はてなキーワード: 平和主義とは
増田「平和主義者は、降伏すれば死者は少なくなるのに降伏しない現状をどう肯定してるの?」
ブコメ「ロシアが戦争を仕掛けなければ、そもそも死者は出ないぞ」
…
…やっぱ、はてなブックマークってマウンティング欲に熱くなって、
読解を置き去りにしても平気な人々の集まりらしい。
❷ 平和主義者は、しかしウクライナが抗戦してる現状を肯定してる。
それへの反論として「ロシアが戦争を仕掛けなければ死者は出ない」はおかしい。なぜならば
❸ 平和主義者は、ロシアが戦争を仕掛けてる現状は「肯定していない」。
❶ と ❸ は矛盾しないのだから、ダブルスタンダードは生じない。
長期的な平穏のためには一時的な犠牲はやむを得ない。——私が回答するならそんな答えになる。
同じ理屈で世界大戦中の日本に原爆を落とせるだろう。戦争の早期決着のために原爆被害者は必要な犠牲なのだと。ならば原爆投下を決定したアメリカ人は平和主義者か?
元増田こそが平和主義者であり、そして元増田がクソみたいなことを言っているという事実から、「昭和の反戦平和主義はクソ」という現実が確認されてるのが、ゼロ年代以降の潮流なわけだ。
「絶賛浄化中のウイグルや開戦当時からレイプ殺人が蔓延る現地、やめろやめろと言われて制裁加えてもなーんも響かない現ロシアをみて知って書いてるなら頭がおかしいし、知らないなら寝言は寝て言えとしか。 」
そもそも、現状戦死者が沢山でて戦争犯罪も収まらないわけで、その平和とはかけ離れた現状を肯定するのは平和主義でもなんでもないよねって話
とんでもない平和主義者やなお前
面倒くさいな、できれば自分で考えてほしいんだけどなあ
この記事を読むと、元増田の言っていることはますます雑だなと感じる
賛同できないって書いたけど、記事を読んだことで何を主張したいのか分からなくなった
とりあえず雑な部分について列挙する
ちなみにブコメはひたすら面倒くさいので現状読まない
北朝鮮がミサイル発射を繰り返す中、三重県四日市市の四日市朝鮮初中級学校(鄭俊宣校長)の男子児童が10月、登校中に通りすがりの男性から「ミサイル撃つなと言っとけよ」と暴言を吐かれたと、県が明らかにした。
県が「暴言である」としているように読める。毎日はまずこの一次ソースを具体的に明かすべきだけど、とりあえずこの県の公表をもって記事のタイトルを書いたとも解釈できる
この引用部分に触れずに、相手(誰に対してかは知らないけど)に対して「恣意的であること」の疑問を呈するのは、同じ穴のムジナというやつで筋が違う
口調がやや荒く聞こえる
この時点で人によっては暴言と取られるだろうから、その直後の「言い方を変える」という主張は通用しない
「ミサイルを撃つという戦争に結びつき兼ねない行為はやめるように伝えていただけないでしょうか」という言い方ならどうか。日本の平和主義憲法に則って、暴力ではなく言葉で問題解決しようとしている姿勢とは言えないだろうか。
言えない
その言い方には、「具体的に誰に対してそれを言うか」が抜けている
一番重要な部分を相手任せにしていて、けして平和的な問題解決とは言えない
人によってはどんなに丁寧にかしこまって言っても立場上暴言と捉えると思う
日本に住む一般人が隣国の挑発行為に抗議する際に、間違いなく総連に繋がっている朝鮮学校をまず想起するのは理解できなくはない(他に窓口がない)。
理解できない
朝鮮学校は外部からのそういう抗議を受け付ける公的な窓口を持ってないんじゃないの?
