はてなキーワード: 専門性とは
「どんな選び方しても2世3世議員を減らせないだろう」って?
うーん。よく言われるネタだけど、「政治家選抜共通テスト」くらいやったらいいと思うんだよ。あるいは既存の試験が適切だと判断できるなら、司法試験でも、あるいはたとえば国家公務員(総合職・大卒程度)試験を面接以外受けて成績公表でもいい。少なくとも官僚になる奴は基本的にはこれに合格してるわけだし、それと同等の能力があることくらいは示すべきでは。もちろん、別に新たに試験を設けるのもあり。制度の作られた20世紀中頃とは異なり、家庭事情から公教育すらまともに受けられない人というのは大きく減少し、また、社会も高度複雑化した。そんな現代においては、それぞれの専門性はもった上で、かつ、行政について最低限の知識があることくらいは担保できないと、議員活動の上で色々とマズいんじゃないかな。こうやって立候補の前に網を掛けるだけで、中身のないタレント候補や2世3世議員の乱立を、少しは減らせると思うんだよね。とりあえず参議院だけでも導入してみるとか、どうかな。一度受検すれば5年は有効で、期限の切れる前年から当年までの間に再び受検しないと、国政選挙に関わる被選挙権を失う、とする。つまり「政治家免許更新制度」ですね。全国津々浦々の教員ですら全員これを自費で行っているのだから、遙かに職責の重い政治家の皆さんが、まさか「能力の証明など不必要だ!」とかおっしゃらないでしょうし。
陶片追放は、ポピュリズムを強化するものなので、正直あまり効果はないという気がするんですよね。選出するところで民衆の知性が働かないのに、追放に際して働くと期待できる根拠がないので。また、マイナスを恐れた政治家が、失点だけないようにばかり振る舞うのもマイナスで、やはりその地位には一定の安定保証が必要だと思うんですよ。それよりも、国政選挙において、選挙本来の形に則るなら、結局「その人がどういう活動してきて、どういう思想の下、どういう政治をしていくのか」を公正にチェックした選挙公報に基づき投票する、という仕組みを整備するのがいいんじゃないかと思うんですよね。「地盤・看板・鞄(金)」で決まる選挙にしないためには、その原点に立ち返るしかないでしょう。
これをするには、ネット投票の仕組みを整備しないといけないんですが、
・選挙葉書で投票サイトにアクセスすると、ランダムに選ばれた二人の人間について、その選挙公報が示される。
・これを4~5回繰り返したら、投票終了。
みたいな選挙にする(ぶっちゃけ、この前増田で少しバズった「戦う猫の話」のkittenwarからアイデアを得た。)、つまり、PoliticianWar。選挙に金も時間もかからないし、公報の内容は選挙管理委員会によってファクトチェックかけられて、必要字数のみ、かつ、正しい内容しか掲載できないようにする。(いま、民間で選挙のときにオープンしてるサイトみたいなのを想定してもらってもいいと思う。)
これで、「地盤看板鞄」関係なく、お金もかからない選挙が実施できると思うんだけど、どうだろう。というか、これで困るのって「地盤看板鞄」頼りの選挙ばかりしてきた人たちですよね? あと、「それでも結局芸能人含めた有名人が有利じゃね?」と思われるかもしれない。それは否定できないけど、「全く公平に比較対象を用意した」状態なら、「よく分からないから有名人に入れる」みたいな人の数を少しは減らせると思うし、それなら、現状より少しはマシになると思う。あと、投票率も上がるし、「全然知らない人に○したけど、あの人その後どうなったんだろう……」みたいに、政治への関心も高まると思うんだけど、どうだろう。
そもそも管理職に「なる」ってのがおかしいんだよ。管理職は管理が仕事なんだから管理を専門に学んだ人間にやらせろよ。「一般職の仕事に理解をもち適切にマネジメントできて成果を上げられる人間」を雇えよ。なんで自分の仕事を好んで専門性を高めた人間からピックアップして全然別の仕事やらせようとすんだよ。そんなことさせて、もらえるのが雀の涙の手当てって、もう罰ゲームじゃんか。キャリアに研修としてノンキャリの仕事させるのはまだ合理性あるけど、生粋のノンキャリを、本人が望みもしないのにキャリア職につけようとすんなよ。
……とはいえ、給料が倍ほどに増えるか、せめて裁量権がものすごく拡大するなら、それはそれで考えますけどね。つまり、どう転んでも「金」の問題ってことっす。
親の手前独立開業可能な国家資格系でなくては許されない環境で育ち、しかしながら医療に興味はないし勉強も好きではないので多浪したが医学部には入れず、別の道に進んだ。
しかし、別にその道が好きではないので、学生時代の友人とは次第に疎遠になって行った。みんななんだかんだ言ってこの仕事が好きで真面目にやってる。俺は生きるためにやってきたけど、楽しくはないし、適性もないので専門性もなく技術者としては三流だ。独立開業できる職種で、当たれば実入りは良いみたいだけど基本的にほぼ休めないみたい。特に好きでもない仕事を休みもなく働き続けるのは全く考えられないし、妻子もいて安定が捨てられないこともあって独立は無理。
専門性がないままおっさんになってしまい、年功的に管理職の末席に据えられてしばらく経ったけど、たいして歳も変わらん無能上司に偉そうにされるのも我慢ならないし、下からもああでもないこうでもない言われ、上司と交渉して部下の権利を守ってやってるのに、別件で全体最適しようとしたら、とたんに「私のことはどうでも良いんですか」とか言ってくる。
お前のために上司と交渉して契約取ったらお前の実績になるようにしたんですけど?それはどうでも良くないからじゃないの?お前以外にもどうでも良くない部下がいるんですけど?
