はてなキーワード: 難関大学とは
私がずっと悩んできたこと。別に学校の勉強が不得意だとか、そういうことではない。とにかく生きる上で必要な「賢さ」もとい要領の良さが欠けているのだ。
自分の特徴を、言い方を変えて少し良く聞こえるような風にすると「ナイーブ」「真面目」なんて形で言い換えられるかもしれない。悪いことではない。でもとにかく生きづらい。そして真面目な癖に積み重ねる努力ができない。真面目系クズです。これは生きる上での致命傷だと思う。この文章だって最後まで書き終えることができない気がしている。
私が目指しているのは、目の前のことに向き合ってコツコツと努力を積み重ねつつも、楽観的で人生を軽やかに楽しめるような人。そんな人になるにはどうしたらいいのか、少しばかり考えてみたのでここに考察を記したいと思う。軽やかながら努力できる人には以下2点の特徴があると考える。
1.「今ここ」に集中できる
人間が不安を感じるのは未来について考えた時、後悔を感じるのは過去について考えた時と云われている。今この瞬間、何をすべきか、どう過ごしたら自分の人生がより楽しくなるかを感覚的に捉えられている人は、おそらく前にあげた2つの感情をブロックする力があるのではないか。目の前のことに集中できるからこそ、その場で全力を出すことができる。そして楽しみにも繋がる。一瞬一瞬全力を出すことで、積み重なって努力となる、そんな図式があるのではないかと思う。
例えば漠然と「官僚になる」という目標を掲げた人がいたとして、今の状態からひとっ飛びに官僚になれる訳ではなくて、難関大学に合格する、優秀な成績をおさめる、試験対策を行う等、複数のマイルストーンを自分に強いて、それを少しずつクリアすることでようやく官僚への道が開けていく。マイルストーンの設定=適切なタスクの細分化といえる。1.の話に通ずるところがあるが、細分化されたタスクにひとつひとつ向き合って消化していくことで、努力が自分の血肉になるのではないかと思う。
上記2点が、現状私の考える人生における「賢さ」の要点だ。目下のところ、この2つに注力して人生を過ごしたいと思う。
もちろん、要素としてこの他にも挙げられるものがあると思う。ただ私のボケまくっている頭ではこれ以上の要素を抽出できなかったので、もし思いつくものがあればコメント頂きたい。
理解のある彼くんに振られた。2年半の付き合いだった。
私は発達障害(アスペルガー、ADHD)に躁鬱病、リストカット・自殺未遂経験あり、その上毒親育ちという絵に描いたような「メンヘラ」なのだが、高校2年生の頃から付き合っていた彼氏がいた。私のことを知っている友人は彼のことを「理解のある彼くん」と面白おかしく呼んでいた。事実彼は私や私の病気に理解があったし、私もことあるごとに彼に頼り切って依存していた。嫌なことがあればすぐに泣きながら電話していたし、未遂した時も「もう死ぬね」なんてラインしていた。私は親からの愛情を暴力と暴言、(皮肉なことに裕福だったので)金銭でしか受け取れなかったから、私も同じように彼には暴力と暴言、クソみたいな方法で稼いだ金銭で愛していた。それしか愛情を伝える方法がわからなかったのだ。そんなことばかりしていたら振られてしまった。
私のメンヘラは付き合った頃にはすぐにもうすでに始まっていた。付き合う前から、彼が好きな女の子がいることを妬ましく思ってリストカットしていたし、付き合ってすぐもその女の子の事をなにかと恨んでは暴言を吐いていた。「どうせあの子のこと今でもちょっと可愛いと思ってるんだ!あの子がお前を好いているこの状況を正直少し喜んでいるんだ!死ね!」高2の頃はそんなことばかり言っていた。高3になってからは彼と女の子との関係がゼロにはなったものの、私はクラスに馴染めない事による不登校、それを恥だとか何とか言ってくる毒親のせいで激しい鬱病になった。にも関わらず難関大学を目指す受験生である彼には毎日すがっていた。結構な時期になるまで毎日2、3時間は電話させてたし、寂しいと言って放課後何時間も残らせたりした。ちなみにこれのせいなのかそうじゃないのか分からないが彼氏は難関大学にはきちんと落ちて、今は一個だけ受かった中堅大学に通っている。ていうか本命の受験前日に未遂を起こすような問題女だったので、絶対に私のせいで第一志望には行けなかったと思う。
