「小学校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小学校とは

2022-02-19

anond:20220219082954

え? バカなの? 

人権を認める」ってべつに「立派な人間であること」じゃないぜ? 

いいんだよ、内心なんてどんなクズでも。外が良けりゃいいの。当たり前だろ、そんなこと。

なにを言うか。何をするか。自分以外の人間に影響することが全てだ。当たり前だろ。

黒色人が黄色人より劣ってると思っててもいいんだよ、別に。それが態度に全くでなければ。

そんなことも分かんないのかねえ。

ひょっとして小学校中退かなんか?

2022-02-18

独特な人権意識のある教師

近年小学校でも男女平等を学ぶ授業が行われるようになったが、人権問題系の授業は教師個人思想が強く反映された内容になりがちである文部科学省から配布されたテキストを読み上げるだけでも授業が成り立つようになっているのに、教師がかなり偏った思想披露するだけで授業が終わることがある。

10年前、小学校中学年の頃の担任は真面目で厳格な30代の男性教師だった。男女の人権問題に対しては疎いどころかかなり敏感だった。現在のように男女平等人権問題がよく議論されるようになる前の時代である。ただ、この男性教師は非常に独特な思想を持っていた。

男女平等を学ぶ授業では、教材は完全無視で、過去自分エピソードを語り始めた。ざっくりまとめると以下のような内容である

・僕は学生時代好きな女の子告白して振られた。

・その女の子は背が低かったのできっと背が高い僕に対する差別意識があったのだろう。言われたわけではないがそれ以外の理由が見当たらないので間違いなくそうだ。

・みなさんは男性に対する差別意識を持つのはやめましょう。

また、ある日の休み時間に「日本人平均寿命は男より女の方が長いんだって!」と友達にうんちくを披露したところ、近くで会話を聞いていた担任が男のほうが早く死ぬなんて言ってはいけないことだとブチ切れたことがある。放課後、この件で親に電話されたことを覚えている。

数年前、この男性教師公共交通機関内での痴漢容疑で逮捕された。一応真面目な印象の教師だったので元生徒の親たちは冤罪ではないかと話していたが、あの激しい思い込みと偏った思想持ち主なので、個人的には本当にやった可能性が高いと思う。

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

ガチャ成功ラインはどこ

Twitter見てたら「親ガチャ失敗して悔しいー!」とか割と本気な雰囲気ツイートしてる人がいたんだけど、

その人はストレート私立大学入学してストレート卒業してそのまま小学校教員になってるんだよね

しかもいいとこの私立小学校で学級担任持ちでさ、給料も同年代と比べればそこそこ上なんじゃないか

そんな立場にいられるのって親ガチャ成功の賜物なんじゃないかと思うんだけど本人は親ガチャ失敗したって言っていて

ガチャ成功ラインってどこにあるんだろうなって思った

本人じゃないとわからない苦労とかつらさとかあったんだろうとは思うけど、

その人は少なくとも現時点では社会的に上位に位置していて、どうやら恋人にも恵まれリア充っぽいしで人生ガチャには成功しているし

その人生ガチャの元になった親ガチャにも成功しているんじゃないかなって

ガチ底辺家庭出身で30過ぎで高卒最低賃金ぎりぎりで独り身の立場からは思いました

anond:20220218111247

学校性教育ゴミだよ。

うちの子供が通っている小学校では

「Aちゃんのオシッコの穴の下には子供を産むための穴があるのよ。でもBくんが「見せて」と言ってもすぐには見れないの。何故なら普段は隠れているからなのよ」

「Cくんはオチンチンが固くなっちゃったことがあるかな?白いオシッコみたいのが出たことは?ないの?このクラスに朝起きたら白いオシッコが出てたことがある人~~」

エイズオーラセックスでも感染するのよ。オーラセックスっていうのは(指をジュポジュポしゃぶり始める)こうやってオチンチンを気持ちよくしたり(虚空をベロベロなめ始める)ヴァギナを舌で刺激することね」

