はてなキーワード: 背中とは
日時 6月24日(日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000054-mai-soci
福岡市中央区大名2の旧大名小学校で、関係者の男性から「人が刺された」と110番があった。IT関連のセミナーの講師をしていた40代の男性が背中をナイフのような刃物で刺され、病院に搬送されたが死亡が確認された。
普段体温が凄く低くて、学生時代の夏にセーラー服の背中が汗で張り付いた経験がないんです
それくらいなのに、こないだ熱が出て熱かったので、メモ代わりに書いた日記があまりにひどい言及来たのでびっくりしただけです。
私の母は3年前にがんで亡くなった。まだ50代半ばだった。
ヘビースモーカーだった母が肺がんを患ったのは、まあ仕方ないことだったのかもしれないが、
驚くべきスピードでがんは進行し、病名告知からわずか1年も経たずに、母は逝ってしまった。
余談だが、母は病気がわかってからも煙草を吸いたいと言っており(禁煙はしていたが)、
当時は正直あきれてしまった。
これは私が喫煙者でないから、彼女の心情はあまりわからなかったのだろう。
病名告知の時点で、種々の抗がん剤が効かなければ、手術の適応にすらならないと言われていた。
がんだとわかった時点でもう左の肺はレントゲン上で真っ白、ほとんど機能していなかった。
この時から、本当は近い将来母が死ぬことはわかっていたのに、わたしはこのことについてきちんと考えることすらしなかった。
残された時間が短いことはわかりきっていたのに、5年後、10年後も母は生きていると信じていた。
亡くなる2か月前、母は治療してもらっていた病院を退院し、自宅療養となった。
母が言うに「医者に見放された」ようだったが、これは現在のがん治療の方針を考えるとしかるべき流れだったのだろう。
わたしとしても主治医に思うところがなかったわけではないが、それも仕方ないことだろうと納めていた。
ことあるごとに、母はこのことについて主治医に恨み言のようなものを言っていたが、そうだね、としか返せなかった。
一人暮らしをしていたが、父や兄弟からヘルプがあり、仕事を辞め、実家に戻って母の介護をすることになった。
少し回復しては悪化し、またそれを繰り返し、だんだんと母はできることが少なくなっていった。
呼吸が乱れて大好きだったお風呂に入れなくなった。
歩けなくなった。立てなくなった。座れなくなった。
オムツを変えて、体を拭いて、食事の介助をして、いつも母の隣にいた。
浮腫がひどく、水分出納バランスを見なくてはならないときにはバルーンカテーテルも入った。
私は看護師だが、所属が全く違うために寝たきりのバルーンはすぐ詰まることすら知らなかった。
母はバルーンが嫌で、少しでも違和感があると、流出は問題なくてもカテーテルの交換をしてほしがった。
ほぼ1~2日おきだったと思う。
訪問看護師さんに頼んで、バルーンキットを何個か家に置いて行ってもらっていた。
母にバルーンを入れるなんて、看護師になった当初は想像もしなかった。
夜中は背中が痛むといって隣で寝ている私にさすってくれないかと頼んだ。一晩に何度も何度も。
さすがに私も眠くて、いら立って「もういい?」と言ってしまう夜もあった。
でもそんなこと、何度だってしてあげればよかった。
死んでしまったらなにもできない。
母が好きだったもの、したかったこと、なんでも話せばよかった。
母の声はどんなだったか、ときどき思い出さないと忘れてしまうのが怖い。