それでもなぜかうまくやれていた。いや、上手くしてくれていた。発達障害でも精神病でも何でもない(ただ家庭環境だけは複雑だった)彼氏は私にすごく優しかった。高校を卒業した頃には3泊4日の旅行にも行った。大学に入っても依存心は全く変わらず、大学の友達と遊んだり、あと私は美大生なのだが大量にある課題をするよりも何より彼氏との交流のみが楽しみだった。何故なら私のわがままを初めて聞いてくれる人だったから。電話がしたいと言えばバイト終わりで疲れてても2時間は電話してくれるし、寂しい辛い会いたいと言えば自転車を漕いで平日でも最寄駅まできてくれた。いじめられっ子で毒親育ちの私にとっては、彼氏はこれまで出会ったことのない「神」のような存在だったのだ。欲しいものは何でも与えてくれた。金銭で手に入らないものもあるんだと、裕福な育ちをしてきた私は初めて知れた。
それでもある日、本当に突然、私に別れを告げてきた。理由は「もう一緒にいることが疲れたから」。私は正直、まあ、そうだよね、以外言葉が出なかった。そりゃそうだ。暴言と暴力ばかり振るってきて、欲しいものばかり要求してきて、むしろよくもまあ2年半も私はいい思いができたものだ。
だけどそれでも思うことがある。毒親育ちじゃなくて、愛情表現が暴力と暴言以外に知っていたら。発達障害じゃなければ不登校にもならなかっただろうし、鬱病にもならなかっただろうし。全部そのせいにする私が悪いのかもしれないけど、そう思う。
ああそれにしても、すごく良い2年半だった。
友達のいない私は毎日昼休みになれば彼氏の教室に行ってご飯を食べていたし、放課後になれば一緒に帰った。毎日泣きながら電話をすれば「大丈夫。」と言ってくれた。私がすることはどんなことでも応援して、背中を押してくれた。後ろを振り向けば彼がいるだけでどうにでもなれる気がして、鬱病も少しずつ治せていった。まあ君がいなくなったせいで今は薬の量が増える一方なんだけどね。
だから「理解のある彼くん」と付き合うすべての女性に言いたい。その優しさに甘えちゃダメだよと。理解のある彼くんは、貴方のことが好きだから優しくしてくれるだけであって、好きじゃなくなったら優しくしてくれないんだよと。そしてその好きじゃなくなる瞬間って突然くるんだよと。
あとこれはすべての人に言いたい。恋人に依存するのは良くないよ。私みたいに恋人を引いたら何もない人になっちゃうと、もう本気で死にたくなっちゃうから。
大学3年生、女。
タイトルは私の夢だ。
だが、私は子どもが欲しい。
中高生の頃、シングルマザーは貧困に陥っている人が多いと知った。
ならば、どうすれば貧困に陥らないシングルマザーが目指せるのだろうか。私は考えた。
とりあえず学歴は必要だろうと思い、苦手な勉強を一生懸命頑張った。
なんとかそこそこの難関大学に合格することが出来たので、次は子育てをしやすい環境にいけるように就職を頑張ろうと思った。
色々な人に話を聞き、公務員または資格職が一番良いだろうと思った。
文系なので大学で取れる資格は教員免許くらいしか無かったので、とりあえず履修を開始。
そして、公務員試験を目指して大3の春から予備校に通い始めた。
懸念点は教育実習だったが、実習時期が秋なので公務員試験とは被らないため、履修は続行した。
教員免許のための履修をしながら公務員の予備校は多少キツいが、シングルマザーになるためだと思えば苦ではない。
私は偏差値40くらいの高校に通っていたが、シングルマザーという夢が明確になってからは人が変わったように勉強するようになった。
昔の友達からは、どうしてそんなに頑張れるの?と言われることが多いのだが、本当の理由は流石にいえないので、ここで吐き出させてもらうことにした。
では、勉強に戻る。
首都圏在住の小学校低学年の子どもを持つ親の悩みのひとつに「中学受験をさせるか、させないか」というのがあります。首都圏で中学受験をするのは6万人超で5人に1人、つまり20%くらいが中学受験をすると言われています。
この文章は、私が「中学受験をさせるか、させないか」について相談されたときに、どのように考えるべきなのかという判断材料をお渡しするために書いています。なるべく客観的なデータに基いて記述をするために、偏差値といった数値的なデータを中心に取り上げることが多くなります。いわゆる学歴主義のように感じられる部分があるかと思いますが、そのような意図はまったくないということは強調させてください。私自身も中学受験を経験し、偏差値だけでは表現しきれない私学教育の魅力や中高一貫教育のメリットというのを肌で感じています。判断材料として主観的な記述を減らす都合で、このような記載になっているとご理解ください。
