はてなキーワード: 関西とは
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
身内に対してする挨拶ではなくて、例えばレジでありがとうを言う人の多さとか。
関西でも多分期待するほど多くはないと思うけれども、関東圏に比べると多い。
一番顕著に感じるのが車でもふとしたタイミングで道を譲った時。
ほとんどの人が何も感じません見たいな顔してそのまま行ってしまうのは良くない悪循環だよ。
浦安の方は違うんだろうか。
「二泊三日で30万円…もしかしたら50万円だってイケそうですよ。オリンピック前までには元手回収、そこからはほぼ儲け。会社をやめようかと思っています」
今年1月上旬、興奮した面持ちで筆者の取材に語ってくれたのは、東京の渋谷区と港区、そして文京区内の「民泊物件」を運営しているという増田増夫さん(仮名・40代)である。
一昨年ごろから急激に拡大していた民泊運営ブームに乗じて、今や都内や関西で十数部屋の物件を運営し、月に100万円オーバーの利益を上げるやり手の投資家だ。元はIT企業社員だったが、今は民泊事業一本。目
論見通りに東京オリンピック前にホテル代が軒並み高騰し、今年6月ごろからは、増田さんの運営する物件(戸建てタイプ)は、一泊20万円でも予約が次々に押し寄せるような状況、まさに濡れ手で粟の笑いが止まらない状況だった。
「民泊のように借りるだけでなく、投資用不動産の購入も考えています。五輪までに数百万円、数千万円も夢じゃない」(増田さん)
この人、その後どうなったんだろう・・・。
久しぶりに晴れたんで近所の公園に行ってきた。
クナシゲの植え込みが見事で、個人的には関西でも一、二を争うと思うんだけどまあ地味な植物だし人目を惹きはしないみたいで、いつ行ってもそんなに人はいない。
真ん中にちょっとした池があって、その周りにトマサザミがわりとよくいるんだよな。木の枝を近づけるとハサミで掴んできたりしてなんとも可愛らしい。われ泣き濡れてカニとたわむる…ならぬ、サザミとたわむるというやつか。
梅雨になってきたからか、メダカを狙ってるホウエの姿も見かける。頭が赤いからアカボウエなのかな?硅鳥には詳しくないんでよく分からないが、綺麗な生き物だと思う。
人が少ないとはいえ、やっぱ公園は公園だし子供はけっこういるんだよなあ。俺は子供の頃からインドア派で、公園で遊ぶなんて全然やらなかったからちょっと羨ましい。サシザの茂みの近くを走り回ってるんでちょっと危なっかしいけど、まあ地元っ子だしちゃんと弁えてるんだろうな。
…昭和関西棋界の二大巨頭、有吉道夫九段と内藤國雄九段の話。峻烈なライバル関係と、歳を重ねてからの友情。
…高校生時代のライバルが全国大会に都代表で出ることを新聞で知った話。昔同じ立場だった人に置いていかれる話、好きなんだよな。咲-Saki-でいえば穏乃が和の全国優勝でめちゃくちゃ動揺してるとこ。
…赤ドラと、ギャンブルとして発展した麻雀の歴史の話。まあ、麻雀を競技にしたい人は少なくとも一発裏ドラ赤ドラくらいは不採用でやってほしいよね。
【麻雀】福地誠presents 坊主マッチ2016 | FRESH LIVE(フレッシュライブ) - ライブ配信サービス
…「負けたら坊主」というルールの麻雀をした動画。俺が見たい「他人の麻雀」ってのはこういうのなんですよ。
…多数意見を批判する言葉が強すぎて面白い裁判官の話。「齋藤先生と灰皿を投げ合って論争したというのは本当ですか?」「そんなことはしない。六法全書を投げ合ったんだよ」
実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがラディカルフェミニストとお友だちだった件|兵頭新児|note
…牟田和恵をボコボコに批判して、ついでに白饅頭を皮肉る記事。正直牟田和恵も白饅頭もよく知らないんだけど、フェミニストの主張の構造を解明していく過程がなんか面白い。
棋士だけの持つメリーゴーランドの世界 | 将棋ペンクラブログ
…吉野家で晩酌をする団鬼六のエッセイ。出入りする人々との一期一会、死んだ男への追想。
大関をたった14場所で陥落した男ープロローグ1/2|siro|note
…幕下に陥落した頃の照ノ富士へのインタビュー。俺は照ノ富士の新十両の時、尋常じゃない足腰の強さに感動して絶対横綱になるって周りに言いまくったんだ。あの時、髷掴まれてたの、やっぱり気付いてたんだなあ。
千秋楽 | 安美錦竜児のオフィシャルブログ「けっぱれ安美錦」Powered by Ameba
…その例の千秋楽の翌日に書かれた照ノ富士の兄弟子安美錦のブログ。短いけど優しさと心配りが滲み出ている文章。