あるならあるで暴言を吐いた奴はその窓口に対して文句を言うべきでしょ
「他に窓口がない」は詳しくないからよく知らないけど、他に窓口がないからといって朝鮮学校の児童と教員に抗議する理由にはならない
その疑問は意味がない
なぜなら「大人に同じことを言ったら暴言ではない」とは記事内で言及されてない
その上、この発言が暴言とされるのは「暴言の相手が子供だから」とも言及されてない
ブコメがなんて言ってるか知らないけど、俺としては記事の中で県知事と県の言っていることが若干食い違っているのと、前段で児童となっていた対象が後段で児童と教員になっているので、そっちの方が気になる
報道に偏向があるのは当たり前。ましてブコメに偏向があるのも当たり前。毎日の記事は数ある報道の一つでそのまま受け止めて、別の報道もいくつか読むとか、県のニュースリリースを読むとか、もっと調べた方がいい
ブコメやジャーナリズムやその他世間一般に対してちゃんと問題提起したいなら事前調査が甘い
やっぱり同じ穴のムジナ
日本にいるこの子ども(たち)には北朝鮮の政治についての責任がまるでないからだろう。
しかし日本では、この国に生まれた瞬間から「先の侵略戦争についての責任」を負わされるという現実もある。現在日本に生存する人間で、中国や朝鮮半島への侵略行為に直接的な責任がある人(当時に選挙権などをもっていた人)はいないだろうが、未だに謝罪と補償は要求されている。敗戦とはそういうものだ、といえばそれまでだが、「罪もない子どもに…」的な論法を恣意的に使うことには疑問がある。
他にもあるけどもういいや。文の一つ一つに突っ込みが多すぎて、全体的に見て意味の分からない文章になってる。だから何を言いたいのか伝わらない。主張以前の問題
とりあえず、違和感を覚えたならまず徹底的に調べて、考えてください。それでも違和感を解消できずに真面目に主張するなら徹底的に推敲した上でしてください
今のところ、何を主張したいのかがよく分かりません
“一見勝之知事は2日の記者会見で、「子供に言っても仕方がない。暴言に近い」と非難。”
とのこと。(実際は“ 登校中の男子児童2人と同校の男性教員に、スーツ姿の男性が「ミサイル撃つなと言っとけよ」と暴言を吐いた。”なので大人に言ったのを隣の子どもも聞いたという可能性もある)
●まずこれは暴言なのか。
口調がやや荒く聞こえるが、「ミサイルを撃つという戦争に結びつき兼ねない行為はやめるように伝えていただけないでしょうか」という言い方ならどうか。日本の平和主義憲法に則って、暴力ではなく言葉で問題解決しようとしている姿勢とは言えないだろうか。
「言っとけよ」という依頼が達成される見込みはかなり薄いので、適当とは言えないと思う。特に子どもに言っていたとしたらほぼ無意味なので、依頼というより嫌がらせととられても仕方ないだろう。
とはいえ、日本に住む一般人が隣国の挑発行為に抗議する際に、間違いなく総連に繋がっている朝鮮学校をまず想起するのは理解できなくはない(他に窓口がない)。もちろん適切な依頼や抗議のやり方とは言えないが。
日本にいるこの子ども(たち)には北朝鮮の政治についての責任がまるでないからだろう。
しかし日本では、この国に生まれた瞬間から「先の侵略戦争についての責任」を負わされるという現実もある。現在日本に生存する人間で、中国や朝鮮半島への侵略行為に直接的な責任がある人(当時に選挙権などをもっていた人)はいないだろうが、未だに謝罪と補償は要求されている。敗戦とはそういうものだ、といえばそれまでだが、「罪もない子どもに…」的な論法を恣意的に使うことには疑問がある。
人の話が聞けない人は、他人の価値観をインストールできず、世界が自分だけで構成されいて、人間関係も歪む方向に拡大するが、
それらの負債は他人だけが見えているもので、本人は幸せものなのではないかという話。
例えば、人間関係において平和主義だと考える人に、他人に対して「怒り」をアウトプットしない事をポリシーにしている人がいるが、
自分が「怒られたくない」ことが重要である人がいて、その様な人は、他人の「怒り」を受け取ったときコミュニケーションにバグが生じる。
