はてなキーワード: 島田紳助とは
バブル期は消費者物価が高騰し~←いえ、消費者物価は全然高騰しませんでした
例えば上記のような嘘歴史の定着なんてバブル崩壊後たった10年そこらでも勘違いして言う人うじゃうじゃいたからもはや抗えない事象なのかもしれない。
俺にできることと言えばここに真実を書いて、後々やっぱり嘘歴史が真実として定着したときこのエントリーを眺めて「ほら言ったろ、みんな過去を忘れる。バカ野郎どもめ」と溜飲を下げることくらいか。
というわけで、後に嘘の歴史がでっち上げられそうな気配がプンプン漂うことについて書き留めておく。
○少なくとも、夏の甲子園2回戦で大阪桐蔭を倒すまでは「斎藤佑樹」は全国の野球興味ない老若男女にまで当たり前に知られるような存在ではなかった
※たかだか14年前の出来事なのに「お前何言ったんだ?斎藤佑樹は春の甲子園の時点でもう日本で知らないやつはいないくらい有名だっただろ」なんて自信満々に言い返してくる人がいたので恐ろしくなってピックアップした
○バブル崩壊にゆとり世代は何も関係がない。それどころかバブルの狂乱の記憶すらない。
※信じがたいことだがバブル世代=団塊の世代と勘違いして、「平成初期に入社したうちの会社の団塊の世代はゴミ揃い」みたいに攻撃する人が結構いる。
団塊の世代やバブル世代に負けないくらいヘイトを集めてしまっている「ゆとり世代」も後々こんな調子で「ゆとり世代の無能さがバブル崩壊とその後の失われた30年を招いた!」みたいに濡衣を着せられるのではないかと真面目に懸念している。
○メジャーリーグがプロ野球より低レベルだと本気で信じている人たちが2010年くらいまで当たり前に存在していた。
○「お客様は神様論」、「激務薄給、サビ残、有給無消化などの強要は違法でも悪いことじゃない」、「働かせていただいてるんだから〜」的な思想をおかしいと言う人は電通事件が起こるまでは反社会分子くらいに見なされてた。渡邉美樹的な社会人論を胸を張って述べる人がマジョリティだった。少なくとも「週5日出勤はそもそも多すぎる!」なんて言おうものならよっぽどへそ曲がりかキチガイかくらいに思われてた。
○『行列のできる法律相談所』がスタートするくらいまでの島田紳助は「実力あるのに中堅便利屋扱いされている。評価が追いついてない」と嘆かれるような不遇の扱いをされていた。『行列のできる〜』以後のような"天才"、"豪腕"、"権力者"みたいな評価など一切されていなかった。千原ジュニア的なポジションだった。
○松重豊は『孤独のグルメ』がきっかけで売れたわけではない。それより随分前から全国放送の連続ドラマ出まくっていたし、知名度自体もブラッディ・マンデイ出た時点でもう巨人のレギュラー選手くらいにはあった。
ちなみに遠藤憲一も90年代後半時点でドラマや映画出まくりでめちゃくちゃ顔が売れてた
○年収1000万に遠く及ばない庶民じゃ都心のマンションや城南エリアの一戸建てを新築でなんて到底買えない、という状況になったのはここ15年くらいでのこと。
信じられない人もいるだろうが、1986年には新宿御苑徒歩5分の単身者向け新築マンションは1600万円で買えた。
2000年には銀座駅徒歩圏内のファミリー向け新築タワマンが8000万で買えた。
○坂上忍は1995年に飲酒運転→電柱に衝突し破壊→パトカーから逃亡→カーチェイスの末逮捕というスキャンダルを起こしている。
もう、ある年代以上の芸能界とか、カルチャーとか、そういったものを、根本的に、文字通り「切り離す」しかないと思う。
何言ってんだこいつ、と思われるかもしれないけど
国家レベルの罪悪が革命であるとか戦勝国側の裁判で形式上は清算されるように(それが上手くいってないという問題はあるとしても、ポーズは取り続けている)
日本も、例えば2000年以前から活動している芸能人の、公に発された言動を一つ一つ精査して、ある程度以上の悪質さが累積した芸能人は謝罪や引退させ、ちゃんとしている芸能人とちゃんと人権教育を受けている若い芸能人だけで構成された芸能界を作り直す
そういう仕切り直しをするしかないと思う。
個人的な話に絡むけど、2010年代入ってから卒論を書くときに、国会図書館で70年代後半から80年代にかけての週刊誌を読んだんだけど、もう本当に別世界だったよ
完全に男による男の男の為のセックスと暴力と無知の賛美みたいな感じ、今のコンビニにかろうじて残されてる実話誌みたいなのが全てのページを乗っ取ってる感じ。
「そういうものを調べてるんだからそういうのしか出ないだろ」ってのは違くて、本当に今はまともな報道誌扱いされてるような雑誌でも昔はそうで、しかもそれが今より部数が多い。
行ける奴は行って見てみるといいよ、今は週刊ポストとかサンケイとか大体デジタル化されてるみたいだから。
それで私達は人権だ何だって普段さわいでるけど、90年代鬼畜系とか以前に、80年代にそもそも地層の様にどっしりとそういう世界があって、それに使って生きていた人間が何百万といて、
あるインフルエンサーとかが個人で「80年代90年代の私は間違っていました、セクハラを軽視してすみません、反省します」と謝罪しようが他の何百万人はヘッと笑ってるわけ。
幾ら数年前や十数年前のことを掘り返そうが運の悪かった奴扱い。
これからもそういった芸風は再生産されていく。若い世代のかなりの人達がいくらアップデートしようが、追い付かなくて潰されたりしてしまう。
それを断ち切るにはもう、根本的にスパッと、「はい、お前らは芸能界Part1。ここまで。これからはちゃんと新しい世代の、ちゃんと客観視と人権を守れる人による芸能界Part2を始めます」とするしかないじゃん。
そして問題は芸能界とか、サブカルみたいな分野だけじゃないんだよね。
80年代90年代のオタクって弾圧されてたとかそういう被害者面ばかり取り上げられるけど
コミケとかのイベントに「ぼくのロリータを紹介します」とかいって、大学生が中学生とかを連れ込んで無修正(80年代当時は黙認されてた)のエロ同人の売り子をさせてたとか
昔のオタクは明らかに少女ヌード、児童ポルノも許容して一流の文化扱いしていたとかそういうことは忘却されているわけで
そういう時代の人脈、漫画家とかライターが今でも大手を振って下手したら文化人扱いされてるわけだよね
そしてコメントを求められても、明らかに本気でやっていたことを「あれはシャレ、遊びだった」「本気にしだす人がいて困った」とかいって逃げたりする。
逃げるなら逃げるで退場しないとだめだよ。
そして今のオタク文化もそういうものの上に成り立っている以上、存続したいなら切り離すしかない。
絵柄とか美意識とかは今現在は無理だとしても(あくまで今現在はね)、「もう繰り返しません」「この人脈の賛美はやめ、二度と肯定的な引用はしません」みたいなやり方をするしかない。
