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はてなキーワード: 原典とは

2019-09-20

anond:20190920015217

これって何かの原典的な本に書かれていたことなの?

追記

中森明夫漫画ブリッコ」(1983年6月号)か

知らなかった雑誌名だな

2019-09-14

グーグル先生よぉ

増田、ちょいちょい古めかしい言葉遣いをするわけです。芝居だったり時代劇だったり落語経由だったりするような。

でも、ちゃん原典をそらんじている訳じゃないから、その言い回しが本当に適切か使った後に調べたりするわけです。貼り直し太郎に怒られるかもしれねぇけど、間違ったままよりはいいじゃん?

んで、この度もブクマ貼ってから「あれ、これって正しい言い回しだっけか」と思って、ググってみたわけです。

そしたら、検索結果の2番目にこの前貼ったブクマが出てきやがるの! 心底びっくりしたわ。スターも二階もねぇのにどうやって見つけてきたんだよそれ。

もうちょっとマシな用例つかって他人が見てるページ、他にもあると思うのよねぇ。

2019-09-09

ゲームタイトルナンバリングローマ数字で書くやつって

原典ウィザードリィかな

と思ってPC版の画像検索してみたけど、「second scenario」とかだな

2019-07-29

anond:20190729210011

一言でいうとそれが男性向けエロゲ主人公補正なんだが(虚淵富野につづくタイトルホルダーだから・・)

女性二次創作はそれを演繹して毎度大変なことになってて解釈力がすげーなって思うぜ

公式が毎月のように似たようなキャラ連続で出して飽きられない

ランサー長尾カゲトラとラクシュミーとかすごいカブってそうだけど)

社長働きすぎ、アルトリア特攻増えすぎでは)

バーサーカーのジャンノルタと水着きよひーなんか自分でしゃれのめしてたけどw

それで女性ファンにも多数ご納得していただけてるし

原典テンプレ二次創作自由でいいんやで

2019-07-09

anond:20190708181711

特異度を少し下げて感度を上げた検索をしたい場合もあるんよ

たとえば、そういう神話原典は何で、よく知られている設定はその中のどこに出てくるかとか

ジークフリートの原型となったようなもっと古いキャラクターについて研究はあるかとか

そういうのはそもそも書いてあるサイトとかがあんまりないので、なるべく見る数を増やしてその中から見つけたい

そのために検索ワードを敢えて絞らずに、引っ掛ける範囲を広くしたりする

するとゲーム系のノイズは割とダメージある

研究者とかじゃなくて単なる趣味なので、文献について教えてくれるような人の心当たりもないし

2019-06-23

anond:20190623161627

文句つけてるのもよく見るが…

から、そういった原典全体構成セリフ上の文字数なんかを考慮しない批判はよくないよねというのが元増田だろ

2019-06-01

聖書結構おもしろ

最近聖書を読んでいる。

別にキリスト教でもユダヤ教でもなく趣味で読んでいる。

先日なんとなく読み始めたら思ったより面白かったので少しだけ紹介する。

聖書には2つあって旧約聖書新約聖書である旧約聖書ユダヤ人であるイエス・キリストが新しい解釈をつけたもの、それが新約聖書である。なので、ユダヤ教原典旧約聖書キリスト教原典新約聖書という関係になっている。

旧約聖書新約聖書も拝めている神様は1人である日本語聖書では「主」と表現される。ちなみに西洋圏の聖書では「YHW」と表現され、読み方は様々である。有名なのでいうと「ヤハウェ」とかがある。よく日本宣教活動をしているエホバの証人という宗派があるが、このエホバは「YHW」を「エホバ」と発音しているのである

一般的旧約聖書神様は厳しく、新約聖書神様は優しいと言われている。これには背景があって、ユダヤ教戒律を守ることは当時非常に大変で、心身が非常に疲弊した人々に対して神様の息子であるイエス・キリストが救いの手を差し伸べたのである。この時の教えをまとめ、旧約聖書にくっつけたもの新約聖書である旧約聖書神様がどう厳しいかというと、例えば、信者信仰心を試すために彼の息子を生贄に捧げるよう要求したり、ルールを守らなかった祭司の息子を焼き殺したりなどがある。ちなみに息子の生贄に関しては、その信者は非常に敬虔で、実際に殺す直前まで行ったため、神様が「お前の敬虔さは分かった。殺さなくていい。」と言って生贄を止めたという話がある。

