はてなキーワード: イコールとは
尾木ママの子育てに魔法の言葉 福井、講演で叱らない持論紹介
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/44550.html
痛いニュース(ノ∀`) : 尾木ママ「叱らない子育て」提唱 「万引きしても『どうしたの?』と優しく声掛けして」 - ライブドアブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1770569.html
子育てに愛情は必要だが、叱らない事がイコール愛情だと単純な理解をしてしまうと、大変な事になってしまうだろう。
はてブで叱らない育て方に賛同している方がいて、ちょっと心配になったので自分の体験を書いておこうと思う。
近所に大きスーパーがあって、そこのおもちゃ売り場で船(ボート)のプラモデルを万引きした。
そこには近所の友達と子供だけでよく行っていたのだが、その日は自分一人だった。
計画的だったのか衝動的だったのかは覚えてないけど、とにかくその日自分は店員の目を盗んでプラモデルを盗んだ。
まんまと盗みを成功させて、家に帰るとすぐにそのプラモデルを組み始めた。
そしてパートから帰ってきた母に「そのプラモデルどうしたの?」と聞かれた。
今考えればお小遣いでは買えないようなものを子供が持っているのだから、母が疑問に思うのは当たり前の事だ。
これはお店の人が僕が盗む瞬間を見ていて、そのことを母に連絡したのだと思って絶望的な気分になった。
お店のプラモデルの什器の前でこちらを見ながら何度も歩いていた店員のおばさんのことを思い出した(このビジュアルは今でも思い出せる)。
残念ながらどういう言い訳をしたのか思い出せないのだけど、たぶん知り合いに貰ったとか言ってごまかしたのだと思う。
子供の考える言い訳なので、母は怪しんだのではないかと思うが特にそれ以上追求されることはなかった。
よく覚えているのは、完成したそのプラモデルは水に浮かべて遊べるようになっていたのだが、まったく楽しくなかった事だ。
組み立てている最中は完成させて浮かべるのをわくわくしていたのに、母に「どうしたの?」と聞かれてから、楽しかった気分は完全にどこかに行ってしまった。
たぶん一度遊んだだけで押し入れにしまったように記憶している。
どうして楽しくなかったのか。
母に盗みがばれてるような気がしたのか、盗んだ事の罪悪感なのか、あるいはその両方なのか、残念ながら言語化されていない当時の気持ちを詳しく思い出す事は出来ないが、とにかく楽しくなかったのは覚えている。
子供騙しの言い訳で引き下がらずに、あそこで母はもっと厳しく追及しておくべきだったのだ。
その中で母親にばれたのは、駄菓子屋から盗んだカードの束、友達のお金、自転車の三回だった思う。あとボヤ騒ぎもあった。
自転車を盗んだのは高学年のときだが、その頃には「どうしてうちの親は怒らないんだろう」という疑問、というよりも強い不満が明確にあった。
漫画の中では悪い事をした子供は親に叱られているし、近所の子も親に叱られているし、自分もその近所の子と一緒に(その子の親に)叱られたことはあるが、自分の親に叱られるという事は全く無かった。
この頃から思春期を通して「普通の家庭」というものに強く憧れたし、自分の親の普通じゃない部分が全て憎く感じるようになった。
おそらく母にとっては、冒頭に書いたように叱らないことイコール愛情という認識なのだろうが、結果として自分はまともな大人にはなれなかった。
紆余曲折はあったが今現在30過ぎのニートだ(こうなったのは母のせいだと思ってる時点でクズですよね)。
叱らない事は簡単かもしれないが、叱らずに子供を正しく導くのには大変難しい技術がいるのだと思う。
「例えば万引で捕まったときには褒められない。そんなときにも怒鳴らず、魔法の言葉『どうしたの?』を優しく声掛けして」と秘けつを伝えた。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/44550.html
