はてなキーワード: 転勤族とは
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
奥さんは「働きたくないでござる!」って人の方が都合がいいのでは?
そう思うよ?
逆にたまにいるけど、ハイキャリアな男がハイキャリアな女と結婚するのはすっげえアホだと思う
で、妻に働いてほしくない男が働きたくない女と結婚すると何で妻が「寄生虫」になるの?
お互いがお互いを利用しているだけなのに。
はあ?
話の流れや誰が誰かは把握しようぜ
奥さんは「働きたくないでござる!」って人の方が都合がいいのでは?
「私は本当は働きたいけどあなたの為に仕事を辞めさせられたのよ」とずっと夫を怨み続ける女とか、
「仕事辞めたくないから別居婚ね」と言い出す女の方が嫌だ、という男は普通に多いだろ。
で、妻に働いてほしくない男が働きたくない女と結婚すると何で妻が「寄生虫」になるの?
お互いがお互いを利用しているだけなのに。
政治宗教系等は、現代日本だとそこに拘ってる人は特殊であってなかなか普通の人とは相容れないだろうという自覚があるだろうし
ブコメで言われまくってる子供産むか産まないか問題も、大多数が「結婚したら産むのは当然」と思ってるのが現実だから
それ以外も多数派VS少数派な構図になる場合、少数派は自分が少数派だと打ち明ける際は
元増田のように何も深い事を考えず特別な意図もなく言う、という事はないだろうし
彼の方が少数派だった場合も、元増田は「彼に特殊な事情があって結婚できなかった」と言う認識になりそう。
となると、恐らくどちらもこの現代日本社会においてはごく普通とされる考え方で、どちらが多数派でどちらが少数派という類の話ではないが
でもお互いそこは絶対に譲れないという話、となる。
よくある話だと、「『普通に』一生働き続けたい元増田」VS「転勤族だし別居婚は嫌だから妻には『普通に』専業主婦になって貰ってついてきて貰うつもりの彼」とかだろうか。
当方、生まれも育ちも福岡県で、現在東京住みの20代後半男性です。
最近の調査では「市民のプライドが最も高い都市」堂々の一位だった福岡市。
http://www.murc.jp/publicity/press_release/press_170614.pdf
福岡県出身者の多く、特に福岡市内かそれに近い出身者に限って、「福岡って素晴らしい」的なマンセーをよく耳にします。
福岡移住を促すイベントが盛んに東京で催され、ベンチャー界隈でも「今、盛り上がっている」等ネットでも見かけますが、盲目的に信じて福岡に移住して欲しくないです。そんなに給与高い就職先も多く無いだろ。
北九州や筑豊等、比較的福岡市から距離が有る地域の傾向は少し違うかもしれませんが、上京して数年経った今、私がいざ福岡に帰省した時に感じる、福岡の嫌いな所を挙げます。(ほんの一例)
アンケート結果の裏を返せばこういうことです。実家に住む両親や、九州を出たことが無い、地元の人間によく見られる傾向。私に対しては、「東京とか長く住まんで、はよ帰ってこんね」「仕事とか、こっちで探せば良かろうもん」など、無責任な口でUターンを促してきますが、その背景からは「福岡が住みやすいんだから、帰って来れば良いのに」という無言の同調圧力が有る。こっちとしては東京が楽しくて仕方が無いのに、帰省する度に言われるから嫌気が差す。押し付けがましい。あと、中学や高校の仲間に自分の近況が知られたら、出回るスピードが早い。マイルドヤンキーとは言わないけど、普通に地元で働いてる友人の言動こそ面倒。
似ている傾向として、福岡に転勤して来た人間に「福岡のご飯美味しいやろ?」「福岡ってアクセスも良いし住みやすかろ?」等、これも同調掛けてると思うが、転勤族からしたら、きっとそういう態度取るお前らが一番押し付けがましくてウザいから!変な一体感持っちゃってて、内弁慶だから余計腹が立つ。
