はてなキーワード: 放送中止とは
弱者がガン細胞となるなら取り除かねばならないし、かといってなりえるからといって弱者を排除するわけではない。
積極的に弱者の一部を強者として格上げすることもない、弱者を最低限は必要としているからだ。
しかし、右翼が弱者の味方であるように振舞う、また助ける存在として現れることがあるのはなぜだろうか。
以下に引用する。
左翼系の団体や文化人は一貫して「貧困者を社会の敵にしている」と主張し、同番組の放送中止を求めたが 変容してきたのは右翼・保守系の論調である。 ふだんは、豪邸をあてがわれた生活保護需給家庭がいかに地域住民に迷惑をかけているだの 子供ばかり産む下層女はけしからんだの書いているウヨク新聞『デイリーメイル』紙でさえ 「『Benefits Street』は貧困者のモラルのなさを描いているのではない。彼らを作り出した社会制度がモラルに欠けていたということを示している。」と書いた。
一見して、Benefits Streetという番組を介して、
左翼は事実を隠蔽する弱者の敵として、右翼は真実を明るみにし、弱者を擁護する味方として出てくる。
私は右翼は国家有機体説をとっており、左翼は構造主義をとっていると考えている。
左翼からみても構造を維持するために奔走しているので弱者のためではないのではあるが、右翼から見てもそうなのである。
弱者から見れば右翼による構造主義の批判は、現実問題として弱者すなわち私を生み出している構造である。
そうであるならばその否定は歓迎されるものであり、味方のように見えるだろう。
問題は右翼により新しい構造に作りかえられたとして、弱者にとって改善は見込めないだろうということ。
今回はなぜ味方のようにみえるのかということで、正解とは何か思いつかないが。
27日にフジテレビで放送された「坂上探検隊」という番組が、今ネットで大炎上中だという。
http://news.livedoor.com/article/detail/14219432/
「ほんとに怖いのはチーターじゃなくてテレビ」視聴者が引くほど体を張った狩野英孝さん、着ぐるみでアフリカの動物に接触 #坂上探検隊
https://togetter.com/li/1193983
まあ、ツイッターでちょっと批判ツイートがあったくらいのことを、ネットニュースがいつものように大事に書き立てて世間を煽ったものの
ただ、ただこれだけは言わせてくれ。
「WILDBOYZ」について一切誰も触れていない!
いや、この「坂上探検隊」、やってることは「WILDBOYZ」そのままなんだよ。
「WILDBOYZ」とは、10年以上前にアメリカのMTVで放送されていたお笑い番組で、
アメリカのバカ二人が世界中の大自然を駆け巡って野生動物相手に危険なチャレンジをするという番組だ。
で、この「WILDBOYZ」の中で「坂上探検隊」で狩野がやっていたロケとまったく同じチャレンジをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=sm4Xj_5bslg
なんか観客の「ヒュー!!」みたいな歓声が付け足されているのが気になるが(元番組にはこんな余計な音は無い)、
ほらね、まったく一緒でしょ!!