母が何を好きだったのか、どんな夢があったのか、なんとなくしか知らない。
できないことが増えていく母がどんな思いだったのか、きちんと聞けばよかった。
母に何もできなかった。
本当に親不孝な娘だ。
そのレシピは、地元のスーパーにおいてあったチラシに書かれていたもので、
一人暮らしをして以降、実家に帰ると必ず母はからあげを作ってくれた。
母が自宅療養となって、あるときこのからあげのレシピを教えてあげる、と言った。
縁起でもないといって私は聞かなかった。
あのとき素直に聞いておけばよかった。
もう母はいない。
夢に出てくる母はいつも病気になる前の、元気で働き者の母の姿をしている。
病気になったのは夢だったんだな、よかった、と思ったところで起きる。
そして、もう母に会えないことを思い出す。
もう一度母が作ったからあげが食べたい。
いつまで経っても悲しいままだ。
夏至を過ぎました。
・産卵
昼の時間が13時間以上あるのは、8月下旬までなので、まだ産卵は続くかと思います。週一回、産卵床を交換しています。そろそろ、稚魚槽が不足しそうです。
・生体追加
ドライブにいったとき、道の駅で黒メダカが売られていたので、思わず買ってしまいました。12匹で540円。2袋買いました。黒メダカといっても、天然モノっぽい感じ。背中に茶色から金色のラインが入っています。
・インゾフリアの作り方
キャベツを使った料理を作る。そのときにキャベツの芯や固いところを取っておく。後でカットすると面倒なので、ペットボトルの口に入るくらいに細くカットしておきます。
屋外で、ふたがある容器に水とキャベツの芯を入れます。5日くらいほおっておくと臭い水ができます。これが微生物のエサになります。
近所の用水路に水を汲みにいきます。用水路の水は、微生物のタネです。
1.5から2Lのペットボトルを用意します。ここに臭い水を3、用水路の水を7くらいの比率で入れます。キャップをします。
半日陰のところに5日くらい置きましょう。暇なら、毎日シェイクしてください。
今回は、植物性だったのか、ペットボトルの中身が緑色に染まりました。強烈なグリーンウォーターと言い換えることができます。
試しにメダカの針子にあげてみると、注いだところに集まってきます。効果はあるようです。
でも、動画で見たものとちょっと違うので、次回は、別の用水路に水を汲みに行ってみたいと思います。
・スネイルの除去
気温が上がってから爆殖しました。コントロールが効かないので、見つけ次第、取り除いています。スイレンの葉っぱの裏の透明なタマゴも除去です。マツモにタマゴを付けられるととても困ります。取れません。困ったので、タマゴが付いた部分をちぎって、一つの水槽にまとめておき、スネイルが生まれたところで、マツモを回収するプランでいきたいと思います。
1か月くらいかかり、孵化しました。スネイルと比べると増殖はゆっくりです。
・ヒメタニシ
10個買いました。地味に増えています。地味です。買った数と同じだけの稚貝は出たかと。とてもゆっくりです。
・針子槽
本年は、1週間おきに一つ増えています。針子槽の段階では、種類別にはしていません。白も黒も楊貴妃も一緒です。毎週、成長の早い個体を稚魚槽へ移していきます。この次は親水槽となりますが、まだ、稚魚槽止まりです。
背中。
・熊本支援方言プロジェクト|福岡女学院大学・福岡女学院大学短期大学部
「胸に優しき母の声 背中に強き父の教え」
