「敵対的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 敵対的とは

2020-04-30

ラジオ放送公共の場だと思うけど、想定された聴衆以外の人が不用意な発言血祭りにあげる風潮がエスカレートすると凄く怖い。

過去にはプライベート学会不安定な人が不規則発言をした事例で、敵対的弁護士がなぜか学会現場に参加しており、その不規則発言ネット暴露して問題になったこともあった。

プライベートな場での発言はいくら変でも批判対象としないよう、賛成派と反対派で協定を結ぶなりの対応をお願いしたい。

2020-03-24

anond:20200324175205

わざわざ好意的な応答させてる時点で「セクハラを推奨している」と取られるよね。

現実女性駅員にセクハラする客も多いだろうが、そこで駅員に好意的な反応を返す事を強制すれば問題になるのと同じ。

それは、「好意的な応答をさせている」というあなたの印象でしかないですよ?

可愛いですね」に「ありがとうございます」は一般的な応答だし、スリーサイズに「聞かなかったことにします」はセクハラ質問にやんわり返事をお断りしてるだけだし、「好意的な応答」だなんて解釈をわざわざする必要はありません。

それにそれなら、「それはセクハラです」って逆に敵対的に返したら、もしかするとクレームになりますよ? 客に対する不適切な応答だって

好意的な応答をさせている」という批判があるのは知っています。でも、それをおかしいという人もいます。何故あなたは前者に偏向するのですか?

2020-03-06

トップおかしいとする病

ベガーみたいなトップ悪魔扱いする病気って何なんだろ

俺は韓国アメリカに住んでたから分かるんだが

日本ではアベガー、韓国では就任当初は持ち上げるがすぐこいつじゃ駄目になる

アメリカもそう

みんなはブッシュトランプ批判だと思うかもだけど、アメリカではオバマも余裕でこき下ろされてる

このトップ悪魔だとして敵対意識持つ人って、どういう病気なんだろ

ネトウヨが外に敵対的な脳疾患の持ち主なのと同じで

2020-02-13

https://anond.hatelabo.jp/20200212111557

これ、仕事の話にしてるからそもそも仕事はしたくないもの」みたいなバイアスかかりやすいけど、好きでやるゲームとかでも同じなんだよ。

から人間はいろんなのがいて、そこはどうやっても変えられないことで、それぞれのスタイルにあった集団ポジションについて住み分けするしかないと思う。

ゲームでも、成長したくない自称エンジョイ勢と上手くなったり強くなるのが楽しくてやってる他称ガチ勢対立対立煽ってるのは双方の一部でありほとんどはうまく住み分けしている)というのがありがち。

これも住み分けしろ結論

成長したくない人の集団にそうでない人が割り込んでいって「何故あれをしないのだ」「何故そんな装備なの」「その成績で満足してるの?」というのはどっちも不幸になる。何が楽しいのか何を求めているのかが違うんだから

逆に、これをクリアしよう練習するぞってやってるとこに「ゲームなのに本気でやって、努力とかして何が楽しいんですか?」と冷やかしたり「俺はゴミ装備で放置でいいや」と寄生したり、ここのムーブはああした方がよかったんでは?等とやりとりしてるところに「仲良くしてください!」(こういう人はディスカッション等を敵対的行為と思いがち)と勘違いで割り込むのもどっちも不幸になる。

生活必要ない個人自由でやってるはずのゲームでさえこうであり、それぞれのスタイルで満足しているならお互いの陣地を荒らさず住み分けしておくのが一番楽なのだ

仕事であれば、失敗してもいいからやるぜというプロジェクトに「どっかのパクリやって楽してたいです」って人きても双方がいい気分にならないだけだし、人命に関わる設計寄生根性で手抜き仕事する人いると会社の命運に関わるし(経験あり)何も考えず言われたことだけやる人を沢山集めたい所に無駄に頭まわる人がきても困る人間がいる。

まぁ、それはそうとして、改善することや上達することが楽しい人種からすると、進歩のない旧式の効率の悪い方法で延々とやり続けるようなスタイルは苦行のように見え、辛くないのか?と思うのはゲームでも仕事でも日常生活でさえもよくあることだ。

まぁ、そういう人間にとっては情報を集めたり学んだり文章を読んで理解したり新しいことをやるリソース生命力を費やすというのが重荷で辛いことで、または成功体験がなくそれによって見込める得が全くないと感じるために、天秤にかけると賽の河原で石を積み上げていた方が楽なのだと思う。

