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はてなキーワード: 性役割とは

2018-09-13

青識 vs 小宮論争がどこですれ違ってるのかようやくわかった話

元ツイ

https://togetter.com/li/1263573

初めに言っておくと、私は最初から青識側が正しい気がしていて、今も変わっていない。したがって青識氏が正しい理由を探してるだけかもしれない。

さて、この論争で問題になっているポイントがようやくわかったので独り言をする。

ここにたどり着くために、大いに参考になったブログ記事は、

これを読めば、小宮-青識論争に最短で追いつける - noumos blog[2]

http://noumos.hatenablog.com/entry/2018/09/10/053458

チラシの裏小宮青識論争観戦記[1]

http://yonosuke.net/eguchi/archives/8995

の2つ。それに、

@deadletterjp[3]の

https://twitter.com/deadletterjp/status/1038174816354746368

から続くツリー

http://www.twitlonger.com/show/n_1sqlcluhttp://www.twitlonger.com/show/n_1sqlclu

小宮氏によるまとめ[4]。

理解の手順としては上2つのブログを順に読んでから下のツイートを見て理解した感じ。


私の考えとしては、[1]に書いてあることにほぼ等しい。

「先にも指摘したように、これが侮辱であるためには、…関係する女性性的に活発だという含みのことを言われたらすべて侮辱されていると解釈するべきだ、ぐらいの判断が裏にないと正当化されないが、…少なくともセックスリバタリアン的な傾向のフェミニズムとは相性が悪いのは意識するべきだろう。

「誰かを尻軽(slutty)であると指摘することはふつう悪口であり、これはフェミニズムとは関係なく悪口である。」

さらに、…という考え方は保守的な「名誉文化」では非常に重要な発想だろうと思うけど、これはフェミニズムとはあいいれない側面が大きいと思う。」

フェミニズムは…その性役割規範から解放する、ってなことが主張されていたわけなので、男は女性ナイトであるべきだという発想とはあいいれない側面が大きいと思う。」

元ツイ主の友人の発言はおそらく侮辱であることは、一般に正しいと思われるが、その解釈フェミニズムと相性が悪い。その発言を前提としたjiji氏の「あなた自身馬鹿にされてる」という発言フェミニズムと相性が悪い認識を前提としているから、そこを突いたのが青識氏の発言であるのだろう。これは論理として妥当に見える。


しかしながら、この解釈小宮氏はとっていない。

代わる解釈として示されているのが、[4]にある「Jのツイート趣旨は『セクシズムなりレイシズムなりに乗るな』であるである。この解釈最初私は理解できなかった。

通常、皮肉のように間接的な侮辱表現理解していない人に対してその正しい意味を伝えることは、何らかのアクションをするように求める、あるいは提案していると解釈される。侮辱されていることを伝えるのは相手不快感を与えることであり、気づかないに越したことはない。あえて伝えるなら、相手不快にさせる以上のメリット、つまり喧嘩を売っているのと同義」「怒るべき」「(侮辱に対抗できるよう)強くあるべきだ」という侮辱に対する反抗、あるいは「侮辱してくる相手とは距離をおこう」という回避行動といった、何らかの(将来の)アクションを求めていることは明らかだろう。

あなた関係する女性性的に活発だ」という発言侮辱であることは当然推測できるのだが、元ツイ主はそのような推測をせず、文面通りに"日本人女性に対する"意見(あるいは苦言)として解釈した。その結果として、その意見日本人女性に知らしめ注意を促すために行動した、と解釈できる。つまり、文面通りに解釈することはフェミニズムが求めることで、日本人女性に知らしめようとすることはフェミニズムに反することだろう。この場合フェミニズム観点から批判されるべきは貞操観念女性に求めたこである。一方、文面通りに解釈した上で「それをなぜ女性でない私に言うのか?」という返答も可能であり、むしろフェミニズムが求める返答はそちらではないのかとさえ思える。したがってjiji氏が伝えるべきは少なくとも「あなた馬鹿にされてる」ことではなく、「日本人女性に対する意見をやめろ」というニュアンスのみである。実際、小宮氏は[4]において「…Sは…少なくとも「貞操観念を持ちましょう」という自分発言性差別的だと理解して取り下げること、すなわち「Fの性差別に乗るのをやめる」ことです。」と述べている。

