はてなキーワード: キング牧師とは
フェミニズムの学問的な側面を強調するんだったら、プロレス的なMCバトルとか演説合戦、オーディエンスをどれだけ魅了できるかを競うパフォーマンスは必要ない。
学問には批判しあうことが必須といっても、観衆に囲まれてリアルタイムの口頭でやり合うなんていう、その場の空気や口が滑ったりが重大な影響を及ぼす環境でやるもんじゃない。
批判も対話も、お互いの言葉をちゃんと推敲できる落ち着いた環境でした方がいい。もちろん論の構築や情報交換もそう。水物である勝負ごとにしなくていい。
しかし、フェミニズムや、表現の自由保護活動の、社会運動としての側面を強調するなら、オーディエンスつまり大衆を魅了するパフォーマンスの価値が出る。
だから元増田は「フェミニズムは社会運動をガチにやる気があるなら、安全な場所以外での演説プロレスをもっとやれ」と言った方がよかった。
勘違いしてる人が結構いるのだが、口頭の演説や討論なんてのは、妥当性や正確性という意味では相当怪しいものだ。
「日本の政治家も、アメリカみたいに公開討論会をもっとやって政策を戦わせるべき」とか言う人は全く勘違いだ。
あれでわかるのは政策の善し悪しではなく、咄嗟の受け答えのうまさだ。
一週間かければ丁寧な論をまとめられる人間が、10秒でうまい返しを思い浮かべるのは苦手な場合に「あいつはわかってない」となるのが口頭での論戦。
公開討論会なんてのは、口が滑ることもあるし、言葉が出てこないこともあるし、その場の空気でどうとでもなってしまう水物だ。
理屈が整ってるから人は動くなんてのはナイーヴかつピュアすぎる考えであり、魅了しなければ大多数の人は動かない。
そして民主主義での社会運動、政治運動ってのは大衆を動かさねばならんわけで、そのための手段として面白い演説やバトルを見世物とするのは非常に有効だ。
トランプも、オバマも、ヒトラーも、エマ・ワトソンも、グレタも、キング牧師も、小泉進次郎も、それをやる気がある。
おそらく青識亜論もそうであったし、観戦(そう、観戦のつもりなのだ)にいったオタクもそれを見に行くつもりだった。
そりゃそうだろ、最近のネットの物事の流れがあって、このタイミングで、vsなんて銘打ったイベントだぞ。
呂布カルマ vs R指定の一万分の一くらいのバチバチバトルショーをしてくれると思うだろ。
でも司会と石川優実はそうでなかったらしい。
フェミニストどうしでやりあった上野千鶴子VS柴田英里のトークイベントは、観客の期待に応えて殴り合おうという気概があった。
They don't care about us という曲でキング牧師と共に「もし彼が生きていたら僕はこうなっていなかっただろう」と言っていて、最初は皮肉の意、つまりルーズヴェルトが生きてたらもっと僕は酷いことになってただろう的なことかと思ってたら(そう解釈してる人もいるみたいだが)どうやらガチでリスペクトしてたという説の方が濃厚っぽい。(ルーズヴェルトと言えば日本にとっては太平洋戦争で悪名高い大統領だけどアメリカでは今でも英雄視している人が多い)
ところでこの曲のPVの刑務所バージョンhttps://www.youtube.com/watch?v=t1pqi8vjTLYは動画の最初の方(37秒当たり)で泣き叫ぶ赤ん坊の映像が一瞬出てくるんだけどこれは中国の捏造写真だったりする→http://rekisi.amjt.net/?p=4542生前はあれだけ情報操作とか捏造・歪曲みたいなものに惑わされるな的なこと言ってた彼自身もまたこの写真にまんまと騙されていたとは、親日家であった彼にもこんな一面があったとは、何とも皮肉である。
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。
ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督のロバート・ゼメキスはDVDの副音声でこう言ってる。
監督が求めたのは、自分の意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢なキャラクターだった。90年代の映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。
じゃあさ、「フォレスト・ガンプの時代に現実の知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年~1990年のアメリカは知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。
劇中、フォレスト・ガンプ少年はIQの低さから公立小学校への入学を拒否されかけたのだが、ママが校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。
愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者は施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。
1965年にウィローブロック州立学校という知的障害児の施設がリークされた。
潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間が生活する環境とはとても思えない状況だった。
とにもかくにも、この時代に知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間の尊厳はない。
1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。
ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法を勉強させません」なんて言い返している。
個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。
というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。
それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者のコメントを求む。
血の日曜日事件のアラバマ州が舞台でありながら公民権運動をスルーしたことで、白人礼賛の保守映画と認定されがちな本作であるが、1960年代は黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。
1963年には脱施設化の転機である「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、
1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設に収容されるべきではないという判決が出された。
公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカの障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)
設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州で公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。
個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクにスカウトされてないほうが疑問なわけだ。
アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。
ガンプは走りたいから走っていたが、現実の知的障害者たちはそういうわけにはいかない。
結局デモなりなんなりで、「地域で暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民の了解を得るしかない。
というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別を禁止する公民権法だ。ダン中尉、政府のおっぱいは限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府が障害者の権利を認めたのだ。
「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。
90年代ハリウッドでは障害を肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。
革命的なのは2000年代のファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。
さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害を肯定的に捉える映画の企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。
「だって俺、興味ねーし」っていう。
結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラのフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。
まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。
「知的障害者」だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。
今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活をエンジョイしてる知的障害者もいる。
日本の話だけど、この前バリバラに地域で子育てしてる知的障害者の夫婦が出てたぜ。ハロー・1950年代、これが2019年だ。
だから、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。
当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。
同級生が朝早くから夜遅くまで働いて、疲れ果てて土曜はずっと寝てて
今日の日本で全人格的労働を求められることが広く知られている中で
起業することもなく既存の企業で働いていくことを、選んだのだから
自己責任だと考えていた。
その生活を選んだのは本人であるから、自己責任であると思っていた。
Cortezの立場をとるなら、これは公民権の問題であって、自己責任ではない。
子どもを持ちたいと願いながら、それが叶わない生活の中に制限されているのは
| 【全訳】米国史上最年少の女性下院議員がキング牧師ばりの演説
| https://courrier.jp/news/archives/150572/
| Watch Alexandria Ocasio Cortez’s Inspiring Women’s March Speech | NowThis
| https://youtu.be/TNJZhuZCYow
Hello! Thank you. New York City!
Are you all ready to make a ruckus?
Are you all ready to fight for our rights?
Are you all ready to say that in the United States of America everyone is loved, everyone deserves justice, and everyone deserves equal protection and prosperity in our country.
It is such an honor to be here, and I don’t think it’s a coincidence that we’re gathering here today, the weekend before Martin Luther King Day.
Because I believe this moment and where we are right now is a resurgence from where the civil rights movement left off.
And we are here to carry the torch forward.
Because when we talked about racial and economic justice, racial and social justice, we started to really extend those issues to the issues of economic justice, environmental justice, and the intersectionality and interconnectedness of all our fights.
Justice is not a concept we read about in a book.
Justice is about the water we drink, justice is about the air we breathe.
Justice is about how easy it is to vote.
Justice is about how much ladies get paid.
Justice is about if we can stay with our children after we have them for a just amount of time – mothers, fathers, and all parents.
Justice is about making sure that being polite is not the same thing as being quiet.
In fact, oftentimes the most righteous thing you can do is shake the table.
Last year we took the power to the polls.
And this year, we’re taking power to the policy, because we have taken back the House of Representatives.
This year we’re gonna organize.
This year we’re gonna fight for voting rights.
This year we’re gonna keep pushing, because 2020, we took – in 2018 we took the House of Representatives, and through 2020, we’re gonna take the White House and Senate, too.
