はてなキーワード: やいととは
このことを言いたいが為に増田に登録した程伝えたい。子供達冬休みおめでとう!
と言っても年末年始でお忙しい方々多いでしょうが、子供達にお手伝いをさせてあげてますか?あくまで上手くいった上で褒めてあげるという流れの為のお手伝いです。それで怒鳴ってしまう、子供が子供らしく大人の階段登るための遊ぶ時間を削るのはいけません。いい話を作るために子供に重い米を運ばせるわけではありません。
火を使わせると危ない!包丁も!ピーラーも!持たせられない!いう奥様方も洗濯物畳みをさせるとか、歯ブラシを持って越させるとか、とにかく出来そうなことを探すのです。とにかく褒められる機会を探しましょう。
反面教師がてらアダルトチルドレンになり自己肯定感が死んだ増田の話を書きます。
我が家は父はせっかち、母は効率厨という神経質な家庭でした。なにかをしてると父が擬音をつけたり、ガラスの容器を持ち上げるとあー!危ない!とオーバーリアクションでやる事なす事びっくりさせて怖がらせるような父なのです(小さい子供ならまだしも高校になって別居まで続きます)母の注意の言葉には被せて注意はしてくる。母の迷惑になるなが説教や励ましの最後につく言葉でした。
その母というのはとんでもなく効率厨。こだわりが多いので本人の思う形にならなくてはなりません。少し時間が狂えばイライラで物に当たりだしてました。
その為家事手伝いはとても時間に余裕のある時にやらせてもらうのです。大体は私が手伝いたいと言えば、私がやった方がはやいとか、これはこうやらなきゃいけないとか。父親も何かしようとすれば怒られる。
なので手伝っている、親を助けているというより、迷惑なのにやらせてもらっているという感覚でした。迷惑にならないようにしなきゃって小学校から思ってたんですよ。
私がいない方が物事がはやく片付く、私がいない方がみんな幸せなんだろうなみたいに思ってました。同じような子を作らないであげてくださいね。
クリスマスなんかも楽しそうにしなきゃいけない失敗しちゃいけないでキリキリしてました。二十歳過ぎてもそんな気持ちです。それではよい冬休みを。
ヒットしたわけは分かるが
君は本当に彼らの口コミスピードと新しいもの好きを知らないんだね。
まずヒットした理由を3行で,
中高生に焦点をあてたボーイミーツガールだということ,そして彼らの口コミ伝播速度はまるでそこだけが別世界のようにはやいということ。
つまり,全体のアーリーグループに裾野まで収まるほど時の流れの早い中高生をメインターゲットにしたこと。
もちろん,この理由でなければ"メガ"がつかないなんてことはない。しかしこの作品はこれで"メガ"がつく。
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他愛のない会話をすることにとっても慣れている。
しかもそれがとっても共感できる,キュンキュンできる作品なら…そりゃあとってもオススメするだろうね。
多感な中高生なら2時間で突然「君の名は。」のコアなファンになってごリ押しまくってもなにもおかしくない。(新海誠のそれではない。)
そこにRADWIMPSだ
彼らは中学生でも理解できる語彙を使って,中高生が惚れるような詩をかく。
胸が締め付けられるような詩 カッコよさで狂ってしまいそうになるような詩
/// 追記 - 201609152329
/// 君の名は。では
/// 「でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう」
/// が一番記憶に残った。これはRADの作家性をとてもよく表現した良い詞だと思う。
バンドなんてメジャーレーベルだけでも一人の人間が全部聞くのは不可能に近いくらい沢山ある。中高生に聞かれるのは一握り。
そのくらいにはRADは中高生に好かれてる。これ以上は日記がRADWINPSに寄り過ぎちゃうからコレでも置いとくさ。
http://music-book.jp/music/news/column/107155
9割(1割はマセた子)がRADも好きになる世代だから,観たやつはみんな君の名は。を"べた"褒めしてオススメした。
だから観に来るし,予約してないのにギリギリに行くから観れないと文句を垂れる。
彼らの熱量はすごい。__世界は若者の熱量供給で回っていると俺は思う。__彼らの影響力は大きい。
朝のニュースは彼らを取材して,彼らのコメントを拾い,そして私達はいつも彼らの声を聞く。
彼らは当然中高生並の感想を喋るが,熱量は伝わる。その熱量に気圧されて,アーリーマジョリティが動く。