まり、jiji氏は"将来に"何らかのアクションを求めていることを伝えているのは明らかであるにもかかわらず、小宮氏の解釈は「セクシズムなりレイシズムなりに乗るな」という、"過去"の行動に対する反省を求めるものとなっている。この点が理解できなかった。

この点について小宮氏は、jiji氏は元ツイ主に「発言理解を正す」ためだと述べている。しかし上で述べたように、侮辱されていると伝えることは、過去の行動に対する反省、また今後の"理解"を求めるものとは到底言えない。だいたい、理解を求めるだけなら理解を求めればいいのであって、「そう言うことは女性に言っちゃいけないんだよ」だけを伝え、侮辱されていることを伝える必要は必ずしもない。あえて伝えるならば、アクションを起こしてほしいというニュアンスが加わることは一般に当然だろう。


さて、私が見逃していたのは何だったのだろうか?それが[3]に示されていた。

それは、「あなた自身馬鹿にされてるんだよ」という発言が"カウンター"である、という解釈であり、知識だった。

まり侮辱されていると伝えることは、女性に対して貞操を求めるという女性差別(あるいは「ピントのずれ」)に対する怒りの表れであり、元ツイ主と友人間だけの問題なんだからこっちに女性差別を素通ししてくるんじゃねえという意思表示である、ということだ。

これで「なぜ侮辱をあえて相手に伝えるのか」という疑問が解ける。元ツイ主の友人の差別発言をこっちに流してくるな、"打ち返してやる"というカウンターで、先に不快にさせたのは相手なのだから結果として相手不快になろうが関係ない、という理屈である。これを踏まえれば小宮氏の解釈論理である。実際、小宮氏は別のツイート[5]でこう述べている。

https://twitter.com/frroots/status/1036515588355444737

「性道徳の二重規準差別性に関してはフェミニズムの中で一定議論があるという事実を知っていたら、やはり元ツイートが「差別的な価値観に乗るな」という趣旨で言われている可能性に思い至ることはできたはずだろうと思います。」


さて、青識氏と小宮氏がともに論理的な理解をしている(と私は思う)解釈ができたところで、私自身の意見を述べる。

私は"カウンター"というフェミニズム文化を(暗黙的に)前提としている小宮氏の論に同意できない。

相手不快にされたから、その反論相手不快にし返そうという手法は、現実には必要ツールであろうということは容易に想像できる。売られた喧嘩は買うべきという論は相手と同等の地位を維持するために有用であるしかし、それをフェミニストでない人との議論で用いるのは不適切だと思う。カウンターあくま相手と対等になるために必要な"銃"のようなもので、議論最中に持ち出していいものではない。また、フェミニスト間のみで通じる理論を用いるのは混乱をまねく。

また、この論点カウンターという過激思想を持ちだす場面ではない。「女性貞操観念を持つように伝える」人間ミソジニストではない。ただのフェミニズムに反する観念を持っている人間であり、過激な"銃"を持つ人間ではないのだ。


最後に、この論はカウンターという小宮氏が一回も述べていないツールを用いた解釈を述べている。この論は小宮氏の解釈と違っているかもしれないが、カウンターという概念以外に「相手不快にさせる」ことを正当化させる手法が思いつかない。

いや、もしかしたら侮辱されていると相手に伝えることは、相手不快にさせないと思っているのかもしれない。それはそれでいいと思う。

誰かがこの問題点を解決する手段を見つけていたら、こいつバカなこと言ってんなと心の中で蔑んでほしい。

2018-08-25

anond:20180825184201

あれ?

性役割から解放云々を見ないふりをしても、おかしいところがあるな。

「女らしくない女」って、ここに異論もあるかもしれないが、多くの場合は「男みたいな女」を含意するよな。

フェミニズムが「男みたいな女」と「男らしい男」だけを賞揚するということは、日本完璧なマスキュリズム社会になるのを望んでるということ?

日本労働現場は男女問わず伝統的な男の働き方を続けるから全員疲弊する。

もっと女性にも働きやす職場になるよう改革を。

左派有識者がこういう提言をしてたけど、フェミニズム理想がそれと真っ向から対立するということになるよ?

2018-08-07

最近誤解されてるけど、女子校って...