辛くないのか?と思う人間には賽の河原で石を積み上げる仕事苦痛なので棲み分けるのが双方ハッピーなのだ

とはいえ仕事場合社会全体を考えると少し話は面倒になる。

まりにも効率化されない会社は不当に仕事を水増し、労働の単価が下がる。えげつない言い方をすれば、能力の低い人間をある程度割り切って切り捨てないとブラック企業はなくならないみたいな感じ。まぁ、実際は賽の河原の石積みでいいという人向けにブラック企業はなくならないのかもしれない。ずっと未来までこうなのはあんまりなのでなんかいい感じになって欲しいけど、そう思ってるのも石を積みたくない人種だけかもだからなー。

2020-02-10

https://anond.hatelabo.jp/20200208202226

だって世界観理解できなきゃ持たないような違和感からな。

ゴブリンより高度な知性を持っていて、人語を話せて、意思疎通可能だけど敵対的な悪の勢力が当たり前に存在する世界だろ。

作中でもそいつらの方が重要なのに、ゴブリンにだけ拘ってるゴブスレが異常だと明示されてるし、実際に描写されてるわけ、オーガとか邪教の連中とかな。

普通ファンタジーならそういう勢力相手にどんどん敵のランクが上がっていくところを、あえてゴブリンをメインモンスターにし、盛り上がらなさそうなコンセプトにも関わらず、手を変え品を変えシチュエーションや道具に凝ったり理由や設定で説得力を肉付けしたりで持たせてる作品なの。作者の意図を読み取るならまずその趣向が理解できないと話にならない。

善良なゴブリン問題のようになっているのは単純に読者のリテラシーが低いのが原因だからネットならバカにされて当然だろうね。

じゃあ、リテラシーの高い読者はどう読んでるのかというと「ゴブリンは弱くて重視されない敵って設定なのに、ゴブスレ読んでるとチャンピオンなどが出てきて、すごく強い種族に見える」なんてツッコミを入れながら楽しんでるよ。この差、ゴブリン脳のお前にわかるか?

2020-01-02

anond:20200102132947

国家神道は触らぬとして

神社氏神様を祀っとるやで

その土地を切り拓いてきた方々や

そもそもあまねく人々の幸せを祈る施設とか素敵やん

一応、教会もそうだぞ

寺は知らん(寺に敵対的なワイ氏)

2019-12-23

anond:20191223121738

そら上皇安倍ちゃん敵対的やったし、その点、今上は与し易いと見られとるんやろ。

2019-11-20

勝ち負けを争う議論と、議論自体を楽しむための議論

この二つってあり方が全然違う割に、特徴を切り出していって「これは勝負」「これは娯楽」って判断つけづらい感じがあるんだけど、ツィッターとかで「○×はどう思いますか」と自分意見は示さないまま相手見解を問うスタイルと、最初自己見解を示してから「お前はどうなんだよ?」って聞いてくるスタイルだと、圧倒的に前者が敵対的勝負を争う意識が漂って見える。

2019-11-17

保内さんのnote読んで思ったやつ(フェミニズム関係ないやつ)

他者キャラ化したい人たちと自己キャラ化されたくない人たちの対立

言い得て妙表現

この表現には2つの大事ポイントが含まれている。

1.「他者キャラ化する」ということは、自分の知のあり方の一面を披露することである

2.誰しも自分単純化されたくないということ

1について。

他者キャラ化する」ということは「こいつはこういう性質存在である」という定義付けをして単純化する、ということであるから、その定義付けに際しては定義者が対象をどのように捉えているかが問われる。対象をどのように捉えるかは、すなわちその人間の知覚のあり方を示していて、認知が偏った人間はおおよそ常人思考とはかけ離れた枠組みで物事を捉えようとし、何を見ても一面的な捉え方しかできない視野の狭い状態になったりする。一方でこの定義けが上手い人間は、「キャラ化する」ことを通じて新たな視点提示したり、今まで人々が上手く言語化できなかった部分を補完して共感を呼ぶことができたりする。つまり物事他人共感させるような定義付けには、幅広い知識や的確な言語センス重要になってくるわけで、それは普段その人間世界をどう認識しているかという問いに対する答え(の一面)にほかならない。「キャラ化」とは戦略的に行った場合大喜利のような知的総合力の結集体ともいえる。