まぁ部下はいいよ。部下だし。
ただ上司でも部下でもない関係者が斜め上から偉そうに講釈たれてくんなよ。死ね。
俺が配属される前からそこにいるお前が何もしていないから俺が物事を動かそうとしているんじゃんか。俺に文句言う前に自分の仕事を恥じたらどうなのよ。お前に波風立てても貫き通す信念も気概もないから今困っているんじゃないの?
はぁ。仕事上で信じられるのは自分だけだな。もう誰も信じない。無だな。無でやるしかない。俺の上司のことを俺の部下が、あの人はロボットみたいだって言ってたけど、なるほどこういう過程を経てロボットになるのかもしれんな。俺もロボットになるわ。もう誰も信じられない。不満を持たない代わりに期待も一切しないようにするわ。もう具体的な行動指示のやり取りだけだな。つまんねーな。やりたくない仕事でやりたくないマネジメント。全然関係ない仕事したい。
いや、逆だよ。介護士の現状がスーパーのパートのおばちゃん、おじちゃんレベルだから給料が上がらないってのよ
せめて看護師程度に選別と教育して専門性を上げる。スーパーのパートでは務まらないレベルにしないと給料はそりゃ上げられないよ
親が入院して、看護師さんと介護士さんと関わり合う機会が多くあった。
看護師の専門性の高さにはただただひれ伏すしかなかったよ。コミュニケーション力、状況判断と指示能力の高さったらない。患者だけでなく、患者家族にも医学的に明瞭な指示を出して環境を良くするスペシャリスト。そりゃ(比較的)給料が高い仕事なだけあるって思った
一方で介護士さんは、なんかスーパーのパートのような感じで、医療現場の専門家としての専門性を感じられなかった。これは確かに、給料は高くならないよなあ……とか。
看護師は、最低3年の学校通いと国家資格試験があるだけ選別されて教育されてる。介護士もそのようにしてスキルを上げて、そして給料を上げるべきだと思った。
だから(日本では蔑ろにされがちであるが)司書のような高度専門職の人もいたりする。地域の歴史的資料なども扱うことが多い。市民の憩いの場所といった感覚で作るような気軽な施設ではない。もちろん今回の失敗は建築家にすべて責任を押し付けられるようなものではないが、だからこそその社会的機能や重要性を理解していない人ばかりだったという点で問題の根は一層深いことが顕になっている。
何がややこしいって
これが国なら不法行為を取り締まるのは基本警察。一部の法律だけは公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁あってややこしく見える感じ。
って言っておいて、不法行為を取り締まる組織が一本化されてないのは「ややこしい」と批判してるように読める文章を書いておいて、
そのあとは別部署を作ることに納得しちゃってるんだよな。だから矛盾したような文章に見える。
本人は別部署を作ることのメリットとデメリットを並べたつもりなんだろうけど、間に別の文章が挟まってるせいでわかりにくい。
書くならちゃんとつなげて、メリット(専門性)とデメリット(わかりにくさ)であることを書くべきだね。
ニュアンスでいうなら後者は肯定、前者はややこしいとはいえ否定まではしてないことを考えると筆者が言いたいことはたぶん後者。
同じ犯罪でも専門性の高い犯罪は麻取りなど特別な組織が担当するように、仮に近い分野でも専門性があるなら分ける意味がある。
私は社会学や哲学にわざわざ独立させるだけの専門性があるとは思わない。
ってところかなぁ・・・?
ところでこの人有名な人なの?
