はてなキーワード: 管理者とは
彼にとっては、さぞや無念だったでしょうが、とことん話を聞いてあげようと思います。まずは、そこからだと思います。
管理者側としての苦悩もできるだけ伝えます。セクハラリスクは年々増加しているわけですから……
起業したのは三年前。友人と一緒に始めたが、自分が本業があるので資本金だけ半分出した。
現場にはほぼいないが、雑務を引き受けることで月に一万で一緒にやることになった。
社員同士が揉めにもめ、管理者の友人の監督不行き届きで退社トラブルが相次いだ
慌てて人材獲得業務に走り何とか切り抜けたり、業績が下がると営業しない友人に代わって走り回った。
口ではありがとうというがそいつは月に40万もらっている。開業から、赤字なのにと責めてもスルー。
呆れて何度も辞めると告げたが、そうすると懇願してくる。元は友人、開業すると決めたのもそいつを
助ける気持ちからだった。しかし次第に、現実を突きつけられる。
管理者としての能力が全くない。現場での仕事はそこまで悪くないが経営者としても
管理者としても責任感とリーダーシップが無い典型的な公務員タイプだった。
見抜けなかった。
自分がコンサルして動くとあっという間にV字回復。翌月から黒字になった。
そうすると何かにつけ頼ってくるようになり感謝の言葉こそあるが月に一万は変わらない。
事情を知っている私の周囲は全員もうやめたほうがいいのではと
勧めてくる。
でも友人だから見捨てることはできなかった。せめて、営業の仕方、経営の仕方を教えてから
そう思ってやってきたけれど、そいつが手柄はすべて自分のものにして
愕然とした。
それで退任することにしたんだけど、スタッフも事情など知らないので
みじめ。
それで、最後にそいつがいかに図々しく、強欲なことをしてきたかを
友人に確認してスタッフルームのスレッドにそのことを投稿していいか
聞いたら、いいよって言ったので載せた。
スタッフはそっちに気を使って、お疲れさまでしたとかスルーする返答で
幼稚なことをしてしまったのかも知れないが
勝手に怒って辞めてった無責任な共同経営者って思っちゃうだろうし
人に期待するのは間違っているなと。
友人のことを嫌いになれない、そういう甘さが
今回のことを招いているんだと思う。
チームメイトを止められなかったんだから反省しろ。気づかなかったのならアンテナの低さを反省しろ
難癖すぎだぞ
部員は100名以上いるんだぞ
これはそう。責任取る必要は全く無い。ただ、反省については別。
本当に全く知らなかったなら反省する必要ないけど、やってる奴を知ってる場合とか、噂だけでも知っていたなら、多少は反省すべき。
指導者とか、管理者側は知らなくても反省すべきだし、責任も取る必要ある。キャプテンぐらいだったら知らなくてもギリ反省はする必要あるかなと。
ちなみに昨年11月に情報が寄せられてて、その後部員に聞き取り調査してるって事は、2年生以上は全員知ってるって思っていい。
2年以上が全員知ってるってことは1年も知ってる可能性が高いと思う。一般的に考えて。
別にまったく知らなくても反省はしなくてはいいが、アンテナは低い。
薬物検査すれば満足できる?できないよね
過去にやってただろとか言い出すよね
まずは検査するのと、全員に聞き取り確認。交友関係とか調査すれば、結構炙り出せると思う。
で、第三者報告書とか出てきたら、まぁ満足っていうか、やっと現状認識出来るからそこから再発防止策を作りましょうって感じ。
まぁ確かに、潔白を証明するのは厳密には無理だろうな。悪魔の証明になると思う。
まぁ行動するのは全く問題ないけど、あんな行動じゃ廃部回避はできない。甘いもんは甘いんだからそう言われるのはしゃあなし。
廃部撤回したいなら再発防止策を出さないと。学生はこんなにも甘い生き物なのかー
いやそれは管理者側のやることだろ
管理者側がやることだと僕も思うが、でも再発防止策が無いと廃部撤回は無理なんだから、廃部撤回させたいなら、管理者側を巻き込むとか、もしくは自ら再発防止策出さないと無理。こんなんも出来ずに廃部撤回したいとかは甘すぎとしか言いようがない。
うちも⚪︎⚪︎で廃部になったよ
何も抗わなかった結果ですよね
だからなに?