甲子園と私~第1回 阪神淡路大震災を乗り越えて 神港学園元主将・鶴岡一成さん | スポーツ | 関西ブログ
…ベイスターズファンだった俺が一番好きだった選手が鶴岡一成。あの気持ちの強さと周りが見えてる感じはこういうところから来てたのかもな。
【競馬】競馬場で笑ったヤジ・声援 : 競馬ろまん亭 - 競馬まとめブログ
…生きている森田勝を最後に見て、死んだ森田勝を最初に見た人の話。転落したパートナーを助けられないときは「俺だったら(ザイルを)切るね」と言っていた森田は、ザイルを切ることなく死んだ。
大野晋 日本語は、もともと関西で発達したんですね。〔……〕関東はね、元来、別の言葉をしゃべっていた。そこへ日本語が入ってくるわけです。だから発音の習慣だけは以前の言語の習慣が残り、関東は母音を落とす。関西は母音が多い。母音を落としちゃ、日本語はいけないんです。〔……上方漫才は……〕日本語の正統な流れなんですよ。
司馬遼太郎 『日本書紀』の天智〔……〕五年〔665〕に「百済人二千余を東国に置く」、天平十八(七四六)年に「新羅人を武蔵に置く」。この聖武の時代あたりが関東のあけぼの〔……〕。それが大きな集団なものですから、坂東武士の先祖は、やはり入植渡来者と非常に関係があると思うんです。
〔……〕日本人は、とくに上方の人間は、子音が詰まった形では発音出来ない。ところが東京の人は、それを平気で発音出来る。「なんちゃって」と言うでしょう。そしてトゥングースの言葉も子音を子供のときからどんどん言うんですよ。
永井路子 やはり気候の差があると思います。関東のからっ風というのは、特殊な作用をしている。はっきり言えば、口を開いていられないんですよ。〔……〕口をまともに開けてはしゃべられない。話をするにも、優雅に母音を発音しているひまがないくらいに、タッと早く喋るわけですね。ですからだんだん詰まっていく。
「口をまともに開けてられんなら、まともに笑うこともできん。まともにしゃべれん、笑えんとなると、思考も感情も育ちにくい気がするけど……いわゆる標準語は、旗本の言葉に切り貼りした人工日本語。戦争演説に適した『ジークジオン弁』。大阪の児童の学力が低いて言われるけど、『欠陥語』教育に本能的に反発した結果ちゃうの?」
「『普段正統な本物の日本語話しとるのに、何でデチューンした偽物の日本語教わらなあかんねん』て、感覚的にわかるんやろなあ。どちらを標準語に採用すべきやったかというと……」
「小籔さんを起用した例の厚労省『人生会議ポスター』が中止された時、こんな意見が報じられました」
死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです〔BuzzFeed News〕
大阪から東京に出ていった人は気にしてただろうが、他の地域から東京に出てきた人、東京周辺で育った人は、
全国ニュースで大阪のことが報道されるなんて、殺人が起こったとか、派手な事故が起こったとか、そういう他の地方の扱いと変わらなかった。
大阪周辺が暴風雨で屋根が飛んだ時、起こったすぐあとは話題にしていたが、2週間もすれば過去の話となった。
そこまで言って委員会がウケてたのは、政治の話をしないところで、政治の話をしてたからだろう。
新聞を読んでいる世代からすると、目が悪くなって新聞を読むのが辛くなってきたところに、大きなテレビで字幕を入れてくれるのだからありがたい存在だ。
それがいつの間にか、東京の人まで大阪の政治の話をするようになった。
自分とは関係ない、失敗しようが自分達には関係ない、成功すると東京から大阪へ人や金が動くと困るので叩くのに都合が良かったのだろう。
都合よく、あいりん地区なんてのもある。
そもそも関西弁なみに標準語とかけ離れたコテコテの方言話す人って
ほぼ標準語~文字に書き下せば標準語だがイントネーションが変~多少方言が混じる、のどの辺りに該当するかは地域によるだろうが
b:id:wuzuki 転勤族だったので共感。方言って意外と通じないよ。相手が何を言っているのかわからないのって地味にしんどい。東京のローカルな仕事を東京弁で行うことには違和感ないけど、あえて関西弁を使う人には疑問が残る。
b:id:rankato わかる。東京が特別とかではなく逆で、地元離れてもいつまでも言葉遣い直さない人ってエゴが強いイメージがある。
b:id:minoton まあ地元の言葉を使わないということは、コミュニケーション上の主張だとは思う
たとえば関西人が関東の大学または会社に入った場合、数割は関西弁のままだが、数割は関西弁のアクセントを残した標準語で、数割は関東弁に矯正するだろう。