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また,中高生は新しいものを抵抗なく好きになれる。まだ知らないものばかりだからだ。
裏を返せばまたすぐに塗り替えられるのだが,上映期間の3ヶ月くらいは保つ。
知らないことばかりの彼らの時間は,大人と比べてとてもはやく流れる。
彼らの世代では既にレイトマジョリティまで届いているかもしれない。
彼らが受け入れられるものについて,彼らの裾野はいつもマジョリティの山まで引っ張られていると思う。
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この映画はリピートにもそれなりに耐えられるが,中高生には金が無いし,時間も土日にしかない。
彼らが受け入れたせいでこの映画の動員数は過去の曲線よりも頭を打つのが早くなると思う。
2% - 200万 - ヒット
5% - 500万 - 大ヒット
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追記
『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした(境治) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160914-00062175/
今年で36歳になる。
自分より上の世代の人たちが、右派・左派に分かれて自分の意見をぶつけあっているのをみると、引いてしまう。
自分にはイデオロギーというものがほとんどないからだ。ノンポリと罵られようがないものはない。むしろノンポリ最高!である。
僕の中にあるのは、世の中がどうなっていくにしろ、その中で生き延びるしかないという感覚だ。
自分なりに判断を下し、できるだけ自分と自分の妻子が平穏かつ平均以上に生き続けられる道を模索する。派手な成功も大きな失敗もいらない。
引き分け続けでもいいが負け続けてはいけない。現状を維持できる大負けしない道をきちんと検討し、妥当な判断を下すこと。
そうした道を取捨選択していくことで「相対的に」幸せになれると僕は信じている。
自分の中学時代の友達やいとこたちを見ていると、自分から見てクソみたいな生活をしている人が割といる。そこまで多くはないが少なくもない。
高卒、専門卒、非正規労働、子供をおいて妻に逃げられる男、低収入の配偶者とその日暮らしをしている女、子供を大卒にできない夫婦。ギャンブルやタバコをやめられない人たち。
そういった普通~普通未満の人たち。そうした人たちは、取捨選択を誤ったのだと僕は思っている。
大学に行かない道、正社員にならない道、その道を選ぶことのリスクをきちんと考えられなかったのだと思う。
偏差値60以上の高校・大学に進み、就職活動をすればある程度の企業に入ることはできる。できなかった人は何かしらの問題がある。リスク管理や方向性の検討が不十分だったのだと思う。
なりたくてもなれなかったと言うかもしれないが、毎日の積み重ねを続けていれば、そこまで高いハードルではないと正直思う。
言っちゃ悪いが、僕が大学を卒業した2003年は過去最悪の就職率だった。しかし大した資格や強みのない自分でもある程度の大企業に就職することはできた。
ここでベンチャーや起業を選んだ人で成功し続けているヤツはいない。みんないなくなってしまった。どこで何をしているかはわからない。
みな自分の理想とか夢とかクソみたいなものに邪魔されて消えていった。希望的観測を信じ願望と現実を分けて考えられなかったんだと思う。
例えば仕事は、自分がやりたいことではなく、無理なくできることや努力した覚えがないのに人からほめられたことを第一に考えるべきだ。
恋愛や結婚もそうだ。自分と好きなことが同じ人ではなく嫌いなことが同じ人を選ぶ方が良いし、学歴や職歴が自分と似ている人を選ぶ方が良い。
毎日の衝突が減り持続性が増すからだ。大切なのは、自分の理想ではない。そんなものは幻想だと思う。大切なのは、生き延びるということ、持続するということだ。
「親戚付き合いめんどい!」
よく聞く言葉だ。確かにそのとおりだなぁと思う。
めんどくさくない親戚付き合いなんてないとおもう。
けど、何かしらメリットがあるから親戚付き合いをしてるのだと思う。
・近所で住んでいるので普通に仲良し
・つながりが強いので差し入れしたり家事を手伝ったりと持ちつ持たれつの関係
・子供がいるので自分に不慮の事故が起きた時などに備え付き合いは絶やしたくない
・別に自分はそんなに楽しくないけど子供が祖父母や親戚の叔父叔母やいとこたちと遊ぶのが楽しそう、もしくは一人っ子なので同世代の親族としてつながりを持たせてやりたい