2について。

上記のように、「キャラ化」とはその人の知的成果であり、使いようによっては人々に影響を及ぼすことができるわけだが、そのためには表現が洗練されている必要がある。冗長ポイントを外した表現共感を呼ばないし、あくまで簡潔である必要がある。しか人間という存在は誰しも複雑であり、一面的に捉えられるような存在ではない。一見同じような存在に見えても、人によって趣味嗜好や成育環境は異なっており、それぞれの微妙な違いが結果として多様性・複雑性を生んでいる。そういった背景を無視して「あいつはこうだ」と決めつけることは一般的には無礼行為であり、まして人間関係を持たない赤の他人にされるのは誰しも不快に感じるだろう。「キャラ化」とはそういった攻撃性を孕んだ上で成り立っているのである

討論において、論敵をキャラ化するということは聴衆の共感を得るのに効果であるというメリットの他に、上に述べたように相手を軽んじているという態度を表出するという攻撃的な効果もある。これがメリットであるデメリットであるかは、議論をどういう目的でどこに着地させるかによって大きく異なるわけだが、この手法を選好して用いるということは基本的は論敵を侮辱してやるという「メリット」をとったということだろう。こういった敵対的な態度で行う議論生産性はなく、何か成果らしきものがあるとすれば、「あ、なんとなく分かってはいたけどこいつとはやっぱ相容れないんだわ」とか「こういうやり方で討論やってても現実問題解決は遠のくだけなんだな」とい諦め半分の気づきくらいなんではなかろうか。

端的に言うと「こうなんのみんな分かってたよね?分かっててなんでやったん?なんで?ヒマなん?」って感じなんだが、わざわざこういう徒労に時間を費やしてくれている人がいるおかげで世界更新されているんだと思うので尊重するようにはします。行動力ある人えらい。

2019-11-12

anond:20191112091508

過去ソ連対義語アメリカだったりベトナム対義語アメリカだったり、現在中国対義語アメリカだったりするのと一緒で、オタクはその時期一番敵対的グループ対立構造を作りたがる傾向があって、目下オタクの敵はフェミから

2019-10-18

報奨金を目的とした不審メール

さすが敵対的TOB仕掛ける会社という感じ

周りが敵だらけなんだろうな

2019-10-09

anond:20191009112410

欧米チャイナマネーかなり入ってるから中国に対して敵対的なことはやりずらくなってるしな

2019-09-10

教育委員会は嘘つき」か?

また一人が自殺という傷ましい結果に向かう出来事があった。その発端に「いじめ」があったことは、おおむね事実と考えたい。その上で、各社が見出しにしているこの文言、そして取扱方は全くフェアではなく、ハッキリ言って問題解決には何の役にも立たないどころか有害であると私は思う。

まず、記事引用

教育委員会は大ウソつき” 15歳男子生徒が自殺 埼玉 川口2019年9月9日 18時16分:NHKニュース

埼玉川口市の中学校に通っていた当時いじめを受けたとして、自殺未遂を繰り返していた15歳の男子生徒が、8日、自殺したことが分かりました。いじめについては、市の教育委員会調査を進めていましたが、生徒の部屋には、「教育委員会は大ウソつき」などと書かれたノートが残されていたということです。

関係者によりますと、8日の未明埼玉川口市の小松田辰乃輔さん(15)が市内のマンション敷地内で死亡しているのが見つかり、屋上から飛び降りたとみられるということです。

小松田さんは中学1年生だった3年前、部活動の先輩や同級生から悪口や仲間はずれなどのいじめを受けたと訴えましたが、学校対応失望し、自殺未遂を3回繰り返したということです。

その後、おととし11月になって、市の教育委員会第三者委員会を設置し、いじめ調査を進めていました。

中学校卒業した小松田さんは別の学校に通っていたということです。

自殺したあと、小松田さんの部屋から見つかったノートには、「教育委員会は大ウソつき。いじめた人を守ってウソばかりつかせる」と、教育委員会対応批判する内容が書かれていたということです。

川口教育委員会指導課の三浦伸之課長は、「本人への聞き取り要望していたが、話せる状況にないということで実現していませんでした。教育委員会への不信感を訴えて自殺したことを重く受け止め、対応問題がなかったか確認したい」と話しています