つまり、この「坂上探検隊」は日本版「WILDBOYZ」なのである。
やっている内容が完全に一致することから、「WILDBOYZ」を模範しているのは明白であり、
ワイルドボーイズのほうが10年以上も先!つまり、10年前のアメリカの番組を今更インスパイアしているのである。
「そんなん日本人スタッフが知る訳ねーよ」と言うやつもいそうだが、
なかでもカンニング竹山はWILDBOYZの大ファンであり、自身の出演番組で何度もオススメDVDとして紹介し、上記の動画を繰り返し放送した。
また、初代ニンテンドーDS発売時、日本では宇多田ヒカルがCMを担当したが
https://www.youtube.com/watch?v=sRD7Ha-78m0
つまり、日本のテレビ関係者がまさかWILDBOYZを知らない訳が無いのである。
これをパクリだ、などと攻め立てるつもりは毛頭ない。
こんな叩かれるのわかりきってる企画を今の時代にカネかけて地上はゴールデンでやりきった気合はお笑いマニアとして素直に褒め称えたい。
地上波で、しかもネットの嫌われ者であるフジテレビが放送したから案の定叩かれただけで、
これがamazonプライムビデオやabemaTVでやってたら逆に大絶賛だったろう。
もはや、地上波のテレビは何をやってもダメというどうしようもない局面に追い込まれたのだ。
で、俺が言いたいのはこんなことではない。
日本のテレビ番組は「Jackass」からネタを拝借しているのにリスペクト足りなさ杉!!と声を大にして言いたい。
「Jackass」とは、やはりアメリカMTVで2000年に放送開始したお笑い番組で、
プロのスケボー選手達がイタズラ、ドッキリ、身体を張ったチャレンジなど、危険なことならなんでもやってしまうという番組である。
これが放送するやいなや、アメリカで大ブーム。これをマネして大怪我をするクソガキや頭の悪い大人が続出し、社会問題となってしまい、
そして、「Jackass」が放送できなくなったので10名ほどいた出演者のうち二人をメインに抜擢してスピンオフとして放送されたのが、先ほどの「WILDBOYZ」である。
Jackassはアメリカだけでなく、世界中で大ブームとなった。
なぜかといえば、日本のMTVでも放送されていたが「論理的に販売できない」とソフト化が見送られ続け、
ついに2004年にDVDが日本語字幕つきで販売されるに至り、日本でも広く知られることとなった。
たちまち日本でもちょっとしたブームになり、当時のタワレコやツタヤなどのレコードショップでは店頭の大画面でリピートされDVDは山積み、店の猛プッシュ状態。
で、宮川大輔やカンニング竹山など、Jackassファンを名乗る芸能人がテレビでJackassを紹介しまくり、
カンニング竹山に至っては深夜番組で「Jackassを超える映像を撮る!」などという企画をやっていた。
テレビ東京の深夜でも勝手に「日本版Jackass」を名乗る番組、「ヤンチャ黙示録」が開始。その内容は見たことのない若手芸人によるビックリするほどつまらない映像だったが・・・
また、電撃ネットワークの南部虎弾もJackassに強い影響を受け、無名若手芸人に身体を張らせる過激なDVD「南部塾」を発売。
2004年から2006年にかけて、日本のお笑いDVD界は日本の芸人によるJackassオマージュDVDが席巻した。
で、本家MTV、Jackassの世界的ヒットを受けアメリカ以外の国でも、Jackass的な番組を制作を開始。
まずはイギリスで「ダーティーサンチェス」という番組を開始。これはぶっちゃけ、Jackassとは違うベクトルで笑えないため、あまり流行らなかった。
監督に「とんねるずのみなさんのおかげでした」でおなじみ、マッコイ斉藤を向かえ、これまた日本の無名若手芸人に無茶なチャレンジをさせるという番組「TEMPURA」を開始。
ただ、これはJackassファンにはあまりウケなかったのだ。
公式な日本版Jackassとして始まったTEMPURAだが、内容といえばマッコイ斉藤が若手芸人をイジめているだけの映像だったのだ。
「人を便器に流そう!」という企画で、嫌がって泣き叫ぶメンバーの一人を数人で抱えて公衆便所の汚い便器に顔を無理やり突っ込ませたり、
「落ちている物を食べよう!」という企画で、これまた嫌がって泣き叫ぶメンバーに無理やり公園にポイ捨てされたペットボトルの残りを飲ませたり・・・
で、一人マッコイ斉藤がゲラゲラ笑っている。という映像にしか見えない出来だったのだ。
これはJackassではない・・・
本家Jackassも、TEMPURAと同じようなネタをやる番組なのだが、印象が全く違うのだ。
汚いチャレンジや絶対ケガするようなネタも、誰かに無理やりやらされるのではなく、自分から進んで挑戦しているのだ。