それは「社会は容易に親に子離れをさせてはくれない」ということだ。「子どもの“成功”は親次第」というプレッシャーもハンパない。
国内最高峰と言われる大学に複数の子どもを入学させた母親の育児法(学習時間を捻出するために母親がドライヤーで髪を乾かしてあげると文字で読んだときには仰天した)はメディアでもてはやされるし、天才児の親、成功者の親は幼児期の教育法を紹介する。「スマートチャイルド」を育てようと、意識の高い親の多くは必死だ。
受験に特化した塾はますます専門性を高め、合格するために正解に最短距離でたどりつくための効率よい学びを提供する。そして、効率の良い学習法に巡り合えた優秀な子どもたちは、「子どもの能力を伸ばす」と評判の人気校に集まっていく。
子どもが勉強をし続ける根気があるかどうか親が自信を持てない場合には、経済力によって下駄をはかせる方法もある。私の知人では教育理念にほれ込んだ小学校に子ども2人を受験させるために「高級車1台分」の塾費用を払った人、のびのびとした雰囲気の学校に通わせるために3人の子どもの教育に年間800万円かけていると噂されている人もいる。
子どもの人生の選択肢を増やすためには、経済力、情報収集能力、育児リソース(実家のバックアップ体制など)がモノをいう。
ちなみにこのような傾向は、日本だけに限らない。
「“良い”教育=経済力」の構図は、多くの国で顕著になっている。
仮に自分の成育歴が育児に影響するのなら、男も女も農作業にいそしむ貧しいムラで適度に放っておかれ、勝手にやりたい勉強を見つけ、先生がすすめてくれた奨学金によって今よりずっと学費の安かった国立大学になんとか進学できた自分は、子どもを放っておく以外の方法を知らない。子どもにご飯を与えて抱っこをして体を使って思い切り遊ばせ、今日を無事に終えるための「ケア」はできるが「現代の教育の正解」を提供することができない。
学校の先生は昔のように「君の偏差値なら、このくらいの学校を受験しよう」とはアドバイスしてくれないから、親が主体的に学習塾を選び、進路選びをサポートしなければならない。
良い大学に入り、良い会社に入れば、一生安泰だと考えられていた頃には、学歴競争が過熱していた時代もある。多くの父親が「企業戦士」に徹する陰で、「教育ママ」が奮闘していた家庭もあっただろう。
一方、現代の「良い教育」とは、子どもが自分らしい人生を歩み、人生の選択肢を増やすための「生存戦略」という一面がより色濃くなっているようだ。そして、その戦略には金もエネルギーもいる。親と子が一体化して、教育のための情報収集をして、親が子どもを鼓舞し、叱咤激励し、共に進路を選んでいく必要性がある。
結果、平等と仲良しが建て前の教室の中で、子どもたちは、見えない競争に常にさらされている。
教育系メディアで、成功体験とともに頻出する親の言葉だが、はっきりいって、そんなケースはほとんどない。
教育基本法では「教育の機会均等」の条項に「すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである」という補足がある。この「個人差」が「経済力の差」「親の意識の差」となっている現実がある。
間違った期待で人事をすれば充分なんだな
と思った。
期待してた若手が、本人の能力を別方向にも伸ばすものではなく、それまでの仕事や学生時代のお勉強の積み重ねによる専門性を否定され続けるような仕事をやらされ、ストレスで体を壊したとのこと。
真面目だからやってくれるだろうというだけで、その仕事につけたらしい。
任命した人は、私が在職してた時点でもその兆候があったけど、今までを評価しつつ専門分野を広げさせるのではなく、人の専門を貶すことばかりする人だし、工数が足らない仕事に人を入れ込めばそれでいい、後は知らん、壊れるのは壊れる奴が悪いで人を壊してきた人だった。
馬鹿な上司だよなと思いつつ、そういう人が上司で居続けられる会社、そして過去に在籍してた時代の私も似たような状況になり、転職の口を見つけた時点で文句言わなれいように形なりの引き継ぎだけして辞めたのは正解だったなと思った。
大学時代、ちょっと専門性の高い学科とかだと普通の学科よりも横のつながりが強くなると思う。
更にその中でも女性は自分たちが仲良しの友達であることをとても重要視しているように感じた。
ズッ友じゃないけど、大学時代に青春を謳歌していた彼女たちは、
誰かの結婚式があった時、彼女たちはサプライズでそれをお祝いし、
次に誰かが結婚するときにもまたそれを繰り返していた(この時点でサプライズでも何でもないが)。
結婚した人子供が生まれた人が増えると、その写真に写る人は増えて行った。
33歳くらいの時だろうか、そのグループから1人の女の子が写らなくなっていることに気が付いた。
