2013-07-22

私は神だ。そしてあなたも神であるはずだ。

定期的にぐるぐる考えちゃうことなんだけど、

なんで俺は俺なのか?ってこと。

街を歩いているといろんな人とすれ違う。

みんなそれぞれ意思があり心があり、意識がある人間なのに、

俺はそれを本当に感じ取ることはできない。

みんなを俺の目や脳というフィルターを通さないと認識できない。

他人は確実に存在しているが、

俺の存在がなくなると他人を認識することができなくなる。

俺の認識している世界の終わりがイコール世界の終わりになる。

人生で触れるもの全てはは俺の認識範疇にいて、その中で動いている。

俺の認識が行き届かないもの存在していないことと同義になる。

あなたがこの文章にコメントを返したとして

俺はそのコメントを見て初めてあなたという他者の存在認識する。

まりあなたコメントを俺が見るまでは、俺にとってあなた存在していないことになる。

私の認知によってあなたが私の認識という世界に入ることができる。

私は私の認識という世界の神だ。

あなたたちも同じように神であるはずだ。

こんなこと考えてたら昼休みが終わってた。

  •  神として全知全能を想定してしまうのに誤謬を感じる。  神でなく、単なる人であるという前提でも、「認知しないと世界が無い」ということは説明できる。 神である可能性もある...

    • 「自分が他人とくらべて特別じゃない」って紛れもなく思ってる人っているのかな? 自分の認知フィルターを通して世界を見ている以上ムリだと思うんだよ。

  • 観察者がいなくても世界は存在するでしょ。 在りようが人によって異なるだけで。

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