はてなキーワード: 難関大学とは
「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。
30年間で12人。片思いや失恋がほとんどだが全て良い思い出だ。
今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。
幼稚園年中〜年長のころ
一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。
小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。
小学校1年生〜4年生のころ
顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。
小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。
そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった。
小学校5年生のころ
クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。
このころ、自作のホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。
小学校6年生のころ
ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップの男の子だった。
小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。
このクラスではくじ引きで席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。
高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。
中学1年生〜2年生のころ
ある日廊下であくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。
とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。
高校1年生〜3年生のころ
同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。
先生に気に入られたい一心で毎日勉強をして、定期テストや模試は常に学年トップだった。
勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学に合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。
大学1年生〜4年生のころ
サークルの同期。
とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。
趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。
大学4年生の頃、クリスマスとバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。
大学2年生のころ
はじめてできた彼氏だった。
付き合って4回目のデートでTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。
当時は「未成年の女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分を正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。
大学2年生〜3年生のころ
この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。
1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。
納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事がほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。
今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。
社会人1年目のころ
会社の同僚。
かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。
愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。
その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。
社会人1年目〜3年目のころ
会社の同僚。
頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。
付き合ってから徐々に相手の気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。
結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。
本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。
社会人4年目〜今
婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつうに恋愛をした。
同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人にオマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。
ここからもう増えることはないと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20221112084236
俺はど田舎ど貧乏の男子高校生だけど都内実家持ちの高所得の有名女子校のやつらの方が環境的に圧倒的に有利だと思う。
事実、東工大をはじめとした都内難関大学は首都圏の高所得家庭出身のやつらばかりだ。
出身地や所得によって有利不利はあるのはたしかだか、俺はそれをぶち抜いてでも公平な入試に打ち勝とうと思っている。別に田舎や貧乏な奴らの枠を作れとは言わない。
ただ男女という属性を取り沙汰して、恵まれている環境にある都内の女子を田舎の貧乏な男子より有利にするなんて不公平すぎると思うだけだ。
仮に学力による選抜が平等で公正なのだとしても、競争である以上は敗者を生む。敗者が自らを敗者に追い込んだ仕組み、つまり学歴社会に不満を持つのは自然なことであって、学歴社会は常に低学歴者による不満と反抗の危機に晒されているといっていい。高学歴がエリートでいられるのは非エリートの低学歴によってエリートと承認されるからであり、数の上でも低学歴の方が圧倒的多数を占めるから。この時、学歴社会にとって最も脅威となるのは、財力その他の資源を持つ低学歴たちだろう。彼ら彼女らは学歴社会を転覆する動機だけでなく、転覆するのに必要な力(金だったり、コネだったりといった影響力)を持っている。
良家に生まれ、親に愛され、何不自由なく育ってきた若者が、18歳のある日「お前は試験の成績が悪いから大東亜帝国⑨に行け」と言われる。その衝撃は想像に難くない。そこで彼らやその親たちが、学歴社会と言う仕組み自体を憎悪し、学力による評価・選別を破壊しようとする可能性がある。
そこで彼らに、慶應のfit入試や早稲田国際教養のAO入試といった形で、金持ちなら学力を問わない選抜を用意し、学歴を与える。低学力者である彼らを高学歴に包摂することで、彼らの不満を解消する代わりに、学歴社会の勝者としての振る舞いを求め、ひいては学歴社会を承認させるのである。こうして、潜在的な学歴社会の敵を未然に排除することこそ、体験型入試という名で行われる学力不問型・金持ち優遇型入試の機能なのではないだろうか。
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
いややっぱ昔のお笑いが悪かったと思う。あの時代は芸人が一生懸命みっともなく『頑張って』みせて、それをバカだアホだと嘲笑う風潮だった。
つかあの頃のお笑い芸人は本当ひどかった、マジ家畜か奴隷かって感じで。殴る蹴る罵る汚物をかける。雑巾食わす。人として尊重されてるようには見えなかった。というか何してもいいサンドバッグが『面白い』だったんだもんな?
マジ昔のお笑いは他人の欠点をあげつらうもので、努力は『欠点がある証拠』くらいに思われてたと思う。
当時のお笑いで育ったおじさんたちは、だからバカにする側にいることに固執する。努力してるなんてバレて自分が人として格下、嗤われる階層に堕ちるなんてことは、人としての尊厳に関わる。
なお私はされたことないけど(イジメグループは複数あったので)、お笑い番組の真似して『遊んでる』集団は見たことある。ああいうの、やる側は仲良く遊んでるだけの認識で、「相手も楽しんでる」と信じてたりするんだけど、苦しい言い訳とかじゃなくて本気で信じてたりするの、怖いよな。
それに比べれば、今は笑ったりされることなく努力は努力で当たり前に認められるものだ。そりゃ方向性の違う無駄な努力は認められないこともあるけど、でも「頑張って難関大学に合格しました」と聞いてビン底眼鏡連想して「ガリ勉かよ、プフー」「全裸にして水ぶっかけようぜ」「肥溜めに落とそうぜ」となる人間は劇的に減った。
何を重視するかは多少変わると思うが、落ちぶれるデメリットを無視して書いてみる
1. 高校受験をしなくて良いので、中学で内申点を気にせずに過ごせる、つまり中高の、6年間、成績を気にしないで、まとまった時間をもてることで、本当に没頭したいことに没頭できる時間を作れる
2. 1は、勉強以外の意味で書いたが、勉強に関しても、先取りで勉強できるので、大学受験で有利なのは言うまでもないが、中学受験で、算数をしていることで、整数問題とか確率とかそういうのに抵抗がなくなっていることがむしろ大きく、難関大学の数学に有利
正直自分は幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子どもの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。
どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。
小さい頃から「生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。
ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気を母親には出されていた。
「あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。
母親は精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院。
特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)
母親からは妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。
他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがまま言わずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。
弟の軽度知的障害も母親の精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。
そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。
離れてからは母親との関係も改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分が一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。
問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。
子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリングが胎児エコーなどできることはなんでもやった。
今のところ子どもは健常で、幼児期の自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。
自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。
確かに自分に子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通の人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。
自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子を愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。
もし知的能力が移譲可能な世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。
幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。
頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。
今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。
親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴で社会的に成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。
ただ、今どうしても許せないことがある。
人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。
良い大人なので、連れてくるなとは言えない。
でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境で努力して手に入れたこの私の幸せな家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。
弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。
両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。
両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。
自分達には手に余る障害児育児に苦しみ、上の子の反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育ても仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。
そこに水を差すのは心苦しい。
でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず、自分だけの中にとどめておくのが辛い。
両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。
ただただ辛い。
旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。
これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。
連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。
どうしたらいいのかわからない。
Youtubeで難関大学入試問題の数学を紹介してたりしてさ、最初は自力で解いてみて、それで動画見るわけよ。
知らない概念(modとか)を知れて、しかもこんな使い方できるんだと発見があった。
高卒独身アラサーで、入社以来ずっと仕事ばっかしてたし、趣味も漫画読むか酒飲むくらいしか無かったから、凄い嬉しい。
これが高校生の頃だったら、勉強は義務みたいで楽しめなかったけど、今の自分にとっては違う。
今までは帰宅してもやることないから積極的に残業してたけど、最近は仕事切り上げて帰宅して小一時間勉強して、疲れた脳に酒を入れるのが最高に良い。
もしかしたらこれで大学とか受かっちゃうかも?みたいな妄想しつつ一人で過ごす夜をね、自由に過ごす。実際にはしないけど。でも楽しい。