はてなキーワード: モラルとは
だとするとみんなが嫌がっているからって理由で身勝手に他人を抑圧することができてしまう。
「ダサい服装で登校すべきではない」それはイジメの理屈でしかない。
モラルと好き嫌いの違いは、他人を説得できる論理があるか否か、だ。
論理がついていれば第三者がそれを検証できる。なければクラスでどれだけの権力を持っているか、フォロワーが多いか、王様側の人間か、がすべてを決めるパワーゲームが通ってしまう。
AIの進歩によって掃除機も賢くなっていくだろう。だけどこの先どれだけ知能が発達しても見分けることはできない。ゴキブリとお前を。バカが過ぎる。でも確かにいう通り、生育の過程で分かち難くモラルが入り込むのはある。男子のランドセルは黒っぽいのが良いのか、男は女子を護れるように強くなるべきか。
「~するべきだ。なぜならば〜〜だから。」
説明なしで押し付けられた行動規範を反省し、納得できる論理をつけて再構築する。難しいものは好き嫌いとして認識しておく。そうすれば他人を不用意に害する心配がない。成熟した大人はそうでありたい。そんな大人の社会にはイジメはない。
モラルとマーケティングで分けるのもいいが、最大の問題は「表現がインモラルだとしても、それは果たして"悪"なのかどうか」という論点だよ。
この場合の悪とは、その表現が性差別に相当するのかどうか、に他ならない。
企業がマーケティングの観点から消費者に配慮するのみならず、普通に、不快感を感じる人へ何らかの配慮がなされる社会であるべきだろう。
しかし、それは強制であってはならず、あくまで自由な選択のもとで行われるべきだ。企業には、消費者を無視して炎上する自由もある。
前述したように、表現の自由戦士が絶対に譲ってはならないのは、性的表現であることは即座に"悪"すなわち性差別を意味しない、という一線だ。
性的消費って何だよ?その絵で誰が消費されてるんだ?消費されているとされる「女性」て誰のことだ?「消費」って何?それの何が悪いの?
◯◯を連想する、累積的体験がー、いやそれらはまとめて「不快感」と呼ばれるものだろうよ。
これらについて、アツギのマーケティングとしてはNGだとしても、件の絵について、「性的消費」なる「準性差別」のような曖昧な概念による批判を許してはならない。
機械でなく人間が買ってる以上自分のモラルに従いたいし(企業の考えたモラルではない)頭をつかって自分で知識を集めて考えるだろ
「モラルの低い人」「企業のイメージだけにだまされる頭悪い人」とみられたくないだけだろ、ってのがお前の理論なんだろうがマーケティング云々いう増田に独特の考え方の癖にすぎない
「F2層ならピンクにぬっときゃ買うだろってちょっとまえまでよくあったおじさん主体企業のわけわからん固定概念」とかでくくられたくない、値段、クオリティ、自分の中の独自の基準に従ってものを買ってる人も多い。
未だに雪印の加工乳を売り場で見るたびに運搬業者に消毒しない手で開封させタンクにいれさせてそうでちょっと気持ち悪いよなって思う人もいる。
そのころうまれてないからわからん?じゃあ毛皮(合成でなくたとえばミンク)考えればいい
モラルが他人から動かせないくらい込み入ってるのは生育歴からいじれない以上あたりまえのことだぞ
ゴキブリの卵だろうと落ちてれば吸い込むルンバ相手に「掃除と殺虫を分けろ」って説教でもしてろ
みんなそんなに頭悪く無いってだけの話だよ
元増田さん。あなたがこのような問を立てたくなる気持ちはわかりますが、この問は無駄です。
本丸はモラルだけどマーケティングの話は絶対手放さない、2つは不可分である、が本音です。今回騒いでる人たちは、この2つを分けるつもりはさらさらないはずです。
男の人にはわからないと思うけど、女は一点でも明確に勝てる理屈があれば、極論全部それにつなげるというやり口を好みます。
今回の件でいえば、モラルの方で苦しくなったらマーケティングの話に誘導し、そちらで文句言われなかったらモラルの側も勝ったと言うことにするのです。
自分がちょっとでも不利になったら、流れぶったぎってでも「でもアツギのマーケティングひどかったよね?それを責めるのおかしい?」につなげます。都合の悪い話は一切付き合いません。
そして、何も説明できていないのに「は?モラルでも100%勝ってるんだが?」などと言い張るのです。これを相手がうんざりして自分の言い分を認めるまで続けるのです。
女なら大半の人はそうするでしょう。私だってそうします。 これは相手から愛されている間はとても有効な戦術だからです。
今回、企業がやらかしたことに対して批判の声が強い、批判する人がやたらと強気、なのはお気づきかと思います
