はてなキーワード: 幸運とは
真面目に働いて、株や投資信託で積み立てた。
たぶん積み立てた原資は2000から3000万くらい、それが膨らんだんじゃないかな。
あと、子供名義のジュニアNISAが2人合わせて1000万くらいある。
なので、2000から3000万が7000万くらいに膨らんだイメージ。
親は生きてる。
そこそこ裕福だったから、車を買う時と結婚式を挙げる時と子供が生まれた時と、数十万から数百万単位でけっこう貰った記憶がある。
その頃からかなり持ってたんだけど、親は年収500万くらいじゃ厳しかろうって思ってたみたいで。なんやかんやでトータル500から1000万くらい累計でもらってるんじゃないかと思うけど、正確にはわからない。
投資のリターンは、リーマンショック、311、コロナ等々、安く買えるタイミングに恵まれたおかげ。
それに自分が社会人になった頃から、2013年までは株や投資信託の税率がバカ安で、全ての取引がいま騒いでるNISAみたいなもんで、それも幸運だった。
なんで、まだ3000万くらいローンがあるよ。
でも最近、20代前半になって、周りの友達が当たり前のように「〇〇歳くらいまでには子供欲しい」とか、遊んでいる時に子供を見かけると「かわいいー!早く産みたい!」とか言ってて衝撃を受けている。全然子育てに興味がわかない自分からすると、彼女たちのように心から子供を欲しがる人たちが眩しいし羨ましい。当たり前のようにそう思える心が欲しかった。
自分にとって、子供というのは高リスクかつ金ドブというイメージしかない。
育てるのが大変な障害を持って生まれてくるかもしれない、犯罪を犯すと親である自分も迷惑を被る、正常に生まれてもしつけとか親の責任重大な面倒ごとが多すぎる
金ドブ
健康に安上がりに育てたとしても20年近くの生活費と学費+αは親の責任として捻出する必要があるがその支出をペイできるほどのリターンを得られる確率は限りなく低い、自分が元気な20~40代にかなり重い支出を強いられる
正直子供のことは手間と不利益ばかりかかるのにやたら高額という最高レベルの負債にしか思えない。
しかし友人たちにとって子供や子育てというのはみている限り心から魅力的なものらしい。なかには「結婚(=旦那さんができる)そのものには興味ないけど、子供が欲しいから結婚相手探してる」みたいな、自分からしたら信じられないような子もいる。
彼女たちをみていると、心から子供が欲しいと思える人格に生まれるというのはかなり幸運だよなあと眩しく感じる。今更どうにもならないことだけど羨ましく思う。
もし君たちに、一つだけアドバイスができるとしたら?
長い人生の中で得た、少ない知恵からたった一つだけ伝えられるとしたら?
ジジイの説教は鬱陶しいと思うが(気持ちは分かる。なにせ俺も十数年前は若者だったのだ)
聞いてほしい。
昔思ってたより世界は広くて、色んな奴らがいた。いい奴もいて、悪い奴もいた。
だけど全員、誰一人の例外もなく、オレと同じ考えはしてない。
「マトモな人間なら、こう考えるはず」
と幾度となく思ったが、全て外れた、じゃあマトモな人間はこの世にオレだけなのかというと、もちろんそんなことはない。
マトモっていうのは要するに、オレと同じ考えならば、という意味だったのだ。
それにずっと気づかなくて、女友達を失ったし、職場で反感を食らったし、ネットでコメント先の誰かを傷つけた。
多様性の世界で、人はそれぞれに違った人生を生きてきた。君と同じように考える都合の良い誰かなんていない。
他人だらけの孤独の中で、君が本当に幸運ならば、一人か二人程度の信頼できる友達に巡り会えるだろう、だけどそいつも、もちろん、君じゃない。
初めて交際した人とは痛くてできなくて大きい声で痛がってたら、もうする気が無くなったと言われてしてもらえなくなって、そのうち振られてしまった。
バツン!とちくわにでかいきゅうりを無理やりつっこんで裂けるようなイメージの痛みがあって、少しだけ血がでたけど全部入らなくて
血が出た…って言ったけど相手は挿入できなかったことがショックだったのかひとりでさっさとベットを出て部屋で背中を向けてる姿しか覚えてない。
もう誰とも交際したりできないだろうなって思ってたけど、なんだかわからないけど幸運なことに好きな人ができて、交際することができた。
愛してる人と挿入するセックスしてみたい、はずっと夢だった。
今回は絶対挿入したかったので、事前に自分でダイレーターで確認した。
昔付き合ってた人に、自分で広げといてよと言われて似たようなものを買った事があったけど、怖かったのと
どうしても自分の考えるセックスと違うと感じてできなかったことを今回はすることにした。
コンドームをかぶせたダイレーターをだんだん太いものに替えながらある程度のものなら痛みなく入るがわかった。
昔付き合ってた人に「ほらね、私はあのとき頑張ってたんだって!」と言いたくなった。
それでこの間ついにセックスした。
正直挿れてもどん!という体がぶつかる衝撃があるだけでよくわからんうちに終わった。痛みがほとんどなくて助かった。
ただ足を広げさせられたり、コロコロ転がされるのは相変わらず恥ずかしいなと思った。
圧迫で大便がでないかそればっかり気になっていた。
あっけなく挿入できた。ある程度の感慨があった。
でも昔とちがって、触れ合ったりすることにセックスを感じて居られることのほうがやっぱりいいなと思った。
いつか挿入でも気持ちよくなることがあるんだろうか?