That’s what we’re gonna do because we need to advance and fight for an America where all people are welcome and no people are left behind.
And I know that while this year has been historic, there’s a lot more congresswomen left here in this audience right now.
There’s a lot more city councilwomen.
There’s a lot more workers that will be building businesses.
There’s a lot more – and I know that there’s a future president out here, too.
Let us remember that a fight means no person left behind.
So when people want to stop talking about the issues
that Black women face,
when people want to stop talking about the issues
that trans women or immigrant women face,
we gotta ask them, why does that make you so uncomfortable?
Because now, this is the time that we’re gonna address poverty.
This is the time we’re gonna address Flint.
This is the time we’re gonna talk about Baltimore & the Bronx, and wildfires, and Puerto Rico.
Because this is not just about identity, this is about justice.
And this is about the America that we are going to bring into this world.
https://courrier.jp/news/archives/150572/
何も言ってなくない?
何か奇抜なこと言ってる?面白いこと言ってる?
自分はそもそも演説で感動させる奴ってキング牧師であろうとヒゲ伍長であろうと全部嫌いなんだけど、
それでもこれはないw
正義は、母たち、父たち、すべての両親が子供たちと一緒にちゃんと時間を過ごせること。
こんな凡庸陳腐な文句を「キング牧師ばり」と言っちゃうのはさすがにキング牧師への冒涜では?
I Have a Dreamを読んでこいよ。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
全然違うだろ。
違うのはわかるよな?
わからない奴はもうここで閉じていいぞ。お前はそれでいいや。
演説で政局動かすマンが嫌いな自分でもI Have a Dream自体は認めざるを得ない。
このキング牧師のI Have a Dreamと、この女下院議員の子供の作文みたいなものを、並べますか?
はてなは国語的素養の低いポンチプログラマーしかいないから味噌と糞の区別もつかないのだろうか。
そして本当に不思議なんだけど、
感動的な演説できる政治家が有能な政治家だとか誠実な政治家だなんてどうして考えられるの?頭悪すぎじゃない?
(そして何度でも言うけどこの最年少女性下院議員の演説は感動的ですらないただのガーベッジですよ?)
更に不可解さを増すのが、あんたら自身にその方向の能力が全然ないってこと。
それどころか何がよい演説で何が出来の悪い演説なのかを自己判断する脳みそすらない。
クーリエジャポンが「キング牧師ばり」「最年少」「女性」って言いながら紹介しただけで
こんなどうしょもない、見るべきところが何もない、内容空疎なゴミを評価しちゃうんだもん。
自分達が全然不得意で良し悪しの判別すらつかないジャンルに大事なもの賭けすぎじゃない?
なんでそんなこと出来るのかというと
・そもそもその先がどうなるかよく考えてない
フラットに考えてみなよ。
もしくは、これまでの社会制度の改善には本当に感動が必要だった?
なんで感動の効果を計測もせずに信じてるのかわからない。バカなんじゃないの?
危険な作用についてもあわせて考えたことがないよね?やっぱりバカなんじゃないの?
君達は君達の嫌いな政党に演説上手な若手が出現して急激に台頭したらどんな反応になる?
「衆愚」「危険なポピュリズム」「中身のない巧言令色」って言うんじゃないの?
それと同じことをどうしてやる?