2018-08-06

anond:20180806152918

そうなんだけど、普通の乳は欧州から猛反発食らうのよ。人類に対する脅威だって感じで。

表向きは社会的性役割固定化するからだとか言うんだけど、生身の性交渉を滅ぼしかねない脅威だと思ってるのかもしれん

2018-07-30

anond:20180730081300

こんにちは

投稿よく読ませていただきました。

世の中、まだまだ男女のあつかいに違いがあるというのはよくわかります

それは昔の性役割が引き継がれているものもあれば、ひょっとしたら新しくできてしまったものもあるかもしれません。

しかし、それは必ずしも男尊女卑だということはできないと思います

なにが男尊女卑なのでしょうか?

男尊女卑的な考え方があるところはたくさんあるでしょう。それはそれで、解決しなければならない問題です。でも、これは男尊女卑問題でしょうか?

旦那さんやお義父さんが身勝手で、あなたがその割りを食っているというのはわかります。それは男尊女卑でしょうか? もしかしたらあなたのお義父さんや旦那さんは男尊女卑的な考え方があって、そのせいでそういう態度をとっているのかもしれません。あるいはそうじゃなくて、全く別の理由で、子育てに協力したくないのかもしれません。

子育てから逃げる男性は、無責任だと責められる世の中です。当然です。「じゃあ子供孕ませた男が逃げてもなんで責められないんですか?」責められますあなたのお義父さんと旦那さんは責められていないのかもしれませんが、世間に知られたら間違いなく責められます。「女が子供を育ててく覚悟で作ったんだろって言われるなら、嫁と子供を養ってくつもりで孕ませたんだろ?

ってなんで誰も言わないんですか??」言われます

「そういうとこから男尊女卑があるんじゃないでしょうか。」あなた自分ばっかりが責められていると思っているのでしょうが、それは(他の多くの男性女性と同じように)あなたの周りにあなたを責める人がいて、あなたが責めて欲しいと思っている人を責める人があなたの目に入っていないだけです。男尊女卑問題ではありません。

子育てに協力しない男性や、仕事子育てに忙しすぎる母親の状況は、改善しなければなりません。男尊女卑問題と一緒にしていたら、解決できるもの解決できません。

2018-07-24

男性自尊心最後の砦として体力、腕力に頼るということ

すごくわかる。

異性愛者の男性は、精神的には常に女性服従することしかできない。あらゆることにおいて下手に出なければならない。

それは女性がそうしろ要求するからではなく、女性を大切にしなければならない男性のさがである。いや、本当はこれは男性のさがではなく、人間のさがなのだ。なぜなら、女性だって女性を大切にしなければならないからだ。女性が守ろうとするのはまず自分、つまり、最も大切な女性であり、次に他の女性であり、最後男性である。同様に、男性が守ろうとするものは彼にとって最も大切な女性であり、次のほかの女性であり、最後男性、つまり自分自身である

から女性は常に自分を優先することができる、いやむしろそうすることが社会によって要請されている一方で、男性は常に自分を劣後させなければならない。

そのことは、家庭という、人間社会の最深部に女性をおき、辺境男性を送り込んできた人類文化バックボーンであり、社会の変革によって容易に変わるようなものではなく、多分に生物学的なものである

このような生物種において、いわば使い捨ての駒である男性として生まれてきてしまった個体は、肥大する自尊心と、自分男性であるということの矛盾に悩むことになるが、その相矛盾する二つの事実整合させるための思想マッチョイズムであり、性役割である。つまり、男らしいことは誇らしいことであり、自分汚れ役を引き受けるのは、そのような役割に見合うだけの、女性にはない高い身体能力によるにだと理屈をつけるのである

こうして男性は、その役割を全うするために競って能力を磨き、他の男性を圧倒することを美徳とするが、ときに、女性という、自分より上の階級に属する個体意識した時は、女性に対して自分能力的により優れていることを確認したいという欲求が生じる。そのもっとも確実な方法が、体力、腕力を示すということなのだ。

2018-07-12

甲子園男女共同参画にしようとしたら

審判員困惑よそに珍事、革靴スカート女子部員が伝令

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base

下手したらグリッドガールみたいな役職が新たに爆誕するリスクはないの?