中学受験をさせると決めたら、一般的には新4年生の春休みから進学塾に通わせることになります。通塾費で200〜300万かかり、私立中学に無事に進学したとしても公立以上の費用がかかります。3年間の学習時間は2,000時間以上になるとも言われ、親はそのサポートに追われることになります。中学受験は、並大抵のものではありません。金銭的にも時間的にも親の「覚悟」が必要になります。特に金銭面での負担は大きく、私学中学に通う家庭の世帯年収は約800万円以上がほとんどだというのも事実です。
「小学校の頃から塾通いなんてかわいそうだ、うちは『普通』でいい」
そう考える家庭も多いでしょう。中学受験をするには、多額の費用と労力がかかります。「そんなのは『普通』ではない」そう考える気持ちは分かります。分かるのですが、ちょっと待ってほしいのです。中学受験をしなかった「普通」はどういうものなのか、それを理解した上での結論でしょうか。中学受験をしないと決めたら、地域の公立中学校に進学します。そこで3年間を過ごし、ほぼ全員が高校受験をします(高校進学率98.8%)。ですから、実のところ「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題になります。
もし、中学受験ではなく高校受験を選択し、平均的な学力の高校、つまり高校受験の偏差値50前後に進学したとします。進学先はどうなるのでしょうか。たとえば、都立S高校では、6割くらいが大学へ進学、3割が短大・専門学校へ進学をしています。大学進学先も、いわゆる大東亜帝国に入学できれば成功の部類で、GMARCHは学年トップ数人だけが入学できる存在です。口コミ掲示板を見ると、数年前に上智に合格をした先輩が伝説的な存在として語られているのが分かります。
難関大学と呼ばれるGMARCHを狙える高校に進学したいのであれば、都立高校では高校偏差値65以上の進学指導特別推進校や進学指導特別推進校が選択肢になります。早慶以上を目指すのであれば、高校偏差値70以上の進学指導重点校です。地元の中学から、進学指導重点校や進学指導特別推進校、進学指導推進校を目指すことを想像してみましょう。地域によって差がありますが、東京都区内の公立中学校の生徒数は、学年あたり100〜150人くらいの規模であることが多いようです。ですから、偏差値65以上(上位6.68%)の学校に進学できるのは、学年で10名くらいになります。都立高校への進学には内申点も大きく影響してきますから、主要教科だけではなく副教科も含めて学年でトップクラスになる必要があります。これって「普通」でしょうか?
一方で中学受験の「普通」はどのようなものでしょうか。中学受験生の平均的学力の中学、つまり偏差値50前後(日能研)の中学校に進学したときの、大学進学の実績を見てみましょう。たとえば、T中学であれば、ほぼ全員が大学に進学し、そのボリュームゾーンもGMARCHになります。S中学のように大学付属ながら、内部進学の資格を保持したまま難関大学にチャレンジできる学校もあります。中学受験をする層というのは全体の20%で、経済的余裕があり教育熱心な家庭になります。そこでの平均となりますので、全体から見たら上位の学力になります。
もちろん、中学受験をしたからといって、ただちに学力が上がったり、しないという選択で学力が下がるというわけではありません。あくまでもデータからみると、こうなっているということを示しています。生存バイアスだという指摘もあるかもしれませんが、中学受験から離脱する割合が高いというわけではありません。
ここまで、データが示す「普通」がどれくらいなのかを示してきました。ご家庭で暗黙的に考えている「普通」とのギャップはあったでしょうか。「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題であり、親としての子どもにどのくらいの学歴や学力、教育を期待しているかという問題になります。子どもの能力と比べて過大な期待を抱くと、良好な親子関係への障害となってしまいます。かといって、過少な期待をもって「縛りプレイ」をさせるというのも違うと私は考えます。子どもの能力に対して親としてどのような環境を提供できるのか、この文章がご家庭で考えるきっかけになれば幸いです。
※何かしら理由があって医者の道を諦めたが、やっぱり…ということで社会人になってから受験した人を除きます
ここでいう多浪というのは、受験初年度から数えて何年合格までかかったかということ。
1年2年なら難関大学の他学部でも見るが、医学部の中には4浪5浪、10浪もいると聞く。
なぜ信頼できないかと言うと、多浪は高校レベルの学問を何年もかけないと習得できなかったと言っているのと同義だからだ。
高校3年の倍以上かかってるんだぞ。
なぜなの?なぜそれでも受からない人が、医者になって人を診れるの?