みたいな問題発言が出てたらしいからな。

PTA話題になってた。

誇張表現もあるのかも知れないが、どうにしろ性教育なんてものやらせていいような奴らは教師の中に半分も居ないと思っていいんだろうな

ごくまれにあるキチガイばっかり集まった学年

それがワイの小学校時代やった。

もう3,4年の段階で各クラス様子がおかしくてクソ荒れまくってた。

そこで学校はかつて様々な問題児クラスを受け持ってきたベテラン有能先生を5,6年の担任に着け、

そしてあろうことか同じ学年の問題児をそのクラスに集めた。

きっと彼なら、彼ならなんとかしてくれる。

 

なーんともならんかった。

暴力窃盗、当時は珍しかった陰湿いじめ、授業ボイコットが吹き荒れ

机や椅子が乱れ飛び、4人の不登校児を出しクラス崩壊した。

学級崩壊という言葉が大流行したのは俺が卒業した3年後くらいだったから、

時代を先取りした学年やったんやね。

なぜかそのクラスに混ぜられたワイはなんとか目立たんように立ち回りながら

あいつをイジメろと言われれば従い、こいつを殴れと言われれば殴った。

スリリンは嫌だスリリンは嫌だ……

 

その裏で駅三つ向こうの進学塾に通い中学受験の準備を進め、

なんとか地元公立中学には進まないことができた。

 

有能先生はその後、8年くらいその学校にいたそうだが一度も担任は持たなかったそうだ。

妹も同じ学校に通ったがワイ君の妹だということを聞いた有能先生は引きつった笑いを浮かべていたという。

よっぽど怖い思いをしたんやね。

なんかズレてはいるけど愉快な先生でワイは嫌いじゃなかったよ。

 

今でもたまに当時のことを思い出す。

悪夢だ。

増田大前科者

低能先生(九大文学部・・・hagex福岡市中央区大名小学校トイレで刺殺。収監

・字下げ増田・・・東大法学部に選ばれた傑物で、15年前は意気揚々だったが、精神破綻、黒羽刑務所で立て直され出所

コロナ予測してみた・・・売春斡旋


あと一人は?

anond:20220218074148

おいおい

ほとんどを中国製品とアメリカ産オーストラリア産などなどに依存しているのに「内需の国だ」ってどういう理屈だよ

馬鹿なのか?

小学校行ってないのか?

2022-02-17

anond:20220217212339

ズボラが行き過ぎると障害と変わらない

周りの人が全部やってくれて自分でやらないとそうなる

何がいけないことかってA4コピー用紙に書いて冷蔵庫とか貼ってみるとか

小学校のアレだよアレ

子供に見せたくないってやつ

よく色んな作品話題子供に見せたくないなんてとんでもない!子供にこそ見せろ!って結論になるけれど

でも自分子供だった頃の事を思い返すと正直分かるんだよなあ

例えば広島原爆の脅威を描いた「おこりじぞう」って絵本なんだけど

小学校低学年くらいの時に見て怖すぎて

その後はしばらく原爆関連のものは怖くて見る気になれなかった

作品の伝えるテーマ大事な事なんだろうと思うんだけどね…それでもとにかく怖すぎて…

どんなに良い作品だろうとテーマ自体が崇高だろうと

子供は一度見た時の印象でトラウマになってしまって以後の作品鑑賞にも悪い影響を与えるって事はマジであると思う

anond:20220217101233

でも小学校高学年にもなると胸が出てきて、

成績が悪いと「頭に行く栄養おっぱいに行った」と男子からかわれますよね?

小学校給食、男女で同量問題

これってちょっと勘違いされている部分があって

かに高校以降の男女で必要カロリーに多大な差があるのは事実なんだけど

実は小中学校での男女の必須カロリーってそこまでめっちゃ差があるとかじゃないのね。

 

年齢
6~7 1,550 1,450
8~9 1,850 1,700
9~112,250 2,100
12~14 2,600 2,400
15~172,850 2,300
18~29 2,650 1,950

 

上記の表は厚生労働省が出してる大体の摂取基準カロリーの表なんだけど

15歳以降で差が500kcal以上の差になってるのに対して

6~14歳までは差が100kcal~200kcalしかない

なので「給食が男女同量で全く全然完璧問題ない」とまでは言えないもの

2倍も3倍も食べさせる必要はないわけ

 

