はてなキーワード: 候補とは
大空幸星とか言う自民党の候補が区民まつりでやっちゃいけない選挙活動やってやがった
https://x.com/hoppeta_yellow/status/1847999123452281294
https://x.com/takano_hayato38/status/1847856009420865867
自民党が派閥の政治資金パーティー裏金事件で非公認となった候補にも政党助成金(税金)を渡しているというスキャンダル。
どこまでも腐っているし、組織的に反省する気もまったくなく、改善の可能性すらないことがハッキリと分かる。
小選挙区は維新候補に、比例は国民民主に入れた。最高裁判事は白紙投票。
報道機関のアンケート?みたいなやつやると、だいたい自民党が一番一致率高いんだが、今回は選挙区から出てる自民候補が元安倍派のバリバリの保守で、ちょっとリベラル寄りの自分には合わなかった。
最高裁判事は選挙公報読むと、なって日が浅いから特に業績なし、みたいな人が複数いて、そんななら国民審査はなってから〇カ月以降みたいな決まり作った方がいいんじゃないかと思った。
教えて!政治ニキ
共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が23日の朝刊で、自民党が派閥の政治資金パーティー裏金事件で非公認となった候補が代表を務める党支部にも、党本部から政党助成金2000万円を振り込んだと報じた。党幹部は23日、毎日新聞などの取材に「支部の活動費だ」と述べ、支払いを認めた。
赤旗によると、党は9日付で、森山裕幹事長から支部会計責任者あてに「支部政党交付金支給通知書」を送付。通知書には、政党助成金から2000万円の支部政党交付金を支給すると記載し、振込日は10日としていた。非公認候補の支部には、13日付で2000万円を党勢拡大のための活動費として振り込むとの内容の文書が届いたという。
党幹部は取材に対し「公認していないから、公認料ではない」と説明した。政党助成金は、税金が原資となっている。【飼手勇介】
via 自民、非公認候補の支部に助成金2000万円 「活動費」と説明 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20241023/k00/00m/010/092000c
これはつまり、非公認候補を自民党員として扱ってる、みたいな話だよね?
白票は無意味だのバカだの組織票を持ってる層を利するだけだの、だから白票いれるのはやめろって言うのが最近のネットの流行りだけどさ、あれに俺はちぃとも納得できんのよね。
そもそもさ、白票やめろって説教してる層って、白票を入れるか誰か候補者の名前を書くかを前提としてない?
まずそこからズレてるんだよね。
白票入れよっかな~って考える人が選択肢にしてんのは、白票 or サボり(棄権)なわけ。
棄権するよりは、白票でも入れて、投票率なり世代投票率なりを0.00000。。。1パーセントでも上げて、あと本人も投票所の空気を吸うくらいした方がいいでしょって話。
考えてみろよ、投票なんて、適当に候補者の名前を書く方が素直だし簡単だし普通だろ。
ニュースでも漫画でも文化祭の出し物決めでも、選挙ってのは当然候補のどれかに入れるものとして流れてるんだからさ。
白票入れるなんてのは相当ヘンで、何かしらのこだわりや意志がないと惹かれない、邪道な裏技行為なわけ。
具体的理由はそれぞれあるだろうけど、候補者の名前を書き普通に投票するのがマジでイヤでイヤでたまんねーっつう奴らが白票入れに興味を持つの。
そういうやつらに白票は無意味だ、まともに候補者に入れろって説教して、いい効果があると思うのか?
ンじゃいいっす、家にいますってなるだけだろ。
聞く側の心理をちゃんと考えたうえで「「白票はやめとけ」って説教してるんか?
