はてなキーワード: 背中とは
「最近疲れやすくて〜」とか「もう年だよね〜」みたいな話になった
冗談みたいな感じで「そうなんですか〜じゃあ肩でも揉みましょっか?w」
ってな感じで返したら「ほんと〜?wお願いしちゃおっかなw」
と返ってきて、肩を揉んであげることになった
肩甲骨の方を圧してほしいということになった
やった事がある人には分かると思うけど、肩甲骨に沿って圧していくのは
自然と、自分の手は肩から撫でるように降りていき、人差し指から小指を
おばさんの脇の下の背中側に添えるように配置し親指で圧していくようになった
最初はおしゃべりしながらだったのだが、段々と口数が少なくなっていった
気がついたら自分の手はおばさんの脇の下の深く、ずいぶんと際どい所にまで到達していた
くすぐるように、撫でるように、そっと手を遊ばせた
理不尽なことで怒りをカッタことがあった。ものすごい叱責と責任追及だった。
どうしようもないクズ相手と考えるようにしたり、気の持ち方を変えてみようと工夫もした。
再度、同じような目に遭ったら、相手をぶん殴ってしまうかもしれないと感じて、意識的に避けるようにしてきた。
しかし、再会してしまうのだ。同じような状況で。過去の状況が鮮やかに蘇る。
どうしよう。殴ってしまうかもしれない。自分の感情に恐怖が沸き起こる。
周りに相談したが、モトモト風通しが良い職場ではないので、感情の溜飲を下げるくらいの効果しかない。
相手との会議が始まる。シドロモドロで報告。絶対にクル。相手を見ることもできない。
ところが相手は、何事もなくスルー。直ぐに次の報告を促して手元の資料を見ていた。
なんてことだ!この数日の憂鬱さ、恐怖は何だったのか!今度は相手への怒りが抑えられない。
今回も同じ状況だったのに、あの叱責は何だったのか!キチンと説明してみろ!自分は絶対に忘れないからな!
手のひらに爪が食いこむくらいに自分の握った拳が震えていた。汗で背中が濡れていた。
どうにか怒りが抑えた自分には、疲労だけが残り気分がとても悪くなる。怒りで気分が悪くことは初めてだ。
過去のあの出来事を相手は忘れているのか。そんなハズはない。それほど時間も経っていない。本当に忘れるのか?
周りは、そんなコトもあるよ。と言う。相手の怒り方を見ていたはずだろう?時間が経ってもいないし、あんな状況を忘れるって?
そうだとしたら、これは「罪」だ。
忘れることも「罪」になるはずだ。
「ぼーくらのもゆるみーたまは~♪」
「だっさ」
「…」
「だっさだっさ」
「なんかごめん」
「謝んなくていいよ…だっさだっさださだっさ!」
「…」
「だっさだっさださだっさだっさっさ!!!」
反応見てる限りは「ださい」と言ってるだけの人には対しては1ミリも謝ってないようなので「ふーん」でいいと思う。
私も子どもを持つ前は「虐待なんてあり得ない!!」と思ってたし、不妊治療中は「そんな親ではなく私のところに産まれてくれば良かったのに…」と泣いたこともあった。
数年の不妊治療を経て念願の第一子を授かり出産したあと、精神的に不安定になり(今思えば産後鬱)、子どもに危害を加えようとする寸前までいった話を載せます。
虐待はもちろん親が悪いけれど、でも、母親を一方的に攻めるだけでは、虐待の根本を解決できないんじゃないかな、という提言。
でも、初めての育児は想像以上に大変で、出産後数ヶ月は泣きまくっていた。
マニュアル人間な私は、妊娠中から育児書を読み漁り育児に備えていたが、まあ育児書通りに育児が進むわけではない…と、今なら普通に思えるけど、当時の私は、ずっと努力型優等生な人生を送っていたのもあり、何でこんなに育児書通りにやってるのにその通りにならないの!?とパニックの連続だった。
どんなに頑張っても母乳が出ない!
どんなに頑張っても泣き止ませられない!寝させられない!