時代遅れの男女分業論。母も父も父母でよかったはずなのに、わざわざ母と父に節を分けた。自然な拡大解釈をすれば、母は強くてはいけない、父は優しくてはいけないと言わんばかりである。
しかし反ナショナリズムの人たちが歌詞を非難したものの、多くのフェミニスト(もちろん全員ではないが)たちはRADWIMPSを叩くことはなかった。
そして「職場に女性が増えたほうがやる気出るし、なんだったら女装とボイスチェンジした男性でもいい」とくだらない発言をしたIT技術者を(女性が技術に劣るなどとは一言も言っていない上、女性に性的要素ではなくただただ声の高さとかあたりの柔らかさを求めているかもしれないのに)「女性エンジニアを性的な目だけで見ている」と拡大解釈して叩くのである。理不尽。
そうですか。とはいえ背中を押したとも押してないとも書いてない訳で、さも息子さんのせいで夢を叶えられなかった様な言い方はどうなんだろうと思った次第です。
会社で業務といえば自分に有利で相手に不利な条件を取引とするもの、いわば戦いのようなもので相対すると敵のようなものになる。
外の敵と戦う圧を逃がす仕組みが会社内になければ自然と減圧方法を自分たちで見つけ出す。
社内には戦ってる背中を攻撃してくる味方がいるべきでないのは当たり前で、その敵を仮想であれ個々に用意できなかったり解消方法を福利厚生として用意できなければ内側のほんの些細な圧の差をストレス発散に使い始める。
会社をやめる理由の一番は人間関係だけど、その内容は業務と関係ないところの擦過が原因であることが多い。
仕事であるといえば頑張れるのだけど、それを台無しにされる関係のない影響を仕事中に受けるとあっさりやる気をなくす。
マッサージに月一ぐらいのペースで行ってて、今日は興味本位で整体専門の店に行ったんだけどさ
まず、店主の声がやたらデカい
電話で名乗った俺の名字をデカい声で叫びつつ「佐藤さんちょっと待っててね!! もうすぐ片付けますから!」と教えてくれる
戸惑っている間に片づけが終わったと声がかかり、施術部屋に通される
部屋と言っても間仕切りは大人の背の高さぐらいしかない(たぶん防犯対策だろう、どこの店も似たような感じだ)
「服のままでもいいですけど着替えも無料で用意してありますから!」
と店主が叫ぶ後ろで別の店員がマッサージを終えようとしてる声がわりとはっきり聞こえてきた
他の客いるんかいと心の中で突っ込みつつ、俺は着替えることにした
シャツの上からぐいぐい押されんのには少し抵抗があったし、疲れも取れない気がした。なんとなく。
よくあるツーピースタイプの部屋着ではなく浴衣タイプの部屋着で、
事前に渡されたアンケートを半分ほど記入したところで
「では、そろそろ!」
はやっ
慌ててアンケートをやっつけ、マッサージ台の上にうつ伏せになった
店主は始めこそ怒涛のマッサージ屋トーク(どこが凝ってるとどう疲れる云々)を店内中に拡散していたが、
いや、ここまでは店の個性でいいと思うんだけどさ
この店主のおっさんがやたらケツを触ってくんのね
施術中ほぼずーっと
お尻の筋肉が疲れてますねーとかほかの店で言われた時もこんなにしつこくケツを揉まれたりしなかった
手が置きやすい腰の方じゃなくて若干下寄り
たぶんリンパを流す意味合いで揉み終わったら体を一撫でするんだけど、
そのときもケツの中心寄りを手が通っていく
いや、そこリンパあるか??
施術中ずっとその調子で、太腿を揉まれる時もやたらケツの中心側を押される
おっさんがちょうど押してないところ(もうちょっと内股寄りか体のライン沿い)にリンパが流れてるはずなんだが…?