教育委員会は大ウソつき」

小松田辰乃輔さん(15)の自宅の部屋には、市の教育委員会対応への批判が書かれたノートが残されていました。

ノートには、「教育委員会は、大ウソつき。いじめた人を守ってウソばかりつかせる。いじめられたぼくがなぜこんなにもくるしまなきゃいけない。ぼくは、なんのためにいきているのか分らなくなった。ぼくをいじめた人は、守ってていじめられたぼくは、誰にも守ってくれない。くるしいくるしいくるしいくるしいつらいつらい。ぼくの味方は、家ぞくだけ。くるしいつらい」と書かれていました。



そう考える理由

まず、この生徒と教育委員会は直接面談できていない。

課長「本人への聞き取り要望していたが、話せる状況にないということで実現していませんでした」

どんないじめ事件であっても、片側の言い分だけで解決することは難しい。周囲から意見も、バイアスがかかるので参考程度にしかならない。あくまで「本人」から聞き取り必須の要素である。もちろん、保護者はしばしばそう考えない。それは「ウチの子が嘘を言うわけはない。それはずっと育ててきた私たちには分かる。この子には問題などない。実際いままでは問題なかった。なのに今この子がこんなに苦しんでいるからには、周囲に問題があるはずだ。」と、そう考えるからだ。

だが、教職員、あるいは教職員出身教育委員会事務局関係者はそうは考えない。どんな子も状況次第で嘘をつく可能性はある。その子をずっと育ててきてはいないとしても、何十年にわたって同年代の子供を千人以上見てきた経験からそれは言える。問題の無い子などいないし我が子を過信しない親というのもまずいない。これまで他との関係性の中では起きなかった本人自身問題が、別な関係性の中で発現することも充分あり得る。場合によっては、そのことを直視自己問題(それは保護者との関係性の問題である場合もある)に気づくことが本人の成長に必要なことさえある。だから、苦しんでいること自体はその子の非責任性(その子責任がないこと)の証明にはならないし、いずれにせよ、周囲に問題あるかないかも含めて本人への聞き取り必須だ、と考える。教育職のプロフェッショナルなら、誰しもそう考える。

そして、それを阻害していたのがおそらく保護者だ。

本人「ぼくの味方は、家ぞくだけ。」

この家族は、生徒本人に「味方」と認識されていたとのことだ。それ自体は間違っていない。結果として防げなかったとしても、味方がいると信じさせることが命を救うこともある。だが、「生徒から味方と認識されること」は重要だが、それは「自分たち以外の全てが敵だと認識させること」とイコールであってはならない。家族は、問題を適切に解決に導けるよう、教育委員会と協力して問題にあたることが必要であり、可能なら、自分たち利益に沿って動いてくれると信じられる適切な第三者(たとえば代理人としての弁護士)をたてて交渉した方がよかった。教育委員会立場上、加害者とされる生徒も含めて「両者の利益を最大化するように」動くのは当然であって、何ら問題ではない。教育委員会が、真理を解き明かす(捜査能力のある)機関でもなければ、罰を下す(司法機関でもなく、教育を通して社会全体の益を最大化するための機関である以上、それは当然のことだ。そのためには、当然「いじめた側」の話を聞き取る必要もある。当然ながら、それはあくまで「片側」の聞き取りに過ぎないから、話半分にしか聞かないし、「いじめられた側」に「~と言っているがどうですか」と聞くのは、単に双方に対する事実確認以上のなにものでもない。にも関わらず、

いじめた人を守ってウソばかりつかせる。

というような受け取り方をされるのはどういうことか。生徒本人と会えていない以上、これは、保護者がそういう伝え方をしたと考えるしかないわけだが、「いじめた側」の言い分を聞くことが「相手に味方することであり利敵行為だ」と捉えるような見方保護者がしていたのでは、事態解決に向けた健全な協力関係を作っていくこと自体が難しい。

そのような状況で、教育委員会への不信を連ねた(極めて一方的な言い分を)書き連ねた遺書見出しに掲げることに、一体どのような意味があるだろうか? 上記を踏まえれば、教育委員会が「嘘をつかせた」というのは明らかにおかしい上に、教育委員会はそんな嘘をそもそも「信じていない」可能性の方が高いだろう。問題は、あくまでそのような状況における教育委員会家族の協力を台無しにさせたそのような敵対的関係であり、ではそのような敵対的関係を作り上げたのは何かと言えば、このように不安を煽るマスコミセンセーショナリズムがその一因ではないのか。

