はてなキーワード: 悪夢とは
その国は女性しか住むことが許されず、男は基本的に入ることすら出来ない。
3K仕事はすべて機械化か外部で処理されており、女性は苦役から開放され、日々を健康的に生きる。
子供や快楽が欲しくなったときだけ厳選された男を招き入れ、女性が主体となって一夜をともにすることはある。
とかそんな触れ込みで喧伝されてる国。
主人公の少女は強姦されたことで心を病み、ケアの一環として女だけの国に移住してくるんだよ。
そこは天国もかくやというこの世の楽園で、優しくて性格のいい美少女や美女しかいないの。
ルームメイトや隣人は皆、傷付いた自分に対して親身になって接してくれるし、生活も快適だ。
そして何より、恐怖の対象でしかない男がいないことで心を癒やし、持ち前の快活さを取り戻していくの。
だがその実、女だけの国は、女を騙して囲い、性的に搾取するための巨大な娼館でしかなかったのだ!
夜を告げる鐘とともにすべての食事に混ぜられていたナノマシンが活性化、
すべての女性は発情し、自由意志で厳選された男を国へを受け入れ、淫らに舞い踊る。
もちろん、厳選された男とは、政府高官や企業の重役等、女だけの国の出資者だ。
親切にしてくれたパン屋の店員さんも、優しかった学校の先生も、私も男嫌いだと断言してくれたルームメイトも、
誰も彼もが街の往来で全裸になり、見たことのない表情で男に媚びを売り、穴という穴で玩具や男根を貪り嬌声をあげる。
体質からか何故か発情せず正気を保ったままの主人公の少女は、その地獄のような光景に泣きながら逃げ惑うも、
悲しいかな所詮はなにの力もない非力な少女。路地裏に追い詰められ、でっぷりと太った男に組み伏せられてしまう。
なんということか! その男は、少女がこの国に来ることになった発端となる事件の犯人ではないか!
そう、とある新興宗教教祖の息子であるその男は親の権力を後ろ盾に、凄惨な監禁強姦事件を起こすも罰せられず、今日も女だけの国に遊びに来ていたのだ!
「ブヒヒ、発情した駄肉では勃たないと思ってたけど、いい表情してくれるじゃんw」
「幸せな女だけの国なんて、そんな馬鹿なことがあるわけないじゃんw」
「わざわざボクチンに犯されるためにここまで来てくれてありがとうwww」
哀れ、発情してない奇異な人間ということで、少女は夜通し輪姦されてしまう……。
ルームメイトや寮長に心配され、あの事件のことを思い出しただけなんだ、
ここにいれば大丈夫なんだと一応は心の平穏を取り戻すも、今夜も鐘の鳴る時間は近付いてくるのだった。
って感じの。
薬を飲み忘れた日の夢はいつも怖くて、あまりに怖いので書いておきたくなった。
今回見たのは
終戦間近に命を散らした特攻隊の苦しみを描いた映画を見て怖かった
という夢だ。
なんかね、零戦ではなく、小さなロケットみたいな潜水艦に数人で乗るの。
遠方から弾を撃って敵を駆逐するんだけど、一号機の出撃が思いの外上手くいって、次号機をつくるときに製作陣が欲をかいたの。機動性とか推進力をもっともっと極限まで追求しようってことで、もうそりゃ狭いスペースにぎゅうぎゅうづめに四人くらいの人が縦一列に並んで座らされるわけ。そんでものすごいスピードで出撃するんだけど速すぎるの。あまりに速すぎて、艦がもう形を保てなくなってくるわけ(このへんからわたしの物理学的見識が少年漫画並であることが発露しはじめる)。艦内の気圧が(なぜか)急激に下がり始め、中の乗組員は圧迫されはじめる。加速とともにどんどんつぶされてゆく艦体。それでもますます加速する潜水艦はついに限界を超え、ばらばらに壊れ始める。それと同時に乗組員の身体もばらばらに砕かれる。時間にしてわずか数秒。乗組員は自分達がどうなったのかもわからないまま、血と肉片と骨片とに砕かれて海中に散りばめられてしまう。その数秒間のすさまじい痛みや恐怖を数十分にもわたって克明に描写する映画。
実はそうなる可能性が決して低くないというのは乗る前からわかっていて、いまわの際に彼らは走馬灯の中で上層部の老人達に同じ苦しみを味わわせてなぶり殺す。しかし現実にはもちろん老人達は生きていて、今なお若者達の血と肉の上にのさばり続けている。
この老人達は実在の人物で、映画を見終わったわたしたち観客はその足で老人達を殺しに行く。そうするのが自然だからだ。しかし結局それは彼らの奸計で実現しなかった。何も変わらない。乗組員達の痛みはわたしたちの痛みとしていつまでも身体に染み込んで抜けない。