考えたうえで俺とは違う心理推察になってんならまあいいけどさ、そうじゃなく、ただ自分の政治への意識を他者にも当てはめてそうな人たちが多くて、がっかりしちゃうわ。
選挙が近づく度に、誰にも入れたくないから白票を入れる、いや白票は意味がないみたいな言説が飛び交っている。実際のところ、白票は何に影響して何に影響しないのだろうか? とりあえず小選挙区に絞って考える。
当然ながら、白票は候補者の得票数には影響しない。したがって白票を投じたところで誰かが当選したり落選したりすることはない。
惜敗率とは、選挙区内の最多得票数を100%として候補者の得票数が何%かという割合である。比例重複立候補の候補者は惜敗率が比例名簿同一順位の候補との順位付けに利用されるため、惜敗率が高ければ復活当選しやすい。
法定得票数とは、いわゆる供託金没収ラインのことである。法定得票数の定義は有効投票数から決まるので、無効票である白票は影響しない。
投票率を選挙人名簿の登録者数に対する投票所に来た人の率としてカウントするなら、白票を投じた人の分もカウントされる。
特に、開票前の速報値であれば確実に選挙人名簿から算出しているので、影響する。
開票終了後に有効投票数から再計算することも不可能ではないが、わざわざそんなことをする例はあまりないだろう。
投票用紙からは世代は分からないので、世代別投票率は選挙人名簿から計算するしかない。誰が白票を投じたかどうかは分からないので、確実に影響がある。
投票率や世代別投票率を気にする政治家がいるのであれば、その行動に微妙に影響する可能性はある。
では実際の所、良い候補が誰もいなかった場合、白票を投じるよりましな投票行動はあるのだろうか。
確実に当選しそうな候補がいる場合、これによって「2位以下の惜敗率を下げる」「法定得票数を上げる」という効果がある。つまり、復活当選を防いだり、供託金没収にすることが可能かもしれない。
一方で、当選者の得票率は上がるので、当選者は「民意を得た」と思ってしまうかもしれない。
接戦ならその一票が明暗を分けるかもしれない。当然、法定得票数にも影響する。
一方で、入れた候補の惜敗率は上がるので、それによって比例復活当選してしまうかもしれない。
絶対に当選しそうにない候補に入れることで、有力候補の得票率が下がるが、選挙結果には影響しないだろう。
投票先候補以外の惜敗率にも影響しないので、比例復活にも影響しないだろう。
泡沫候補の得票数が供託金没収ライン上だった場合、これによってラインを超えるかもしれない。
同じ行動をする人が大勢いた場合、泡沫候補の得票数が増えるはずだ。したがって泡沫候補に有利な行動と言える。
まあ私はどこに入れるか決めてるのだが、他に何か良さそうな行動指標はあるだろうか?
何重にも話をズラして逃げてますね
この意見は一部に妥当な点がありますが、いくつかの問題点や矛盾点が指摘できます。以下に詳細を説明します。
妥当な点
1. 一票の集団的効果: 意見の中で「一人の一票は大きな意味を持たないが、集団で動けば意味を持つ」という点は正確です。民主主義の基本は、集団の意思を反映させることですので、個々の票が集まることで結果に影響を与えるという考え方は妥当です。
2. 自分の意見を反映させる方法として候補者擁立: 候補者がいない場合や不満がある場合は、自ら候補を擁立するか、政治活動に積極的に関わることが選択肢としてあるという点も理にかなっています。