これは、たとえモラル側での指摘が微妙でも、マーケティングの話なら絶対に勝てるとわかっているからです。
そして、女としてはこの状況なら必ずといってよいほどこの2つをわざと混同します。なぜなら目的は正しい議論をすることではなく相手を屈服させることだからです。それでもまだ相手を屈服させようとするならましな方で、ネットだとさらにひどいです。人と関わり合いにならなくてもいいことに自分の脳内で精神的勝利するためだけとか、相手への嫌がらせをするためだけにこういう態度をとる人もいます。
だから女同士の時はモラルの会話で盛り上がり、批判されたら「私達は企業のマーケティンを批判してるだけですけど、なにかまちがってますか?」としらばっくれます。 これは半ば自覚的にやってます。
実際にこういうしらばっくれたことを言ってる女の人をたくさん見かけたから増田さんは「どっちなんだよ。はっきりしろよ」と迫っているのでしょうが、はっきりするわけがありません。わざと一緒くたにしてるのですから。
女としては日常的にこの手を使います。とても効果的だからです。
なので、男性の方々は、なにか明確に負ける要素ができた時点で全面敗北を認めるか、このやり口をやってくる女性は最初から話をするつもりなどなく男を屈服させたいだけなのだということを理解してシャットアウトするしかありません。
くれぐれも、2つを切り分けた丁寧な議論ができることなど期待しないでください。わからなくてやってるのではなくて、わざとやってるんですから。
女はこういうやり口を好むということは知っておくとこの先の人生で理不尽にやり込められることは減るでしょう。
よく思い返してみてください。こういう人見かけませんでしたか?
私はフェミニズムにあまり興味がありませんが、たまに目に入ってくるフェミニズムに関する会話を見てると、議論の途中で流れぶった切って
「でも○○は悪いよね?」
みたいな話をしだす人必ずいますよね。
アツギの件でも、マーケティングの話する人はまだマシで、もっとひどいのになると「女性のレイプや痴漢の被害者の数が」とかみたいなことを言い出す人がでてきます。賭けてもいいです。絶対にこういうこと言い出す人がいるはずです。
似たようなことは私もしますが、ここまで来ると流石にオエッてなりますね。
こういう人たちは、人の話を全く聞く気がなくて、この「魔法のコトバ」で男を屈服させることだけが目的です。自分が魔法少女になったつもりなのですね。なので、こういうことを言ってる人を見かけたら、いい年して魔法少女ごっこやってる痛い人、位に思って優しくしてあげてください。 ※
※半数以上の女性がこういうことをやる、という話であって女性が全てそうではないですが、どう表現していいのかわからないので以下の主語は女、とさせていただきます。主語でかいと思ったら各自適切な主語におきかえてください。普段から主語がでかいってコメントで指摘してる人、当然適切な主語を当てはめられるから言っておられるのでしょうから。
※なお、この戦術は用法容量には気を付ける必要があります。 最初は愛情を盾にして理不尽な手段として使っていたはずなのに、有効だからと言って使いすぎるとだんだん感覚がマヒしてきてこれが当たり前になります。そしてしまいには「私のこの言い分を受け入れてくれないのは相手が私を大事にしてくれないからだ、バカにしているからだ」と考え出し、メンヘラになります。ネットでよく見かける、何に対しても過激にキレまくってしまう女はこの手法におぼれて魔法少女から魔女になってしまった人たちですから相手にしてはいけません。
/(^o^)\ この増田に「こんなの男女の問題じゃないわバーカバーカ」って一秒で返せない残念なコメントが多くてはてなくんさぁ、そういうとこだぞ。
アツギのタイツ炎上の件、そろそろどういう理屈で批判してるのか整理してほしい。
批判するならTwitterやはてブ、さらにはインターネット全体で主張を整理しろ/絞れと言い出す輩、世界をどう捉えているのか心配になる。
統合失調症のように、集団ストーカー的な統一された意思を持った闇の組織が批判者全体を操っていて、ならばこそその主張は組織全体で統一されていなければおかしい、とでも考えているのだろうか。完全にイカれている。
単純に、モラルが問題だと思った人もいれば、問題ないと思った人もいるし、マーケティングの問題だと思った人もいれば、問題ないと思った人もいるし、それ以外の思想の人も当然いますよ。それが社会なので。で、別にそれらを統一する必要もない。こういう批判の軸があったね、と後から現象として分析することは可能かもしれないが。
倫理やモラルで殴るのとマーケティングで殴るのは両立しえないから、どっちで殴るのかはよく考えようね!
