はてなキーワード: 不利益とは
9月下旬から、多くの大学で講義が始まった。僕の大学ではコロナの影響で講義は原則オンラインとし、オンラインではできない各種実験や実習の類の一部だけが対面授業となっている。サークル活動は、禁止は解けたものの10人以下で三密を避けて活動するようにという通達が出ていて、実質活動できていない。図書館もだんだんと規制が緩くなっているが、それでもまだ閲覧席の利用禁止や他学部の学生による利用(例えば工学部の学生が理学部図書館を利用することができないなど)は制限されている。昨年度とは大きく異なった状況が大学生をとりまく。
それで、少し前からTwitterなどで「大学生の日常を取り戻そう」という言説を見かけるようになった。小学校も、中学校も、高校も、会社も通勤通学しているのに、大学生だけは対面授業ができずずっとZoomで講義を受けたりサークル活動ができなかったりという不利益を被っているという意見だ。僕はこの言説に引っ掛かりを感じる。
「大学生の日常を取り戻そう」というのは、コロナ前の日常を送れるようにしようと言っているように聞こえる。そしてその日常を享受できていないのは大学生だけだという考え方が根底にあるように見える。でも僕はそれは違うと思う。コロナ前の日常を取り戻すのは大学生以外でも無理だし、日常を享受できていないのは大学生だけではない。今、道行く人々は常にマスクをしており、マスクをしていない人は入店お断りという店すらある。三密を避けろと言われていて、特に居酒屋でのコンパは白い目で見られる。電車内では会話は控えめにするようにとアナウンスが流れる。小中高校は対面授業こそしているものの、例えば給食の時間は机を合わせずに全員前を向いて無言で食べるというスタイルがとられることがほとんどだし、文化祭は中止か一般公開しないかのどちらかである。完全にwithコロナの考え方が定着していて、日常の形も変わっている。
それなのに「大学生の日常を取り戻そう!」などと言うのはなんなのか。"取り戻す"ための"日常"などもう数年先まで存在しないだろう。「大学生の日常を取り戻そう!」が叫ばれるなら「中学生の日常を取り戻そう!(例えば、文化祭は例年通り学外からも人を入れて盛大に開催したい)」とか「サラリーマンの日常を取り戻そう!(例えば、リモートワークはなんか嫌だから普通に出社したい)」なども叫ばれていそうなところなのにそういった意見はなかなか見つからない。大学生だけが不利益/非日常を被っているわけではないのに。大学生の声が異様に大きい。というわけで、僕は「大学生の日常を取り戻そう!」を目にするためにまーた大学生が騒いでるよ、とうんざりしてしまうのである。
※文頭でも述べた通り僕は大学生です。
と、限界男オタクから問われた。彼が出掛けた先で女性向けコンテンツのイベントも同時開催されていたそうで、その時の女オタクの振る舞いを見て、タイトルのような疑問をいだいたのだそう。
まあ、私はイベントとか最近あんまり行かないから今のことは知らんけど、記憶では、コミケのような大きなイベントでも、女性率90%な何かの同人オンリーイベントでも、女オタクは普通にマナーがいいと思うのだが。スーパーなどで日常的に見られる買い物客の様子よりはだいぶマナーがいいと思う。
限界男オタクに、では男オタクのマナーの良さとはどんな感じ?と聞いたら、挨拶をちゃんとする、絶対列の順番抜かさない、列をトイレとかで途中で抜ける時、周囲の人(赤の他人)に声をかけておけば戻った時にちゃんと元の位置に入れてもらえる、マナーの悪い人がいれば諌めるしマナーを知らない人には丁寧に説明する、事前調査や下準備を怠らず現場でモタモタしない、だそう。
うーん、女オタク、同じイベントに参加するからって、列の前後の人にわざわざ挨拶するかといったらそこまではしないかもって気もするけど、大体男オタクと同じじゃね?と思って、マナーの悪い女オタクの群れの様子を詳しく聞いたら、それはジャニオタだった。とあるオタク向けコンテンツにジャニーズが出演していたので、ジャニオタがイベントに参戦してきたのだそう。その、ジャニオタ込みの女オタクの群れは、開場された途端に列なんか無視してわっと走り出し、物販に突撃し、ディスプレイを蹴散らし、昭和のバーゲンみたいにグッズを我先にと漁り奪い合ってレジに走ったという。
なるほどそういうこと。それって、たぶんジャニーズという広く一般に知られているジャンルなので、オタクのイベントに慣れていない人達が多く含まれていたのではないだろうか?そういう人達の自由過ぎる振る舞いに流される形で、本来はマナーのいい女オタクも合戦場に飛び込んで行ったのでは?
