はてなキーワード: 婚姻とは
私にとって、誰かを好きになったり付き合ったりする事は非日常な出来事で、それ中心になるから自分のことが疎かというか、自分のことがどうでも良くなる。
例えば好きな彼と会う予定があったりすると、それ以外のことは疎かになる。彼に何かをしてあげるとなると、自分や他の事は後回しで全力で彼に尽くそうとしてしまう。こう書いてみると可愛らしいような気もするけれど、その私の男性との付き合い方は、今は自分にとって良くないと思っている。
理由は、恋愛が私にとって「自分が尽くした度合いに対して彼がどれだけ返してくれるかを試すゲーム」になっているから。
彼から思ったような反応が返ってこないと当然そのゲームは「あんなに尽くしたのに何だこいつ、はいクソゲー」となってしまうから即切りしてしまう。逆に上手いこと反応が返って来たら満足して関係に飽きてしまう。そのやり方で今まで何人も別れてきた。ある日突然自分の中でゲームオーバーが来るので、相手にとっては一体なぜ突然振られたのかわからなかった人の方が多いと思う。
私は一度結婚していたことがある。離婚する時も言い出したのは夫で、主な理由はセックスレスと私からの愛情が感じられない事だった。私は結婚して半年ほどである理由から彼の事が夫として信用できなくなり、結婚したことに対して失敗だったと思っていた。セックスも意図的に避けていた。彼は酔って帰ってくるたびに、私の横に座り「自分のことは好きか」と2時間聴き続けるような日もあって、それがある日は私は本心とは違うことを言い続けなければならず地獄だった。私は家事や料理をする事で、私なりに婚姻関係を結んだ責務を果たしていた気になっていて、「まあ普通の夫婦とはちょっと違う感じなのかもしれないけれど黙って今の生活を続けていこうよ」という感じだった。彼は私からの愛情が感じられない事は心の根っこで感じていたのだと思う。離婚を彼が言い出した時、はじめに飛び込んできた感情は「ラッキー」だった。なのに、最初の数日私は彼に何とかして離婚を思い直してもらおうという態度を取っていた。二人の話し合いは、私にとって今の安定した生活を保ちたいがために彼の心を操ろうとするゲームになっていた。が、彼の動かない意思に、ある日突然「あ、こいつもういいわ、クソゲー」となってそこからは何の情も湧かなくなった。向こうから言い出した離婚だったので、向こうに損をしてもらおう、責任を取ってもらおうくらいの態度にコロッと私は変わった。それで私はさっさと離婚した。
今、付き合っている人がいる。その人は私のゲーム的な部分に全く応じない。文字通り返事をしないのだ。元々寡黙な人ではあるけれど、私を無駄に喜ばせるような事や、期待を持たせるような事を絶対に言わない。
それで私が情緒不安定になっても、離れていかずただそこに居る。でも何も言ってはくれない。今までに出会わなかった「私に振り回されないタイプ」のこの人は、一体何なんだろう…と思ってしまう。
私が情緒不安定になりツイッターで愚痴る。私は同情を乞うのが上手いので、友達は「その人はやめとけ」と言ってくれる。言って欲しいように私が操作しているからだ。その回答が欲しい言い方をしているからだ。こうやって書いてみると、親身になって相談してくれた友人にはマジで申し訳ない事をしてしまったなと思う。
私は今自分で男性との付き合い方について根本的に考え直して、自分を変えたいと思っている。山のように動かない彼氏は、そんな面倒な私の部分に気付いているのか、気づいていないのかわからない。気づいているけど気づかないふりをしている可能性が高い。
私は今自分が男性との付き合い方を改めたいと思っているから、この彼氏を「ゲームに付き合ってくれないからお前は無し」にしてはいけない相手だとは思っている。私に振り回されない、寡黙な彼氏から私は精神的に安定しながら男性と付き合える事を学びたいと思う。
地方の医学部の女子学生は、男の医師や部活の先輩に「女医はモテない。」「学生のうちに彼氏見つけないと結婚できないよ。」「妥協が大事だよ。」「お前は選ぶ側じゃない、選ばれる側なんだ。」というようなことを言われ続けて6年を過ごします。セクハラですが、地方医学部はムラ社会なので仕方がないと諦めていました。(社会に出てみて、これらがすべて嘘だったとわかりました。女子医学生はこんな言葉を真に受けないでくださいね!)