私だって『どうしたの?』くらいは言われた。でもそれは魔法の言葉なんかじゃない。
自転車を盗んだ時には「欲しかったから」と答えたので、すぐに新しい自転車を買ってもらえた。
悪い事をした時に普通に叱る場合と比較して、全く叱らない場合ではたぶん1000倍くらい難しい、ほとんど稀にしかマトモな大人に育たない、そういう認識でトライしなければ取り返しのつかない事になると自覚した上でやってもらいたい。
米の価格を下げることと、農家の年収が下がることはイコールではない。 それはなぜか?という話。
言い方を変えれば、なにもしないで放置すれば、米の価格も下がって、農家の年収が下がったり、米の価格が維持されても農家の年収が下がることはありえるでしょ。
だけど、農家は米の価格が下がったら、農家の収入が下がると根拠無く(政治不信はあるだろうし正しいが)確信してるから(ビジネス的にはあきらかにそうではないが)
TPPが導入されると、農家の収入は、営業戦略を何もしないと言ってるんだから一方的にさがるだろうし、それは福祉予算の増大にも繋がるから
頭がいたいねと。
定期的にぐるぐる考えちゃうことなんだけど、
なんで俺は俺なのか?ってこと。
街を歩いているといろんな人とすれ違う。
俺はそれを本当に感じ取ることはできない。
みんなを俺の目や脳というフィルターを通さないと認識できない。
他人は確実に存在しているが、
人生で触れるもの全てはは俺の認識の範疇にいて、その中で動いている。
俺の認識が行き届かないものは存在していないことと同義になる。
俺はそのコメントを見て初めてあなたという他者の存在を認識する。
つまり、あなたのコメントを俺が見るまでは、俺にとってあなたは存在していないことになる。
私の認知によってあなたが私の認識という世界に入ることができる。
こんなこと考えてたら昼休みが終わってた。
「軍備を整備する」イコール「戦争準備」と短絡的に考える連中だからな。でも、それは日本限定で、彼らは中国が空母を作っても、北朝鮮がミサイルを撃っても、「戦争準備」とは考えないが。
これな
Midas
私は「スターを使って何かを表現する事自体が迷惑」でなく『引用スターを使って何かを表現すること自体が迷惑かどうかの判断は元の文を書いた人に任されてる(ブログへのコメントを非表示と同じ)』と言ってます
これは全くその通り。なので「はてな利用規約の解釈としては、Midasが正しい。」のだけど、この事実をもってしてMidasの「ルール違反だ」との結論を導く主張の部分がおかしいんだよね。
これはつまり「はてなスター」のシステムの性質上、他ユーザーのスターを消したりする操作をする事ができないから(運営の管理者権限のDB直接操作でスターを消す作業をやるから)こういった規約になっているのであって、別に「当該ユーザーの申告で問答無用に消せる」事自体イコール「それをはてなが言論活動でないと認定いたしました」では無いのだからね。
実際運用側として「各々のユーザーが誹謗中傷までは行かないけれど投げかけられたくない言葉」をいちいち把握して判断する事なんて「面倒でしょうがない」じゃん。ただでさえ「はてなスター如きでいちいち通報というか申告する」ユーザーって何かと面倒臭そうな人だったり揉め事を抱えてたりする人だったりするのに。
具体例を挙げたら「在りし日のありむーに『サカタク』と引用スターで一言」「地蔵に『指摘しました』」とか。結局のところ「運営がユーザーの要請で動く事例である以上、立場上カテゴリとしてはその他の迷惑行為にあてはめますよ」「こちらではいちいち消して良いかどうか判断するのは面倒なのでとにかく消しますよ」というエクスキューズでしかないのだよね。
そもそも上のMidasのコメント自体「(引用付きのはてなースターを消す事は)ブログへのコメントを非表示と同じ」だと言っている。だったら「はてなスターはブログへのコメントと同じ」だという認識しているのでは無いのか?と思ったんだよね。
