はてなキーワード: 土建屋とは
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/09/08/182813
読んだ。
私も分からない。
どうして「東京」で開催することを喜ぶんだろう。
日本人のほとんどは、実際会場に行って競技観るわけじゃないでしょ?
せいぜいバーや街頭ビジョンに集まって、みんなでワイワイやる程度。
大阪万博じゃあるまいし、大多数の日本人は自宅観戦。長野・札幌五輪に行った人ってどれだけいるんだろうか。
ヘタすると娯楽もメディアも多様化してるから、自宅でも観ないかもしれない。
これが地方開催で、土建屋が「うっしゃぁあああ!!」って喜ぶなら分かる。
おそロシアの風刺人形劇みたいに、どっかの芸人がネタにしてくれたら嬉しい。観る。
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。
報道ステーションで、新政権が13兆円規模の景気対策をやるというのを見た。
二階元経産大臣が参加する新年会に、地元和歌山の土建屋がペコペコしにきていた。
晴れ着を着たばあちゃんが、笑顔で「道路は血管です!」の旨の事を言っていた。
また昭和を繰り返そうというのか?
東名、名神のような物流路でもない、辺境に高速道路を通して、なんの利益があるんだ?地元土建屋と、その2次、3次受け辺りにお金落として、なんの将来性があるんだろうか?
次が来るまで内部保留として貯めこんで市中に流れないんだろう?
そこまでコストをかけて住まなくても内陸なり、都心近くに移ればいいのに。日用品の輸送費も下がるし、施設も共用できるじゃないか? フルサトの空気じゃないと生きていけない妖怪のたぐいか?
いったい誰がそれを負担すると思ってるんだろうか?
俺の税金返せよ!
責任の持てない発言をするのは嫌なんだけど、書き捨てさせてね。たとえばだよ。
専業主婦でもいいという女子は >> 保育所を働きたい女子のために開けてあげる
働きたい女子は 保育所を譲ってもらう代わりに >> 専業主婦が多めの手当を受けることを受け入れる
専業主婦女子は、いつまでも手当には頼れない だから 家計の大半は家賃だから >> 安い所に移り住む
公団はダサいから 公共事業投資 土建屋さん!!登場で 綺麗で安いファミリー向け物件を提供する
すると家賃相場が下がって、家主さんが困るから >> 短期的には減税する 長期的には
どのみち、安いところはやや駅から離れるから 道路整備もする(公共事業)
で お子様を持ったご家庭が 小さな車>>バンなどファミリーカーに乗り換えられるように ママさんカー乗り換え減税
車の量を増やして 都心部は家から駐車場へ 家主さんは 中期的には駐車場ビジネスへ 長期的には そうしないと少子高齢化でどのみち価格下落 利益現象を受け入れて
こういう感じで、専業主婦はバリキャリ主婦に 家主さんは専業主婦に 車屋さんは家主さんに という感じで 今持っている権利をほんとうに必要な人に譲りあっていくような
譲り合いを基本としてた 公共事業を 打たないと無理だと思う。
もちろん、公団では限界があるから、これを民間デベロッパーに委託して 民間デベロッパーが潤う
こういう自分のライフプランを決めて、なにを辞める代わりになにを得るか?という未来選択は 庶民には難しいから
マスコミが国からお金をもらって、 こういう人生があります。そのためにはXXを諦めて、XXをGETして下さい。という 選択肢を 宣伝する。
そんなに上手くいかない というのは重々承知だけど そういう連鎖のプランをちゃんと描いて、わかりやすいように みんなに説明してくれないと
公共投資が単発になって使い切りに成っちゃう。みんなは怖くて、利権を守っちゃう。
でも今必要なのは 『持っている権利をみんなで交換すること』 譲り合って 本当に必要な未来をみんなでつかもう!!!
