はてなキーワード: 小学校とは
小学校 → アスペへの理解度皆無のガキ共にボコられワンチャン登校拒否。運が悪いとヒマワリ学級行きで教育レベル大幅低下。
中学校 → 思春期の不安定にアスペのアンバランスが大幅加速。精神の均衡が崩壊し性犯罪者として仕上がる奴らも産まれやすい時期。
高校 → 対人関係のストレスによる学習能力低下が加速。引きこもって勉強に明け暮れたせいで人間としての成熟が未完成になるものも。
大学 → 周りと上手く付き合えずにあらゆる面で不利に。自主自立という言葉の元で突き放されがちなのでここで完全にドロップアウトするアスペ多し。
就活 → 普通に就活を始めたら詰み。普通じゃない就活を始めようとしても方法が分からなければ詰み。違和感を無視して大手や公務員に転がり込むのが実は正解。
大人 → 金という最強の手札を自力で生み出せるようになっているので意外と何とかなることも。ここまで来れた時点でもう割となんとかなんだよぶっちゃけ。
友達の家のあたりで遊んでいたら、大型犬がリードもつけず歩いているのを発見した。
野良犬なんて滅多にいない時代だったし、飼い主らしき人もどこにもおらず、二人で迷子だろうと結論付けた。
小学校高学年あたりだったけど、隣に並んで立つと私の腰くらいの大きな犬だった。犬が立ち上がれば私と同じぐらい、いやもっと大きいかもしれないと思った。もうあまり覚えてないけど毛並み的にゴールデンレトリバーぽい感じの犬種だったと思う。
笑顔に見える人好きのする顔で、全く吠えず人懐っこい犬だった。
よく吠えられるせいで犬に近寄れない私でさえ怖がらず撫でることができた。
首輪をみると名前しか書いておらず、悩んだ私たちは交番まで連れて行くことにした。
なのに、犬は道がわかっているかのようにスタスタとどこかへ歩き出した。まるで私たちがついてきてるか確認するように振り返りながら。
歩いている間、いろんな人に話しかけられてこんな感じの会話をしたのを覚えてる。
「えらい大きい犬やなあ!散歩してるん?」
「この犬迷子やねん!うちらが家まで帰れるかついていってあげてるんよ」
「あらそうなん、気をつけていきや!」
とっくに私たちはこの犬が自分で帰れることを分かっていた。でもなんとなく情が湧いてしまい、辿り着くかどうか見届けたかったのだ。
犬と一緒に知らない道を歩くのは楽しかった。
たくさん坂を登っていくうちに、菜の花がたくさん植えられた場所も見つけた。
この出会いがなければ見れない景色だと思うとなんだか不思議に感じた。
坂に建てられた住宅街を進んでいると、犬はある家の前で立ち止まり、インターホンの前でお座りをした。立派な家だった。玄関までに小さな門があり、その横にインターホンがあった。こだわったであろう庭が見える。
知らない人のインターホンを押すのは怖かったが、友達とじゃんけんして負けた私が押すことになった。
家人はすぐに出た。「どちらさまですか?」の声に私はなんと言えばいいのか分からず、しどろもどろになってしまった。
するとこれまで一度も吠えなかった犬がワンといってやっと「い、いぬに案内されて」と答えた。
案内されてというのは間違ってはないが、まぬけな返答だったかもしれない。けれど家人はすぐに合点した様子でインターホンを切り、慌てた様子ですぐ玄関に現れた。
やはりこの犬の飼い主で間違いなかった。帰巣本能というものは本当にすごい。飼い主は犬の名前を呼び、何もできずただこの子についてきただけの私たちに凄く感謝をしてくれた。
この子は全然吠えなかったし、すごく賢かったです。うちらはなんもしてないです!この子がここまで自分で帰ってきたんですよ。
