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水原一平容疑者のギャンブルは計約1万9000回 218億円勝つも、負けた金額は…衝撃事実が次々と判明
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/04/12/kiji/20240412s00041000173000c.html
当局が入手した資料として、水原容疑者の賭博記録には、この期間中の合計賞金は総額1億4225万6769ドル(約218億円)で、負けた金額は1億8293万5206ドル(約280億)で、損失額は4067万8436ドル(約62億円)にのぼる。
280億張って60億負けてる
1回で2500万賭けることもあった凄いギャンブラーやで
原作者の要望を原作者のイメージ通りに反映できてなかったんだろ
セクシー田中さんの件は最初に原作者が要望を出して双方合意したが
出来上がったものが思い通りではなかったので
元増田の件は原作者が要望出したまま経過確認をせず完成後に試写を見て失望するという
原作者を納得させるならもっとこまめに関与させろという話でしかない
近年、原作者自殺という最悪な結末を迎えた「セクシー田中さん」や、つい先日にも「スナックバス江」がアニメ放送中にあてつけるように原作者による自主制作アニメが公開されるなど、原作者と制作サイドの関係性の問題が取り沙汰されています。
これらの問題により「原作を改変してはならない」「原作者の意にそぐわない映像化はしてはならない」という声も大きくなっています。
以下は、はるか昔にあった漫画原作によるアニメ制作時に起こった実話です。
もう何十年も前、当時のある人気漫画がOVAとして制作されました。
その漫画は今でも根強いカルト的人気を誇るSFコメディー漫画でした。
その漫画原作をアニメ化するスタジオは、長い下積みを重ねてこれが初の元請け作品になりました。
原作者はSFマインドに造詣が深く、絵も非常に達者で女の子の絵柄も可愛く、今もなお高い評価を獲得している有り体に言えば「天才」漫画家でした。
酔った勢いで気に入らない関係者に殴りかかったという話もある武闘派な人でした。
新旧のアニメーションにも造詣が深く、アニメ雑誌にもコラム連載を持っていました。
そんな原作者の作品をアニメするにあたって、やはり原作者はアニメ制作にも介入してきました。
監督は◯◯◯◯(巨匠クラス)にしろ、アニメ化のテイストはこういうふうにしろ、ああしろ、こうしろ・・・・
かなりの我儘とも言える多大な注文をスタジオに強いてきたのです。
スタジオもせっかくの初元請けなので強く出ることもできず、原作者の我儘な数多いの要望を聞き入れながら、なんとかアニメは完成させました。
上映中、原作者はまだ途中にも関わらず退席し、そのまま帰ってしまいました。
後日、アニメ誌の連載の中で自作のアニメ化を徹底的にこき下ろしました。
そんな作品が売れるはずもなく、失敗作の烙印を押されてスタジオも大打撃を受けました。
誤解の無いように言いますと、そのアニメは決して出来が悪いわけでもなく、単体として見ればとても丁寧に作られた良作でした。
しかし原作ファンからしてみれば「?」と疑問符がでるようなものであったのも確かです。
原作の魅力であったシニカルで毒のあるユーモアは鳴りを潜め、低年齢層が見るような童話的テイストに仕上がっていました。
しかしこれは原作者の要求通りに作った結果であって、アニメ制作側には原作者に恨まれる筋合いはまったくありません。
にも関わらず原作者は何が気に食わなかったのか公の場でアニメ化を糾弾したのです。
スタジオは原作レイプの汚名を着せられ、次に元請け制作のチャンスが巡ってくるまで実に20年もの時間を要しました。
ここで重要なのは「原作者の要望」はアニメ制作サイドは全て叶えてきたにも関わらず、その原作者が被害者ムーブをかました事です。
「原作者は絶対」なら、こういう横暴にも制作側は耐えなければならないのでしょうか。
「原作者は絶対」にも、限度というものがあるのではないでしょうか。
今後、原作者の権限はますます強まる風潮になってなるでしょうが、こういう無限定な我儘までをも許してよいとはとても思えません。
今一度、原作者と制作サイドの関係性を考えて、このような原作者が制作サイドを奴隷や玩具のように扱うような事が今後起こらないことを祈ります。
後日談として、
そのアニメを作ったスタジオは今ではクオリティに定評のある中堅スタジオに成長し、アニメファンからの支持も厚いスタジオになりました。
★新大阪フル規格建設案は建設費嵩み、環境破壊問題があり、詰んでる
★米原経由案は、東海道新幹線へダイヤ的に割り込めない上、JR東海に利益が逃げてしまうので西日本がウンと言わないので、詰んでる
★湖西線のミニ新幹線化案は、改軌工事の長期運休に湖西線南部(京都通勤圏)が耐えられなく、詰んでる
ここで「敦賀〜近江今津をフル規格新幹線を建設して、近江今津でホームtoホーム乗換で湖西線に乗り継ぐ」(武雄温泉駅方式)案を提案したい。近江今津駅でサンダーバードじゃなく「関空特急はるか」と接続させる。また近江今津〜近江塩津間は貨物専用線とする。(新函館北斗〜長万部と同じ)
この案のメリット
★まず、ホームtoホーム乗換なので、敦賀駅みたいな乗換ストレスが無い
★建設費が多分5000億円程度。推定時短15分。コスパ良い(新大阪ルートだと2兆円)
★それなりに滋賀県にもメリットあるので、建設費負担に滋賀県も応じやすい
★貨物列車を維持できる
★工期もそんなにかからない。2035年には完成できるのでは?