さらに、元の文を書いた人が(それが迷惑に思うかとかは無関係に)消せる・非表示にできるという点では、はてぶのコメントだって各ユーザー配下のブクマ(b.hatena.ne.jp/「ユーザーID」)のコメント一覧ページに於いては「このブックマーク一覧の表示を制御」で「ブックマーク一覧を非表示」にしたり「特定のブックマークを非表示」にしたりできるわけで、それって自分で消すか運営に申請して消すかの違いだけで後は同じじゃん、っていう。
Midasお得意のコメントPermalinkにメタブクマのコメントだって、ブクマ元のユーザーは「問答無用で非表示」可能なわけで、だったら、それってイコール「ルール違反」だからなの?って話なわけで。
あまり関係無い話かも知れないけど、そもそも「コメントを伴わないはてなスターについては嫌がらせ、迷惑行為と判断することが困難であるため」という例外条件が変だと思うんだよ。
「無言&連打スター」による嫌がらせって、はてなスター当初からあったわけだし、わざわざ何で「例外」原則設ける必要があるのかって事なんだけど。
別に普通に「どんなスターでも申請があったら削除」で良くないか?と思うんだけどな。
その女に振られてもう1年が経とうとしている。
その子が会社にやってきて一目惚れして、頭の中はいつもその子のことでいっぱいだった。
2ヶ月ぐらいして、仕事上の会話もほとんど無い状態でライブに誘った。
その子の好きなアーティストとはいえ、思いのほかあっさりと快諾されて、もしかしたらいけるんじゃないか、と思った。
しばらくは関係を断とうと思っていた。
同じ職場にいるからそれなりに関わり合いはあるんだけど、極力事務的に済ませようと思った。
ところがその子は他愛も無い雑談を笑顔で振って来たり、ちょっとしたお菓子をくれたりなんかする。
おまけにCDを貸してくれる、ということになって、たまたまバレンタインデーだったとはいえ「ハッピーバレンタイン♥」なんて言ってきて。
そんなわけで俺は予定を変更して、あきらめないことにした。
CDを返すときはちょっとしたキャラクターグッズ (値段的には1000円とかの些細なもの) を付けて返したら凄く喜ばれた。
(その後職場の他の女たちにも嬉しげに話してたらしく困惑したけど...)
ときどきどうでもいい雑談をしたり、業務中に30分ぐらいチャットでコソコソダラダラやっていることもある。
そして月イチぐらいのペースで遊びにいくようになった。
先月は飲みに行ったし、来月は演劇 (お互いの趣味のやつ) を見に行く。
終わったらご飯にでも誘うつもりだ。
でも「やっぱり好きなんだ」とは言わないだろう。
俺としては、とりあえず補欠の一番に居て、機会を伺うのが最良だと考えている。
さて、ところで俺は20台も半ばを越えて彼女いない歴イコール年齢だしもちろん童貞である。
振られたとはいえ、生まれて初めて女に自分から告白できたし、その気になればデートなんかもこなせることもわかって、ささやかながら自信が芽生えた。
彼氏持ちじゃない子を狙って行けば、そのうち誰かと付き合うことだってできるんじゃないかという気はしている。
彼氏持ちであるところの今好きな子を思い続けるのはある種のリスクを伴う。
彼女いない歴 (イコール童貞歴) をいたずらに伸ばし続けるリスクを。
その子が結婚でもしてしまえばさすがに諦めるだろうが、職場の女たちの話によるとどうもそういう感じではないらしい。
すごく落ち着いた関係で、喧嘩もしないし、お互い結婚には興味が無いそうだ。
あと相手は20歳ぐらい年上らしい...
もしかしたら3年とか5年とか経ってもこんな感じの関係が続いているんじゃないか、と思うことがある。
そのときには俺は30を越えている。
果たして俺は諦めた方がいいのか、それとも僅かな可能性に賭けるべきなのか。
ま、とてもじゃないけど諦められないんだけどね。
なっつってったって10年振りの恋だもん。
個人的意見としては理解出来るし、出場権で同情票とかは無いよね。
余計なお世話という筋ではある。
仕事ちゃいまっせ、企業がパトロンになってるけど、あくまで素人さんでっせ!