突拍子ないとか狂ってるとか言われるかもしれないけど
数年前の時点では私も薄々どうかなって感じだったけど
今となってはもう被害者を直接産み出すシステム(それも熟成された何百年ものの)の否定をどう行うかが重要なんだから
あなたの息子や娘や友達が、そしてあなた自身がそういう昔の価値観の被害者になったら、そして「そういうものだから仕方ないじゃん」っていう空気に押しつぶされる側になったら遅いんだよ。
島田紳助がムリして当時の若手()に喰い付いて残ろう残ろうとしてた時期のコンテンツのひとつだったよな、ユースケ・サンタマリアと絡んだ『すけスケシルバ』とか
事務所やらステークホルダーやらの関係で普通に引退することはできないからスキャンダルというプランを描くしかなかった
島田紳助さんとおなじ
もちろん全部関係者への調整ずみ
ダウンタウン、好きだったんですよ。
蛇足を補足しました***************************
https://anond.hatelabo.jp/20240116110533
訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24)
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
以下本文*************************************
中学生~就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。
東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだのビデオを送ってもらってクラスの友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回から、ごっつええ感じもパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏とデート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。
面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツに面白かったんだけどね…。
松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間のバラエティ番組で、コントと企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃんは簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。
彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利の番組(ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃんは面白かったが、同時にそこそこの打率でドン滑りもしていた。大喜利のセンスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタントに打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野。ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。
この「松本的ファイトスタイルの大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。
松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタに悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑いの世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう。
大ベストセラーのエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本は自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体の雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生で中学生相手の塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。
知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンはタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあいと出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。
松本人志と高須光聖の放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程の番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒の放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます。
高須氏に諫められた後の松ちゃんは聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題(アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須っちゃんに松ちゃんがだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…
音楽番組「HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。
そもそもあの番組は歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティストが創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんのトークのギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだしゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。
そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。