子供の頃、母ががんになった
酷い泣き虫でとても一人にはしておけない娘を前に、母は何がなんでも生き残らねばと決意した、と聞いた
無事手術は成功したが、その後も長く放射線治療と検査を受けていた
他にも腫瘍ができ、これが悪性だったら余命はもう数えるほどだと宣告されたこともある
それでも母は苦しい治療を受け続けていた
主治医に完全寛解と経過観察の終了を告げられた時、私はもういい大人になっていた
つい数年前のことだ
今日で長い病院通いもおしまいになったよ、と聞いた時、私は最初に「生きていてくれてありがとう」と言おうとした
母がそばで生きて育ててくれたから、泣き虫で弱虫な私は一応の大人になれたのだ、それは当然じゃない、母の決意に支えられた私の幸運だったのだ
でも、まるでそれは「あなたの人生は私のためにあった」と言っているみたいで
母の生は母だけのもののはずで、生きようとしたのもそれは彼女個人の決意とその結果であって、そこに他者である私が感謝を表明するのは筋違いでは、と思ってしまったのだ
ただでさえ、まだ女性が自由にはライフプランを選べなかった時代の人に、「母として生きてくれてありがとう」というのは失礼なのではないか、と
そして「生きててくれてありがとう」ということで、私はこの先の彼女の人生の自由もやんわりと縛ってしまうのではないか、と
結局私は、「私は、お母さんがこれまで生きていてくれて本当に助けられた」という、謎に突き放したような感想を表明したのみだった、母はリアクションに困った顔をしていた
なにか贈り物なんかもしなかった
某SNSで似た言葉を見かけ、自分のそのことを思い出して、もっとちゃんとお祝いすれば良かったと後悔しているような、でもやっぱり私にとってはあれで正しかったと思うような、割り切れない気持ちでいる
正解はなんだったんだろうか
今だって母にはこれからも元気に長生きしてほしいが、それを彼女が望んでいるかはわからないし
人をおもうというのは難しいことだ
先日の飛行機事故で乗員乗客全員が助かったのは客がCAに従い迅速に避難したからだ、と言われる
他の専門家も手荷物を持たず速やかに退避した乗客を称賛している。
ソース:https://sp.m.jiji.com/article/show/3135592
この際、客からの声掛けがあり、中には強い口調で荷物を出さないよう呼びかけがあったことが動画で確認できる
ソース:https://youtu.be/SBLfnwhiJ1Y?t=564
なるほど、非常時には権威ある専門家に従い、一般人はそれを信頼し粛々と行動すべきことがわかった
パニックに陥り違う行動をとるものは一般人同士で牽制し掣肘することが望ましいということがわかった
我々は知っている
同調圧力でどうしようもない惨事を引き起こした先の戦争を知っている
だから、そう、どうやら世の中には良い同調圧力と悪い同調圧力があるのだ
どの同調圧力が良くて、悪いのかを定める目方は誰が決めてくれるんだ?
