はてなキーワード: 商業誌とは
一時代を築いた あかほりさとる なんかはまんまト書きのファンタジー
1990年代ノリに乗ってた富士見文庫は叩かれつつも売れてるので正義だった。というか小学校の図書室にあった
富士見の中でもライトな表現で異端だった 神坂 一 も売れてるので正義だった。というか小学校の図書室にあった
講談社X文庫ティーンズハートなる、少女小説がバカ売れだった時期、GS美神の「紙の砦!!」で、
少女小説家「漢字は少なく。改行はこまめに。でないと読者がついて来れないのよ。
あんたたちが芸術ぶって文学マニア向けの作品ばっかり書いてきたせいで、
文豪悪霊「笑わせるなー! このアホな文章で、読者がついてくるとでも言うのかーッ!?」
とかやってたよ
コレ>”人気者ゆえの特権的な「お願い」権”
もう少し嚙み砕いて言うと、
ワンパターンで新鮮味のない凌辱同人はいくらでも替えが効くが、
ウマ娘アニメやウマ娘アプリはちょっと替えが効かないぐらいオリジナリティ高くて面白くてしかも安価(無料で見れたし遊べるし)だから、
って話だね。
消費者は著作権なんか気にしてないし「同人屋は空気読めよ」っていう叩き棒として使ってるに過ぎないのはそうだと思うよ。
いうても同人屋も生活費稼ぐためにリサーチしつつやってる人もいるわけで(商業誌で宣伝して同人で稼ぐって公言してるし)
そこを指して「ウマ娘を気にするならもっとマイナーな作品のことも気にしてあげてよ!」っていう人が出てきたら、
そこは圧倒的に正しい。
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1364886936578498561
著作者である内縁の妻、西原理恵子氏の承諾を得たうえでの公開だとしても(まだ掲載紙は発刊されていないので、画像元はサイバラ氏からの提供なのは確かだ)、
商業誌の連載作品は著作者がすべての権利を保持しているのではなく、著作権のうち公表権(著作物で、まだ公表されていないものを公表するかしないか、するとすれば、いつ、どのような方法で公表するかを決めることができる権利)や公衆送信権(アップロードして読者にダウンロードさせる権利)は作者から出版社に金銭を対価として譲渡する契約を結んでいるものなので(でないと出版社は雑誌に掲載できん)、出版社の承諾を得ない公開は、一時期問題となったネタバレサイトと同じで著作権法違反の犯罪となる。
しかも今回はネタバレサイトのように一部のコマ画像&文章であらすじという形でなく、ページまるまるスキャンして公開してるからより悪質。
もし作者であるサイバラ氏が、高須氏がツイッターにスキャンデータを掲示すると認識した上で原稿を提供したのなら、これは出版社との信義を損ねる行為であるし、出版社が作品を一番に雑誌掲載することで得られた利益を害する行為であり損害賠償の対象となりうるし、また公表権を譲渡して原稿料を得る連載契約の違反となるので、そちら側でも損害賠償の対象となりうる。
もし高須氏が公表するとサイバラ氏に伝えずに、ただ「じっくり見せて」等と言って原稿を借りて勝手にスキャンしてアップしたなら、表現者の作品に対するリスペクト皆無で夫婦間の信頼を損ね、今後の関係にも支障を及ぼす行為だろう。まあその辺は個人間の問題なので、お好きにどうぞだが。
とはいえ、出版社と無関係の人物による権利侵害ならネタバレサイトのように訴えられて刑事・民事で追及されるだろうが、高須氏は現在連載中の作者の内縁の夫という立場なので、出版社はサイバラ氏との今後の関係に配慮して、内々に注意を促すという形で済ませると思われる。