女人禁制時代遅れなので、女子男子と全く同じように甲子園に参加する。

しかし(フェミニストも認めるように)平均的には肉体面で男女には埋めがたい差があるので、男女混合チームでも活躍するのは男子ばかりになってしまう。

しか男子ばかりに活躍の場が与えられると結局元の甲子園と変わらないので、女子でもなんとか活躍できるポジションを準備する。

しかボール拾いやチームの雑用を任せるのはあまり選手との落差が激しいので、性役割が分かれてしまうことを覚悟で、目立つ機会の多い応援ポジション女子に割り当てる。

2018-04-25

anond:20180425000122

完全に男性版と対をなすシチュエーションにはなっていないよね

本来結婚定職に就くこともできないまま、親元で介護やらされてる陰鬱な40~50代女性という感じだ

その違いが男女の性役割の違いなのかもしれんけど

2018-04-19

anond:20180419155155

「BLは従来の男女観や性役割否定していて、とても進歩的だ」というイデオロギー的な評価があるんじゃないか

2018-04-08

https://anond.hatelabo.jp/20180408054934

女性の(不当な)性役割に関わる質問

年齢と容姿ですね。

それを一切不問にしている男のみが年収を訊くなと言う資格があると思うんだが

お前は女の顔を見ないで結婚を決めるのか?

はっきり言って女の場合女性の(不当な)性役割に関わる質問」なんて当たり前のようにされてるんだよ

ていうか質問をされるまでもなく情報開示に晒されてるんだよ

男ばかり甘えるな

https://anond.hatelabo.jp/20180408054934

年収多寡一般男性性役割上の評価に結びついてる」

じゃあ女の場合年齢の若さや顔の良し悪しが結びついているんだから顔を見られるだけでも女は尊厳を傷付けられている事になる

男は女の尊厳を傷付けてもいいけど女は男の尊厳を傷付けちゃ駄目だなんていうのはただの身勝手

婚活年収を聞く/聞かれるという件について

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1215905

ブコメの多くが年収を聞くことを問題なしとしているが、ポイントがずれていると思う。とくに会社採用面接給料を聞くことと一緒くたにしているコメントなどはまったくわかっていない。

しかに、よりよい結婚相手を求めるという目的のもとで、年収を含めた相手属性を聞くことには十分な合理性がある。そのかぎりでは聞いてしかるべきだし、聞かれた方も素直に答えるのが誠実だろう。

問題は、その質問場合によっては(とくに聞き方によっては)相手尊厳を傷つける(あるいは相手をモノとして扱う)ことになるという点にある。もちろん気にしない人もいるだろうが、それはセクハラ発言を気にしない人もいるとかそういうレベルの話でしかない。

なぜこの質問尊厳に関わるかというと、年収多寡一般男性性役割上の評価に結びついてるからだ。簡単に言うと、「年収が低いのは男としてダメ」という烙印を押される傾向があるということだ。

この不当な社会的規範が十分に解消されないかぎりは、年収を聞くことは無害な質問とは言えないだろう。ツイートコメントのいくつかにもあるが、性別を逆にして、女性に対して女性の(不当な)性役割に関わる質問をすることを想像してみればいい。

もちろん合理性にもとづいてそういう質問をするかどうかは個人自由だし、それに答えるかどうかも個人自由だが、それを問題なしとするのはちがうだろう。

2018-04-07

anond:20180407223353

良い意味で、男女の性役割に縛られない職場環境になってきたんだろう

2018-03-29

anond:20180329115528

はよ、暗数を知覚できる能力をみせろと。

ついでに言うときますけど、そうやって性役割的な仕事の有無を茶化してるお前に男女論を語る資格ありませんよ。

2018-03-20

anond:20180320161103

そう思う気持ちは素晴らしいことだからおもてなしのつもりでいい店を選んで連れていってあげるべき。

「なんでもいい」って言ってくれてるだけマシ。

伝統性役割どっぷりの女だったら何も言わずに全て男がやってくれるのが当たり前だと思ってるから

2018-03-11

anond:20180310124824

男性には政治的な正しさが与えられないからですよ。

これ別に女性専用車に限らなくて、

男性の方が自殺者おおいけど男性特有のケアはされてないし、

上方婚残ってる状態で男女賃金そろえるとパートナーとのマッチングしにくくなるけど、ケアはないし。

逆に「男性女性性役割を求める」(例えば、女性料理を作ってもらうとかね)は昔から一貫して叩かれてきた。

anond:20180309162913

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

...