そして、旦那と同居の義両親によって更に追い詰められることに。
同居の義両親には「母乳が出ないのは栄養が足りない、餅を食え」←母乳神話に更にプレッシャー、「そんなにすぐ抱いたらダメよー」←今は亡き抱き癖論に更に追い込まれる
唯一の味方であるはずの旦那は、当時仕事の繁忙期もありイライラMAX、夜泣きすると「うるさいから部屋を出てけ!」と言われる←今ならバカ旦那に言い返せるけど、その時は(泣かせる私が悪いんだ、迷惑かけないようにしなきゃ)と更に自分自身を責めた
想像していた"子どものいる生活"とは真逆で、毎日がとにかく辛かった。
そんなある晩のこと。
昨夜も夜通し夜泣きでほぼ一睡も寝られず、翌朝には義母に「昨日も良く泣いてたわね~、抱き癖が(以下略)母乳とミルクじゃあやっぱり母乳の方が(以下略)」と言われたその夜も夜泣きが酷く、横で寝ている旦那が舌打ちする中、私はこれ以上泣かせまいと必死に抱っこしていた。
抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが入りギャン泣き→抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが(以下略)
せめてもと、壁に寄りかかり座っての抱っこを試みるも、あえなく撃沈。
抱っこゆらゆらしか通用しない状態が続き、昼間の義母の話、イライラする旦那の顔が浮かんで数時間。
ふと、ある考えが頭をよぎった。
ベランダから落とせばどうなるかとか、そこまでは考えられなかった。
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない、的なノリでそう思った。
ただ、泣き止ませられる!という一点での解決方法が思いつき、目の前がパァッと明るくなった感覚は今でも覚えている。
この状況を打開する、たった唯一の解決法が見つかったと。希望の光だと。
数秒後、(いやいやいや、死んじゃうよ!!ダメダメ!!)と我に返り自分の思考回路のヤバさに気付き、このあとめちゃくちゃ旦那を叩き起こした。ストレスや抱えてたものを泣きわめきながら吐き出したった。
旦那はこの時初めて私が悩んでいたことを知ったようだ(おせーよ)。
そのときの子どもも、今ではすっかりお兄ちゃんになり、もうすぐ小学生になる。
当たり前だけど、あのとき閃いた名案(その瞬間はそう思っていた)を実行にうつしていたら、今の幸せはなかったと思うとゾッとする。
どうなの?
いま詳しく教えてくれている営業の人がいるんだけど、その人以外に相談できる人がいないから知識のある人がいたら教えてほしくて。
内容としては
大阪市内の駅チカ単身用物件2000万弱をフルローンで買って、老後の収入源、あとは生命保険のかわりとして運用するっていう話。毎月の収支は▲1万くらい。
投資と言っても家賃で副収入を得たり、売買で利益を出したりとかではなく、長期的に所有して将来や万一の時に備えるためのものだそう。
だから利回りのいい物件ではなくて、立地のいい設備の充実した単身向けマンションにして、空室リスクを抑えるらしい
ちなみに自分の現状は
年収は430万、大企業ではないけれどもそれなりに名のある会社なので融資は受けられるみたい。
いままで保険とかは何もしていなくて、いつかやんなきゃな〜のままズルズルきた感じ。
営業の人がすごく親切でわかりやすい説明をしてくれたおかげで、メリットデメリットも自分なりには理解できたのでやってみたいという気持ちはすごく出てきてた。
ただ実際に手元から離れるわけではないとは言え、1000万超のお金を動かすとなるとビビらないわけなくて。
早い話ただ背中を押してほしいだけなんだけど、押してくれる人が周りにいなくて。それで増田ならと思ってこうして初投稿してます。
※著しく低い語彙力
※実話
受験も就活も平坦にあっさり進んできて、虚無感と心の中のもやもやとか性的に希薄だった過去が重なって、人肌に触れたいゲージが限界を超えたので半ば思いつきで見つけたお店に行くことに
よくもまあ人見知りな私が風俗に行こうって気になったなぁとも思うけど、就活で無駄に自信がついた行動力が背中を押してくれた
思い付きで某駅に到着したときに、指名できる女の子が一人しかいなくて、しかも写真では正直よくわからなかったので、部屋で女の子を待っているときが一番緊張してたかもしれない
それでも、入ってきた女の子は写真より可愛くて、第一声で私に可愛いって言ってくれて、恐縮しながらも安心できた
過去にしたおざなりな性交や普段の適当な自慰から今回、射精しようなんてことは最初から考えていなくて
触れ合っている過程でお腹いっぱいになれればいいと思っていたんだけど
はじめて目の当たりにしたおまんに夢中になっちゃったりとか素股の破壊力とかがすごくて知能指数が下がり気味になってしまった
でも、それよりも、話しているうちに今まで誰にも言えなかった弱音とか心のもやもやとかが止まらなくなっちゃって
それでも女の子がぜんぶおっぱいで受け止めてくれて、頭をよしよししてくれて
今までされたことないやさしさにただただ甘えることしかできなくなった
最初は可愛いって言われても恐縮しちゃってたのに、いつの間にか可愛いって言われることが嬉しくなってる自分がいて
私の中でのピークは、目があいながら手をつなぎ素股されたときで、メス化してイってた感覚になってた
