はてなキーワード: DNAとは
呪術ってアフリカではまだ一般的みたいですねってのは置いといて
俺は正直、んなもんに振り回されてた大昔の人アホだなくらいにしか思ってなかったんですよ
けど、シロクマ先生のついさっきのエントリーを読んで呪術って実は合理的なもんなんだなと納得してしまいました
人間の内面ってDNAのレベルで呪詛を唱え続けてるんだなと実感しますよね
人間界にはそれが人を滅ぼさないように正しく導く装置が絶対必要なんですよ
それが大昔は呪術だったってわけ
何か悪いことがあると人は誰かのせいにしたがる
何かのせいにしたがる
それは共同体にとって脅威ですよ
悪いことは生贄を捧げればいいんだから
それが効果がないと人と発展したのは不幸だけど
共同体を崩壊に追い込むような争い諍いを避けられるという点においては大切なシステムだった
そういうことでしょ
男女格差の是正によって男に付与されていた金銭的価値と社会的地位は失われ、子宮という価値を保たない我々はただ筋肉質なだけの無価値な木偶の坊と化した
男が毎日その金玉で製造する性欲は忌み嫌われ、セクハラという防御壁に阻まれ行き場を失った
性欲は本来向くはずだった女性の元を離れ、第二の現実と規定した創作物に安住の地を求めた
だがそれは理想郷ではなく、監視と管理の行き届く檻でなくてはならず、逸脱したものには容赦のない制裁が加えられた
檻の容積は徐々に狭まり、今ではもう檻そのものを内容物ごと焼却しようとする勢力が強い
これ以上俺から何を奪おうというのか
子孫を残せなければ俺のDNAは滅ぶだろう
それが望む結末なのか
それほど俺が憎いのか
俺がいったい何をしたんだ
男に生まれたのが悪かったのか
性器を切除すれば生きていて良いのか
性器を切除しなければいけないのか
性欲とはそうまでして抑えなくてはならない原罪なのか
数字的に見ても35歳以上の高齢出産になると、発達障害など先天性異常の発症率が高くなるのは事実です。
母親の出産年齢が高いほど発達障害の発生頻度が増加するという研究データがあります。
発達障害の発生する確率は、25歳で1/1200、30歳で1/880、35歳で1/290、40歳で1/100、45歳で1/46という高齢出産で高くなる傾向がみえます。
またこのダウン症の方は染色体に問題があるために、現在のところ治療法や治療薬そして予防方法などはありません。
最近では出生前の妊娠初期に病院で、胎児の染色体を調べる事が出来る新型出生前診断が約20万円で出来るという方法が話題となりました。
以前は母親の腹部に針を差し込む事で羊水を採取するという方法がありましたが、これは0.5%の確率で流産の危険があったため、この新型診断は非常に安全な方法なのです。
しかし、これは”生まれる前に人の命をふるいにかけるのと同じ”という意見もあり非常に難しい問題のようです。
発達障害は高齢出産だからといって女性側だけが原因とは限らない
男性は日々精子に自分のDNAをコピーしながら作り続けています。
この事が原因だそうで、毎日毎日コピーをし続ければその中で突然変異が生じる可能性があるという研究結果があります。
発達障害の発生する確率は、男性側の年齢が15〜29歳 1.5倍 、30歳 1.5倍 、40歳 5倍以上 、50歳 8倍以上という結果でした。
まだまだ検査対象となった父親の数が少ないので結論付けとはなりませんが、男性が高齢だと発達障害の発生率も上がるのは間違いないでしょう。
他にも双極性障害の確率も父親の年齢(55歳以上になると特に大きい)によって影響が出てくる事も発表されています。
高齢出産だからと女性側だけが原因ととらえがちですが、そうではないことも理解しなければいけません。
こういう奴でも親との血の繋がりは大切にしてて興味深い
血の繋がりなんてただのDNA的なアレなのに、何がそこまで結びつけられるんだろうか
また休みも週末も関係なく、思いつけば会議を招集してくる。その結果、家族を大事に思う幹部たちが社を去っていったという。
社員を交えた質疑応答のイベントで、一人の女性社員がベゾス氏に対し職場環境に関して質問。「Amazonがよりよいワーク・ライフ・バランスをいつ実現するつもりか」と尋ねた。ベゾス氏はこの質問を好意的には受け取らなかったようで「われわれは仕事をするためにここにいる。それが最重要事項だ。それがAmazonのDNAだ。もし君が君のすべてを仕事に投入できないというのなら、この職場は君に向いていないのかもしれない」と厳しい口調で答えたという。
また相当の倹約家で、重役でさえ飛行機はエコノミークラス。また社員全員にバスの定期を配ろうという提案を却下したことがある。バス通勤にすると、バスの最終便に間に合うよう仕事を切り上げる社員が増える。ベゾス氏は、社員に対し、バスの時間を気にせずに勤務してもらいたいと考えているようだ。
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
で、人間の細胞も新陳代謝によって入れ替わっていくわけですよ。
細胞の寿命は1〜6年らしいので、7年もすれば全身の細胞が入れ替わることになる。
追記
「同じ」の定義って何よ。
それも含めて考えてみよう、的な。
社会的には同一人物であることは証明できるだろう。戸籍謄本とか免許証とか。
→背乗りなんてこともある
https://anond.hatelabo.jp/20170712073958
ここでも言われてるが道理が通ろうがなんだろうが「死んで償う」という発想がでるのは
お家のため、殿のため、一族のため、であるならばいかなる非合法的な手段も取るし判断もする
豪族が出来て
天皇が出来て
武家が出来て
幕府が出来て
戦国が出来て
徳川が治めて
鎖国して
尊王攘夷をして
明治政府が出来て
太平洋戦争して
負けて
バブルがはじけて
既得権益だけ残り
潰れ保護され
外資が買い取り
またロジカルシンキングが輸入されて
競合はそれを遅まきながらマネし
おかげで景気が回復し始めてる
外敵のいない政治は
未だに儒教で回ってる
いや、1度だけあった
今では朝日が扇動したからだとか陸軍が悪いとか言ってごまかすが
なんてことはない
これを客観的に受け入れないことには
もうね
全部儒教のせいなんですよ
「年功序列」
これ立派な宗教ですよ
実際に行動することはない
主役になる気はゼロで
これ全部DNAのせいですよ
この滅私奉公の精神とGHQが輸入したシステムとバブルが絶妙にマッチした成果が
これこそが儒教の真の姿ですよ
日本人はみんな管理されたい欲求と奴隷根性がその血に刻み込まれてる
「仕組み」よりも「真か否か」よりも「誰が言ったか」の方だ大事で
あなたの人生の主役は天皇でもなければお上でもないし世間でもないし将軍や会社でもない
というと、途端に不安になって何かに縋りたくなるのがDNAのせいなんだよな
みんなこう考える
日本人はみんな蟻です
このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクとフェミニストのラグナロクは永遠につづくかのようにおもえる。
これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれるものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数が不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである。
毎日がソンムの戦いだ。
オタクとフェミニストはそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?
フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタクを宮崎勤と池田小のやつとエド・ゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。
オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニストを権力によって表現の自由を、人間の尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。
彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。
1950年代にPTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。
暴力的な表現、子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画や手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。
これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派のファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。
なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事を記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。
悪書追放のやり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化の立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨な迫害を忘れなかった。
彼らはそのときの体験をエッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガのネタに織り込んだ。
そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和にマンガを享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶を継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガや表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。
悪書追放運動の記憶の継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。
そういうわけで、マンガの守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。
さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカがWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。
だがオタクたちはずっと敵は「既存の道徳にしばりつけられた保守的で道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーであると叫び続けている。
「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性と男性社会そのものを憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態の様相を呈していて、
そうなったときにクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。
しかしオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。
日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアやサブカルチャーにおける性的(エロという意味に限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。
ふた昔前はテレビで女性がおっぱいをエロティックに晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、
そこまで過激なものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。
それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写、ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。
そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。
男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性のメンヘラでは?
少女たちはテレビやマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?
一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?
刃のついた表現が現実に存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。
何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?
私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。
傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。
そういう意味では、オタクが表現規制運動の歴史を語りつぐことと少し似ている。
フェミニストの場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別の問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義の統一がはかれていないことだ。
これは攻める側の弱さでもある。
守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。
だが、フェミニスト側は具体的に個別の問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合、もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的な表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。
そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。
彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。
オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」
フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力を肯定しつづけるレイピストクソ野郎」
ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。
もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。
いやーあなたは優秀かもしれないけど、ほとんどの人はそんなところまで話を持っていかれたら
元の話との関連を見いだせないんですよ。
お客:進捗遅れの原因はなんですか?
お客:...
https://anond.hatelabo.jp/20170706214018
親に心底ウンザリしており、物理的にも精神的にも独立したいという前提で話をする(単なる反抗期や受験ストレスかもしれない可能性はとりあえず棚にあげる)。
まず、誰が見ても自分が悪い、というのは間違い。物理法則でもないかぎり、正しさは自明ではない。それは家庭内でドメスティックに流通する価値観に過ぎない。世の中の価値観は本当に多彩なので(世界の宗教や文化を漁ってみるとよい)、何が正しいかなんてはっきり確定することはできない。今感じている価値観に迎合するかどうかは、あなたに選択の余地がある。たとえば「子供は親に似る」というのは、「ただし親の価値観を無批判に受け入れた場合には」という条件付きである。
何が正しいかどうかや、精神論なんて、人それぞれの事情に左右される。にもかかわらず、事情を知らない人が、心無いアドバイスを投げてくることはこの先本当によくあることなので、いちいち間に受けないほうがよい。道徳は、一般的な事情ではこうしなさいと言っているに過ぎないので、特殊な状況では、道徳はむしろ邪魔になる。
いつ独立すべきかという問題について、高校生で一人暮らしというのは非行少年でもなければ流石に聞いたことがない。残念ながら現実的ではないので、検討するだけ無駄だろう(寮はよくわからない)。よって高校で親元を離れることはできずツラい可能性があるが、全てを諦める必要はなく顔を合わせる機会を減らすといった工夫の余地がある(たとえば勉強を理由にして頻繁に外出したり、時間のかかる部活をしたり)。やはり大学が大きな転機になるから、そこで綺麗に独立を成功させるためにはどうすればよいのか、と考えるのがよさそう。高校が決まったあとにでも、じっくり作戦を考えてみるとよい。
DNAがどうこうとか、本当に吐き気がするのでやめてほしい。全部遺伝とか血で説明する各位に聞きたいんですが、両親が前科者だったら犯罪者のDNAが入っているからもう終わりなんでしょうか。もちろん、遺伝に性格が影響される要素も部分的にはあるが、経験的に、また様々な科学的事実から、自分の力で選び取れる余地がとても大きいことがわかる。
親からの脱出は孤独な作戦で、一般的に、親は敬うものだとされているので共感されにくい。これは仕方がない(毒親コミュニティみたいなのもネットにはあるが、傷を舐め合っているだけで、あまり建設的でない印象がある)。脱出は大変であるけれど、いくら理不尽でも、どうせ、自分の人生の責任は、自分でとるしかない。私の場合は、やっぱり脱出してよかったと思う。