俺が綺麗なお姉さんとかならわかる
でもおっさんは別にイカニモな感じじゃない声がでかいだけの普通のおっさんだし俺も普通のアラサーだしで
なんかそういう不純なモノを疑うような状況じゃない
背中で語ってくれたいいお父さんだね
誰かに話すこともSNSで呟くことも憚られる内容のため、『ブログ 匿名』で検索してここに書き落とすことにした。
規約違反で消されても致し方ない。
私はごく一般的な社会人2年目の女であり、現在付き合って5年になる彼氏がいる。
多少女友達とスキンシップの多い中高生時代を過ごしつつも恋愛対象は一貫して男性だった。
中学高校の6年間に渡る長い片思いの末に、情熱的な告白をして理不尽に冷めた後、大学で出会った好みの男性(今の彼氏)に猛アタックした、というのが私の人生における二大恋愛遍歴である。
ただ女体に触るのは大好きだった。
カラオケで親友(巨乳)の胸を揉ませてもらったり、寮のお風呂で友人(爆乳)の乳を揉んだり、サークルの飲み会で女同士濃厚なキスをしたりなどしていた。
このキスの相手がまたエロい体とぽってり唇の持ち主であり、どさくさに紛れてちゅーできて嬉しかったのを覚えている。予想通りふわふわの感触だった。
まあでもこの程度は学生ならよくある体験だろう。オトメの帝国でも散々描かれている通り、女同士はスキンシップが激しい。
もちろん嫌がりそうな相手には触らなかったし、踏み込んだことをする前には必ず許可を取っていた。嫌われたくないしね。
しかし楽しい学生時代が終わり、社会人になると流石に女友達とベタベタするわけにもいかなくなった。就職により友人とは離れ離れ。毎日会う同僚は友達ではないし、年代も違うし、同期は同期だし。
同期には私ともう1人しか女が居なかったため、必然的に4人で仲良くなった。
中でもAとは一人暮らしの家が近くて、かつ趣味も同じだということが判明し、急激に親しくなった。知り合ってひと月もしないうちから家に泊まり合っていたと思う。
昨日も久しぶりに泊まりに行った。
ご飯を食べて、お菓子を食べながら趣味に興じて、夜が更けると当然猥談が始まる。
男のエロ話はファンタジーで女のエロ話はドキュメンタリーと聞いたことがあるが、実際はバラエティ番組のトークのようなものだ。
今までの経験から面白エピソードを次々繰り出して爆笑したり、赤裸々アンケートをとったり、たまには真面目にコメントしたりといった感じで展開する。
○○に抱かれたぁい♡ とかカレピのdickが大きすぎて気持ちいいの♡ いいな〜♡ なんて話はしない。
そもそも大きいdickは女性陣には本気で不評なのである。私は「内臓が掻き回されてるようで気持ち悪い」以外の感想を聞いたことがない。
Aとの猥談もひどかった。
Aは特定の相手を持たず行きずりの男と関係を持ちまくっているので、愉快な話には事欠かない。
最中に体位を3回転させられた男、2時間コースでホテルに入ったのに10分で終わった男、車内でしかしたことがない幼馴染、ペニバンで彼氏を掘ってる元同僚などの話を緑茶片手に聞いていた。
その中で喘ぎ声の話になった。
Aは気持ち良さを感じたことがなく、全て演技で相手してきた。そのため変なタイミングで声を出したり演技過剰になってしまったりするのだという。
「本当に気持ち良くなるの? ていうかイったことある?」と聞かれたので、「なるよ! あるよ!!」と私がイけるようになった過程を懇切丁寧に説明した。
結論は「誠実な男性と回数を重ねましょう」ということになった。行きずりの相手はこちらの快楽まで気にしてくれないよね。
会話の最中何度か興味本位で「どんな演技か見せてほしい」と頼んだのだが、恥ずかしいと断られてしまった。
この時点で夜中の2時。そろそろ寝ようとシャワーを浴びる流れになった。この時「一緒に入ろう」と誘われたため、この子はセクシャルなスキンシップもOKだと判断した私は胸を揉んでいいか尋ねた。
彼女は快く揉ませてくれた。
シャワーを出た後もTシャツ越しにずっと胸を揉んでいた。もうここまでくると完全に性的な手つきになっていた。
さっきの猥談でも「女友達に胸を揉んでもらった時はめちゃくちゃ濡れた」という話をしていたから、行けるんちゃうかなと私も調子に乗ってマッサージを続けた。