まぁこんな感じで何かしらメリットがあって親戚付き合いをしていると思うんだ。
けど、少子化で核家族化が進んでいる現在、もともと仲良しだとか助けあい関係にあるとかそういうことが少なくなっている。
そうなると、親戚付き合いを続ける理由がもはや
くらいになってきてる人も多いのではないだろうか。
よくよく考えてみればなんのメリットもないのに「大事な気がするから」といって時間や金銭や精神を削って親戚付き合いにコストをかけている。
そういう人の叫びが「親戚付き合いめんどくさい!いきたくない!でも行かざるをえない!」なのだろう。
なぜ行かざるをえないのかよくわからない。
自分も結婚したばかりの頃は親戚付き合い大事だと思い顔を出していたが、よくよく考えるとこの人たちと付き合っても特になんのメリットもないし、私自身この親戚にメリットは与えられないなと気がついて、
「仕事で忙しいので法事や親戚の集まりにはいけません」と断るようになった。
子供でもいれば子供同士が遊べて嬉しそう、とか、会いたい仲の良い祖父母や叔父叔母がいれば良いが、そんな人はひとりもいない。
別に嫌いではないけれども、特に一緒にいることに幸せを感じない。
さすがに葬式は出るけどそれ以降は出ないことにしている。
祖父母は全員死んだのでつまりもう親戚にあうことは今後ないし、会わなくても特に困ることは全くない。
めんどくさい!いきたくない!という人はなんのために行っているのか?と疑問である。
それがマナーだから、とか、義理だから、とか、大人だから、とか言うならそれらを守るというメリットを感じてるのだろうに、なぜ嘆くのだろう。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。
私はブスだ。
小学校の時は面と向かってブスと言われたが、中学に上がってからはひそひそとささやかれるようになった。
いじめにもあった。何もしていない私が悪者に仕立てあげられたのに信じてもらえずに避けられたこともあった。
スクールカーストの底辺層は主にブスで成り立っていたし、底辺はいじめられていたから自分がブスに生まれてきたから、こんな目にあっているんだと思った。
下の妹たちは私には似なかった。二重で可愛く生まれた。もちろん彼氏もできたし、叔母やいとこ達に好かれていた。
私はブスだから好かれなかった。彼氏ももちろん出来た試しがない。
昔から絵を描くのが好きだった。
昔は絵をよく褒められた。褒められてチヤホヤされるのが嬉しかった。
だったら私には絵を描くしかないのだと思った。
その時に気付いた。私はもう別に絵は上手くはなくなっていた。
周りに自分より遥かに上手い人がたくさんいて、私が褒められるようなことは減った。
でも絵を描くのは楽しかった。描いている間だけはそういうことは考えないで描けた。
志望校には結局ことごとく落ち続けた。結局別の一番入りやすかった芸大に入った。
今も絵を描き続けてはいるが、以前より上達したのだとは思うが、思うように上手くは描けない。
SNSを始めたら、やっぱり周りには自分よりも遥かに上手く描ける人がたくさんいて、自分はほとんど相手にしてもらえなかった。
そういう相手に嫉妬した。
容姿の可愛い人間も、絵の上手い人間も、自分には叶わないのだと思うととても憎かった。
デザイン関係の仕事を探している。必死にやったこともあったが、連続して落とされて何だか疲れてしまった。
他人へ嫉妬する性格も悪化し、最近は本当になんでも憎いと嫉妬するようになった。
就職している人間の疲れた、もう仕事に行きたくないという言葉に「なら私が代わりに行くから辞めてくれ」とすら思うようになった。
絵をひたすら描いてSNSに上げては、その反応の少なさにイライラし、反応の多い絵を見ては更にイライラした。
親戚からも蔑んだ目で見られるようになり、可愛い妹は内定をもらった。
私も他の人と同じように誰かに好かれて、男の人に愛されて、結婚して、子供を生んで、幸せに暮らしたい。
こんな生活もう嫌だ。やめたい。
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追記
ここまで反応があると思わず、驚いた。
匿名ダイアリーを初めて使ったのとあまり読んだことがなかったためよく知らないので、
こういう追記は不要なのかもしれないが、コメント等を読んで少しスッとしたのでお礼が言いたい。
でもそれをやめなければ変われないし幸せにはまずなれないんだなと読んでいてよくわかったので、努力をしたいと思う。
段階的に変遷してきたので、どこから入ったかで原点が違って見えるってことなのかという考えになってきた。