あと倫理やモラルは自明のものではないからもっと理論武装が必要だし、マーケティングの失敗だとしたらあそこまで殴るのはやりすぎだよね!
でもあの広告を不愉快に思った個々人が買わないのも自由だと思うよ!
(複数の論点があっていいだろってブコメが多いから、書き方が悪かったのだと反省して要旨を追記しました。わかりづらい書き方してごめんな)
アツギのタイツ炎上の件、そろそろどういう理屈で批判してるのか整理してほしい。
モラルの話とマーケティングの話、根本的に噛み合ってないと思うんだけど。
モラルの話ならもっと理論武装してほしい。担当者も絵師の大半も女性で、さらに「私はあの広告が好きな女性なんだけど」という書き込みもちらほら見られ、ああいう絵を好む女性もそこそこいるというのが可視化された。「たとえ作り手が女性でありそれで喜ぶ女性消費者がいたとしても女性を消費するような広告はモラルに反する」という主張はかなり強い主張で、ほかのアパレル広告や化粧品広告とかにも影響を及ぼし得る。女性が企画して女性が作った女性用商品の広告であっても女性が消費されている(ように見える)とアウト、という筋で攻めるのだとすれば、今後思いも寄らないところで炎上が発生する可能性がある。今後のためにもしっかり理屈を詰めてほしい。
さらに、「女性を消費する」のが駄目なのか、そもそも「性を消費する」のがアウトなのかも詰めてほしい。男性の性的魅力を強調するような広告も駄目なの? それとも男性は消費してもいいの? どっち?
「男性の性的魅力を強調するような広告も駄目」なのだとしたらちょっと持ち帰って検討させてくれ。女性向けか男性向けかを問わず駄目になる、あるいは文句を言われ得る広告いっぱいあるよね。具体的にはこないだの『an・an』とか、https://twitter.com/m_kuroba/status/1192993090442629121←こういうスーツの広告とか。「いやいやそれスーツじゃなくてスーツの下のボディラインに密着したYシャツ姿見せてますよね?」って思わん? 思わんか、そうか。
「男性は消費しても構わないけど女性は駄目」なのだとしたら、それは男女平等の理念から考えてどうなのかという話になるので、この点についても理論武装をしっかりしてほしい。それに納得しない男性は大勢いると思うし、なんなら女性にも納得しない人はそれなりにいるだろう。
マーケティングの話なら倫理的に激ヤバな主張に片足を突っ込んでいることに気付いてほしい。上で書いたように、「私はあの広告が好き」という女性もいたわけで、彼女たちのような購買層はマイノリティだから考慮する必要はなく、マジョリティの不愉快に基づいて叩いてよい、とするのなら、端的に多様性の尊重とかそういう理念からはかけ離れているよね。
「男どうしがキスしてるマックの広告はマジョリティである異性愛者を不愉快にさせている」とか、「台湾を『国』と表現した漫画はマジョリティである中国の読者を不愉快にさせている」とかも、マーケティングの失敗だから叩かれて当然って思う? 思うのなら一貫性はある。一貫性はあるけど、それは倫理的な態度といえるの?
ていうか、本当にマーケティングの失敗の話なの? マーケティングの失敗って、ここまでボコボコにされないといけない案件だったっけ? マーケティングの失敗に一般客への「謝罪」が求められるような事態って普通だっけ?
たとえば、こんな主張をする人もいた。
この「場違い」ってのは、相当な悪ですよ。
あるところでは人気者でも、全然違う文脈にいけば不快感の塊になってしまうものなんだから。
仮にこれで謝罪が必要だと考えてるなら倫理観ぶっ壊れすぎててドン引きするんだけど……
もちろん、ジャニーズ俳優が人気マンガの実写化に起用されたら「ありえない!」って騒ぐオタクは大勢いるだろうし、芸人(ryやAKB(ryでも同じ反応になるだろう。でも、普通、それで担当者や公式twitterが謝罪を求められたりするか? むしろ謝罪にまで追い込んだら逆にオタク側が批判されない? 「たかが実写化にジャニーズが出た程度のことで炎上させて謝罪にまで追い込むオタクのモラルはおかしい」って言われるのが普通じゃない?
