尾木ママの子育てに魔法の言葉 福井、講演で叱らない持論紹介
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/44550.html
痛いニュース(ノ∀`) : 尾木ママ「叱らない子育て」提唱 「万引きしても『どうしたの?』と優しく声掛けして」 - ライブドアブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1770569.html
子育てに愛情は必要だが、叱らない事がイコール愛情だと単純な理解をしてしまうと、大変な事になってしまうだろう。
はてブで叱らない育て方に賛同している方がいて、ちょっと心配になったので自分の体験を書いておこうと思う。
近所に大きスーパーがあって、そこのおもちゃ売り場で船(ボート)のプラモデルを万引きした。
そこには近所の友達と子供だけでよく行っていたのだが、その日は自分一人だった。
計画的だったのか衝動的だったのかは覚えてないけど、とにかくその日自分は店員の目を盗んでプラモデルを盗んだ。
まんまと盗みを成功させて、家に帰るとすぐにそのプラモデルを組み始めた。
そしてパートから帰ってきた母に「そのプラモデルどうしたの?」と聞かれた。
今考えればお小遣いでは買えないようなものを子供が持っているのだから、母が疑問に思うのは当たり前の事だ。
これはお店の人が僕が盗む瞬間を見ていて、そのことを母に連絡したのだと思って絶望的な気分になった。
お店のプラモデルの什器の前でこちらを見ながら何度も歩いていた店員のおばさんのことを思い出した(このビジュアルは今でも思い出せる)。
残念ながらどういう言い訳をしたのか思い出せないのだけど、たぶん知り合いに貰ったとか言ってごまかしたのだと思う。
子供の考える言い訳なので、母は怪しんだのではないかと思うが特にそれ以上追求されることはなかった。
よく覚えているのは、完成したそのプラモデルは水に浮かべて遊べるようになっていたのだが、まったく楽しくなかった事だ。
組み立てている最中は完成させて浮かべるのをわくわくしていたのに、母に「どうしたの?」と聞かれてから、楽しかった気分は完全にどこかに行ってしまった。
たぶん一度遊んだだけで押し入れにしまったように記憶している。
どうして楽しくなかったのか。
母に盗みがばれてるような気がしたのか、盗んだ事の罪悪感なのか、あるいはその両方なのか、残念ながら言語化されていない当時の気持ちを詳しく思い出す事は出来ないが、とにかく楽しくなかったのは覚えている。
子供騙しの言い訳で引き下がらずに、あそこで母はもっと厳しく追及しておくべきだったのだ。
その中で母親にばれたのは、駄菓子屋から盗んだカードの束、友達のお金、自転車の三回だった思う。あとボヤ騒ぎもあった。
自転車を盗んだのは高学年のときだが、その頃には「どうしてうちの親は怒らないんだろう」という疑問、というよりも強い不満が明確にあった。
漫画の中では悪い事をした子供は親に叱られているし、近所の子も親に叱られているし、自分もその近所の子と一緒に(その子の親に)叱られたことはあるが、自分の親に叱られるという事は全く無かった。
この頃から思春期を通して「普通の家庭」というものに強く憧れたし、自分の親の普通じゃない部分が全て憎く感じるようになった。
おそらく母にとっては、冒頭に書いたように叱らないことイコール愛情という認識なのだろうが、結果として自分はまともな大人にはなれなかった。
紆余曲折はあったが今現在30過ぎのニートだ(こうなったのは母のせいだと思ってる時点でクズですよね)。
叱らない事は簡単かもしれないが、叱らずに子供を正しく導くのには大変難しい技術がいるのだと思う。
「例えば万引で捕まったときには褒められない。そんなときにも怒鳴らず、魔法の言葉『どうしたの?』を優しく声掛けして」と秘けつを伝えた。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/44550.html
私だって『どうしたの?』くらいは言われた。でもそれは魔法の言葉なんかじゃない。
自転車を盗んだ時には「欲しかったから」と答えたので、すぐに新しい自転車を買ってもらえた。
悪い事をした時に普通に叱る場合と比較して、全く叱らない場合ではたぶん1000倍くらい難しい、ほとんど稀にしかマトモな大人に育たない、そういう認識でトライしなければ取り返しのつかない事になると自覚した上でやってもらいたい。