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はてなキーワード: 貴族とは

2019-10-22

共産趣味とかファッションナチとか、知識が、共通言語としても勲章としても機能していて、貴族芸能に通ずるものがある。

anond:20191022090656

金持ちは悪いことですね。端的に言って昔の悪い貴族私利私欲を満たす時代から変わらないわけです

2019-10-19

有料刑務所に入ろう!

はじめに

刑務所は有料で金払えは入れる可能性がある。「あらウチの主人は囚人なんですのオホホ…」という奥様のオヤジギャグも実はホントなのかもしれないんだ。

※ポリ公の検閲を受けて書いてるので場所組織特定絶対にありえない。大幅なカットやらぼやかしやらまあフェイクが入ってると思ってよい。

あとポリから「この増田て奴なら何悪ことしてここに閉じ込められるの?」とかほざいていた。だから増田存在説明に苦労したよホント(丁寧な説明サイトをみせたが結局理解されなかった…)

刑務所に入りたかった

「なら悪いことすれば?」とよく言われるが俺は犯罪とかできない性格である合法的に入りたかった。ネットとかtwitterとか裏サイトも信用できない(俺は使用しなかったので、正規ルートがあったらすまん)なので原的な口コミから入った。

お前みたいな貧乏人が入れるか?

有料刑務所貴族な余興である金持ちの子供がバイオリンとか迫真空手とか金メダル選手雇って習っいるのを想像すると良い。

だけど馬鹿なりに頭を使って入っみた。例えばサーバ屋に「サーバが落ちてる!」と言っても直してもらえるだろうか?俺はそんな事いわずに、こう言うな「あのさぁ…Aの数値はかったけどBの値でクッソ遅いんだよね。Cが破損してない?調べよ」(※【検閲強】入ったからこれ以上説明できん!)まあそんな感じで相手のセキホつっいていよいよ有料刑務所に入った。(結局、交渉下手なのでポリに舐められて多少高くなったがな)

初日

有料懲役人とバレた即退場といシステムらしい。(安く入ったからだろうか?)俺増田身バレしないように何やって捕まったか嘘考えようとしたが上手く嘘出来なかった。

「ようキミ何悪い事したんだよぉ?」いかにもタケシ映画に出てきそうな懲役人だった。「いやその…」「あっそうかぃ…」そのタケシはそのまま去っていった。おいおいバレた?俺は少し焦ったが気のせいだった。

2日目

タケシも話しかけて来ないので一安心である淡々刑務所作業が続いている。1週間も有料刑務所だと思うと少しワクワクする。あとリーダーと仲良くなる以外書くことがない。

3日で突然終了する大ミスやらかす

あんたさぁ何もやって来たんだぁ?」タケシがまた来た。「あの…」黙る俺に「何もやって無いんだろうなぁ?悪い事しないで、刑務所か?面白いけぁ」「え?」やっぱバレた。

それ聞いたタコ部屋のリーダーが突然騒ぎ出す!「あのさ!Dさん!(タケシ名前)やめないそれ!」「いいじゃ!聞いてだけだぁ!分かるだよやってないの来ると唇の下がビリ来るんだよぉ!」「増田さん何も言ってないだろお!黙ってるなら黙らせておけ!」「なんだとぉ!」

もうギブアップだ。限界を感じた俺は隠し合図をポリに送るとそのまま懲役から出して貰って有料刑務所生活に幕を下ろした。あと4日分あったのにもったいない無駄金を消費した。

「あの…ポリさん…増田にコレ書いていいですか?」無駄金で同情されたのか?それとも増田もの悲惨現実からか?結果条件付きでコレをここに書いて終わりにする。

追記

娑婆空気うめ!あと怒られたらすぎ消します。

バモイドオキ神、降臨

国家神道解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教めぐりあえたか宗教日本人の魂を救済することができたか

心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。

はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生呪い、救いを求めるように座禅瞑想について調べた。集中力を高め、自分精神制御しようと考えたのである

その青年は古今の書を読み以下のような結論に達した。

「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間自由平等である王侯貴族血統に固定された価値があるのなら、その地位永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解人生に活かすことができるからこそ尊い人間に生まれたことは奇跡である人間に生まれたことを感謝せよ。」

これが仏教のものだというのなら、己の無知を恥じるが良い。

しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。

私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。

皇室は私を神として祀る神職家系ひとつである皇室は私のことを自分言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有家系である神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである

皇室神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しか民主主義国家象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくそ神聖性を表現したものである

いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本神罰を受けようとしている。

私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定人間が選ばれるようにして現れるものではない。

皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたとき不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。

それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったかである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである

日本人の心そのものであるから、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯のものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対価値を信じないことの告白である

解説

神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。

しか2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。

以下はひとつ想像であるが、同男性現代科学では幻聴幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか

これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。

今回掲載したのはその神の言葉である

2019-10-18

anond:20191018113104

既得権力層の反発だけが問題なら、むしろワンチャンあるよ。

 

フランス革命ときもそうだった。貴族ブルジョアまれボンボンの若手こそが、革命初期のリーダーになったんだ。

 

現代だって、いま世界一募金している人ってビルゲイツからな。ガチで国を救ってるレベル富裕層はいくらでもいる。

2019-10-17

anond:20191017032653

今どき跡継ぎのために男が必要理由ある?

