はてなキーワード: 気づきとは
なぜこの文章を読むであろうみなさん、それは実のところ赤の他人であるが、に僕の書く文章を好きだと言ってほしいのかと僕が思っているのか?それには深い理由があります
しかしそれを書いても、他人に近い距離の皆さんには興味がないと思います。ただ、ここまで読み進めていただいたということは、当初より若干は距離が詰まったか、あるいは別の言い方をするなら近づいたということなので、いよいよ、なぜこの文章を書く僕の書く文章を、みなさんに好きと言ってほしいのかということを書きたいと思います
すでにみなさんはお気づきでしょう。距離が近くなっている時点で、ここで言うみなさんは私が当初想定していたみなさんとは別の存在になっているのではないか
みなさんへの問い、それの答えが出る前に答える主体としてのみなさんが消失している。答えられない問い、真でも偽でもないとするとこれは矛盾では、とみなさんは思うかもしれないがそれはあくまで問いが機能している前提があってこそであります
ただ僕は自分の生き方とか嫌なこととか満足な仕事とお金が無くなったこととかが重なって肯定してほしいのだけど、本当はみなさんとかじゃなくて、優しくてかわいいみなさんに僕自身のことを好きだと言ってほしい、これが当初申し上げました理由です
学歴職歴ではモテスペック満載のような米山隆一知事でさえ、出会い系に頼らなければ異性がゲットできなかったことにショックを受けている人は多い。
しかし、世の中には学歴職歴はからっきしでも平然とモテている奴もいる。つまり、ヒモやジゴロの才能のある奴だ。そういう奴はどういう能力に長けているのだろうか? 考え得る要素をばくぜんと並べてみる。
・容姿はずば抜けたイケメンでなくても可(顔面偏差値60以上は最低限)
・コミュ力が高い
・ワルを好むタイプならば不良の大物など臨機応変な人脈自慢ができる
・タイミングや欲しい物など相手のツボをついたプレゼントができる
・自分の店を持ちたいなど相手の願望に応じた「デカい話」が得意
・手をつないだり肩に手を回したりが手慣れていてさりげない
・ダメ過ぎない程度に女の方が構いたくなるウィークポイントも装備
…etcetc
言うまでないことだが、世の女性も十人十色である。ワルを好む女性もいれば、優等生を好む女性もいる。顔はそこそこ良いがちょっと服装がダサい男の方が自分が世話してやりたい心理が働く女性もいるだろうし、一方的にリードされるのが良い女性もいるだろう。
恐らく、ヒモやジゴロの才能に長けた男というのは、そういう女性ごとのタイプの違いを見抜いたうえで接し方の使い分けができているか、自分が御しやすいタイプに標的を絞り、さらにその中で逆らいそうにない相手に出会うまで何度でも何度でもアプローチをくり返しているのではないか。
――と、畳上の水練のように理論を語るのはたやすいが、いかにすればそのような臨機応変なコミュ力だの女性受けする引き出しだのが身につくかといえば「場数を踏む」しかないと思える。
つまり、トートロジーめくが、モテる奴はますますモテる。学歴や収入が高く医師や弁護士や政治家でも童貞センス丸出しのまま歳を重ねた奴は(たまたま超偶然そういうウブいエリートがタイプの女性に出会わない限り)、ひたすら不利ということなのか。
現在24、今年25歳になるが彼女がおらず付き合った事さえも無い。
小学生の頃は少しモテたものの、そこがピークで中学高校と男子校、大学は工学系と環境に女子もほとんどおらず、接し方もろくに分からないまま大人になってしまった感覚で、ここまでならよくある?話。
自分は趣味でイラストを描きTwitterに上げたり同人活動したりするのが趣味で、その関係上女の子を良く描く。
Twitterでイラストを漁ってみれば分かると思うが、FGOやらアズレンやらラブライブやらのイラストはどれも
女の子に過激なセクシーな恰好やハレンチな構図、ポーズのイラストが多く、かなりその価値観が合わない。
