつつ、適当な人を反逆者として今日も粛清しているのです。(ZAP! ZAP!)
アルファコンプレックスではこのような状況が長く続いたため、科学技術も衰退しきっています。
車に乗れば走っている間にタイヤが外れ、エレベーターに乗れば落下をし、銃を撃てば暴発します。
プレイヤーはみな疑心暗鬼です。理不尽なミッションを遂行するふりをしながらお互いに監視をしあい、隙あらば反逆者として仲間を処刑しようとします。
なかなか狂っていますね。でもゲームブックはさらに狂っています。
市民はセキュリティクリアランスに従い情報が制限されています。そしてプレイヤーのセキュリティークリアランス 赤(R: レッド)はルールブックを読むことができないのです! プレイヤーはわけもわからないままアルファコンプレックスに放り込まれまることになります。
ひょっとしたら自分で遊ぶよりも他人が右往左往している姿を見る方が面白いかもしれません。素敵なリプレイを紹介しましょう。
作り込まれたネタと表現力が魅力です。冒頭を抜粋してみます。こんなノリが好きならオススメです。ちなみに太字はプレイヤー名です。
みなさんは、いつものように仕事へ出かける前の朝食をいただくため、食堂に集まっています。
食堂は収容人数3000人ぐらいの、カマボコ型の天井をした、とてつもなく広い体育館のような場所を想像して下さい。
その中央を長いベルトコンベアーが貫いており、その上にはポリカーボネートの皿に乗った灰色のペーストが並んでいます。
直に匂いを嗅ぐと涙が止まらなくなる強い刺激臭と、スチールのスプーンすら溶かす強烈な味がしますが、食べてもすぐには死なない程度の安全性は保証されてい ます。
腹を空かせた市民達は、コンベアーに群がり皿を受け取ると、思い思いのテーブルについて食事を始めます。
食べ慣れていない市民などはスプーンをペーストに長く漬けていたため、スプーンを溶かしてしまうなどといった粗相をするものもいましたが、食事はおおむ ね……失礼しました、完璧に幸福に進んでいきます。
STAR-R:いやぁ、コンピューターのくださるお食事はいつ食べても美味しいですね~
Rese-R:当然だね。疑いようもなく、我々は幸福だ。
食堂には、より幸福に食事を楽しめるよう、娯楽としてテレビまで用意されています。
Rese-R:それにしても、いったいどんな番組が流されているのだろう?
ちょうど食事時の人気番組である「電子顕微鏡の世界」というのが放映されています。
この番組は、様々な金属の電子顕微鏡の映像を延々と流し続けるというもので……ちなみに、今日のテーマはベリリウム(原子番号 4 の元素。記号Be 原子量 9.013)です。
Rese-R:いよいよ、明日は「ホウ素」か、いゃあ~、楽しみだなぁ!!
STAR-R:まったくです。こいつぁ目が離せませんね。
(注: 本来の名前表示は「個人名」-「クリアランスイニシャル」-「ホームセクター」-「クローンナンバー」でしたが、読みやすさのため「個人名」-「クリアランスイニシャル」に変更しました)
雰囲気が伝わったでしょうか。
私は主に主夫をしながら在宅で仕事をしているのだが、女性が働きに出て、男性が家事をするのが基本の社会のほうが合理的だと思われる。
ここでいう家事、というのは、炊事洗濯もそうだが、特に育児に関わるところは、男性が行うほうが明確にメリットがあると主張したい。
いくら男女平等を叫んだところで、生物的な性差があり、適材適所ということはある。
そうでない人もいる、私は違う、と各自が言うのは自由だが、確実に傾向というものがある。
大林素子がどれだけデカかろうが、平均身長は女子のほうが低い。
これから私が話すのは傾向的な問題だ。なんらかのデータを示すことはしないが、反例となる統計があるならぜひ教えてほしい。
まず第一に、女性のほうがコミュニケーション能力に優れている。
妻は帰宅後と休日にしかない(私と比べて)僅かな時間のコミュニケーションにも関わらずガッツリと子供の信頼を得る。女性特有のコミュニケーション能力のなすところだ。
私もコミュニケーションの時間は少ないが子供に好かれている、という男性は良く振り返ってみてほしい。そこには大きな妻のサポートがなかったか。
コミュニケーション能力は文字通りコミュニティを形成する能力のことで、他人同士の感情の調整もそこに含まれる。父親のことが好きになるように、母親が仕向けているのだ。
そしてコミュニティの機能として、仲間を作ることはもちろん、敵を作り排除することも含まれる。
小学校の学級会で吊るし上げられるのは大抵男子で、吊るすのは女子グループである。男子のほうがやんちゃしがち、という以上に、コミュニティ形成能力の違いによるところが大きい。
そしてこの敵を作る能力が、家庭という閉鎖環境で悪いほうに働くことがある。家族に嫌われる父親の悲惨さはよく知られているところだろう。相手が父親ならまだ良い、それが子供に向けられたとき、子供は容易に孤立しうる。
女性のほうがうつ病に罹患しやすいというのも特筆すべき点であろう。
逆に男性が家庭に入った場合、ここまで強烈な調整能力は基本的にない。
しかしコミュニケーションの時間を長く取れることで、女性に比べてコミュニケーションの苦手な男性でも子供との人間関係を作ることが可能になる。
女性は短い時間でも良好な関係を気付くことが可能で、深すぎる関係による過保護や虐待などの弊害も起きづらい。
子供とて一人の人間である。ウマが合わない。ということも当然起こりうる。その点男性は、業務としてフォーカスすることで人間関係を横に置くことがしやすい。
ともすればドライと取られがちがが、そのドライさが、終わりのない閉鎖環境である家庭では良い方向に向くことが多いように思う。
家庭全体として、深すぎず、浅くもない良好な関係を築きやすくなると言える。
家事、家庭に関わる仕事、というくくりの中で、男性が絶対に代理できないものがある。それが出産だ。
家事のメインを女性が担っている場合、妊娠、出産の負荷が普段の役目にそのまま加算される。これは非常に辛い。
期間中、ある程度は家事を男性が肩代わりするにしても、普段どおりのクオリティは望むべくもない。
出産で入院、母親が家を空けることになれば、家に残されるのは普段家にいない父親と、あまりコミュニケーションのとれていない子供の二人きりである。
産む母、残される父子共に心労が募ることは間違いない。仕事にはいくらでも代わりがいるが、家事には代わりがいないのだ。
これも男性が家事を取り仕切っている場合は非常にシンプルになる。
男性は普段どおり家事を行い、女性は産休をとり、何も気にせず出産に向けて体をいたわるのみ。
女性が入院しても、家事と子育てを普段と大きく変わらず回すことができる。このメリットは非常に大きい。
家事も育児も基本的には肉体労働である。妊婦に任せられるようなものではなく、筋力のある男性が普段から行うのが合理的だ。
それに比べて現代の労働というものは、鹿やマンモスを追い回すようなものではなく、コミュニティを形成し、コントロールする能力のほうが必要とされる。
小柄で、非力で、月に一度股から血がでて体調を崩し、子供ができれば10ヶ月静養が必要なタイプの人が社会の主役となれば、
それに合わせた社会に自ずとなるはずだ。そしてそれは、そうでないタイプの人にとっても過ごしやすい社会だろう。
私は、そのような社会のほうが良いなあ、と思うけれど、みなさんはどうだろうか。