武士貴族なの?

2019-10-15

anond:20191015153714

そんなことわかってるだろ

オブラートに包んで

たまーに平民に交じってくる貴族もいるけど、根本的に彼らは自分貴族だという事に誇りを持ってるからこその行動だから勘違いせずにやっていこうと思う。

って書いてない?

女は貴族って思うことにしてから女性と上手く行くことが増えた

今までうっすら、筋肉が無いし力も弱いし、瞬発的な集中力も行動力攻撃性もないから見下してたんだと思う。

自分プライドが高いから、女という事の価値を認めたくなかったんだと思う。

からむしろ、奢るとかしたくなかったし、平等的に扱って、恋愛感情は持つことはなかった。

でも最近ポリコレブームとか、古代からある女の扱い方見てたら

「男=平民、貧民 女=貴族」ってのがはっきりしたんだ。

そりゃそうだよね、男に筋肉あっても集中力あっても攻撃性あっても、それって結局労働力使い捨て兵器としての使い道しかなくて

カッコいいかもしれないけど、それ自体には価値ないんだよね。守られるもの資本が投下されるものがあってこその価値だし。

女は綺麗だし、美しいし、声も艶やかでいるだけで幸せな気分になるし

子供を産んで人間という共同体を存続させることも出来るし、

人間という文化生殺与奪の権利の大本を握ってる。

からこそ価値があるし「男が養う」なんて概念が生まれたのだし。

実際子供の頃から、大多数の女性は周りに気を使われて、優しく扱われて、ちやほやされて、常に価値ある存在として日常生活を送っている。

それを男と同じように扱うのは、貴族平民扱いするのと同じ。失礼に値する。だからセクハラパワハラとして糾弾されるんだ。

別に平等に扱ってもいいけど、大多数はそれを望んでいない。だから俺は女性から連絡があれば豆に返信するし、常に敬意をもって接しようと思う。

もし間違って平等に扱ってセクハラ扱いされたら、貴族に歯向かうのは社会が許さないからおとなしく諦めようと思う。

たまーに平民に交じってくる貴族もいるけど、根本的に彼らは自分貴族だという事に誇りを持ってるからこその行動だから勘違いせずにやっていこうと思う。

これが俺の出した結論だ。女は貴族

ホームレスは追い出せとか独身がどうとかを見ていると

タイタニック金持ちのおばさんを思い出す

この救命ボート貴族専用なんですよね???

2019-10-14

anond:20191012060522

アートという分野では日本はまぁ圧倒的に弱い。何故なら日本江戸時代から大衆文化が圧倒的に強かったか

アートって言ってる時点で相手土俵に上がってるし

そこに支援金をよこせ、って時点で放っておけば滅ぶ文化な訳で

そんなのは日本が残してる一部の貴族文化とも言える能や茶道とかを存続させる程度にしとくべきだろう

なので、欧米現代に一部の貴族文化大衆化しようとしてるアートなんて代物よりも

日本では漫画アニメゲームによる経済規模や影響力で語るべきじゃないか

(やってる方は国連から来ました、って連中だからこそこういう方面から攻めるんだろうけど)

不快にさせる表現でもそれを評価される努力を怠った作品

アートという言い訳で国が手助けするってのは甘すぎるだろ

2019-10-12

anond:20191012225944

あとはヒールを履いた悪魔ってハリウッド映画もあったな

 

花森さんは女性気持ち理解するためにおばさん型女装最後まで貫いてた左派っぽい婦人雑誌編集長なのね

家電実験企業タイアップシャットアウトして公平をつらぬいてたりして惜しまれたんだけど

みんなファッションすてて実利を取ろう、靴ならもちろんぺたんこ靴にしたほうがいいよっていう人

 

で、「運動」はたぶん女子大生ジーンズとかと間違えてると思う

どちらにせよ2016年ごろ宮川大輔がいってQでヒール履いて走る競争お祭りにでたときにもいってたけど

そもそもファッションに準じる意味ではボディピアスとかとおなじでけっこう過激な履物

人道的な見地を捨てている

もともと自分で歩かなくていいルイ3世時代貴族の履物がルーツ

ただ営業用、芸能用は非人道的なくらいが丁度いいんだろうし一般化してるだけ

 