胸の突起を掠めたり挟んだりしているうちにAの息が大きくなってきた。
「待って、あつい」と繰り返す声にこちらの息も荒くなる。
「やばいめっちゃ濡れてきた」と宣言されたので「本当?」と寝間着の上から触ってみると、座っていた彼女がガクッと仰け反った。
正直もうここで指が止まらなくなった。
親指でひたすらそこをぐりぐりと押すと、Aは肩で息をしながら倒れ込んだ。
両手で口を押さえて静かに喘いでいた。
演技かな、とは一瞬思った。
私は親指に全神経を集中させて気持ちいいところを探っていた。
自分と同じ体を持つ相手なので、どうすれば良くなるのかは何となくわかる。Aが大きな反応を見せた角度で擦りながら、徐々に下に下げていく。穴に近づくと反応はさらに大きくなった。
しかし少しでもポイントを外すと回復されてしまう。声が止まって呼吸音だけになったら分かりやすいところからやり直した。
これ以上ない、という箇所をしつこく擦っていると突然Aの腰が跳ねた。脚がぐっと閉まる。私の腕を掴んでいる指が爪を立てる。
いったかな、いや分からんな。としばらくそのまま擦っていた。Aはひたすらびくびくしていた。
口を押さえる手が外れ、喘ぎ声がかなり大きく響いていたので、あれは絶対隣に聞こえていたと思う。
反応が落ち着いたので指を離すと、Aは汗だくだった。
「大丈夫?」と聞いたら「のどかわいた」と返ってきた。痛くなかった? 大丈夫? と何回も聞いていた気がする。
お茶を飲ませて、頭を撫でているときもAはずっと肩で息をしていた。
「足に力が入らない」と布団に倒れ込んだ彼女の体を撫でていると、また良い反応が返ってきたので今度は下着の端から指を入れた。
直に触ったそこは本当にぐしょぐしょに濡れていて興奮した。
直接触るとどこに何があるかわかりやすいなあ、とか考えながら再び擦った。流石に穴には入れられなかったけど、さっき以上に声を出して身悶えてくれる姿をみて私は非常に満足していた。
それが終わったらまたお茶のコップを渡して、大丈夫か尋ねて、仰向けになったAを撫でた。
Aはしゅごい、やばい、と呟いていた。
「手が痺れてる」「どこに何があるか分かんない」という感想を聞きながら、穴使わずにこの状態ってめちゃくちゃ感度高いんじゃないの? と思ったけど言わなかった。
演技かもしれないという可能性を捨てきれていなかったのだ。
ハーフパンツから出た太もものあたりをソフトタッチしていると、「そこやばいくらい気持ちいい」と教えてもらった。位置を変えながら爪の先でゆっくり撫でると、Aは本当に気持ち良さそうに身をよじらせていた。
左の膝から上をただ撫でるだけで面白いくらい反応するので、私はまたしつこくそこばかり触っていた。
そのうちに内ももを撫で上げて、また服越しに局部を弄り始めた。
徐々にまた興奮してきた私は脚を固定して閉じないようにし、彼女の上半身に背を向けて下半身に向き合い、両手を使ってひたすら刺激する。
背中に爪を立てられながら「いったかな?」というところまで弄り続けた。
もうAは喘ぎっぱなしだった。口を塞いだほうがいいのかとも思ったけれど、手で塞ぐのも乱暴だしキスするのも変だし、何より声を気にしてほしくなかったからそのままにした。隣の人には本当に申し訳なかった。
最後の痙攣を感じて、ようやく私は指を離した。Aは息も絶え絶えといった様子だった。
汗だくのAは「すごい、足の感覚が本当にない」「もっかいシャワー浴びる」と言ってその場で服を脱ぎ、ふらふらとバスルームに入った。
朝の4時半になっていた。
電気を消したらカーテンの隙間から光が見えたので「朝じゃん」と二人でつっこみながらすぐ寝た。
翌朝(昼)に何食わぬ顔で解散してきたけど、衝撃的な体験すぎて一日中思い返していた。
私は手マンの才能があるのかもしれない! と自信満々にこれを書き始めたのだが、書いてるうちにやっぱり演技だったんじゃないかという疑念が拭えなくなってきた。
演技にしては汗をかきすぎていた気もするし、でも過剰といえば過剰な喘ぎ声だったようにも思う。
次があれば指を入れてみたい気持ちと、行きずりの男にも全力でホスピタリティを与える優しい彼女を私の自己満足のために長時間付き合わせてしまったことへの後悔が交互にやってくる。