ただ、他の作家や今回の高須氏のアップロードを知っている読者の手前、出版社は何らかの対応を行い見解を示したほうが良い。これを内々に済ませて対外的には何もしないとなると、小学館はツイッターでのネタバレ、発売前のスキャンデータ公開を黙認する権利者だと誤解を広げる虞がある。
今年度触れた小説の中で最高のものは三角みず紀という詩人の「骨、家へかえる」だった。
十年以上前の作品で、小説としての出来もいいとは言えないし、彼女が書いた小説はこの一作のみで、テーマも不明瞭で、賞なんて掠ってもいなく、一切売れていない、彼女からして詩人としても(処女作のオウバアキル所収の私を底辺としてこそ界隈では少し有名だが)派手さはなく、いくらでもいる食えていない芸術家でしかない。
けれど私は彼女の作品が好きで、彼女の視点が好きで、彼女の詩が好きで、小説も好きだ。
賞レースや売上レースにグチグチと言うのはいつも自分の好きなものを好きであると言い切る意気地のない者だ。芥川賞や直木賞のノミネート作品が何であろうと、売上順位がどうであろと、「私はその作品が好きではない」それだけでいいではないか。
小説も詩も終わってなんていない。文化が継続することと商業の成立は必ずしも両立すべきものでもない。書き続けるものがいる限り、その文化は終わらない。それでいいだろう。
ネット文化の奔流によって確かに商業誌は青色吐息である。ただ文化としての執筆。文化としての活字がこれほどまでに溢れた時代が今まであっただろうか。同人活動がここまで爆発的になされた時代が過去あっただろうか。
こじらせたのが多い?
最近の同人・二次創作の漫画やイラストは、昔のそれより「キスハメ」描写を導入したものが多い。
キスや立体的な唇をエロの文脈で艶かしく描く傾向が強くなっていているのをここ10年ほどで感じる。
言うまでもなくキスはイチャラブ・相思相愛の関係で描かれることが大半であり、まあ中には催眠や精神支配系の文脈で陵辱的に用いられることもあるとはいえ、本質的にはノーマル寄りの嗜好であるはずだ。
商業誌で多いのは言うまでもないが、同人でもキスハメ描写が目立つようになってきた現象は近年の風潮として特筆すべき変化の一つだと想う。
なぜこうなってきたのかは判然としないが、VRアダルト動画の影響も少なからずあるのではないか。
だがVRが流行りだす以前から既にキスハメは増加の兆しを見せていたように個人的には感じる。
10年前といえば催眠音声が流行りだした時期で、その後に続く同人音声作品においてもキス音や唇の存在感をフィーチャーしたものは多い。
囁きや耳なめを含むASMR/バイノーラルの認知度が高まるにつれ、唇の持つ性的魅力が注目されてきた背景があるのかもしれない。
それに加え、男性を溺愛するタイプの病み系キャラやおねショタ系嗜好の露出も増えてきた印象があり、それとキスの相関も深いため、一因として数えられるかもしれない。
果ては女性キャラを「ママ」と呼び「バブみ」を会得したオタクの出現などもあり、M気質というか受動的に愛されることが一種のミームと化していた側面もある。
こう考えると背景はだいぶこじらせたものであると捉えることもできるし、元増田からは「やっぱり普通じゃないじゃん」と言われそうだが。
中には特殊な嗜好に基づくものもあるとはいえ、SNSなどで承認欲求を刺激されがちな現代人にとって、愛するより愛されたい心理が強まるのは自然なことかもしれない。
いや、漫画等で描かれるキャラは自分ではないので厳密には少し異なるが、それでも女性側から愛され求められる様子を見て幸福や興奮を強く感じるようになるのは、孤独を感じやすい現代において加速していくように思う。
価値観の多様化、分散化による精神的な孤独だけでなく、ここ1年に限ってはコロナによるステイホームにテレワークでさらに物理的な孤独感も増しているので、尚の事だ。
@kodaka_kazuma