1. 「投票しないことは無意味」という主張: 意見の中で「白票や無効票には意味がない」とされていますが、これは一面的な解釈です。白票や無効票を通じて「どの候補にも賛成できない」という意思表示を行うこと自体は、選挙システムにおいても重要なメッセージと解釈される場合があります。これは、政治家や政党に対して「選択肢が不十分である」という抗議の一形態です。
2. 「勝つことが重要」という視点の偏り: 意見では「勝たなければ意味がない」という主張がありますが、民主主義は勝敗だけでなく、多様な意見が反映されることも重要です。少数派の意見であっても、長期的な議論や変化に寄与する可能性があるため、「負けることが無意味」とするのは狭い視点です。
3. 選挙に行かないことの影響を軽視: 「投票する人がいないから選挙に行かなくてもいい」という主張は、投票率の低下が民主主義の健全性に悪影響を与えることを無視しています。低投票率は、代表性の欠如や特定の集団に有利な結果をもたらすことがあります。そのため、どのような選択肢であれ、投票に参加することは重要とされています。
まとめ
この意見は、一票の集団的な力や候補者擁立の重要性を指摘する部分では妥当ですが、白票や無効票の意義を軽視し、投票しないことの影響を正当に評価していない点に問題があります。また、勝つことが唯一の目標であるとする視点は、民主主義の多様性や長期的な影響を軽んじているといえるでしょう。
選挙は物言わぬ人や投票しない人や無効な投票をすることで意見を表明するものじゃないから
二択で「じゃあ三番!」って言うのと同じ
それに意義を感じる人はいるかもしれないけど選択にはなんの効力もないからね
もしそれに効力があるのだとしたら、選挙権もってない人の意見も反映されてしまうって事だよね
じゃあ黙ってだれかの選択に乗せられろっていうのかってったらまあそうだね
それが嫌なら候補をつくること
いないなら作らないと永遠にだれかのサイコロであたりがまわってくるの待ち
誰かがつくるの待ってても、でずっと待ってて今なんでしょ
今回はしかたないよ
いないのだったらしなくていい
でも次はそうじゃないようにしたいよね
そのためには
どこかの政党に肩入れするのもあり
そうじゃないなら
なんてできたらいいけどそんなに簡単でもない
一票に意味がでてくるっていうのはそういう事
ひとりの一票はなにも変えられないけど
みんなに参加した一票は変える力をもってる一票
一票を捨てる人たちで集まるもよし
無駄につかう人たちでもよし
一票が意味を成すのは
「一票がなければ二票にならない」
ところからだよ
一万円の買い物も一円足りなかったらできない
それは無理でしょ
結局投票をしないと意味がないし、集団にならないと効果は見えないからね
自分ひとりでこっそり入れた一票は、勝ち馬だったとしてもなんの還元もないから
でも支援者にはありがとうのハグもするし融通も利くだろうし意見だって聞くだろうし
なんでもしてくれて勝った一票の重みを還元してくれるかもしれないね
入れないとかどこに入れるとかは集団化して1票をまとまった数にして評価の還元先を
入れる先がないなら入れる先がない事を壊すためにも
これじゃあだめになるって政党に入れたらいい
本当にダメになったら気が付くよ
「そんな適当な選択で取り返しがつかないほどダメになったらどうするんだ」
って言われても、その選択肢にしてるのは、入れる先のない本人だよ
だれかが作るのまちだったらあなたの望む世界は意見をお聞きしてないので
つくりませんでしたって事でおわりじゃん
なのでいいのがでるまで壊してつくってしていくしかないんじゃない?
