はてなキーワード: 逆上がりとは
最近の子は、逆上がりができないままで大きくなる子も多いという。
おっさん世代の我々、ほとんどが逆上がりできるかと思うが、姪っ子の前でいい格好をしようと思って鉄棒で逆上がりをした。
そしたら、普通にできた。
普通にできたんだが、体重が重くなっているからだろうか(90キロ)、ぐるっと回った際に、鉄棒の上で亀頭に全体重がかかり、「プチ」という音(実際はしていないがしたような気がした)とともに、潰されてしまった。
姪っ子からはすごいと言われたのだが、後から亀頭を確認したら内出血していた。
「金と時間がないから若者は結婚できない」というのは、「自分は悪くない。時代のせい」という泣き言を、小狡く換言しただけだと思う。
俺は、なんか試験と就職が上手くいって、手取りで1000万ある人間になってしまったタイプの男である。
時間も、まあ、ある。
でも結婚できる気がしない。
理由①自分の生活に「恋愛」がタスクとして一切組み込まれていない
えっ、何、逆に君らどこで生活の中に恋愛をいれてんの!?って感じ。
先輩に連れられて相席居酒屋とかは行ったけど、そもそも俺は相席居酒屋にいるような人間が好きじゃない。なんつーか、こう、普通の人はどこで出会うん。わからん。何もわからん。
写真撮って、趣味書いて…みたいなのマジ無理。え、みんなやってんの?無理じゃね?しかも高い金払って。嘘だろ?
一応、頑張って1年くらいやった。別の会社のもお試しで試した。無理だ。
書き出すとマジで凡百になるんだけど、
恋愛してる暇があったら、他にいくらでも面白いことができるじゃんっていう。
でも子供は欲しいし、人生を共に過ごす家族は心から欲しいんだよな。兄弟もいないし。
LINEをピコピコ送りあったり、一緒に飯食って「いい雰囲気」を形成するゲームをマジでしたくない。
やりたくないやりたくないうるせーな!そんなんだから結婚できないんだよ!と昔の俺なら言っただろう。
「鉄棒を握らずに逆上がりができるようになりたいよ!」みたいなもんだしな。例え下手か。
だが、年食ってわかった。無理だ。
出会って、いい感じだなとパーソナリティーの情報交換して、よし!結婚するぞ!みたいなフェイズが絶対無理や。めんどくさいがすぎる。
てか恋愛の娯楽性低くね?
そもそも社会人になってから新規で友達作るのもめんどいのに、より難度高い恋愛しろって無理だろ。
学生時代なら「セックスしてえ~!」の一念で岩くらい貫通したかもしれんけど、順調に大人になってそんな性欲猿パワー失せたんだが。
え、逆になんなん、みんな、どうしてるん。
意味わからん。このつまんねえ上に高難度のゲーム、結婚してる人はみんなやってんの?
無理じゃね?つか、これ金で解決すんの?しなくね?
時代や環境じゃなくて、どう考えても俺の人格の問題だろ。でも、俺そんなおかしいこと言ってるか?
みんなこんな感じじゃねえの?
