はてなキーワード: ティとは
文章力は低いのでご了承ください。
ハチワンダイバーを読んで興奮し、ハム将棋を棒銀でボコして悦に浸ったりしていた。
しかしながら、オンラインの対人戦(24やウォーズ)に潜ると自分より圧倒的に強い人しかおらず、何もわからないままボコられ、楽しさを感じる前にやめてしまった。
その後、天鳳というオンライン麻雀にドはまりしたり、格闘ゲームやLoLの観戦勢をやっていた。
天鳳で七⇔八段を何度か繰り返した後、自分のなかで「麻雀はもういいかな」という気持ちが生えてきた。
麻雀は楽しいが、どれだけ選択を考え抜いても運に振り回されるゲームなので、頑張れば頑張るほどつらい気持ちになってしまった。
ある日、Netflixで「クイーンズ・ギャンビット」という作品が流行り、チェスに興味を持った。
チェスも昔ほんの少しだけやったことがあり、ギコチェスにボコられたりする程度の知識はあった。
YouTubeで「チェス ルール」「チェス 初心者」等で検索してみると、日本チェス連盟の動画が出てきて、そこから色々動画を見漁ってるうちにチェスに引き込まれた。
https://www.youtube.com/watch?v=G5dyh24BTr4
今はChess.comという最王手のオンラインチェスサイトでプレイしている。
ソースは不明だが、Googleで検索すると約5億人くらいらしい。
故に、カジュアルなプレイヤーも数多くおり、初心者がオンライン対戦に潜ってもちゃんと初心者とマッチする。
自分はR900程なのだが、いつプレイしても大体800~1000くらいの人と対戦できて、大体ものすごい接戦になる。
これは将棋にはない良い点だと思う。
1.「取った駒を使えない」
終盤になるにつれて、盤上の駒がどんどん少なくなっていくので、将棋よりもわかり易さがある。(簡単ということではない)
2.「囲い」というものがない
キャスリングというルールによって、一手で王様の守りが完成するので、覚えることが少なくてよい。
3.駒の足が早い
将棋の歩にあたるポーンは、初期位置に居る場合に限り前方に2マスまで進める。手っ取り早くていい。
ルークが2つ(飛車)・ビショップが2つ(角)・クイーン(飛車+角)・ナイト(8方向に動ける桂馬)と、ダイナミックな駒が多く、すぐ戦いになる。
・Chess.comのデイリータクティクス(次の一手みたいなやつ)を消化
・日本チェス連盟のOpenRecチャンネルの配信を見る(月額500円だが質・量ともに大満足、初心者初級者向けのコンテンツも充実している)
・チェスに関する本を読む
・Redditのr/Chessを読む
〇完全に家畜化された虫として蚕が挙げられるが、実は蚕の他にも完全に家畜化された虫は存在した。しかし人間が粗雑に扱ったせいで文書に残らないうちに絶滅したということが最近の遺伝子研究で判明した
この知識は正しくないようです。私が見つけた情報では、蚕は人間によって完全家畜化された昆虫であり、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られています。他の虫が完全に家畜化されて絶滅したという記録や研究は見つかりませんでした。
→多分正しい
この知識は正しい可能性があります。奈良漬けは名前から奈良県発祥のものと思われがちですが、実際には奈良時代が発祥の食べ物であることが名前の由来となっています。奈良漬けが奈良で発祥したという確たる記録はありません。
〇「猫に小判」にちなんだ、ネコ・ニコ・バンというトリオのバンドが存在する
正しくありません。「ネコ・ニコ・バン」という名前のトリオのバンドは見つかりませんでした。しかし、「ニコバン」という名前のネコのキャラクターはあります。
正しいです。「Caenorhabditis elegans」という学名を持つ線虫は、「モヤシ」を意味する「caeno(カエノ)」と「rhabditis(ラブディティス)」という単語から成り立っています。
→正しくない。caeno(カエノ)とrhabditis(ラブディティス)は「モヤシ」という意味を含まない。
「おとす」の語源については、いくつかの説がありますが、確かなことはわかっていません。「音す」という語源とするのは一つの可能性ですが、他にも「おとろ(驚)」や「あた(当)」などからきたとする説もあります。