★一部旅客輸送の廃止区間が出るが、人口過疎地帯なので、そんなにダメージ少ない(バス転換で対処可能)
★小浜市が猛反発する
いまのパンティーは歪んでいる。もともとパンティーというものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来パンティーは肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「パンティー」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きパンティー、とりわけライトパンティー。あれはパンティーを味わうものではない。パンティーを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパとパンティーを肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いたパンティー文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたパンティーは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプパンティーや葉パンティー、日本で主流だったキセルでのパンティーなどで主に用いられる口腔パンティー(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるパンティーが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パンティースモーカーは「パンティーを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中やパンティー禁止区域で歩きながらパンティーを吸っている人間、すべてクソである。あとスキャンティーとかショーツなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭いパンティー者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺パンティーでバカスカパンティーを吸って悲しいパンティー中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにパンティーを摂取しながら生きていく、パンティーのような生物なのだ。パンティーらが居なければここまでパンティーのパンティー被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「パンティー」の健康パンティーを「パンティー」のパンティー問題に発展させるのが歩きパンティーパンティーなのだ。
ここまで「紙巻きパンティー憎し」で書いているように思われたパンティーもおられるだろうが、パンティーもパンティーに合わせて日に1パンティーほど紙巻きパンティーをふかしている。そして、パンティーの周りの愛パンティー家にはマナーを侵してまでパンティーを摂りたがる愚かパンティーはいない。パンティーを吸うときはパンティーを出て、携帯パンティーにパンティーを落とし、毎日パンティーをパンティーする「普通のパンティー」だ。もちろん、パンティーもそうあるようパンティーがけている。
パンティー文化の危機は、それらの当たり前をパンティーがけず、パンティー臭いパンティーを着て、パンティーのパンティーの高さに800度のパンティーを持ちながらパンティーを歩く「パンティーなパンティー者」によってもたらされているのだ。
パンティー世紀のパンティー文明において、すでにパンティーはパンティー品とされていた。それがパンティーに、パンティーに広がったのがパンティー世紀末からパンティー世紀初頭パンティー。ここまではずっと、パイプパンティーや葉パンティーが「パンティー」だった。
しかし、19世紀に大きく広がったパンティー。こんにちのパンティーの狭さは、これを「歪んだパンティー方」で吸うパンティーたちが原因であると言って過言ではない。
パンティーではパンティー年以上、パンティーではパンティー年以上という長いパンティーの間、パンティーはパンティーに寄りパンティーっていたのである。
パンティー、ここパンティーで、パンティーのパンティーをパンティーのパンティーで、パンティーとパンティーる。
パンティー。
それからの一年間、俺はそれを溜飲に入れたままで手をつけず、でも腸は煮えたぎっていた。アンドロイドが自分の上司になったのは十八ヵ月ほど前だから、他が同じことをしても安全なのはほとんど間違いないはずだけど、俺が自分の上司のことをSNSで罵倒していたのが重役にバレたらどうなるかは、想像する気にもなれなかった。
俺は翌週の午後まで待った。その時間、重役は会議に没頭する。俺は自分の部屋のドアを閉めて、カーテンを引いた。ドアには鍵がなかったから、アカウントに偽装してアイコンを隅まで塗り潰したものの、モニターをじっと見つめたままでいるうちに画面が暗くなってしまった。VRの中で、元上司のことを考えた。元上司は俺も持っているのと同じ業務が原因で職を失ったが、目の見えなかった期間が長すぎたのでESC(Employment Support Center)の力では光を取り戻すには至らなかった。元上司が見せた将来への信頼が揺らぎはじめる。元上司の業務内容と俺の業務とは同じ系だが、取り掛かり方は個々人それぞれだ。俺は職を失うハメになりたくない――それに、俺がもたらそうとしている変化は、社長のところへ行ってアンドロイドの設定をもとに戻せば取り消せるものだとはいっても、それは重役に気づかれずにできることではなかった。