小学生の頃よく吐いてしまい、親に迎えに来てもらうことなんて当たり前で、点滴を打った回数も覚えきれないほどだった。
中学生の頃に過敏性腸症候群で何時も無自覚にオナラをしてしまい、クラスメイトに遠巻きにされた。ファブリーズをかけられたこともある。
緊張するとお腹が痛くなり、運動神経がない(バレーのレシーブもできないレベルで)から体育が憂鬱で緊張するものになって、結果お腹が痛くなる。見学になったり保健室で休んだり。体育の先生には嫌われていたと思う。
3年生になると受験のストレスで体調を崩してしまった。自律神経がおかしくなった。3学期にはほぼ毎日早退。過呼吸をよく起こし、授業も受けられず先生には心配された。数少ない友達にも焦りから辛辣にあたってしまい、遊びに誘われることもなくなった。
受験は倍率2倍の高校に入学でき、さて新生活だと意気込んでいたけれど、膨大な課題につき寝るのは12時、7時からの朝学ための5時起き、満員電車のストレスのコンボで5月に意識を失ってしまった。救急車で運ばれ、一体何が原因なのかと色々質問されたが結局はなにもわからなかった。親に心療内科に連れて行ってもらったけど、何もわからず。その1年はただ眠って過ごした。次の年になったら復学できるように祈ることしかできなかった。
結果から言うと、復学はできなかった。それどころか体調はもっと悪化した。体がそわそわと落ち着かず、ずっと吐いていたし、海にいけと何度も何度も幻聴が聞こえた。行ったけど何もなかったが。
そして1番最悪だったのは夜中に外に出ることだった。記憶にはないけれど、親によると雨の日の深夜2時に大きな通りの1歩手前でぼうと立っていたらしい。もしかしたら車に轢かれていたのかもしれないと思うと今でもぞっとする。
これはさすがにおかしいと心療内科の先生に相談、即日保護入院が決まった。一応と頭のレントゲンを撮って、肉体的な病気ではないと診断される。
最初はずっとトイレで吐いて、歩き回らないと足が死んでしまいそうで、心臓が嫌に跳ねていた。落ち着きがなく、貰えないとは分かっていたけれど(一日2回4時間あけての薬だから)ナースステーションで何度も薬を強請った。
あとご飯が美味しくない。高齢者が多いから納得ではあるのだが、若い私はもっと洋食を出して欲しかった。しかも量が多くて食べ切れない。残したら食べた方がいいよと言われ、口に詰め込んだがすぐにトイレで吐いてしまった。
夜寝る頃になると相部屋の人がボソボソと呟き出す。お母さんごめんなさい、とか、なんでそんなことせないかんと、とか、あんたらが悪いから私はこうなったんだ、とか恨みつらみを一通り呟いて泣いていた。私は眠れなかった。
そんな生活にようやく慣れたのたとき仲良くなったのは自傷癖のある人(今後Aさんとする)と二重人格の人(今後Bさんとする)。どちらもいい人なんだけどBさんは被害妄想が酷く卑屈だった。
お見舞いに来た私の父(初対面)に突然「生きててごめんなさい」って言ったぐらい卑屈。3人で話している時に「私その話苦手なんでやめてくれませんか」とか言ってくるしAさんと話してたところ入ってきて「私の悪口ですよねすみません」って言って勘弁してくれって思った。「私年下の子を見ると嫌悪を感じるんですよね」私もその時精神的に不安定だったからしんどくて。私も年上の方と話すの苦手です、ぐらいしか言えなかった。とある日、ふいに裏人格が現れた。どうやら主人格のお兄さんらしい。暇すぎて何往復もしていた短い廊下で呼び止められ「こいつお前の社交性があって素直な性格嫌いだから」って言われてそうなんだ…とちょっとだけ傷ついた。
1ヶ月経ったころ、人数の関係で病室移動。アルコール依存症かつ躁鬱病の人、統合失調症の人、夫に自殺をきっかけに鬱になってしまった人と相部屋になった。色々身の上話をし合って、色んな人がいるんだなあと思った。
「今日は眠れなかった」は挨拶みたいなもので、決して不健康アピールではないのだと知った。
いきなり叫び始めて八つ当たりし始めたおばあさん、食後お腹痛くなったらしくて看護師さんに「ご飯に毒を盛りましたよね」とか言ってる人などもいた。
私はパーキンソンの症状が出て体の震えが止まらなくて常に視線が上を向いて口から泡が出そうになった。夜になっても眠れない時に看護師さんに言ったら「我慢出来るならしてほしい。皆そうだから」って言われた。あいにく土日を挟んでいたので、その2日間はその状態が続いた。出勤してきた主治医に症状が辛いから何とかしてくれと頼んだら「えっ、なんで」との反応。パーキンソンの薬はちゃんと出すように言ってあるとのこと。「あー、薬が切れてるみたいですね…ナースセンターにっと言っときますね」っていう明らかに病院側の過失だった。