もちろん、教育委員会の極めて「お役所対応」が保護者の不信感を買うことも、事態の一つの側面ではあろう。その点については、できることは重々反省した方がいい。しかし、この件で教育委員会対応に特段の問題があったようには自分は感じない。強いて言えば、なんとか家族を説得して、生徒本人と経験豊富指導主事なりが対話できればよかったが…という位だ(それができなかったからこうなったのだが)。それができたら生徒は死ななかったのか、と言われれば、私は「おそらく死ななかった」と答えよう。直接会えば、生徒も「教育委員会の人も敵ではない」ということを理解できた可能性はあるからだ。教育委員会の人も「僕を守る人」だということを理解できたかもしれないからだ。これは、家族批判しているのではない(そんな死体蹴りがしたいのではない)。家族(と本人?)をここまで頑なにさせてしまったのは何か、という話だ。

ぼくをいじめた人は、守ってていじめられたぼくは、誰にも守ってくれない。

そう思わせたのは何なのか? 学校教育委員会が100%悪? それでいいのか?

そもそも自殺した」ことをもって、その人を全肯定する理由とはならない。たとえばマスコミは、この生徒の「いじめられた」という主張が実はいくらか大げさであり、周囲の生徒から困惑コメントに対して「あいつらは嘘をついている」と意地を張りたい生徒があてつけで自殺未遂を繰り返した、みたいなケースについては想定したのか。そのような場合であっても、同じような見出しを付けて教育委員会問題を指摘するのが適切な報道と考えるのか。いずれにせよ私は、このような形で自殺した生徒について大げさな報道を繰り返すのは、そしてその後についてはまともな調査報道もしないというのは、ただのセンセーショナリズムでありゴシップ誌の発想でしかなく間違ってもジャーナリズムではないと考える。


事実というのは、そんな単純に善悪を切り分けで説明できるものではない。少なくとも、このような事件に絡んで「教育委員会が悪いから生徒が死んだ」という極めて単純なストーリーしか描けないとしたら(言い換えれば「教育委員会を罰すれば問題解決する!」とか思うのは)、それは単純な正義感を振りかざす危険人物であり報道だと思う。

2019-09-06

河野外相無能すぎ。枝野は正しい

Bloombergへの寄稿無能が一線を越えたように思う。論理破綻している論説を日本外務大臣名前で国際メディアに出すのはやめてほしい。要約するとこういう内容だ。

タイトル日韓関係の真の問題は信頼

1. 現在日韓関係悪化の原因は、徴用工の問題など、信頼を毀損する行為韓国がしてきたからだ。

2. ホワイト国外しは徴用工とは全く異なる純粋安全保障上の問題だ。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-03/PX6F9MT1UM0W01

1と2は一つの文章でつながらないだろう。もし、2が正しいのなら、前段の信頼が云々という話は、ホワイト国外しに始まるここ数か月の急速な関係悪化関係がないことになる。だったらなぜ1の話をしているのか。なぜ信頼をタイトルに入れたのか。論理的な文章を書けない無能か、論理的でない文章をあえて書く厚顔かのどちらかだ。

ホワイト国外しと徴用工は関係ない」というのは、「尖閣諸島では係争はない」とか「沖ノ鳥島国際法上の島だ」みたいな外交上フィクションだ。それが嘘なことは極東情勢に関心がある人ならだれでも知っているけど、日本がそう主張するのは国益にかなうし、まあ分かるよね、みたいな話。別に外務省記者会見とか声明フィクションを言うのはかまわない。

でも、わざわざ国際メディア寄稿して誰も信じてないフィクションを主張するのは、日本の信頼を毀損する。メディアへの寄稿、とくに外務大臣みたいな大物から寄稿に期待されているのは、ウェブサイトを見ればわかるような公式見解を超えた、率直で感情に訴える意見だ。建前を守るためには論理破たんした主張しかできないなら、メディアに出るな。