分からない
種の生存戦略という観点から言えば、一定数同調圧力に屈しない異常個体が必要なのだろうか
二度あること~ 三度目の~
一石二鳥 二兎追う~虻蜂~
鳶が鷹~ 蛙の~
犬も歩けば~ 馬鹿の考え~
(犬、不運の意味も幸運の意味もあるの? 後者は後付けか。犬より下手な鉄砲)
また、諺パワー100に対して、逆のこと言ってる諺の説得力がちょっと弱いなど不均衡なのもありそう
とにかくそういうこともあるけど逆のこともある というのが多い
スマホや財布も含めペットやパソコンとかポケットに入れておけばとかポシェットとか身に着けるタイプのカバンとか全部まとめてなんだけど
避難行動の邪魔になるものはその場に置いたままとか邪魔なら排除するとかするってだけの話なんだよね
まず両手が空くこと 救助をするのもされるのも必要なことだし だからといってむやみに掴まれると困るし 転んでもすぐに行動に復帰できるように 折れたり怪我したりする可能性がいちばん大きいこともある
次に人の邪魔にならないこと ひっかかったりぶつかって怪我させたり 落ちたのを拾おうとして自分が障害物になったりしないように
自動車が操作を間違えたり居眠りやよそ見をすると数秒で人が死ぬ可能性に発展するのと似てるんだけど 飛行機の中の行動でいつもしてるような行動をするだけで人が死ぬ事があるから
前の人がつっかえたので後ろの人たちが死んでしまったとなってしまったら、つっかえる行動を禁止しているにもかかわらずしたので死亡事故に発展したってことになるよ
絶対座席の出っ張りにひっかからない、ひっかかっても自動的に切れる紐のポシェットを使うことを徹底する、けど間違いはおきるものだから禁止したほうが確実ってことだね
手荷物もペットも、スマホも財布もそうなる可能性になる場合は全部ダメ ダメとは書いてないとかいいかもしれないとかいい場合も悪い場合もあるとかそういう話じゃあない
財布を落として拾おうとしてしゃがんだら後ろの人がそれにつっかえて転んだ って可能性がゼロになるか、可能性としてほぼまずないからだいたいゼロに近いことにはなるか、では大違い
パソコンも両手が空いているか、ころんですぐ立ち上がれるか、拾おうとしないか、それをぶつけて怪我させたりしないか、ひっかかったりしないか、パンクロックな上着をきていたりルブタンの靴でとげとげだったりしてないか
避難の邪魔をしてたら排除の対象になっても文句はいえない それはパソコンでもスマホでもペットでも同じ
家賃3万円代の家に住み、大学院では入学金は親に出させてしまいましたが無利子奨学金とTA・RAで生活費と授業料をすべてまかないました。博士課程では奨学金額があがったため車も持てました。免許は暇な学部生時代に取っておきました。
なお学振は全て落ちてます。あの頃は申請書を書くのが下手くそ過ぎて。
このように実家が太くなくても生活レベルを落とす覚悟があればドクター進学はできました。
あとは運!兄弟が留年したりして急なお金が実化に必要になって進学を諦めた学生さんもいました。大病をして諦めた学生さんも見ました。そういうことがなかったのは幸運でした。
周りの助けもありました。当時は珍しかったであろう高額のRAがなければ研究に集中できたかどうか。授業料はすべてRAで支払えました。教授に感謝です。
あれから幾星霜たった現在、ドクターへの補助は(大学にも依るでしょうが)手厚くなっていまして、ますます実家が太くなくても進学しやすくなっています。お悩みの際は近くの教職員にご相談を。
JavaScript でさあ
変数 value が null でも undefined でもない事を確認するのに
if (value) { console.log('null でも undefined でもねーわ'); }
これほんとやめろって。
おかげで value に 0 とかが入ってる時に、このコンディションが false になるわけだ。
色んな会社さんのコード見てきたけど、このタイプのバグ本当に多い。
昨年は、世界的にも有名な会社さんのフレームワークがこれでバグってた。
でももう既にシステムの一部は本番稼働しててフレームワークはいじれない。
仕方ないので value には一旦文字列の '0' を渡しておいて if (value) {~} の中の重要なロジックを動かして
(めっちゃ幸運な事に、数値 0 のかわりに文字列 '0' でも正しく動くような、型について緩いロジックだったから)
その後で改めて value に数値 0 を入れなおすという、きったないハックで誤魔化した事もある。
とっくに知ってるよという人は「とっくに知ってるよ」とコメントしてくれ。
いやもっとあるかもだが、ここで紹介するのはふたつだ。
動画の再生速度を0.25倍速~2倍速の間で変えられる。スピードを変えてもピッチ(音程)は変わらない、素敵機能だ。
細かいフレーズを聞き取るのも、ゆっくりで繰り返し練習するのにも重宝する。
動画の中の任意の区間を繰り返す、いわゆるABリピート機能を提供する。
クリップの長さは1分までということと、作成したクリップは名前をつけて保存する必要がある(したがって、ログインユーザーでないと作成できない)ことに注意。
このふたつを組み合わせると、任意の区間をゆっくりとエンドレス繰り返し再生できる。練習にうってつけだろう?
