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はてなキーワード: 殺人犯とは

2018-03-15

原理原則論からいうと不当だけど、現状仕方ないよね」という話

私の中で、以下のテーマはそういうことになっている。

自分の命をどんな風に処分するかは個人自由であり、「どんな風に」には当然他人の介助を受けて自殺を遂げることも含まれるべきではあるが、自殺幇助嘱託殺人を非犯罪化などしたら「頼まれたんです」と言い繕う殺人犯が続出することは目に見えているので、自殺幇助した人を罰するのは良いことではないが仕方ないことだと思う。

人を殺すのは銃ではなく人であり、銃そのものはただの道具に過ぎず、非生物の的や狩猟対象動物に向けて撃たれる分には問題ないので、本来取り締まるべき正当性存在しないのだが、現実問題として銃社会がどんな有様になっているのかを見ると規制の厳しい現状はまだマシであり、自由を不当に制限するのもやむを得ない。

性犯罪者の多くが男性なので、男性の乗車お断り」というのは典型的差別であり、また男性性犯罪被害者排除していることにもまるで正当性は見当たらないが、電車内での性犯罪の横行という現実(そしてそれは女性差別を背景にしている)を前にした緊急避難的な措置として、「より小さな悪」として認められるべきだろう。

2018-03-13

電車には差別乗せるな安全守れ

私は女性専用車両反対派である

これまで鉄道会社への投書など以外の活動はしていない。していなかった。

こういうハッシュタグtwitterにあることを知った。

https://twitter.com/hashtag/%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%B7%AE%E5%88%A5%E4%B9%97%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%AA%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%AE%88%E3%82%8C?src=hash

女性専用車両賛成派が利用しているタグの様だ。

差別のせるな」

これの皮肉なところは、(少なくとも「差別のせるな」の所は)専用車両反対派も同じことを掲げている点だ。

賛成派→(被害者の大半が女性である)痴漢、あるいは女性専用車両撤廃がが女性差別と捉えている?

反対派→女性専用車両こそ差別と捉えている

被害者の大半は確かに女性だし、加害者の大半は男性であろう。

しかし、大半の男性加害者ではない。なんら、敬遠されるいわれはない。

犯人と他の男性の見分けがつかないのは他の犯罪も一緒。隣の人が殺人犯でない保証はない。

痴漢によるPTSD男性恐怖症は当然ながら痴漢個人責任である。私(含む非痴漢男性)には何の関係もない。

女性にとってのみ安全でない電車そもそも差別」という論もそれに通じるものがある。

その論でいうと、女性差別=安全でなくしているのは「痴漢個人であり、やはり我々(非痴漢男性)には何の関係もない。


なぜ、我々非痴漢男性が協力を要求される(そして拒否すれば「差別」呼ばわりされる)必要があろう?

安全守れ」

ところで、私が気になったのはむしろ安全守れ」の部分である

誰が安全を守るのか?

誰にとっての安全なのか?

専用車両安全なのか?

そもそもどういった状態が「安全」といえるのか?

なぜ、大上段から「守れ」などといえるのか?

上にも書いたが、電車内を安全でなくしているのは「男性」に非ず、あくまで「痴漢である

賛成派もよく使うセンテンスで返すなら、「文句痴漢に言ってもらおう」。

御堂筋線事件関係ない。私はその場に乗り合わせてすらいないのだ。

さらに言うと、我々非痴漢男性には(自分犯罪を起こさない以上には)電車内の安全寄与する義務はない。

にも拘らず、大上段から安全守れ」とは何様のつもりか。

賛成派の女性諸氏はよく、「痴漢にあっても助けてくれない」「傍観者も同罪」などと無関係男性ののしるが、むしろ助けられないのがデフォルトなのだ

無関係の非痴漢男性にとっては、まず気付かない。女性が声を上げたとしても、犯人と確実に分かる状況でなければ(自らの恐れるものでもある)痴漢冤罪の片棒を担ぐことになる。

助ける男性には(当然と言えば当然だが)何のインセンティブもありはしないにも拘らず、だ。

「助けてくれた人、ありがとう」ならまだしも「助けないお前は同罪」などと口にしたら、これはもう戦争であろう。

自ら助けてくれる可能性のある第三者を減らしているのは滑稽というほかない。

あと、「傍観者も同罪」というからには、助けない女性もまた同罪である。分かっているのだろうか?