いや、私も未だに許してない実写化作品っていっぱいあるけどさ、それらの作品の監督が「あんな不適切な作品を作ってすみません」と謝るべきだとは思わないよ。ていうか、ここまで社会現象になって謝った例って聞いたことある? 『デビルマン』の関係者は謝罪すべきだったの? 全国紙で「不適切な作品」として紹介されるべきだったの?
(監督が「今の自分から見れば原作の魅力を殺してしまった下手な実写化だった」と振り返るのはありえるだろうけど、それは巧拙の問題であって善悪の問題じゃないよな……)
何度も言うけど、あれが不愉快という個人の感性は尊重されるべきだし、個々の消費者が「もうアツギのタイツは買わない」って言うのも自由でしょう。別にそこは問題視してないです。好きに不買すればいい。個人の好みに理屈はいらない。そこは理不尽に振る舞うことを許されている領域であって、難しい理屈を考えずに「不愉快だから私は買わない」と言うのは何も責められるべきことじゃない。私も好きな作品の実写化に出た俳優は不愉快だから彼ら彼女らがCMで宣伝してる商品は買わないけど、そこに理屈や正当性を求められたら困る。不愉快だから買わないことに理由が要るのか? そんなわけはない。
でも、「私は不愉快だから買わない」を超えて「社会的問題」にしようとするなら、せめて相応の理論武装はしてほしいし、今のアツギ叩きにそれが足りているとは到底思えない。
増田が求めてるのは「フェミ叩きするのに相手方の主張が一本筋じゃないと叩きにくいから統一して簡略化してくれ」ってこと?モラルを批判してる人とマーケティングに嫌悪感を示してる人が別々に存在するだけだよ
マーケティングの論理で殴ろうとすると倫理的に危うい主張になりかねないんだけど、それは自覚しているのか、マーケティングの話と倫理の話は矛盾していて同時には成り立たないのではないか、という話をしてるんだけど、なぜそれだけの話がこんなに通じないのだろうか……
倫理なんて知らねー、購買者のマジョリティである我々を不愉快にさせたので叩く! というなら別にいいよ。台湾や香港をめぐって中国の購買者層からイチャモンつけられたときも同じこと言うんだよね? 少年漫画のメインの購買者層である男性を不愉快にさせたから男キャラ同士が仲良くしているような「腐媚び」描写は叩かれても仕方ないんだよね? そう信じてるならマーケティングを叩けばいいんじゃないの。同じ口で二度と倫理とかアップデートとか言うなよと思うけど。
「あなたはその意見を他の案件にも適用しうる普遍的な基準に基づいて主張していますか?」というの、そこまで難しくない話だと思うのだけれど……
男性目線だの何だのと叩かれてめっちゃ憔悴した女性イラストレーターさんとか、こんなのを好む女はいないとクソデカ主語で殴られて怒り心頭のオタク女性とかを見てるので、ちょっとここであっさり引き下がるのは私の倫理観に照らして無理だなぁ。別に殴るなとは言ってないんだよ。個人の不快感も別に否定してないし。ん? その理屈で殴って本当にいいの? 他の案件と整合性取れる? って言ってるだけ。
一人一人確認することは出来ないのだし、知能によっては本人が理解したり考えたりのコストが莫大になってしまう、ある程度は「モラルやルールや法律」って枠組みを作ることによって押し付けるしかない。
君も「炎上させることの是非」なんてことがおかしなことは分かってるわけだろ、分からない人たちにも理解させなきゃいけないってのは頭のいい人のエゴであり、無理なこと。
殺人が悪いことかどうか分からないやつにも、殺人はしてはいけないと教えるのが正しい振る舞いで、本人が理解する必要がないことは世の中にはたくさんある。
タイツ広告企画が炎上・謝罪した件で未だにモヤモヤする点がある。
タイツを着用しているイラストとタイツを着用しめいる商品広告・パッケージ写真の比較について、たまたま見かけて、数日納得がいってない指摘があった。それは、「公式がこの謝罪文を出すということは美脚を強調するタイツの広告はモラルに反している」というもの。
それは飛躍しすぎてはないだろうか?