これについては、言いがかりでもイジメでもないやんけ。お前こそ言いがかりしてきてるやろ。って感じ。
別に自分語りしてもええやんけ!ブコメで自分語りくらいさせろーー!
嘲笑ってるのが丸わかりなんだよ
アメフトを続けたい人にとってはトップリーグに参加できない影響のデカさがわからんのかね
別に廃部は仕方ないとしても
即刻他の大学へ編入させてあげるとか救済方法はいくらでもあるよね
ほんと自己責任論者ってクソだわ
これは確かに嘲笑だよね。こういうのは僕も言わない方がいいと思う。
あと他大学へ編入斡旋とかは、日大がちゃんとやるべきだとは思う。でもまぁ法的にやらなきゃいけないとか、そういう仕組みが既にあるってわけじゃ無いので、斡旋がない可能性高い。
で、僕からの提案としては、日大のせいでトップリーグに参加できなくなったって事で、大学側訴えたらどうでしょうか。(上手くいくかは、全然わかんないけど)
このタイミングで「僕は何について反省すればいいですか?」なんて発言をしちゃう奴には廃部撤回まで持っていく力は絶対無い。
なので、99.9%廃部だと思う。残りの0.1%は日大の理事会の意思決定が常軌逸してることがあるので、ほんの少し撤回の可能性あるかなって感じ。
まぁ、あの学生たちだけだと廃部撤回は無理だと思うから、ちゃんと再発防止策作れる人とか、関係各所と調整ができる人を巻き込むのがオススメです。
教師の本分は、児童の学習と成長に奉仕するための教科指導と生活指導に注力することだから、それ以外の雑音に悩まされるなら学校管理者の問題だし、本件の対応の決定を教育委員会が引き受けてくれるならそれで良いじゃん
「公立学校教育の基本理念」って言ってるけど、嵐であれ大谷翔平氏であれ、学校の主たる機能である児童の学習と成長の補助輪であるための教科指導と生活指導に関係することないから、仮に学校単体で学校管理者がどう処分するか考える必要があったとしても困ることないでしょ
困ることがあるとすると、上記の本分から外れた外野からの雑音と妨害によるものであって、寄付した大谷翔平氏や、寄付されたグローブとは、全く関係の無いこと
元増田は、学習指導要領に基づく学校の目的と教師の本分(教科指導と生活指導)に立ち返って、問題の所在をきちんと切り分けるべきだと思う
# 嵐の写真集はどういう教育効果が期待された寄贈されたものなの?良く分かんなかったら、公立図書館に寄贈すれば適切に処分してくれるんじゃないかしら
マネージメントが死んでる会社、どうでも良い仕事なら別にスキルがあろうがなかろうが何歳だって休めるぞ
そもそもホワイト企業とかいうなりすまし出来ていない妄想なので
アットホームな職場ですをブラック企業ではなくホワイト企業と定義するならば別だが
何度何度も言うが、そこそこ給与いいところはだーれもカバーなんてしないぞ
余人をもって替えがたい三顧の礼で迎え入れた人材ならばともかく、
『どうぞどうぞ。でも戻ってきてもオメーの席ねーから❤︎』(ニコニコ)で日本ではなく、世界中で終わりだぞ
籍はあるけど席はない。この違いお分かりになりして?