アメリカのカッコイイ兄ちゃん(しかもプロスケボー選手)がすごくスタイリッシュにくだらないことをしている。
日本のバラエティは、どうしても「嫌がる芸人に強制的にやらせる」という陰湿な構図になってしまう。
日本のお笑いとアメリカのお笑いは、やってることは同じでも間逆に映ってしまうのだ。
だからこそ、当時の日本でJackassが新鮮味をもって受け入れられたと言っていい。
宮川があまりにもJackass出演者の顔がプリントされたTシャツばかり来ているから、ダウンタウン松本が「それ、誰やねん!」とツッコんだことから
Jackassの存在を知り、映画評論の著書「シネマ坊主」にてJackass評を書いている。(Jackassは4度も映画化され、公開のたびアメリカでは1位になっている)
松本は、メンバーが皆自発的にくだらないことをやっているが、何が目的でこんなチャレンジをしているのかわからないので日本人ではあまり笑えない、と評した。
やはり、日本のお笑いでは「陰湿なイジメの構図」が必要不可欠なのだ。
最初に貼ったWILDBOYZの動画を見てもらえばわかると思うが、出演者が生死をかけた危険なロケをやっているのに
なんら嫌がる素振りはせず、むしろやってる側がゲラゲラ笑いながらライオンに接近していて、完全なキチガイであるがゆえに、見ていてハラハラはするが嫌な感じはしない。
陰湿ではないのだ。
JackassやWILDBOYZでも、出演者がションベンをかけられるなどイタズラやドッキリで酷い目に合わされるのだが、必ず後でやり返している。
そこに上下関係はなく、ただのバカな仲良し感が出て、なかなかハッピーな空気になっているのだ。
「坂上探検隊」は、WILDBOYZと同じことをやっているのに、やっぱり日本人特有の陰湿さが出てしまった。
陰湿にならなくても、Jackassがそこそこ日本でも流行ったのだから、日本人でもイジメの構図がなくとも笑えるということは証明されているだろう。
ただ、面白いのが東京ではJackassのDVDはバカ売れしたのだが、関西では全く売れなかったという。
東京ではウケていたが、関西人が見ると「何が面白いのかわからない」「何が目的でやっているのか意味不明」という感想ばかり出てきたという。
宮川大輔をはじめとした、大阪吉本の芸人の間では流行っていたそうだが、関西圏の人間にはJackassは理解できなかったようだ。
やはり、地域によってはイジメの構図がないとお笑いは成り立たないのだろうか?
で、10年ほど前の日本でも若干のJackassブームがあり、「世界まる見え!」や衝撃映像系の特番で何度も紹介されていた。テレビ関係者が知らないはずはないのだ。
が、2010年になり日本でのJackassブームが落ち着き、テレビでもあまり取り上げられなくなると
日本のテレビ番組でまるまるJackassのネタをやってしまうことが増えてきた。
坂上探検隊の話題で「イッテQを思い出した」というツイートも多々見たが、
イッテQでは頻繁に「Q Tube」というコーナーで丸々Jackassと同じチャレンジをしている。
Q Tubeというコーナーは、YouTubeで素人が面白チャレンジをしている動画をロッチ中岡がチャレンジするというコーナーで、
Jackassのネタを中岡がチャレンジする際には、Jackassの映像紹介がないのである。
そりゃアメリカの番組の映像を放送するのはカネがかかるかもしれないが、ネタを丸々拝借しているのである。
本家本元があるというちょっとした紹介くらいしてくれてもよいのではないか。
とにかく、「あぁ、これJackassでやってたことそのまんまだな」ってネタが多すぎるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=9WbmRdvU6XI
https://www.youtube.com/watch?v=CsodsC7c4N4
たとえばこのJackassのネタなんかは、そのまんま中岡が挑戦していたが、この映像の紹介はなく、元ネタの存在をスルー。
エクストリームスポーツ界の神様ことマットホフマンとトニーホークが出演しとんのやぞ!!
というか、イッテQの作家鮫肌氏が、Jackassの映画が日本で上映された際にインタビューに答え、Jackassを参考にしていると答えている。
http://www.cyzo.com/2011/05/post_6937_entry.html
Jackassの出演者たちは、jackassが大成功、映画も連続大ヒットで今じゃアメリカでは大スターのセレブになってしまった。
メイン出演者だったジョニーは、ジャッキーチェンとコンビで主役の映画を撮ってしまい、
そんな人たちが気軽に日本のテレビに出演するとは思えないけど、元ネタくらい蔑ろにしないでくれや!