自分からしてみれば女の子には本人たちが楽しそうにしている日常やステージで輝いている絵、はたまた恋人等(そこに自分は決して含まない)との純愛の絵が好きで、
そして前述のようなタイプの絵を描く絵描きたちをあまり良く思えないのである。
風俗やキャバクラ等、自分が好きでない女の子と性的な行為をするのが大嫌いで、上司から勧められても断固として断るし、
そういった人間をある意味見下してしまっているのが自分でも自覚でき、非常に辛い。
酒にも相当強い為か飲み会の席でも、自分はほろ酔いになりつつ、羽目を外している周囲や、人への気遣いが手薄になりつつある自分に対してただイライラする。理想が高すぎる。
自分の非をきちんと認め謝れる、他人を思いやる事が出来る、自分本位ではない、行動力や積極性がある、コミュ力が高い、打算的ではない、彼女がいるもしくは結婚している、
そういう大人になりたくて、そして自分がそれとかけ離れている事に気づきただ毎日がきつい。
誰かに嫌われるのが怖く、せっかく知り合った数少ない女性を逃すまいと、あまりにも当たり障りのない事しか言えず、そしてそれでもそこから漏れ出す無意識の下心から距離を置かれる。
つくづく辛い。
彼女が欲しいのだって本当に全力で相手を思いやれる自信はなく、どうしても本能的な性欲等か絡んで相手を傷つけてしまうのではないかと考えてしまうし、
彼女によって自分がある程度肯定される、24歳恋愛経験無しという辛いラベルから抜け出せるからという考え故なのかと自分が嫌いになってゆく。
そしてこんな否定的思考では絶対に自分を好きになってくれる人なんていない、という考え方で、最近は極力考えないようにしているがそれでも偶に思い出しこうやってただ辛い。
okwaveの評価ボタンを見ていて気づきました。次のボタンが別々に動作しているのですね。
1.回答を評価するボタン(okwaveに昔あったもので、現在ではokwaveのパートナーサイトで使用されている)
2.支持ボタン(比較的新しいもので、okwaveでは1のボタンに取って代わられている)
機能的な違いは。
1はボタンを押すと加算されるだけのものです。数字が下がることはありません。
2は高評価と低評価(↑↓ボタン)のボタンから成り、数字が下がることがあります。0が1になったと思ったら、他の人が低評価を押し0に戻るかもしれません。
高評価と低評価の内訳は表示されません。0であっても、誰もボタンを押しておらず、高評価と低評価どちらも0になっているかもしれませんし、高評価が3低評価が-3で合計で0になっている(賛否が分かれている)
かもしれません。
好きなキャラ
https://okwave.jp/qa/q9488246.html?by=datetime&order=DESC#a_area
https://oshiete1.nifty.com/qa9488246.html
okwave本家とパートナーサイトそれぞれで表示しています。
現時点で最新の、回答No.34を見ると、
okwave本家では「2」、パートナーサイトの方では「1」となっています。
このように別々に動いていることが分かります。
okwaveもパートナーサイトも1番のボタンを使用していましたが、okwave本家は2番のボタンに変更、パートナーサイトは何故か1番のボタンのままで変えなかったため
今日はシュミレーションで急制動、悪路での走行、強風を受けた時の煽られ方を体験してきた
当然ながらバイクはタイヤが2つしかないため、道路の状況が悪いことや風が強かったりするとそれをモロに受けるっていうことが大体わかった気がする
あと四輪では横、二輪では縦と視界の広がり方が違う、というのもなるほどと感じた
確かにぬれてたり凍っていたり、あまりにも舗装がされていない道路を走らない限り路面状況を気にしながら走ることは四輪では基本的にない
教習の帰りにいつも通っている道が結構デコボコしているのに気づき、やはり意識を向けなければ視野が広まらないことを実感できた気がする
次回はまた場内だー。