余談だが、キリスト神様と思っている人がいるが、実はキリスト神様ではなく神様の息子である

から少しだけ旧約聖書おもしろい所を紹介する。

旧約聖書の流れをざっくり説明すると以下のようになる。

1. まず神様世界人間を作り、人間は反映するも大洪水ノアの方舟に乗った人間が生き残り、その末裔にはイスラエルの民がいる。彼らはエジプト移住した。

2. エジプト奴隷になりかけたイスラエルの民はモーセに率いられエジプト脱出し、約束の地カナン(現イスラエル)へ向かう。

3. モーセ神様から色んなルールを授かったり、異民族戦争したりしてカナンへ移り住むことに成功

4. イスラエル建国し色んな王様お話が展開される。(有名なのはダビデ像ダビデ)

5. その後色々

この中でモーセエジプト脱出するときの話が良かったので紹介。

モーセエジプト奴隷になりそうになったイスラエルの民を救い出すためにエジプトファラオ対立することになった。モーセ神様の啓示を受け、イスラエルの民をエジプトから連れ出さないと行けなくなったとファラオに告げるのだが、ファラオは貴重な労働力がなくなるのでこれを拒否した。ファラオが神の力を軽視してることに怒ったモーセファラオに対して神の力を見せつけることにした。ここからモーセvsファラオマジック対決が開幕するのである

ラウンド1

モーセはまず杖を蛇に変えることで、神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じように変えてみせた。

引き分け

ラウンド2

モーセは杖を振り上げ、ナイル川を血で真っ赤に染め上げることで、神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じように染め上げた。

引き分け

ラウンド3

モーセは杖を振り上げ、エジプトカエル大量発生させることで神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じようにカエル大量発生させた。

これにはファラオも少しダメージを受けた。

→ 少し勝ち

ラウンド4

モーセは杖を振り上げ、エジプトブヨ(アレルギー性のハエ)を大量発生させることで神の力を見せつけた。ファラオお抱えの魔術師たちには真似できなかった。

これにはファラオも少しダメージを受けた。

→ 少し勝ち

ラウンド5

モーセは杖を振り上げ、エジプトにアブを大量発生させることで神の力を見せつけた。ここではファラオお抱えの魔術師たちは登場しない。

これにはファラオも少しダメージを受けた。

→ 少し勝ち

ラウンド6

モーセは杖を振り上げ、エジプト家畜に疫病を蔓延させ死滅させることで神の力を見せつけた。ここではファラオお抱えの魔術師たちは登場しない。

これにはファラオもかなりダメージを受けた。

→ 勝ち

ラウンド7

モーセは杖を振り上げ、エジプトの全ての人に腫れ物を発生させた。ファラオお抱えの魔術師たちは腫れ物のせいで外に出られない。

これにはファラオはかなりダメージを受けた。

→ 勝ち

ラウンド8

モーセは杖を振り上げ、エジプトに巨大な雹を降らせることで神の力を見せつけた。しかし、ファラオ臣下たちはみな避難した。そしてエジプトの様々な人や動物が死に、収穫間近の麦もだめになった。これにはファラオは相当のダメージを受けた。

→ 大勝利

ラウンド9

モーセは杖を振り上げ、エジプトイナゴ大量発生させた。ファラオ臣下たちは負けを認めるもファラオは頑なに認めない。エジプトのあらゆる植物は食べつくされた。

これにはファラオは大ダメージを受けた。

→ 大勝利

ラウンド10

モーセは杖を振り上げ、エジプトから太陽を奪うことで神の力を見せつけた。みんなパニック

これにはファラオも大ダメージを受けた。

→ 大勝利

ファイナルラウンド11

モーセは杖を振り上げ、エジプトの全ての動物人間嫡男を殺すことで神の力を見せつけた。

これにはファラオは負けをついに認めた。

完封

こうして晴れてモーセイスラエルの民と共にエジプトをでることを許されたのである

この辺が個人的に熱くて面白かったところである

実は他にも面白い部分はたくさんあるのだがそこは自分で読むことをオススメする。

自分解説は以上。ご愛読ありがとうございました。

anond:20190531130225

原典を知ってる方がエラいから

和歌本歌取り典型

令和の時も原典厨が沢山湧いて出ただろ。

負ければニワカ認定というマウンティングをされる。

2019-05-25

anond:20190525130308

LLVM で十分という考えもある。

RISC-V 原典くらい読んでもいいという気もする。

2019-05-18

anond:20190516151430

あいつが愛しているのはdotaを愛している自分自身だろ

あいつのゲームへの敬意はだいぶ怪しい(オチェスのクソ翻訳には原典へのリスペクトが感じられない)