「マナーが悪い人がいたら止めるなり注意したらいいのでは?そうはせずに一緒になってイベント開催側に迷惑をかけ、グッズの奪い合いをするなど……」
そうだなぁ。目の前の欲に眩んだ、あるいはそれしか利益を得る手段がないという現実に屈している。簡単にいえば、多勢に無勢というやつだ。いくら紳士な男オタク達といえども、もしも同じ状況に少数派紳士として参戦しなければならないとなれば、やはり仕方ないと奪い合うのではないか?
結局、ジャニーズファンの裾野が広すぎるというのが問題なのではないか?オタクイベント慣れしている人しか集まらないイベントならば、女オタクだってジャニオタだって、ちゃんと並んでマナーのいい買い物をすると思う。そう私は限界男オタクに話した。
そんな会話をした後考えたのだけど、本当に女オタクというか、女性の方がガチでマナーの悪い可能性というのを考えた。男性だけの集団の方がマナーのいい可能性である。
どうしてそうなるのかというと、男性の方は幼少期には振る舞いがモンキーである期間が長いぶん、ルールやマナーを守ることが自分の利益になること、守らないことが自分の不利益になることを身をもって理解するのではないかということだ。
一方女性の方は、幼い頃からきっちりルールを守って従順な傾向があるけれど、それはただ大人の言うことを鵜呑みにし、行動に反映させているだけのことで、ルールやマナーの価値というものを本当には理解しないまま育ってしまう、ということだ。失敗しないので学びがないということ。だから、上から偉い人が押さえ付けてくるという状況から離れると箍が外れて無法の限りを尽くして平然としている、ということもあり得るのでは?
そんな推測もあるっちゃあるのだろうか、なんていうことも思ったが、本当のことはよくわからん。まず女性だって、オタクだけが集まる場では統制が取れている辺り、男性が特段にマナーがいいというよりは、オタクという属性の人々は性別問わずに特殊である可能性が高いじゃないか。
たとえば遊園地に行ったとき絶叫マシンに乗るかどうかは個人の自由だ。SNSで不快なユーザーの発信を受け取らないようにするのも自由だし、嫌いなテレビ番組を見ないのも自由だ。
嫌なものは、それが法律で義務化されていたり、それをしないことで他者の権利を侵害するのでない限り、しない権利がある。
政治だって同じだ。一定数の人は日本の政治には辟易としている。
国会の会議やマスコミの報道では連日、政策の内容と何ら関係のない政権批判が繰り返されている(これ自体が国民の知る権利を侵害していると思う)。
いい年こいた大人同士が一般企業の会議や取引であればまず相手にされないような幼稚な言動の応酬をしている様を見るのは、気分を害する人がいるのも当然である。
そんなものを真剣にフォローするくらいならば、趣味や仕事に熱を入れようと思うのは自然であるし、当然認められるべきことである。
政治に無関心でいることは当然認められる権利であって、そうすることによって当人が不利益を被ることはあってはならない。よく、
などと嘯く連中がいるが、見当違いも甚だしい。これは「税金から給与を貰っている人は、国民が承認したこと以外に金を費やしてはいけない」というくらい滅茶苦茶な理屈だ。
>本当に必要
なんて定義自体が、「最優先で必要」って意味なんだから言葉遊びだよ
そりゃ注意しないことがこちらにとって大きな不利益になるなら注意するけど
そもそもの話は
”損得バランスが合わないから“真っ当な大人はわざわざ他人を注意しないって話なんだから
他人で妄想することでは、誰も不利益を被っていないように思える。しかし、それを批判するのは内心の自由を妨げるからやってはならないだろうか?
「特別なもの」「他とは違うもの」として区別するのは、それだけで問題かな?