みんなの要望を全部叶えるのは無理だけど、みんなが、ちょっと譲り合ってくれれば少しは楽になるはず。
そして、そうでもしないと 車とか土地とかは少子高齢化でやられる一方。 公共事業が長期的な活況を埋めない。でも こういう公共事業なら、男の給料も安定しやすい。
http://www.jcp.or.jp/web_download/seisaku/20121126-seisaku-dj-net.pdf
これを読むと、同じ災害を引き起こさないための対策は一切行わないようにみえる
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/2012-07.html
だが、分野別政策を読んでみるとこう書いてある
長周期地震動や地盤の液状化などへの対策を強化し、被害を最小に抑える取り組みをすすめます。交通やガス・上下水道などライフライン施設、河川堤防、がけ崩れや土石流などの危険箇所、老朽化したため池など、災害危険個所の点検を急ぎ、必要な補強・補修を優先しておこないます。住民の要求をよく踏まえて、電線の地中化など、安全性を高める措置をすすめます。災害対策を無視した開発行為の規制など、まちづくりそのものを、開発優先から、防災を重視した住民参加型に転換します。開発や土地利用の変更にあたって、災害に対してどのような影響があるかを事前にチェックする防災アセスメントを導入します。森林の荒廃が大量の流木や大規模な土石流をひきおこし、被害を増幅しており、間伐や風倒木撤去の徹底、作業用林道の回復措置などを確実におこなえるよう必要な支援を強めます。災害復旧にあたっては「原形復旧」をおしつけるのではなく、再度災害を防止するため必要な「改良復旧」をすすめます。
必要な補強を行うには土建屋に作業を頼まないといけない。同じ災害を防止したりするのも同様だ
頼む主体は国だ
国が行う事業は公共事業と呼ばれているから、必然的に需要も増えることになる
つまりやろうとしていることは自民党の国土強靭策と同じになるのだが、政策ダイジェストではそれに触れられていない
まったくもってバカだとしか言いようがない
原発は再稼働。
ばら蒔いて貧民票を買う。
というのは今は昔。
消費増税賛成。
っていったって、自民党(保守)と社会党(革新)の中間って意味だったはずだが、いまや自民も民主も変わり映えしないんで、中間も糞もない。
TPP賛成。
外交面はころころ変わるので読めない。
経済思想は東京と大企業に関しては保護主義だが、地方の保護には反対。
維新の会とほぼ主張は一緒。
致命的に経済音痴。
国の借金はどんどん大きくしたい党。
みずほの奇人ぷりがすごかったが、鳩山のレベルの違う奇人ぷりの前に忘れられた。
経済には無知(亀井と同レベル)なのに(逆に、「だから」か)ベーシックインカムを唱える党。
でも、だれも存在を忘れてる。
保護主義。
親米に加えて、親露。
おらの地方では、冬に雪が降るんだ。まぁあれだ、日本海側、裏日本地方ってやつだ。裏日本を放送できない言葉というならば、西海岸地方と呼べば、太陽サンサンって、暖かそうでいいと思うんだけど。
冬になると雪かきをするんだ。でも、あらかじめある程度は降ることが想定されているので、早く起きたり、夜中にこっそりと、除雪をするんだ。
近所のおばあさんの家の前とか手伝ってあげたり、除雪車が除けた雪の壁をちょっと崩してあげたりとか、若い分だけ、余計に働く。
そういうもんだし、わざわざ人にいうほどのこともなく、やって当たり前のことをもくもくとやっているだけだ。
雪で大変って書くのもアホくさいので、黙って除雪をこなすだけだ。変な同情は求めない。
変に自己主張する人がくるくらいなら、雪国減税とか日照時間減税とか気候が過酷な分だけ、税制でバランスをとってくれるだけでいいと思う。
最近、わざわざ除雪ボランティアとか、自己主張する人たちがあらわれた。手伝ってくれるのはありがたいんだけど、facebookやtwitterでボランティア雪かきしてます的な発言をわざわざする人ってなんなんだろう。
みんなの役に立つことをするのはいいと思うんだけど、やって当たり前のことを点数稼ぎみたいにいうのも、微妙に引っかかるものがあるんだな。
目の前にいる人が喜んでくれれば、いいわけで、世界中に向かって、「雪かきボランティアする私ってすごい。人事の人見てる」的見え透いた感が、途方もなくいらいらするんだ。
例のニューヨーク・タイムズの寄稿記事の話。
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17azuma.html
特に接点のない二人の物書きが、揃って「希望(hope)」という言葉を出したのは、決して偶然ではないと思う。
震災後の長引く混乱の中で忘れられかけているが、