「助けない女性など一人もいない」とでも言うのだろうか?


こんな状況で、なぜ(女性にとっての)「安全守れ」などと強要されねばならないのか?

このハッシュタグ効果(私にとっては)

このハッシュタグは(字面としては)まったく間違っていない。

しかし、その意味するところの違和感上記の通りだし、

(現状の)このハッシュタグに付随する男性への罵詈雑言は見るに堪えない。

これまで私は鉄道会社に抗議こそすれ、女性専用車両に協力はしてきた。

にも拘らず、誰に感謝されるでもなく、当然のような顔でしか暴言すら吐く。

から、私は決心した。

私は女性専用車両(とされているシール付き一般車両)に乗ろう。

暴言を吐かれ、差別待遇に甘んじることはない。

このハッシュタグの崇高な理念(皮肉)を体現するためにも電車内に差別を許すわけにはいかぬ。

twitterをしていない(ROM専)私はタグ付きツイートをすることはかなわない。

しかし、このハッシュタグ理念を掲げて私は女性専用車両に乗ることにする。

これが、女性専用車両賛成派の行動のもたらした結果。まさしく自業自得である

2018-03-09

いじめが原因で自殺という場合には、いじめた人は殺人犯、みたいな話でいくと、

忖度片棒担がされて自殺した場合にも、忖度させた奴は殺人犯だよな

2018-03-05

森友文書問題ちょっと教えてほしい

森友学園関連の公文書が書き換えられた疑惑がある。

最初に報じたのは朝日新聞。他の新聞は「朝日が報じた」とのスタンス

で、はてなで物凄い騒ぎなんだが、具体的な証拠って出てるの?

朝日新聞場合安倍晋三小学校とか、吉田調書とか、古くは吉田清治サンゴ礁とかでやらかしてる新聞社じゃないですか。

安倍晋三小学校の時も文書が有るって話だったが、結局はデマでしたよね?

賢いはてな民が、ここまで大騒ぎするからには、僕が見つけていない確実な証拠が有ると思うのだが、その証拠を教えてほしい。

追記

朝日は何もやらかしてないというブコメがいくつか有るのだけど、それは流石に無理だよね。

証言を報じただけ、責任は取らないって、第四の権力と呼ばれるマスコミがやっていい事じゃないでしょ。

そもそも証言を聞いて裏とりせずに書くだけなら僕にでも出来ます

例えば問題ないと言ってるあなた殺人犯であると報じられたら?

誰かの証言という形なら、無実の人を犯罪者呼ばわりしても何も問題無いのですかね?

2018-03-01

女性専用車両に反対したい

最初に言っておくけど私も「性暴力被害者」の1人だ

何年も昔の話だけれど利用しなかったらすぐ触られてた

当たり前のように被害を受けて結局は女性専用車両しか乗らなくなった

それでも今の女性専用車両のあり方には反対したい

現状の女性専用車両鉄道会社の誤魔化し以外のなんだって

シェルターの役目を果たすとか、それだけが頼りだとか、なんだよそれ?

私はシェルターなんか望んではいない

私はあん車両を頼りにしたくない

できることなら触られる前に戻りたい

現状の専用車両擁護する意見を見るたび

専用車両を利用しなかったことを後悔しろと言われているようだ

被害にあった女性が逃げ込める場所なんだってご立派ですね?

ぜーんぶ被害を受けてからの話でしかないことを、おかしいと思わないのだろうか?

ちょっとくらいなら触られても大丈夫だろとでも言いたいのかな?

新鮮な被害者でも供給したいのかな?

多くの人が自分のようになればいいと思ってるのかな?

性犯罪者の回し者かな?

なんて嫌味も言いたくなる

痴漢が悪い」なんてもう最悪

唱え続ければ性犯罪者自分を恥じて痴漢をやめてくれると思ってるのだろうか?

痴漢冤罪で騒ぐ男性諸君の方がまだマシ

本当に自分勝手な奴らだなと思うけど、それでも構わない

冤罪が発生する状況

痴漢が発生する状況

本当に触ったか触ってないか以外にどんな差があるというのだろうか?

