『令和もいよいよ終りを迎え……』
その男は、隣の部屋が大音量で流してくる報道番組の音を薄い壁越しに聞いていた。
この時間は彼の人生において最も想像力と多様性に満ちており、彼にとっては睡眠・労働に並ぶ三大娯楽の1つであった。
「いかなければ」
彼はそそくさと服を脱ぎ、仕事場へ向かう。
ドアノブをひねり、便座に座り、備え付けのチューブを咥え目隠しをつける。
目隠しから伸びたイヤホンが自動的に耳に絡まっていくと、トイレのドア越しに労働讃歌が流れていくのが聞こえるも、すぐにその音はかき消されていく。
「かった」
噛みしめるとは言ったが彼には生まれつき歯はない。
誕生以前より伽藍堂であり続けた口腔に、ネットリとした液体がゆっくりと流れ込んでいく。
目隠しの裏に浮かんでは消える美辞麗句は、彼の人生が如何ほど価値のあるものかをしきりに伝え、それに彼は心の中でうなずく。
何度も何度も心の中で彼はうなずく。
自分の存在価値の偉大さを噛みしめるたび、生まれてきたことそのものへの感謝がとめどなく溢れ出る。
そうして心で頷きながらも彼が頑なにその首を動かさないのは、流れる液体の嚥下を妨げないようにしようとする忠誠心によるものでもあるのやも知れぬが、それ以前に彼がそのような動作により肯定を現すことさえも知らないからである。
そこに備え付けられた人生再結成第弐世代向け労働器具を除けば、彼に情報を与えるものは本来存在し得なかったはずなのだ。
彼の部屋がたまたま高多機能性細胞保有排便製造監督者控室のすぐ隣にあったこと、それが幸運であったのかは知るよしもない。
『人生再結成第弐世代についてどう考えますか?街の人に聞いてみましょう?』
『「いやー羨ましいですよ。生まれつき何も知らないなら自分の人生に疑問を持つこともないですからね」』
『「あの人達のおかげで私達は健康に暮らせているんだから感謝しないといけないと思っています」』
『「前テレビで見ましたけど、本当に大人しいんですよね。うちの子もあれぐらい素直だったらなと考えちゃいますウフフwwww」』
『専門家に聞いてみました』
『「人生再設計第一世代が失敗した原因を調査した所、他者と自己を比較することによる過剰な劣等感が、彼らの反社会性に大きく影響していることが分かったんですね。そこで考えられたのが、現在のように、生まれつき完全に情報を遮断してあげ、完全に外界と隔離してあげた状態で何らかのごく単純な労働に就かせてあげるという形なんです。これでしたら、自分と他人を比べてしまうこともありません。単純労働力の不足した日本という国を立て直しつつ、それを担う世代に幸福な人生を送ってもらう。この2つを両立するにはこれ以外の方法はなかったと言えるでしょう。」』
いいな 何も知らなければ幸せに生きていけるかもしれない