はてなキーワード: 反抗期とは
私は24歳になる女で、血の繋がった父から性的行為を受けたのは中学2年生くらい。
小学校くらいから母が鬱病で、小学5年生で母は精神病院に入院した。
私が中学1年生のときに母は一時退院したが、家事は全くできずに寝たきりで、看病していた私の方が参ってしまい母は祖母の家に行くことになった。後に別居という形に変わり、私が成人後離婚した。
家では父・私・妹の3人暮らし、父は準夜勤で0時過ぎまで働くことが多かった。
仕事から帰り、寝ている私に対し「お小遣いあげるから」といって私のマンコを舐めることがあった。中学2年生の時、月に1回くらい。
私は拒否はせず、我慢した。その時もらえるのは5千円〜1万円くらい。色々思ったけどお金欲しさが1番大きかったと思う。
今セックスは人並みに好きだけど、その時は気持ちいいとは一切思わず、ただひたすらに気持ち悪かった。
お金欲しさにそういうことをした自分にも非があると思ったし、当時、基本的な家事は私と妹がやっていたけど、男手ひとつで中学生の私と小学生の妹を育てていたので、文句どころか反抗期すらなかった。
成人するまで父とは仲良くやっていた。
ただ、母のように仕事ができない女になるのも嫌だし、父にはできれば頼りたくない。
しかし2年半くらい勤めてから人間関係で精神的に病み、休職・復帰を経て、現在は実家でリモートワークをするようになった。
それでも実家では居心地が悪くて、今日初めて自分の精神状態について話した。
私が、「人と同じように仕事をして生きるのが辛い、自分と人とを比べて劣等感を感じてしまって苦しい。ただ母親のように無職ではいたくない」と言うと
父が『どうしたいんだ、俺は◯◯の味方だよ』『何もできなくたって家族だから支えるよ』と言った。
そこで私は勝手に限界にきてしまって、10年前の父からの性的行為を初めて指摘した。
「お金を貰っていたから言わなかったけど、中学の時にされたことは忘れていない。あれから人と人との信頼なんて家族ですらあり得ないと思っている」
「育ててくれた恩もあるし、父のことは嫌いではないし好きだ。ただ一生信頼できないし、少なからずそのことはわたしの精神状態に影響している」
「お願いだから、わたしに対して味方になるとかそういうことを言わないで欲しい」
父は『ごめん』『本当に悪かったと思っている』とだけ繰り返していた。
それがさっきの話。
もちろんわたしの言ってることは支離滅裂だし、クソメンヘラだし、今更10年前のことを蒸し返しても何にもならない。
実際父にも「これを告白をして、謝ってほしいとか慰謝料が欲しいとは思わない。私もお金を貰ってそれを受け入れていたのだから同罪のようなもんだから。ただ、もう私に対して何も言わないで」と伝えた。
妻は専業主婦設定のようだけど、普通は専業主婦に大量の保険金なんてかけない(かけたとしても精々葬式代だけだろう)し
同僚だの友人だのが増田が子供を養うための準備なんかしてくれる訳ないし(同情くらいはするだろうが所詮は他人事)
シングルファザーだろうと保育園なんかいきなり入れるわけない(年度途中だからまずまともな所は空きがないだろう)ので速攻詰むわけだが
本当に子供がいてちゃんと育児していて、社会的常識がある人ならその辺思い至らないわけないんだよな
多分本当に子供がいたら「親に頼ればいい」って発想になると思うんだけど(というか親に頼るしかない、他人はあてにならんし保育園は入れないわけだからな)
反抗期の息子って言いたいんだな?