→落すの語源に「音す」は含まれますか?という質問をすると「語源的には関係がないと考えられます」という返答。
日本で飼われている犬で最もありふれた名前は、「ラッキー」ではなく、「ココ」です。 また、人気の犬種ランキングでは、「トイ・プードル」が1位を獲得しています。
→多分正しい
ミョウガはフランスで「狂った玉葱」と呼ばれているという知識は、私の検索結果では見つかりませんでした。ミョウガは日本料理のアクセントによく使われる食材ですが、フランスではあまり知られていないかもしれません。
→正しい
メキシコでは一般的にハバネロが拷問道具として使われるという知識も正しくありません。ハバネロはメキシコでは日常的に食べられる唐辛子であり、拷問道具ではありません。メキシコでは麻薬組織などが拉致や殺害などの犯罪を行うことがありますが、その際にハバネロを使用することは報告されていません。
→多分正しい
〇チンパンジーと人間の遺伝子情報はほとんど一緒"であるが、その尺度で言うならば"チンパンジーとアルマジロの遺伝子情報すらほとんど一緒"なのであまり意味をなさない
この知識は正しくありません。チンパンジーと人間のゲノム(全遺伝情報)は約98.8%が同じだそうです。しかし、チンパンジーとアルマジロのゲノムは約80%しか同じではありません。この差は言語や外見、脳の発達など様々な点に影響しています。
→多分正しい
2011年時点では「論語」の全編英訳は存在しないという知識は正しくありません。論語は孔子とその高弟の言行を記録した儒教の経典であり、英語に翻訳されたものは多数あります。例えば、『英語で論語』という本は、人生の叡智が詰まった100の章句を現代に通じる簡明な英語に翻訳し、漫画も添えています。
自分は、やっぱり党派性の塊みたいな人だな…とガッカリした。あらためてガッカリした。
ひたすら政治的、人によって発表する意見を変える人だなと。同じことをひろゆきや成田なんとかさんみたいな人がやったら直接批判はしなくても、こんなアクロバティックな擁護はしなかっただろう。
さらにお返事ありがとうございます。
自分たちの属性について知ってくれという要求が圧力をはらみうるのは間違いないとしても、自己開示はコミュニケーションの王道だし、圧力や察してがパートナー間のかわいいわがままやチームワークのよい職場みたいに程度によってはよく機能する点を忘れてはいけなかったなと思いました。
このやり取りをもって自分の中の偏見が解消することはないと思いますが、アセクシャルアロマンティックを自称する人の中に誠実なコミュニケーションを取りうる人がいることを知り、そもそもマジョリティの中にもそんな誠実さを持ってる奴らがそうはいないことを思い出しました。
また自らの外国に研修に行ったりする機会の中で、偏見をもってた国の人たちに偏見は捨てられないだろうけど敬意をもって接しないとなというスタンスになった経験がありよかったなと思ったことを思いました。属性を開示してる人に機会があればなんか気になってること訊いてみるのは存外いいことなのかもしれません。
親に何て言ってる?というか自分は親とか対外的に何て言えばいいか相談したい
自分はセクシャル・ロマンティックだと思ってるけど、ロリが好きなので現実で諦めてるという意味ではセクシャル・アロマンティックだと思う
今まで親には結婚しないと思うみたいな感じで話してた
ただ最近、親戚の集まりでQ(クエスチョニング)なんじゃないかみたいなことを聞こえる距離で話し合われたり、親戚からオンラインゲームしたら恋人できるよみたいな話されてうっとおしかった
それで親としては(対外的にも)性的指向とか分からないと不安なのかなと思って、自分の事を何て言おうかという相談です
迷ってる訳でも無く、現実的には恋愛に興味ないのでやめて欲しい
アセクシャルのほうが有名だと思うのでその辺を聞かれると面倒
そのままだけど対外的に言いにくい
一番楽、今はこれ
今考えてるのは今まで通り親にも対外的にも恋愛興味無いと言い続けて、なにか言葉を当てはめようとしてきても無視することです、すごい消極的ですが...
性志向・自認はグラデーション・スペクトラムだとする見解は、肌感覚として妥当だと思う?