http://anond.hatelabo.jp/20140927094024
いろいろ意見をもらって参考になった。
それらは、ラップだったかもしれないがHIPHOPではない、という意見だけど、
まず、元の
とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」 | ホームページ作成サービス「グーペ」のキャラクターブログ「とんかつ教室」
が、
これを前提として、ここではあくまで「ラップ」を中心としたHIPHOP音楽について、日本での発展と現在について記していくね。
と書いているのを踏襲したつもり。すでにロックステディクルーなんかも玉椿あたりに来てたし。
この意見を待ってた。やっぱり80年代初期の文化は現代からは切れているように見えるということか。
Technoの源流、デトロイト・テクノもYMOも(それと「とんかつ」で出てくるアフリカ・バンバータも)クラフトワークつながりでお仲間じゃん、ということにはならない、っていうことだね。
同じ理屈で、韓流ファンも「李博士」をK-POPの源流に入れたくないんだろうね。
この辺の感覚、近いと思うか遠いと思うか、の線引きが面白いと思うんだよな。
あるジャンルの歴史なんかを書いたりすると、一丁噛みしたくなる俺みたいのも出てくるからやっかいだよね。
どうして「なんでコレコレについて書かないんだ?」じゃなくて「これじゃ足りないから俺が書いてやる」にはならないのか?
いやあるよ、すでにすごい本が。これをご覧あれ。
されていて、笑ってしまった。
[とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」](http://blog.goope.jp/?eid=402)
アメリカで盛り上がるHIPHOP音楽の熱量に触れ、日本でHIPHOPをしようと動いた最初期のアーティストには、MAZZ&PMX、BUDDHA BRAND、Krush Posseなどが挙げられるんよ。
ラップ/HIPHOPの最・最初期のチャレンジャーとして名前すら上げてもらえないのは、何か理由があるんだろう。それが知りたいもんだ。
「いとうとか近田は単にファッションとしてとらえていただけ、そこに流れる精神を理解していたわけではない」という評価にしたいのだとしても、名前くらいあがっていてもいいんじゃないの?
日本には日本のラップがある、って言いたいようだが、本場でもがいてきたから本物、みたいな選別基準があるとしたら、自分が批判している為末と同じポジションになってしまう。
先週くらいの『ニッポン戦後サブカルチャー史』でいとうせいこうのラップを見て風間俊介が、「今とまったく同じですね」みたいなことを言ってたけど、
この人たちが最初に手をつけてたんで、
「ふーん」「そうなんだ」で済んでしまうことが、なんか許せない。
ただ、無視される人には無視される理由っていうものがあるんだよな、きっと。
好きでも嫌いでもない、むしろ嫌いな、藤原ヒロシやいとうせいこうのことで、こんなにムキになる自分もどうにかしているが。
【追記】
スネークマンショーについてはすでにトラックバックで指摘受けてます。この系統では小林克也の「うわさのカム・トゥ・ハワイ 」なんかもありましたね。
あと、近田春夫氏の"Hoo! Ei! Ho!"は、今日のダンス規制法解禁が議論されている折、もう一度見直されても良いものかと。それこそリスペクトすべきでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/Hoo!_Ei!_Ho! (Wikipedia)
【追記2】
いろいろヒントをもらったけど
「その一曲がアートフォームとしてHIPHOPであっても、自身が自身を B-BOY だと思ってるかどうかで分けてるのかなと。いとうせいこうは偉大だけど、多才過ぎて「色々やってるなかの一つ」感は否めなく。」
ただ、飽きたので辞めたと言っている近田春夫もそうだけど、当時はガチでやってた事実が現在に伝わっていないような気がするのは気の毒。
でも、彼らも藤原ヒロシも(さらに桑原茂一やヤン富田も入れとく?)も、多才過ぎて、ご本人たちは特に過去のことなんかこだわっていないんだろうな。
【おまけ】
10年も前に同じようなやりとり(?)があったことを今知った。
http://mimizun.com/log/2ch/hiphop/1073978976/
「ストリートにいた方が代表」とか「金持っている人に対するトゲ」とか、
「藤原ヒロシさんのことは悪く思ってないよ。 あの人だけは俺らの視線にまで降りてきてくれる人だったし。いいとこのボンボンだけどな。」とか、刺激的で面白い。