ゲームを割りまくってることをブログで白状している

あいつはゲームをすぐにアンインストールしてディスクを割り、また買いなおすということを延々と繰り返している(この時点で相当ヤバいな)

その挙句ゲーム買う金が尽きて割り出すのだがそれでBANされたことを不服だと書いてあった

2019-05-13

大学原典購読がつらい

専攻(人文系)に進級して原典購読の授業に出るようになった。でも外国語が読めない。ぜんぜんついていけない。一生懸命辞書を引いて訳文を作っているのに、意味不明文章になってしまう。そしてそれを、他の生徒が見ているまえで教授に直されたりする。やんわりとだけど注意もされる。もう惨めで惨めでしょうがない。

昨年からずっーとこんな日々が続いていて、今日やっと気づいたことがある。運動音痴の生徒が高校までの体育の時間に感じてた気持ちって、これと似てたのかな。私は運動が得意だったのでわからないけど。こんなつらい思いをしてたのだとすると、彼らはかわいそうだったな。でも、運動音痴の生徒が体育の授業で晒し者のようになるのは、仕方のないことだという気持ちも私の中にある。これを認めるならば、私が原典購読で晒し者のようになるのも受け入れないといけないんだろう。そして、いかにもスポーツができなそうなあの教授は、体育の授業の恨みをはらすためにできない生徒に答えさせたりしてるのかな、なんて思ったりして。

予習をしないといけない。すこしでも惨めな思いをしないために。

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-09

anond:20190509223434

大元鉄道模型も狭い家を模型占領してて妻が何年も片付けるよう頼みこんでいたのに無視した結果だし

はい

「一部屋使ってた」としか原典には書いてないぞ

2019-05-07

言葉陳腐化は避けられないので仕方がない

マナー講師のことを悪く言う人がいますが、確かに陳腐化の加速を手伝っている側面は否定せずとも、そもそも言葉、大きく言えば文化陳腐化は避けられないことなのでそれを嘆いても仕方ないと思うのですよね。

お疲れ様」「ご苦労さま」、「承知しました」「了解しました」しかり。

マナー講師に石を投げていいのは「お疲れ様」を「おつー」とか「おつかれちゃん」とか俗語化して使ったことがない人間だけです。

そうやって俗語化が浸透していけば俗語が元ある意味を穢すことで一気に陳腐化が進みます悪貨が良貨を駆逐するが如しですね。

言葉そもそも必要に迫られて作られるのであって、陳腐化することで本来持っていたはずの言葉意味が失われてしまえば新しい言葉(もしくは原典に立ち返ってふさわしい言葉)を見つけるしかないのですよ。

例を上げれば「ご愁傷様」という言葉

揶揄する場面で使われすぎたので、本来葬儀の場面でも迂闊に口にできない雰囲気になってしまいました。

まさに陳腐化ですね。

そうすれば別の言葉探しが始まり最近では「お悔やみ申し上げます」なんて言葉がよく使われるようになりました。

もしこの言葉陳腐化してしまえば、また次の言葉探しが始まります。一周回って「ご愁傷様」が復権することだって十分にありえるわけです。

あくまで例の1つですので、この例えの正誤を議論するつもりはありません。)

もう一つの理由に、何故使われていたのかが置き去りにされて言葉けが独り歩きしてしま形骸化が挙げられます

どちらにしても、本来意味が置き去りにされてしまうことは避けられない以上、常に意味を求めて変わっていくもの言葉なのです。

本来意味で使っているつもりなのに失言として揚げ足を取られる政治家のようになりたくなければ、マナー講師をどうこう言う前に、現在使われている意味やそれに置き換わる言葉を受け入れていくことのほうが大切だと思います