(そしてしつこいようだけど冒頭の女性下院議員は演説すら上手くありません
あれをいい演説とか言うのはひいきの引き倒しで、そういう身内だけで通じるオナニーばっかしてるから勝負に弱くなるんだよ。
キング牧師やヒットラーは元々の支持者じゃない人間の心まで掴んで扇動するパワーがあったから歴史に名を残したんじゃないのか)
2019年に「正義」という言葉を振り回せるのは傲慢かバカかその両方だと判じられて仕方ありません。
「自明の正義」とかバカなこと言い出すのってなんとなく保守のイメージがあったんだけど
最近はなんかリベラルサイドが正義正義って言って、突っ込まれると不満そうな顔してるのをよく見かける。
キング牧師がI Have a Dreamで正義に訴えたのは50年以上前よ。
あの頃はもっと社会は素朴で、アメリカは正義の国だと疑うアメリカ国民はいなかったし、正義という言葉は陳腐化していなかった。
(それ以外にもキング牧師の「正義」の使い方には工夫と言葉への鋭さがあるんだけどそれはここで国語の成績低い奴等に説明してもしょうがないから省略)
十分に分断されきった国でだらだらっと「正義」を言い出して誰の心が動きますか。どうユナイテッド出来ますか。
遠い日本の反応ですら分断的でしょう。
それにしたって、返す返すも、あの女性下院議員の演説はゴミだけどな。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
この1文にすら負けてるでしょう。
彼女の演説全文聞いてもキング牧師のこの1文の100分の1も胸に迫らないでしょう。
内容自体もくだらないからだけど、そもそも国語的な能力が全然違うんだよ。
キング牧師の演説が喚起するようなイマジネーションがどこにある?
キング牧師の演説は雄大なイメージがありありと目に浮かぶだろうが(だからやべーんだけど)。
寝言は寝て言えよ。
ゲイというだけで過去に何千人も刑務所にぶち込んでたような国が、ゲイを一度も犯罪認定しなかった日本をLGBTの権利がうんちゃらかんちゃらと難癖付けるのって、ぶっちゃけどうなんだろうなあと思う
お前らようやく21世紀になって日本と同レベルになっただけなんじゃねえのかと
戦後しばらくまで黒人差別が合法だったアメリカに対しても同じような理由で白けた感情しか持てない
もしキング牧師が日本人として生まれていたなら、二十歳で当たり前のように選挙権を行使していただろうし、試験さえ合格すれば東大にも入学できただろうし、料金さえ払えばどんな種類のバスにも乗れていただろうね
例えば
金を極めたところでロスチャイルド家やロックフェラー財団みたいに裏から世界を支配して
自分らは金稼いで他人から搾取するのは正当だと心身ともに強くするために毎回悪魔信仰して心を強くして
一生懸命学んでやることが裏から人間の支配して栄華を極め続ける、たまに内紛する、みたいな
それやってる間は悪魔信仰が博愛とトレードオフなのでひたすら醜く金を集め続けることでしか
数字に取りつかれて死ぬまで数字を追いかけ続けて支配者を維持するのが実に滑稽
冨を支配しているのか、富に取りつかれているのか
だからキング牧師とかケネディみたいに善として大衆を表だって導くやつらが心底気に食わないんだろうな、殺したくなるほどに
でも殺したら殺したで英雄として永遠に語り継がれるから、無駄なんだけど
死んでも愛され続けるなんて金融マフィアたちにはどう転んでも無理
汚い魂の溝の中で金貨を眺めることでしか自分らを満足できない薄汚れた血統だよ
では愛を極めたとこでどうかといえばそれも怪しい
実質的な支配は金融マフィアがしているのでそいつらが世の中の仕組みを取り仕切っている
偉人たちが生きている間は愛を振りまけるかもしれないが
だから社会の枠組みを破壊するだけの愛と実力を兼ね備えた英雄が必要だが
愛をもって力も持つ存在なんて自分らを全否定されるようなもんだから、そりゃ抵抗するわな
それはそれでありきたりの趣味・家族・仕事に没頭して自分個人の一生で満足して終わるだけの在り来たりな人生を送る
もちろんそれが凡人にとっての最大限の幸福であることは違いない
しかしそれ以上には決してなり得ない
研究結果で名を遺したところで、いなきゃいないで、誰かが代わりに見つけたし仕事をしてただろう
何一つ特別になれずに死んでいく
子の世ってつまらないなあ
どうあがいても壁があって
どういう形でも完全な満足にはほど遠い