当時、S誌(シミュレイター)と共に日本のボード版SLG界を牽引していたT誌に掲載されたリプレイ。トラベラー特集の目玉企画。著者はGURPSなど多数の作品を翻訳することになる佐脇洋平。リプレイと聞いて連想する今の型式が普及する契機となった。このときに安田均が「違う型式でいこう」と考えてたら、多分リプレイ文化は成立してないか大分変わってた。
そのS誌に掲載されたローズ・トゥ・ロードのリプレイ。Wikipedia曰く『ゲームの解説記事である以上に「読み物」として書かれた初めてのリプレイ』である。著者はわきあかつぐみ(藤浪智之)。実際の誌面を見ると一目瞭然だが、かなり独特な型式で、これに創刊号(再創刊号)でいきなり15ページも与えた鈴木銀一郎恐るべしである。記事自体の人気は爆発的に高く、反響も大きかったが、先述の通り、型式が独特だったので直接の模倣作はそんなに多くなかったはず(プレイの雰囲気というかノリは割と真似というか汚染されてたので、影響力が小さかったわけではない)。
既述の通り、日本のゲーム界では「このとき安田均が違う決断をしていたら歴史が変わっていた」タイミングがいくつかあるがその中でもかなり上位に入る。翻訳TRPGの本命というべきD&Dを紹介するにあたり、安田均がパートナーとして選んだのが、(専門性の高いボードゲーム誌でなく)大抵の本屋で普通に買えるコンピューターゲーム雑誌&角川書店だったこと、マスターに選んだのが水野良だったこと、結局そのままの単行本化ができなくてD&Dから離脱したこと、それまでの「エルフ耳」とは単に先が尖っているだけだったのに出渕裕の勘違いで笹の葉の如く細長くなったことなど、その影響は極めて大きい。
(以下追記)
元増田のブコメでb:id:f_d_trashboxさんの指摘により思い出した。名前の通りD&Dの入門書だが、リプレイパートが存在しており読み物としても楽しめた。著者は鈴銀とともに初期から日本のボード版SLG界を牽引していた黒田大佐こと黒田幸弘。それまではリプレイ=雑誌掲載記事だったが((厳密に言えばリプレイ載った同人誌も登場しつつあったが雑誌より入手難易度は上))、これは誰でも買える一般書籍として登場したという点で画期と言える((ただし、TRPGとは複数人数で遊ぶものであり、会場を借りる文化が発達してない時代だと個人宅で遊ぶ物で、必然的に自分で持ってない雑誌でもそこで読んだ、という人間は多く(筆者含む)、「雑誌掲載記事」という単語のハードルは現代人が想像するほどには高くなかった))。
リプレイ文化と言うよりも日本のTRPGシーンに与えた影響の大きさで選出。著者は山本弘。元増田は『TRPGリプレイが多数書籍刊行されることにはならなかった可能性があるくらい、歴史上はとても重要な作品』と言っているが、これは過大評価であり、当時すでに「雑誌にリプレイを連載し、そのシステムを販売し、さらにリプレイ本や小説((ロードス島戦記1巻は1988年4月発行))や解説本も売る」が安田均の戦略なのは多少目端の利く人間なら理解していた((どんなに遅くとも、独自システムになったロードス島のリプレイ第3部(コンプティーク1988年9月号~)を見てそう思わない奴はいねーよ、ぐらいの相場観))。
いわゆる「スチャラカ冒険隊」のリプレイは月刊ドラゴンマガジン1988年11月号から連載が始まるが、このパートではそれまではただ退治するものだったはずのモンスターを違う視点で描き、当時の日本中の若者(筆者含む)に多大な影響を与えた。
「初期」とタイトルに入れたので80年代の話だけにしようかと思ったが、影響の大きさ的に触れた方がいいかと思って言及。不幸な出来事。警察庁広域重要事件117号(1988年~1989年)と同様に「オタクは迫害されている」との自己認識を強める契機となった。
アメリカ探偵作家クラブ賞受賞の推理小説。著者はシャーリン・マクラム。訳者は浅羽莢子。D&Dがよく分かる本を探しに行ったら本棚から出てきたので紹介。SF大会で起きた殺人事件を題材とするミステリ。SF大会のオタク的様相が描かれる。クライマックスではTRPGを使って犯人を追い詰めるので、小説形式リプレイにしか見えない謎仕様。今気づいたけど、152ページに出ている架空の書籍タイトルが「美女と野獣――マンチキンの国がとりもった結婚」とかで訳注は原義の「オズの魔法使いの国に登場する小人の国」としか書いてないけど、年代的にはジェフ・オカモトの方にひっかけた可能性が高いと思われる(余談が過ぎる)。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。
大谷翔平のホームランと盗塁、どっちも50達成してんやて。ほんまスゴイな、これ 
高校生の間で流行っとる謝罪の言葉や。めっちゃ軽く「ほんまゴメンな~」みたいな感じ 
男子高校生がよう使う言葉やな。ちょっとキツイ状況の時とかに使うんやで 
オリンピックで注目された射撃選手が「無課金」やったから、この名前がついたんやて。ゲームの無課金プレーヤーから来てるで 
アニメのキャラ「のこたん」から来た流行語や。TikTokでも流行ってるで 
詐欺を題材にしたNetflixのドラマから流行した言葉や。サスペンス好きにはウケるで 
これもTikTokで流行ったダンスの曲やな。みんな踊っとるわ 
戦国時代を舞台にした海外ドラマで、めっちゃ評価されてるんやで。日本の歴史が世界中に広まってるんやな 
アザラシが浮かんでる様子をこう呼ぶんやて。SNSではめっちゃ盛り上がっとるで 
ほかにあったら教えてな!