という状況は震災前と何も変わっていないし、震災によってさらに窮地に追い込まれたとさえ言える。今の状況を放置すれば、この国を待っているのは凋落だけだ。
例えば、震災の一ヶ月前、村上龍は自分のメールマガジンでこんなことを書いていた。
わたしはこれまでのような政府批判はもう止めようかと考えたりしています。具体的に何をやるのかわからない政府に対しては、具体的な批判のしようもありません。もともと、政府に頼るのはリスクがあるという考え方で、たとえば『13歳のハローワーク』のような本を作ってきたわけですが、政治家の考えの甘さや、制度の不備を指摘しても何も変わらないという思いがさらに強まりました。新しいニヒリズムが台頭するような気がします。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report24_2303.html
現在の日本では、「政府には頼らない」という姿勢は重要だと思われます。かなり曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必要とされるものは何なのでしょうか。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer658.html
そして、震災後、上記のニューヨーク・タイムズに寄稿された一文。
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。(中略)だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
東浩紀の寄稿文に対して、「大規模災害の後で人心がまとまるのは当たり前だ」という意見があった。しかし、その「人々が一体感を持って危機に立ち向かう」という流れこそ、この「失われた二十年」でついぞ得られなかったものだ。「衰退」という名の危機は、既に我々を飲み込もうとしているというのに。
現在の日本が置かれている状況を正確に理解していた二人の物書きが、震災後に人々が見せた反応に対して、そろって「希望」を見出したのは、だから当然と言える。
それは、「被災地の復興で土建屋が儲かる」とか、そういう近視眼的な話ではない。『「震災」と「衰退」に立ち向かう』という共通の目標の下に、既存の様々な制度や産業構造を再編成し、この国の未来を作る。それを成す機会が、ようやく訪れたのだ。
しかし、この「希望」は、翻せば「最後の機会」でもある。この機会を逃せば、この国には本格的に後が無い。これらの論文が、国内紙ではなくNYTに掲載されたということも、個人的には気がかりなのだが。。
「嘘は言いませんが、本当のことも言いません」って感じ。政府と企業が密に関係する事業って往々にして情報が隠蔽されてきたような気がする。薬害エイズ事件ってあったけど厚生省と製薬会社の癒着(か知らんけど)か何かで対応が遅れて被害が広がったんじゃないの? 公共事業もそうだよね。適当な環境アセスメントで住民に嘘ついて。そうしないと地元の土建屋に金が流れないから。結局金かよって思う。他にも政府と企業が情報隠蔽して被害を大きくした事件って幾つもあったんじゃないか? 事実を公表すればパニックになるし、政府の責任も問われるし、それによって関係する何億円っていう産業もダメになるし、天下り先も無くなるしってことじゃないか。この期に及んで政府発表とか信じられないよな。今回の原発も政府と東電のタッグ。東電は関東圏の電力を独占してるから、政府も潰すに潰せないんだと思う。潰してもいいけど、今度は関東圏の産業経済が回らなくなったら日本終りだもんね。
あとさ。放射能。健康に影響ないレベルなので心配ありませんて言うけど。微量でも漏れてる時点で問題なんだよってツッコミは? 健康には問題ないんだじゃぁ安心だね、って普通に生活できるかよボケ。
あー,うん,まあ,とりあえず心がけはしましょう。
でも,そんな速攻で人柄が変わるもんではないってことは,知っておいてもらいたいな。
丁寧に叱るってのは,ガツンと叱るより性質が悪いことがあるんだ。後を引くという意味でね。
時間がかかる,と言い換えてもいいかもしれない。
丁寧に語って解る人にはそうするほうがいいだろうし,そうじゃないこともある。
丁寧語の湾曲表現って,えげつないんだよ。あんまり叱るときに丁寧語を使いたくないのはそういう点もある。
ガツンと言うよりも酷い表現ができてしまうんだ。
馬鹿野郎,てめえなに言ってんだコラ!,頭冷やして来い! と怒鳴るか,
少し調子が悪いようですので,外の空気でも吸って出直してみては如何でしょうか? と下から言うか。
前者は,言葉は酷いが単純だ。文字通り頭冷やして来いってこと。顔でも洗って出直して来い,ってのもある。