特に謝られることもなく薬は出された。飲んだら治ったから、まぁ、よしとしよう。
入院して3ヶ月目、高校はどうするかのはなしに。さすがにこれ以上留年するのは…と思い通信制高校を探し始めた。
退院間近になると外泊や外出で外からの刺激を受けて大丈夫かどうかのテストをした。そこで何も無ければOK。私はポケモンの映画を見に行った。
退院してからはなるべく刺激を受けないように、テレビや動画を見ないようにと忠告された。眠たくて眠たくて、昼も夜もひたすらに寝ていた。
すると指で広げないと目が開かないという状況に。眼科に行ったけど、ドライアイの薬しか貰えなかった。
通信制高校は登校が楽そうなところを選んだ。暫くはゆったりとそこに通っていた。しかし今年の2月、悪夢をよく見るようになった。人を殺す、人が死ぬ、自分が殺される、など。しかもどれもがリアルで起きた時に感覚が残っていた。首が痛かったり、虫が肌を這いずる感覚があったり。
小学4年生からの記憶がなくなっていたのだ。朝起きると難しい漢字が読めない。上手く計算もできない。けれど記憶をなくしたのは3週間程度だった。よかった。
記憶が戻った今も精神年齢は10歳な気がする。その頃から家族に、それこそ子供のように甘えるようになった。
それからはまた家でのんびりしたり登校したりしてゆったりと暮らしていた。開かない目のことが気がかりだったが。
しばらくすると6月になって、また幻聴が聞こえ始めた。今度はひたすらにしねしねしねと耳元で囁かれるような幻聴。
鬱が酷くなる。
それからは高い建物を見るとあそこから落ちたら死ぬかな、風呂に入ってるとここで寝たら溺れるのかな、睡眠導入剤をたくさん飲んだら眠るように息絶えるのかなとずっと死ぬパターンを妄想していた。
そこで現れたのはヒョウモントカゲモドキ。
ペットショップで一目惚れをした。元々爬虫類が大好きな私にとってその子はとても魅力的に感じた。親と相談して買ってもらい、毎日かごを眺めるようになった。すると生活が一変する。ヒョウモンに餌をあげるために、と義務感が湧いていたのか、今まで夜型だった生活から夜8時に寝て朝4時に起きるようになったのだ。毎日3食、十分な睡眠時間の確保など健康的な生活を送ることが出来た。
そうなると気になってくるのはやはり目が開かないこと。神経内科はどうだろうかと主治医に言われ、紹介状を書いてもらい行ってみた。結果は特に異常なし。それを主治医に報告すると、もしかしたら薬が悪いのかもしれない、とのこと。あまり主流じゃない副作用だから確信は持てないけれど、これ(薬の名前は忘れた)減らしますねと薬を出された。それから体調が悪くなった。吐いて寝込んで精神的に不安定になって泣き出して。1週間後に予約を入れたのでふらふらとしながらも病院へ。目は開かない、具合は悪い、最悪な状況だった。次の薬で良くならなかったら入院してもらいますね、と薬の量を増やして服用している。
それで今日に至るのだが、目は開くようになった。吐き気もない。ただ睡眠時間が狂ってるだけ。
これは入院しなくていいのだろうか。そう思う午前1時。
田舎でI wanna beしていた私は、一念発起して上京してからある程度の年数が過ぎた。
ひょんなことからとある芸術分野において創作活動を始めたのだが、その世界で見た事を部分的ながらも、
知っている方にとってはごく当たり前な事を書くことになる。
残念ながら独学した方がマシな人しかいないので、正直名刺交換もしんどい。学生にとっては雲の上の人に見えるだろうけれど、
その内実は、企業とのつながりの為に出向した人間や、付き合いで取れた章典を引っ提げて人に教えている人が多い。
単純に考えればわかる事だが、才能も教えがいのない、カリキュラムも決まっていて、小金だけ持っている学生にルーチンでサラリー貰いながら教える仕事は、
最前線で創作活動をし、名誉と金をもぎ取る人たちにとって、悪夢以外の何物でもないのである。
これらの仕事として行う為の技術を学ぶ場としては機能しているし、OBOGや就職先のネットワークは色々な点でメリットになるが、
それ以上の事は期待しても難しい。
定期的に何処かの美大で教授が怠惰であると抗議を挙げる学生がいるが、そもそも怠惰だから美大の教授をやっているとは考えなかったのだろうか?