足腰立たないのはリアルだった。
やはり彼女は演技を見せてくれたのかもしれない。
終わり。
YDKとは、Yやれば・Dできる・K子と言う意味です。学習塾のCMでこのフレーズをいいながらダンスをしている所が
インパクトもありましたし、ダンスの曲が耳に残りやすい所から今では中高生の間ではお馴染みな言葉となっています。
YDKの使い方としては、勉強や運動などができなくて、もたもたしている時に「君はYDKだから大丈夫」と背中を
旅行が苦手。というか『お泊り』が苦手だ。
小さい頃、姉がお友達の家にお泊り会に行った時、親が姉をわざわざ連れ戻して叱り飛ばしたのが原因だと思う。(最近になってあれは保護者のいない小学生だけのお泊り会だったと知り親は正しい判断をしたなと感じた)
まぁ、それがキッカケで泊り=怒られるの図式が出来上がってしまった幼い私は鬼以上に怖い父親の存在もあり、泊りには一歩踏み込めない人間になってしまった。
だけど大人になった今、高校からの親友2人と行く夏の旅行。同人友達と行く冬の旅行。それは私の人生においての一大イベントだった。
日頃から仕事終わってもすぐ帰宅、同人誌の原稿!で出かける事が少ない私は1年に数回のそれが楽しみすぎてしょうがない。そのせいなのか、数年前から旅行前に体調がおかしくなる。
まず胃が悲鳴をあげて食べ物がろくに食べられなくなる。何を食べても吐き気、お腹が減っても吐き気どちらにしても吐き気に襲われて何もできなくない。吐き気恐怖症なのでめちゃくちゃツライ。
旅の1週間前くらいからは熱が出る。交通費や予約したチケット類がダメになる…行けなくなったらどうしよう…の負のスパイラル。ダルいし生きてるだけでしんどいゾーン。このあたりからはパン、米、ヨーグルト、野菜を少量しか受け付けない。(年明けの旅行では白い便が出て怖かった)
やばすぎる体調も旅行当日の午前中から徐々に回復する。毎回そんな感じの繰り返し。
何が原因なのか。
楽しみすぎだから?
毎年夏恒例の2泊旅行、体調不良と吐き気が怖くて今年は泊まりはやめて貰った。
楽しみにしている友人には悪い事をしたと思う。
先日は旅も泊まりも関係ないが映画館で猛烈な悪寒、吐き気と気持ち悪さに襲われた。倒れるかも……と思いつつ背中にカイロを貼って膝掛け2枚使ってなんとか乗り切った。映画が終わって帰る頃にはピンピンしてた。
もう楽しみとか関係なく体調ヤバくね?と感じたのはこの頃から。
それから吐き気や体力不足、風邪などと戦いながら同人誌の原稿も進める。鬱一歩手前って感じだった。何をしてても楽しくない。ここ半年くらい外食もやめたし体を冷やす物を食べるのもやめた。あれだけ好きだった趣味の映画観賞も怖くて行けなくなってしまった。
推しの作品は最終回を迎えてロスが凄くて余計に体調を崩した。情緒不安定ですぐ泣くようになった。寒さに対しての防御力が異常に低くなっていた。体重も4キロくらい落ちた。
色々と体調の事をネットで調べたら自律神経だってどこでも言われるから、手軽に運動しよう!とラジオ体操、筋トレ、ストレッチを始めました。夏前に体力付けないとやばそうだったし。低体温も改善しようと色々試行錯誤中。
続けてもうそろそろ1月になるが、食欲は結構回復、お肉が美味しく食べられるようになって嬉しい!久しぶりに出かけたいと思って可愛い服を買いました(これまでは吐き気が怖くて暖かさ重視だった。)
それでも大きな進歩だなって思う。
ただ体力不足はまだあるようで、昼食しっかり食べても3時に何か食べないとふらふらして吐き気もするからおやつは必要。
朝昼晩の食後は30分間はじっとしていないと胃が悲鳴をあげる。
原稿がやばくても夜更かしはできない。
そして吐き気に襲われるのが怖くなってこれまで月一で遊んでた友達ともここ半年はあまり遊ばなくなってしまった。
もっと会いたいなー!って調子が良い時は思うけれど一度体調が悪くなるともう動く事すら怖くなって家でじっとしていたくなる。
こんな私でも会いたいと、今年の旅行は日帰りで良いと言ってくれた友人。
1ヶ月先の旅行…体調を崩さず当日を迎えられますように。友人に迷惑をかけませんように。
そもそも世間一般の人は旅行前に熱がでたり吐き気に襲われたりしないのかな?
