はてなキーワード: シミュレーションゲームとは
主人公の女の子が最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。
今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式や修学旅行や卒業式、はたまた七五三や成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。
さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公の内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。
「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタと七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインとホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。
それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初の10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。
そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。
さらにいうと、1話で1年進むというのは自分はアニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影が必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。
では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的にシリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事な作品となるのでやっぱりあっていない。
シミュレーションゲームやアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。
もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公は女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画や原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメでしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。
話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園やはじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学と七五三、12話で修学旅行と小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業と高校受験、16話で高校入学、18話で卒業や大学受験、19話で大学入学と自動車免許取得、20話で成人式、21話でインターンシップや就活、22話で卒論、23話で就職、25話で結婚という感じ。
上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回や温泉回、はたまた季節系イベントのクリスマスやバレンタイン回をつければいいし、最終話で結婚の話なら結婚相手との出会いや告白の話も必要になってくるだろう。
シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故、失恋、就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。
後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行や卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。
なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディングの Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分の場合、確実に最後まで書けない。
本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。
最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。
そうそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年のアニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分が子どもの時は、ドラゴンボールの孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。
後、いくつかトラックバックとブコメを頂いたのでちょっと返信する
・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら
「女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回や温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて
「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ
確かに、「水着回や温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画や2ちゃんねるのコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。
ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。
こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。
浦島太郎とか
いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。
アニメではないけれど、「ハリーポッター」シリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。
なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。
ありがとう。探してみる。
帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。
以下、気になったブコメの返信。
・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。
・映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。が面白いんじゃないかな
これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分もちょっと気になってます。
自分のイメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。
・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。
・キャラデザや予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃんや園児時代は回想で充分だし。
1クールだと誕生~小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。
これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。
確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。
いや、個人的にはテクノロジーの進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面や名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。
一話一年って縛りだから一つのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対つまらないと思う。
そうかな? ドラえもんやちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。
いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。
今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。
誰も見てないと思いますが、小説家になろうで小説として書き始めることにしました。
前から気になっていたアニメ制作が舞台の小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。
なにか聞かれたら答えることも出来る。
用事を果たすために会話することは出来るけど、
雑談をすることが全く出来なかった。
YES/NOとか、本当に教科書みたいな簡単な返答をするだけで、
自分が日本語で雑談をするときのメカニズムについて考えたんだ。
なにか話を振られたときに、
何故その人がそのネタを振ったのか
(儀礼的な会話か、話し込みたいか、それは前フリで何か別の話が控えているのか)、
会話が続けられないみたい。
シミュレーションゲームみたいな感じでいいんだ。
自分のことは一旦棚上げにしておいて、
話し相手とかその周囲のことが条件として与えられているって感じ。
なんかヒントになれば嬉しい。
このやり方じゃなくてもいいんだ。
以下の文章は性暴力についての話,それもかなり露悪的な自分の性癖(誤用)語りですので,不愉快に感じる方やトラウマを抱えていらっしゃる方は読むのをご遠慮いただけるとお互い幸せになれるのではないかと思います.もちろん不愉快に感じて俺を批判する人がいるのは言論の自由というものがある以上当然ですが,自分の意志で見たという点への責任だけは引き受けてください.
小学校くらいの頃から,なんか自分の性癖(誤用)は変だった.色んなアニメ,たとえば名探偵コナンでも金田一少年の事件簿でも何でもいいんだけど,女性が縛られて監禁されているシーンってあるでしょう.ドラマだったら透明人間にもそういうシーンあったっけ(俺の黒木瞳の原体験はあのドラマです.最近の子供はわかるのかなあのドラマ……).ああいうのが性的な含意の一切ないシーンでも普通にすごく興奮して,親や祖父母に隠れて録画のそのシーンばっかり繰り返して再生してたり(中学に入って某サイコメトラーに触れた時は衝撃的でしたね.一番最初のメビウスの事件からしてアレですから.あれは素晴らしかった……).もうその頃から既に下級生の女の子を縛り上げて監禁する妄想とかしてた気がする.幸いにもそういう妄想を言葉や形にする前に漫画やアニメと出会うことができたわけですが.