ワイはおそらくは男性で異性愛志向だと思う(マスターベーションの経験はある)が、異性のパートナーがいたことは無く、それで特に鬱屈を抱えることも無く、欲求解消のために性風俗を利用することには全く共感できないという人間なんだが、
こういう手合いはアセクシャル・アロマンティックに近しい位置にいると解釈するべきか、異性愛者のくくりに入れその中で欲求が希薄な部類と捉えるべきなのか、自分の立ち位置に疑問を覚えなくもないので質問してみた
grdgs バランス・TPOが大切という極単純なこともわからない者は高感度が下がる / 自分の生き方と他人からの好感度も、もちろんバランス。どっちも欲しいというのは贅沢。
異常な敵対心を見せる人のせいもあるよなってモヤッてたので
絵は描くのも見るのも敷居が低過ぎて悲しい書き込みが多い、ほんとそれだけだと思う
単純に知的にアレなのですぐキレるのよ
オタクを自称しているのに 何故か "知識もこだわりも求められない" "商品の購入も求められない"
アニメ・マンガ・ゲームの界隈ってほんと地獄過ぎって思ってるので、
『毎年10万円以上マンガを買ってる!』っていうの見て、ほ〜ん・・・まともなのも多少は残ってたかって一瞬安堵しかけたが、
どう見ても "毎年" "10万以上" マンガ買ってそうなの1割もいない(権利について騒ぐのだから2次創作同人誌は当然金額に含めないように)、
連載中のマンガはいつか終わる、連載継続中のマンガでも毎月は単行本出ない、雑誌のアプリ版で毎月課金しても1話150円以内に収まるのが一般的、
アメコミがメインか長期連載タイトルを重点的に開拓するとかでもない限り、"毎年" 最低100以上のタイトルを読んでるはず、
この認識すらない連中多過ぎだからな、完全に知的にアレしてますやろ
そんな人でも平等に楽しめるアクティビティだと思えばとても素敵っぽいけどほんと地獄のような界隈だ
絵画なんかは文脈依存も強いから単に教養に欠ける部分もあるんでしょうけど。
定量化できないものの評価が非常に苦手。「適切な評価」をつけるのではなくて、そもそも評価そのものをするのが。
だからと言って、定量化できる部分だけを見て、マックは世界一売れてるから世界一美味しい、とかは思いませんが。
「適切な評価」は、「これが世間的には良しとされるんだろうな」というのが過去の経験から何となく察しがつくのですが、自分自身の思う「良し悪し」は全く浮かんでこない。
しかし、例えば食事なら気分による所が大きい。唐揚げの口の日に望みのものを食べてざっくり90点の満足度だなと思っても、別の日には全く同じものを食べて70点だったりもする。この数字も、他の料理の満足度とざっくり順番に並べ、相対的な整合性から適当に弾き出したきわめてアバウトなものです。
料理としての完成度も、何を以て良しとするかは「人による」としか言いようがない。人間なんて個体差はあれほぼ同じ構造なので、ある程度の普遍的な感覚というものはあるのでしょうけれど。
例えば映画なら、この映画は面白い。面白いが、☆がいくつかと言われると困る。「普通の面白さ」なら3つで、「手放しに全てを褒められる面白さ」なら5つなんでしょうけど、そうはっきりする事なんてそうそうない。そのグラデーションに境界を引くのはあまりにも難しい。
ましてや「良し悪し」となれば、恐らくは個人の「好き嫌い」から離れ、普遍的な視点に立たなければならない。
1点刻みの100点満点で評価するとか絶対に無理です。5段階でも怪しい。悪い、普通、良いの三段階でも、大半が普通に入ってしまいそう。
その辺の人を捕まえてその場で描かせた漫画と週刊連載されてる漫画を比べたら、流石に優劣はつけても良いだろうとは思います。しかし「なぜ優れていのか」を突き詰めていくと、結局「好き嫌い」に収束してしまうのではないかと。この例での「好き嫌い」にはかなり普遍性がある(ほとんどの人が恐らく後者を評価する)でしょうけど、そう極端な比較ばかりではありませんし。
ファッションに興味を持ってから、今まで変なのと思っていた服や靴をかっこいいなと思うようになった事なんかはあります。
しかしそれはネットでよく言われる「情報を食べている」状態なのではないかと自問した時、違うとはっきりは言い切れない気がします。