多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

前半でこういう価値観の変化を論じていてふむふむと思っていたのに、後半になると

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

という話になって「え?」と思った。

女性専用車の話が一番分かりやすいと思うのでその話をするけど、女性専用車って結局「男は暴力的な生き物だ」「男は女を守るために献身的になるべきだ」みたいな古い固定観念を追認するものでしょ。こういう固定観念がなかったら、女を別の車両隔離したら性犯罪が減るとか男は多少の不便さを受け入れるべきだなんて発想は生まれるはずもないよね。

そういう性別のみに基づいた役割押し付けから脱却して、《誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになる》《自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つ》ような社会を目指していくべきだっていうのなら、女性専用車という概念むしろ邪魔だよね。女性専用車が存在する限り、我々は「男から女への性暴力けが電車内で起こるトラブルである」「いつも男が加害者で女が被害者である」みたいなまやかしをずっと刷り込まされていくことになるんだよ。

こういう古い固定観念に基づいた差別を指摘する声に対して「どうして男は女の気持ちに寄り添わないのか」みたいなことを言ってる限り、《同じ「善良な市民」という共通項》を共有することなんて無理だよ。

ヒロイズムを誰もが理解できるわけじゃない

俺は子供の頃、ヒロイズムなんて知らなかったから、アンパンマンを見てもウルトラマンを見ても、ディズニー王子様やそのほか諸々を見ても、「男は汚れ仕事を背負い、女は何もしないで幸せになるもの」と刷り込まれて育った。

「男がヒーローで主役で女が『良くて』サポートなのは男性中心的」と言う見方があることを知ったのはいつだったかからないが、まあその頃にはヒーローものアニメとかは見なくなってたと思う。

『良くて』にカギカッコをつけたのは、「何もしないで『トロフィーのように』結婚するよりは、サポート役であっても役回りがある方がマシだ」と言う見方も俺にとっては直感的じゃなくて、後からそう言う見方があるもの知ったから。

ある物語形式が男女の性役割表現しているとしても、どっちが中心的であるとか、ましてどっちが『良い』とか『軽んじられている』なんて注釈なしで語るのは飛躍だからやめて欲しいし、少なくとも飛躍であることに自覚的であって欲しい。

2018-03-09

男たちは呪われているのか-「アナ雪」のクリストフに見る脱ヒーロー

若干話題が古いけど、こういう対談がある。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデル攻撃しないといけないのかと」

というくだりには被害妄想めいたものを感じてしまった。

クリストフ王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独変人だけど、仕事家族を大切にしている。

そこらの王子モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま人間らしく描かれていると思う。

ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。

そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性心理っていったい何なんだろう???

個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)

そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、

あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。

日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。

からそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。

男性社会最高神であるヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。

ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。

かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。

だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀アナログすぎる。

から多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

ヒーローにならなくていいし、「ありのままのおれ」でいい。

多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会解体が、今世界的なムーブメントになっている。

ただここからがやっかいで、男女関係や性の問題だ。

男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。

まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。

より多くの美しい女を取得することを自己価値バロメータとして、他者と比べあい自分いじめるみたいな悪癖がある。

女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解範疇を超えてくる。

そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。

そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。

そもそも自尊心自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。

やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。

そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャル価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。

社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。

社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。

脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性意識問題なのだと思う。

ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。

クリストフみたいなキャラクター否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者尊重すること。

旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやか自分自身の中に自尊心を見出すこと。

そのへんが大事なんだと思う。

ツイッター観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。

男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷解放だって女性社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)

そういう引き算がこれから時代大事なんだろうな。

呪いをひもとく面白プレゼン動画

マイケル・キンメルatTEDWomen 2015

なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて

https://ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=tedspread

2018-03-06

anond:20180306094522

男性女性を守るべき」という意識男性の中で確固たる状態にあるなら、そもそも女性専用車の議論って発生してないんです。それは「男らしくない」と断罪される。今はその辺が揺らぐくらいには性役割分業から解放されつつある。

「バトル漫画の女は殴らないって主義キャラクター」という増田があるんだが、そこでの議論を見ると性役割に基づく倫理観がだいぶ揺らいでいることがわかる。

https://anond.hatelabo.jp/20171002142915

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171002142915

anond:20180306071538

お返事どうも。

女性フェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。

ですね。電車に限らず駅構内で「無実の男性」と「女性」を比較すると、女性の方が強い。 http://biz-journal.jp/i/2016/03/post_14463_entry.html この男性自殺してますね。他にも有罪になった男性はいます政治的な正しさ、という観点では無辜人間を罰している段階で男性を救済すべき方向に振れるべきだと思うんですが。男性にはポリコレが与えられにくい。

どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤

んー、男性行為に対し、

今までも、これから感謝されない、価値も認められない、のであれば、なおの事、女性に何かする理由が無くなっちゃますねw いやそれが悪いと言ってるんじゃなくて、そういう時代なんだなー、と。

私は嫁さんが料理を作ってくれると感謝したり褒め称えたりしてますけどね。

あと嫁さんも私が何かすると感謝してくれたり誉めたりしてくれる。

そういった感謝のやり取りのない、無関係で無実で疲れているかもしれない男性に「それでも男性女性は守られるべき」って言うのは、マッチョだな、と思いました。性役割分業での「男性は強いので女性を守るべき」というマッチョ

もう、そういう押し付けから男性解放されてもよいかなー、と。今回の女性専用車の件で。

男性もそんな益のない好きでもない性役割から降りてよい。

だってここで大騒ぎしている人たちの多くは、子供の頃に昔のジェンダー観で育てられてきたんですから

ここ面白いですね、これ私は逆だと思っていて「男性女性を守らなくてよい(守るのは自由意志)」のは新しい価値観だと思います

男性女性を守るべき」という意識男性の中で確固たる状態にあるなら、そもそも女性専用車議論って発生してないんです。それは「男らしくない」と断罪される。今はその辺が揺らぐくらいには性役割分業から解放されつつある。

2018-03-05

昔は男女平等の主張で「男社会がー」みたいな批判があったんだよ

anond:20180305124301

ごめん、これは私の主観だけども。

昔は「男性社会を回してるから、不平等なのは男が悪いんだ」みたいな雑なまとめ方で男性が叩かれてたんだよ。

男性だって色々な男性が居たんだけど、

男性攻撃されるときには多様性尊重されなかったと思う。

あとあと女性賃金労働に参加していく中で「多様性尊重すべし」って事になった。

女性に向いた仕事」「適性」みたいな話ではなくて、多様な人材構成されるべき、と。それは良い。

一方で男性側も「そう言えば男性にもいろいろいるよな。。。」と認識する事になった。

弱者男性とか、貧困自殺の話だ(男性は救済されにくい傾向がある)さまざまな男性可視化された。

一方で、昔からある「男社会がー」といった攻撃に慣れちゃった人はいるんだと思う。かつてフェミニストはその攻撃方法一定の成果は出してる訳でさ。その辺の人が自浄作用とか、男が責任とれ、みたいな事をいってるように思う。

もう、性役割を求める時代でもないのにな。

女性性役割を求めていけないように、男性にも性役割を求めてはいけない。

anond:20180305150712

これほんとそうだよな・・・

私はエロあんまり読まないけど、どっちが受けかによって普段の扱いも若干差があるように見える。


エロじゃなくても受けになる方が少し女性ジェンダーを背負うケースが多い。

そして攻めになる方がより男性ジェンダーを背負う。

R18までいかなくても、大体欲情したり、下心ありの肉体的スキンシップを求めるのは攻めの方。

受けはえ・・・って引き気味で流されつつ受け入れる場合も多い。


これは書き手やカプによってかなり差があるけど、私はそういうケースをよく見てきた。(割りと地雷

その結果、気に入った組み合わせで、よりジェンダー差に違和感を感じない受け攻めで固定される。

要するに描き手側の解釈の主流に流される。


私はBL読むけど描かないのでしょうがない。

原作見てこの組み合わせいいな!と思っても描き手の主流が違うと二次創作は読まなくなる。

脳内でふわっと妄想して終わり。



トラバにある「対等な関係」ってのは別に嘘じゃないと思うけど。

性役割=不平等ではないので・・・

入れる方が上とか下とかはない。女性男性的に勝ち負けは存在しない。

2018-01-09

ジェンダー性自認

もし、社会的性役割分業とか押しつけとか嗜好の強制とかがぜーんぶなくなったとき、「自分の性への違和感」ってどう感じることになるんだろうか

性的指向とは独立なわけだし

2017-12-29

anond:20171229101147

うんうん、そうなんだよね。

たぶん、なんだかんだ言って「女性専業主夫を養う社会」が半分程度になるなんて社会は来ないと思ってる。

主体的に動ける女性が、どれだけ能動的に専業主夫男性を見つけようとするか」なんて考えると... 無理じゃないかなー。

だとすると社会全体の形としては、普通に性役割を前提とした方がマッチングしやいんじゃないかね、と。

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