わからん。
下手くそでも練習すればうまくなると思って趣味の域は超えないけど描くことを続けてた
さすがに何年か前よりはましになってるんだけど納得のいくレベルではない。
周りを見渡せば自分より年下で圧倒的にうまい人はいくらでもいるので(上を見たらきりがないのは分かってる)努力が足りないんだろうなあセンスがないんだなあ自分は…程度に思ってたんだけど
ふと井村屋のあずきバーのCMで逆上がり練習してる子を見て、小学生のときにいくら練習しても逆上がりができない子がいたことを思い出した。
二重跳びがいくらやっても飛べない子とか。
そういう子に練習が足りないとか言う子もいたけど自分は持久力がまったくなくてマラソン大会はいつもドベに近かったので
どれだけ練習してもできないことがあるだろ、と。そんなこと言うなよ…と思ってたんだけど
自分が今、どれだけ描いてもたいしてうまくないのってそれか?と思ってしまった。
運動の分野だと練習しても多少マシにはなっても及第点に届かない子がいることは割と認識できるんだけど
芸術分野になるとただの本人の努力不足としか認識できなかった。
でもあり得るというか、図画工作の時間に何描かせてもアーティスティックなのか下手なのか分からん絵を描いてる子や
保育園の頃から書道教室に通ってるのにすごい字が下手な子とかを思い出した。
自分はずっとこの保育園から書道やってるのに、真面目に通ってるけど下手なままな子なんじゃないかと思ったらなんだか、悲しくなってきた。
割り切って好きな絵を描いてたらいいと言われるだろうし、そうなんだろうけど、なんか悲しい。
そりゃ今までだって大した反応をもらえていたわけじゃないんだけど、虚しいな、
反応ありがとうございます。小説の練習がしたくて自分の経験を三人称で書いてみたのですが、非常に読みにくい文章になってしまいました。ご指摘ありがとうございました&一行目を訂正しました。
現実的でないことを馬鹿にしてしまっている自分に気づかされました。
次に会うときはもう少し温かい目で見て、夢に向かうワクワク感を共有できればいいなー、とおもいました。
_____
Yは昨日会社の同期のMくんと会ってきた。
色々と買い物をしたら疲れたのでカフェに入り、Mくんはアイスコーヒーを注文した。Yは紅茶を注文し、一息ついている。
Mくんは前日にオンラインで会社の人と飲み会をしていたらしい。
共通の趣味でもない限り、だいたいそういった場での会話は仕事か健康か人間関係の話になる。
Mくんは最近彼女に振られたので、やはりそのことがいじられるらしい。
やはり男子間で振られた話をすると「それなら遊んどけよ」と言われマッチングアプリを勧められたりするそうだ。
「マッチングアプリとか似合わないからやめときなよ」とYは言った。
「出会ったその日に〜とか、ナンパとかで性行為できたとしても気持ち良くないでしょ。
快楽ホルモンのドーパミンより愛情ホルモンのセロトニンの方が持続性があるって言うし、セロトニンはマッサージとかハグでも十分出るって言うし…」
Mくんにマッチングアプリをやって欲しくなくて始めた会話が、着地点を失った。
「マッチングアプリするくらいなら私とお茶してよ」と言えば良いものを、Yは言えなかった。
「はぁー、結婚してぇ…」Mくんは深いため息をついた。
「そういえば、少し意地悪な質問だけど…なんでMくんは結婚したいの?」
好きな人がいて、その人とずっと一緒にいたい、と言うのならわかるが、「とにかく結婚したい」というのは理屈がよくわからない。
いつもテキパキしているMくんが珍しく考え込んでいた。
Mくんは「うーん」と手を後ろに伸ばして言った。
「いやなんかさあ、信頼関係って、いいじゃん。信頼できる人と一生一緒にいたいんだよね」
それこそプロジェクトみたいに目的と期間が決められたものの方がいいような気がするけど」
たしかMくんに彼女がいた頃「30くらいで結婚したい」と言っていた。
当時はこのふわ〜っとした発言に(SDGsの目標か?あるいは脱炭素計画か?)と心の中で突っ込んだ。
「兄が結婚して子供もいるんだけど、それが良くできた夫婦って感じで羨ましいと言うか…
兄もお嫁さんもお互いに信頼し合ってていいな〜って思うんだよね。
あと子供も欲しくてさ、なんか夢だけ広がっちゃって。