中学に入ってインターネットというものを憶えてからはひたすらに「拷問」とかで調べてた気がするけど(今思うと,何で厨房の段階であれだけ高度な拷問サイトに辿り着けていたかがわからない.基本的に拷問はもったいないので妄想しませんが水責めは別ですね.あれは身体に傷が残らないのでエロ妄想的には素晴らしい拷問手法です.現実には最悪ですが),やっぱり最高なのは緊縛とかDIDとかですね.猿轡は本当に声を出すどころか表情をあらわす手段すらも部分的に奪われ何もできない感に溢れるガムテープがいいと思いますが,くぐもった声が適度に漏れそうな手拭いとか口開けっぱで唾液垂れ流しにせざるを得ない屈辱感も味わわせられるボールギャグも捨てがたいです.ちなみに妄想力を強化するために自分の口にガムテ貼り付けてどう見えるかっていう実験したこともあるけどガムテって顔に対してかなり大きいですよ.あれは本当に剥奪感あります.目隠しがどう見えるかという実験は物理的に無理なのでやりませんでした.デジカメ駆使すればできたはずだけどあれはデータに残してはいけない気がした.目隠し+ガムテって,もう何もできない感とか表情完全に見えない感とかに溢れてて監禁とかDIDとかが好きな人間にはたまらないです.
もちろん縛り上げた後は陵辱する妄想もいたします.よくはてな界隈の議論では「レイプ・ファンタジー」という言葉が出てきて,どういうものなのかと推察するに「女性がレイプされて喜びを感じるようになる」というファンタジーのようなのだけれど,俺にはまったく当て嵌まらないというかそういうのに当たると「ふざけんな!」と卓袱台ひっくり返したくなる.嫌がってるのを無理矢理というのがいいのに途中から喜び出すとか,まったく興奮しない.何が悲しくて陵辱ものを見に来て和姦を読まされねばならんのか.それがいいという人が一定数いるからそういう地雷が存在しているのであって,それを批判するのはブーメランではあるのだが,どうせ増田でしかこんなこと書けないからこの機会にぶちまけておく.悲鳴あげたいのにそれすらできないガムテは最高ですね.
じゃあお前は現実の女の子に対してそういう妄想してるの? っていうと,違うのよね.現実の女の子にそういう目を向けるなんて少なくとも中学校に入って以来は絶対にしていない(しそうになったら必死で抑圧した).というか,むしろ好きな女の子としたいことって手を繋ぐとか抱き締め合うとかそういうことばっかりだった気がする.キスすらもたいして興味ないし,そういう子で抜くとかもない.そういう花ゆめに出てきそうなぴゅあな恋愛観の一方でアニメキャラとか名も知らぬ創作キャラとかは散々縛り上げて犯して殺して捨ててたんだからまあ歪んでるよなあとは.現実に他の人間に対してこういうことをする連中は吊せばいいと思うけれども.
まあとはいえ現実には中々俺の好みを満たす陵辱表現って巡り会えないものではあるので(どいつもこいつも途中で猿轡や拘束具を外しすぎなんだよ.自由は最後まで奪っとけ),現実には殆ど妄想と昔集めた数少ない極上の陵辱表現で性欲を満足させるほかなくなっており,そういう点考えると表現の自由とかの正義論丸々ネグって全部俺一人の都合だけで考えた場合表現規制されてもあまり困らんかもしれん.頭の中までは取り締まれないし.絵心があったらpixivにうpしまくってるんだが,とはいえ某lilish先生ほどの多種多様な縛りシチュを考え出すほどの妄sもとい発想力はないので早晩某誘拐シミュレーションゲームの人みたいにマンネリ化しそうではある.というかあの人本気で何なのわけがわからない.
悩みがあるとすれば,下手にリアリティ厨なせいで妙なところに拘ってしまうところだよなあ.「そもそもこの女の子どっから攫ってくんの? そんな都合良く一人でいる女の子を攫える街とか最近あんの?」「多少悲鳴が漏れたり中でガタゴトやってたり車から建物まで女の子運搬したりしてても気付かれない場所って相当な田舎だけど,そんな辺鄙なところに建てた建物で光熱費が失踪事件があった辺りにだけ跳ね上がるのって怪しくね?」「つーか,拉致監禁陵辱殺害って数日がかりの大仕事になるわけだけど,その間仕事どうしてんの? 株でもやってんの? 地主の息子なの?」「攫う場所ってやっぱりばらけさせないとすぐに地元の人間だってバレて足がつくし,特定の年齢層の男女比を著しく崩すことで地域の人口ピラミッドにも影響するよね.でも身バレ恐れて遠くの街とかで攫ってきてたりすると土地勘ないからリスク高くね?」「うっかり攫った子が鼻づまりだったり埃アレルギーだったりしたらガムテ猿轡で倉庫とかに監禁した場合窒息しちゃうけど,やっぱりガムテ貼ったらちょっとの間様子を見た方がいいだろうか?」「縛るのに縄を使ったら血流が阻害されて予期せぬ突然死のリスクとかも抱えるけど,拘束だけならガムテ使った方がいいんだろうか?」……等々.まあめんどくさいから気力があるとき以外本気で考えません.