父親は姿を現して批判の矢面に立つのも含めて最大限に協力すべきでしょう?きちんと責任をとりなさいよ。
もしかしたら相手がわからないのが本当なのかもしれないが、何故彼女が父親がわからない子を産む決断をしたのだろう…まともな精神状態と思えません。
そもそも何で批判されるのかもよくわからないけどね。
娘を恨みたくないからかどうかは知らないけど、ソチに出場しても、凄いなという感想と同じくらい同情枠か?という微妙な感じになるくらい叩かれてるよね。
それ狙いで叩かれてるのかも?
今回はきっぱり諦めて、次回ママスケーターとして挑戦するんだったら素直に応援できたのに。
未成熟だからこそ、成熟して理性がブレーキかける所をアクセル全開で突っ走り結果を出せる…のかもしれない。
堕ろす選択をしなかったことには敬意を表しますよ。
でも、シングルマザーを選ぶ人っていうのは大抵の、自分や赤ちゃんを守らなきゃいけないのに、わざわざ困難な道を選んでいる人が多いと思う。
そこには少しだけ同意する。
子供を産んだことを公表した時に彼女は、まさかここまで出歯亀かつ勘違いした人間が多いとは思ってなかったと思うけど、
結果として現状見る限り敵ばかりだったね、と彼女に同情する。
理解してもらうために説明する、って当たり前のことじゃないんですか?
別に子供産んだから子供産みましたと言っただけなのに、何故プライベートな事まで喋らんといかんのか。
その価値観はあなただけのものであって、すなわちそれはイコールあなたって事になるけども。
色んな考え方の人がいるから全員にわかってもらえないことは確かだけど、どんな相手にも誠実に説明すれば叩かれることはないと思います。
これは個人的な経験と推測だけど、ネットで姿の見えない他人と接したがらない人ほど、「お前の意見なんか聞かないよ、察しろよ」という人間が多いように見受けられる。
ただ説明はしないといけない。
もし彼女がソチに出場するのであれば、選んだフィギュア協会は説明の責任があります。
フィギュアに限った話じゃないけど、選考する権利を持っているので。
それは彼女や産んだ子供に対し、あなたもマスコミも私も彼女の生命・生活に関する責任や財産を有しないから。
何より、説明も何も、あなたも私も彼女も皆、生物なんだから、理由もへったくれも無いよね。
説明しても叩く頭おかしい人が今、子供を産んだ事を理由に叩いているんだろうし。
というのが私のこの件に対する見解。
まあ、今からもういろんなところで出尽くした感のある「テレビがおもしろくない理由」を話すんだけど。
そもそも「おもしろい」と感じる大前提として「共感」というものがある。
我々は「共感」できるからこそ「おもしろい」と感じることができる。
「共感」とは「あるある」とか「わかるわかる」とか「だよね」という形でおもしろさにつながる。
まったく異文化の言語の違う民族の「笑い」がまったく理解できないのは「共感」できる部分がほとんどないからだ。
また「下ネタ」が全世界共通して「笑い」になるのは「下ネタ」が人間の根源的な部分につながり「共感」できる部分が増えるからだと思う。
「おもしろい」と感じるもう一つの視点として「本音」というものがある。
我々が良好な人間関係を維持していくためには適度に「嘘」をつかなくてはいけない。
「お前の顔ってめちゃくちゃブスだよね」
なんて言葉は地位や立場やポジションがある人間は絶対に口にしてはいけない。
たとえそれが「本音」であっても決して公の場では言わない。
良好な関係を維持するためにはそれが「本音」であっても「おきれいですね」と嘘をつかなければならない。
それが大人な態度だ。
でも、だからこそ「建前」ではない「本音」が「わかるわかる」としておもしろいと感じ「笑い」にまでつなげることができる。
普通なら
「お前の顔ってめちゃくちゃブスだよね」
という言葉を言おうものなら一瞬にして社会的地位から抹殺される危険を伴う。
でも、ある限定した場で特定の条件付で文脈が成り立っているならこの言葉を強烈な「笑い」につなげることができる。
美は世界共通で、人間として共感でき、そしてそれが人々の本音だから。
テレビでよく「本音」を言っているっぽい人がうけるのはその「本音」が人々の「共感」を呼ぶからだと思う。
「本音」というのは「笑い」や「おもしろさ」として強力な武器となり得る。
だけど「本音」は、逆に格好の攻撃材料を提供することにもなる。