学費のためのバイトをしたのかもしれないが、記憶力というのは年々衰えるもので、多浪すればするほど医者になるための知識は身につけづらくなる。
なんだかなぁと思う。
今、自分は大学4年生だ。自分の学部は卒論が必修なので当然時によっては英語の論文を読むこともある。
ただ実は、自分は英語で月も言えないし曜日も分からない。決してFラン大学の学生でもなく、むしろ世間では難関大学とされる大学に通っている。推薦とかで英語を入試で使わなかったわけでもなく、自分は正規の一般入試で合格している。
ではなぜ月も曜日も分からないかと言うと、ただ単純に覚える機会がなかったからだ。覚えようと思えば月は12個、曜日は7個だし少しは覚えているので実際に覚える数はもっと少ない。受験や学生生活の中でも覚えなくてもどうにかなってきたのでここまで来てしまった。バレたらめちゃくちゃ恥ずかしいので月や曜日を英語で言う機会が来ないことを祈っている。
私はそれなりの有名私大から有名国立大学院に学歴ロンダリングした。
元いた私大の大学院に進んでもよかったが、やはりとりわけ理系では、国立優位なことは認めざるを得ない。
貧乏だった人が裕福になることを目指し、何か問題があるだろうか?
立場が弱かった人が権利を主張し、責められることがあるだろうか?
いや、ない。むしろ何もせず怠惰である方が恥ずかしいとされる世の中だ。
しかし、学部から異なる大学院に進む話になると、学歴ロンダリングだ!!!と喚き出す人間が存在する。
なぜ。。。
どれも努力した (そして今後もするだろう) という点で、本質的には同じはずなのに。
しかも面白いのが、学歴ロンダリングを叩く人々は、中々の割合で地頭信者なのだ。
彼らの言い分は大抵こう。
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
少し自分語りをしたい。私は大学に入るまで、勉強というものが嫌いだった。
多少賢い方だったので、小学生時代に学習塾で受けた模試でよく冊子に名前を連ねていた。中学受験を勧められていたが、家庭の事情で地元の公立中に進んだ。
小中と勉強しなくても学校のテストの点はよかったので、勉強しない癖がついた。好奇心は強い方だったと思うが、私は怠惰な人間なので、目先のゲームの方や部活の方にばかり気持ちが寄った。
その後進学校と自称進学校の半ばくらいの高校に、そして某私大に進学した。私はやはり怠惰だったので、高校受験も大学受験もさして勉強はしなかった。
勉強嫌いは治らなかったが一般受験というものを経験してみたかったので、大学受験は推薦などは取らず一般で受けた。
高校受験は舐めてもなんとかなったが、流石に全国規模の大学受験は思うようにはいかず、諸々の大学に不合格を貰い某私大に進んだ。
勉強関連で大した失敗経験がなかったので、困らないくらいの学歴は手に入るだろうというバカな考えがあった。まあ正直今でもそう思っているし、有難いことに一応はそうなった。
この某私大は一般的に M*RCH と同程度か超えるくらい難しいところだと思う。ネット上では M*RCH は 3 ヶ月!などと暴論をかます人がいるが、私に言わせればまだ甘い。M*RCH も某私大も 0 ヶ月だ。
そしてこの某私大は、私の感覚的に、研究員になれる最低ラインの大学なのである。この大学に合格していなければ、恐らく研究の道に進もうとは思わなかっただろう。
もっとも、出題によっては、M*RCH にも落ちたりした。運のよさだけが取り柄である。
念のため付け加えると、上記をみれば明らかなように、私は学歴などには大して興味はない。大学受験で努力できた人の方が、人として私よりも圧倒的に優れていると思う。努力した人をバカにする意図はない。
また、自分を稀代の天才などと思っているわけではない。だいたい研究の道に進めば自分より優秀な人なんて山ほど出会うし。入試だって東大 0 ヶ月を主張する者さえいる。
この某私大で、転機が訪れた。大学の勉強が楽しいのだ。なんということだろう。
私は情報系の学生である。小学生の頃にゲームを改造するという形で情報技術に興味を抱き、高校まで趣味でプログラムを弄っていた。
高校までの授業は、特に普通科高校などでは、まずやっておけば間違いない (悪く言えば当たり障りのない) 教科ばかりで構成されている。生徒が卒業後どの分野にも進めるように組まれているのだから当然だ。
大学は研究機関であり、かつ専門教育を行なう機関なので、高校までとは毛色が違う。
大学の講義や研究は私の興味に合致した。このまま進みたいと思うようになった。楽しいから仕方ない。この後の進学までの流れはどうでもいいので省略するが、結果、学歴ロンダリングの道を選択した。
自分に限界を感じて諦めるかもしれないが、それならそれでも構わない。ロンダロンダ煩くされるなら、院の名前は出さず某私大の名前だけで生活してみせよう。学歴自体にはさして関心がないのだから。
少し話が逸れてしまったが、したがって、
大学入試の問題 (特に数学、物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試は簡単で誰でも解けるから、バカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!