子供と少し遊ぶだけであとは放置してると、子供がもう少し成長して4歳5歳になった時
親と遊んでいる間よく会話している他の子と比べて語彙が少なくなって
自分の気持ちをうまく伝えられず保育園や幼稚園などで癇癪を起こしたり、逆に黙りすぎてしまってストレスを溜め込み
他の子や先生から理不尽な扱いを受けても、身を守れる率が下がる。
また園でよくある制作遊びでも褒められることは他の子より少なくなる。親が何回も制作遊びに付き合っている子供は当然上手に作るので。
園の生活で語彙が少なくただでさえストレスが多いと、どこかで褒められることはあって欲しいが、それも無理に。
あと服はネットで買うより西松屋とかで買う方が安く済んだりする。
成長に伴い子供に必要になる家具(園のかばんや帽子を自分で片付ける為のラックや、おもちゃの片付けラック、机など)はセカンドストリートなど安く買える事もある。
毎日のやってみた。40%台だけど、維新と国民おすすめされて、ちょっと開いて自民、参政
立憲、公明 みたいな感じだった
各都道府県に割り当てられた議席数は、たとえば島根2議席、鳥取2議席で変わらないけど、中国地方全体で比例代表ブロックの議席が10ある。
たとえば島根の立場になって考えると、有力候補が圧勝してしまうと、惜敗率の関係で島根全体としての議席数は2止まりになっちゃうのに対して、うまいことギリギリの戦いにしてあげれば、島根県選出の議員は4名まで獲得できるわけだ。
これって県単位で見れば、自分たちの利益の最大化に繋がるんじゃないか?
2番手候補を当選させるのも気に入らないかもしれないけど、比例代表ブロック議席を鳥取県や広島県に取られてしまうのと、どっちがいいかな?
(追記)
ブコメで教えてもらった沖縄の例では、4つの選挙区で9人が当選してた(結果一覧)。つまり、たとえば33%付近で3者が競れば、1つの選挙区で3人当選できるってことやな。確かに。その意味では理論的には島根が比例の中国ブロックをすべて奪って合計12議席獲得も可能なわけだ。比例獲得議席1の弱小政党でも、惜敗率99.9%に調整できれば島根の候補が当選するもんね。
これ、N党とは逆の市民運動側の選挙ハックとして、どっかの都道府県で実現しないかな。一度でも極端な例が起きれば、そのまま放置されるはずのない問題だと思うんだけど。
【総選挙】裏金問題に旧統一教会との関係…疑惑まみれの萩生田氏。大逆風の中でのしたたかすぎる戦略。
https://www.youtube.com/watch?v=7H1TvnrrpPA
総選挙の投票まであと1週間となり、今回のテーマは「裏金議員を落選させよう」という内容です。政治資金の問題、特に裏金問題について、国民が忘れてはならないと強調しています。検察の対応が甘く、政治資金規正法の改正も実効性に欠けると批判しています。具体的には、領収書の公開が10年後になるなどの問題点を挙げています。
また、企業・団体献金の抜け穴となっているパーティー券の販売や、政策活動費の不透明さ、旧文書通信費(月額100万円)の問題など、政治資金をめぐる様々な問題を指摘しています。
特に、自民党の萩生田光一議員について言及し、選挙で有利な状況にあることに疑問を呈しています。萩生田議員は過去に統一教会との関係が指摘されており、また公明党・創価学会からの支援も受けているとされています。これに対し、公明党がかつてのクリーンなイメージを失い、政権維持が自己目的化しているのではないかと批判しています。