ある程度の地位を手に入れた人や成功者が建前しか言わなくなるのは相手に攻撃材料を与えないためだ。
テレビに出たがっている人は大勢いるし、テレビの仕事につきたがっている人も大勢いる。
その人たちにとっては、テレビに出ることや、テレビに関わる仕事をすることは一つの成功だ。
そして、この「成功」が「テレビに関わり続けること」だとするならば、彼らはこの世界から抹殺されないように気を配らなければならない。
「俺の料理の味は年収300万とか400万の人間にはわからねぇよ」
とは決して公の場で言ってはいけない。
間違いなく100%叩かれる。あっ、言葉を間違えた。叩かれた。
まあ、本人に確認したわけじゃないし、確認しようもないし、きっと今後これについて「本音」で語ることはないだろうから真相はわからないけれど、この言葉には彼の「本音」がベースにあったのではないかと個人的には思っている。
だから、この言葉は、ある特定の集団に対して特定の場所で特定の文脈でなら「笑い」にもなり得た言葉ではあったと思う。
「わかるわかる」「だよね」として。
たまに、テレビのニュース番組なんかで「弱者の味方です」という視点で番組が構成されたりすることがあるけれど、これをその対象である弱者が見ても、共感することができない。
それはそれを作っている人間もそこで弱者のためのコメントをしている人間もすべてが強者であることを弱者は知っているからだ。
彼らが「建前」だけでしゃべっていることが丸わかりだから、下手をすると怒りすら呼ぶことになる。
高いスーツを着てスポットライトを浴びてお金も持ってる人たちが「弱者の味方です」と言ったって「なんだそれ」という感想しか出ない。
テレビに出ているお笑い芸人という職業も一つの「成功者」の職業になったと思う。
はみ出し者の職業ではなく、若者があこがれる職業となり、モテル職業となり、年収の高い成功するための職業となった。
恵まれし者が語る言葉に恵まれない者が共感することはできない。
もちろん共通の文化で育ち共通の言語をしゃべる彼らの話がおもしろいものであることも確かだけれど「金を持っている」「金を持っていない」という視点が入ると「共感」が減る。
長い間苦労してどっかの大会で優勝した苦労芸人が旬になりもてはやされるのは、彼らの苦労時代に「共感」できるからだと思う。
苦労時代があり本音ベースでしゃべれる者が成功者に立ち向かっていく姿に「共感」する。
しかしその苦労芸人もいつしか本物の「成功者」となり旬が終わる。
まとめ。
まとめいるか?
まあ何が言いたいかというとテレビに出ている人間とテレビを見ている人間が乖離してきていて共感できる部分が少なくなってきているということ。
そしていつしか本音をしゃべると叩かれるんでどんどん本音をしゃべることができなくなってきているということ。
だから成功者が建前で作って建前でしゃべっているものを見せられても、「どこをどうおもしろいと感じろ」というのかさっぱりわからないと個人的には思っている。
彼らの言葉が本音から遠ざかるにつれてまったく響かない言葉になっているし逆にそらぞらしく寒い。
というようなことをこの増田を読んで思った。
◆(吉田利幸君)
前略
それから次に、夫婦別姓、これについても大変危険な法案だと思っているんですね。
というのは、家族が解体すれば、必ず地域が解体し、まさしく愛する祖国が解体する可能性もあるというようなことにもなりかねない。
そこで、お伺いをいたしますが、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の姓を称することを認める選択的夫婦別姓制度の導入を柱とする民法改正案が二月十九日に明らかになりました。
制度の概要は、婚姻時に同姓にするか別姓にするか、夫婦の合意に基づいて選択するものであり、別姓を選択した夫婦の子どもは、夫または妻の姓のどちらかの姓に統一するものであります。
私たちの家庭、家族は、古来より祖先と子孫は一つの血と命でつながり、固いきずなを持って社会生活を営んできました。しかし、夫婦別姓制度の導入により、夫婦間に生まれた子どもの姓について、父親、母親のいずれかの姓を選択できるようにした場合、夫婦間、親子間で異なる姓を名乗ることになり、家族の一体感、連帯感が損なわれるおそれがあります。また、そのことが子どもに悪影響を及ぼすことを深く危惧しております。