故マイケル・ジャクソン役に白人俳優のジョセフ・ファインズを起用したことで物議を醸していた英 Sky Arts のコメディーシリーズ「アーバン・ミス(原題) / Urban Myths」の当該エピソードが放送中止になったと The Hollywood Reporter などが報じた。
昨年1月の時点でマイケル役に白人のジョセフが起用されたと報じられた時点で波紋を呼んでいた同作だが、先日、番組の予告編が公開されると騒動が再燃。マイケルの長女パリス・ジャクソンはTwitterで「多くの人たちと同じように、腹立たしく思っています。正直なところ、吐きそうになったくらい」と厳しい批判を展開していた。
https://news.yahoo.co.jp/feature/732
聞こえますか、「助けて」の声 卒・風俗嬢の居場所 - Yahoo!ニュース
id:sunechamacell 男性の場合は「まともな仕事で働ける能力がないのが悪い」で終了なので同様の対処でいいんじゃないですかね
こんなブコメがトップ群に並ぶなんて昔のはてなでは考えられなかった。
http://www.hanzawa-banker.com/entry/2017/09/06/060000
「ウチの妻は家事ができない」だと放送中止では?男女平等とは? - ハンザワブログ
これのブコメ群も一昔前では考えられなかった有様(そもそも放送中止にならないだろ)
とうとうはてな男がキレだしたらしい。
管楽器を吹いてる人の後ろから押すのは危ないだろうし、それを指摘するのも分かるけど、ただ中止する程のことなのかなと。
「昨今管楽器を吹いてる人を後ろから押して怪我をさせる時間や事故が多発している」
という中でこのCM作ったら問題だろうけど、製作側にそんな意図は無いだろうし。
だからといって、ここで三ツ矢が
今回放送されたCMは青春の一ページを表現したものですが、ご指摘の通り演奏中の管楽器奏者背中を押す事は大変危険なので、今後の放送にはテロップを追加いたします
とかでもまた批判きただろうし。
創作物の設定に完璧を求め過ぎなのでは?と思う。何か1つ落ち度があったら皆でフルボッコにする。そして製作中止。
だから一番最初に指摘した人に対して思うのは、放送中止ではなくテロップ対応を求める位にしてほしかったな。
なんでもかんでも批判して中止にする流れは誰の為にもならないよ。つまらないやつばかり製造されるし、正論をぶらさげて指摘しまくるウンコ市民がどんどん出てくるよ。
バブル期の話するとジジイとか骨董とかおっさんとか閉経とか言われそうなので避けたいのだけど、あのころはテレビCM自体が面白かったり格好よかったりしたのです。
スピーカーのコーンがぶるぶると震える前て踊るMCハマーのダンスが印象的なパイオニアのコンポのCM
『ホンダ(↑)ホンダ(↓)ホンダ(↓)ホンダ(↓)♪...』のコールが印象的だったホンダのクルマのCM(車種は忘れた)
マイケルジャクソンが金隠しポーズで『ポー!!』とかやってるあのダンスを、ジジイがまるパクリした挙句速攻で放送中止になったCMとか。
このころのCMは海外の要素を多分に取り入れつつも、どっかバタ臭い和の昭和臭がただよっていて、スッっと入ってきた感がある。
でもってCMそれ自体が子供らはもちろん大人の間でも共通言語だったりしてたのです。
そしてそして私のそのCMをみて、無理してパイオニアのコンポかってみたりしたのです。
売ることがメインで、視聴者を楽しませる話題性にかけることこの上ない。
キラキラしてないのよ。
そんな感じ。
テレビドラマやバラエティの劣化が叫ばれて久しい昨今ですけども、一番酷いのはCMなんだ。
悲しいよ。
古い話だけど、「ぼく食べる人」「わたし作る人」という CM が猛烈な批判を浴びて放送中止に追い込まれたことを思い出した。
子供心に、個別の事例なのになに一般化して怒ってるんだろうと思っていた。
とある一瞬を切り取れば、作る人と食べる人がいるのは普通なわけで(一緒に作って一緒に食べるというパターンもあるが一般的とは思えない)、「ぼく食べる人、だけど明日は作る人」「わたし作る人、だけど明日は食べる人」みたいな言い訳じみた台詞だったり、「ぼく作る人」「わたし食べる人」ならクレームこないかもしれないけど、馬鹿でしかない。
同じことは人工知能学会の掃除ロボットにもいえて、たまたま女性型なだけと考えられないのだろうか。この手の被差別意識は眼の前の一瞬がすべてだと思っているように感じる。