男の子のほうが「傾向として」外で遊びまわることが多いので

エネルギーを多く摂取する必要があることが多いのは事実なんだけど

人体として必要カロリー自体小中学生くらいのときはめちゃくちゃ大きい差はない

anond:20220216184155

話題にできる雰囲気じゃなかったからだよ。

小学校ときに保健体育で生理の事を習ったときに、一部男子達が色々冷やかし笑いものにしてるそのままのようなこと(やより酷いこと)が、大人相手に話していても毎度毎度普通に起きるし生理の話しを男に聞かせるなとか男には関係いからとかも普通に言われてた。 

うちは小学校2年の娘がいて、姉夫婦には1歳違いの息子がいるんだけど

たまに一緒に飯食いに行ったりしたら食う量マジで全然違くてびっくりする

小学生の1個上は相当違うからアレだけど、普通に倍くらい食う

姉は「安いもん食わせとけばええねんガハハ」つってるけど

同じ価格のもの食わせてたら食費の差ってかなり出てくるだろうなとは想像がつく

 

女は生理があるから金がかかるんだよ!ってことな

男は必要カロリー量が違うから金がかかるんだよ!ってのは

実際に親になったことがある人間なら実感としてわかるはずなんだよね

なんでそこに反論が出るのかはマジでからない

同性と話が合わないという痛い悩み

我ながら痛い自覚はある。だからリアルでは誰にも言ったことがない。ダラダラ書く。内容すかすか♡

自分(女)には年の離れた兄がいる。常に自分人生の100歩くらい先を行く兄の存在は、自分人格形成に多大な影響を及ぼした。兄がやっていること、持っているもの全てが自分を惹き付けてやまなかった。自分幼稚園生だった時は、良く兄の部屋からギラギラたかっこいい龍のカード(遊戯王)や駒(ベイブレード)を盗んで怒られた。

年が離れていた影響か、かなり可愛がってもらっていたので、兄もよく自分面白いゲームコンテンツを貸したり見せたりしてくれた。小学校低学年位の時に初めて見せてもらったニコニコ動画は最高に面白かったので、直ぐに自分から見漁るようになった。その頃くらいか遊戯王連ザ2といったゲームも仕込まれるようになった(とは言っても小学生の知能では、専ら兄のサンドバッグとしての役目だったが)。連ザ2は個人的死ぬほどハマったので、アニメも全話見て、親におねだりしてガンプラも買ったりした。女の子ガンダム好きっていうのが幼心ながら何故か凄く恥ずかしかったので、おねだりに死ぬほど緊張した。

他にも、兄が小さい頃に遊んだであろうGBGBA、64やSFCGCも片っ端からプレイした。その中でもロックマンエグゼ特に面白かった!ダークチップきっかけで自分厨二病(まだ小学生だったけども)を発病した。

自分が高学年くらいになると兄がコミケに行き始めたので、薄い本も沢山買ってくるようになった。全部読んだ。青年誌もたくさん貸してくれた。エルフェンリートを初めて読んだ時はそれはもう感銘を受けて、読了暫くは自分ベクターを使う妄想に取り憑かれたりした。

他にも2chやらラノベやらアニメやらエロゲやらなんやらかんやらとの出会いもあるが、キリがないので割愛する。

小学校中学年くらいの時には既に何となくおかしい事に気づいていた。高学年頃にははっきり自覚した。

小学生女の子というのは、ガンダムロックマンニコニコ動画にはまるで興味が無いみたいだった。同じ幼稚園に通った幼なじみ達は、気がつくと皆嵐やEXILEの話でもちきりだった。

自分ハブられるのが怖くて、それはもう必死に話を合わせた。親がジャニオタだったので、幸い情報の入手には事欠かなかった。なんとかついていけた。本当は興味が無いものを興味があるように話すのは少し苦痛だった。

サン宝石のチラシを見てみんなで盛り上がった。ほっぺちゃんなんて本当は1ミリも欲しく無かったので少しハブられた。

この状況は中学生になってからも続いた。嵐は時代遅れになり他のグループ話題が移った。幸い親は永遠ジャニオタだったので、ライブに連れて行ってもらったりして勉強し何とか話を繋いだ。