いや俺は良いんだけど。
だってご覧の通り、落選させようとしてる萩生田光一はクズ野郎ですよ。
バックには安倍昭恵も付いてるし、更に援軍に櫻井よしこも来た。
今この時点で萩生田光一を支持してる奴ら全員のリストが欲しいくらいだ。
萩生田光一はこの前も、西村博之に統一教会との関係をいっちょ噛みされ、訴えるとか言ってたよな。
あいつは外国に住んでんだから訴えるなんて出来っこないんだよ。
でも古舘伊知郎は日本に住んでるのに、よくここまで言えるよな。
特定候補者を落選させようというのをここまで明確に呼びかけてる人なんて見たことないよ。
やっぱ組織に属してない奴は強ぇな。
最近になって、小説が原作の「かがみの孤城」って作品の映画の方を見てみたけれど。
最終回発情期って言葉は嫌いだけど、この映画はまさに最終回発情期と呼びたくなるような内容だった。
タイトルやキービジュアルを見た時には正体不明の孤城の謎を解くドキドキワクワクなアドベンチャー的な内容を期待していたのに、
実際には現実世界での陰湿ないじめのシーンと妙に理解ある親御さん、にも関わらずいじめっ子はお咎めなしという描写が続いてコレジャナイ感が否めない。
肝心の城の中では淡々とそれぞれの身の上話をしているばかり。テロップを見てると1年間交流したみたいになっているけれど、あまりに淡々としているので友情を深めた印象が全然ない。
で、最後の最後で嬉野って男の子(梶裕貴の声のおかげかこの子が一番魅力あった)と、風花って女の子に恋愛フラグが持ち上がるんだけど
これまでにそういう気配が感じられなかったものだからえらく唐突に感じた。
この二人、それぞれ別の時代から来ていて、現実の世界では8歳違いらしいんだけど、それだけ年が離れていてどうなるのか気になるところなのに最後までそのフォローは無し…何なのさ。
主人公と理音という男の子の間には確かにフラグが立っていたとは思うけれどそこまでか?だし。
あとこの作品恋愛のみならず、同性間の友情に関しても唐突なんだよね。
孤城に飛ばされた子供達のうち、晶子の正体は、映画の冒頭から主人公に優しくしてくれてた喜多嶋って先生の過去の姿だった事が分かるんだけど
晶子と主人公がそこまで親しくなった印象もないものだから、未来で会えると熱弁する主人公が唐突な印象が否めない。
主人公は劇中、ずっと同じクラスの東條って女の子を気に掛けていて、その子との友情が描かれる場面が多い。
最終的に彼氏候補の男の子に出会えたので、東條の事なんてどうでもいいでーすみたいな扱いになってる…。
孤城の主である、狼のかぶり物をした赤いワンピースの女の子は理音の亡き姉だった事が分かるんだけど、なんでこの子が厨二病みたいな変な喋り方をしていたのかが意味不明だし。
そもそもこの姉の存在自体唐突に出てきた印象で何の思い入れも持てないから突然感動仕草をされても困る。
エンディングでは理音とその家族の様子が映り、理音の姉の幽霊(?)も出てくるけれどどうでも良さ過ぎて。
どうせなら他のメンバーが現実に戻ってどうしているのかを描けばいいのに…。嬉野と風花、昴と政宗はどうなったのさ?
そもそも孤城に行く子供の数が7人って多すぎたんじゃないか?狼と七匹の子ヤギにかけてるみたいだけど、動かし切れてないし減らした方がいいと思う。