というか、今回の件の問題点が明確になっていない。
公式の謝罪文では「一部のイラストに性的な描写を連想させるような不適切な表現」を認め謝罪している。
先程の指摘内容をこう捉えた。
「イラストに不適切な表現があったと認めるなら、商品広告写真も美脚を強調しているので不適切という主張になる。」
これは成り立たない。何故か。
それは、非常に曖昧な線引きだけど、「視点」と「演出」の問題だと思う。
結論から言うと切り取り方、ピントの合い方に今回は問題があったのだと思う。
私は広告に使用されている写真には「性的な描写を連想させる表現」を感じなかった。少なくともこの会社のものに関しては。
タイツを履いて体育座りをする人がいる。この人をどう切り取りどう演出したか。どう演出するように会社がブランディングしたか。そこに問題があったのではないか。
例えばタイツを履いて体育座りをする人がいる。魅力的に魅せるためにかなり際どいポーズをして、太ももまで見えているかもしれない。そういう被写体をどう切り取るか。
「性的な描写を連想させる表現」に関しての線引き。それは色々な要素が絡み合っているだろう。
・どんなポーズか?
・どんな構図か?
・どんなコンセプトか?
・どんな感情か?
・どんな表情か?
・どんな人間か?
・どんな世界観か?
・どんな状況か?
・どんな色合いか?
・どんな目的か?
「性的である」というのは、女性がタイツを履いているだけで性的と感じる人もいれば、パンツが透けていても性的と感じない人もいるだろうから人によるが、要は加減の問題だと思う。
同じ体育座りでも、
「タイツを魅力的に魅せる為のポーズの一環としての体育座り。その他の情報は一切排除されており質感もフラット。特定の人間の視点を感じさせない」ならどちらかと言うと性的ではないと思うし、
「日常生活の中でのチラリズムを想像させる状況としての体育座り。タイツの質感が目立つ。そのタイツを履く脚に注目している人物(絵の視点となる人物)を感じさせる」ならどちらかと言うと性的だなと思う。
商品パッケージの写真が性的だと感じなかったのは、「エロティックに」「フェチズムを強め」「性的に切り取ろうとする」意図がない、感じないだけである。撮ろうと思えば幾らでもそのように切り取ることができる。極端に寄った構図や光をバチバチに当てる、透け感を過剰に出すなど。「性的である」を基準にするならアダルトグッズのタイツのパッケージなどが参考になるかもしれない。写真でも分かりやすく演出はできる。やっていないだけだ。
逆に絵でも性的を感じさせないことは如何様にもできる。特定の視線を感じさせない構図、肉感を感じさせないラインや均一な質感。
今回話題となっているイラストは、そういう意味では性的に受け止められてしまう情報が比較的にあった、または多かったのだ。描き手の意識的/無意識的は置いておいて。
(尚今回の件は会社が性的な意図を発する絵を深く意識しないでPRに使用していたのが今回問題となっていると思う)
実際に今回話題となっているイラストの演出しているような状況、タイツがある意味魅力的に(肉感、透け感、チラリズムなどを伴って)見える瞬間。体育座り、パンチラ…などなどそんな状況は日常にも存在はする。存在自体は、している。
しかしタイツを履く本人が意図しないものは事故だ。ハプニングだ。
それはあまり…見るものではない。少なくとも「他者が見ていいもの」にはなっていないのだ。それこそモラル的に。
その瞬間を切り取り絵にすること自体が性的な目線を感じさせ、「一般的に見てはいけないものを見てる人」を想像させてしまう。それが嫌悪感に繋がるのではないか?