そもそも最初から徴用工その他の問題信頼関係悪化した結果、ホワイト国外しをした。」という主張をしなかったのは戦略ミスと考える。日韓基本条約への挑戦は、第二次世界大戦によって作られた現在国際秩序への挑戦なんだから、その筋で押せば普通に勝利できたように思う。日本外交伝統である「80点の勝利を受け入れず、100点、120点を目指して全部ダメにする」をまたやっているように見える。

日本政府は「信頼は毀損されたけど、ホワイト国外しは関係ない。ホワイト国外しは安全保障理由だけど、根拠を開示するつもりはない。」と主張している。正直、第三者からみたら、韓国の「日本が突然敵対的な行動をとってきた。安全保障上だという理由を付けているが、その証拠を開示しろと言っても応じない。もしかしたら以前の遺恨を持っているのかもしれないが、日本否定しているし、話し合いも拒絶されているし、こちらとしては困惑している。」のほうが理があるように思う。

他はともかく、少なくともホワイト国外しに関しては、韓国人が自国を支持するのはよくわかる。そして、何度も自国侵略した隣の大国経済攻撃しかけてきたら、激烈な反応をすることも理解できる。ホワイト国外しって韓国経済に三千億円(=韓国GDPの0.2パーセント)以上の被害を与える話だって理解しているんだろうか。外交交渉しようとしても建前ばかり言われて、「根拠は開示できない」だったらキレるだろうよ。

韓国レッドチームに追いやる時期を少しでも遅らせたいのであれば、どこかで韓国とは落としどころを探らなければならない。最初から両国信頼関係全般問題にしていれば、もうちょっと韓国側でも動きようがあったのではないかと思う。「いや、安全保障上の理由ですから徴用工は関係ないですよ。」って日本が言い続けるのは問題解決プラスにならない。河野外務大臣は失敗したように思う。


補足:「ホワイト国外しは他の国と同じ扱いにするだけだ」という主張をよく聞くけど、それは間違っている。もともとホワイト国に入っていなければ、サプライチェーンをその前提で作れていただろうけど、いきなり追い出されたら、大きなコストをかけてサプライチェーンの再構築が必要になる。

大手スーパー地元商店街駆逐した後に、突然撤退されたら地元住民は困るだろう。「隣の県にはうちありますから、車で一時間かけて来ることはできますよ。そもそも西日本には進出してないですけど、誰も困っていないようですが。」みたいな話だ。スーパー赤字撤退したならまだ理解ができるし、準備もできるだろうけど、今回は県知事経団連会長学生時代にあった遺恨のとばっちり撤退を命じられた、みたいな話だし。迷惑だ。

中国日本に変わって東アジアの悪役になるまで60年以上かかったのに、これでパアだ。日本経済の真の強みは中国ASEANを含む東アジアサプライチェーン最上流で高付加価値産品に注力していることなのに、国際サプライチェーンのものの信頼を毀損してどうするつもりなんだ。これで韓国日本を頂点とするサプライチェーンから抜けて、日本ライバルになるトップノードを国を挙げて目指すぞ。日本韓国が同じものを作るよう促すのは、価格が下がり、売れる量が減り、規模の利益が下がる、Lose-Loseの戦略だ。トランプ、ブレクジットの自爆流行りに乗ってどうするつもりなのか。選挙を経てない分、ブレクジット越えのアホじゃないか

2019-08-30

anond:20190830181111

まず疑問文意味が表意から推移しやすいのは、日本語だけの話じゃない。英語why非難したりする。その上で、

増田疑問文聞き手は、明らかに増田の敵意を恐れて言葉解釈している。これは普段増田の(敵対的な)コミュニケーションの取り方が原因である場合が多い。

例えば逆の極端な例として、いつも仏のように優しくニコニコしているおじさんが、同じセリフを言ったと想像してみる。おそらく聞き手は、仕事が遅い、荷物邪魔だ、という非難意味には解釈しないだろう。する必要がないからだ。

まり原因は増田普段から恐れられている、面倒がられているか、嫌われていることだ。何か心当たりはないか

野党与党になるための最低ライン

最近の流れを見るに

経済政策第一に押す(できれば金融財政両方セットならOK

韓国敵対的じゃなくても最低限強硬的でなければならない

他になんかある?