中小・ベンチャーで定型業務やらせてるだけなのに、公私混同の馴れ合いでマネージメント崩壊している職場のが、
育休が公務員並みにとれる
コンビニバイトの穴を埋めるコンビニオーナーみたいな土色の顔して突発休・遅刻を埋めてた管理者の男の子めちゃくちゃ可哀想だった
キミ騙されるよ(会社に都合よく使われているだけ)って何度も言おうと思ったが、
上司が1%でも上に引き上げてくれる可能性があり、本人が納得しているなら、外野がどうこう言うことじゃないので見守った
プロジェクトマネージャーとは言っても、実際やっているのはコンビニのバイトの穴埋めみたいなもんだったが、
https://note.com/000gwen/n/nd2d09053cc18
以前からトランスジェンダー当事者として発信を続けていたアカウントの次のようなツイートが、日本語圏のSNSで「シスジェンダー女性の性的・身体的安全を脅かすトランス女性」への不安を裏付ける証拠として取り上げられ、繰り返し参照されることになる――
「あたしとか、チンコまたにはさんで、「ちーっす」とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?」。
これが実話であったにせよ、あるいは発言者が後に説明したようにフィクションであるにせよ、ここで語られているのは女湯に入ったことが問題にならなかった/なっていないエピソードであり、その意味でこれは視認/露見detectionを免れて女性として通用した話にほかならない。女湯にいた他の女性客は、またにはさんだペニスを視認しなかったか、あるいは、(それを好ましいと思うか思わないかは別にして)ペニスをまたにはさんだ状態で風呂を利用できる身体との女湯における「選びとられたわけではない近接性」を共有してその身体を女湯を利用する身体として通用パスさせ、後から管理者に通報したり苦情を述べたりはしなかった――明らかにこの話のポイントはそこにある。
あたおかやね…
音声認識+動作認識(モーションキャプチャ)でお願いしたい。
解錠するときの呪文「我が施し静謐なる我が領域を護り安寧を維持する封印よ、我の求めに応じその戒めを解き放て。我は汝の生き様を定めし管理者である。Release rock your sealed!」
施錠するときの呪文「我は我が領域を隔てる汝に命ずる。安寧を維持し静謐を保ち、再び我が求めるまで汝は封印となれ。我は汝の生き様を定めし管理者である。Rock your sealed!」
これを、定められた動作(九字を切ったり腕を振ったり、小型のワンドを振ったりするのも良い)をしながら唱えるくらいしないとセキュリティ的に危ない。
昨日見た夢は車が壊れる夢だった
助手席に人を乗せて走らせて、別の車と合流すべく待ち合わせの公園に行くが、エンジンのボタンを押してもエンジンが切れない
あれおかしいな?と思ってるとそのうち停止した
助手席の人になんか車の調子がおかしいかもって言うけど大丈夫じゃない?って言われる
念の為もう一度エンジンをかけて切るも、やはり切れずにゆっくり走り出してしまう
ブレーキも効かなくなった
しょうがないので壁に押し付けて止めることにするがギリギリでエンジンが止まってなんとか助かる
一番近くの整備会社に電話するも症状を説明すると無言になりやがて電話は切られる
夕方になりもう一旦車はここに置いて週明けにもう一度なんとかしようか?との結論になるも公園の管理者がきて放置するんだったら通報すると言われ
このへんで目が覚めた
私は医療経済・医療政策系の大学院を修了して地方病院の部長職をしている医師です。
医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティでエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。
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そもそも、社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモードな人生をノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後に国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料で医療を享受できるようになっていった。
全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我や事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療を必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。
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1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。
増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策で受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国の比較によれば、日本は単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知と神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。
日本は世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベースの医療制度を改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。
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その一例として、過剰な医療サービスを提供している、と感じることはしばしばある。
例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10日入院して、いざ退院、となったが家族の仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らしで医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県の後期高齢者広域連合から病院に支払われる。
病院経営の立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分の給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会的入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。