(自分が平和主義でありたいならそうすれば良いだけだが、相手にも平和主義を押し付けるマインドが隠れている場合にバグる)
たとえば、このような行動が見られる。
何もないところから怒られる事が振ってくることなどなく、原因が存在するが、
そこを見ることができない(=人の話が聞けない)ので、本人は解消の仕方が分からない。
なぜ、怒っているかを理解できないながらも折り合いをつけるための着地は必要で、自分の価値観で相手を決めつけて納得感を作り上げて解消する。
あなたの「怒り」を聞いてあげている努力(実態なしのポジションだけ)をしているが解消されないのはあなたが悪い
あなたの「怒り」に頭を下げているにもかかわらず解消しないあなたが悪い
本人の中の努力基準があふれたとき、それでも「怒る」相手にたいしてバグる。
(怒らないポリシーで耐えていた分をひっくり返して逆切れ散らかしたり、相手を見下し判定し今後の存在を無いことにするなど)
それを積み重なると曲がった世界観の中で、何度も重ね塗りのように自分の価値観をアップデートしてゆき、
どこかの宗教の教典のような教えが確立され、その価値観から脱却できなくなる。
このような人はたまにいるが、総じて思うのが、みんな幸せである(ように思う)のだ。
なぜならば、世界は自分だけなので、受け取れない物は耳をふさいで、受け取りたいものや言葉だけをチョイスして、
人間関係における問題解決はせず、本人は問題解決をした気になり、ストレス解消という名で、自分の世界の中だけで勝手に解消して、それでも溢れるときは存在をrejectして終わりにするのである。
このような、自分ばっかりにする人のことを「いつか自分に返ってくる」と折り合いを付ける人がいるが、(私もそのように感じているのだが)どこの角度をとって見ても、
曲がっているなりに幸せな世界に生きていおり、一体どのような形で「何が」返るのかが分からないのだが、
経験値の中であった例を教えてもらえないだろうか?
少し考えれば分かるのに増田どころかTwitterでも広がってるデマ、扇動者が考えたものなら凄いうまいと思う。
先に言うと政府を縛る意味があることは正しい。だけど、それは本質ではないし、憲法の必要条件ではないということを言いたい。
まず、憲法って言うと日本国憲法ばかり考えがちだけど、中国や北朝鮮にも憲法はあって、その憲法ではむしろ政府が人民を統制することを肯定するような内容も当然入る。
極端な話、日本国憲法も改憲して国民を縛る内容を加えたとしてもそれは「憲法」ではある(大日本帝国憲法も憲法ではあったことを思い出してくれ)。もっとも改憲方法を定めた96条と国民主権、人権保障、平和主義の3つの原則に関するものは変えられないのが通説だからこうなることは現実的にはありえない。
なら、憲法とは何かということだけど、簡単に言えば国家の統治方法を定める一番基礎的な法律という説明になる。なので極端な話だが、国が自由に何をやってもいい統治方法を採用するなら、その国の憲法には政府を縛るような内容は書かれない。
コマンチ族の酋長。ペタ・ノコナとシンシア・パーカーの息子。1874年居留地への強制移住に反発して、カイオワ、アラパホ、シャイアンと共に白人と戦った(レッド・リバー戦争)。しかし、食料源であるバッファローが狩り尽くされたため翌年降伏。居留地入りした後も部族を率い、白人文化を受け入れる一方でインディアンの文化も守り続けた。
・ブラック・ケトル
シャイアン族の酋長。白人との共存を臨む平和主義者で交渉による戦争回避に生涯を捧げたが、裏切られ続けた。最期はワシタ川の虐殺でカスター指揮下の第7騎兵連隊に無抵抗の女性、子供共に虐殺された。ブラックケトルは死の瞬間まで白旗を掲げ、「友達だ!」と叫んだが無視され蜂の巣にされた。
・シッティング・ブル1831~90
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。若い頃からレッドクラウド戦争,ブラックヒルズ戦争(1876~77インディアンの聖地ブラックヒルズを守るための大激戦)などの白人との戦いに従事した。1876年リトルビッグホーンの戦いではシャイアン族、アラパホ族と共にジョージ・カスター指揮下の第七騎兵連隊250名を全滅させた。スー族はその後降伏するも彼は頑なに居留地入りを拒みカナダに亡命した。71年に帰国し、捕虜となった。暴動を扇動したという無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