こういう妄想する奴やロリコンもまた性的マイノリティだみたいな感じの自己主張は正直みっともないというか見ていて恥ずかしいのでやめてほしいが,一方では,上でも書いたけど現実の女性にこんな酷いことやろうとは微塵も考えていないし,よしんば考えていたとしても露見した後の刑事罰や社会的制裁が恐すぎて絶対にやらないので,ああ,理解できないけどこういう性癖(誤用)もあるんだなあ,ということぐらいは意識の片隅に留め置いてくれると幸い.まあそういう妄想すらも悪であると言われるのであればもうチンコ切るしか許される道はないだろうから別に許されなくてもいいんだけどさ(誰に).
あ,増田のIDがわかっちゃった人は,こっそり教えてください.リアル知人で,「あっこれひょっとしてこいつかな?」って思っちゃった方,その推測は多分正しいのであなたの胸の中にだけ留めておいてください.「わかるわー」と思ってしまったどうしようもないあなたは,一緒にどういう監禁シチュが一番勃つかを考えましょう.
プレイし始めたきっかけ は App Store で売っていたのを見たのか、ネットの記事を読んだのかどちらかだと思うが覚えていない。
ただ人気が出ているということは知っていた。
人気の高さから当初2011年頃にリリースされたものだと勘違いしていて、購入時点でリリースされてから1、2ヶ月しか経っていなかったことを知ったのは大分後になってからだった。
まさか1年間ほぼ毎日ゲームを開くことになるとは思わなかった。
何がこのゲームをここまで魅力的にさせるのか?
自分なりに考えた結果をここにまとめておく。
本当は自分のブログに書こうと思ったが、最近のブログの方向性とかなり異なる内容のため増田に書かせてもらう。
長文を読みたくない人は以下の要約だけ読めばいい。
実力と運のバランスがほどよく、課金により圧倒的優位に立てるわけでもないのでユーザは公平感を感じてプレイできる。
覚える要素が少ないため、少しブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できる。
魔法石という課金通貨を頻繁に配布するため、ユーザは常に課金時と同様のユーザ体験をしている。
そのため実際に課金したときに期待するユーザ体験と実際のユーザ体験にギャップがなく、不満を感じることがない。
システム障害時にもお詫びとして魔法石を配布するため、普通は大きくユーザ体験を損なうようなシステム障害が逆に良質なユーザ体験を提供する機会に変わっている。
常時開催されるイベントにより、単調になりがちなパズルゲームを飽きさせない運営の工夫がなされている。
著者のスペックは以下の通り。
このゲームのいいところは、あまりモンスターが強くなくても、パズルの腕と、落下してくる玉の色の運次第では割と勝ててしまうところにある。
実力だけでもそこそこ勝ててしまうからパズルの腕を上げて勝ち上がるというプレイも可能だし、運だけでもたまに勝ててしまうのであまり頭を使わないギャンブル的なプレイもできる。
パズルの腕がよく、かつ運がいい場合だとかなり難しいエリアでもクリアできてしまう。
逆に若干格下のエリアをプレイしていていも、気を抜くとたまにやられてしまう。
札束で殴るゲームなど揶揄されるように、ソーシャルゲームにはとにかく課金すれば誰でも勝てるという印象があった。
パズドラは課金だけでは勝てないようなゲームバランスになっている。
例えば課金専用のモンスターガチャ(ランダムで強力モンスターを入手できる仕組み)でしか入手できない「神」タイプという種別のモンスターがいる。
これらは確かに強力だが、決して最強ではない。
パズドラではモンスターでパーティを組むため、やみくもに強力なモンスターだけを使うよりも相性のいいモンスターで編成した方が強力なのだ。
また、たとえ強いパーティを作るとしても、ある程度のパズルの腕がないと結局勝つことができない。
実力のみのゲームだとプレイヤーとしての腕を上げ続けなればならないのでずっとプレイする必要がでてくる。
逆に運のみだとただのくじびきと変わらないので、ギャンブルに興味がない私はすぐ飽きてしまっただろう。
課金したからといって実力も運が無関係にならないというところも魅力的だ。お金で簡単に強くなれるゲームなら努力してプレイしようと思わないだろう。
このあたりの「公平さ」も魅力の一つである。
パズドラは覚えなきゃいけないことが少なく、ちょっとブランクが空いてもすぐに遊べる点が魅力だった。
大作RPGや複雑な話のノベルゲームは途中でブランクを空けると設定や伏線を完全に忘れるのでもう話についていけなくなる。
シミュレーションゲームはパラメータの意味や敵味方のユニットのスペックなどについて全て把握していないとまともなプレイができない。
FPSはスポーツと一緒なのでプレイし続けないと腕が落ちてやっぱりまともなプレイができない。
そういう「ゲーム疲れ」を感じて近年あまりゲームをプレイしなくなった。
かといっていわゆるカジュアルゲームのようなあまりに単純なゲームだとすぐに飽きてしまう。