ごっつええ感じがTV局との複数のもめごとで終わり、コントのDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。
あまり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌で映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミと的外れな評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画は総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本が映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。
そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。
頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙なコメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。
それまでの芸人の世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人の第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。
でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人と対峙し自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。
発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディア、デイリーで流れていくウェブの世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。
若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑いの権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちのハラスメントでしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会面ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。
爆笑太田じゃないが「椅子からコケる王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。
松本人志がお笑いの世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助はレギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いもバラエティ番組もマストゴーオンだ。M-1の審査員も紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。
たぶんそこそこの年齢の女性(飛影好きって言ってるからもしかしたら4、50代?)が子どもの頃にスカートをめくられて嫌な思いをした、というのを語っていて
それに便乗して「いまだに少年誌や国民的アニメでスカートめくりをやっている、だから影響されて犯罪男が量産されるんだ」というような投稿が散見されていて
「そんな描写いまどき言うほどある?脳が昭和や平成で止まっているのでは?」「完全になくなったわけではないけどだいぶ減ったし作中ではいけないこととして描かれているからよくない?」「現実ではやっちゃ駄目なことだと教育すればいいだけ」とツッコミが相次いだ
これはバラエティ番組にも言えることで
「子どもの頃(30年前)に見たお笑いウルトラクイズで芸人が死にかけていた回がトラウマで~」「(20年前に)めちゃイケのゲームコーナーの罰ゲームを真似て集団で殴る蹴るの暴行を受けて~」「司会者が若手芸人の胸倉を掴み恫喝するところを見てしまい恐怖と不快感でいっぱいになって~(15年前に島田紳助が起こした騒動)」とか
火薬量が規制されて西部警察みたいな爆破シーンが撮れなくなったように安全基準が変わってろくな装備を持たない人間の入ったバスを水に沈めるようなバラエティはなくなったし
めちゃイケの罰ゲームも当時ですら抗議が来て何度もルールが変わったしそもそもめちゃイケはもうとっくに放送されていないし
暴力モラハラ司会者の島田紳助は10年以上前に芸能界からいなくなっているのに
今でもそういったことが横行しているに違いないと決めつけて叩いたり
2、30年前の撮影に何の関与もしていない今の世代まで同罪かのように言うのはおかしいし
いじめがトラウマでそうなったなら悪いのはいじめっ子であり何の関係もない今の漫画やテレビを規制したって何も変わらないんじゃないか
漫画やテレビが規制されていっときは気が晴れるかもしれないけど
そうしたら今度はVTuberのコラボ動画でたとえ親しい間柄でもタメ口で喋るのは不快だからやめてほしいとか
大谷がチームメイトと楽しく笑い合っている姿を見ると子どもの頃野球部に嘲笑されたトラウマが蘇るからやめてほしいとか言い出しそう
なんでこんな何も楽しめないし楽しむ気のない人たちのために娯楽がなくならないといけないんだろう
活動休止の報に触れ、これで「松本さんすごいですわー」を聞く機会が減るかもしれない期待感で嬉しかった。
元々松本人志のコントはあまり好きなタイプの笑いではなくごっつとか見てなかったけど、遺書は買って読んだし嫌いではなかった。
さんまやたけしのような才能もなく西川のりおのようないじられを許容もできない小物感満載な島田紳助と番組をやり始めて少しがっかりした。「先輩とか関係ない。今一番おもろい奴が一番なんじゃ!」というスタンスだと思っていたのに、結局先輩には迎合するのか、しかも紳助なのかと当時思った気がする。
10年前に書いているように、本人の年齢が上がり一緒につるんでいた直の後輩ではなくさらにその下の世代が台頭し始めた頃、素直に担がれ続ける姿にもがっかりした。若い頃に馬鹿にしていた先輩芸人と同じ道を歩くんだ、ダセエなと思った。
今回、というより「松本、動きます」投稿の時から見るに堪えない存在になった。こんなにスベってるのに誰にもつっこんでもらえないかわいそうな人になっちゃったんだな。
大御所と呼ばれる芸人ってこのスキル持ってる人いて、そこがテレビ引っ張ってる気がしてたんだけど
何かその下の世代にこういう人居なくない?