ずいぶん叩かれてるけど、まだ未見。
こんなこと昔あったね。同じ野島伸司の「人間失格」いじめ描写が酷過ぎて、途中からタイトルが「人間・失格〜例えば僕が死んだなら」になったね。うん、なんというか、じゃぁこのドラマがセンセーショナルな表現に寄った、話題作りだけの駄作だったかというと、そうじゃなかった。
最後に桜井幸子演じる担任教師が訴えかけたメッセージは、おそらく普遍のものだと思う。決着の付け方にファンタジーさはあったけど、「悪は滅びる」勧善懲悪をきちんと着地させたりもしてる。いじめのシーンを容赦なく描いた事で、主人公赤井英和の取る行動に悲しさと重たさを持たせる事が出来た。不器用な親子愛を持たせた事で、やっぱり最後にはキチンと罪を償わせた。
ドラマの中で描かれた、組織ぐるみでいじめを隠蔽するその様と関わる人たちの事なかれ主義は、何十年もたった今でも何一つかわらず行われてるし、いやもっと酷いことになってるんじゃないか??いじめといじめ隠蔽。幼い命が自ら死を選ぶと言う,その悲しい連鎖は前にも増して陰湿で目に見えなくなってるんじゃないだろうか。
それはこのドラマの影響か??
違うよ、ドラマの世界の陰湿さは、それに文句を言う世の中をただ生き写してるだけなんだよ。
ドラマに出て来る陰湿な部分は、それはつまりこの世の中そのものなんだよ。
人間の裏側を切り取る冷徹なまでの、残酷なまでの視線って、やっぱり野島伸司ならではだと思う。
だから、「明日ママが〜」が本当の野島伸司作品なら、最後にきっときちんとしたメッセージを伝えてくれるんだと思うんだ。
もちろん、「明日ママが〜」に感して言えば、人の感情に配慮しなきゃいけないと言うのは言わずもがなの事。その点は、ちょっと認識が甘かったんじゃないかと思う。
ところで「本当の野島伸司の作品」と書いたのは、「家なき子」のように野島伸司プロデュースなる、ただのセンセーショナルさと受け狙いのみを狙った駄作がいくつかあったからだ。もしもあの線を狙ってるドラマなら、とっとと放送中止にしてしまえ(笑)
普段からドラマを見ているわけではないんだが話題になっていて且つネットで無料配信されてるというので「明日、ママがいない」の第2話を見てみた。ふーむ。90年代の過激なドラマの数々で育った者としては、不快な部分はあるが放送中止になるほどのものではない、という印象だ。まあ児童養護施設と全く関わりの人間の感想だけど。というか、批判をいれた団体の声明の中の「放送中止」の要求が目立ちすぎて、もっと素朴な不快感が隠れてしまってる。
自分の見た2話では、こんな話が出て来た。虐待されて施設に預けられてる子どもが里親に出されて、職員が里親に虐待の内容について話す場面。子どもは部屋に放置されて死にかけてるところを助けだされて親と引き離された。
里親「両親はどうしてたんですか?」
職員「父親はいません。生活保護の母親はパチンコ狂いで放置してたんです」
職員「仰るとおりです」
離婚したのか婚外子なのか知らんが父親についてはあっさり不在にして母親の酷さのみを強調。そりゃ酷い母親だけどさ、父親の話は完全スルーって。いや、タイトルからして「ママ」を強調してるんだけど、ドラマに出てくるのも母親ばかりなのか。この世界は女だけで子どもを作ることが出来るのか。
野島ドラマだからってこういう不快感も納得しようとしたけど野島は監修だけで脚本家は女性だった。やっぱり女のほうが女に厳しく書けるんだな。
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」の一話をネット見ました
中止要請については以下
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140116/k10014543211000.html
ドラマで描かれる“ポスト”というあだ名を持ち、ドラマで差別的発言を受ける子供という表現が、
フィクションと断りを入れていたとしても、“赤ちゃんポスト”という言葉で現実に照らし合わせることが容易にでき、
そして照らし合わせると、著しく少数の子供に限定されるということだ。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けらた幼児は現在75人の10歳にも満たない児童も存在する。
そのうち芦田真菜演じる“ポスト”に近い年齢の子供も少なくとも数人実在することは想像に難くない。