今日聞いたパワーワード。BL編集が「読者さんにストレスを与えないように」と言う。キャラクターが辛い目に合うシーンなどを極力省いて、現実ばなれした優しい世界を描くように。それが売れるんだから、薄味ハッピーが売れるんだから。ということだそう。作者のストレスはたまる一方だろうな。
この編集が「売れてるものを知らない」わけではなく、実際売れた本の数字をみてのことなので、当然といえば当然なんですよね。ごりごり設定のもので勝負するほどバックアップ予算はないし余裕もない。だから適度に稼げるライトなBLだけ描いてくださいよってこと。
商業誌として出すものだからそこそこ売れてくれなきゃダメなのこともわかるし、今求められてるテーマに日和見なのも理解できる。しかし「読者さんにストレス与えない内容」って言い方は読者さんを下に見すぎじゃないか?と個人的には思ったのでした。
エロマンガ家にはエロマンガ雑誌の献本が届く。描いてない号も届く。普段はそんなに熱心にそれを読まない増田だが今日は急いで開いた。大好きな作家の新作が載っていたから。
元々同人作家でその作家の本は手に入るものは全て探して手に入れていた。もうなんかものすごく重たくて愛が歪んでいてちょっと怖いそういう歪んでる所がめちゃくちゃ可愛くてエッチな女の子を描くのだ。こんなこと誰にも語ったことはないが最高なのだ。増田は滅多に好きな作家と思えるような作家に出会わないのでこれはすごく嬉しいことなのだ。
自分がその雑誌に描くより大分後に載るようになった作家なので最初に献本に載っているのを見たときにはめちゃめちゃびっくりした。言わずもがな最高の作品が載っておりこのときばかりは献本が自動的に送られてくることに歓喜した。
さて、増田も同じ雑誌に描く作家として、編集と打ち合わせをする。どんなのがいいかな~って話す。たまに趣味を出してものすごい暗いヤツとかどうですか?と言ってみるけどやめましょうよ……と言われて素直にやめる。乳のでかい可愛い女が好いてきてセックス、みたいな全然中身のないヤツを描く。でもこれが一番喜ばれるし叩かれないよなあ、ともう無心で作っている。そこに自分の趣味趣向はない。仕事とはそういうものだ。
話を戻すとさっきわくわくしながら読んだ献本には、増田の好きな作品は載っていなかった。増田のお気に入り作家の描いた作品は、乳のでかい可愛い女が好いてきてセックス。という全然中身のない何かだった。
あああああ!!!!!!増田は心の中で叫びうなだれた。有る意味中の人間なので何が起こったのか手に取るようにわかった。違う、違うんだよ。増田が読みたかった先生の漫画はこれじゃないの!!!!
ちなみに先生は商業をはじめてから同人誌を出していない。それでも今まで載っていた作品は、ああ先生の作品だ………と思えるような雰囲気があった。多少商業誌において気を使ったような部分は有るものの、漂う雰囲気がちゃんと作家の個性だった。
しかしさっき読んだ漫画には1ミリもその雰囲気がなく、ちんちんはしおしおになった。
いや、作品としてはとても素晴らしい、というか画力もものすごく上がっているし作家として言えばこれは売れそう!正しいルートだ!誰も彼もがこの作家の漫画、よかったって言いそう!と感じた。
強いて何が悲しいのかと言えば、大好きな作家が路線変更した事ではなく、自分の好きな路線は潰されると言うこのいつでも起こり続ける現象が悲しい。身を持って知っているからこそ作家に罪はなく、仕事ってそういうものだと言うのがよくわかる。
もう先生のあのねじ曲がっててちょっと怖い感じの女の子、見れないんだあ………。いやひとつの実験であるとありがたいんだけど………。
同雑誌の作家として編集に相談してこようかな………とも思うけど自分が無個性に甘んじてるのになんかなあ………と思いながら暴れている増田でした。ああああああ!!!!!