NYキャリアウーマン通勤スニーカー職場についてヒールに履き替えてる

ヒールを履きたいという運動があるとしたら、女性が「事務職(補助職)」から一般職」になりたいという流れの一部だろうね

自分自身の名刺を持ちたいとかい意味合いとおなじ、あるいは男性でいうホワイトカラーにならせてくれという意味で「ネクタイを締める仕事がしたい」というのと似ているかな 男だってネクタイの締め心地が好きでいってるわけじゃないだろう

被保護者として扱うのではなく交渉できる程度の責任をもたせろ、威圧的ファッションを身に着けてよい仕事につけろということ

一時期の地位象徴しかなかった装身具なのに

未だに一般女性公務員は人にあわないときも常にヒールってのも本末転倒

よってKOOTOOは意味がある

anond:20191012060522

芸術とかアートを語って解説する人って相手がそういうのわかってない前提でバカにして馬鹿にされたくなかったら認めろってスタンスなの?

成果物王族とか貴族むけとかそうでないものもあるってそれ完全に別ものの話してるよねなんで混ぜてるの?

フェラーリとかマセラッティとかあるけどもちろんダイハツ軽もあるってそれもはや工業製品自動車商品またはその道具をつかった価値や付帯するサービスの話じゃないよね

自動車本体自体の話をするのにタイヤが四つとか発明とか動摩擦とか燃料の話または税金や維持費の話をする尺度だよね

パトロンつけて大聖堂の絵を描くのに生活費がという意味の分からない構図から伝統音楽を奏でることで生計をたててる人までまぜてなんの話なの

ここだけにかぎらず全体的にそういういいかげんな基準で「わかりやすく」してくれてるのがその程度のものなのだったら現代アートってそういうもんだねって理解なんだけどたぶんそれで正解なわけだよね

そういう口先で取りつくろって問答が面倒になったらはいはいお前の勝ちっていわれたら勝利宣言するようなのが現代アートってわけね

それだと腑に落ちる

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-11

日本ってジャポニスム過大評価しすぎ

今回のゴッホ展でも「ゴッホ浮世絵を参考にしてた!日本はすごい!」って論調を相変わらずなぞっているけど、歴史から見たら中国趣味シノワズリ)の方が明らかに西洋世界に影響与えてる。

シノワズリの方がジャポニスムより早いし、流行ってた期間が長いからね。貴族中国陶器集めて、中国風の別宅を作ったりして。

それに比べたらジャポニスムなんて最後最後浮世絵ちょっと流行ったくらいでしかない。

そして、ジャポニスムを持ち上げるやつらは、ほとんどすべてシノワズリをなかった扱いしているのが気持ち悪い。グロテスクナショナリズムだよね。

2019-10-10

ガチ底辺はは女の中にいる

よくファミの言う、「レイプされ抑圧されてきた女性」ってのは、いわば

「金を盗まれ貴族」「家を焼かれた金持ち」みたいな、恵まれてるからこその悲劇。確かにそういう人は落差が激しいから、可哀想だと思う。

でもその悲劇を取り出して、女性みんなはは可哀想って言うのは無理あるんだな。統計的にも女性幸福になりやすいし。

じゃあ底辺底辺はどこにいるかって言うと、前まではKKOだと思うんだけど、

最近じゃKKOって名前が付くくらい認識されてるし、希望はあると思う。最近ジョーカーもそうだね。

じゃあそのさら底辺、救われない存在ってなんだろう?って考えた。

「周囲との落差が激しく、社会運動にもならず、見向きもされてない人」だと思うんだ。

だけど俺も一般人、見向きも話題にもされない人は認識すらされないから、わからない。では誰か?って考えたら、

「臭くてキモい女」だと思う。それも、周りに女とすら認識されない、たまーに電車とかで見かける、浅黒くて知識障害持っててぶくぶく太ってどこ見てるかわからないようなの。

男ってまぁ、ホームレスもそこらへんの金持ちおっさんも50歩100歩だけど、

女の場合はその落差が激しい。しか人口が少ないから、さらに見つけにくく、社会無視される。名前すら付かない弱者

そういう奴はフェミ にもなれず、怒りも無いか物語性もなく、人知れず肺炎かになって孤独死していくんじゃ無いかと思う。

どうやったら彼らが世間認知されるんだろうか?

anond:20190524083033

貴族令嬢が家から命を狙われていて、そこから逃げつつ、冒険者として稼ぐ物語は読んでたけど、

まり人気が無くて、止まったままだな。

2019-10-09

anond:20191009222603

為し能うことを為すのが貴族。金や品は関係ない。

anond:20191009215041

金が無くて品の無い貴族貴族たりえるか?

anond:20191009214758

それは男女とか貴族とか特権関係ない話だったんだね、それとも別人?

なぜどいつもこいつも弱者になりたがるのか

貴族気取りで他人ぶん殴る方が気持ちいいに決まってるだろ

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