「この関係」だからこそのプレイだったけど、「この関係」だったからこそ自分の弱みを出せたのかもしれないし、「この関係」限りの好きに近い何かは私を救ってくれた気がする
追記
とにかく長いよ。
撮影業界に希望を持ってる若い子に、やめとけって意味で書いてみた。
テレビや映画って華やかで楽しいイメージを持たれがちだけど、圧倒的なブラック。
よくブラック企業が〜って言われるけど、労働の違法性と過酷さならダントツでブラックだと思う。(サラリーマンとしてブラック企業で二年働いた上での比較)
①休みなんてない
作品に拘束されたら撮影期間中は休みなんてない。例えば四ヶ月間拘束されたら一日も休みなく撮影撮影撮影(撮休日というのが一週間に一度くらいあるが、その日も準備で拘束される、撮影がないだけ)
お金のない作品なんかについたら、スケジュールに余裕がないから、朝は5時に集合、6時に出発、ロケ現場で8時から撮影、日が落ちる6時には撮影撤収、戻ってセットで撮影か、ナイター撮影がある場合は天辺を越える。
例えば22時に家に帰ったらまた次の日は5時に集合、これが何日も繰り返される。
スケジュールの急な変更なんて普通、明日のことは前日にわかるし、例え一週間のスケジュールがでていても一週間後のことなんて確約できない。(天候でスケジュールは変わるし、撮影が順調に進まなかったらどんどんスケジュールはきつくなる)
だから、ここ五年、友達との誘いはとにかく断ってばかりだった。
「今日飲める?」っていう誘いを、わからないと言って断るのが一番辛かった。
わからないってなんだ、今日飲めるかどうか、そんなこともわからないのか。
撮影は17時に終わる予定だが、撮影は押すかもしれない、予定通りに終わるかもしれない。17時に終わるとスケジュールには書いてあるが、撮影が押し押して押してなぜか22時に終わることもある。馬鹿なのかスケジューラー(スケジュールを立てる人、毎日、毎週、一ヶ月のスケジュールは紙で配られる)、そんな甘い読みでスケジュール立てるんじゃねえ!だったら最初から22時って書いておけ!17時に終わるって書いたから、お弁当を頼んでなかった制作部の女の子が慌ててコンビニに50人分のおにぎり買いに行ってるだろ、可哀想に!!
もちろん飲みにはいけなかった。
②老害が多い
とにかく高齢化社会。
この業界の違法性の高さの原因がフリーランスが多いってところにある。
カメラマンも監督もデザイナーも制作部も、とにかく上の役職のやつらがやめない。70代になっても現役、トップ。退職とかないからね。
だから、60代になって始めて監督やる人や初メインカメラマンとかふつうにいる。
若い奴らはとにかく弟子入りしたら我慢、我慢、我慢、ジジイどもが死ぬ、はいデビュー。60代で初メインとか感性死んでるだろ。
映画もテレビもエンターテイメントの世界なのに、辛く地蔵のように耐えて、50、60代でデビューして、温めてきたアイデアに面白さなんてあるの????
もちろん20代や30代でデビューする人もいる。そういう人は、脚本や自主制作で賞を取っている人が多い。若い監督が自分の同期の若いカメラマン(殆どカメラマン経験なし)を起用して映画を撮ったりする。もうそれしか若手で映画を撮れる機会なんてないんだよ。
今の映像業界で弟子入りみたいな形で名カメラマン、名監督の下についたって、こき使われて、いつまでたっても下っ端のまま。運良くチーフになれたって、プロデューサーに気に入られなければデビューできるかなんてわからない。50、60代でデビューできるのも一握りなんだよ。
③お金がない
とにかく五年間で一番聞いた話がこれ。
お金がないから良い映画が取れない、そんなお金がない映画で客に見放される、お金がとれない映画にお金は払えない。
老害が多いって言ったけど、お金がないお金がないって一番いうのはこの爺さんたち。
「昔はよかった、お金があったからこんな豪華なセットが建てられた、お金があったからこんな挑戦的に作品が撮れた、今の日本映画はダメだ、これからは中国だよ」
ジジイのボヤキがとにかくうざい。
そんなに日本映画はだめだと嘆くならとっとと辞めろ。
昔より少なくなったと老害はいいますが、普通に殴られますけど?
頭を叩かれるのと蹴られる暴力に入らないらしい。平手打ちはよくされる。
暴言もすごい。
死ね、クズ、早く辞めちまえ、暴言と暴力の嵐、自分たちも下っ端の時に受けていたから感覚マヒしてるんだろうね。
逃げたくなる気持ちもわかる、殺される前に逃げろ、って感じ。
ちなみに俺は土手で作業してたら背中蹴られて土手を転がり落ちた。先輩は笑ってた。異常すぎる。
とりあえず総括すると、
撮影予算がない、慢性的な金不足によるこの業界への先行きのなさに対する鬱屈とした空気、若手の成長を阻もうとする老害のパワハラ、謎の年功序列、蔓延る暴力、なにより奴隷のような長期拘束っていう感じ。
まともな奴から辞めていく。
だって外には普通の仕事沢山あるし、売り手市場だから。こんな業界辞めたって生きていける。
最近の若者は根性がないってジジイ達は言ってるけど、若者を育てる気がないし、若者の希望を搾取して奴隷のようにこき使ってることに気がついついない、自分たちもそうやって育ってきたから。奴隷のように扱うのを権利だと思ってる。
でも昔と違うんだよ、こんな環境まともな奴ならいつくわけない。
今はネットで配信もできる、自主制作しやすくカメラも安くなっている、撮影業界で下積みしなくても、デビューできるやつはできるんだよ。
胸ごと背中に行ったのかと思った。