冤罪が発生する状況がなければ痴漢も発生しない

そういうわけで満員電車は男女分離されるべきだ

殺人犯窃盗犯も刑務所に入れるべきだ

それなら性犯罪者とその予備軍は男性専用車両に入れるべきだ

2018-02-27

anond:20180227114920

周囲の人間の全てが凶悪殺人犯に見えるようになってしまったら、それこそ精神病院に行く段階ではないかな。

anond:20180227115660

その誰もが凶悪殺人犯でない理由は無く、「関係ない一般市民」かどうかなんて分からないじゃん。

anond:20180227114920

>誰だって凶悪殺人犯が野放しになって、いつ標的になるか分からなかったら怖くね?

そのたとえで考えてみると、誰だって凶悪殺人犯を警戒するのは当たり前だけど、関係のない大多数の一般市民をも凶悪殺人犯扱いするのはおかしい話だよね、ということ。

anond:20180227115047

凶悪殺人犯が野放しになって、いつ標的になるか分からなかったら怖くね?

っていうのは、周りが「凶悪殺人犯」に見える、

凶悪殺人犯かもしれない」と思うってのとイコールだと思うけど。

anond:20180227113815

痴漢被害に遭ったからといって、痴漢ではない大多数の無関係の男が怖いというのは、精神的な病気だよ。


うーん?分からんでもないけど、このまま利用すると

凶悪殺人犯が野放しになったからといって、被害を受けていない人が「怖い」と言うのは、精神的な病気だよ。

と言い換えられないか

だって凶悪殺人犯が野放しになって、いつ標的になるか分からなかったら怖くね?

2018-02-25

anond:20180225000247

いじめはよくない論は聞かなそうだから、言い方を変えよう。

社会的損害が大きい。

あんたがいじめる側として、いじめられっこがそれが原因で犯罪者になったら、責任とれるの?

連続殺人犯かになったら?

殺されてもしらんぞ。

そういう可能性もある。

かなり、いじめ環境に左右される。

ストレスの多い閉鎖空間で、情報の行き来がなくて、固定された人間関係

これだけそろってると、ほぼ確実に起こるしエスカレートする。

まり環境を変えればかなり減らせる。

おまえの命も助かる。

2018-02-23

anond:20180223214933

憂さ晴らし以上の意味はないと思うが

死人が生き返らないとわかってても殺人犯批判する遺族のようなもの

2018-02-18

anond:20180218010829

24時間テレビが叩かれるのとは原因が違う気がするなあ

単純に障害者集めて踊らせて夢が叶ったね募金くれってのにはこいつら哀れでしょ?って思わせる何かを感じるけどこれは歴史ものエンタメだしなあ

たとえば怒りのデスロードにはガチもんの奇形が出ているし

おそいひとなんかは脳性麻痺患者脳性麻痺連続殺人犯役で起用したりしてる

彼らはちゃんと役者やってるしすげえなとは思うだけで残酷だとは思わない

感覚問題になってしまって俺も何が違うのかまだわからん

2018-02-17

はてブ女性専用車両に対する知見に頭がクラクラした

ふだん差別人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。

かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。

しかし、彼ら運動家否定できる倫理的根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?

実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。

以下は、ハフィントンポスト記事に対してスターを集めていた上位2つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/

1.これが女性専用車でなくプロレスラー専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ。

そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為道徳性が疑問とされている。

そもそも、この運動代替の効かない公共機関における、特定属性を押しやる「専用車」それ自体問題になっているのであって、なにも「女性専用であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?

また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動価値毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要からだ。

2.女性専用車必要性裏付けられる悲しい話。

この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間不安に駆られる状況こそ、Aが必要証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?

賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。

ただ、浅薄ロジックはさておき、問題意識理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性裏付けている、というわけだ。

この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。

なぜ、女性けが「暴力からの隠れ家」の恩恵あやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。

まり女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性排除することは、一般成人男性それ自体潜在的な暴力の行使であることを前提としているのではないか

なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。

例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコタイイランインドブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり欧米流行りのディストピアドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。

  • Women-only train carriages: Keeping women 'safe' by separating them from men is Handmaid's Tale territory

http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men

女性トイレレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定属性けが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等負担を強いられるべきではない)、代替選択肢存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性潜在的な暴力被害者であり、男性潜在的な暴力行使である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。

はてブの皆さん、差別人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性世界標準以下の性欲アニマルから仕方ない」で開き直っていいんですか?