夫婦別姓が認められると、家族、家庭の連帯感が崩壊するおそれがあるとともに、先祖から受け継いできた家の歴史と縦軸の命のつながりを壊し、そのことが郷土愛をはぐくむ心の喪失にもつながります。家族をめぐる痛ましい事件が多く報じられ、家庭崩壊の危機が叫ばれる中、選択的夫婦別姓制度の導入は、家族の一体感やきずなを損ね、さらに家庭崩壊を助長してしまうものです。
我が会派としましては、家族のきずなを大切にしたいため、選択的夫婦別姓制度について反対の立場でありますが、知事はこのことについてどう認識をされてますか。
◎知事(橋下徹君) 僕も、議員と同じように、家族というものが一番大切なコミュニティーで、家族のきずな、これは一番守らなければいけない価値であること、ここはもう全く異論はありません。ですから、家族、そこから発展するコミュニティー、こういうものを大切にするために、校庭の芝生化事業を含めて、とにかくコミュニティー、家族のきずな、こういうことも一生懸命やっているところであるんです。
ただ、ちょっと気になるのは、姓と家族のきずなというものがイコールなのか。僕、弁護士をやってましたので、離婚問題、よくやってました。今、離婚率は三〇%と言われている中で、姓が同じでも家族のきずながないところはいっぱいあるんですよね。ですから、もし本当に姓がそれだけ家族のきずなに重要なんであれば、日本で離婚なんていうのはないと思うんです。でも、やっぱり現実にこれだけ離婚がどんどんふえてきてるというふうな状況を見ると、姓の一致と家族のきずなというものを単純にイコールで考えることは、社会科学的に非常に疑問なところがあります。
それともう一つは、子どもに対して悪影響を与えるというところなんですが、これも僕のことを言わせてもらいますと、うちの母親は再婚してますので、僕は橋下、母親は東山と姓は違いますけれども、しかし、子どもの立場で悪影響を受けたことなんて一回もありませんし、僕と母親の姓が違ったところで家族のきずなが薄まってるなんていうのは全く思ったこともありませんので、姓と家族のきずなというものを簡単に同一視することには非常に危険性があるんではないのかなというふうに思っています。
◆(吉田利幸君) ちょっと、これは皆さんにも聞いていただきたいんですけども、実はトフラーという方が、「我々人類の未来にもし重大な危機が到来するとするならば、それは核兵器によるものや地震などによるものではなくして、人々が家庭本来のとうとい意義を喪失し、それに由来して家庭が崩壊してしまうときであろう。家庭の崩壊は、人間性の崩壊を招来し、社会も国家も成り立たなくなる」と、こういう言葉を残してるんですね。
それからもう一つは、一九九六年一月、これは米国のことですから西暦で読みましたが、クリントン大統領が一般教書演説で「家族は、米国人の生活の基盤である。より強い家庭を持てば、より強い米国を持つことになる」とこれは、大阪府にも置きかえたら、私は夫婦別姓は家庭の解体から人間性の崩壊へと進み、地域の崩壊につながるということと思います。しかし、これはまた議論するときがあると思いますので、次に移らせていただきます。
厚生労働省の「子宮頸ガンワクチン接種勧奨中止」で、はてな村が大混乱に陥っている。
はてな村は、したり顔の接種推進論者が多く、反対論者を「陰謀論に毒された、カワイソウな人」とトンデモ扱いしていた。
そのため、本来なら行うべき科学的な安全性の論証を、思考停止して怠っていた側面は否めない。
「ビルゲイツの陰謀だ」「不妊ワクチンだ」という陰謀論には辟易しているが、
でも
「なんで、あそこまで痛がるワクチンの接種を半強制するのか、
ワクチン接種がイヤな女子の『接種をしない愚行権』は、保証してあげればいいのに」とは思っていた。
その意味では、「接種しない自由」を保証した今回の決定は、基本的に歓迎。
「接種した場合の死亡リスク(副反応リスク)と、接種しない場合の死亡リスクを天秤にかけ、
接種した場合のリスクが大⇒接種見合わせ」が正しい、とされてきた。
喩え話で言えば、
「接種することで、女性100万人のうち1,000人が副反応で死亡したとしても、
接種しないことで、1,000人以上が死亡するなら、接種した方が望ましい」という天秤になる。
しかし、こういう単純なロジックは、「接種時と発病時のタイミングのズレ」という、
子宮頸ガンワクチン特有の問題を、一切無視した議論ではないか?