住んでいた頃は何とも思って無かったけど、東京に住み始めてから強く思うようになった。例えば、西鉄天神大牟田線で天神から太宰府あたりに行こうとするなら、往復800円近くになる。新宿〜調布間の往復だったら同じくらいの距離で往復500円だわ。絶対値段高いわ。だから福岡で使うのは「天神〜博多」の100円バスくらいで、他はあんまり良い気持ちしていない。あとはバスが多過ぎて市内はよく渋滞になってる。例えば初めて福岡に訪れた方は、どのバスに乗ったら良いか分からないなど、問題多いと思ってる。とりあえず西鉄は不動産でも儲かってるだろうが!鉄道やバスの部門をスリム化して、料金も下げて、物流部門とか、別の部署にお金入れて強化してやれよ。
散々言われてる。まず、歩きタバコ。良くない。あと、タクシー並びに一般人の運転が荒い、特に言いたいのは「ベンチャー支援に力入れるくらいなら、福岡市でさっさとUber導入してください。」っていう話。
http://jp.techcrunch.com/2015/02/05/everyonesuber-fukuoka/
これどうなったんだよ!国交省の反発食らっても、頑張って導入して、マナーが悪くて料金が高いタクシーを一掃してくれよ!
これ、子供と一緒に移住するなら真剣に考えた方が良い話。私は以前から問題だと思っていることで、公立高校が学区制のため、学区の中からしか公立校の受験校を選べない。例えば、筑紫丘高校は「第五学区」の地域に当たるため、中央区や早良区や西区の子は受験すら出来ない。逆に、偏差値が一番高いとされる修猷館高校には「第五学区」の生徒は受験が出来ない。トップ校が存在する学区はまだマシな方で、悲惨なのは子供が優秀でもハイレベルな高校が無いから通わせられないパターン。お金無かったらハイレベルな私立にも通わせられない。
※福岡は私立高校より、公立高校の方が全体的に偏差値が高く、御三家は「修猷館高校」「福岡高校」「筑紫丘高校」とされているらしい。
http://fukuto.jp/info/public/system/gakku.php?
この学区制に対しての、福岡県教育庁 企画調整課からの回答はこちら。
http://kvoice.pref.fukuoka.lg.jp/voices/detail/id:898
って、それは供給者の都合を押し付けてるだけだろ。競争ってのは、消費者側ではなく、供給者同士のことを言うんだよ。特色有る高校作りをせず、学区に甘えてるだけだろ!他の県では学区制廃止している県も増えているのに、怠慢だろマジで!
「制服で高校を選ぶ」とか「いじめっ子の中学の奴らとはもう会いたくない」などの場合、私立高校を選ぶか、必死に勉強してそいつらとは違う偏差値の高校に通うしか無い。でも学区が一緒だから電車が同じだとか、同じ高校に同じ中学出身者が絶対に存在してくる。(同様に近況がすぐに地元の人間に知れ渡る)
一旦はこのくらいにしておこう。
福岡はぬるま湯過ぎる。福岡に住むのは中学か高校までで良い。福岡の学生達は、「親が安心するから」「皆が目指しているから」って理由で九州大学とか目指さず、大学からさっさと九州を脱出して、外の世界を観るべきだと思う。遅くても就職のタイミングで。じゃないと福岡大好きで外の世界知らない同調圧力の強い大人になっちゃう。子供や外に出た人からすると良い迷惑だわ。あと、福岡住みの女性も、ずっと福岡に住んでる男としか恋愛した経験無いのは損してると思う。女余りの都市とは言え、外出て付き合ってみるとか、転勤族と付き合ってみて、福岡以外の男も知っておく方が良いと思う。
http://toyokeizai.net/articles/-/129445
http://girlschannel.net/topics/247675/
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/04/04/133016