が,後者はどうだろう。どこの調子が悪いんだろう? ・・・頭の調子だよね。意味がわかってからじわりとくる。
俺のルーツに土建屋時代があるからかもしれんのですが,丁寧語表現で叱るというのはとてもイメージしにくい。
例示したように一歩間違うととんでもないことになるわけで。
特徴的なお顔ですから人に覚えられやすくて羨ましいなあ。それに言葉の端々からオリジナリティあふれるセンスが垣間見えます。さぞお勉強なさったのでしょうねえ。
むかつきますね。
丁寧語だから何?っていう感覚はそう簡単には抜けそうにありませんが,まあ,ですます調を心がけるくらいはしましょう。
少なくとも生島相手に相応の期間丁寧に事実ベースで誤りを指摘して無駄に終わった結果,感情に訴える手法を選択した経験があるので,また無駄に終わらない事を祈ります。
WEB+DBになぜ日本のソフトウェアが世界に通用しないのか、という記事があった。
偏見交えて要約すれば「アメリカはスーパーハッカーを厚遇するベンチャー企業がIT業界を占めるが、日本ではIT業界は土建屋の構造を持っているためスーパーハッカーを厚遇することができず、結果競争力がおちる」とのことだそうだ。
まー、その考察は今までさんざんネットの世界で言われてきていることだし反論はしない。
ただ、IT業界のごく普通のプログラマーとしてはアメリカみたいな構造になると、私ごときの技術力では競争に負けてプログラマーとしてはくっていけないんだろうな、ってぼんやりと思う。
だからといって、四捨五入すれば四十のこの年になって、プログラマー以外の職種に就けるのか、と言われると普通にムリだろうな。
大学時代の友人達は独立開業したり、マネージャーに方向転換したり、もしくは心を病むか身体を壊して休職中かのどれか。
あー 鬱だ。
今付き合ってる彼女、すごく好きだし、セックスの相性がすごくいいし、
頭の回転も早いし、話しも合うし、まさに理想的なんだけど、
彼女自身はDQN臭はまったく感じない、上場企業で派遣の事務やってて、
趣味もどっちかって言うと俺に近い若干オタク趣味の文学少女的な感じだからこそ、
知りあって好きになったんだが。
仲良くなってから詳しく家族の話しを聞くと、父親は半分ヤクザっぽい土建屋で
超怖いらしいし、兄貴が昔はヤンキーで今は鳶職してて、喧嘩早くて困るだとか。
その辺、俺が一番苦手な種族なんだけど……。
ていうか、ぶっちゃけ怖いです。
お互いに四捨五入して30歳なので、いわゆる適齢期。
気がついたら、アフリカがあつい。一時、アフリカに滞在していた身としてはどうにもスルーできない言説が多いので、ここに少し考えを。
アフリカの問題はとても複雑でシビアです。特に日本人にはよくわからないことだらけ。国際協力関連で3年ぐらい彼の地で生活をしていましたが結局よくわからないまま、未だに理解できないことも多いです。知らないことに関しては口を出さない方が良いと思うのだけど、やはり生活していた土地に愛着もあり、この思いを伝えたいとも思ったので、長文になりますが興味のある方には読んで戴きたいです。
まず、ちきりんさんのこのエントリーは読んでいて悲しくなりました。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207
よくわからないけどただこれだけはわかった、といって再植民地化が良いのじゃないかなあ、なんて暴力的すぎるんじゃないかな。アフリカの開発支援に関わった人がもしこのエントリーを読んだら、多くの人は悲しみや怒りを感じたりするのではないかと思いました。
そしてこのエントリ。
アフリカ大陸在住中 : http://anond.hatelabo.jp/20100209065146
この方は西アフリカ方面にいらっしゃるのかな?そう思ったのもヨーロッパという言葉がとても多く出てきたからだけなのですが、宗主国を限定されないようそういっただけなのかもしれません。自分がいた南部アフリカとは違う感じもありますが、通じるところもとてもあります。とても共感できました。
増田さんも仰ってますがアフリカと一言で言っても国や地域によって気候も言語も文化も種族も宗教も政治も経済も何もかもが異なります。この点については日本人感覚からは最も離れている、アフリカの現実の一つだと思います。アフリカ大陸の国や人々を一括りでアフリカと呼ぶことは、私たちが一括りでアジア扱いされるのと同じくらい乱暴なことかもしれません。私が関わっていた国には民族が2,3しかない国もあれば、100近くある国もありました。後者には公用語だけで10近い言語あり、同じ村にいるのに部族が違い、間に翻訳できる人が立たないと話し合いがスムーズに進まない場面に出会うこともあり、外部の人間としては国と呼ぶのも躊躇してしまうくらいでした。