いろいろ考えながらやるぞう
あと今日一緒にシュミレーション受けてた人がギアチェンを一瞬でやってるのを見てこれがギアチェンジか…と学んだ
デザイナーは人々のくらしというストーリーに寄り添い創作する。会社の製品のためのデザイナーでは、わくわくするストーリーは生まれない。
私はストーリーがなければ絵が描けないと気づき、私のなかにはストーリーがなく、描けなくなった。それでも絵に関連することにすがっていたくて絶対に無理だと感じていたデザイナーになった。
するとデザイナーとは、他者のストーリーを表現する仕事で、空っぽだった自分のことを考えて死にたくなる暇がなくなり、毎日が楽しくなった。
デザイナーになってから、ひとりの時間を大切にしている。他者を考える時間であるから。
孤独なときに他者を思えるのに、人と対峙しているとき、人のことを考えられない。幾度も誤った対応も喧嘩もすれ違いもする。
ひとりでこうやって、はてぶを見たり、学校や、町歩きや(団地が好き)、廃墟や、図書館、公園、歴史に触れて、多様性がある 多くの人のくらしに思いをはせてる時間がとても愛しい。
それについての記事を読み、
なるほど、ただ串に刺しているのではなく、
様々な工夫がなされているのだなぁと感心した。
確かに嫌だろうなぁとは思ったし、
ここまで工夫されているのなら、行ってみてかぶりつきたいと思った。
と同時に、
5本セットを3人でシェアされるより、
3人が一人3本4本頼んでくれた方が確かに売上としては上だな
とも考えてしまった。
そうした売上アップの為のセールスが悪だなんて微塵も思わない。
でも、「美味しくする工夫をしているから」以外に、
そうした理由はあって良い。
個人的には、串をシェアするかどうかは一緒に行く人に寄るかなと思う。
一緒にいる人が仲の浅い知り合い程度で、コース料理のやきとりであれば、
仲の良い人たちとであれば、個々が好きな串を頼んで食べるのに何の問題も無いだろう。
また、関係性等々によっては、一口分けたいならそのまま持ってる串を渡して
一つだけ食べあうようなこともするかもしれない。
(本当は良いことでは無いかもしれないが)
「じゃあ仲の良い人とだけ行けば良いじゃないか」と言われるかもしれないが、
「そこまでの仲じゃない」人との食事というのは往々にして存在すると思う。
ある種の引け目から串から外してシェア=形式上の平等を行っている部分もあるのではないだろうか。
一口目~最後によって大きさや味が違うのであれば、真の平等ではない。
とだけ思われるようになってしまうのは、心外だなと思ってしまった。
かぶりついて口周りが汚れても、笑って楽しく過ごせる人と
美味しいお店に行きたいなぁと思う。
ログボのレアチケは確率を変えてあります(運良くSSRなど手に入った人はおめでとう、普段よりもものっそい低確引いてます)
ピックアップの時にピックアップが働かないのも神の意思です(そうやれと言われる)
IDでSSRなどのダブりを払い出してます(SSRの確率は同じ。でも、そこからさらに払い出し時にダブりの確率を高くしてる)
でも、元々の廃課金者はレアの所持率が違うのでよっぽどじゃないと気づきません。
また、微課金者がダブったとしてもダブりかよーって程度なので気づかれません。
その他にもいろいろあるけど、本日はここまで。
あんまり課金にハマらないでください。あれは麻薬などと同じで中毒性が半端ないです。
上はもっと課金させろと課金額を毎日のように報告してきますが、毎日おかしいくらいに金が転がってます。
こちらもそれなりにコラボだったりグッズだったりと金を動かしてますが、それ以上にユーザーの課金額はおかしいくらいに上がっていて、クスリにハマった人はこんな風に金を使っていくのだろうと思うくらいです。
ほんの少しイラストと性能を変えた程度で、これほどの課金額が収入になってしまうというこの時代は本当に課金という病気で蔓延していると感じます。