ちょうど一関を過ぎたあたりだ。
新幹線は3人がけの窓際の席を取った。
車窓は薄暗く、夏らしい緑一面の田園風景と、地方都市らしい低い建物一面の住宅街の繰り返しだ。
1時間ほど、ずっと泣いている。
声を殺して、隣の親子連れに気づかれないように。
ふと冷静になってスマホをいじり、気がつくとまた涙が出てくる。
耳につけたイヤホンからは今井美樹の曲が延々とループしている。
毎回、この繰り返しだ。
新幹線では泣いてばかりだなと、我ながら呆れる。
私の一個人のただの取り留めのない話。
それまで一緒に東京で暮らしていた両親は、同時に東北にある実家の近くに家を買い、移り住んだ。
両親は同じ東北、同じ県、そして市の出身で、将来は帰るつもりだったらしく、私が大学を卒業するまで待っていてくれた。
私はどちらかというと不出来で、高校は都立に落ちて滑り止めの私立に進み、更には大学も私立だった。
さらに思春期の反抗期では本当にどうでもいいことで対立し、今になって思えばこれだけで恥ずかしくて泣けてくる。
はじめはまだ軽いからと笑っていたが、本心ではかなり不安だったと思う。
すぐに治療を始めた。
私が大学を卒業する頃も治療を続けていて、でも毎日顔を見合わせていたし、特に代わり映えのしない元気な母親だった。
父親はそれまで家族に対してだいぶ傍若無人だったが、それ以降は本当に優しくなった。
定年を迎えて数年後に私が就職した。
それを考えると、両親は私の年齢を考えれば年老いたほうということがわかると思う。
ちょうど今から1年前の夏、生まれも育ちも東京の私は、実家とも呼べない実家に帰省した。
詳しくは書かないが、癌が進行していた。
そんなに弱った母親を見るのは初めてで、帰省した日の夜に自部屋で泣きじゃくった。
帰ってくるかもわからない私のために部屋を作ってくれたことも、併せてつらくなった。
そろそろ大宮に着くからこれ以上は書かないが、本当に親は大切にするべきだ。
いつ会えなくなるかわからない。
離れ離れになってから、すぐに会いに行けなくなるということがこんなにつらいこととは思わなかった。
県候補者と政党名どっちかは自民、どっちかは立憲にしようとおもってた。県には立憲民主党に気に入った経歴を持つ候補がおり全国の名簿には自民に気に入った経歴をもつ候補がいたのでちょうど都合が良かったので2名をそれぞれ書いた(だから正確にいえば自分には「自民党にいれた票」はない。タイトル詐欺である)
N国党とかのことだよ 当然ながら東大卒の二枚舌どもを支配し絞り上げ政権を担う能力がないので与党を任せたくはない でも野党になれたみたいだから全分野勉強して成長してほしいとはおもう いわば反抗期でバンドのことしか目に入ってない青春さなか、これから社会を学びますみたいな人たちだろう 議員給与もらってるうちに成長できるといいですな お笑いでも一発屋、セミ芸人からMCできるまでに脱皮できるやつまでいろいろおるのは当然だし
さらにいうと昨日N国から出馬し落ちた若奥さんのニュース特集をみてておもったんだが著作権法改正、教育指導要領だの高等教育・社会人制度の改定などやらないとN国だけつついても国民のIT化に体質の古い政府系報道機関がついていけるようにはならないと思うぞ 知る権利と知る義務もうちょっと根本から手をつっこまないといかん
端的にいうと坑道におくりこまれたカナリアをみているようだ 当人がよければいいんだが覚悟があってもあとで後悔することになりはしないか? 安倍のようなさほど重病でない人でも一度やめて療養したりするし まして小渕のようなことにならないといいなあ
役人を指導するのに適する一度内閣にいた者を含む野党もある けどそれに政権とらせたあとは現在の与党とほぼかわらない路線をとることは歴史が証明している。マニフェストよんだら注意深く歯切れ悪そーにかいてあるワードがあるのでよくわかる。
今の状態はまあまあバランスが良いと思っている グッドコップとバッドコップを与党と野党が演じている 甘い糖衣につつんで国民をいい方向に導こうとしているがちょっと一般国民水準(とくに女性)を賢く強く設定しすぎだとも思う 野党は個人攻撃も少しはやっていいけど法改正ちゃんやってほしいし文脈ぶちこわし切り取りバラエティ向け報道はもうちょっと賢くなって今日大事な法案出てるってしっかりやって シングルイシュー政党とおなじ衆愚政治、ポピュリズムになっちゃうよ まあパブコメに直接意見なげてるけどやっぱ手が回らん ラノベでこういうふうにすれば楽に平和な世の中になるのにって思ってる人はおまえの脳内設定の出番がパブコメかもしれんぞ
実際役人でも市場経済に出てないために気づかないことだって多いんだから、少なくとも国立大卒くらいの知能がある人は投票とおなじくらい自分のわかるジャンルのパブコメを活用すべき https://twitter.com/hounavi_pubcom https://twitter.com/pabukomekun https://twitter.com/pubcome_kun ツールがいくつかあるぞ 野党議員・在野政治家でこのパブコメにこういう意見だしましたって言ってる人(そんでパブコメの内容も妥当っぽい人)はたぶん行政官に言うこと聞かせる能力があるぞ むしろそれしか能力みわけるとこがない気がする(スズキ宗男議員みたいな特殊能力の人もいるんだろうけど)
バランスについてもういちど 与党は外交で強面役、野党が内政の不満を与党にぶつける役でちょうどいい お父さんが外で給料稼いできてお母さんが給与かかえこんだ父親に子供たちの不遇を訴えるようなもん
え~?まさかのぉ~?切腹ぅ~(冗談)でもよく見つけたな ツイッターや増田も政治の場になったんだな
たとえばサマーウォーズで(LOVEマシーンが出る前の)ツイッター=マイナンバー(10年遅れだろ)
たとえばCMでこどもちゃれんじで配布してる子供向け採点機能付きタブレット
たとえばユーチューバー
たとえば選挙割
ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。
新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写が薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。
だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写が薄っぺらい」という批判を新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚な人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?
まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。
『秒速5センチメートル』も同じ。主人公(遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木に電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公(遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?
「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」
ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……
未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。
意味不明自己満SF『雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写は書道半紙なみの薄さです。
『言の葉の庭』も、ストーリーや人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生がいじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?
まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由で批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?
というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリーや人物描写の説得力とかには期待したらダメ。リアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島」から家出をして「東京」にフェリーでくるわけですが、家出の理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。
じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。
第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジックな「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタルな自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」
で、そこから「新海誠=童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしかに新海誠は自意識過剰の中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞が自意識過剰の中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかりである。童貞に対して失礼である。石田衣良には猛省を促したい。
さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したことは無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論の根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。
『君の名は。』には、カタルシス(浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石」である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。
少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大な時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体、隕石の恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命そのもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである。伊藤は言う。
観客は人智をはるかに超えたティアマト彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である。
この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石が地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである。彗星は隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。』である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇の古典的なパターンであり、「悲劇」の快楽そのものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。
要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである。隕石は、人間の視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇》である。ニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身が運命に翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命そのものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己の意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己の意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである。
震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実の震災を美的に昇華してしまうのが『君の名は。』である。『君の名は。』は過去にタイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベルで震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である。
こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。
だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。
──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます。
小4のころ、料理中の母親に勉強を見てもらった時に、「ここ間違ってる」と言われ、いやそんなはずはないと抗議して、ドリルの答えを見せて「ほら」と言って台所から離れて行ったら煎餅とか入ったケース投げられた。
角の部分が後頭部に直撃。多分結構な勢いで、衝撃で転ぶほどだった。死ぬほど痛くてギャン泣きした。
その事については、それからずっと何も話してない。2時間後くらいには普通に夜ご飯は出てくるし、普通に話しかけられる。
でもずーっと覚えてるぞ。俺も掘り返してキレたりしないけれど、忘れたりしないからな。
小5の時、風邪で本当に体調悪くて学校休んだ時に俺に暴言吐いたのも覚えてるぞ。
「風邪引いたら優しくしてもらえると思うなよ」って、今でも内容から声のトーンまで全部覚えてるぞ。
ボリュームも表情も全部覚えてるけれど、なんでそんなこと言われないのいけないのって悲しかったのも全部覚えてるぞ。
お昼くらいには普通にうどん作ってくれたけれど、忘れたりしてないからな。
できの悪かった弟がどんだけ悪い点とっても、「普通を目指そう」くらいのテンションだったのに、俺がテストで一行まるまる見落として、初めて計算の試験で90点以下取っちゃったとき、めちゃくちゃ怒ったよね。
それもずっと覚えてるぞ。
他にもたくさんのずっと覚えてることは、嫌だったことだよ。
父親は無口で、そういうのかっこいいと思ってたんだろうな。で、年に一度くらい怒るんだよ。そういうの威厳だと思ってたんだろうな。
うん、怖かったよ。でもそれだけでしかない。その教育方針には全く感謝してない。
二人とも、そういうの全部無かった事にして今は普通に接してくるから俺もそうしてるけれど、表面の下にある亀裂が埋まる事はないぞ。
あーあ、どうしよう。
数年待っても嫁の考えが変わらないなら、娘だけを説得して同意したら一緒に病院に行ってワクチンを受けさせる、こうするしかないのだろうね。
しかし、嫁は娘にワクチンの害を教え込んでいるだろうから、果たして俺の言葉が娘に届くだろうか。
娘はそろそろ反抗期みたいで母親への批判めいたことを口にするようになっている。これがピークに達した時を見計らって説得するしかあるまい。
「わたしは絶対にお母さんみたいな女にならない!」みたいなありがちなセリフが出た時が、きっと最大のチャンス。
「お母さんはワクチンは怖いと言うけど、お父さんは病気のリスクと副作用のリスクを天秤にかけたらワクチンを受けた方がずっと良いと考えている。根拠の資料は、お前の歳だったら自分で読んで理解できるだろうから、自分で判断して受けるか受けないか選んでくれ」と、すかさず説得してしまおう。
母の「情」と父の「理」、娘はどちらを選ぶのか。
賭けだな、こりゃ。
本当に困った。