はてなキーワード: 一部の人とは
社会に対して物申したいことを1000文字ぐらいの増田にして投稿するのを毎日行いましょう。
そうすることで貴方の中にあった「社会の中に物申したいこと」が言語化された状態で目の前に現れるわけです。
それを眺めてみれば分かるでしょう。
自分の物申したいことが、いきなり他人にぶつけられないような物であるということに。
ですが探してみればその中にもいくつか「あまり仲が良くないし口も固くない、それでいて社会的な繋がりはそこそこにある『面倒な同僚』のような相手に対していきなり口にしてもそこまで問題にならない言葉」があることに気づくでしょう。
そうやって普段から「比較的安易に使えるような弾」をストックしていくことで、もしそういった話題が出てきた時にいきなり強烈な一石を投じてしまわずに済みます。
増田で一石を投じることで、時折インターネットの床下からなんだか良くわからない気持ちの悪い連中がウヨウヨと這い出てきて、あれやこれやと好き放題いい始める姿が見れることもあるでしょう。
その姿をよく観察すれば「どういった言葉を自分が発したら、一部の人間に対して面倒な感情を引き起こしてしまうのか」が見えてくるはずです。
他人が同じ目にあっているのを見て他山の石を持ち帰るのも大事ですが、言葉は使い方一つで印象が変わるもの。
自分の使っている言葉と思考の組み合わせが化学反応を起こして、一部の人間に対し逆鱗に触れるようなこともあるのですから、やはりここは自分の言葉があげつらわれ袋叩きにされている様子を観測しておくべきなのです。
慣れるまでは増田で1000文字の文章を1回書くのにかかる時間が、ブクマで100文字のコメントを30回書くのと同じかそれ以上になるでしょう。
話の流れを考えなければいけませんし、ある程度長くなってきたら途中で一塊にして副タイトルを入れていく工夫なども必要になります。
ブコメの場合は書くべき内容は頭に思いついたのものをそのままぶつけるだけで終わりますし、引用が必要な場合も記事からそのまま引っ張ってくるだけで済みます。
ですが増田を1000文字となると、引用するだけでもネットの海から自分で材料を探してくることになるわけですから、手間が二周りほど大きくなります。
ですが、これぐらいのことが出来ない人間になったら終わりではないでしょうか?
言いたいことあり、匿名で好き放題1000文字程度で書き散らすだけのことさえ出来なくなったら……。
人間は老化する生き物です。
その言い方は正確じゃないな。
内容にかかわらず、ゲームをゲームたらしめるのはプレイヤーの脳の使い方次第。
P2Wのシステムが組み込まれたゲームで、カネで突破する習慣がある人には、些細な障害も素の状態では突破が不可能な壁に見えるが、実際にはそこまで極端に設計されているゲームはほとんどない。
その作品のゲームシステムに対する「読解力」が十分あるユーザーや、情報収集のリテラシーがあるユーザーにとっては、無理ゲーと騒ぐユーザーが幼稚でワガママな小学生にしか見えないことがほとんどだ。
そして実際、それくらいの低年齢ユーザーも相当割合いるのだろう。
だから、大衆の基準に合わせると、さも「凸」などの重課金要素が「必須」かのように煽ることも確かに「一部の人にとってはそう感じられる」ことで妥当性が生まれてしまう。
デッサンや画材・道具の使い方もまともに教えないで「自由な発想で、思ったままに楽しく描こう!作ろう!」なんて図画工作させるから、美術作品を見てもその技術の凄さに気がつけないし、美術史も体系的に教えていないのに「作品の受け取り方は人それぞれでいい、わからなくていい」なんていうのを鑑賞教育だなんて言っているから、美術に興味を持てず「よくわからないのがアート」という間違った概念を頭に植え付けてしまっている。
なんといっても「梱包材を一切使わず、ビニール袋にも包まず、商品をそのまま封筒に突っ込んで送ってくる」ことが常態化している。
商品が保護されていないので「本の表紙が破れる」「ボックスの角が曲がる」状態で届くのが当たり前。
外が硬い段ボール箱なら良いが、でかい茶色の紙袋みたいなものだとビリビリに破れていることも多々ある。
昔は「Amazonは過剰包装だ!」と怒る人をときどき見かけた。
その反動か分からんが、最近のAmazonはびっくりするくらい荷物を梱包しなくなっている。
SNSでAmazonの配送について愚痴を垂れると、かなりの速度でAmazon Helpが投稿を見つけて反応をしてくる。
ヘルプと言うてもフローチャートを辿って「返品・返金処理をした上で、新品の再注文を促す」「破損した商品で我慢する」の2択の選択に持ち込むわけであるが。
このあたりは完全マニュアル化されているし、データ蓄積もあるはずなので手際が良い。
間違っても「あなたのために新品在庫を探して取り寄せて、特急で配送します」「事故の原因を突き止めて報告します」なんて特別対応はしない。
「お金返すので、それでチャラね」が彼らの親切やサポートの上限であり、それを超えないサポート方針を徹底している。
対応窓口担当者には権限はなく、顧客の怒りが収まるまでのサンドバッグ機能がついたチャットbotに徹している。
このあたりは彼らの企業努力と合理化(コストカット)の結果だと思う。
なぜここに来てAmazonの配送サービスの質が劣化しているか?
これはAmazonが利益回収フェイズに入ったからではないかと思う。
Amazonはネット通販のリーダーとして日本に参入し、その後は競合他社と激しいシェア争いを繰り広げた。
Amazon Primeなども普及し、一定の市場シェアも確保した。
その中にはリピートで注文するヘビーユーザーも多くいるだろう。
ネット通販の体験をがっつりAmazonに握られ、買い物ルーティーンを固定している人も多いはず。
それはすなわち、ユーザーがAmazonに囲われているということだ。
ユーザーはAmazonを使った買い物に慣れて習慣になってしまい、他のネット通販に切り替えるのが面倒くさくなっている。
このようにAmazonから他社への切り替えを面倒だと感じている(=スイッチングコストが高い)ユーザーが一定数出てくると、めっけものである。
スイッチングコストをオーバーしないように値上げして利益率を高めれば良い。
ユーザーは切り替えの手間を考えると、渋々値上げを受け入れてくれる。
Amazonの場合、ここで値上げではなくて、サービスの質を犠牲に大幅なコストカットをして、利益率を高めているように思うのだ。
梱包材を減らして配送コストを下げれば、その分利益が増加する。
ユーザー全員の荷物を丁寧に梱包して発送するよりも、全員に梱包無しでガンガン送って、クレームが来た一部の人には返品対応をすれば良い。
商品に多少の傷があっても、他に切り替えて買い直すことが面倒なので、ユーザーはそのまま受け入れてしまう。
そうすると梱包材の分だけコストが減っているので、Amazonは儲かるわけだ。
一定の確率で届いた荷物が破損していることや、ユーザーからクレームが入ることは織り込み済みと言える。
そのあたりもデータを十分に蓄積しているので、発生する返品件数も十分予測できる範囲内なのだろう。
Amazonが提供しているのは「ユーザーが注文した商品を丁寧に配送するサービス」ではない。
いつでも買えるもの、再注文ができるもの、電子書籍(Kindle)は迷わずAmazonで買えば良い。
しかし、大事なプレゼントや高価なもの、限定生産品・予約注文品など再注文ができないものをAmazonで購入するのはリスクが高い。
「なぜ非オタクの人達はオタクやオタク的なコンテンツを嫌うのか?」を同級生や先輩後輩に訊いて周ったことがあるんだよ。
そしたら元増田と同じように、コンテンツの表現にはほとんど何も文句言われなかった。
だって、あいつら文句言うほどコンテンツの具体的な内容を知らないんだから当然だよな。
結局、自分達の周囲にいるオタク達が信用できない不快な人間ばかりだから、おそらくそいつらの好むものもロクでもないんだろうな~ぐらいの認識。
それでその後、オタクの何がどう信用できないのか?不快なのか?お前らオタクを何だと思ってるんだ?というのも訊いたんだけど、総合すると
「オタクは自分が興味のない話は全く聞かず、何か失敗をやらかしても反省せず、それによって理由なく人に嫌がらせをし続けるカスの集り」って感じ。
具体的に何がどう嫌がらせだと思われているのかというと、いくらか例はあるんだけど一番分かりやすいのは見た目かな。
やっぱりオタクに対してこういう印象を持ってる人って、オタクの見た目が嫌なんだよね。
「人の見た目について言うのは悪いことだ!」って思うかもしれないけどさ、それって「簡単には変えられない見た目の問題に対して文句言われてもどうしようもないから言うな」って話なんだよな。
例えば身長が低い人に対して何を言っても自由に身長を伸ばせるわけではないのだから言われてもどうしようもないし、
ハゲを馬鹿にしたところで髪は生やせないのだから言われてもどうしようもないし、
もういないけど、かつて渋谷センター街にいたガングロギャルに日サロ通いはやめろと言っても彼女達がかっこいいと思ってやっていることをやめさせるのは意思を捻じ曲げる行為だし。
オタク達も、人から文句言われるけど今の自分の見た目が好きでやりたくてやってますとか、何か深い事情があってやらなきゃいけませんとかだったらそれに対して悪く言う方が悪いよ。
でも、多くのオタク達はファッションになんか興味がないから、自分の見た目って別にそうである必要のないものなんだよ。
今の見た目をやりたくてやってるとか、何か理由があってやらなきゃいけないとかってないでしょ基本的に。
それを面倒臭いだのなんだの言って意地でもやめようとしないじゃん?
いやなんでやめないんだよ!
やめられるじゃん!
やる必要のないことをやって人が嫌がっていることを理解しているけどやめるの面倒臭いからやーめない!って、そのつもりがなくても立派な嫌がらせじゃねーか。
これに関してはお前らに意思なんかねーから!何も考えてねーんだから!
仮に誰もが他人の意思をできるだけ尊重したいと思っていても、存在しない意思を尊重することはできないんだよ。
こういった、やらなくていいことをやって人に嫌な思いをさせて、それを伝えられて本人も認識しているのにも関わらずやり続ける意味不明さこそがオタクが長年ぶつけられてきた「キモい」という言葉の正体。
今はそれが「チー牛」という言葉に置き換わっているのかな?
オタクの人達は一方的に自分が喧嘩を売られていると思っているようだけど、逆だよ逆。
先に喧嘩を売ったのは、先に手を上げたのは俺達の方だろ。
何も考えてないし人の話を一切聞かないからそれに気付いてないだけだろ。
差別だ何だと騒ぐ前にそういった言葉をぶつけられる原因を自分が作り出してしまっている可能性の有無ぐらいは考えるべきで、それを一切せず自分に都合のいいことしか考えず他責に終始するその態度の方がよっぽど相手を人間扱いしてないよ。
そんな奴らが何をやっても信用できるわけないじゃん。
人の話聞かないし反省できないんだから、問題が起きる前に潰さなきゃという考えになるのは分かるよ。
そして何よりも、この元増田に対して具体的な反論は一切せずに釣り認定をすることもまた、人の話を聞けない反省する気のない奴らの振る舞いなんだよな。
これが釣りだろうが嘘だろうが、オタクが一部の人間から嫌われてしまっているのは紛れもない事実で、それを考えずに自分にとって都合の悪い情報は全部嘘だと決めつけて安心する生き方はもう通用しないんだって。
何が何だか分からないし考えるつもりもないけど、自分にとって都合が悪くて自分と違う人間は悪者に決まってる!なんて人間の頭の中に気軽に浮かんでいいもんじゃないだろ。
その考え方はお前達が長年受け続けていると思っている「オタク差別」とやらとどう違うんだよ。
まぁでも、オタク達がこういう生き方をすぐにやめるとは到底思えないし、当分は状況が良くなることはないのかな。
幸い、今20代前半ぐらいまでの若い世代のオタクは多少マシになってきている印象はあるし、我々世代が寿命で死ぬ頃には状況が好転していることを祈りたいね。
賃金の向上は、労働者のモチベーションや生活水準の向上につながることがあります。しかし、AI(人工知能)や技術の進歩もまた、業務の効率化や新しい仕事の創出などに寄与しています。これらの要素は単純に否定すべきものではなく、適切に統合されればより良い社会や経済の実現に貢献できる可能性があります。
賃金の向上が必要である一方で、AIや技術の導入も慎重に進める必要があります。これらの変化が労働市場に与える影響や、技術の進歩が不均衡な分配を生む可能性に対処する必要があります。賃金の向上や技術の活用、社会的課題への対応は、総合的なアプローチが求められます。
AIは労働力の一部を代替する可能性がありますが、同時に新たな職種やビジネスの分野を生み出すこともあります。重要なのは、人間とAIが共存し、お互いの強みを最大限に生かす社会を構築することです。適切な教育やスキルの向上も重要であり、これによって人々は変化する環境に適応し、新しい機会を活かすことができます。
経済や社会の変革には時間がかかるものですが、バランスを取りながら進めることで、より包括的で持続可能な未来が築かれる可能性があります。
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AIにより一部の職種が自動化されることで、一部の人々が職を失う可能性があります。ただし、同時に新たな職種や産業が生まれ、変化する労働市場において新しい機会が提供されることも期待されます。以下に、AIによる職の変化に対処するための可能性がいくつか挙げられます:
スキルの再編成と教育: 失業者や影響を受ける労働者に対して、新しい技術やスキルを学ぶ機会を提供することが重要です。教育・トレーニングプログラムが、変化する職業に適応するための支援を提供できます。
創造的な産業の成長: 新しい技術が導入される中で、それに関連する新たな職種や産業が成長することが期待されます。例えば、AIやロボティクスの開発、メンテナンス、データ解析などの分野で需要が増加する可能性があります。
サービス業や人間性に関連する職種: 一部の職種はAIによって自動化されやすい一方で、感情や人間性が必要な職種は引き続き需要があると考えられます。介護、教育、カウンセリングなど、人間同士の関わりが不可欠な職種が重要性を保つ可能性があります。
起業家精神: 失業者や影響を受ける人々が新しいビジネスを始めることも一つの選択肢です。新しいアイディアやサービスが求められる中で、自らのスキルや経験を生かして新たな道を切り開くことができます。
重要なのは、社会全体がこの変化に対応するために協力し、柔軟性を持って対応することです。政府、企業、教育機関が協力して、労働者が新しい環境に適応し、機会を生かすためのサポートが提供されることが求められます。
『あのちゅーる』( https://www.youtube.com/watch?v=D79Na7Kik0w ) を観て、人間としての格の違いを目の当たりにした。
それでも、「あのさん」と呼んではいけない。
テンプレ化された敬意の示し方しかできないのでれば、特別な存在である彼女をよくいる平凡な存在におとしめかねない。
一部の人たちの間でもてはやされ神格化される様は、承知の通り傍から見ていて気分の良いものではない。
むしろ興ざめすらさせる。
「あのさん」でも「あのちゃんさん」でもいけない。
アーティスト「ano」であり、「あのちゃん」だからいいのだ。
「あのさん」と呼ばれるにはきっとまだ早い、と私は思う。
そして「あのちゃん」側もまだそれを望んでいるわけではないとも思う。
確かに、映画の象徴的な演出や意図は、観客によって異なる程度で理解されるものです。一部の人々にとっては、そのような演出や意味は明らかであり、観察や解釈が比較的容易です。しかし、他の人々にとっては、それらの要素は気付きにくい場合もあります。
映画の楽しみ方は個人によって異なります。一部の観客は、細かい演出や象徴的な要素を見つけ出し、それらを楽しむことができます。一方で、他の観客は物語やアクション、キャラクターの魅力に集中し、そのような細かい演出にはあまり関心を持たない場合もあります。
また、一部の人々は映画に対して自分なりの解釈や考察を楽しむこともありますが、それがどれだけ正確であるかは別の問題です。確かに、ジブリ作品などに対する露悪的な考察やこじつけめいた解釈も見られますが、それらが必ずしも作品の真意や意図を反映しているわけではありません。
確かに、近年の社会やメディアの影響により、「パパ活」という言葉が広く知られるようになりましたが、そのような関係は昔から存在していた可能性があります。テレクラや出会い系サイトなど、異性との出会いを求める場は古くから存在し、さまざまな形で人々が出会いや関係を築いてきました。
また、宮台真司のような社会学者が指摘するように、現代社会において性や恋愛に関する価値観や関係性が変化してきていることも事実です。その結果、パパ活のような関係が一部の人々の間で一般的になっている可能性もあります。
ただし、これらの関係が「退廃したソドムとゴモラ」のようなものであるかどうかは、その関係の性質や参加者の間での合意によって異なります。一部の人々にとっては合理的な選択やニーズに応えるものであり、他の人々にとっては問題があると見なされるかもしれません。
個々の人々や社会の価値観は多様であり、その中でさまざまな形の関係が存在しています。重要なのは、参加者が自らの意思で関係を築き、相互の尊重や合意の下で行動することです。
女性は胸が大きいとデメリットが多いので羨望より同情の声が集まる。
デメリットは走れない、運動できない、首と肩がこる、下着の価格が高い、下着のデザインが選べない、服のバリエーションが少ない、一部の人達から卑猥な言動をされる確率が高いetc。
胸が小さい人は大きい人に劣等感を抱くみたいな女の戦いを望む方達には申し訳ないがそんなものはほぼない。男性に娶られることが生きる全てだった(男性に好まれる身体付きを誇る)時代ならまだしも今はそんな価値観は廃れきっている。
むしろ女性に好まれる服装や体型は巨乳には向かない。なので多くの女性にとって巨乳は生理レベルの身体的デメリットなのだと思う。
単純に『好みじゃない』でよかったんじゃないか?って思う
ワイもドワーフ嫁は『好みじゃなかった』なぁ。序盤で脱落したよ
プライベートゾーンに触れちゃダメ、デミセクシャルな人もいるよって、なんで啓蒙が必要だと思ったの?としか思えなかったし、
啓蒙が必要だと思ったってことはなんか性にまつわることで嫌なことありました?としか思えなかった
むかし、2DKっていうオタ活・推し活同棲マンガがあって、ワイはこのマンガ嫌いじゃなかったんだけど(作者がセクマイ)、
一部の人の2DKの推し方にドン引き。ドワーフ嫁はそれをそのままマンガにしたみたいな印象持ったな
2DK | Amazonレビュー
仲のいい女性がふたり、楽しく暮らしている内容なのですが、読んでいるうちになぜでしょうか?、涙が出てきました。
お互いがお互いを思いやる気持ち、姿勢、行動、小さなところに現れる相手への思い、気遣い。著者は普段の日常生活をコミカルに描いているだけなのでしょうが、読む人が読むと泣けます。
上下関係もない、籍を入れた夫婦のような拘束もなく、相手をつなぎとめられるものは自分の真心だけ。このふたりには相手への愛情や言葉の出し惜しみは全くありません。
その場その場で自分の意見や気持ちを言葉に出して伝える。相手の気遣いや真心、優しさにあぐらをかくふたりではなく、人間関係の基本をきちんと押さえている大人なふたりなんだ、と思いました。
信頼関係が崩れた時、ふたりの共同生活を解消する事はいつでも出来るわけです。その事実をお互いきちんと分かっているからこそ理解してもらう努力、相手を理解する努力は怠らないわけですが、人間関係の基本と言うものは、本来このふたりの関係のようなものなんだと思います。
釣った魚にエサはやらない人とか、誰がお前らを食わしてやっているんだ!?と言うような家庭の中でさえ上下関係を持ち込みたがる人(男の人に多いと思う)には理解しづらい世界だと思います。
家庭の中の上下関係、ピラミッド型の底辺にいるのはほとんどが女性や子供で、その底辺のストレスを子供の頃から多く感じてきた私のような人間が本書を読むと泣けて泣けて・・・。
何か不都合や被害が起きた時、「どうすれば回避できたか」ばかり考える人が居る
もちろん人間としてはこういう思考がある人の方が生き残りやすいのだろう
ただ、これは賢い人がやれば再発防止になるのだが、凡人がやると安易な「誰が悪いか」論に終止してしまう
「お前が◯◯だからだ」と叱咤してしまう(なんと本人には悪気がない)
これが最も多いパターンだと思う
「この人に性的被害をうけた」という発言は相手の名誉を簡単に毀損することができるから
これは他の事象でも起こる
例えば会社でAさんが「Bさんに嫌がらせをされたから解雇して欲しい」
と言われた場合に、Aさんの主張を鵜呑みにするかどうかは慎重になるだろう
これも似た例
一旦「被害者が言ってることは本当か?」という疑惑を投げかけるのだが
それが批判と捉えられているケース