まずは0.5倍速で運指やニュアンスをしっかりと把握し、0.75倍速で繰り返し練習する。
0.75倍速が完璧になるまでは等速に戻らないこと。急がば回れ、だ。0.75倍速が鼻歌まじりで弾けるようになる頃には等速もそこそこ弾けるようになっている。0.75倍速もあやしいまま性急に等速を練習するよりも、0.75倍速をきちんと仕上げてから等速にステップアップするほうが(たいていは)近道なのだ。
幸運を祈る。
病気になり会社を辞めて実家で暮らすことにしてしばらく経ち、いま父を⚪︎⚪︎する方法を考えています。
父は自分の考えが正しいと思い込んでいます。これは中年の男性によくある現象だと理解はしています。私は自分と違う考え方であっても、論理的であれば、所謂筋が通っていれば、まあそういう考え方もあるのかと受け止めることができます。でも父の考え方は論理が飛躍して訳が分からないのです。そこに理屈はなく、ただ自分に都合の良い方向に持っていきたいだけに聞こえます。いや、それすらせずに怒鳴って私を黙らせようとします。
犬を飼っています。室内で飼っているので特に留守番をさせる時には、犬の手の届く場所に危険なものを置かないようにしています。父は薬を飲んでいます。何かの拍子に床に落ちてしまいそうな場所に常に薬を置いています。犬が誤飲してしまうと危険なので置き場所を変えようと提案します。その場では頷きますが、数時間後、下手すれば数十分後には同じ場所に置いています。自分の行動を変えられないのです。言い方を工夫して何度も何度もお願いしました。でも変えないのです。危険性を丁寧に伝えました。改善案を丁寧に伝えました。変えてくれません。
これはタバコとアルコールもそうです。アルコールについてはもう諦めています。臭いしいびきも家中に毎夜響き渡っていますが、こちらは諦めています。問題はタバコです。副流煙の危険性を懇切丁寧に話しました。犬も毎日のようにタバコの匂いが体毛についてしまい、ブラッシングや専用のシートで取っています。私のダウンにはタバコの匂いが染み付いています。犬をガンで亡くしたくないと訴えても聞く耳を持ちません。私が幼児の頃に父のタバコを誤食したことがありました。もう数十年経ちますが父がタバコを止めようとした姿を見たことがありません。
私が数年前に⚪︎にたいと両親の前で呟いたことがあります。そのときの父の第一声は、これまで幾らかかったと思っているんだ、でした。幸運なことに私は小中高大すべて国公立でしたので、一般的には教育費が少ない方に分類されるかと思います。大学まで進学させてくれたことに感謝する気持ちがある一方で、親の義務を果たしただけだろうという気持ちがあります。お金がかかるのが嫌なら何故産んだのでしょうか。
これまでの人生、身体的暴力は受けておりません。でも精神的暴力はたくさん受けてきました。ここに記したことは些細なことです。
常に悪い思い出ばかりであれば、とっくに実行していたかと思います。残念ながら良い思い出も少なからずあるので、踏み切れません。
さらに、父方の祖父母の問題もあります。車が運転できないので父が頻繁に世話に行っています。父がいなくなると私がこれをやる必要が出てきます。衛生観念や価値観が大きく異なる祖父母と同居はしたくありません。かといって遠い場所に住む祖父母のために私の休日を消費したくありません。父と祖父母が同時にいなくなれば、私にとって最良の結果となります。これを実現する方法が見つかりません。神頼みでもしようかと思いました。しかし、有名な縁切り神社は縁切りの方法が選べないそうなので、悩ましいところですね。ここは笑うところです。
交際もそうなんだけど
「結婚前提で」あらかじめ「年数を区切っておく」のを勧める。
相手が交際の果てに人生どうするのか、「結婚出産を考えているのか」を話し合っておくのを勧める。
強く勧める。
年齢にもよるけど、「同棲1年か2年」で「結婚するかどうか」を判断した方が良い。
勿論 人それぞれ事情が違うから、結婚出産しないとか出来ないとかを選ぶ場合は別として。
大多数の従来型の「将来は結婚したい (+ 子供欲しい)」と考えてるならば、
「同棲期間」を長くても2年ほどに定め、
その後は「結婚する、結婚準備を直ぐ始める、又は別れる」としないと、
相手の人生の意思意向をなるべくハッキリ明確に聞き出しておかないと
自分が結婚や出産の意思が無いなら、それも相手に必ず伝えないと不幸なすれ違いになる。
相手が結婚する気がないが付き合い続けたいと嘘をつく事もありえるけれど、
1,2年ならまだ傷も浅い。
男女対立をTwitterで見過ぎて、自分が女性であるのが嫌になってきちゃった。
社会全体がそんな悪意と敵意に満ちていないはずだと祈ってはいるんだけどね。
幸運なのか、私が鈍感すぎるだけなのかはわからないけど、今までは日常生活の中で男性から私が女だからという理由でされた行動で、自分が女であることを嫌に思ったことはなかった。
女で得することも、損することもあったし、客観的に見ていろんな面で女性の方が懐に入りやすく情状酌量を受けられるという点で得してるのは事実だと思う。
ただ、「女性は社会で活躍できない低知能だ」とか「女はセックスする以外価値がない」だとか「まんこにしか価値ないくせにどうしてそんなに調子に乗れるんだ」とか、
私だって頭が悪くても、性格が悪くても、1人の人間なのに、モノ、しかも性的に消費されるだけのモノでうるように強要する発言に傷ついたのは事実なんです。
こんなこと言ったら「また女はすぐ被害者ヅラするw」とか言われちゃうのかなあ笑
感情論でしか話せない馬鹿で、責任能力がなくて被害者ヅラばかりして、人間的魅力が少しもなくて性器にしか価値がなくってごめんなさい。
もちろん女性からの男性への酷い意見だって見聞きしたし、なんなら私も男性へのヘイトが溜まっちゃって酷いことだって考えたり文字にしちゃったりしたこともあるからお互い様なんだろうけどね。
私の言葉で傷ついちゃった人がいたなら本当にごめんなさい。
女に生まれてごめんなさい。
昔の化学者のエピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる
1965年、アメリカの製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンのテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味を発見した[8][114][115]。トルン・アテラス・ガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。