増田長文腐女子のほうが原液だから濃くてヒドくて面白いよ(宣伝)。
2chネタを商業化されてから原文の2ch読みにきてハマる人もいたのだから、そういう意味での存在意義はあるけどね。
・本文
私は「同人女の感情」をネットで全部読んだ同人女です。「わたしのジャンルに神がいます」もコンセプトカフェの帰りにアニメイトで買いました。最近角川は腐女子ネタ頑張ってるね。たしかつづいさんもだっけ。お布施がてら、私は知ってるけど家族にもよませるために買える絶妙な立ち位置の本うまいね最近の角川。(家族に読ませない本は電書が重くなくて楽)
増田にもそれに先んじてネット掲載の最終話のアンチの話がリツイート数がもりあがらなかったって投稿 anond:20201110232328 がブクマをあつめておりました。
盛り上がらなかったのは、私の見たところ単純に、冒頭で一度綾城本人でなく取り巻きの中島のアンチ?の話をやってて、繰り返しになっちゃったからかとおもいます。理由はどうあれ、神にとってどう対処しようもないことを目障りな行動とうけとめ嫉妬してアンチになる構造は同じです。
(実際は本当に作風があわない場合、アンチというより地雷になるケースがありますし、真田氏も最終話では最初そちらを狙ったのだけれど商業化のせいでそこまで踏み込まなかったのかもしれません。し、最初から再話になってでもアンチ感情を主題として繰り返し突き詰めたかったのかもしれません。)
また、書籍化にあたり綾城がどのように中島と付き合い出したか、その同人の最初期のようすが描き下ろしで追加されています。
私からみると、あ~まぁだいたいそんな感じですよねぇ、という人物造形です。特に絵師の場合は専門学校・芸大などで一緒だったとかいうつながりも多いし、めちゃくちゃ馴れ馴れしい取り巻きがおるとおもったら家族だったり幼馴染な場合も。
だから綾城と中島の間には神も生育歴をもつタダの人間である以上どうにも他人には割って入れないんですよね。嫉妬するだけ無駄だったんだよというネタバラシ(もちろん創作に情熱を落とし込めたことは彼女の今後の人生によい影響があることでしょう)。
表紙4だったか帯だったかの実家の猫写真といい、本人はあまり神の自覚がない、ごく普通の、一分野だけセンスがちょっといいだけの女性が綾城ですし取り巻きの意識のない仲良しさんが中島です。(そういえば、この自覚がないまま神に祭り上げられる同人書きの「嫉妬や信仰を勝手に向けられる気持ち悪さ」の吐露も増田記事でなら読めるよ!宣伝)
ところで角川は「同人女のクソデカ感情」を帯の惹句に使うことにしたようですが、クソデカ感情って一体なんだろと思ってしまいました。
感情って表出しないとなかったも同然のものなのですよね。登場人物はどの人物も最終的に同人創作に手を染めるくらいなので作品へのクソデカ感情はある。そしてその創作に至るきっかけの部分で、綾城の文に出会い、それを書いた「神」へのクソデカ感情ももつわけです。作品のみならずそれを解釈する先達への感情も表出しているってのが主題なわけです。ただし綾城「神」本人以外。神は創作するのですごい感情を持っているのですがそれを全部作品に昇華した上、真田氏はその創作を直接は書かないので神がどういう感情をもっているかは読者からは徹底的に隠されています。それがまずおかしいわけです。
結局、人は、創作か行動で表すかしか感情を表出できないし、他人からみても感情サイズをクソデカと計測できる部分はない。そして創作も行動もできない人のほうが世の中は多いわけです。
同人、それも文章でクソデカ? いやいやこんなものじゃないでしょう、って思うんですよね。
鬼滅のなんとかを見てたらわかるじゃないですか。普通の善良なおとうさんおかあさんが子供を喜ばせたい感情を動機に、同人女が欲しくても手を出さないよう自制しているまがいもの商品を買ってしまったり。出版社のえらいひとも混乱してわけのわからないものを独占商標として出願しようとしてあわてて取り下げたり。
プリミティブなだけに行動は繊細さがなくドカドカジャンルを踏み荒らしていく。それをみてもともとジャンルにいた人がジャンルが売れたと喜んだり、新規ファンが粗暴だ公式が横暴だと悲しんだり、繊細に毎日毎時間ツイッターを見ながら感情をうごかしていますが、そんなもの世間ではなかったも同然なんですよね。
世間のほうが同人女なんかよりクソデカ感情によるクソデカ行動をツイッターの外でやってるんですよ。やらかしですよ。