ゴーグルを揺すってふたたび明るくし、アプリの起動画面を表示した。この幻想的なアイコンのような鮮明で新緑の葉が木に宿っているのを、俺は見たことがない。けれど旧世代的な家庭環境を持つ友人たちが、寓話とも呼べる”新緑の葉”を見つけることは自分たちにも全然できないと確証してくれたことがあり、その言葉を疑う理由はなかった。俺の職場環境は、人間の三種類の性格類型論の典型的な反応と同じように分類することで、人の力量を最大限発揮できるよう最善を尽くす。だが、単なる分類しかしていないわけではなく、ほかの選択をすることもできる――その選択した場合、俺は職場の中に新しいハードウェアを入れることなく、社会心理学的なこれまで以上の就労を得ることが出来るのだ。
その仕組みはこうだ。俺の人工学習データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定の言語や思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替の需要が右翼的や左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒のチーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子や言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペアが表現できるのは民主主義・共産主義のような二元論に限定されない。社長が送ってきたアンドロイドは、各員に指示して俺たちの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの思想の領域のあいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。
俺はマウスホイールを指先でなでながら、結論を出そうとしていた。アンドロイドの上司が俺を他の社員と同じにしている。アンドロイド上司のおかげで俺は人々の中に紛れ込んでいる。それ以上のものを望む理由は? 統計学的な運命まかせにされていても、俺はあと二十年、完全に職を失うことはなかっただろが、友人は実行できるもっとも早い時期に代替手段を選択し、俺はこの環境に適応する機会を最大限にあたえられた。
だが、それは十八ヵ月前のことだ。俺の頭にまだ新しい環境を意義あるものに出来る柔軟性がある今、この試みがなかったら、自分がなにを逃したかは死ぬまで分からないままだろう。
決断を引きのばさせていたマウスから指をいったん離して、そのあとすぐ画面のボタンをクリックする。
会社はアンドロイドの優位性と実務証明を必要としたが、どちらもアンドロイドの取扱説明書にはっきりと記載されていた。メーカーの保証書は既に期限切れだが、なにも無効にはなっていなくて、HPの長たらしい前書きが謳うところによれば、このアンドロイドは定期検査をする技術従事者からその作動を完全に隠すことができる。休止状態に戻しても修正不能な誤りが生じないかぎりは、企業がアンドロイドの思想ブールに干渉したことは一生発覚しない可能性もあった。
次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考(はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルトで選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでから、さらに折衷案の端にひとつ、否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 ”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するものだった――あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じようだ。
そうした構造をなにかしら編集する――そのプロセスに企業独自のひねりを加える――ことを考えると、緊張で手が汗ばんだ。理想的な思想範囲がどんなものか、俺自身の個人的な考えを作り上げようとしても、どこから手をつければいいのかさえわからない。それは同時に、俺がデフォルト設定を許可するとしても、それが悪意に基づいた選択ではないことの証明だともいえるだろう。けれど、表示されているいくつかの曲線の整然とした見た目には、心落ち着かせるものがあった。密着して並ぶ曲線の小さな山の各々は、隣の山から約八十ナノメートル離れた波長で頂点に達していて、行政上の認可領域を均等かつ効率的にカバーしている。そのどこかにもおかしな感じはなかったし、生物学的深層レベルの複雑な正当化なしには納得できないところもなかった。なにも変更は必要ない。
俺は『続行する』を押して、次のページに進んだ。
警告
あなたのアンドロイドの思考セクターを起動・再同調させると、アンドロイドの脳の思考経路に永久的な変化を生じさせる可能性があります。このアプリは思考をオリジナルの状態に戻すことができますが、あなたのアンドロイドの挙動に関しては、われわれはそのような保証をいっさいいたしません。