そういうと飼い主は「賢かったら脱走せえへんよ〜」といった。ものすごい苦笑いだったけどどこか安心したような顔だった。
どこでみつけたか聞かれて答えたら驚いていた。「そんなとこまでいってたの!?あかんやん!」と犬を叱っていたが犬はハッハッハッと全く意に介していなかった。
実際その家まで徒歩20〜30分ほどかかったので小学生にとってまあまあ遠い距離だった。帰り道は大丈夫か送ろうかと提案されたけど断った。冒険気分だったのであまり疲れていなかったし、友達とぶらぶら遊びながら帰りたかったからだ。
子供時代の頃は断片的な記憶しかないのだけれど、ひろこちゃんと遊んだあの日の事は何故かしっかりと記憶している。
ひろこちゃんとは小3の時に同じクラスになり知り合った。昭和59年。80年代の独特な空気感があった。
ひろこちゃんはストレートのショートヘアでいつもどこかがぴょこんと寝癖で髪がはねていて、アレルギー皮膚炎なのか、目の周りや膝の裏がポツポツと赤かった。
掃除の時間、雑巾がけをするひろこちゃんの下着が見えた事があった。
茶色く変色していてびっくりした。いつもフッと尿臭がすることがあった。
ひろこちゃんはひとえの、フニャッとした顔立ちでふわふわとした性格だった、どこかいつも泣きそうな表情をしていた。性格が暗いというのではなく…どこかいつも「困ったなぁ」という感じの雰囲気だった。
ある日ひろこちゃんと放課後遊ぶことになった。ひろこちゃんが私を自宅に招いてくれるという。ただしお母さんの了解がいるらしい。お母さんの働く美容室に一緒に向かった。お母さんの姿は細部まで覚えている。
当時ダイアナ妃ブームだったせいか、美容師のお母さんはダイアナ妃と同じ、キレイに両サイドをブローした洗練されたヘアスタイルをしていた。真珠の一粒ピアス、ベージュのニット、チェックの細身のパンツスタイル、
長身にパンプス。自分の母親との違い、地味なひろこちゃんとのギャップ。お母さんはお客さんの髪をブローしている。ドライヤーの音でひろこちゃんとの会話は分からないが自宅で遊ぶ事を了解してくれたらしい。
ひろこちゃんの家は古い長屋のようなところだった。木製の引き戸をガラガラ開ける。
初めに目についたのは暗い廊下の両脇に溜まった埃だった。
ひろこちゃんの部屋に入る。砂壁の小さな部屋。ベッドに腰掛けると布団が湿気でじっとりと重かった。
ひろこちゃんは当時流行っていたファンシーなしおりを一枚くれた。
「海の王 シャチ みんな楽しそう」
何故か台所に移動する。途中、模様ガラスの引き戸の向こうから男性のグォーグォーというイビキが聞こえる。豆電球の灯り。お父さんは夜勤で昼間は寝ているらしい。
突き当たりにお兄ちゃんの部屋、というかスペースがある。物が溢れて窓を塞いでいる。当時の少年が夢中だったプラモデルがひしめいている。
暗い、日の差さない台所。食堂から引き戸が全開になっているお風呂場が丸見えになっている。風呂場が長い間使われていないことが何となくわかる。タイルが干からびていてどこから舞い込んだのかカラカラの落ち葉が洗い場に落ちていた…
マンモス小学校だったのでひろこちゃんとはそれきり、同じクラスになることはなかった。6年生で私は転校した。
子供の頃はひろこちゃんの、けして明るいわけでない境遇を何とも思わなかった。
ただ、そうなんだ、と。それだけだった。
美しいお母さんは?
あの日は何月何日だったのか、あの日私とひろこちゃんはどんな夕飯を食べたのか?
ひろこちゃんは私の事を覚えているだろうか?