この根拠にされているのが、医師にはおなじみの「1/3ルール」で、女性医師の1/3が婚姻継続、1/3が結婚後に離婚、1/3が生涯未婚とされています。みんな言ってるこの数字ですが、「女医は結婚できない」という趣旨のサイトは例外なく、舞田敏彦氏の職業別の生涯未婚率(http://tmaita77.blogspot.jp/2014/02/blog-post_9.html)を出典としていました。おそらく1/3ルールもここからきています。よく見ると、本調査で「医師」としてカウントされているのは現役・フルタイムで働いている人のみで、出産を機に退職した女性医師、あるいはパートで勤務する女性医師は統計の対象外のようです。また、上記サイトで資料として挙げられているのは「職業構造基本調査」のみですが、pdfに「医師」で検索をかけても1件しかヒットせず、数字の根拠も不明でした。他に参考にした資料があるのでしょうか?
1/3ルール、数字を算出する時に女性医師(出産で一時離職・パートで働くことが多い)が多く除外されているため、信頼に足るものではないと思うのですが…。
また数字算出の過程も素人目には何と無く胡散臭いです、舞田氏は統計の専門家のようですが…。
どう思いますか。
…「悪事だが責めない」と「良い」の区別がつかないとすれば、それは問題では?
と煽り気味に書きかけたが、まあ言いたいことは分かる。「生活に支障をきたすことのみを責めよ」という意見は、容易に「生活に支障をきたさない浮気ならどうか?(よい(=構わない)のではないか?)」という意見に流れそうだという不安があるのだろう。だがちょっと待って欲しい。
現実問題として、『恋愛感情を伴う浮気』なら、生活に支障をきたさないというのはほぼ不可能である。遠からず「あの人と私とどっちが大切なのか」という二択を迫られる場面が生じるだろうから。そのことは、パートナーからの信頼感、子供がいる場合子供の感情など影響を与える部分が多々あることを意味する。従って、現実には一般の「浮気」はおおむね肯定され得ない。パートナーの浮気は婚姻を継続しがたい理由と見なされうるし、継続が難しくなったときその対価は当然「慰謝料」という形で償われなくてはならない。ただし、その人が倫理的に裁かれる訳ではない。これは今日の日本社会における運用とおおむね一致する。「生活に支障をきたさない」ケースとは、たとえばポリアモリーの夫婦が別のポリアモリーの夫婦(いずれも子無しで作る予定も無し)と共同で周囲に秘密にそういうことをしている場合などがこれに当たるだろう。そういう人は勝手にやってくださいとしか言いようがないし、この人たちを道徳的に裁くのは無理だと思う。
また、『恋愛感情を伴わない(一般に「プロ」相手の行為など)』場合、生活に支障をきたす割合は相当少ないことも考えられる(たとえばおっちゃんが小遣いの範囲でこっそり風俗行くとかそういうケース)。これが、一般に「プロ」相手の行為を許容する余地になっているのだろう。だが、それもまた「浮気」であることを私は否定しないし、パートナーがそれも含めて嫌悪感を示すなら当然配慮すべき(でないと生活に支障をきたす)と考える。当然のように風俗に行く「権利」などがあるわけではない。
つまり、原理主義的に「良い/悪い」という善悪論にすることが、かえって「俺は(浮気が)悪いこととは思わない。価値観は人それぞれ(だから浮気してもOK)」とか「風俗は浮気じゃないからOK」といった言い訳を成立させてしまう余地があることを考えてみた方がいいと思う、という話なのだ。現実社会の運用を考えてみれば、結局「生活に実際的な支障をきたす」案件について、その「支障」を問題にする、というスタンスの方が理にかなっているように思う。一夫一婦制を推奨するかの宗教がある程度近代社会の基盤になっている以上、この社会をトラブル無く運営していく上では「みんな悪い。ゆえに罪を憎んで人を憎まず」というその運営指針にも真摯に耳を傾けるべきであると思う。
追記しようと思ったが、微妙に長くなったので新しく書いた。
中には怒っている様な人が居たが、俺としては怒らせるために書いた文章では無いから、その辺は申し訳なく思っている。だから、この文章は出来るだけ整理して客観的に書いていきたいと思う。
まず、「彼女と結婚したくない」のブコメやトラバは読めるもの全部目を通した。
色々突き刺さったものがあったが、特に突き刺さったのが次のものだった。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
勝手な言い分や感想とは異なったものだった。書店に行って確認までしたが、論破はできそうにないものだった。
そしてそのまま彼女のところに行って、話し合いをして、別れることになった。
彼女は泣いていた。そして俺も泣いていた。だが、別れることが二人のためであるという側面もある。もちろん、そうでない側面もある。ちょっとした騒ぎにもなって、特定されたくないので期待している人には悪いが、詳細は控えさせてもらおうと思う。
ここで終わらせてもいいのだが、処女を追求することについて、いくつか発見があったので紹介したい。
女性側に排卵隠蔽があるために男性はそれへの適応を迫られた.このため純潔性と婚姻後の性的貞操への選好が生じる.これは文脈に大きく依存し文化間で大きな差がある.