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増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。
詳細の説明は省くが本来は新規薬剤・治療の費用対効果を検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというものだ
その閾値は1年間、健康な生活を維持するのに500万円程度とされる。透析の治療費がだいたいこれくらいだ。
増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設も施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。
結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者の医学的な状況、患者の希望、周囲の人の思いや地域の社会資源、QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的な意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院や診療所、訪問看護ステーションなどの施設の管理者は自分の経営方針が持続可能な医療制度と矛盾しないか、地域のニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職は無能だ。
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つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全の患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者は国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。
苦しくなっても病院に入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。
繰り返しになるが、これからの医療は必要な医療を、その人の価値観や意志を尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。
社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。
組織のルールで明確に「残業は月45時間。年間で360時間ですよ」と決まっていることを毎月のように周知しているのですが、全く守る気のない部下を多く抱えており参っております。
本人たちは強い責任感を持って業務に邁進しているという感覚なのでしょうが、「頑張ろうという気持ちさえあればいい」とダラダラ残業ばかりされては昨今のコンプライアンス的には大問題なのです。
どこかでクオリティだったり、人の良さだったりに見切りをつけて、スピード感を持って業務を終わらせるくせをつけて欲しいと感じ、日頃口を酸っぱくして「どうしたらもっと早く出来るか考えなさい」と指導しているのですが、まさしく蛙の面に水としか言いようのない状況です。
毎月の残業時間申請をするたびに、上司に呼び出され「いつになったら改善するんだ。改善する気があるとは思えない」と言われますし、時には更に上の上司から「組織の方針で決まっているものを守らせられないのは管理者としての怠慢である」と自分のことを棚に上げて言われるのにもいよいよ我慢なりません。
結局のところ、ヒト・モノ・カネに限界がある以上はどこかで鶴の一声を持ってして「クオリティか量のどちらかを諦めましょう。我々は十分頑張りました」と言っていただかないことにはどうしようもないわけですが、組織のトップに近づくほどに「自らに課された責務を最優先するという気持ちがなにより重要である。休みが欲しいだの早く帰りたいだのと権利ばかりを主張するな。まずは義務を果たせ」と言ってくる癖に、いざワーク・ライフ・バランスの話になれば「なぜもっと早く帰らせないのだ。計画的に仕事をしていないのが悪いのだ」と好き放題言うのだから勘弁して欲しいものです。
ですが上の言う気持ちも分かると言いますか、最近の若者、Z世代やゆとり世代というものはどうも「最低限度の仕事」というものを軽く見積もっていると言うか、ツメの甘さが目立つ所があり、こちらも「最低限はやっているんだから、もうちょっと手を抜いてもいいんじゃないか?」とは言い出しにくいものがあります。
ゲーム感覚というかクイズ感覚というか、「仕事というものは任された以上は一所懸命で完遂させねばならないのだ」という気概が感じられないのです。
分からないなら人に聞く、人に聞く前に自分で調べる、調べたり教わったことはちゃんとメモを取る、何度も何度もヘラヘラと同じことを聞いたり同じ間違いをしない、そういった我々の時代であればゲンコツがいつ飛んできてもおかしくないような「社会人としての当たり前」が出来ていない。
出来ていないと言うよりも、「しなければいけないことをそもそも知らない」という印象があります。
そういった彼らの意識がどこかで甘えを産み、仕事のスピード感を奪っているのだろうなと感じつつも、コンプライアンスに厳しいこの時代、彼らの目を覚まさせるのに愛の鞭と言えるものはたとえ言葉であっても振るってはならないわけでして、どうにもヌルい言葉でそっと諭すのを根気良く続けるしかないのが現状です。
この時代の中でも、上手くやっている人たちは恐らくいるのでしょうが、どのようにそれを実現しているのかどうかご教授願えないものでしょうか?
やはり、一人一人に対して酒の席などで腹を割ってお互いの気持ち、私が如何に彼らの将来を案じているのかを多少の厳しい言葉を交えて伝えるということぐらいしかないのではとも思うのですが、今の若者の考えが全く分からず、そんなことでさえ「アルハラだ」「パワーハラスメントだ」「心が傷ついた」と言われるのではとビクビクしております。
傷つきやすいことなど単なる弱さでしか無いものを「どうだ見ろ俺は繊細だろう。違いが分かる男だろう」とばかりに見せつける今時の若者を前に、どう接したら良いのかもう自分では皆目わからないのです。
どうかお知恵をお貸しください。
こういう話を見るたびにタクティクスオウガの二人のランスロットの会話が思い起こされる。
自由があるのだ!」
これはとても綺麗で理想的なセリフで、現実にも自由を認めるような動きで社会は進歩してきたのにそれで悩んでしまう人がいる。
民に自分の夢を求めてはならない。
支配者は与えるだけでよい」
レールがないので不安だから管理者によってレールを敷いてほしかったという話はこのセリフの中の「支配される特権」それだよなぁと。
昔は聖騎士のセリフに感化されていたけど、世界の真実は暗黒騎士のセリフのほうだったのではないかと思わされる。
しかし、それを良しとしてしまうのは精神の退廃のように思えますし我々が社会へ提言していかなければならないのは自由の使い方なのかもしれない。