うん年前は私も大学で学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった
まあ、私の場合は重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが
アスパルテームの場合は製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……
Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]
スクラロースは1976年、テート&ライルの科学者が、クィーン・エリザベス・カレッジ(現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部)の研究者レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体の新規用途を研究していたとき、ファドニスは塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。
testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……
スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか
Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……
科学者の倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本を買って読んでいる
少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険な実験やりまくっていたようだ
自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験も1945年くらいか
前述の本を読んでいると「申請すると許可が下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)
シェーレが若死にしたのは同時代の化学者の例に漏れず、危険な実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質を舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。
18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが
イギリスのとある医師がニトログリセリン舐めて心臓止まりそうになって死にかけたのが19世紀の出来事
舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで
有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた
現代日本の大学の研究室で、教授が学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?
流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界だ
でも薬学系とか食品会社の研究所でも一度動物に摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……
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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく
ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定の割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記
ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリンを発見したという出来事は幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで
そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~
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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた
20世紀初頭にイギリスの火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日の仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初は工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。
それというのも、原料であるニトログリセリンの粉塵が工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。
痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息の月曜日になったことから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事や学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。
blue Mondayの語源がニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど
これを調べるのも面白そうだ
『世にも奇妙な人体実験の歴史』によると1858年にフィールドという名のイギリスの医師がニトロを舐めたとある
その後1878年にウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果を確認し、狭心症の治療薬として自分の患者に試した
火薬工場のエピソードは20世紀初頭……1901年頃ということになる