・若さへの好みについて
(改訂版追加項目)若さへの好みについて:男性が繁殖力を求めるのだとすると非常に若い男性は自分より少し年上の女性を好むと予測される.実際のリサーチでは15際の男性は17~18歳の女性を好むという結果が出ている.しかしその年の女性は自分より若い男性には全く興味を示さない.これは「男性の若い女性への好み」を「報酬強化」や「男性が権力とコントロールを求めること」で説明しようとする主張が成り立たないことを示している.
多くの動物と異なりヒトにおいては男性側が配偶相手の身体的な魅力をより追求する.また若さの追求は霊長類の中で独自の特徴だ.これは(長期的な配偶相手においては)選択時以降の生涯にわたる潜在的な繁殖力が重要であるからだ.若さや美しさの追求は西洋文化から来ているのではなくユニバーサルな特徴だ.女性に対する美・魅力の基準は決して恣意的ではない.ただし純潔への選好には文化が大きな影響を与えている.しかし結婚後の貞操を求める心は強くユニバーサルだ.
ブコメで叩かれるであろうことはわかっていたが、「呪いにかかっている」どころか「精神病」や「強迫性障害」まで出てきたことについては、はっきりいって今のはてなは異常だ。男性が処女を求めるのは、正常だ。
by-king誰とは言わんが、普段は価値観の多様性の大切さを説いてるのに、自分と合わない価値観に対しては真っ向から否定したり、精神病扱いして矯正しようとする頭悪い人が居るよな
ChieOsanai ふだん多様性万歳と言ってるはてなーも、男らしくない男は徹底的に叩く。それがはてな村のジャスティス。
ここでいう男らしさは、フェミフィルター(?)を通過できた都合の良い男らしさになるんだと思う。
ちょっと前に増田で話題になった「アナと雪の女王」のクリストフみたいな感じだ。
はてな村の多くの人は、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー(SJW)なのだと思う。
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
こういったことが起きる。
はてな村が偏っていることは、「はてなユーザーの性格分類統計」(http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/10/17/025450)でも言われていて、16タイプ中上位3タイプ(INTP,INFP,INTJ)で全体の半分の割合を占める。内向型8タイプで全体の81%を占める。日本人の標準MBTIタイプテーブル(日本版MBTIマニュアル P.80)だと、上位3タイプはESFJ,ESTJ,ENFPで全体の内34%を占めて、外向型8タイプで全体の62%を占める。
はてな村の人達は、自分の立ち位置の特殊性は理解した方がいいのだと思う。
そして、はてなを利用する人は、その偏ったブコメを安易に鵜呑みにしないほうがいい。5chの言葉を鵜呑みにしないがいいのと同じ事で、それはあまりにも当たり前のことだけど。
俺が勤めている職場には今年の春から、高校を卒業したばかりの女の子が入社してくる。
耳障りが悪かろうが、政治的に正しくなかろうが、自然主義の誤謬と言われようが、身分違いで失敗しようが、女性が上昇婚をやめられないように、俺も繁殖力(若さ・健康・くびれ・美)のある処女(排卵隠蔽対策)を求めることをやめられないのである。
そして、社会はそうした多くの人で埋め尽くされており、そうした人が投票や政治活動でそうした社会をまた形作っていく。俺はその社会の中で、処女に関することがふと頭に浮かび、扁桃体神経回路の情報処理の結果が視床下部へ伝えられ、自律神経反応を引き起こして心臓の拍動が早くなり、胃腸の動きの変化を体感しながら生きていくのは、結婚生活における日常生活を営むレベルでも困難になると、その経験から判断した。
これを読んでいる人も、色々な言葉を取り入れつつ、最終的には自分の頭で物事を判断してほしいと思う。
上昇婚に関しては
この話の大前提になるのは、「女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という現在の風潮です。これは結婚に対する意識調査で性格・容姿の重要度が男女共通であるのに対して女性のみ経済力や学歴を求めるとする調査1、実際の女性の婚姻の双方で観測されており2、ほぼ揺るがない事実とみていいでしょう。女性は社会的地位が不安定だから自分より年収の高い男性と結婚したがるのだという意見もありますが、そういったものに縛られない医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず“パワーカップル”と名付けられた高年収夫婦が統計的に明瞭に観測されるので、その指摘はほぼ無視して良いでしょう。