明石家さんま、ダウンタウン、島田紳助、石橋貴明、上沼恵美子 あたり
こういうのが結局「この人がMCやるならとりあえず見るか」になるわけよ
この下のランクに「ツッコミがあれば輝けるタイプの2人組MC」が居て
その下に「企画というシステムがあれば面白くできるMC」が居て
その下に「ひな壇と企画というシステムがあってツッコミがあれば輝けるタイプの2人組MC」があるみたいな感じじゃない?
別枠に
「チームがあれば面白くできる」
「なんか居るだけでまとまる」
みたいなタイプのMCも居るけど、こっちもあまり育ってない気もする
みんな年は取ってるんだけど、ピンとこない
いや、これ育ってるか育ってないかって話なのかな?
・HEY!HEY!HEY! 歌番組だけどダウンタウンとのトークがメイン
・ダウンタウンDX タレントがエピソードを話すけどダウンタウンが落とす
こういうのを作れなくなってるのか作らなくなってるのか
石橋貴明 62歳 なんか干された
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ここで言う「ラーメンズは好き」っていうのはほんとにラーメンズが好きな人のことを指すんじゃなくて
YouTubeやニコニコ動画が無法地帯だった頃にDVDの無断転載動画を見まくっていたことを棚に上げて
自分は人格者だと雑にアピールするためにラーメンズを利用していて
「今時のテレビは~」と言いながらテレビはアニメと特撮と大河以外15~20年くらいまともに見ていないし
テレビの顔=島田紳助で認識が止まっていて芸人は全員紳助のように暴力的でモラハラ体質と決めつけて職業差別を行い
ゴールデン番組=金のかかった雛壇に芸人が何十人も並び若手の頃の品川やピース綾部がぎゃあぎゃあ騒いでいる光景からアップデートされておらず
今もどの局も常にそんな番組ばかり放送しているんだろうという偏見に塗れているおじさんおばさんのことね
前置き長くなったけどこういう人たちにおすすめする芸人って誰がいるかな
ラーメンズ好きなら言うまでもないけどバナナマンは欠かせないだろう
若手なら明確にラーメンズ憧れを公表している男性ブランコ、ダウ90000、
あとは真面目そうな雰囲気のかが屋、ハナコなんかもおすすめしていいと思う
ラーメンズは好きって言う人ってサンドウィッチマンのことも同じく人格者アピールのために雑に持ち上げがちだけど
コマーシャルや広告なんかでニコニコしていて人となりが良さそう、
その点で言うと幼馴染で仲良しのサルゴリラ、愛妻家のアルピー、
再ブレイク後もごみ問題について提起し続けているマシンガンズ、介護施設での営業を盛んに行っているレギュラーもよさそう
今挙げたのはほとんどがコント師だけど漫才コンビなら令和ロマンのくるまは顔と声と動きがどことなく片桐仁に似てて中身は小林賢太郎タイプっぽいからお気に召すんじゃないだろうか
罪を認めて、とかじゃなくてもう何もかんも嫌気がさした、みたいな理由で。
引退って、あり得ない話ではないんだよな。
島田紳助の例もあるし。
結局、ああいう人らが考えることは一緒で俺はいつまで今のままの仕事を続けていくんだろうか?
ってことだろ?
俺たちみたいにお金のために働く「必要」がない人たちなんだから。
どこで辞めるんやろうか?どこで止まるんやろうか?
死ぬまで続けるのか?続けられるのか?
それとも自ら引くのか?
そういったことを考える回数は少なくないはずだ。
そんな状況で、あーもー辞めたろか?と思うことが起これば、それが勢いを増す可能性は否定できない。
「いつ辞めてもいいと思ってたけど、俄然や『め』る気が出てきた。」
案外入力ミスしただけだったのかもな。