・パワハラ(というか優位的地位の濫用)・セクハラ(というか強制わいせつ)
そんな世界は産業として成立していないとかいう人がいるが、労働者向けの用語に直すと括弧のにようになる。
どの世界でもある事だし、性善説で社会は回っていない。自己の権利を主張しない奴は「私の価値はゼロ円で使い放題です」と言っているのと同義だから、
優位的地位に居る奴に、いいように使われるのがオチである。セクハラは最近マシになったが、元々女にモテない奴が、
女に対して優位的立場を行使できるようになると、気持ち悪い性欲の捨て場として使うようになるので、まあ気を付けてほしい。
・出来賞レース
言葉として、「10年に一人の逸材!」とかあるが、ではその方が受賞する賞年度を除く9年はどうかというと、
そこそこの落としどころで納得できる才能か、関係者の付き合いで賞を取らせることになる。
特に学校関係で受賞する方は、10年20年先も活動できるような底の深さを作る間もなく、その余裕もない形でヨイショされるので、
憐憫の眼差しで見てしまうのだが、本人にとっては今を生きているのだから仕方がない。ゴールは学校の先生である。
画廊関係の推薦も、よくよく思うと、その年の決算までに効率的に稼げそうな方を選んでいるフシもあるので、画廊を選ぶのも運である。
そもそも、大人しく金持ちの家に置く物や建具に細工をしていればまだいいが、fine artを名乗って売る以上、
その日暮らしのルンペンであり、狙った特定の層にウケる創作物を作るしかないのだが、
世界(日本除く)は芸術作品の売買や輸出入における関税を極端に低くしているので、金持ちの合法的脱税と投機により成り立っている側面もある。
サラリー貰っている一般大衆とは考え方が違って当たり前で、そもそもそのような世界に居られない人間の逃げ場のような側面もあるので、
世間通念とずれた人間が多いのは仕方がないところである。芸能含めて言い方が悪いがヤクザな世界である。信じられるのは己のみで、
個人的な私見だが、ヤクザと聞くと皆さんが思い浮かべるのは悪いイメージだが、疑似家族制度や仁義・義理の考えは、武士社会のもじりである。
政治家や財閥を構成する方々の閨閥等の理論と、ヤクザを構成する方々の理論は、実はとても近い。
才能と己が全てである。
なんか連休だから、お薬飲まなくても寝れるかなと思ってたら痛い目にあっている
昨晩は布団に入っても眠れなかった
どこかで諦めてお薬を飲もうかと思ったが、立ち上がる気力がなくてどこまでもダラダラとすごした
深夜に腹痛が激痛で目覚めた
流石に耐え切れなくてトイレに向かったらアタマは割とはっきりしてるのに全身脱力してフラフラして倒れるかと思った
なんか布団が熱く感じたり、足が寒くなったりを繰り返しながら不快な時間だけが過ぎていった
途中は浅い眠りでひどい悪夢を見た、ゆめでよかった
起きてみると、全身が痛い、どうにもつらい
こんなときは身体を動かしたほうが良いと思い散歩に出かけても治らない
熱い風呂に入ってみたが良くならない
もしかして熱があるのかと思い測ってみたが、平熱だった
どうしてこんなにつらいのか
せいせいした気持ちで残りの勤務日を過ごす俺に悪夢のような一報が届く。
「送別会をしますよ!何日が開いていますか!?」(原文まま。開いていようが空いていようがどうでもいい)
後輩からだった。後輩よ、社内メールの元気がいいのは構わないがこの無邪気さを今だけ呪わせてくれ。
誰に吹き込まれたのかは知らないが(後に俺の班の先輩だったと判明する。怨。)とんでもないことを企画してくれる。
確かに周りには最低限の愛想を振りまいてはいたが俺は基本的に陰キャなのだ。社内の飲み会など当然乗り気ではなく、家でのんべんだらりと引っ越しの準備がしたい。
俺を送り出す送別会なんか開くな。当時の会社が気に食わなくてこちらから三行半を突き付けたのだ。霧散するように会社からいなくなりたかった。
結局当日は世話になった上司達に酌をし、後半には全員の前であいさつをさせられた。貼り付けた愛想笑いで頬が痛かった。
