「同じ仕事をするならば同じ給料と待遇が欲しい」というのは理解が得られると思う。
しかし、近年、
「そもそも女性は男性に比べてあんまり出世欲がないから仕事を頑張って無理して働きたくない」ということがわかってきた。
確かに人生を、くだらない権力闘争や出世のためにすり減らすのは愚かなことだろう。
しかし、当然社会的にトップは男性が多くなる。これは男性の愚かさともいえる。
そもそも、政治家志望は男性のほうが圧倒的に多く、女性はまったくやりたがらない。
しかし、
「男性の政治家と女性の政治家を同数にしろ」と、主張する人は後を絶たない。
そもそも女性がやりたがらない仕事を同数にすることに意味があるのか?
「看護師」というのは女性には人気がある仕事だし(待遇面でかなり良い)、需要もあるが、「しかし男性は圧倒的に少ない」のだ。
やりたいという人はいるが、しかしなかなか踏ん切りをつけない。
もし看護師を女性と男性同数にするべきかと言われたら、それは誰も幸福にならないからよせというと思う。
こういうだろう。
「仕事はやりたい人がやる、志望者の少ない性別に無理やりやらせる必要はない」と。
正論だと思う。
こういう仕事は、それでもやるというのは大概男性だ。女性はほぼいない。
しかし、政治家となると、圧倒的に志望者が男性のほうが多いにもかかわらず、女性に同数譲れと言う暴論がまかり通ってしまう。
そもそもが、あんな汚物処理みたいな仕事を権力欲に駆られてやるのは男性の愚かさだということを忘れて、この話をするのは、いったいなぜなのか?
というのも、「あんな職業をやるのは馬鹿」な時代に入っているからだ。
男湯の清掃員が女性なのは許せない!という男性に、銭湯の清掃したいかどうか聞いてみてほしい
当直の外科医だろうが、答申の資料の準備をする官僚だろうが、社会的地位の最上位の職業である限りは同数の女性がやりたがると思う。 炭鉱労働者のように最上位とはいえない分野の...