そして、彼ら全員が芦田真菜演じる“ポスト”のように「親に捨てられるのではなく親を捨てるんだ」という発言を
できるほど強靭な(不自然に大人びた)精神を持っているわけではない。
(「こうのとりのゆりかご」を運用している病院から中止要請があったということは、子供たち(と病院)に前もって
何らかの断りも入れていないということだろう。僕個人としては上記の理由でドラマを中止すべきだと思う。あまりにも杜撰な制作だ。)
女性に対するフェミニスト団体などがあるわけでもないので、声を上げて抗議をするのは困難である。
一部の大人、子供もが無批判に見ている可能性も十分あるので、偏見につながる可能性も十分あるだろう。
何より、放送が話題になって実在する“ポスト”への(杜撰な)取材をしたいというマスコミも現れるかもしれない。
また、ドラマの大まかなストーリー、芦田真菜さんが演じる主役の名前(あだ名)ぐらいは
スポンサーの広報も知っているはずなので、よくこのドラマを“提供”しようと思ったなと思う。
テレビは本、映画、ブログといった能動的に選択する他の表現とは違い、
電波を国に借りて放送しており、チャンネルも10程度という選択肢のとても少ないものである。
視聴者が段違いに多く影響がほかの手段に比べて大きいのだ。
病院が中止の申し入れをしたということは、
この申し入れが「こうのとりのゆりかご」(とおそらくそれに預けられた子供)がマスコミの好奇の目にさらされる、
という危険性を冒しても、ドラマは中止されるべきだという決断を下したのだろうと思う。
だがテレビ局の対応はあまりにも稚拙だ。放送中止を申し入れている病院側との話が成り立っていない。
「ドラマでは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』という
趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っています。
日本テレビは実際に存在する児童養護施設にいる“子どもたち”をどう思っているのだろうか。
おそらく彼らは視聴率さえ取れればいいのだろう。
この発言は番組さえ見てもらえれば後は「こうのとりのゆりかご」等に偏見を持たれようがどうでもいいと思っている、と捉えられても文句は言えないだろう。
また仮に、このドラマがこのまま放送され終了した後、病院側に差別的だと捉えられ抗議されたとしても、
関係者は同じ「そういう受け止め方をされたのは残念」という言葉を繰り返すだけだろう。
http://daily.co.jp/gossip/2014/01/17/0006642533.shtml
日本テレビは、少なくともドラマのチーフプロデューサー(制作責任者)に実際に病院の代表者に合ってもらい、ドラマでの意図を説明、話し合いをさせるべきだ。
そもそも僕はこのドラマが養護施設と子供ではなくDVシェルターと女性を舞台としており、
ドラマでの施設長の子供に対する大声での差別的発言が、支援者の女性に対する二次被害的を発生させる暴力的な発言に
置き換えられていたとするなら、それだけで批判がそこら中から起こっていると思う。
(養護施設での虐待などのの問題があるが、DVシェルターでの二次被害などの問題がある。リンクは古いが以下。)
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以下一話を見た感想
―21世紀で一番泣けるドラマ
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」での公式サイトにあるイントロダクションの最後の一文である。
おそらくこの一文がドラマを表しているのだろう。
ドラマでの“ポスト”というあだ名や、差別的な発言をするのもすべてあなたを最終回で泣かせるための装置に過ぎないのだ。
陳腐な不幸系の脚本、それをごまかすための差別的な台詞、過剰な演出、子役の一発芸的な“演技”しか見せ場のない映像、
時間の過ぎるのが中学生の頃の授業のように遅く僕は見ていて退屈で苦痛でさえあった。
ただ単純に制作者にドラマを作る能力が無いのだろう、醜悪なドラマだと思う。
(主題歌のコトリンゴさんの曲と芦田真菜さんの演技をする能力はこのドラマにはもったいない。)
ただ、テレビ局の思惑通りこのドラマを最後まで見る視聴者は泣くだろう。
だが、そのうち何人が、ドラマだと割り切って見ているのか、