ラコタ・スー族オグララの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争などに従事し、その勇猛さをシッティング・ブルと並び称えられた。1876年ローズバッドの戦い、リトルビッグホーンの戦いで米軍を破った。しかし、物量や装備で勝る米軍に敵わず降伏し、捕虜となった後に銃剣で刺殺された。
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に従事し、リトル・ビッグホーンの戦いではカスターの心臓を切り取った。1880年降伏した。
ラコタ・スー族の戦士。クレイジーホースの親戚で2m近い大男であった。リトルビッグホーンの戦いに参加した。
・ゴール1840年頃~1894
ラコタ・スー族の戦士。リトルビッグホーンの戦いでは騎兵連隊を分断し、勝利に貢献した。シッティングブルの盟友だったが、後に仲違いし1881年に降伏した。
・レッド・エンド1797~1881
ダコタ・スー族の酋長。兄を白人に殺されたことへの報復にスピリット湖畔の入植地を襲撃した。リトルビッグホーンの戦いにも参加し、シッティング・ブルと共にカナダに亡命し、現地で亡くなった。
・ジョゼフ酋長1840~1904
ネズ・パース族の酋長。平和主義者であり、キリスト教に改宗するなど白人に対して友好的であったが、1877年居留地への強制移住に反発し、カナダへの亡命を図り、部族を率いて1600km近い大移動を行った。巧みな戦術で白人の追撃をかわし続け、赤いナポレオンと称えられたが、最後は捕らえられ、逃避行は失敗に終わった。
・リトル・ウルフ1820~1904
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。その後米軍に降伏したが、部族を率いて居留地から故郷への脱走を図り、2000km以上の大移動を行った。途中で降伏するもシャイアン族は故郷への期間を認められた。
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。米軍に降伏後、リトルウルフと共に大脱出を率いた。
・ヴィクトリオ1825~1880
アパッチ族の酋長。1879年居留地から脱走し、アメリカ・メキシコに対して挑戦した(ヴィクトリオ戦争)しかし、翌年メキシコ軍に包囲され戦死した。
・ナナ1810年代~1896
アパッチ族の戦士。ヴィクトリオの姉と結婚し、ヴィクトリオ戦争でも共に戦った。1886年に降伏した
アパッチ族の女性戦士。ヴィクトリオの妹。ヴィクトリオ戦争に従軍し、兄が殺されると、ジェロニモと合流して米軍と戦った。1886年に降伏し、翌年病死した。
・ジェロニモ1829~1909
アパッチ族の戦士。1851年メキシコ当局に家族を皆殺しにされてしまう。それ以後獰猛な戦士としてメキシコ軍とアメリカ軍を苦しめた。1874年の連邦政府の強制移住に抵抗し、何度か捕らえても脱獄を繰り返した。1886年に捕らえられて以降故郷から連れ去られ、見世物とされるなど屈辱を受け、虜囚のまま死去した。
クリー族の戦士。飢餓に苦しめられ、1885年メティ(カナダ先住民と白人の混血)のルイ・リエルの北西反乱に加わった。
・ブコナイゲシク1830年代~1916
オジブワ族の戦士。1898年頻繁なインディアン逮捕や森林破壊に抗議し、逮捕されるが脱走。シュガーポイントの戦いで追討軍を破った
・デニス・バンクス1937~2017
オジブワ族の人権活動家。1968年アメリカインディアン運動AIMを設立。デモや選挙活動によりインディアンへの人権侵害に激しく抗議し続けた。その中でも有名なのがアルカトラズ占拠事件(1969~71)とウーンデッドニー事件(1973)である。前者は1年半にも及ぶ長期戦でインディアンの人権問題を国際的に周知させるきっかけとなった。後者は州兵、FBI、戦車、ヘリコプターを動員させる大事件となった