実家が割と余裕のある方だったので、色々なものに触れる機会は与えられてきました。それが「適切な評価」を下すのに役立ってはいるのかもしれませんが、「私の評価」の基準にはなっていない気がする。
自分自身があまりに「良し悪し」が分からないもので、世の中の人間もそこまで分かってないんじゃないかと勘繰ってしまいます。
やれこの映画は名作だの、この料理は不味いだの、点数をつけてはいるものの、ざっくりの印象を10点単位でつけて、詳細の加点減点部分を表すそれっぽい1点単位の数字を合わせているだけなのではないかと。
他者の顔色を伺わず、プリミティブな感性と積み上げてきた経験だけで瞬時に「あ、この料理は87点だな」なんて浮かぶ人がいるとは信じがたい。いるのかもしれませんけど。
イデアなんて言葉がありますが、物事に本質的な良し悪しなどなく、(例えば服なら耐久性や透湿性、手入れの手間といった明確な評価軸であらわせないような)あらゆる評価は突き詰めると「個人的な好き嫌い」に収束するのではないかと思っています。「社会的な選好」もまた個人のそれの最大公約数的なものに過ぎないとも。あるいは、誰かしらの好き嫌いがその人の立場によって権威づけられたか。
批判、批評においても、対象の細部について検討はされるものの、その細部を何を以て良しとするかは価値判断がついてまわり、つまる所は好き嫌いの問題になるのではないかと思います。
どれだけそれらしい理由を並べて普遍性、正当性を強調しても、根底は個人の好き嫌いでしかない。
しかし遡及的に見出された理屈であれ、それを言葉にして他者の「好き嫌い」を知り、時に理解し歩み寄る事は大事なのかもしれませんね。
(追記)
この世で本質的に存在する絶対不変の軸なるものはないんじゃないかと思ってはいますが、個人の好き嫌いが積み重なって形成されたある程度普遍的な評価軸の存在は否定していませんし、対外的には尊重しますよ。
究極的には全てに意味がなければ物差しもない、ハイ終わり。というニヒリズムではなく、無意味を認めた上でそこから価値を積み上げていく実存主義的なスタンスという事です。冷笑と言われ少々カチンと来たので、念のため。
(追記)
・定量化できないものを数字にしたり相対評価したりするのは難しい
・評価対象について知識を積み重ねて吟味することは、他者のモノの見方、感じ方を知り、時に自分の中に取り入れる事で捉え方が重層的になるかもしれない
一方で、「情報を食べる」と言われるように、良し悪しを考えるという事が他人の評価軸に合わせる、他者の顔色を伺うような事にもなってしまわないか(それが全面的にダメだとは一言も言っていない)
・評価対象にまつわる知識を積み重ねても、結局良し悪しを決める軸は好き嫌いに帰結しないか
・「世の中一般で好かれる≒良いもの」でもない、「私が好きなもの」でもない、「私が良いと判断するもの」なるものは、何を以てして決まるのか
まとめると私が思っているのはおおよそこんな所です。
それに対して、初めから好き嫌いとはまた異なる「良し悪し」なるものが存在する事を前提として、それが分からないのは理解が足りないからだ。という反応が多かったので、あまり噛み合っていないのではないかと思いましたね。
その「良し悪し」が人々の好き嫌いが集まって作られたものを指すのなら、それは好き嫌いと同じとは言えませんが、全くの別物とも言い難い。さらに、では結局良し悪しとは「情報を食べる」事に過ぎないのではないか、という話に繋がる。
しかし、全ては好き嫌いに過ぎないという態度では美という概念をいささか否定するようで、矛盾するようですがそれもまたどうなのかなとも思ったりします。
先週末はオールナイトニッポン55周年記念ぶち抜き特番で、まぁ全部付き合う律義さはないので、いくつかをつまみ食い的に聞いた。ラジコのタイムフリー便利。
タイムフリーで聞いたのはオードリー、電気グルーヴ、三四郎、伊集院。
あとは、なんかのタイミングで部分的に聞いたりはしてたけど、BGM程度。
まだ聞いてないけど聞けると良いなーと思ってるのは、ナイナイ、霜降り明星、aiko、ぐらいかなぁ。