に対する私の答えはこうだ。
「地頭」で能力の伸び方は変わるかもしれないが、上限は関係ないと思う。
現役 MARCH 全落ち 1 浪東大の人とか知ってるし。なんなら多浪高学歴 YouTuber とか何人もいるし。
逆に、浪人して俗に F ランなどと呼ばれる大学に行った人も知っている。でも彼らも伸びが遅いだけで、特別知能で劣っているのではないと思っている。
もちろん言うまでもなく、難関大学に合格する人は凄いです。私にはできなかったことなので、その賢さと努力は素直に尊敬します。
まあ確かに、確かに東大生を主張していた人が学歴ロンダだったら、あれ?って感じるのはわかる。明らかに元いた大学を隠しまくってたら私もうーんって思う。わかる。
全く誰からも批判されない人など居ないので、批判したければ常識の範囲ですればいい。でも、主語を大きくしてロンダは全て悪!は間違っている。
例えば気に入らない中国人がいたとしても、すべての中国人をバカにすべきではないだろう。
中国人は採用しない!とか発言して東大から解雇された某最年少准教授の例とかあったじゃん。
なんだか、人を叩いて気持ちよくなりたいタイプの方々が、若い芽を摘んでいるだけな気がしてならない。
しかもそれが割とスタンダードな考え方なことに、失望を隠せない。
前述の某最年少教授の処分にあたってそれとなくロンダをバカにする反応をしていた東大教授さえいたし。
中学高校のころから勉強が得意で、成績はつねにトップクラスだった。
大学もいわゆる難関大学にいった。必死こいて勉強したわけでもなく案外すんなりと入れてしまったので「人生ぬるゲーだな」と思っていた。
ところが、だ。
社会に出ると途端に形勢が変わった。
企業に入るとどうしたって人とコミュニケーションを取らざるを得なくなる。完全に一人だけ単独で進められる仕事なんて皆無で、たいていは上司に許諾をとったり、社内外の人を説得して協力をあおいで物事を進めたりする。
できないというか、人とコミュニケーションをとって調整に調整を重ねるという行為自体に苦手意識がある。できることならやりたくない。
仕事ができる、と言われる人はたいがいコミュニケーション力に長けたやつだ。
ここでいうコミュニケーション力とは、会話が面白いとかナンパが得意とかそういうことではなくて、
「人を巻き込んで、人をマネジメントしながら、人を動かすことができる力」だ。
人にお願いをしたり、依頼をしたり、指示をしたりすること自体に抵抗感がある。「面倒だと思われてるんじゃないか」という不安感もあるし、単純に「人と関わりを持つこと」自体がダルい。
その点、大学までの勉強はよかった。全て自分一人で勧められた。一人で問題集をとき、一人で暗記をしていればよかった。全て一人で完結できた。人を巻き込む力なんて皆無でよかった。それでも「優秀」だった。
社会人になってそこそこの年数が経つが、このギャップに悩まされることが未だにある。
本音を言うと「受験勉強をするように一人きりで成長することで稼ぐ」ことができないだろうかといつも思っている。
デイトレーダーとかがそれになるんだろうか。
人と関わらずに、生きていきたい。