異性の婚姻制度の特典・恩恵を同性であっても享受したいということな。男女が婚姻して世帯を構成することを前提に法律が作られているわけで。それって何のため?というところに立ち返って考える。
社会の構成単位である夫婦・世帯を保護して、生殖行動を保護して、次世代を生み育てましょうってことなんじゃないかと。全ては子供のために。
https://anond.hatelabo.jp/20180214020955
気持ちは分かるんだけど、双方議論がふわっとしている。それは、そこで言ってる「同性婚」が何を指すのか明らかになっていないからだ。
まずはっきりさせておきたいことは、「同性婚」が同性者間の婚姻契約を意味してるなら、現行法でもこれは禁止されていないし、法的拘束力もきちんと生じるということだ。
その理由は契約自由の原則(憲法13条)があるからだ。(なお憲法24条は同性者間の婚姻契約を禁止する趣旨ではない。)。
これは例えば、男性同士のカップルが、お互いに婚姻契約書を取り交わして婚姻契約を締結することは妨げられないということだ。実際にもこういう例は多くある(らしい)。
そして、その契約書に書かれた扶養義務や婚姻費用分担の定めは、きちんと法的拘束力が生じる。
禁止されていない以上、賛成も反対もないのであって、結婚したい奴はその意思に基づいて勝手にやってください、ということになる。
上記の点を踏まえると、「じゃあみんな何を議論して騒いでいるの?」ということになるが、みんなが議論している「同性婚」とは、民法第4編第2章が定める”婚姻”だ。
この場合、上述した当事者間の婚姻契約と異なり、お役所に届出が必要となる(民法739条1項)。
男性同士のカップルが婚姻届をお役所に届けたとしても、民法第4編第2章が定める”婚姻”は成立しないことになる。
結論から言えばその理由は、民法第4編第2章が定める”婚姻”に付属する効果(≒特典)が、徹頭徹尾、男女間の婚姻を念頭において制度設計されているからだ。
例えば所得税における配偶者控除、相続分、相続税、などなど、枚挙に暇がない。
民法第4編第2章が定める”婚姻”を同性者に対して認めるということは、これらの制度を同性者間のカップルを念頭において1個1個検討しなおす(そしてそれは膨大な量の立法作業になる)ということを意味する。
だからこれは「賛成か反対か」という大雑把な議論ではないのだ。効果の1つ1つについて議論を詰めていかないといけない問題なのだ。
じゃあどうすりゃ良いのよ、という問題になるが、理屈からいえば、「同性者間の婚姻についてどのような効果(特典)を認めていくべきか1個1個詰めていくべき」ということになる。具体的には、同性婚を望むLGBTに取材するなどして、議論の基礎となる資料をかき集める必要がある。
(ただここで問題になるのが、LGBTの人らが本当に同性婚を望んでいるのか?という点なのだが、客観的な資料があるわけでもないのでとりあえずこの点は措く。)
どもども。うん、結婚みたいな一夫一妻制は近代以降だろうね。話ずれるけど妾みたいなのは重婚としてよさそうだし。
ずっと、上司に見捨てられたくない、同僚に認められたい、みたいな執着を原動力として働いてきた。ほとんど休日返上で、異常に働きまくった。
でもそのぶん感情を入れすぎていたというか、周りに怒りをぶつけることも多くて、人間関係は荒れるし、人格破綻者との評価をほしいままにしてきた。つらかった。仕事がというより、怒り、寂しさ、承認欲求で毎日心が焼かれるようだった。ちょっと病的だった。
社会人六年めの今年、ちょっとした転勤とともに、考え方を変えるよう心がけた。まず休日出勤をやめた。週に1度は休むようにし、意識して仕事に対する執着を減らすようにした。
今までの私にとっては、仕事や職場の人間関係がすべてで、彼らに仕事を通して自分を肯定してもらわないと、自分の存在を全否定されてしまうように感じていた。それだけ依存していたし、子供が親に求めるような「安全基地」を同僚たちに求めていた。
私は一人ぼっちだったが、同僚たちには血縁や婚姻関係で強固に結ばれた「家族」がいる。私がどんなに同僚たちに親しみを感じても、彼らにとってはしょせん他人なのだと、それが孤独で寂しくて荒れていた。仲良くなればなるほど、親身にされればされるほど寂しかった。今思えばすごく変な執着をしてた。
今は、孤独や寂しさを受け入れることと引き換えに、他人に依存する苦しみを捨てることができた。別に上司が同僚が、私を肯定してくれなくてもいい。陰で悪口を言っても。彼らに家族がいて、他人にしかなれなくてもいい。取り替えのきく部品でも。
たまに気が狂うほどの孤独感がある。でももう心が焼かれるような感覚はない。人に怒ることも減った。人格破綻者と呼ばれることもなくなった。
これが自立するということなのかもしれない。
それに結局、「家族」がいたって、「他人」以上に自分を肯定してくれるとは限らない。そんな関係を求めたらまた依存状態になり、破綻することは目に見えている。
などと思った休日の夜。
長文失礼しました。