余談だがロケットニュースでは、ニュースタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。

https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/

キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。


追記:

はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterブコメで寄せられた、いくつかの重要質問に答えます。

  

手段が低コストであることが、その手段正統性付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラク解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。

マシなものがないのではなく、マシなもの鉄道会社選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。

これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題しろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源痴漢です。しかし、ここでは対策方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法妥当か)が問題になっているのです。

また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性お断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。

その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。

もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社営業自由一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的認知されていることをもって、女性専用車両存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢倫理問題しろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法から正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。

ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米リベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。

アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。

ただし、代替手段のない公共サービス鉄道、それも日本通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性女性関係において、暴力的非対称性一般的存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴ議論にも通じるものがあるかも知れませんね。

それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。

しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。

これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員監視カメラガンガンに配置する(もちろん通常車両なおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。

これである程度は、無関係人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的理由はどこにもないでしょう。

女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。

いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンス勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的ディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレ風呂と違って、ジェンダープライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。

しか男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。

これは、以前Twitter流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定集団が抱えている痛み・苦しみが、特定属性排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?

2018-02-13

トランプ殺人犯扱いされてるけど、

どうすんのかなー

2018-01-24

人を殺して良い理由

思いつかない。

逆に、人を殺さな理由は少し思いつく。

人生(将来)を奪うから

・単純に痛いか

自分がやられたら嫌だから

殺人犯になるから犯罪から

・周囲が悲しむから

「もし殺人が許されることになったら」

感情論抜きにして、「殺人ダメ理由」が出てこない。

そう思ったら、「俺はそう思わない(悲しくなったりしないしetc)」といわれたら

殺人犯に何も響かない気がする。怖い。

殺人OKになったとして、

殺人ダメ理由」って何がある?

2018-01-15

山椒魚世界の神であるか?

 現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。

まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。

まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である山椒魚自身身体が成長しすぎてしまたことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。

この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎかめ」のように、ほかの生物もの真意本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚普通人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。

何故この文章題名を「山椒魚世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想人間に過ぎない。蛙はその山椒魚自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである

人間人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。

 しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価他者評価ギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。

この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説である一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手理由他人監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合最期相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身社会に出たことで削られてしまった自尊心自意識回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通人間しかなかったのだ。

最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的陳腐文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブメッセージ寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブものとは受け取れなかった。可哀想人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位人間本質を描いているように見えたのだ。

私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない

              

                                                                                                    了

2018-01-11

anond:20180111090310

正直そう思う。そういうタイプの人、口だけとかネット人格だけかも知れないけど、極度に性的声優の〇〇ちゃんとどうこうとか)な事とか狂暴な事とか書いていたりして引くときあるんだよなぁ…