課金ありき(収益がなければいけないのは当然ですが…)で考えられているアプリゲームはたくさんありますが、一度軌道に乗ってしまうと似たようなイベントを繰り返すだけで本当に楽です。
辛いのは不具合が起こった時の改善とユーザーの厳しい言葉くらい。
すぐにお詫びをよこせという無課金者が多く、そういう人の方が汚く罵ってきますが、課金者の方の厳しい言葉には本当に申し訳なく思います。
そんなアプリゲームですが、本当に課金は気をつけてください。パチンコやスロットのようなギャンブルとは違い、金銭の戻りのない一時的な楽しみをメインとした電子データの遊びです。
課金をしてくれるのは嬉しくても、生活を壊すような課金は望んでいません(上は望んでいますが…)ので無理はしないでください。
キーワード:推定無罪・痴漢冤罪・スマイリーキクチ・ネットリンチ
はてなブックマーク - 将棋「スマホ不正」問題を渡辺明竜王が独占告白 | スクープ速報 - 週刊文春WEB
はてぶ民はなぜ三浦冤罪前提の態度を示すのだろう。ゆうちゃん無罪のノリに近い。権力や企業や組織は悪に決まってる! という左の偏見を感じる。
トップ棋士が揃ってこれだけ断定するのはやはり一定の説得力を感じる。今回の裁定に関わったトップ棋士の多くは三浦に大きく勝ち越してカモにしてるわけだし三浦九段を陥れる動機も弱い。
前から言ってるけどネット対戦とかしてても「こいつソフトだな」ってのは分かるもんだよ。俺は将棋は指さないが、連珠は昔、段を取る位までやってた。連珠は昔からソフトが結構強かったけど、使う奴は分かったし。
スマホでカンニング。。そのうちそういった時代がやってくるとは思ったが、思った以上に早かったなあ。。竜王戦の前に顕在化させたのは英断のように思われる。ただその対応がベストとは思わないが。
確かに、感想戦は重要な情報源。自分でリアルタイムに筋を読んでいなければ、やり取りが不自然になるはず。素人にはわからない客観情報になりうる。連盟が先走った、という批判は当たらない可能性が高い。
これだけの面子であれば、正解を導き出し、その後の展開の読み間違いもないとは思う。ただ、この場に事務方や主催者、弁護士もいるべきだった。棋士に責任が及ぶ手法は避けるべき。
こういうことって疑惑があってもなかなか言わないもんだよ。でも取材で疑惑を口にしたということはそういうことなんだよ。三浦さんは素直に白状して将棋界から去ってほしい。
コンプライアンスは主目的ではなく、竜王戦と将棋界の存続が主目的だからな。コンプライアンスを優先した結果最悪の事態を招くよりこの手がマシというのは理解できる
その道のプロたちがこぞって黒だと言ったならそれなりに信憑性がある判断なのだろうとは思うが、だからこそ、スマホが見える位置にカメラを仕掛けるなど証拠を押さえることに尽力してもらえなかったことが残念。
別に司法の場ではないのだし、最も強い方々の意見で決まってもそこまで変なことに思えない。研究の捏造で証拠探しより研究者の総意としての意見が優先されるようなもので。
将棋をやっているところを見せることでお金をもらえるショービジネスだから、疑いを持たれてはいかん。自分の思考時間に度々離席は合理的説明がつかん。渡辺竜王は非常に辛い選択をしたが、正しいと思う。
やっぱりナベが言い出したのか。これは本当に大変なことになった。
頭の回転の凄い人達なので、ブコメ群が数週間かけて出す回答を彼らは1日で出したのだよ。それから何日経った?その分彼らはより先を読んで歩を進めてるのだから価値のあるコメしろよ!
文春は、ジャーナリストの鏡。知りたいことが書いてある。
疑わしきは罰せず的なブコメ群がトップ周辺にあるけど「一週間立て続けに品物が偶然バックに入っただけで万引きじゃない」なんて言い訳は通用せんよ。確かに天文学的な確率で可能性はあるけど、そんなのは通らん。
文春が出てきたってことはまだ隠し玉があるんと違うかなこれは
ビジネス面をきっちりすぎるくらい考えてることは渡辺やっぱり食わせ者。(誉めてる)。で、その7人の中には当然弁護士とか棋士以外も含まれてたんだよね?