まあわかっていると思うが、その子一人だけ結婚していなかった。
グループからその子が消えたことに気づいて3年後くらいに、ちょろっと話を聞いたら
ただの風邪だからなんの対策もしなくていいとまでは言わないけど、自分でできる感染対策をしながら外に出る、という方に傾いている。 1年、自分なりに出てきた数字とか見て、ここまで色んなものを犠牲にしてまでやんなきゃなんないかな、正直もうゼロにしようウイルス自体を日本から無くそうなんてのはどだい無理なんだし、命のほうが大事だろって言うけどその命だってコロナだけじゃなく経済が止まりゃ失う人も自ら落とす人も増えるだろうし、後から取り戻せばいいって言われたって潰れた店は返ってこないし取り戻すのにどんだけの時間がかかるんだろう、もうちょっとバランスとれないもんかな、とはずっと思ってる。
正常性バイアスなのかもしれない。周りにかかって酷かった人はいないけど、解雇されて必死で転職した人とか収入が減ったとかお店がやばいとかストレスでうつ気味だとかの話はいくらでも聞くし、言ってもデータの上では致死率の特に低い世代だし。
もちろん対応に追われている医療従事者や保健所の人には感謝もあるし給料とかだけでもなんとか上げれないんだろうかって気持ちはある、ゼロにしようとかじゃなくてキャパが限界だからいったん減らしてくれってのもわかる。でもじゃあ、感染症が冬に増えるのも冬に人が亡くなりやすいのも分かってる話だし、検査拡充するなら数が出るのも当たり前だから対応できる数だって増やすべきだったし、人の出入りを一旦減らすだけが問題か?まだそういうフェーズか?ワクチンできれば全部解決、なんてあんのかな、絶対かかんないもんでもないんだし、ワクチンのもしかしたらの危険性とコロナの危険性、自分の中で天秤にかけたら喜んで手を上げて打つの無理かもしれない。そもそも行き渡らせようとしたら時間がまだかかるだろうな、だったら長期的に見てずっと我慢は無理じゃないか?
保障がとか給付金(考えてないらしいな、おつかれ)がとか言うと乞食だのそんなの無くても自分で考えろと言うやつもいるが、漠然とした不安に対して公的機関が与えられるのも与えるべきなのもちゃんとした説明と決断と金銭くらいだと思うのでそれくらいは欲しいだろ。多分、影響を受けてない層が想像していないくらいギリギリの人だっている。まぁ公的機関の人たちも、どんな決断でも批判はあるだろうし大変だろうな。
専門性もない一個人が考えてても唸るばっかりで状況が好転するわけでもないし普段周りとそんな話もしたくない。でも情報がないのも怖いし嫌でも入ってくるし、考えを停止したまま要請に従うのも無視するのも気分が悪い。結局何が一番しんどくなるって、何が言いたかったかって、人の悪意みたいなもんがしんどい。コロナに限った話じゃなくて、今回で露呈したってだけなんだけど。
SNSのぞいたって当たり前みたいに自己責任論や差別が蔓延してる。ニュースでも営業している飲食店や感染者の出た学校に苦情の電話が来た、張り紙をされたなんてやってる。都会はどうかわかんないけど田舎なんて未だに元々排他的だから、それこそ県内の感染者が自殺した町を追われた職を失った、なんて何度も聞いたし(噂レベルだけど)、昨日出たのがどこの誰かも一瞬で回ってくる。高齢者が多いから命に直結するかもしれないって不安なのはあるだろうけど、にしたって赤の他人が攻撃していい訳はないんだよな。それも、心や命や生活を脅かされるほど。
みんなで協力して頑張りましょう、暗に、協力しないやつを吊し上げましょう、みたいな雰囲気もこうしないから罰が当たったみたいなのも嫌な学生時代みたいで気味悪くなってくる。危険だとも思う、根拠のない、絶対のない努力はいくらやっても結果にならないこともあるって理解してないと。もし我慢してたのに感染した側になったとき、何かを責めないといられなくなりそう。
一番怖いのは、例えばこの騒ぎが収まったとき、全部“コロナの犠牲になった”ってことにされるんじゃないかってことだ。
いらない差別や暴力で職を失ったり生活をめちゃくちゃにされた人は、精神を病んで自殺した人は、閉じなければならなくなったお店は、けしてコロナのせいではなくて明らかに“人の悪意”によってそうなってしまったのに、コロナの騒ぎに巻き込まれた、可哀想に、って、それこそウイルスなんかより加害者になってたかもしれない人に言われて風化していくかもしれない、そんで似たようなことがある度また繰り返されるのかもしれないことを思うと最悪な気持ちになる。
少しでもそっち側になりたくないって気持ちも自分の考えに影響しているのかもしれない。なんにせよ、もうそろそろしんどいから、早く騒ぎが収まってほしい。