最近初めて母が隠していた本音を聞いて涙が止まりませんでした。
1人で抱えるには重すぎるのでここで昇華させてください。
母
・アラ還
私は生後10ヶ月頃から実家の近所にいる父方の祖父母に預けられていました。その頃の記憶はありませんが、幼稚園〜小学校1年生くらいまでは帰りに祖父母の家に行って自由気ままに過ごして、夕方くらいに祖父に家まで送って貰うのがお決まりでした。
生後10ヶ月〜の話を聞いた時に、何でなんだろう?と思ってはいましたが、母が働きたかったのかな〜と呑気に思っていました。私自身祖父母の家の心地が良くて好きでしたし、そこまで深く考えたことがなかったです。
ある日母から、
「あんたが10ヶ月くらいの時に祖父母に預けたけど、ほんとは預けたくなかった」と話をされました。
詳しく聞くと、本当は2歳くらいまでは一緒に過ごす予定だったが、父方の祖母が毎日毎日家まで私を迎えに来て「仕事は?」「いつから戻るの?」
などと言っていたそう。
それを聞いて私は涙が止まらなくなりました。
大好きな父方の祖母がそんなことを母に言っていた事が悲しい。母がその言葉にどれだけ苦しい思いをしたのかと考えるとわたしも苦しい。私が祖父母の家で過ごしたことを楽しく話していたのをどんな気持ちで聞いていたのかと考えると心が痛い。
母の実家は今住んでる場所からは遠く、母方の祖父母も早くに亡くなっています。
知らない土地で友人などもいない中、こんなことをずっと1人で抱えていたのかと考えると胸が苦しくなります。
そして何より、父が母の味方をしなかった事にとてつもなく怒りを覚えました。
私は元々物心ついた頃から父のことを好きだと思ったことはありません。暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりされた訳ではありませんがひたすら好きではなかったです。
最近は差別発言が多かったり、ゲームに腹を立てて怒りだしたり、自分の思い通りにならないとキレたりなどがあり、好きではない から 嫌い になっています。
私が希望する大学に進学することが決まった時なんかは、合格したことを伝えたら「女は大学なんて行かなくていい」と母のいない時に言われたりしました。
私が進学することに何にも反応しなかったくせに、いざ合格したらこれ。本当にこんなのが父親なのかと思った瞬間でした。きっと一生許せません。
話はずれましたが、父は何も言いません。何も言わないということは、自分が不利になること以外には興味を持たず味方にさえなってくれないのです。
きっと父が母の味方をして、祖母に言い返していれば母はこんな思いをしなくて済んだのじゃないかとしか思えません。
母からの側面しか話を聞いていないので一遍的な考えになってしまっている気がしますが、最近の言動も相まって余計に父が嫌いになりました。
そして祖父母(特に祖母)も次からどんな顔をして会えばいいのかわからなくなりました。
母に対して腹が立つ時もありますが、いつも私の味方であってくれて最後には優しい母が私は1番好きなんです。
こうやってブログを書いてる今も、母のことを考えると涙が出ます。
話を聞いている時から終わったあとまで、私があまりにも泣くので、母はきっと大好きな祖母を悪く言われて泣いていると思って「もう言わないから、ごめんね」と言われ、否定したかったですが涙が止まらなすぎて何も言えませんでした。
もうあと2年もすれば私も仕事に就き、家を出るかもしれません。私が家を出て、母と父が2人で暮らす未来を考えると不安しかありません。母は現在進行形で父方の祖父母の介護もしています。父親は自分の親に対しても無関心なので何も言いません。
だからと言って私が実家にずっと居る気もありません。干渉されることや父親と同じ空間にいることが嫌なので早く家を出たいと思っています。
話がぐちゃぐちゃになってオチというオチもないのですが、インスタやTwitterにある義母嫌いの漫画や文章のような世界は案外身近にあるものなのだなと思いました。
私は母の味方であろうと思います。
みんなー!セックスだよ☆
つーわけで呪術見ました
0はあらすじは知ってるけどちゃんと読んだことはなく
本編も最初読んだのはメカ丸死んだとこあたりからたまに読みはじめて
これからの世界の話がなかなか始まらないあたりで興味持ちはじめて
シンウルトラマンの予告毎回観るけど本当に5月にやるんすかね?
いじめシーンがあることは知ってたからキツかったらイヤだなーと思ったらあっさりだった
つーか、全然泣くとこじゃないのに乙骨とリカちゃんが通じあってるとこで泣きそうになる
オッサンになったからなのか?昔は恋人が幽霊ってセックスできないから意味ないジャンって感じだったけど、今は心が通じあってるならプラトニックでええやんって…
事前に感想チラッと見たら、序盤はシンジ君だけど後半乙骨と言われてたが
マキさんアクションええなー
小学校のは面白かったけどちょっと唐突な感しあり、しかし尺の問題なので仕方ない
デフォルメも忠実に映像化するのはちょっと引っ掛かったがこっちが慣れてないだけと思われる
というかッス口調のキャラを見るとあさひと鯱山の顔が浮かぶっスやっぱ怖いスね猿の呪いは…
夏油がチラチラ暗躍してる感じ面白い
乳揉みは映倫で禁止スよねやっぱ怖いスね映倫は…でも揉み抜きにしてもエロかった(ニホンヘコサル並感)
禅院家ぶっつぶそーのあたりでその後の根切りシーン思い出して妙な面白さが
マキの血を踏んでも気にしないのは秘書が猿の血を避けてたのと対比スね
猿殺しは思想であって感情でヘイトしてたわけじゃないから素が出たとかですかね?