『子供とキャッチボールしたいな』とか『自転車の練習に付き合いたいな』とか…」
「そりゃあもう」
虚しくなってきたので、この会話はやめにした。
今のMくんの話は「東京大学に行きたいです!でも入試科目もどうやって出願するのかも知りません!」と言っているようなものだ。
夢だけしっかりしていて、プロセスがすっぱ抜けている。
カフェを出ると18:00を過ぎていた。
あまりお腹は空いていないけど、なんとなく名残惜しいと言うか、帰るのが勿体無いような気持ちだった。
「とりあえず駅まで歩きながら、次なにするか決めよう」とMくんが言ってくれた。
しばらく歩いていると、信号を待ちになり、Mくんがぼそりと言った。
「俺、お母さんから『モテるように育てた』って言われたんだけどな〜」。
なぜか悔しそうである。
Yのことを「可愛い」と褒めてくれて、女の子として接してもらえるのは純粋に嬉しい。
Mくんは国家試験にも合格していて努力家な上、冗談を言って場を和ませたりもできる。
文章にすればMくんのいいところをたくさん挙げられるのに、瞬発力がいつだって足りない。
窓外を見て「これを言ってあげればよかったなぁ」といくつものシーンを思い浮かべている。
ネタバレです
後々の話と繋がるので意味がある
のび太は毎回映画やる度に別次元みたいな顔してて、過去の事は無かった事みたいになっていたので、
ある意味革新的だと思った。かつそのシーンの演出がさりげなかったのが良かった。
・のび太がキューの横で何も言わずに逆上がりの練習を始めるところ
2時間のカットの積み重ねによって、それ以上の意味を持っているところ。
しかもそれを分かっていて、ちゃんとあっさり描いているところ。
映画的だと思った。
現実的には逆上がりの方法を理論的に教えるのは大事だろうけど、
それをやって逆上がりできたとしても映画的な感動にはなりづらいと思う。
個人的に気になったのは一点だけ
あれだけ止めようとしてたタイムパトロールの人たちが、最終的に「恐竜が隕石で絶滅」という事実を曲げることを黙認しちゃったことだけ
消えるというか、アーケードの超難度を前提にした電子音楽みたいな一部のトラックは音楽ジャンル的な流行り廃りがあるかもしれん。だが音楽は人類がずっと親しんできた普遍的な娯楽であり、感情を揺さぶるものであり、それをアクションと結びつけて体感的な遊戯へと昇華させるという設計は不朽と言っていいだろう。つまり音楽という長い文化とビデオゲームという文化が結びついたが最後、ビデオゲーム文化自体が消滅しない限りはもっともしぶとく残るゲームジャンルの一つが音ゲーであると推測できる。将来ゲームシステムの変遷はあるだろうが、音楽つまり音やリズムに主眼を置いた遊戯である時点で非常に強力な普遍性を帯びているように思えてならない。
そして機械的に完全なプレイができることは、人間がプレイしたときの楽しさとは関係がない。音ゲーの楽しさは、完璧にプレイする機械の存在により毀損される類のものではない。逆に言えば、マクロによる自動操作プログラムを作る技量がある者でも、(ソシャゲ風の周回プレイを強いられる音ゲーでない限り)自動操作しようとは思わないし、他者も自動操作を羨んだりはしないわけだ。自分で操作すること自体に楽しみの本質があるから。
音ゲーの楽しさはいくつかの要因によって成る。無意識的に行われるパターン認識、周辺視やリズム感によってあたりをつけてて「こう弾けばいいだろう」と推測したパターンがぴったり合った時の快感(初見時に多い)。脳の処理に運指が追いつくようになり、難所を抜けられるようになった時の、いわゆる「逆上がりできた」のようなスポーツ的達成感。繰り返しプレイすることで「身体が覚える」感覚と、それに伴って精度が向上しスコアに反映されていく喜び、それがフルコンボやオールパーフェクト等のトロフィーとして残る快感。そして最終的には、最初から最後まで失敗にめげず、あるいはノーミスで来ていることに怯まずにプレイしきる精神鍛錬の要素が入ってくる。