最近では同人イベントですら怖くって体調崩しかけるようになってしまって…逃げ場がない感じがとてつもなく怖い。
どれも楽しみな行事だから行きたい。体調を崩すのが怖い。不安で不安で行く前はその事ばっかり考えてしまってどうにもならないし、他の人に相談しようにも「気にしすぎ!」「行って帰ってくるだけなのに?!」「たかが泊まりじゃない」と言われてしまうから改善策なんてわからない。
こうしたら治るよ!とかあればだれか教えて欲しい。
数年前の自分の体調に戻りたい。
何を聞いても「増田ちゃんは何したい?何食べたい?」と聞いてくる。
会話の基本がオープンクエッションになっていて、答えるのが少々面倒くさい。
私は食べたいものを伝えるけど、「和食と洋食どっちの気分?俺はね~」とか聞いて欲しい。
先日、3度目のデートがあった。
デートの後「僕たち、付き合うってどう?」と聞かれた。
「ぼ く た ち 、つ き あ う っ て ど う ? 」
……付き合うってどう?何が?どういう事?
僕と付き合ってください!っていう事?なんで疑問系なの?
「付き合ったら将来どういう風になるかな?」というのの略語だったりするの?何なの?
色々考えたあと、ごめんねと断った。
遅筋は持久力、速筋は瞬発力。
赤 身 の 魚はこってり味で、マグロ、カツオ、サバなどの回遊魚に多く
白 身 の 魚は淡白な味で、カレイ、ヒラメ、タイなどの根付き。
そして、いよいよ、青 魚。イワシ、サバ、アジのように背中が青い魚の総称。
ただし、前述の体側筋分類法でいくと、これらは全部、遅筋。つまり、イワシ、サバ、アジは赤 身 の 魚になっちゃうんだよなあ。ややこしや。
そして、背中分類法でいくと、マグロやカツオも青魚。どっちかって言うとお値段的には高級魚に分類されるんだけど、実はサバ科。
以上です!!
上司に会ったら、あ、背中に埃がといってとってあげるふりをしながら
増田さんの鼻くそでもつけてあげて、気持ちを落ち着かせましょう。
ここを論点に据えてないから「愛国心そのものが危険」みたいなこと言っちゃう奴が出てきて
比較対象として、菅田将暉の「見たこともない景色」を例にしてみよう。
この楽曲自体「おっ、RADのパクリか?」と思うほど、歌い方やアレンジがRADくさい
RADの野田は影響されやすいメンタルなので、この曲に対抗心を燃やしていたのは間違いないだろう
で、この曲のサビがすごい
“
泥臭くていい
かっこ悪くていい
同じ景色を見よう
゛
なかなか右翼的だなと、当時は衝撃を受けたのだが
それに対して今回のRADのHINOMARUの何がやばいのかと言えば
さらには「御国」「御霊」というガチの右翼感とガチの宗教感を押し出したことにあるだろう
明治~昭和初期、民族主義、ガチ右翼とガチの宗教がミックスされるとそこに導き出されるのは靖国である
HINOMARUは非常に戦時中を意識したように聞こえるし、加えて新興宗教靖国神社を連想させているから
気持ち悪いのだ
愛国心と言いながら、日本を大きくとらえられていない感じがネトウヨくささを感じさせる