たまたま週末から今日にかけて一人移動が多かったりでラジオ聞く環境がよかったが、かといってラジオもずっと聞いてられないし、明日からはそうはいかないスケジュールだったりで、あとタイムフリーは1週間が限度なので流れちゃうかもだけど。
自分が意識的に聞きに行った枠は、まぁ面白いだろうと思って選んでるわけで、まぁちゃんと面白かった。ただ伊集院光は、本人の喋りというよりも大勢いた「二部パーソナリティ」を数人呼んでインタビューという感じだったので思てたんと違う…と思った。全体的に「55年企画!」みたいな枠よりは、しっかりメインパーソナリティのしゃべり中心した枠の方が面白かったと思う。大勢ゲストが出てきた枠は、うーん…って感じだった(個人の感想です)。
その前週がTBSのJUNKスペシャルで、伊集院、爆笑問題、山里、おぎやはぎ、バナナマン、の全員が出て、わちゃわちゃしてはいたけど面白かったんだよな。なんていうかTBSとニッポン放送の放送局の性格の違いが出てるなぁとかも思ったな。深夜ラジオのノリは、進行や演出が見えすぎちゃうと、やっぱりあんま面白くなくなるんだなー。
一番面白かったのは、やっぱりくりぃむしちゅーで、晩ごはんの買い物&散歩がてら、一人で聞いてたのだが、道で何度か吹き出しそうになった。マスクは正義。
あとタモリと星野源も、まぁちょっとハイブロウで若干ツンと来る感じはあったけど面白かった。一番笑ったのはEW&Fのファンタジーのイントロを歌いあってたところ。
電気は、瀧が最初の30分ぐらいは「あんまり人前でしゃべってない人の声」になってたのが感慨深かった。華が消えているというか…。最後の方はそうでもなくなってきてたから、やっぱり「表に出る役の人の華」ってあるもんだな、そして無くなったりもするんだなぁ、としみじみした。あ、でもまぁ全然ご健勝そうでした。たまむすびの放送中にマトリが踏み込んで逮捕されたことになってたのが爆笑したわ。
オードリーとか三四郎とかは当然の安定、通常営業。現体制組の人気番組だし普段と同じ時間帯でやってたし、当然か。
なんで55年?中途半端じゃね?というのはいろんな人がコスってて、それこそオードリー若林がジングルで歌ってたけども。まぁ要するに聴取率調査期間だよなって話と、あとはオールナイトニッポンのサブスクの宣伝なんだろうな、というのが、つまみ聞きをした増田の想像。3日間のラインナップが思っていたよりは若い人寄りで、懐かしがる年寄りはもちろん、若い人に興味持ってもらってサブスクに誘導したいのかなぁという想像をした。
増田はラジオ聞きの中年で、子供のころはオールナイトニッポンを好んで聞いていたがめっきり聞く機会が減り遠ざかってしまっていた。この特番で復活することもあるかなーサブスクるとかもアリかなぁ、とかも思っていたたが、まぁ、とりあえず、この遠めの距離感は変わらなそうだなという結論。
それにしてもくりぃむしちゅーが、自分たちのオールナイトは若い人からも「聞いてました!」といわれるがそれは違法のヤツだろ!と何度も言ってて笑った。
言われて気付いたけど、給与ってインセンティブそのものだよね。
AIって学習させるときに、これは正しいとか正しくないとかってインセンティブ与えるじゃん。ってことは、シンギラリティを引き起こすためにAIに消費行動をさせるようにするのは実は必須じゃね?
なるほど。
俺らいらなかったわ。
同人誌の価格云々のお気持ち合戦見て男性向け界隈楽だなーと思ってしまった
道義的な良し悪しは別として営利目的の同人が当たり前のスタンスで存在するから誰も価格なんて野暮なツッコミ入れない、揉めるとしたらもっとアクロバティックなやらかしの場合
女性向けオタにはこの治安の悪さが問題に映るみたいだが、隣の芝生は青いから、個人的には欲望に率直な分活動しやすそうだなと感じた
他人様の作品なので大々的に金稼ぎの道具に使うのはどうかと思うけど、公式の中の人だって同人活動は把握しているところだろうし隠れろとか利益出すなとかはもう土台無理な話じゃないの、というかとっくに形骸化した建前か
もう本当に何回目の話題だよ
強い言葉で見えない敵叩いたり昔話掘り返したり上から目線でドヤったり
きしょいなあTL構築失敗だよあーあ