定期的にぐるぐる考えちゃうことなんだけど、
なんで俺は俺なのか?ってこと。
街を歩いているといろんな人とすれ違う。
俺はそれを本当に感じ取ることはできない。
みんなを俺の目や脳というフィルターを通さないと認識できない。
他人は確実に存在しているが、
人生で触れるもの全てはは俺の認識の範疇にいて、その中で動いている。
俺の認識が行き届かないものは存在していないことと同義になる。
俺はそのコメントを見て初めてあなたという他者の存在を認識する。
つまり、あなたのコメントを俺が見るまでは、俺にとってあなたは存在していないことになる。
私の認知によってあなたが私の認識という世界に入ることができる。
こんなこと考えてたら昼休みが終わってた。
神として全知全能を想定してしまうのに誤謬を感じる。 神でなく、単なる人であるという前提でも、「認知しないと世界が無い」ということは説明できる。 神である可能性もある...
「自分が他人とくらべて特別じゃない」って紛れもなく思ってる人っているのかな? 自分の認知フィルターを通して世界を見ている以上ムリだと思うんだよ。
観察者がいなくても世界は存在するでしょ。 在りようが人によって異なるだけで。