さらにいうと、人はファンである自分を自覚し始めるとクソデカ感情(? 「私腐女子だから」「オレオタクだから」)を動機に簡単に法を踏み越えるケースがあるし、ネットと創作がからむとより簡単にやれてしまいます。そんなもん合法○○マニュアルみたいなもので商業誌に出すわけにいかないですが、2話3話あたりの垢移動先突き止め作業なんか出版会議ですれすれだったんじゃないかなとおもいます。
その暴れん坊の感情面をいい感じに抽出してここまでが合法ですよという綱渡り創作としてはお仲間からみて、さじ加減が見事で面白いってのはあります。
ただし感情を創作行為になんとか落とし込めている人たちは本当にレアケース、くそエリートです。同人やってたらねほりんぱほりんに招かれた人くらいレアでエリートです。
実際は真田さんは絵かきですよね(文章書きと兼任する人も多いですしよく調べてますがちょっと違うなと思う部分も)。
絵かきより文かきは個性が表出しづらいです。読みやすさ追求により互いに似てくる傾向があり、二次創作を追求するだけのことでも非常にこじれやすいケースがあります。というか、どうしても同じキャラ同じ性格を下敷きにするので同じシチュが流行る。再話に再話を重ねてしまう。伏線を自分が発見したのに~なんて嫉妬するのはものすごく流行ってるジャンルだと全監視できるわけないんで無理なんですよね。てか実況ツイでみんな同時に同じようなこといいだしますよ。今日もフォロイーさんが今日嬉しくなってツイした「今日発見した伏線かもしれないフカヨミ」、一応ググったら2年前の過去ツイに同案が居らしたって落ち込んでらした。ジャンル10年、ミニジャンルでも5年以上超えるとまあ誰かがどこかで同じことをお考えですね。もはやだれが考えついたのか区別がつかないくらいみんなでツイのまな板にのせてこね回した共有幻想ですから二次創作で自分の個性を出すことってものすごく難しいですよ。
そういえば増田(anond)では同人盗作騒ぎについても興味深い腐女子長文投稿がありました(宣伝)
他にも人は様々な理由で同人を始め、心をへし折られ、敗れてジャンルをさります。
そういえば一時期、増田でマキシ丈云々とかやってたのなんか単なる容姿が原因ですもんね(宣伝)
真田さんのマンガに出てくるクソデカ感情女さんはピアスの似合うセミロング美人ばかり。(いやよく見ると髪型が一時期の少年漫画みたいなお方もいらっしゃいますし、綾城は法則の外にいます)
だから物理でいえば等速直線運動くらい初歩の初歩のモデルケースなんです。「ただし弾性率は100%、摩擦は0とする」みたいな。
もっと複雑化された人間模様とクソデカ感情がみたければ増田で腐女子長文とかうんことかついてるやつ読むとめちゃくちゃおもしろいですよ。「1年前から増田にきてください、本当のクソデカ感情ってやつをお見せしますよ」とおりすがりの山岡くんもこういうはず。
はてなもね、なぜかジャンルを去る腐女子がちょくちょく長文捨て台詞を落としに来るという利点を自覚してまとめて本でも出せばいいのに。
(q.hatenaで2冊も商業出版されたことがあるじゃないですか)(知らないの? きみはもしかしてはてな初心者?)
腐女子のクソデカ感情がみたければ増田も濃くて面白いんですよというお話でした。
ついでにorangestarさんの801ちゃんコミックもよろしくね。あれもいにしえの腐女子のクソデカ感情(びたーんびたーん)が本当におもしろいしはてなブログから同人版買えるからね(宣伝)
実録モノだからどちゃくそに叩かれてるのかと思ったら完全フィクションなようなので驚いている
「え、なんでこんなに叩かれているの…?」というのが正直な感想
漫画内で行われている行為に問題がある(いわゆるパワハラ行為)から炎上してるようだけど
別にフィクション内で人殺そうが窃盗しようがレイプしようが自由なわけで
サイコの社長がパワハラで美大生洗脳して若者を搾取する作品があってもいいわけですよ
むしろ「フィクション作品内の行動が現実で行うと問題がある行為であることを理由に叩く」って行為こそ
ネットの人は嫌っていなかったっけ
もちろん作品の好き嫌いや批判をするのもまた表現の自由の一環なわけだが
例えば「このような物語が美談・常識として受け入れられるのは将来的にこの業界によい影響を与えない」とまで言っている人もいて
しかもその主張はある程度受け入れられているようでまたまた驚いた
これっていわゆる太宰メソッドじゃないのか?