そういった上達の過程を楽しむことが音ゲーの遊びとしての本質なのだ。その性質上、下手な人の方が得られる快感の総量が大きく、ある程度音ゲー全般で通用するスキルを得てしまった人に対しては高難度にしていくしか快感領域の伸び代を確保する術がない。そうなると、ノーツを詰め込めるタイプの楽曲は似た傾向になりがちだというのは確かにあり、問題視するのも分からなくないが、あくまでゲームなので、楽しいと思える範囲まで遊べばいいだけだと個人的には思う。それ以外に一点憂慮するとすれば、音ゲーというのは前述のように非常にパラレルで複合的なリアルタイム認知を数分間に渡り集中的に必要とするため、脳にそれを苦手とする性質がある人にとっては非常に取り組みにくくて楽しさを感じる領域に至りづらい問題があるかもしれない。音ゲーは数あるゲームジャンルの中でもスポーツ寄りだ。競争要素が乏しいのでe-スポーツ分野には入らないだろうが、運動神経を含めた感覚的な操作が求められる点で、人を選ぶ部分があり、特定タイトルの人気や流行にあてられて致命的に向いてない人がプレイをし続けることになると怨嗟を生みかねない部分もあるかもしれない。とはいえ、どのゲームジャンルにおいても向き不向きはあるもので、ゲーム自体の問題というよりは個人の取捨選択スキルの問題だろう。
もう一つ、音ゲーと同じような特徴をもつゲームジャンルがある。それはレースゲームだ。他プレイヤーやNPCの車による物理干渉という不確定要素を排するならば、レースゲームというのは非常に音ゲーに似た「機械的に最善がトレース可能な遊戯」だ。最適なライン取り、アクセルワークというのは厳に存在する。リアルなゲームだと路面状況の変化やタイヤの摩耗などの要因もあるとはいえ、最速のAIは容易に作れてしまう。音ゲーと違う部分は、常に一定でプレイ結果と無干渉に進行していく譜面に対して、レースはコース自体は不変ながらも進入時のブレーキング地点・進入角・速度の僅かなズレが後々のライン補正すなわちリカバリー操作に大きな差異を生む点だ。ただし、それらを寸分違わず毎回再現できるならばプレイ結果は同じになる。
そうした差異はあるとは言え、大雑把に言えば音ゲー同様にパターン認識によってあたりをつけてプレイし、反復してプレイすることで腕を上達させていく、試行錯誤の過程の快感に主眼を置いたゲームジャンルであることに違いはない。とはいえこれはタイムアタックのような早く走ることを目的としたゲームモードの話であって、カジュアルなレースにはカーチェイスなどの多様なゲームモードがある。その点は音ゲーより多様性に富んでいる。しかしそれは選択肢が増えてるというだけで、純粋に進化と捉えていいだろう。音ゲーが将来多様なゲームモードを開拓していった場合も、それはゲームジャンルにとって良いことだと思われる。
ところで、薄々感じてはいたが、元増田は本当は音ゲーに対して悲観的なのではなく、単純に、音ゲープレイヤーに嫌悪感を持っているだけではないのか。自分以外の音ゲープレイヤーに軽薄さを感じており、あるいは恨みを持つに至る出来事があったのかもしれないが、ともかく自分が人を嫌悪していることを自覚したくなくてゲーム自体に諸悪の根源を求めようとしているのではないか。イキったプレイヤーを見て「それが何になるんだ?」とマウントを取れる要素を列挙して拗ねているように見えるのは自分だけだろうか。
自分は、モノ自体に善悪はないという信念に近い価値観を持っている。誤るのは常に人間のほうであり、モノが過ちを誘導しているように見えたとしても、人間はモノに惑わされない知性を備えているべきで、備えていると考えてモノは作られ、使われるべきだと考える。さもないと、人間はどんどん白痴になっていき、モノに操られるモノ以下の存在に貶められるだろう。モノが特定の性質の人間を集めていると感じ、それを良しとしないのなら、自分が好む性質に改変したモノを作る側になるしかない。この増田に対して適用するなら、増田の思う軽薄でない音ゲーを作れるのは増田だけだと思うのだ。安易にジャンルそのものを悲観して多様であるはずのプレイヤーをまるごと切り捨てんとする夢想に耽るよりは、よっぽど現実的で建設的な考え方だと思うのだが。
女の敵は女とか馬鹿にされるとかキチガイって言われるとかは、それを言った奴が悪いのであってそのことを責めるべきではないと考えます。
芋ジャージを着て電車に乗って痴漢されたら、そんな格好してるから痴漢にあうんだ、って言いますか?