実際、子宮頸ガンを実際に発病するのは、接種する年代(10代)でも、いや20代でもなく、
仮に、「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代に100万人中1,000人が死亡する」という場合
(話を単純化させている)、それは「天秤にかけるとイコール」と判断していいのか?
「なんで、リスクを先取りしなきゃいけないの!!」と感じるだろう。
まあ、「100万人中、どっちも1000人」だと、
では「接種することで、10代で100万人中1,000人が死亡する」、
「接種しないことで、50代で100万人中500人が死亡する」という場合は、どうなのか?
この場合、「死亡率が半減する」という「接種の便益」がある。
その見返りに「女性の華のエイジ、10代20代30代を棒に振る」ということになる。
「死亡率が半減しているんだから、便益がある、接種すべきだ」という意見もあるだろうが、
女子の間では「そんな先の死亡云々なんかより、目の前の青春が奪われるのがイヤだ」と拒否する女子の方が多いのでは?
では、「接種することで、将来の死亡率が100分の1になる」場合は?
こうなると、天秤的には「便益が強いから、接種させよう」となるだろうが、
「10代20代30代を謳歌したい、40代以降のオバサン人生は『余生』だから、
そんなのいっさい気にしない」という
「10~30代の女の幸せに人生価値の重きを置いている」女子に言わせれば、
「50代で死んでも別に構わない、それより目の前の幸せが逃げるのがイヤ」となる。
つまり、「10代20代30代に、女の幸せを追求する女子」にとっては、
接種便益倍率を相当に高倍率にさせないと、接種を魅力に感じなくなる。
一方、「自分はそんなに女の幸せを追求しない」という「割り切り女子」の場合は、
接種便益倍率が低倍率であっても、接種に魅力を感じる。
ということで、「接種主体が、どういう価値観を抱いているか?」で、
「接種便益が変わってしまう」、実はここが子宮頸ガンワクチン接種の「難しさ」ではないか?
「たくさん恋をしたい、早く結婚したい、40代以降は無視」というスイーツ女子にとっては、
接種便益100倍でも「接種ヤダ」となるし、
「別に恋に関心ない、20代30代も淡白に生きて、そのまま40代50代も淡白に生きる」という
草食女子にとっては、接種便益10倍でも、「接種したい」となる。
これは、裏返して言えば、
「女の幸せは恋をすること、結婚すること」というジェンダー価値観を重視する人は
「接種メリット乏しい」となるし、
「女の幸せは恋愛結婚、という押し付けはオカシイ」というアンチジェンダー価値観(女性解放論者)から見たら
「接種メリットが強い」となる。
統一球問題だけど、メディアは何で球を供給した企業の責任を問うような記事がないの?
広告を出してもらえなくなるかも、とかの軽いレベルの問題じゃないよ。
http://www.mizuno.co.jp/whatsnew/2013/06/20130612.html
もしかしてこの企業の製品を使っている選手って、規約(レギュレーション)にあっていない道具で戦ってるんじゃね?