おにぎり先輩(シャケと聞くとU19の飯田くんを思い出す)の逃げろって呪言じゃね?思たけどそういや乙骨呪い耐性あったからそれなんすかね?
ぐちゃぐちゃにしてやるのあたりはもっとぬるっとした方が好みだけどあそこで乙骨が異常性出してきたら変になるのもわかる
乙骨パンチでふっとぶ夏油すき
その後のナナミンのシーンでアレ黒閃じゃんてなった
ミゲル、パーミッションで足止めしてたと思ったらガッツリ戦闘してて笑った
雑草より健闘しとるやんけ
不殺で加減してたとかもなさそうだし
純愛のとこ、流れは知ってたけど自分生け贄にしてたのは知らなかった
シンエヴァやんけー!
介錯されて死ぬ夏油いいっすねーこの後がアレだから変な面白さがあるのはよくない
個人的な好みでは呪霊してた時のがすきだが
天元編とかミミナナがダイジェストなのは演出としてはあり、ただミミナナが悪堕ち原因なのは知ってないと分かりにくくないか?といらん心配したり(説明がくどくなってもだめだけど)
アマゾンでタイツ検索してアツギのスクールタイツのレビュー見てみたら、小学校高学年の娘にぴったりでしたみたいなレビューに混ざって、妻に購入しましたしっかりした作りで良かったですとか、男にも寒い冬はタイツやストッキングが必需品ですってかなり大柄で太めな人がレビューしていたり、いや、それでスクールタイツて…ってレビューがついててこわかった。
でも最近は小学校からでも英語教育されてる訳で文字と喋りと外人のハーフのお友達さえいればある程度は覚えられるはずさ
・多少難解で非日常的な内容であっても日本語として正しく受け答えできるか
小学校時代限定で神童だったような奴らが好むような「地頭テストなぞなぞ」なんてものを解かせるのに時間を使うことが間違ってる。
高校までの出題範囲なんてわざわざ考えるような価値の有るものはなく、全てを完全に暗記してほぼ0秒で解答を出力できることが理想なんだ。
丸暗記だなんだと言われようが、そもそもその程度のことに脳のメモリを必要以上に割いている時点でそこから先の学問に進むときに邪魔になる。
結局は基礎の基礎の基礎でしかない知識に対してひねくれた考え方が出来ることをひけらかせるかなんて大学で価値を持つのは1年生までだよ。
小学校で習いましたよね。
1+1=2
ようするに、1たす1は2という、言い方
これが不味いと思うんです。
というのも僕は「=」の正しい意味を、中学校になってやっと知ったんです。
「なるほど、右辺と左辺は、等しいのか・・・」と
それまで、日本語の「~は」みたいな感じで「=」を使ってたんです。
そうじゃないんだ。左辺と右辺は等しくあるという意味なんだ!とやっと中学生になって理解できたんですw
その事を友人に言って、「えええ!、いまさら?」笑われたのは良い思い出ですし、俺って馬鹿だなぁと思うのですが
そして、この表現をやめたらどうなんだろうと思うわけです。
なぜこのようなことを言い始めたかというと
もしかして、このアホみたいな間違いを、大人になってもやっている人が多いんじゃなかと思ったんです。
今、家庭教師で英語を教えているのですが、学生の使っている参考書に
I am busy.(私は忙しい)
「私=忙しいっておかしいでしょ」と、思いませんか?
じゃあ、忙しいを左辺に移動させると、「私-忙しい=0か?」とか思ってしまいます。
しかもこんなのを中学生に教えてちゃ、英語ももちろんですけど、数学の感覚もどうにかなってしまうんじゃないかと心配したんです。
考えすぎですか?