2019-08-19

夢に知らんおっさんが出てくるようになった

他の人の夢を見る(起きた時に覚えてる)頻度とか知らないけど、酒かっくらって寝てるからか、週1~3ぐらいで起きた瞬間は見た夢を覚えている。

昔は登場人物が1~2人で、親しい友人や家族が多かった。

それが徐々に登場人物が増えて規則性がなくなった。昔務めてた会社の先輩後輩同期、シチュエーションによっては小中学校のそんなに仲良くなかった同級生とかが主要キャラに交じって登場する。

最低限のルールとして、悪魔暴力権化こちらに危害を加えようとする概念的な存在、途中で実在人物に変わることがある)以外は知人であれ芸能人であれ、実在人物だった。(そういえば、アニメキャラとかは出てきた記憶が残っていない)

で、最近まったく知らんおっさんがちょいちょいモブとして登場するようになり、徐々に夢の中で主要なポジションを得始めた。

敵対的存在であることが多い。

この知らんおっさんは、既に忘れてしまったちょっと知ってたおっさんなのか、それとも、ほんとうに知らない、捏造されたおっさんなのか、凄く気になって

2019-07-29

友達はひとりもいなかった

友達はひとりもいなかった

小学生のころ、友達はいなかった。中学校に上がっても友達はできなかった。気は弱かった。いじめも受けた。いじめられた悔しさは今も残っている。仕返ししてやりたいとも思うがそれは無意味であり有害と知ってしまたから何とか折り合いを付けていくしかないのだろう。

今にして思えば身体を鍛えて殴り返してやればよかったと思うが、そういう発想すらできないほどに当時は心身ともに弱っちい少年だった。

勉強はできた。成績はたいていクラスで1番。中学は1学年300人近かったが、まあ上位にあった。中学最後試験トップをとった。まあ田舎学校だが。

スポーツもそこそこできた。足は速い方だったし球技は大好きだった。

それでもやはり友達はいなかった。

友達ができないのは自分のせいだ、自分に何か大切なものが欠けているからだと自分を責めた。

40も過ぎた頃、ショーペンハウアーを読んだ。すると、知性の高い人間孤独になるものだというではないかもしかして自分はそういう類の人間だったのだろうか?たしか子供時代は周囲の子達と話が合わなかった。クラスの子達が笑って話している中に入ろうとしても、いったい何が面白いのか理解できなかった。自分が入ることで彼らはしらけてしまうようだった。

ひとりでいるほうが集団なかにいるよりもずっと楽しかった。

高校進学校に進んだ。そこで初めて学校にいることが楽しいという感覚を知った。友達と呼べる存在が初めてできた。

大学はいわゆる旧帝大に進んだ。大学さらに楽しかった。ここでも友達はできた。

社会人になって会社員を経て独立した。今が一番楽しい

なにが言いたいのかというと、住んでいる地域が一緒だからという理由でひとくくりにして小学校中学校に入れるのは、一部の子にとっては非常な苦痛になる場合があるということだ。

思うに、知性の水準が周囲に比べちがい過ぎると孤独になる。本当に賢い人間であればそれも理解して上手に周囲と話しをあわせ良好な人間関係が築けるのかもしれないが、そこに至らぬ中途半端な水準にあると、いっそう孤独を深める事になる。敵対的環境のなか苛まれることにもなりかねない(知性が高い奴なら低い奴にも合わせられるかもしれないと書いたが、低い思考レベルの人々の話に自分を合わせるのはけっこうたいへんである。なかなか辛いものであり苦痛でもある。かなり疲れる)。

学校にいること、集団の中にいることが正しいわけではない。そんなことは断じてない、ということをいいたい。

集団生活に馴染めないからといって障害か何かと考えるのは間違いであ場合がある。集団生活違和感を覚えたら、自身の知性の水準が周囲と異なるのかもしれないという可能性を考えてみるべきだ。

ところで、子供時代の辛い経験を思い返すと、その頃から格闘技を学んでおけばよかった、もっと身体を鍛えておくべきだったとは思うが、あえてそういう状況のなかだったからこそ何事かを学べたのかもしれない。こういう経験が(辛い経験ではあったが)必要だったのだろうと思うし、そう思う以外にない。

2019-07-28

わいれ記事のひと大変そう。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

そんな各種方向から攻めんでも。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

まあ敵対的追記する彼も彼かも知れんけど。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2019-07-24

anond:20190724000805

でも反論の仕方なんかおもろいな。内容は敵対的なのに言い方は素直な感じ。まぁ気に食わないこと言ったならすいませんでした

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