そうした彼らですが、欧米先進国や日本、そして中国に対する考えや感情は一筋縄ではいかないとても複雑なものを持っていると思います。というのも、彼らの多くはこんな風に思っているように感じたからです。今現在生活できているのは多くがODAなどの開発援助や外国資本のサービスや製造品のおかげだ、だけどそのせいで国の一部の権力者や有力者が私腹を肥やしているのを知っている、でも彼らは独立の英雄だ彼らはすばらしい、だけど自分たちが貧しいまま生活しなければいけない、だから、おまえら外国人がもっとカネやモノを俺たちにくれればいいんじゃね。
そして、こちらのエントリーについてです。
「発展」と「アフリカ」 : http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100208/p1
難しいこともいろいろいわれていて、よくわからない点もありますが、結論はおおむね賛同いたしました。
自分もそうですが、本当に私たち日本人はアフリカの問題についてよくわかっていないと思います。アフリカ大陸の歴史背景や今おかれている政治力学、そして国際開発・援助ビジネス。当然それらのことは今の私たちにとって無関心な事柄でしょう。しかしそれは同時に多くのアフリカの人々にとっても、理解しがたいものであるようにも思えます。
私は某セクターで日本などからODAで落ちてきたお金を有効に活用するため、現地組織に入り込んで様々なプログラムの支援を技術的に行っていました。多くの貧しい人たちとも関わってきましたが、現地のプログラムコーディネーターやその上司のマネージャーやディレクターなどとも関わってきました。彼らの中で政府組織に属しているぐらいの立場の人は多くが代々の権力者であったり、裕福でコネがあったりとった特権階級に近い人たちでした。ただ単に政治家的にその地位にいる人もいれば、本当に優秀で頭の回転も速く常識もあり、その地域と国の未来を考えて行動している人もいました。しかし彼らと話し一様に驚き残念に思ったのは、そうした人を動かす立場と責任にある人でさえ、まずお金が外国から貰えることが当然だと考えていることでした。そして、その支援国や団体のいうなりのままだということでした。しかしそのことについて、支援する側の人間が彼らを非難できないとも思いました。
例えば、その地域の人たちに有効にサービスを提供するためどうしたらよいか、現地スタッフは様々な議論や調整をして企画を立てます。しかし、支援者はその支援理由や報告責任やさまざまな政治性やビジネスなどが関わって、現地スタッフの企画をそのまま受け入れることができないケースが多々あります。そしてその支援団体がそのような活動にお金をだせないといったらそこで支援は打ち切りです。サービスを提供できないだけでありません。彼らの給料さえなくなってしまいます。なので現地スタッフは当然いわれるがままになります。そういうことが何十年と続くうちに、自発的に地域や住民のことを考えて意見を押し通すような気概のなるエリートは段々少なくなってゆくでしょう。どうしても「支援する・される」という一方的な力関係が開発支援には生まれてしまい、現地の人々の自助努力が生まれがたい土壌になっていることは否定できないと思います。
そういう反省を含め開発支援業界自体も、「持続性」というキーワードの下、非支援国の自発的な活動を助長するような支援ができるよう工夫し続けています。しかし、持続性が形成されるためには社会の様々なセクターが有機的に関係し合いよい影響を与えあう必要がありますが、実際そうした広い視野を持って支援することはとても難しいのが現状です。例えば、田舎に学校を建てるということは、その地位の子供に教育を施すだけではなく、同時に教育者を育成するということでもあり、教育教材を作るということでもあり、教育そのものの内容を作るということでもあります。しかし、そのような広い視野での支援体制を長い時間をかけてじっくり進めるプロジェクトが始まったとして、果たして成功するのでしょうか。教育という国の根幹に関わるようなことに対して、じっくりと腰を据えて政治的にも経済的にも向き合っていける支援者が存在するでしょうか。私の想像する限りでは、存在するようには思えません。
まず、ODAなどは税金ですし、NPOやNGO、企業であっても、支援する側はその活動内容をきちんと報告しなければなりませんし、成果と結果が必要になってきます。なのであまりに大規模な支援はその先行きが読めない分、そのようなプロジェクト自体成立しがたいでしょう。また、以前に比べればあからさまではなくなってきましたが、支援側も多かれ少なかれ見返りというか利益を計算して支援しているところがあります。ODAであっても、その国の開発支援団体にその予算の一部が当然ゆきますし、都市インフラであれば自国に関わる土建屋や製造関係へお金が落ちるようになっていたり、保健セクターであれば薬剤などを通して自国の製薬会社にお金が回るでしょう。また被支援国の資源に関わる利権を求めるケースもあるでしょう。また専門分野の人材開発や研究などもそうした特殊地域でなければできないことも多々あると思います。そうした開発支援にかかわる政治性やビジネスがあっての支援でもありますので、あまりに大規模な支援はマネージメントしづらいので、やはり成立しにくいでしょう。