・ラッセル・ミーンズ1939~2012
ラコタ・スー族オグララの人権活動家。アルカトラズ占拠事件後にAIMに参加、ラシュモア山占拠事件、BIAビル本部占拠事件、ウーンデッドニー事件に加わった。ラシュモア山ではワシントンの像に放尿した。何度も逮捕や殺人未遂などの危機に陥るが恐れることなくインディアンのための活動に生涯を捧げた
軍隊は不足するから補充する、後行程引き取りを行う組織
見識広いはてなーは「えっそれって」と目を見開くはず
(正確性は落ちるけど部分的に)軍隊はトヨタ生産方式、カンバン方式
つまり平時は職業軍人を主体に組織が維持されており、戦時となり前線の職業軍人が不足すると後方の職業軍人を前線へ配置転換し、後方に空いた穴へ徴兵された人員を補充するのが基本なんだ
例外はもちろんあるものの基本的には揺るがず、それは何故なら職業軍人は規律を知り、兵器を知り、知識を知っているから訓練コストが徴兵された人員より著しく低く直ぐに戦場で運用可能だから
徴兵された人員が短期間とたたず前線で死ぬことは今の戦況で(例外を除けば)ありえないんだ
「戦争 = 悪」と断じるのは平和主義者・博愛主義者として実に正しいが「徴兵 = 即死」くらいの勢いで徴兵を叩くのは誤った情報を流していると言わざるをえず、その誤った情報によって戦争では人がより多く死ぬ
平和主義者・博愛主義者のアナタが発信する誤った情報は本来助かるはずだった兵士の命を散らす
今回のロシアの狙いはまさに前線の職業軍人が減ったので後方の職業軍人を前線へ配置転換し、後方の空いた穴へ徴兵された人員を置くのが狙いだ
後方の徴兵された兵士の多くのが主に何をするか?と言えば「兵站の維持」であると思われる
つまり、今回のウクライナ戦争で露呈してしまったロシアの脆弱な補給線が更に弱体化することを意味する
徴兵制を採用するロシアであれ1年程度の訓練じゃ素人同然であり、その素人を再訓練し配置するのだから補給線は弱くなる、1秒掛かっていた1歩が数秒かかるようになる
これはウクライナおよび欧米諸国がロシアの補給線へ目をつけて妨害を繰り返していた成果が発揮されたことによって起きたこと、部分的であれ徴兵というカードを切らせた時点で補給線がボロボロになったことを自白させたことへ等しい
地味だし時間は掛かるが確実に効果がある戦略を取り続けたウクライナと欧米諸国へ敬意を示したい
不足するから補充することを軍隊が繰り返せばどうなるか?民間企業工場や兵器工廠で兵器生産をクッションのように支えていた男性労働力が不足していき、やがてそのクッションは失われる
男性労働力というクッションが失われれば求められるのは女性労働力であり、もしもロシア国内で民間企業工場や兵器工廠に多くの女性が採用され始めたときロシアの補給線は虫の息と言える
このような状況となっているときは既に徴兵人員の多くが前線へ駆り出されていることだろう
徴兵は順番なのだ、徴兵が順番だからこそウクライナと欧米諸国はロシアの補給線へ執拗に攻撃を仕掛けているのだ
そこは日本でも同じ
日本が交渉の末に外国との戦争状態へ陥ってしまったとき先ず徴兵されるのは予備役自衛官で、その予備役自衛官は後方へ配置され、はてなブックマークなどで誤った情報を流し続ける平和主義者・博愛主義者が先ず配置されることは決してない
予備役自衛官というカードを使い切ったとき初めて民間人が強制的に徴兵される(まぁそれが想定される状況になったら日本人男性は日本国外へ出られない法律が出来るだろうけど)
アナタたちが、アナタたちの大切な人々が強制的に徴兵されないようにする方法は4つしか無い
ちなみに4つ目は日本帝国軍へ志願した男性が語る理由の1つでもある
つまり「俺が志願すると空きが1枠埋まるので徴兵対象拡大を1枠分だけ遅らせることが出来る」という考え方だ
馬鹿馬鹿しいクソみたいな考えだが「その1枠分で俺の子供が参戦しなくても良くなる可能性がある」ので馬鹿馬鹿しいクソみたいな考えを納得できなくても理解してしまう父親が少なからず居ることだろう
本当にクソだよなぁ?戦争ってよ!!