痴漢もアンチフェミも人間なんだからそれぞれに責任能力をもった意識主体です。
彼らを尊重する意味でも、責任を奪ったりはしないであげてください。
言及した二件については俺も追ってたんですけど、足引っ張りフェミ含めて全体のリテラシーは期待してるほど高くないな、と感じました。最新の上司に迫られるフィクションの矛盾~の話でも、何が矛盾なのか全く読めていない人が多かった。
読解能力や思考を整理する能力は所詮スキルにすぎなくて、逆上がりができるとかバタフライができるとかそういうものと同じだと思います。それでも市民フェミニストには個々に得意な分野があって時々活躍して、それが全体を前に進めるエネルギーになっている。多様なフェミニストを包摂していくべきだ。と個人的に思います。
思ったんですけど、いささかマッチョイズム的で申し訳ないんですが、元増田が積極的に旗を振るってのはいかがでしょう。
お書きになったクレームには問題を切り分ける鋭さとハッキリした方向性を感じました。主張の芯とはどういうものか、まともなフェミニストとはどういうものか、それを行動で示すのです。
色々波乱万丈な人生みたいは話が世間にあふれているじゃん?例えば中高不真面目だったとかさ。
でもだいたいそういうやつって、過去にあれていても結果うまくいったりするわけ。そもそも中高生のときはわりと学生生活エンジョイしてるわけよ。
じゃ、おれにちょっと半生語らせてみてみ?
------
小学生低学年で逆上がりがなかなかできず、運動神経がよくないことに気づく。宿題はこなすことはできるので、なんとなく勉強は人並みにできるのかもしれないと思い始める。
高学年でバレンタインデーなどのイベントを知るが、全く数にはいってなく、チョコはもらえず。しかし異性に興味をもちはじめる。
頭はいいほうで模試でもだいたい学校の上位10%に入る。通知簿にはおとなしく真面目の評価。年によっては皆勤賞も。
一方で軽いいじめとキツイいじりの中間のような扱いをされて、「学校が楽しい」というワードはイマイチぴんとこない。
似たような雰囲気の男同士で教室の端っこでもそもそしている。陽キャが女子と仲良く話しているのを尻目に、必ず逆転してやると負のエネルギーをためこんでいく。もちろん自分は女の子と仲良くなったり告白されることもなく、大してコミュニケーションもないまま大学へ進学。
有名大学へ入学。サークル、学業は充実する。ここでも真面目さを発揮し、GPAは良いほう。
研究室は希望のところへ入るも、研究自体は泣かず飛ばず。サークルで仲良くなった女の子に告白するも撃沈。就活に精を出す。
そのまま大手企業に就職。大企業のため親は大喜び。でも結局、童貞のまま。社会人になってもガールズバーやキャバクラの類には行かない。でも、さすがに童貞のままじゃいかんと思い、会社の同僚とともに風俗へ。「なんだ、あれほど切望していたセ●クスってこんなもんか..」と27歳にしてやや幻滅する。
30前後で彼女がいないことに本気で焦りだし、出会い系サイトで女性と知り合う。そこで体の関係をもってくれたことに感激しつつ責任を感じ結婚する。しかし、体の相性もテクニックもしらない俺はまたたく間にセックスレスへ。家庭内の自分の価値を少しでも上げようと掃除・洗濯・炊事と家事のほとんどをこなし、優しい夫をアピールしている。
せっかく入った大手だが、思った以上に収入はのびない。ホワイトっちゃホワイトだが、年収500〜600万がいいとこ。結局学生のときフラフラしてたやつらとそう変わらないどころか、彼らは自分で店を経営してたりする。学生のときに誓った逆転も、全くできていない。
------
はい、ここまで書いたが、これ真面目系クズの話に近いよね。でも別にクズ要素ないよね。で、増田に結構当てはまってるんじゃないかと思う。もちろん、仔細は異なるだろうが、共感するところがある読者も多いのではないだろうか。
学生のあいだは大人の言うことを疑わずに信じ、要領を得ることを知らず、モテに対しても斜に構え、特段の努力もしてこなかった。
今でも青春コンプレックスはぬけないため、日本のドラマはキツくてみれない。現実であっても、彼女に外でフ●ラさせたとか、会ったばかりの女とヤったとか、信じられない刺激的な話題で溢れている。自分の人生にはそういう体験は訪れないんだろうと思うと、呆れ、絶望する。