結局、アフリカの人々はそうした先進国の支援に振り回され続けているというのが現状なのではないでしょうか。なぜ今、自分たちが支援を受けているかといえば、かつて植民地化され支配された代償だというでしょう。代償なのだから貰って当たり前、求めて当たり前です。今まで奪う立場だったものが、与える立場になっただけ。今まで奪われる立場だった者が与えられる立場になっただけ。なのに、貰うばかり、ほしがるばかりで働かない、自発的に国が機能しないと責められても、自分たちが作った国でもないのになぜそんなことをいわれればいけないのか、彼らにはよくわからないのではないでしょうか。そもそも独立したときに勝ち取った国は彼らにとって必要なものだったのでしょうか。そしていま、代償として先進国のカネやモノをうけとっていますが、実際彼らは何を失ったのでしょうか。そしてそれは私たちが代償として払わなければいけないモノなのでしょうか。正直わからないことだらけです。アフリカの様々な地域の人々のそれぞれがそれぞれに、様々なことを思っているというのが現状なのではないかと今は思っています。
先日、島田紳助さんが司会をする番組で外務省を辞めNGOをたちあげ、スーダンへ渡り、現地で医療を施している川原さんという方が紹介されました。島田紳助さんのボランティアや支援に対する熱い思いが放送され続ける中、川原さんが二つとても心に残ることを仰いました。一つは治療などを現地の人にしても必ずお金を取ること。二つ目は正直むかつくことも多いけど、ここには小さいけれど未来を照らす明るさのようなものがあるということ。曖昧ですが、そのようなことだったと記憶しています。
長く紛争の続いたスーダンは未だに危険な地域と聞いています。そのようなとても限界度の高い地域にいても、医療サービスに対してきちんとお金を取るという根本的なことをやり続けることはとても大変だと思います。しかし、支援という名の下にモノとカネを垂れ流すことの無意味さ空しさを理解しているからだと思いますし、現地の人ひとりひとりと対等に向き合っているからだと思いました。払う払うといって逃げ続ける人、借金を踏み倒す人、そんな人もたくさんいるかもしれません。それでも、川原さんがそんな人々に未来を見いだしてしまうのは、なぜでしょうか。アフリカに限らず、東南アジアや太平洋州、南米などの貧しく何もないけど、ただただ自然はある、というような土地で暮らしたことがあるような方なら、具体的に思うところは違うかもしれませんが、この川原さんの言葉のいわんとするところはどこかわかるのではないでしょうか。
わたしの場合は、どんどん閉塞してゆく日本での生活を突き破り得るモノをアフリカで感じました。素朴さやふてぶてしさや狡賢さ、モノやお金や歴史なんてなくても何とかなるさ、生きていけるさ、死んだら死んだで悲しいけど仕方ないさと本気で思わせてしまう力。そうしたものを彼らから学びました。日本というか、先進国のフレームの内部でそんな意見をきいても単に痛い発言にしか聞こえないでしょう。でも仕方ないです。そう思ってしまったのだから。
最後にここまで読んで戴いた方に感謝します。そして、ここに述べたこともまた一増田の偏った意見でしかないと思ってください。まだまだ考慮しなければならない事や、語られなければならない事はたくさんあると思います。私が見てきたものもアフリカの一面でしかありません。そして結局のところ、世界がアフリカをアフリカという大きなフレームで見ている限りこの問題はどうにもならないと思います。なので、すこしでも彼の地に対する理解を深めてほしいと思い、自分の経験をこうして書きました。しかしやはり、狭い業界、特定されるのを避けるため、時や場所を明示せずに増田で語ったことを許してください。
アフリカでは今急激にインターネットインフラが整いつつあります。といってもまだまだISDNレベルの速度でも速いほうだし、利用できる人はアフリカ全体ではまだ1割もいないかもしれませんが、それでも彼ら自身の言葉がブログやソーシャルメディアを通して、彼ら自身の手によってどんどん世界に発信されていってます。私たちがインターネットを介して意識や社会が様々に変化していったように、彼らのそうした言葉を通してまた私たちと彼らの関係や、彼ら自身が変わってゆけば良いなと思うのはあまりに楽観的でしょうか。