少年マンガだって少年らだけが読むものとして区別しているのは、問題ってことになってしまう。
自分はゲイだって認識してるのは、男性だけを特別に性的にみているってことになっておかしい、って言えてしまう。
誰が誰を好きになったっていいと思うし、誰が何を好きになったっていいとおもう。
問題は選好が誰かを排斥する時に起こる。排斥された・されそうな誰かは不合理な選択で不利益を受けている、って文句を言える。
腐女子の支援が私利私欲に基づいたものだとしても、セクシャルマイノリティを助けたい善意が独立してあってもおかしくはない。よしんば善意さえなくても、役には立つ。その場合でも味方ヅラしてもらうのはむしろ好都合でしょう。
ところで味方ヅラすんなは無礼な指図だね。他人に品行方正を説いておいて、自分は戯言をエクスキューズにして相手側の動機を一方的に邪推してるのに「カテゴライズして」「勝手に食い物にしておいて」。アンタは一体何様なんだ。食い物にしているのはそっちじゃん。
働かないで貰った方が(AIや工業用ロボで自動化する)長期的に見てコスパ良いという話だぞ
テック大国・超学歴社会・合理主義な米国ですら、未だに事務員を完全撲滅できていないが、
あとは既得権益側が不利益を被るからできるだけ仕事を効率化させたくない
たとえば、弁護士なんかもそうだ、弁護士どころかパラリーガルも消えてない
法律と過去の判例と解釈をボタンひとつで引っ張ってこれるんだから専門家、
ましてやその補助なんて、真面目にやれば殆ど要らなくなるはずだが、
そんなこんなで働く気が本質的にない人は働かないでいて貰った方が社会にとって有益だよ
本質的に働く気がある人は、働く必要がなくても、ジョブを得られるよう新たな分野の勉強や訓練の取り組みを始めると思うし、
各種研究やメインカルチャー・サブカルチャーの創作をしたり、NPO活動すると思うよ
理解出来ないのではなくて、無条件で認めることによって子どもが被る不利益の方がデカいというのが
人権が怪しくて、奴隷もいて、というの時代からの共通認識では?
少なくとも紀元前の書物に『父と兄と一緒に寝たときにのように』と書かれる程度には一般的な認識では?
一方で同じく紀元前の書物に近親相姦が書かれている。西暦に入っても政略・俗習などで近親交配はあった
なので人間という動物はいうほど近親交配を避ける種では無さそう(避ける動物もいる)
動物としてみたときには別におかしくなさそうだが、社会的には無条件では許せないってだけ
父母兄姉弟妹ならそもそも籍を入れんでも最初から家族でしょ。セックス(子作り)しないのに籍を入れる必要ある?
UX が謳われる前から、UX みたいな意味の言葉はいくらでもあったわ!Don't Make Me Think とか、アクセシビリティとか。つまり、フロントエンドのデザイナが不勉強だから、全体が不利益を被っているから出てきたバカにもわかりやすい用語が UX なんだろ!自分の仕事をバカにしてるから UX なんて二文字でバカな言葉に振り回されるのだ。自分の仕事を愛せよ、デザイナーは!バーカ!
ロリコンのパラドックス(ヤマアラシのパラドックスジレンマみたいな?)から考えるロリコンのヤバさの考察
1. 結婚する
2. 女児を生んでもらう
3. その女児に性的な興奮をし、性行まで達するということ可能なのか?
ロリコンが(妙齢の女性と)結婚して、(確率1/2の)女児をゲットするというハードルが高いのは認める。だが、確実に存在してパパがロリコンだったという事件が発生している以上は上記の 2. まで生じている。気になるポイントは、3. が観測しにくいことなのだ。ロリコンは他人の子ども(女児、しかも未成年)という条件でないと、不可能なんじゃないかな?これはもしかすると、成年の女性だったら犯罪にならないこと(不倫)に対して、社会が厳しいことを鑑みると良いのかもしれない。ロリコンとは、
という式で n が大きすぎるのが問題なのじゃない?つまり、ロリコンという存在はベル型カーブの外側にいて、標準偏差で6σを超えた存在で、つまりアブノーマルすぎる存在で、身近においておくと自分が社会的な制裁を受ける可能性が非常に高いとみなされる可能性があるから、嫌われるのじゃないだろうか?
じゃあさ、上の仮説の 3. の事例を考えてみよう。近くにいて嫌なのはどっちですか?刑務所にいて確実に友達になりたくないのはどちらですか?
2. のほうがタブーを犯しているので、ヤバさが違うと思いませんか?以上から、わたくしはロリコンの気持ちの悪さとは、近所(遺伝・住んている場所)にいると不利益になるので、近場から追い出したい存在なのではないかと考えます。
よって、ロリコンとは「近くにいると不利益になる存在」とされるものなのではないでしょうか。ロリコンが刑務所でいじめられるというのは、ただ観測されるもののひとつなのではないでしょうか。
「ペット的動物が虐待を受けていると不快で倫理的忌避感を感じる」は、文化的影響よりも、人間の脳の生来の性質の方が先にある。
だから文化でしか考えないお前の論考は的外れにならざるを得ない。
人々は動物虐待に対して(他のあらゆる倫理的課題に対しても)、まず生理的に無理!と感じている。
そして、無理という結論ありきで、なぜダメなのかの論理を組み立てる。神の意思に反するだの、悪影響があるだの、皆がいやがるだの、動物のケアだの。この後付け論理の作成は反射的な作用なので自分自身すら騙す。
例えば有名なのは、スーパーで買ってきたチキンを強姦して食べたら邪悪ですか?みたいな誰にも害を与えないけど不快な設定に倫理的反応を見る、という実験がある。そうして奇想天外で矛盾した後付け理論が想像される様を分析したわけだな。
元増田のやっている動物虐待動画の流行するって仮定も、やってることは同じだ。自分の心に生じた後付け倫理に対して、自分の批判力を持って、矛盾した後付けじゃねーか論破してるわけ(頭いいなお前)。
ただ、心理学の実験だったら、観察して論破して矛盾がある様を発見できたら終わりでいいけどさ。お前がやってるのはそうじゃないじゃない。保守とか革新とか、実際の倫理の運用について分析しようとしている。
動物虐待への忌避感っていうのは、恐らく人間の生物由来の衝動なんですよ。人間の生物由来の気持ちを重視するのが保守で、お気持ち無視で論理ゴリ押すのが革新か?
いや、確かにww2以前の革新ってのはそういう思想だったんだよ。
でも流石にもうそんな能天気な思想ではやってけないわ。お前が文末で言ったような重要性を、とっくに人類は通り越している。
これからは、保守だろうと革新だろうと、まず人間のお気持ちってものは重視しないといけないよ。その上で、人間なんだからそのお気持ちは当然だし尊重しますだとか、逆に、そのお気持ちは社会にむしろ不利益をもたらすので敢えて無視しますとか、そういう議論になっていく。ここで問われるのはお気持ち込みの合理性で、現実に存在するお気持ちを無い物として扱うような仮の合理性はもはや問うても意味がないというしかない。
ちなみに動物虐待動画への回答ですけど、それも実はもう見出しているんだよね。表現の自由を確保したいってお気持ちに配慮して、動画自体の規制は行わない。でもそれはそれとして、動物虐待は不快(犯罪ってことにも前もってしてある)なので、犯罪の動画を上げたらサイト側がアカウント情報を警察に流して捕まえる。
デジタル庁のトップは女性がいいらしいので、ニュージーランドにおけるセクハラについて書く。デジタル庁ってなんだ?
セクハラについてどう思うだろうか?セクハラという単語を聞いたときにパット思い浮かべる構図はなんだろうか?男性が女性にやる?上司が部下にやる?やってる側の風貌は?年齢や見た目は?やられている側は?ちょっと思い浮かべてみてほしい。
ニュージーランドでも当然セクハラは起きている。いくらジェンダーギャップ世界6位といえども起きるものは起きる。だが、セクハラはきちんと定義されている。
まず、男女平等の思想が浸透しているニュージーランドでは、被害者の性別には関係なく被害者として対応される。加害者についても加害者として扱われる。
つまり、セクハラという単語を聞いても特定の構図が頭に浮かばないようになっている。特定の構図が浮かべばそれはすでに差別となるからだ。ニュージーランドにでは、ステレオタイプな考えは差別として取り扱われる。
まず、わかりやすいのは、加害者が被害者に対して相手の意向も考えずに、執拗に性的なアプローチをかける場合だ。これはわかりやすい。そして違法だ。
次に少しわかりにくいケースがある。これについてはおそらくニュージーランドで働く人々は研修を受けるのではないだろうか。
女性の上司が男性の部下に悪ふざけでボディタッチをするのはセクハラだろうか?
このような状況で、されている側がやめてほしい、と言ってすぐに謝罪してやめたとしてもセクハラだろうか?
このようなことがあったあとに、ポジションの降格や減給があった場合、セクハラだろうか?
答えから言うと、あからさまではないが後でセクハラで揉める可能性がある、と言うことだ。いつか?降格や減給があったときだ。このときに、セクハラだと騒がれる可能性がある。
セクハラで騒がれるとかなりめんどくさいので、あまり親密なアプローチはかけないようにというのが研修の内容だ。セクハラが差別だとか重要なトピックももちろんある。
つまり、実質的な不利益が発生した場合に、これらがセクハラとみなされる可能性がある、と言うことだ。上司が「こっちの申し出を素直に受けない報復にあなたを降格します」などというわけも無ければ、「この間のこととは関係なしにこの結果となりました」と言われてはいそうですかと素直に受け入れるということも無い。
そして、ニュージーランドは男女平等の思想が浸透しており、セクハラの加害者になる人も、被害者になる人も、男女問わずいる。
だが、加害者には男性が多く、被害者に女性が多い、と言うことはみんな知っており、ニュージーランドのメディアでは、被害にあった男性や、加害者に回った女性の話はあまり報道されない。このあたりがどうしてかはよくわからない。