そりゃ自分の息子をロシア国外へ逃がすだろうさ!そして父親はロシア国内に残る、1枠残すためにな!!!
親父って馬鹿だよぁ?
そんなことしたって単なる自己満足じゃん!自己満足のため戦争へ加担するなんて平和主義者・博愛主義者に叩かれちまうぜ!
子供の役目しか経験したこと無いヤツへ、親の役目を経験したことないヤツへ一番言いたいわ。
たいての親は馬鹿でクソみたいな理由で参戦し、そしてまだ親でないお前を逃がそうとするぞ。
口だけが上手いお前を産むって判断した時点で狂おしいほどの馬鹿なんだよきっとな。
平和ボケした連中が多いのか、スルーされてしまった俺と友人の入魂の問題提起を。
共有するに値する重要な論点だと思ったのだが、泣く泣くお蔵入りにせざるを得なかった。
疑問はこれだ。——…どんな状況なら核を落としていい?
世界大戦が終盤になって、これ以上の犠牲者を出したくない場合。
まさに第二次世界大戦時のアメリカが置かれていた状況なら、核を落とす選択はアリか?
それとも非人道的で凄惨な被害をもたらすことが自明だから、やっぱりナシなのか。
現実の歴史を離れて、思考実験としてあなたが為政者だと考えてみて。
人間同士の戦争で、核を落とす選択は、どんなときにアリなのか。
こんな状況なら核を落とすのは仕方ない、核を落としても何ら責めを負うべきでない、と言えるのか。
「核を落としていい判断基準」があるはずだ。
そんな答えもあるだろう。
あなたに追加で聞きたいのは、ならばその選択基準を今度は現実の歴史に当てはめると、どーなる? ってこと。
俺がアメリカ人の友だちに聞かれたのは、そんな話なんだ。
「マスダは当時のアメリカの判断をどう思いますか? 日本人として。」
ずいぶん前から親しくしているアメリカ人の友だちに、そう聞かれた。
俺は兼ねてから教科書的平和主義をナイーブに信奉していた。というか、ちゃんと考えてなかっただけなのだが。とにかく当時思ってた意見を素直に答えた。
するとアナンダはこう答えた。
「ということは、マスダはアメリカを責める訳ですね。」
日本はあんな事をすべきじゃなかったし、俺は同じ日本人として当時の連中の判断を断罪する。
もちろん未来に生きる俺の責任はゼロだ。実際の判断に無関係だから。なので謝意は無い。でも断罪はできる。
アナンダも首肯してくれた。
しかし「先に攻め込んだ日本の罪は当然の前提として一旦横に置いておくと」アメリカが核を落とした判断は、どうなのか。
アナンダの追求に俺はシドロモドロになってしまった。どうしてかアメリカの判断が悪いと個人的な宣言をする事さえ出来なかったのだ。
その答えは、実際の現実にも当てはめられるハズだ。