逆にタイツを着ている本人が意図して見せている瞬間(スカートをたくし上げる)などは、そもそものメッセージ自体が性的だと判断されてしまうのは仕方ないだろう。
ただライティングだの小道具だのモデルだの色々な工程を複数人で作り上げ撮影される写真より、全て1人で描ける絵の方が匙加減で演出をしやすいので、こだわりや意図が作品に反映されやすい。良くも悪くも。画面を魅力的に魅せようと感覚で演出してしまう傾向はあるのかなと思う。
絵では「ハイライトを足して立体感、艶感、肉感をかなり強める」「実際には目を凝らして見ないと見えないタイツの網目まで再現する」「タイツの反射光を強く入れ、普段は影になって隠れている部分まで注目させる」といったように普段ピントの合わない部分に、ピントをギリギリまで合わせることができる。その一定のラインを超えた異常ともいえるピントは、ある人によっては魅力で、ある人にとっては恐怖なのだ。
「性的である」「性的でない」「自然だ」「過剰だ」といった線引きは難しい。
そして、全てのものは誰かの視点で切り取られたものである。どんなに公平に見える統計だって、ただ適当に自分で撮った写真だって、必ず誰かが意図を持ち切り取った情報に過ぎない。
なんとなく撮った写真にも意図はある。なんとなく描いた絵が発するメッセージがある。
必ず全てのものがある一定の視点により切り取られたものであり、また意識的/無意識的に演出されているものだという事は頭の隅に置いておきたいなと思った。
40歳ももうすぐ中盤という年のおじさんなんだけどね、最近ニュースで同じ年齢層の奴が暴力沙汰だったり窃盗などを行っているのを見ると情けなくて仕方ない。
暴力沙汰の話なんかはね、相手の態度が気に入らなかったから殴ったとか、そういうのばっかりなんだよね。
もちろんね、そういうのは若い層も自分よりも上の層のジジイたちもやっているわけで、そういうのを見て呆れるけれども、同じ年齢層の奴が事件を起こすとなんてみっともないんだろうって感じるのよ。
おかしいよね、どの年代が問題を起こしたって感じるはずなのにね。
暴力沙汰に限らずに、YouTuberみたいな活動をしていてもほぼ年齢が同じくらいのおっさんが馬鹿な事をやっていると本当情けなくてね。
お笑い芸人が馬鹿なことをやっているのはいいの。あれは芸能人だから許される事だから。でもね、その辺のおっさんがYou Tubeで若い層に混じって常識はずれな行動をしているのを見ると、深いため息が出てしまう。
犯罪めいた事や常識はずれな事をしなければ、アニメだろうがゲームだろうがアイドルだろうが鉄道だろうがスポーツ全般だろうが、なんに夢中になったって変と思わないし夢中になれるものがあっていいねってなるんだけど、
犯罪や常識はずれな事をモラルやマナーと社会経験を学んできたはずの奴らがやっているのを見ると、ホントにね嫌悪感が酷いんだよね。
40代って、ぶっちゃけて一番馬鹿な世代かなって思っているんだけどね、それでももう立派な大人になったでしょって思ったら全然大人になってないの。
正直、これは批判食らって仕方ないと思うけど、うちらの世代よりも一つ若い世代くらいから子供のまんま大人になってしまったなあと思っていたんだけど、
最近友人の中で「エンブレ(エンジンブレーキの略)」がブームらしく、事あるごとにエンブレエンブレってやってるのを見かけるのだが、正直げんなりする。減速で失敗してエンブレ、レースで勝てなくてエンブレ、バイクゲーでミスしてエンブレ、徹夜でコーナリング中に寝落ちしてエンブレ。そんなにすぐエンジン壊してたまるか。せめて月単位で取り組んだようなことで壊れてくれ。テクが安くなってるんだよ。
高校からの比較的長い付き合いなので、ホントは才能ある人なのは分かっているが、今は最早めちゃくちゃ勝負が弱そうな人にしか見えないし、はやくやめてほしいと思っている。
ところが当人はものすごく楽しそうで、「エンブレ」という言葉も新しいレーサー界隈との交流の中で得たという話も聞いた。楽しそうなのは何よりだ。けれど欲を言えばやはり昔の理知的な友人に戻って欲しくて、その気持ちが拭えずにいる。6年前、マンガのバリバリ伝説を読んでいていつも夢中で熱血だったあの頃に戻って欲しい。今のテクに毒されて語彙力のないモラルもない生ガス垂れ流しマンになっている姿を見るのはもうこりごりだ。
これは両方とも職場における、私の目前での会話だ。
■会話例②
「さっきお客さんのパンツの線くっきり見えていて興奮してガン見してしまった」(報告)
私は聞こえないふりをしたり、①など同僚が侮辱されていると感じた時は反論したりしている。
