マナー講師のことを悪く言う人がいますが、確かに陳腐化の加速を手伝っている側面は否定せずとも、そもそも言葉、大きく言えば文化の陳腐化は避けられないことなのでそれを嘆いても仕方ないと思うのですよね。
「お疲れ様」「ご苦労さま」、「承知しました」「了解しました」しかり。
マナー講師に石を投げていいのは「お疲れ様」を「おつー」とか「おつかれちゃん」とか俗語化して使ったことがない人間だけです。
そうやって俗語化が浸透していけば俗語が元ある意味を穢すことで一気に陳腐化が進みます。悪貨が良貨を駆逐するが如しですね。
言葉はそもそも必要に迫られて作られるのであって、陳腐化することで本来持っていたはずの言葉の意味が失われてしまえば新しい言葉(もしくは原典に立ち返ってふさわしい言葉)を見つけるしかないのですよ。
例を上げれば「ご愁傷様」という言葉。
揶揄する場面で使われすぎたので、本来の葬儀の場面でも迂闊に口にできない雰囲気になってしまいました。
まさに陳腐化ですね。
そうすれば別の言葉探しが始まり、最近では「お悔やみ申し上げます」なんて言葉がよく使われるようになりました。
もしこの言葉が陳腐化してしまえば、また次の言葉探しが始まります。一周回って「ご愁傷様」が復権することだって十分にありえるわけです。
(あくまで例の1つですので、この例えの正誤を議論するつもりはありません。)
もう一つの理由に、何故使われていたのかが置き去りにされて言葉だけが独り歩きしてしまう形骸化が挙げられます。
どちらにしても、本来の意味が置き去りにされてしまうことは避けられない以上、常に意味を求めて変わっていくものが言葉なのです。
本来の意味で使っているつもりなのに失言として揚げ足を取られる政治家のようになりたくなければ、マナー講師をどうこう言う前に、現在使われている意味やそれに置き換わる言葉を受け入れていくことのほうが大切だと思います。
せいぜい頑張って下さい。
「避けられない」は「だから誤用してもいい」にはならないぞ低能
長文おつかれちゃん!