せいぜい頑張って下さい。

2019-04-26

anond:20190426115215

なんだかんだ言ってガンダムは既に原典がある状態ではなくなっているので、無理やり映像作品から足を伸ばせるようになってる人が正義なんやで。

言うて福井かてNTフェネクスの設定変更受け入れてるやん。UCではネオ・ジオングも入れてるし。仕事してる方やで。

2019-04-19

anond:20190419130716

それ言い出すと英雄王が原典何でも持ってるから強いみたいな話になるから難しい

2019-04-12

anond:20190412014145

シンデレラを改変してもいいけど、シンデレラ原典は低年齢層に支持されるから勝ち続ける。

シンデレラ原典が低年齢層に支持されている」と言う現実が無いんだけど。

商品としても、絵本ベストセラーとしてシンデレラが入る事なんかなくて

需要があるのは精々「定番昔話は常識教養として教えておかないと」と言う親層向けの本(一冊に定番昔話を何十話と載せてるやつ)か、

やはり教育素材としての幼稚園保育園向けか、

著作権要らない故の100均本&それに準じた安っぽい本か、ディズニーアニメアニメ絵本くらいだし

シンデレラのものが好きという子供はもうほぼ絶滅してるよ。

つーか親なり園なりで教えられてなければディズニーキャラの一人と言う認識しかないのが普通

(んでディズニーキャラとしてもエルサのような新しいキャラの方が遥かに知名度も人気もある)

つーか「昔話」なんてみんなそうだろ。

男児向けでも桃太郎金太郎アンパンマン特撮流行りの今連載中の漫画や新作アニメより好きな子なんかいるか?

下手すりゃauキャラという認識しかないぞ。

anond:20190412013543

っていうか本気で表現したい、伝えたいのなら、同人誌自費出版)で規制をかけない表現いくらでもできる(お金もそのほうが儲かる)のだから

雑誌という「権力」が気に食わなくて「戦争」したいだけだって結構広い範囲から見透かされるよね。

子供タバコをいいものとして見せたくないってごく普通の親の願いだよ。

その少女漫画雑誌でなければいけない理由は? LALAやフラワーズなどの成年むけ漫画雑誌じゃだめなんですか?と。

シンデレラを改変してもいいけど、シンデレラ原典は低年齢層に支持されるから勝ち続ける。作品のものの力だ。

漫画童話大人からみたら嘘だけど、嘘は嘘として提供されてていい。

棲み分けからならいくらでも大人理屈をふりかざせばいいのに

わざわざ少女マンガ誌にきて棲み分けをぶっとばすって一般読者からみてもへん。

タバコをいいものとして少女誌で描きたがるのは

ガチエロ妊娠プレイをそれがリアリティからという理由少年誌に載せたがるのとおなじくらいに歪んでいるよ。

でもまあ、ほっといてもこんな横車推しはとおらないよ、

漫画家が勝ってもその少女マンガ誌が出版規制対象になる結末しかみえねえし。

男性漫画家があの手この手でやってる規制突破規制いたちごっこ

とうとう女性意味を考えもせず真似した

もっと悪いことにそのとき差別ジェンダー特権として使おうとした)という悲しい結末。

 

おやおや、フェミ嫌いはフェミ作品規制されるとき表現規制反対って大騒ぎするんじゃなかったですかね?

少女誌にタバコを載せてさしあげろとかいってもっと反社会的活動につきすすむんじゃないのかwww

混乱して黙ってしまったようですけどねwww

2019-04-01

令和の原典となる万葉集の一節の意味を調べようとした

そうしたらクソトレンドブログばっかりが引っかかって、それ以前にあったであろう解説サイトが全く引っかからないのな。

Googleはなんとかしやがれ。

2019-03-20

anond:20190320001831

みんなすバイブルだとか言い出すのに原典読んだりしないんだよね

100年前とかのもずっと同じものを大量に印刷されてるから安価で手に入るのにね

英語古語表現とかも味わえていいのに

2019-03-19

anond:20190319153621

俺が必読だと思うのはM.フリードマン資本主義自由村井章子訳版だな。

まあ細かいことは言わないが、池上彰も推薦していると言ったら興味をもつ人もいるだろう。

ああでも原典80年代以前のものから古典になってしまうのか…

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