福岡は確かに良いところも有るけど、変えてもらいたい「マンセー」な部分は沢山有りますから。
「タクシーの客が『昨日の野球は……』と言えば、言うまでもなく地元球団のことを指している」
というような地方に住んでいる。
自分も順当にこの地元球団のファンだが、勝ってくれればうれしい程度で、そこまで熱くはない。
そんな自分からすると、ここは他球団のファンには相当居心地悪い場所だろうなと感じる。
東京とは比較にならないが、NPBの球団があるくらいだから一応都市だ。
他球団のファンもいるし、転勤族もいる。だが彼らに対する配慮はなきに等しい。
中年オヤジだけではない。TVも新聞も、他球団のファンなどいないもののように扱っている。
おそらく住民の過半数は、程度の差はあれ地元ファンだから、売り上げだけ考えてもたぶんそうなる。
野球に限らず万事がそうで、この先もよそ者にとって居心地の悪い街であり続けるしかないのだろう。
一部の人の事をあげつらって、十把一絡げに京都人の人格を決めつけるような煽りはしない方が良いと思いますよ。
全員のことじゃない、一部の人の話だって言い訳はあるでしょうが、このエントリのはてブを御覧ください。
京都は土人だの偏見が見られます。偏見を煽るのはやめましょう。
>7割8割の方に当てはまっている
ちょと信じられない話ですね。筆者が関わる大半の京都人が「自分の出身地、両親の出身地、住んでいる場所、血筋、職業」で日々差別をしているのでしょうか。
ちなみに、私もあなたと同じ伏見に30年近く住んでおり、仕事柄かなりの人数と関わりがありますが、そういった方を見かけたこと殆どございません。
>彼らにとってに京都市内とは「上京区・下京区・中京区」次点で「左京区・右京区・北区」
「彼ら」以外の人々が住む地域の人口は、「彼ら」の地域のそれを上回っております。
それに、「彼ら」が済む地域には多くの学生、転勤族が住んでいるため、実数は更に少ないのでは無いでしょうか。
筆者と関わりのある京都人7~8割の人間の発言で、こういった実態を把握せず、京都全体への偏見につながるような煽りをするのは、改めてやめたほうが良いでしょう。
>また、全く意識せず源氏名が左右対称になっていたのですがこれも失敗でした。遠回しにアジア系の人間なのかと聞かれます。
どのようなお仕事されているかはわかりませんが、祇園の客層やその年齢層を考えると、このような2chの一部でなされる会話がリアルでもあるかというと眉唾ものです。
わりと気楽に話せてたんだけどな。
「SNS系(LINE、FB)はのっとりにあったことがあるから使うのやめた」「彼ともメールばかり」だそうな。
連絡を取ることを完全に断たれたかたちだよな、これ。
話の流れで「彼氏が転勤族」と聞かされ、愕然としたがどうにか冷静なふりをして「今はどこに住んでるの?」とか聞きながら会話終了。
「あんたは恋愛対象じゃない、彼氏いるし近寄らないでね」という典型じゃないか。
これまでも色々な話をできていた(家族、学生時代、仕事、旅行の話、など)ので、すっかり勘違いしていたが、彼氏がいる余裕からくるものだったんだとはじめて知った。
自分より随分若い人だが、自分よりも上手な人だったんだ…悔しい、悲しい。
連絡手段は断たれたが、彼女に会うことができる可能性は残されている。
もう既に十分すぎるほど好意は伝わってしまっただろうから、当分は会っても挨拶と若干の世間話程度しかできない。
(場合によってはそれすらもできない)
ところで略奪愛というか彼氏持ちの女性を落とす方法みたいなのがよく書かれているが、確かに理論上は長期戦で挑めば実現しそうだが、実際本当にそんなことを実現した男というのは存在するのかね?
いたとしても相当なマイノリティだよな?
「当初彼氏がいたが、アプローチしてきた別の男性が今の夫です!」なんていう女性が果たしてどれほどいるの?
そしていずれにしても俺のこの恋は終わったな…心が痛い。