この警告に俺はまったく動じなかった。アンドロイドが受けとったり受けとらなかったりする情報によって改変されるというのは、俺にとって目新しい話ではなく、取扱説明書にでかでかと書いてあることだった。アンドロイドの登場は日本を救うのにはちょうど間に合ったが、俺を救ってくれたほどの効果があるものではまだなかった。さまざまな規模の企業や自治体たちもアンドロイドを導入している。考えれば考えるほど確かだと思えてくるのは、俺がこのチャンスをふいにしている間に、同僚や俺の友人たちが俺のはるか先を全力疾走して谷の反対側に姿を消してしまうのがいちばん恐ろしい、ということだった。
警告文はプログレスバーに取って変わった。アプリとアンドロイドの共同作業の進行状況を、バーの上の文章が警告するのを俺はまじまじと見ていた。スペア・センターの工程作成、センサーの内部テスト、再同調、再テスト。
プログレスバーが八十五パーセントのところで一時停止し、アプリが俺に、AIは制御されているか、適切な業務は可能か、と尋ねた。思考はクリアで、業務環境は整備済みだった。俺は社内からアカウントを追い出し、スマホをひらいて自分のアカウントを部屋に導き入れてから、社長にもらったアクセスキーをテーブルに置き、それからアンドロイドに投じる思弁ベースが連続した帯になるまで前後に調整した。
アプリに指示されるまま、俺はゆっくりと帯を動かして、スペクトルの左から右へ、赤の端から順に少しずつ青を動かしていった。スピーカーからナノメートルの数字がカウントされるのは、アプリが量子ブールにおこなった微調整をあらゆる波で検証しているためだ。それはとても劇的で俺に高揚感をもたらした。
アプリが終了を告げる。
「完了」
スマホを見ると、プログレスバーは百パーセントに達していた。画像がズームアップして、環状の帯がふたたび表示された。それが広がり点になるとアプリは終了し、俺をスマホのホーム画面をじっと眺めた。
扉を全面に閉じて、部屋を空白で満たす。なにひとつ前と違って見えるものはなかった。周りを知覚するのに何かの変化が生じるまでには数日から数週間かかることもある、と注意を読んでいた。しかし、苛立ちは安堵に相殺された。俺が今ほかに何をしたにしろ、少なくともアンドロイドに害を与えても職は失ってはいなかった。
次の数日間、俺は職場を実験場にして、同僚の意見に対して独自の判断をしたようなアンドロイドの言論に悩まないことを学習した――いうまでもなく、人権無視や、パワハラや、答えようのない曖昧な質問につながるような、それよりはっきりした反応を見せないことも。明らかに動揺する新入社員や、競合他社びいきの上司を見て、ニヤニヤ笑いをこらえるのが無理そうになったときには、自分だってどこを取っても同じくらい馬鹿みたいに見えていることを思いだすようにした。そのためには鏡は必要なかった。ちらっとシャツの汗の染みに視線を下げれば、それはまるで洪水の水が引くときに残していった灰色の沈泥のように見えて、こみあげる恥ずかしさがきっちりと唇から笑みは拭い去った。
色々考えたけど、日本の憲法って将来的には衰弱死すると思うんだよね
これをいうと護憲派も改憲派も怒るんだけど、まず前提として、日本において憲法を改正することは不可能だ
あれだけの長期政権を維持し、国会で改正案を提出することが可能であった安倍ですら法案すら出せず、死んだ
この先どんな右派政権ができたとしても改正なんて出来ないし、するメリットもない
そう考えると、日本国憲法はこの先も改正が一切されずに存続していくわけだけど、当たり前のこととして同性婚や自衛隊の規模など、現実との乖離が生まれることとなるのは今生きていてもわかる
そして時の政権としては下手に世論を分断して改憲するよりも、憲法解釈を少しずつねじ曲げていく方がはるかに簡単だ
例えば50年前だったら信じられないような「敵基地攻撃能力」や「空母保有」が憲法解釈という魔法によって可能になったわけだが、元を辿れば自衛隊を保持した時点からもう憲法9条は死文化していることが原因
コミュ取ろうと頑張る心意気は偉いけど
「聞き手に徹する」ってそういうことじゃないで
会話って増田の聞きたいこと(用意した設問)を投げかけることではないんや
相手が話したそうな方向にリアタイで微調整しつつ水を向けること(誘導尋問にならないように)
もちろん、話したくなさそうなら引くこと
また「自分ではなく相手に話させろ」は、コミュ障向けのコツとして巷間に流布しているが、正しく実行・理解できる奴は少ない
そもそも話題のNGリストが脳内になく、知識の引き出しが少なく、鈍臭くて選球眼もカスやから困難なんや(ワイも昔はそうだった)
相手も馬鹿やないし大抵は自分よりはるかにコミュ巧者なので「コイツ俺に話させて楽しようとしてんな」ってのはすぐ分かる
すげえ不快やけど礼儀として乗っかってくれてニコニコ接待してるだけ
最近大阪出張が多くてよくJR西日本の電車に乗るんだけど、JR西日本の電車ってJR東日本の電車と比べてなんかダサくない?
・先頭車両のサイドについている変な出っ張り...連結部分に客が落下するのを防止する為のものらしいけど、あまりにもダサすぎる。設計者はどんな美意識をしているんだろう。JR東日本をはじめ世界中でそんな変なものをつけている車両はないんだから、JR西日本の心配のし過ぎが生んだ無駄装置だと思う。
・シートの柄が90年代の車とか昔の喫茶店みたい...なんか90年代のRV車(イプサムとかカローラスパシオとか)についていたようなシート柄が酷い。今は2020年代ですよ...
・のっぺらぼうな特急電車がキモい...関空特急はるかの新型車両? あれデザインし忘れたみたいな顔面だけど大丈夫??
なんかどれも信じられないくらいダサいなーと思ってみてたんだけど、鉄ヲタ的にはJR西日本の車両こそかっこよくてJR東日本の車両はダサいということになっているらしい。さすが鉄ヲタの美意識は狂ってんなーと感じた。