一方で関東人が関西の大学や会社に入った場合はどうだろうか。ほぼ全員が郷に入っては郷に従おうとせず、「同じ言語で会話するほうが意思疎通図れる」にも関わらず自分たちの方言に固執する「空気読めない」人間となるのだ。
https://butao.hatenadiary.com/entry/2020/06/16/164635
大阪を離れて10年近いので、橋下さんや吉村さんの隆盛はわからないけど、この感覚はよくわかる。
とにかく関西ローカルの番組が好きだし、「関西だけ」「ここだけの話」に本当に弱い。
「サイキック青年団」から始まり、「東京では言えない芸能ニュース」を伝える井上公造、そして「ある大物から直接聞いた」と語りだす青山繫晴まで、大阪にいたころは完全に信用していた。
せやで。
ホンマは関西言葉の方が東訛りよりも由緒正しき日本の標準語やったんやけどな。神武東征以来ずっと畿内が日本の中心やったんやし。
今かて正式に京から江戸へ遷都したわけやあらへんし、御所かて京に残したまま天子様は江戸に行幸して江戸城に仮住まいのままなんやし、東言葉に合わせなあかん筋合いはあらへん思いますんやけど、東京都知事いうたら東京ローカルの役職ですしなぁ。まあ、しゃあないんですやろな。
関西訛り抜けてないだろ
自分から積極的にコンテンツになりにいく姿勢は、関西の人のほうが圧倒的に持ってるように思う。Youtuberをやることが普段のコミュニケーションの延長線上に自然にありそう。
「あいつもしかしてゲイじゃないの」というフレーズは、飲みの場でイジリ・ネタとしてありそうだけど、「あいつもしかしてザイニチじゃないの」というのはありえない。イジリになんて絶対ならない。タブー感すごい。口から出せない。出した瞬間、こっちが破滅する、というより、自分自身に抵抗感があって発声することができない。
それぞれの所属するコミュニティの雰囲気にもよると思うけど、自分はそんな感じ。大卒ホワイトカラー職場。ちなみに「ゲイじゃないの」もたぶん、一瞬、笑いになるけど、あとで怒られるというか、たしなめられるくらいはあると思う。「そういうこと言うもんじゃないよ」とか。
「アスペ」「キモオタ」「DQN」は内輪ではいうけど、職場関係の交友では言わない。通じないと思うから。ネットジャーゴンだと思ってる。でもそういう言葉遣いをしないだけで、飲みのネタにはしてると思う。なんか別の言い方で。
関西なので、特定の地域に対して、歴史的に在日韓国朝鮮人が多いとか、かつての被差別地域だとかそういう認識はある。それについて話をすることは職場でもある。でも、たいがいが社会条件とか歴史的経緯についてのことで、個別具体のことは絶対に人前で話すようなことではないという認定。ゆえに、「同和」「ナマポ」「池沼」みたいなのは、「在日」同様、どんな場面でも、自分の口から発したことはない。なんかできない。これらはネットジャーゴン以前に、書き言葉だと思っている。とはいえ生活上、思うことはいろいろあるので、内輪では話のネタになることはないでもない。でも、よくないなーと思いながら話している。
俺は27歳独身、入社6年目、一部上場メーカー文系社員の海外営業。
大学時代には培った経験はゼロといっても良いほど何もしてこなかった。
同期内で人気のなかった穴場の事業部の海外営業に配属となったが、
海外とのメールの読み書きをはじめ、頭も要領も悪く全く仕事ができず、
バリキャリな課長や先輩社員にしごかれ呆れられ、劣等感に苛まれる毎日。
かといって仕事を覚えようとか、効率的な工夫だとかの努力はせず、のうのうと4年が経ったのちに、
2年間の任期付き出向で、関西の関連子会社で現場のドサ回り営業を言い渡された。
全くやる気がない上に、営業中に1日4時間車内で寝ていた日もあるほど。
但し、今までキツい部署にいたせいか、子会社の人たちはとても優しいというかヌルく、
今までの部署では上司の言っていることが全く理解の出来なかったくらいだが、
ようやく居心地の良い場所ができたかと思った矢先に、コロナ明けの6月頭に元の部署に戻された。
そしていま、2週間が経ったが見違えるほどに仕事が出来ている。
人前で報告する際もあれだけ緊張してドモり続けてたのに、いまではスラスラと話せる。
何故だろうか。
関連子会社にいた2年間はショック療法的な人事異動ではなかったかと思い始めている。
今まで同僚・先輩方を格上の存在だと思ってビビってしまって相談や質問も出来ずにいたが、
言い方は悪いが、一段レベルの低い組織の中で働かせることで、仕事が出来るできないに関係なく、
少なくとも自信が持てるようになったのではないか。