今の会社からいなくなる同僚から「僕の送別会があるんだろ?どうすれば回避できる?」と相談を受けたためこんなような経験を思いだした。
俺も同僚も小心者なので「はあ?余計なことすんなばーか!」なんて口が裂けても言えない。
送別会が自己申告制にでもならないかぎり俺たちのような根性ナシは苦しみ続けるのだろう。
送別会を開かないと周囲からの体裁が悪いのはわからないでもないのだが、そんな不確かなものとは戦わないほうがよいだろう。
願わくばこの文章が世の「送別会開催したい人種」達の目にとまり、少しは躊躇してもらえると幸いである。
なるほど「送別会を開いてもらえなかった!」と文句を言う人間がいるのか。
そんないちゃもんをつけられては確かに送り出す方としては居心地が悪いだろうが、どうせいなくなる相手なんだから気にしなくていいぞ。
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。
すなわち、豊穣への感謝・祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。
そうした祭りの起源から、その地の歴史・文化を紐解くことが、文化人類学者としての私の仕事の一つだ。
世界中の祭りは樹形図のようにつながり、あるところで結びつき、あるところで消えたりする。
しかしながら、そうした系譜に属さず、あたかも以前からそこに存在していたかのように突如として実存する、そのような祭りが存在していたとしたら。
しかもそれが、長い歴史で見ればコンマ1秒にも満たない期間に、世界中で同時多発的に出現していたとしたら。
そのような悪夢とも天命とも思われる事態に、私は今直面している。
初開催は今から200年前の西暦2018年頃。内容は泥水の上にかけられた細い橋の上を自転車で渡るという、娯楽要素の強いものだ。
そのあたりの時期の情勢と照らし合わせて、少し違和感を覚えたが、まあ分からなくはない。
私はそれを持ち帰って、研究材料にしようと考えたのだが、どのような歴史書を辿ってもその祭りの起源が見当たらない。
まあ、起源不明の祭りに今まで出会わなかった訳でもない。この祭りもそれらの一例に過ぎない、とその時は考えていた。
これも良い機会か。と、私は今まで起源がわからず調査中であった祭り、それから歴史書などには載っていないが現地に行って新たに発見した祭り、などを改めてまとめていった。
一つ目はそれらの祭りがどれも2000年代の数年の間に発祥であること。
それからもう一つ。
どの祭りにも第1回大会にはダイスケミヤガワの記録があること。
これらの事実が想起させる、ある種馬鹿げた仮説はただひとつ。ダイスケミヤガワ、あるいは彼の属する組織がこれらの祭りを造ったのだ。
世界中の村々で。
突然に。
何のためにー。
ハロウィンは昔から日本の一大イベントだ。そこで生まれる経済効果はこの国だけでも数兆円と言われている。
ダイスケミヤガワも、そのような経済効果を目的として祭りを作った可能性を考えてみた。しかしながら、祭りの内容を鑑みるに、その可能性はほぼ無いに等しかった。
事実それらの祭りが何らかの経済効果を生んだという記録はない。
私は視点を変えて、ダイスケミヤガワの人物像を調査することにした。
これだけの短期間に、これだけ多くの祭りに参加しているとなれば、恐らく彼は祭りの賞金で生計を立てていたと考えるのが普通であろう。
もしくはー。
祭りを造り、それに参加することが彼の仕事であった、とでもいうのだろうか。
わたしにはダイスケミヤガワが全くの同一人物を指しているかどうか、確かめる術は残されていない。
そのため、以下ダイスケミヤガワとは、ある特定の人物もしくは組織の総称とする。
冒頭でも述べたように、祭りは、元を辿ると神々への信仰を目的としていることがほとんどである。ダイスケミヤガワは、これらの祭りに信仰の意味を込め、布教していた宣教師(達)だったのではないか。
つまるところ、ダイスケミヤガワの行くところに祭りができ、祭りのあるところに、ダイスケミヤガワがいたのだ。そうとしか説明仕様のない史実が、私の前に広がっている。
しかしともすると。