「飛ばないから、ちょっと変えろや。もちろんだまっとけよ。」はい!(`・ω・´)シャキーン
「どうせ見た目じゃ分かんないんだら、素材変えて軽くしろや。」はい!(`・ω・´)シャキーン
規約の範囲内で切磋琢磨&規約で制限される前に新素材開発とかで性能向上だから建前でも【イコールコンディション】を信じれるんだよ。
まあ規約を作って守らせる側も【イコールコンディション】の意味が分からないっぽいから呆れてるんだけどw
茶番劇は回る。
後者はともかく非上場企業で株式公開をしていない株式会社で有名なのがサントリーや竹中工務店などの大手が挙げられるので
とりわけ非上場に優良企業が多いという話は間違いじゃないかもしれない。
株式公開をして外部から指図されて会社運営をするより独自の方法でずっと変わらない経営をして黒字ならという話だけれど。
実際の所、非上場だからといって優良だと断定できる根拠がない。
よくNAVERまとめ等に挙げられてる非上場企業は優良だとする見解が見られるが、一方でブラック企業もちらほら見える。
その代表例が佐川急便だろう。
佐川の場合、激務高給の典型的な会社で働けば働く程儲ける事が出来る代わりに死ぬほど忙しい会社ということで社風が超体育会系なのでブラックだという認識が強い。
ところで、ブラック企業の定義は、(引用元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD)
すなわち、労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いたり、関係諸法に抵触する可能性がある営業行為や従業員の健康面を無視した極端な長時間労働(サービス残業)を従業員に強いたりする、もしくはパワーハラスメントという暴力的強制を常套手段としながら本来の業務とは無関係な部分で非合理的負担を与える労働を従業員に強いる体質を持つ企業や法人(学校法人、社会福祉法人、官公庁や公営企業、医療機関なども含む)のことを指す。
という事だから、佐川がブラックである可能性が高いというのは確かだろう。事実、労働問題でたびたびこの会社が挙げられているし、今やブラック企業の神となったワタミ会長渡邊美樹も佐川出身者なのだから、疑いようもない。また、金丸信関連の佐川献金事件や暴力団と関係しているといった黒い噂もあるので、ここではブラック企業といえそうだ。尤も、佐川では昨今福利厚生面の充実を図る試みがなされており、大企業であるという強みもあってそれほどブラックではないという見方も一応あるようだ。
結論から言うと、佐川急便は非上場であってもブラック企業なので、『優良企業=非上場』という図式は成立しない事が分かった。
これも必ずしもそうであるとは言えないものの、一つの指標になるとは思う。
資本金が多ければ多いほど会社の信用度が高まるというのが世間一般での常識だが、あえて資本金を9000万程度に抑え1億円を越えないようにする企業もあり、一概にイコール会社の信用度で決まってるように思えない。とはいえ、ブラック企業ランキングにランクインしている企業の多くが資本金1億未満であったりするわけで、あくまで信じられるラインなのかもしれない。
よく比較されるのが資本金の額と社長の車だろうか。例えば資本金1000万なのに社長の乗る車が2000万だった場合は資本金よりも自分が大切、つまりワンマン経営で経営に無頓着だという事でブラックの典型例に挙げられとか。資本金が信用の程度を表すのだとすれば、社長が着飾ってるのに会社が上手く行っていない場合、資本金の額面の通りの会社だというのは間違いないだろう。
これが大会社なら経常利益から経費で捻出するといった丼勘定もありうるだろうが、中小零細の場合売上から捻出される経費は全て工場だとか機械だとかの維持費や人件費に回されるので、その前提からいけば社長が贅沢三昧してる中小零細はブラックだろう。
だから、資本金が少ない中小零細がブラックだという可能性は少なくない。
しかし、資本金が少なく、また社長ないし役員が贅沢三昧してる中小零細でも優良とまではいかないが一般レベルの企業もある。それは大手メーカーの子会社だとか、そういった名の知れた会社と資本提携していたり共同開発する間柄であったり分社独立であったりと様々な事情があるだろう。
すなわち資本金が高いから・低いからでその会社が優良だブラックだとは必ずしも言えないけれど、一定の判断材料になるのは間違いない。