まあ後で発覚するよりマシというのは確かにそうだろう
曖昧な処分で終わらせようとしたのは協会の温情だったと思うんだよね。棋士は通常なら曖昧な判断はしないだろう。白黒つけると永久追放という重い処分にならざるをえないし、苦渋の決断だったろう。残念の極み。
絶妙な発売タイミング。さすが魔太郎、やる気になったらこのくらいの技は掛けて来ますか。連盟はどうやら承認しただけ?で魔太郎主導で事態を動かしているっぽいな。それでもあの勝ち方をするのは凄いわ。
このメンバーがクロというならクロだと思う。とても残念だけど。
三浦九段の潔白を信じるファンの気持ちもわからなくもないが、見て見ぬふりもできたはずのトップ棋士が「問題だ」と証言するのは同じくらいに重いし、渡辺や羽生という人間のことは信用してるんだよね。個人的には。
耳鼻科の待ち時間にふと年齢いくつなったっけって 数えなおしたら 35歳なのw
あれー おかしい おかしいなぁ 今年34歳じゃなかったっけぇって 思わず2度計算したけど やっぱり35歳なのww
世間の35歳といえば、成人として色々抱えたりしながら立ち上がって、
ずいぶん経つはずなのに、
前職までの社会人区間の間に連絡の取れる人は今じゃ残ってないし、
食えない仕事を自尊心の欠落で長く続けてしまって資産もないし、童貞だし
人生ハードモードで詰みだ~ 安楽死をよこせ~ とかじゃなくて
金は無いけど 白米美味し~ 散策楽し~とか
おじさん 今を笑って生きてんのww
ちょっと体壊したり、事情が変ったら、それこそ辛い苦しみの世界はすぐそこなんだけど、
底辺から一山とか一発とか出来ないから、低い目線なりに生きていくしかないなぁって
これが一種の諦念のようなものなのかもしれないって気が付いた。
まったく良い天気すぎて、こんな事気づかされるなんて なんだよ 春
現実の誘拐監禁事件を下敷きにした作品であり、賛否両論だと聞いたので、
クジ〇ックス先生的な(失礼)陰惨な性犯罪を賛美する内容を、中高生が熱烈に支持するマッポーめいた状況なのかと思い、
どんな内容なのかweb版をざっくりと読んでみることにした。
作品自体の内容としては、まず誘拐というのは完全なミスリードというか誇大広告であり、無知なJCがハイエースされてダンケダンケされ、ストックホルム症候群に陥っていく…
というような内容では全然なかった。実際の事件との関係性も(少なくとも物語上では)全く見いだせない。
男側も色々病んではいるのだが、そもそもハイエースしてない上、少女の自殺を阻止したり、レイプ被害から救おうとするなど、むしろヒロイックに描かれている。
同棲してるのも、家族が少女を虐待しているので、帰る家がないためだ。少女が未成年なので犯罪は犯罪なのだが、成人同士ならおそらく罪には問われないだろう。
作品を批判する友人に聞いたところ、実際の朝霞市の誘拐事件発覚当時、これが短編として公開されたのが原因であるらしいと分かった。
作品冒頭の誘拐犯が少女に優しくし、しかも少女は家で虐待されているという描写しかなかったので、事件当時、下種の勘ぐりで色々被害者が批判されていた内容を、そのまま肯定するセカンドレイプとして捉えられたものらしい。
今現在、冒頭しか読まないで批判してる人は論外としても、当時からの批判者にとっては、その後の作品の流れで、実は誘拐監禁など全くしてなかったということが判明しても、
それは単なる後付け設定に過ぎず、寝技に掛けられたようなもんで、壮大な言い訳を聞いているに過ぎないということのようだ。
そのため、公開当初にこれを見て衝撃を受けた人と、後から知って話の全体構造を知った人とでは、まるで受け止め方が異なってくる。
このあたりの事情が分からないと、擁護側と批判側の話は食い違ったままになるだろう。
私は人の善性を信じたいので、作者は何も考えていなかったか、またはセンセーショナルな効果を狙って冒頭だけを無邪気に公開してしまっただけと思いたい。
あるいは、あまりに無神経な短編になってしまった事に気づき、責任を取る意味で物語の続きを書き、実際の事件とは関係がなく、誘拐監禁なども起きてはいなかったのだと明示したものと信じたい。
しかしそれだけで批判がやむことはないだろうから、漫画が完結した時、またはドラマが放送された時にでも、きちんと詳細な釈明を述べるとよいのではないかと思う。