暫くするとボカロが台頭し始め、女子の中にもオタクが現れるようになった。少し気が楽になった。

高校生にもなると流石にハブるとか女子グループとかっていう概念消滅し、趣味多様化したので、以前よりは伸び伸びと生きられるようになった。この時初めてインターネットの住人の女子と仲良くなれて、凄く嬉しかった。

守備範囲は全く違うが、淫夢動画というゴミカスみたいな共通点があった。2人で810のハンドサインをしたりするのが、なんだか凄く嬉しかった。この友達が今のところ最初最後の話が合う女友達だ。

そして大学生になり、交友の幅がグッと広まった。

ここで自分はとんでもないことに気づいた。

女子ではついぞ1人しか出会えなかった”話の合う”友達が、男だと何人も見つかる!ガンダムロックマン遊戯王ニコニコ動画2chアニメ少年誌青年誌同人誌エロゲラノベ児童書etc...今まで語ることを諦めていたものが、全て手に入った。本当に嬉しかった。親友と呼びたい人が出来た。

しかし、そんな自分の前に性別の壁が立ちはだかった。どうやら大学生の男女が親友になるのは、本当に難しいようだ。男女のしがらみからはどうしても逃れられない。友人として親睦を深めたいのに、性の問題が常に絡んだ。

お互いに下心の無い純粋な友人を見つけることが出来ても、それで周りはハイソウデスカと納得してはくれない。2人でゲームをしたり遊びに行ったりすることを、お互いの恋人は許さないだろう。どれだけ仲が良くても、一緒に遊びに行ったりすることは出来ないのだ。

ああ、本当に話も気も合う友人なのに。お互い恋人第一から下心とか無いのに。出来ることなら、生涯の友人としてブラブラ遊んだり、居酒屋行ったり、ゲーセン行ったり、だべりながらモンハンで護石クエ回したり、桃鉄でNカードマス周回して豪速球カードで手札全部叩き割ったり、ソフマップエロゲ掘ったり、一緒にカードショップ行ったりしてみたかった。自分が男なら、もしくは友人が女なら、全部実現したのだろうか?

別に女に生まれたことが嫌な訳では無い。だが、かなり寂しい。イタい悩みだが、きっとインターネットには同じ悩みを持ってる人がいると思う。

女のキモオタ募集してます

まあタバコ吸ってるやつは偽物

小学校高学年ぐらいかAVに憧れて自他の精子飲んだりうんこ食ってるやつこそ本物だよ

血統書つきだ

anond:20220217000952

言うほどイキリか? うちの公立中では学年の10分の1くらいは吸ってたぞ

ただし小学校時代から既に吸ってる奴は本物だよな

※俺はタバコ吸ってるヤンキーからイジメられてたクチな

2022-02-16

anond:20220216233321

横なんだけど、小学校中学校で思いやり的行動を学んでそれを実践するみたいなのは

教師監視付きの授業だから従うのであって、本心じゃないのでは。

どちらかといえばあれはお遊戯で「子供は思いやりを学んでいる」って大人自己満足するためのマスゲーム

もし本当に思いやりを学んでいるならこういう社会になってないわけで。

教育は生まれ持った性質を変えるものじゃないし。教育に期待しすぎなんよ。

anond:20220216232940

他者への思いやりと弱い人への助け舟を学んだ経験は今までいっぱいしてきたんじゃあないのかなあ?小学校中学校時代はどうだったか思い出してよ。

弱い人にお金を上げた経験は、、一部の学校しかやってなかったかもしれないけど。

お金じゃない手助けならやってたとこも多くないかなあ。

anond:20220216173853

機械の機の字がどうしても思い出せなくて小学校同級生女子に笑われる夢を見た

anond:20220216110200

ではあなた小学校教諭ではないし

相手小学校児童ではなく

言われたことを最後まで聞くのが当然(の立場関係)ではないことを

理解いただけましたでしょうか?

説明の途中で「わかった」って言って勝手作業始めて全然間違ったことするのなんでなの?

小学校で人の話は最後まで聞きましょうって習わなかったの?

そのケツは絶対拭かないよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん