はてなキーワード: デスクトップとは
いやここで言うとDPは羽付きにあたるのできちんと指定してる。
メーカー名も商品名も特に指定はしてないのでGeforceでなくても文句は言われないだろうが、「特に多い日の昼用」と書いてあるのでベンチマークもおおまかに指定されてる。
GPUはよく知らないのでCPUで例えるが、corei7を買ってきてと言われてcore2を買ってこられたら困る、そんな感じ。
ただ、同じcorei7でも世代やデスクトップ用、ノート用といった違いで性能差があるので、core i7を買ったのに世代が違うからスペックが足りないなどと文句を言い出したらキレていい。
まあ生理用品に世代なんぞないしメーカー間の差もそこまで大きくないので、そうそう間違えることはないと思うが。
なんにせよ、よく知らない人に買わせるのであればできる限り細かく指定するべきというのはわかるし、指示した側は多少のミスマッチは受けいれるべきだとは思う。
今日も素敵なLinuxにpowerwake linux.local。優雅なひとときだ。
しかしWindowsユーザーは言う。お前の"PC"にはエロゲがない。
まず訂正しよう。LinuxはPCではない。Linuxはカーネルであり地球上ではLinuxカーネルを指さない場合はLinuxデスクトップという呼称が主流だ。
そして断言しよう。Linuxにエロゲなんて……なくてもいい。
ゲームも数が少ないだろなどといいう煽りもど、ど、どこ吹く風だ。
それにLinuxはセンスが大事だ。多くのOSSの本拠地はLinuxだ。WindowsでRen'Pyを触るやつはいない。
Linuxにはシェアウェアがないなどと言うものもいる。なぜシェアウェアが必要なのだ。
大金をOSSコミュニティにドネートしてこそLinuxユーザーではないか。そこにはいささかの揺るぎもない。
何度も言おう。インターネットサーフィンはLinuxでなくてはならない。
そこに意味を問うてはならないのだ。
1ビットコインに比べればドネートなど安い。
ましてアラブの石油王からすればドネートの値段など微々たるものに過ぎない。
むしろ部屋の障子が破れていてもOSSコミュニティへドネーションすべきだ。
WSLを何故使うという質問があったね?
Windowsを眺める……ためさ。けっして、けして実用などしない。
するはずがない。
高潔なるLinuxにはUbuntu TouchやB2G OSがふさわしい。
iPhoneなどという雑種は受付けない。いや実際には……接続……できない。
できない。みたいことない。やりたくない。少なくとも俺のLinuxにはiPhoneは接続できない。
汚らわしい。
俺は……Linuxユーザーだ……これからも……Linuxユーザー……だ。
不、不便……いや今のは、不便の打ち消しとして不を使ったまでのこと。
かっこいいしクールだし……それが最高だしエクスペリエンスだ。
Katawa Shoujoが流行るのもわかる。
Katawa Shoujoが。
1. エクスプローラーがない
windowsユーザーの使い慣れたエクスプローラが当然ながらMacにはない。
この部分が使いにくいOSはぶっちゃけデスクトップOSとして使いにくくIPADと変わらない。アプリを使うためだけのOS
2. MPC-BEがない
VLCなどLinuxと共通の使いにくいアプリはMacにも有るのだろうが圧倒的に劣るし不便
3. USBにデータコピーしてWinPCで見ると変なファイルがくっついてくる。
互換モードみたいなのを作って、ゴミデータが付随しないようアップデートしないAppleが理解できない。
4. SSDの容量アップが高額。
IPADやモバイル端末はともかく、MACノートPCやIMACなら安価大容量の2.5型SSDで1TB標準搭載が安価に可能なはず。
MSが恐れていたLinuxは今はもう無く、サーバ市場でMSに利益をもたらす家畜になった。
そして今となってはデスクトップOSとしての可能性がMSによって摘み取られようとしている。
WSLでGUIアプリが動くようになることで、GPUメーカーは最新チップのドライバをLinuxに提供する意義を少し失う。
LinuxのOS自体もデスクトップOSとしてベアメタルに載せる意味が薄くなっていく。
Linuxがwindowsに浸食しているのではなく、Linuxがwindowsの単なるコンポーネントの一つになりつつある。
UEFIの為にプロプライエタリという毒を喰らわざるを得ない状況もWSL向けディストロなら不用だ。
MSに飼われ続ける限り、最新GPUの性能を活かしたプログラムを動かせるし、そのほかのデバイスもどんどん使えるようになるだろう。
windowsのコンポーネントの一つになった方がデスクトップOSとしてLinuxの価値が上がってしまうと言うのはなんとも皮肉な話だな。
違うのよ。私はメンヘラだから誰かに恨みをぶつけていないと生きていられないの。
去年はずっと同期の村上にぶつけていたのだけど、私が留年して彼は先に卒業してしまったでしょう?
最近は後輩の安田だったのだけれど、急に最近私の恨みの矛先が助教の先生に向いている。
私が勝手にショックを受けて勝手に暴れていて、メンヘラ的な勝手な恨みを持っているだけだ。
たすけて
今までの私の3年間は何だったの。全部無駄だったって言うの?
しねしねしね
お前なんか死んでしまえ
誰か私を慰めてほしい。
しね
でも東大生なんか、私が泡吹いて倒れて泣きながらやれないようなことでも、へでもなくこなしてしまうのでしょう?
しねしねしね
死ねばいいのに優秀でない私なんか
優秀でないお前なんか生きている価値が無い。
M3にもなって、新しく入ってくる後輩が私より優秀だったらどうしようなんて不安に苛まれているらしいよ?あほらしいね。今まで勉強してこなかったツケですね。
M3にもなってそんな不安を抱えるくらいの実力しか抱いてこなかったんですって。無能ですね、私。
でもさ、私が教えているんだから私より優秀になってくれなきゃ困るよねみたいな思いあるよね。私ならこうやってきちんと教えたのに、ということはきちんと教えている訳で。
しねしねしねお前なんか死んでしまえ
優秀でない私なんか死んでしまえ
私は承認欲求の強いメンヘラなので、研究や勉強のモチベーションは、教授に褒めてもらうことなんです。組織の人間に「すごいね」って言ってもらうことなんです。化学界なんかどうでもいいんです。
教授に、「お前のおかげだよ」「お前は俺の役に立ったよ」「お前はすごいね」「お前は偉いね」って言ってもらうために頑張っているのです。
そうよね。無駄にプライドの高いM3なんて教えるのも面倒くさいわよね。
さっきから叫びすぎて喉が痛いし、色んな所を殴ったから腕が痛い。
誰も私のことを認めてくれない。
お友達が欲しい
女友達が欲しい
私は一般入試どころかセンター利用でこの大学来たけれど、推薦でここに来た人間の方が優秀だと私は思う。
妹の自己肯定感を奪うような姉になりたくなかったのに、おそらく「俺より優秀になるな」という言外の圧力を受けまくっていたのじゃないだろうか、彼女。
誰か私をすごいねって言って欲しい
研究しなくちゃ
やっぱり私は優秀じゃなかったんだなぁ
やっぱり私は優秀じゃなかったんだなぁと思った時の対処法が分からない。酒飲んで忘れるしか思い浮かばない。
私はメンヘラだから、私は優秀だと思い込まないと生きていたくないし、逆に言えば思いこめばどこまでも生きていける。
謙虚さが欲しいな
お父様が私のことを馬鹿にする
村上の存在を母には言ってもいいけど父には知られたくなかった。絶対馬鹿にするから
優秀でない私は死ぬべきと何度も言っているのは、「誰か私のことを優秀だと言って。じゃないと苦しくてつらい、死んじゃいたくなる」の意味である。
改行ばかりでだらだら文章を打ったらすっきりした。
JACSとAngeのcurrennt issueのページを、悔しいと歯噛みしながら、悔しいと泣きながらとりあえずショートカットをデスクトップに置いた。
悔しい
(私のことを認めて。私のことを褒めてほしい)
論文のひとつもまともに読めないおこちゃまのクズ人間だと思っているくせに。お前なんかに修士号を与えたくないとも思っているくせに。
しねしねしね
どうやったら優秀になれるの????
恥ずかしい。
こんな体たらくで、「私院生としてちょっとは成長したかしらん」とか奢っていた就活生の頃の私が恥ずかしい。惨めだ。恥を知れ。お前は恥ずかしい存在だ。
だれか私のことを優秀だって褒めてよぉ
とりあえず恥ずかしくてみじめで情けなくて仕方ないけれど、この惨めさを耐えて論文を眺める習慣を得られれば先生は私のことを褒めてくれるの???
しねしねしねお前なんか死んでしまえ
私のことを認めてくれない人間なんんてみんな死んじゃえばいいのに
苦しい
誰か私のことを褒めてほしい
こういうところがメンヘラだと言われるのだぞ
私のことを認めてくれるなら誰にだって股を開いていた時代もあったのだ。
ああしんどい
誰も私のことを認めてくれない
誰か私のことを褒めてよぉ
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分の身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。
目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれたものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。
望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターのソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。
さっきまではTwitterのホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女(アニメの美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女の右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ。少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。
灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動が必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。
僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。
それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。
というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義づけがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ。自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。
「こうしていても埒があかない」
そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間が必要だから。
家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空は全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂の匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草とお菓子を買ってくるだけだ。
思った通り、雨ざらしの階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルトが崩壊してしまった。階段を構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌の世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指と中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。
ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまったからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当に事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。
そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体が破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまうときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。
公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレはほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジムと砂場は公衆トイレに隠れてしまう。
今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。
よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物が不審だから影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、
「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。
その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターのソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。
セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。
煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。
これはどういうことだったんだろう。
こと?
あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり、幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分は精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事を判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事を判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事を判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。
コンビニでは煙草とお菓子を買った。煙草はいつものセブンスター。お菓子は適当にチョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビールは自分には必要のないものだ。煙草とチョコとイカのゲソは、自分に必要なものだ。
帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめる必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。
立方体の公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。
とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認は必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったものは左手で持っている。右手は煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」そのものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。
そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのものが矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものだからだ。僕はそう思う。「声」が独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下り階段に足を付けると、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」
明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。
「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」
橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。
「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」
橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。
僕は思ったことを言った。
「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」
なぜか敬語が出た。
「そうなの?」
「たぶん」
影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。
「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくらい大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」
「わたしにもくれ」
それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女に煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?
「ありがとう。今日は煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」
「そうだったかもしれませんね」
「だが、お前には足りないものがある」
「なんでしょうか?」
そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。
「お前は実は求められて、存在している」
「え?」
「お前はそれを拒絶している」
「そうかもしれませんが……」
「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」
「わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」
そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。
「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」
そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードでこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。
「お前に足りないものは」
影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女は少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い。少女は煙草を咥えたままだった。
夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。
「圧倒的な喪失だ」
制服の少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女は飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがわからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたから存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女の自殺を願ったのだろうか。彼女の Permalink | 記事への反応(0) | 11:49
月曜日、ようやく現職やめられる。
せいせいする。
自分も悪かったのかもしれないけど、人としての尊厳踏みにじられるようなことをされてきたので、未練もなにもない。
なんで採用されたんだろう。今でも謎。
必要とされてなかった。仕事が何もなくて、何をやったらいいか聞きたいけど上司の時間も取れなくて、職場でずっと時間をもてあまさなきゃいけなかったあの時、本当に辛かったなあ。
自分にきっと悪いところがあるんだ。直さなきゃ、改善しなきゃと思って、上司にも聞いてみたけど、結局最後まで何が悪かったのか教えてもらえなかった。最初から仕事ができるとは思ってないから、やり方を学んでくれる?って言われたけど、そもそも仕事を振られていないから、やり方を学ぶこともできなかった。
ほんとに、なんで採用されたんだろう。
まあでもおかげで、ずっとやりたくて、いつかやろうと思っていたことに挑戦する踏ん切りがついた。
新しい世界に飛び込むための、ステップだったのだと思うことにする。
やることが何もなくて、居場所もなくて、メンタルがズタボロだったあの日、必死で毎日を少しでもポジティブにしようと思っていた自分、お疲れ様。
新年度だけど、みんなも社内ニートになったら、まあほとんどの場合は状況変わらないから、辞めるのがいいと思うよ。
以上です。
自分には所謂お金持ちの友人がいて、彼は自分専用のデスクトップを3台所有していた。
彼は自分を自宅に招き、そのPCであらゆるゲームを紹介してくれた。
ぱどタウンから始まり(これはゲームではなかったが)、ハンゲーム、メイプルストーリー、天上碑(だったと思う)、REDSTONE、DJMAXなどなど。
その中でも彼はメイプルストーリーにハマっており、ジャブジャブ課金をしていた。
彼はどのゲームにおいてもゲーム内フレンドを作るのが怖いらしく、そこで「現実の友人をゲーム内に連れてきてフレンド登録しよう」と考えたそうで、それで選ばれたのが自分らしかった。
自分は家にPCどころかインターネット回線もなく、フレンドというにはかなり心許ない気もしたのだが、彼は自分を毎日自宅に招くことで解決を図った。
実際ゲームはどれも面白く、かなり不健康な光景ではあったが、「友人宅で毎日PCに張り付き隣に座る友人とゲーム内チャットで会話をする」ということをかなり楽しく感じていた。
しかし、彼の一番熱の入っていたメイプルストーリーを進めるうちに、課金しまくっている彼とのレベル差や装備差がかなりある事が気になってしまった。
そこで自分は祖父にねだってノートPCとインターネット回線を用意してもらい、彼とは違うサーバーで新しくメイプルストーリーを始めた。
彼に言われるがままにスキルを上げ、モンスターを狩る生活から、なにもかも手探りで文字通り冒険する生活へとシフトチェンジしたのだ。
正直言って、彼と一緒にゲームをするよりもはるかに楽しかった。
自分はゲーム内で知らない誰かに声をかけてフレンドになることを特段苦痛に思わなかったので、積極的に声をかけてはフレンドを増やし、さまざまな狩場でさまざまなメンバーと一緒に遊んだ。
その中のどこかのタイミングで、自分は柊シミヒロ(仮名)というプレイヤーに出会った。
その隣には柊シミコ(仮名)というプレイヤーがいつもいて、2人はどうも姉弟らしかった。
そしていつしかその柊姉弟と、あとアスタリック(仮名)というプレイヤーと自分の4人だけで、メイプルストーリーは完結するようになっていた。
細かいことはもう忘れたが、毎日他愛無い話をしながら狩場を巡り、ジョブチェンジする時もみんなでバランス良くなるよう話し合いをしながら慎重に決定した気がする。
柊姉は受験が終わり無事志望した大学に合格したことや、一人暮らしが始まることを、とても丁寧な細い字で記していた。
一方自分が何を書いたかは覚えていない。ただ、大学入学を目前にした彼女にとっては、小学生の書く手紙などとてもつまらなく稚拙な内容だったに違いない。
そのうち自分は別のゲームに移ってしまい、メイプルストーリーにはログインしなくなってしまった。それでも柊姉との文通は続いた。
きっと大学が忙しいんだろう、と思いそれ以上もう踏み込むことはなかった。
それから数年が過ぎ、自分はMMORPGを完全に引退し、いつかの柊姉と同じように、志望する大学に合格した。
その時ふと彼女や弟のことを思い出し、自分はそのハンドルネームで検索をしてみた。
当時のハンドルネームをいつまでも使うとは思ってもいなかったので、なんの情報も出てこないことに特別落胆はしなかった。
けれどあれほどにまで熱中した日々がどこにも残っていない事にはすこし寂しさを感じて、検索結果をどこまでも潜っていった。
記事は数年前に更新が止まっていたが、そこには家族が亡くなったことと、姉が精神的に参ってしまったことが書かれていた。
そして多分その記事が投稿されたタイミングと、柊姉との文通の止まったタイミングも合っていた。
それ以上のアクションは何も起こしていない。
彼の捨てたブログにコメントをするつもりは一切なかったし、彼女が自分に伝えた住所に再び手紙を送るつもりもなかった。
名前を変え、インターネットから消えていった姉弟に縋り付くつもりもない。
けれど心のどこかでは、「20年近く前に遊んだ小学生が今もあなたたちのことを覚えていて、再び何かのきっかけで出会えて話ができたら嬉しいと思っている」ということを伝えたいと思っている。
そして姉弟が過去にあったさまざまなことを乗り越えて、今元気でいてくれたら、もっと嬉しいと思っていることも伝えたいと思っている。
(追記)
お金持ちの友人は中学受験に合格し、丁度柊姉と文通を始めたくらいのタイミングで地元を離れていった。
何度か年賀状の交換はしたがあまり楽しそうな雰囲気は伺えなかったうえ、大学に合格した頃、風の噂で彼がもうお金持ちの友人ではなくなってしまったことを耳にした。
アスタリックについては、彼も大切な思い出を構成するメンバーではあるものの、姉弟と比べあまり個人間でのエピソードは存在しない。
というのも自分は当時柊弟に恋をしており、柊姉もそれとなく察して色々と配慮をしていてくれたため、彼と個で会話することは少なかった。
いただいたコメントを読み、再び柊弟のブログを探してみたものの、もうどこにもなかった。
また自分も度重なる引越しで当時やりとりしていた手紙を紛失していたようで、柊姉弟との繋がりは完全に途絶えていることがわかった。
それでもふと何かの拍子に彼女らのことを思い出して、連絡ができたらなと思うことがあるかもしれない。
そう考えると少し寂しくはあるが、でもそれで良かったのだと思う。
iPhone3Gが発売されたときの小学1年生は今年で二十歳。
フロッピーディスクを知らない世代には、ハードディスクと言われても「ハード」の指す意味がいまいち解らないようだ。
さらにSSDの「SD」もSDカードのSDと同じと思ってるらしい。
単に知っているか知らないかだけのことで、若い人を嘲笑してはいけない。
上の世代にはいつまで経ってもデスクトップのことをディスクトップというような人間もいる。
そして中途半端に上の立場にいるもんだから気分を害するのを恐れて、誰も指摘しないから治らない。
デスクトップ操作の視覚障害者モードは健常者も目隠ししてやってみると色々面白かったりする
工場の作業員とかのウェアラブル端末みたいにハンズフリーを音声で実現するのにも役立つ
そこがネックだったりする
一時期はWindowsもXPのときだったか、読み上げ機能とか標準でない時期があった気がする
だから、視覚障害者の団体がある中小企業のソフトウェアを買い上げたんだったか、
それをインストールしてWindows使うのを推奨してた時期があった気がする
ただ、残念ながら点字キーボードとかコストで考えると採算に見合わなくなっちゃうんだよね