たとえば、凶悪殺人犯とかで、どう考えてもヤバい人なのに何回も結婚してたりするしね。

コミュ障こじらせているそういう人でも知り合いの誰かが縁談持ってきて、適当にあてがってくれる時代の方がそういうタイプの人は救われていたんだと思う。

2018-01-09

anond:20180109200836

なるほどね

こんなクソな世界滅んじまえって思ってんなら大量殺人犯しても良いって事か

すげーな

2017-12-29

anond:20171228174922

弁当万引き犯とか強制わいせつに至らない単なる痴漢なら即日釈放もいいけど

こういうぎょっとするレベル凶悪犯が無期懲役=11年で出たのを一例だけと言われるとね

1例でも殺人犯は絶大な存在感

特に無差別毒物みたいなのは例外釈放もあってはならない

少ない僅かな比率で〜など関係ない

1例でもアウツ

2017-12-28

死んだら無です

私の全ての意識は刈り取られ、完膚なきまでに何も残りません

魂とかありません

まれ変わったりしません

天国地獄六道黄泉もありません

まれてきた意味とか、使命とかありません

私は、純粋物理現象の結果としてただ生まれてきただけです

そして物理現象としてただ死んでいくだけです

救世主殺人犯も等しく死に、等しく無に帰ります

物理現象は決して善や悪を判断しません

から、好きなように生きましょうよ

生前に行うすべての行動は、生前で完結しま

少なくともそう考えるのが最も合理的です

この世界自分死ぬまでに、自分が得る得点を最大化するゲームです

得点とは自分の満足のことです

まれる前や死後の世界勘定に入れて戦略を組み立てるのははっきり言って下手なやり方です

そして、他人というのも本来どうでもいいことです

自分以外の人間生物にちゃんとあなたと同じような意識が宿っているかどうかすら知りようがないのです

このゲームにおいて他人というプレイヤーは味方でも敵でもありません

それぞれが得点を最大化する過程で、自分戦略マッチすれば協力しあえるし、逆なら排除しあう関係になるだけです

他人を喜ばせて嬉しい、傷つけて悲しいというのは結局あなた自身得点を増減させます

そう考えたほうがきっと楽ですよ

こういうことを話すと、きっと、じゃあ自分利益のためにいくらでも悪いことしていいんだな、とか

気に食わなければいくらでも殺していいんだな、とか意見をいただくでしょう

そのとおりです、してもいいんです

逆にしてはいけない根拠はなんなんでしょうか

先に書いたように物理現象善悪判断しません

人間が100メートル飛び上がるのはおそらく「できないこと」でしょうが

人を殺すのは「できること」の範囲に入ります

物理的に、です

刑法では殺人は罪になりますが「殺してはいけない」ではなく、「殺したら罰を与えます」としか書かれていません

それは当然のことで、いくら刑法ダメと書いても、本人が決心するだけで実行できてしまうのですから

刑法に駄目と書くことにあまり意味はありません

となるともはや宗教上の理由しか残っていないわけですが、

これも先に書いたように私は死後の世界云々を否定しています

殺人を否とする根拠はどこにもありません

(というか、この現代宗教上の理由『だけ』で『全ての』人の行動を縛るなんて無理がある手法です)

たとえば私に限って言えば、それでも殺人を犯さないのは、それはこのゲームにおいて得点が下がる行動だからです

精神的、金銭的、あるいは刑罰的な理由で、様々な方向から得点がガリガリ下がります

得が全くありません

これは日本システムがそういう風に上手く作ってあるからです

他の人にとって困る行動をすると、自分自身得点が下がるように、法律できっちりとルール付けしてあるからです

これが法律の最も重要存在意義です

それでもやはり殺人の方が、余りあるマイナスを乗り越えてでも得点が上だとなった時、私はきっと殺すでしょう

そうやって世の犯罪は起こるはずです

これが私の宗教です

2017-12-20

anond:20171220084809

同じ罪じゃないって言うけどさぁ。

遠くで起きた殺人よりも、自分経営してる店の商品万引きされた方がムカつくでしょ。

全国5000店舗万引きした奴が居れば、そいつに反感を覚える店長は5000人居るわけで、どっかで一人殺し殺人犯よりも恨まれるのは仕方無い気がする。

2017-12-10

anond:20171210132805

昔の殺人犯というのは逃亡中に被害者の亡霊の幻覚に苦しめられたなんて話があって

全てがそうじゃないにしろ逮捕されてなくても犯人はのうのうと生きていないんだという感覚

被害者家族なども一応納得したりしてたが

そういう「お約束」的なもの崩壊してきて、まさに

犯人は「バレなければ何しても良いと思う 」という感覚でいるんじゃないかいう考えが

時効廃止の流れにおいてあったんじゃないか

2017-11-06

いやあ、露出の多い服装性的行為同意を表すことはない。そうですよ、ごもっとも。

悪いのは性犯罪者ですよ、ごもっとも。

 

金品を人に見せることは強奪許可を表すものではありませんとも。

金品を見せびらかしながらスラム街を歩いて、強盗殺人に遭っても悪いのは強盗殺人犯ですとも。ええ。

 

ええとそれで、そう言ったら金品を持ってスラム街に行っても強盗殺人には遭わなくなるんでしょうか。

それとも強盗殺人犯逮捕されて世間から糾弾されたら殺されても満足なのかな。

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