このような会話がされるのは、この人たちのモラルが低いからということもあるが、他人の前で性的な冗談を言ったり、性的な会話をおおっぴらにすることが恥との感覚が今の社会で共有されていないこともあると思う。
最近、巨乳を誇張したキャラクターのポスターを公共の場に貼ることや、パンツが見えそうなキャラクターをイメージキャラクターに採用することに賛否両論が巻き起こっている。
私は巨乳やパンツ自体が悪いとは全く思っていないが、性的特徴を誇張する表現が街に溶け込み、それをおおっぴらに語ることが普通であってほしくないとの思いはある。
そのような性的特徴を誇張した「あの乳すげえ」「見えちゃいけないとこが見えそう」と語られるような絵や写真などの作品を、誰の目にも触れるような場所に置くことで、
そのような性的な話題は別にこっそり内輪で語らなくてもいいものだという風潮が広がることが嫌なのである。
それで結局どうなればいいのかと思っているかというと、私の職場にいるような、おおっぴらに性的な話を語って女性の困った反応を楽しんだり、侮辱したり、男同士の下ネタで盛り上がって女性を会話に入らせないようにするような人がいなくなればいいと思っている。
フェミが騒ぎすぎ、お気持ち案件だなどと言っている人たちはそんな事はしないかもしれないが、そういうことする人は確実に存在している。
会社や学校や街中であっても、他人に聞こえる場面において性的な揶揄が含まれるような話をすることは恥ずかしいことだと認識されるべきだし、性的な会話を助長するような表現はこっそり楽しめばいい。
性的にからかうような発言に対して反発すると、面倒な奴だと思われる社会なんてごめんだ。
そしてそのような考えを肯定するような環境だって、職場のような特定の世界でも、街中のような公共の場でも、無くなってほしいと思う。
ただ祈ったり経典を唱えてるだけでゴッドやブッダのパワーで幸せになれるは人類史における最強クラスの発明で、ぶっちゃけこれがあったから人類がここまでこれたのに否定しちゃうって……。
補助輪はクソ!こんなもの必要ねえ!って大人が全国の自転車屋から補助輪を奪っていって全部マリアナ海溝に鎮めようとするようなもんだ。
必要な人はまだまだいるぞ。
人事を尽くして天命を待つとウルトラマンがやってきて地球が救われるって信じる気持ちがあって踏み出せたから今のお前らがいるってこと忘れてないか?
男と女がカップルになり、子供が生まれて親となり、夫婦が協力して子供を育てるのが新しい労働人口を生み出す畑としてのワンセットだから。
人間社会を維持するには子供を作って増やしていく仕組みが要り、それを結婚と言っている。
不倫すると夫婦が離婚しやすくなり、健やかかつ優秀な子供の育成が難しくなるので、新しい労働人口を生み出す畑の質が悪化する。
不倫は子供を増やすための結婚システムを破壊しかねないので、一般的には認められてない。
国家が質の良い新しい労働人口を確保しつづけたいと思うと各家庭は落ち着いてもらわないと困る。
ところが金持ちだけはこのルールから逸脱可能で、経済力があるからその経済力で妻以外の女を支えることが可能。
金持ちは経済力で愛人を支えることが可能なので、2つ目の新しい労働人口を生み出す畑を持つことができる。
もっと金持ちなら3つ目以降の新しい労働人口を生み出す畑も可能。
建前上は国家の運営の支障になるから不倫はダメだとしているが、経済力があれば国家の運営の支障にならないように新しい労働人口を生み出す畑を複数維持できる。
金持ちは結婚システムをガチガチに守らなくても経済力で子供増やすための環境を複数維持できる。
したがって金持ちなら不倫してもいい愛人を持ってもいいと事実上黙認ができてしまう。
つまり、現行の結婚システムというのは子供を作って育成するためにちょうどいいシステムだからあるだけであって、実は絶対のものではない。
ただそれを守らないと質の良い新しい労働人口を確保するのに苦労するので守れとしており、それがゆえに結婚システムに破綻を起こしやすい不倫という行為が悪いとされているだけである。
生物的には人間はずっと同じパートナーだと飽きて、別れたり浮気したりするように本能でそう設計されている。(これは個体差が大きい)
浮気をしやすい男や浮気をしやすい女などの個体が一定割合で出るようになっており、3年ぐらいで飽きて他のパートナーを見つけようという本能的な働きがあったりする。
生物的には人間は結婚システムに適さないのだが、社会的に結婚システムがないと新しい労働人口を育むのに支障があるので、社会システムを無理矢理適応させ、モラルで縛っている。