「社会に良い影響を与えない」という批判を令和の時代に見ることがあるとは
なぜかこの漫画に対してだけは「not for me」の態度が取れていない
一番深刻なのは「この漫画を擁護してる人って~」などと平然と人格否定のコメントする人まで出てきていることだと思う
今のところ作者への誹謗中傷までには至っていないようだけど
それおまけでかくんじゃねえとか本編でかけと言うんだったら早く脳内から鬼滅という存在を消した方がいいね笑
愚痴垢に愚痴を言う人のことを頭おかしいみたいに言っているけど
だったらもはや何が来ても怨毒しか吐かないジャンルのキャラのモンペ(架空の存在を擁護する活動家笑)するのやめな~?笑
アニメで黒死牟戦やってもグチグチ言ってサジェスト汚染するんでしょ笑笑
商業誌の単行本の幕間を垂れ流しとか夢小説とか言うほど精神が荒んでるんだったらもう鬼滅がノットフォー・ユーだったんだよ笑
わざわざ嫌いなジャンルに住み着いて、ワタクシが作者・編集者だったらこうする!!てぼくのかんがえたさいきょうのきめつのやいばやってるのを見ると
原作でやったともやっていないとも書かれていないことをやったと断定してクソ野郎認定してヘイト創作してる感じ笑笑
私は漫画を描く。
別に売り上げで食べているわけではないけどめちゃくちゃ赤字というわけではなく、それこそ「趣味」の範疇に収まっている。
よくいる締め切りがないと描かない人、のひとりだ。
恋愛するわけでもなく、世界を救うわけでもなく、特段なにも起こらない。
漫画を買ってくれる人も特に感想は言わないのでどう捉えられてるかわからない。
「よくわからない」漫画を描いてる私自身も描いてる途中に「これはなんなんだ?面白いのか?面白くないのか?わからない…」になる。
わからないものを描くのは割と苦痛だ。なにになるなかわからないからだ。
話の流れとか、コマ割りとか、諸作業においてめちゃくちゃに頭を悩ませることは少ない。(それほど考えてないからかもしれないが)
だから、自分にとってそれなりにあっている表現方法なのだと思う。
商業誌連載が仕事な人、いわゆる漫画で食べている人が羨ましいなと思うことはある。
けれど、私は好き勝手描ける方が性に合ってるし多分それしかできない。
だから、面白れー!となる漫画を描いてる人は、すごいなと思う。
面白さを狙って、狙った通り面白い漫画じゃないと「良い」漫画じゃないのか?となんとなく考えた。
多分そんなことはない。漫画だって、受け取り方の多様性があるし、そこに委ねる形で読む人の数だけ解釈があって、感じることがあると、なんか良いと思う。
自分がそのような傾向にあるが、「わかりやすいもの」ばかり求めると、なんとなく良くないなと思う。
別にわかりやすいものが悪いんじゃなくて、そればっかり摂取してるとなんか良くないのでは…と思う。
だから、私みたいに「よくわからない漫画」もあっていいんだよな、と勝手に結論づけた。
文章書くのは苦手だけど、文章でこんなんだから漫画なんて余計わけわからないことになってそうだ。
漫画はエンタメとしての側面が強く感じるけど、私は絵画を描くようにひとつひとつの作品として向き合っていけたらいいなと思った。
誰も見てないであろうけど誰かがみているかもしれないここで宣言しておく。
頑張って描くかあ。