このゲームで覚えるべき情報量は自分にとっては楽に記憶しておくことができるレベルだったので、仕事で忙しくブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できた。
パズルの方法と所持モンスターの能力、あとは目標とするプレイフィールドの難易度を把握するだけでプレイができる。
モンスターの能力も、HP、攻撃力、回復力、スキル、リーダースキルの5つしかないので覚えやすい。
ガチャやコンティニューなどを行うには、「魔法石」と呼ばれる課金用通貨が必要となる。1個60-85円ぐらい。
私が驚いたのは、この魔法石をこれでもかというぐらいばら撒くことにある。
まず、毎月のように行われるイベントで魔法石がプレゼントされる。
1日1個が1週間から10日ぐらい続くので、月に大体5-10個近く入手することができる。
それだけでなく、パズドラではシステム障害時にもお詫びとして魔法石をプレゼントする(通称詫び石)。
障害の規模にもよるが、大きな障害のときは10個もまとめて配布する。
私にとって何より衝撃的だったのがこの「詫び石」システムである。
この運営方法により、ユーザである私はシステム障害を期待するようになってしまった。
こんなことは業務システムでは全く考えられない。
通常業務システムにおいて障害が発生した場合、ユーザは苛立ち、怒りの電話やメールを運営者にぶつけてくる。
ユーザにとってシステムが稼動し続けることは当たり前のことであり、障害などもっての他なのだ。
運営側は障害により若干の収入が減るかもしれないが、UX(ユーザ体験)を下げるどころか上げるということに成功しているのだ。
私のような無課金のユーザでも、常に手元には魔法石が余っている。
だから、課金ガチャを回したりコンティニューしたりということが気軽にできる。
これが何を意味するかというと、課金した状態のUXがゲームプレイにおける日常として組み込まれているということである。
もし私があるとき気が変わって課金をしようとしたときでも、課金したらどういうユーザ体験が待っているかを課金する前に十分把握しているのだ。
期待するUXと実際のUXのギャップが非常に小さいため、課金しても不満を覚えることはないだろう。
もっとも、この驚きをゲーム開発会社に勤める友人に話したところ、「今のソーシャルゲームでは当たり前」と言われたので昨今のゲームに詳しい人には驚くことではないのかもしれないが。
もう一つ、私が驚いたことで友人に「それも普通」と言われたことがある。
パズドラでは常にイベントを開催していて、イベントが開催されない期間が存在しない。
現在だと常時最低でも2つのイベントを同時開催していて、これらは月曜に開催され、2週間行われる。
開催期間は2つのイベントで1週づつずらされているため、ユーザからは毎週新しいイベントが開催されているようにみえる。
ゲーム自体はパズルを行うだけのシンプルなものなので、こうして工夫で飽きさせないようにしているのだろう。
先述の友人の話によると、ネットゲームにおいてはイベント開催が非常に重要らしい。
特に日本は文化的に年間行事が多いため、これらに合わせて緻密にイベントスケジュールが組んでいるようだ。
パズドラはゲームデザインだけでなく、運営も驚くような工夫がなされている。
私がこのゲームをプレイしていたのも、この運営の方法を研究したかったからという側面もあった。
運用・運営という側面はゲームだけでなくITシステムやレストラン・ホテルのサービスなどあらゆる場面で重要ではあるが、あまり一般の人には注目されない。
こうした「舞台裏」にこそ成功の秘密があるのだということをあらためて認識した。
なぜ丸一年が経過したタイミングではなくこの時期にこんな文章を書いているかというと、最近プレイしていないからである。
引退というわけではないが、気持ちとして一区切りついたのでこうしてまとめてみた。
理由はすごく単純で、ここ1、2ヶ月でモンスターのドロップ率とスキル成長率が大幅に下がった(と感じた)からである。
ドロップ率2倍でもほとんどドロップせず、スキルアップ率2倍時にスキルが全く上がらないと、さすがに砂に水をかけているような気分になって急速にプレイに疲れてしまった。
あくまで現実の世界を土台にした、ファンタジー世界のシミュレーションゲームだからな。その手の歴史ネタが楽しめないと、おそらく全てが楽しめない。システム的なところじゃなく、世界観的なところが引っかかってるわけだから。
あくまで現実の世界を土台にした、ファンタジー世界のシミュレーションゲームだからな。その手の歴史ネタが楽しめないと、おそらく全てが楽しめない。システム的なところじゃなく、世界観的なところが引っかかってるわけだから。
あくまで現実の世界を土台にした、ファンタジー世界のシミュレーションゲームだからな。その手の歴史ネタが楽しめないと、おそらく全てが楽しめない。システム的なところじゃなく、世界観的なところが引っかかってるわけだから。
あくまで現実の世界を土台にした、ファンタジー世界のシミュレーションゲームだからな。その手の歴史ネタが楽しめないと、おそらく全てが楽しめない。システム的なところじゃなく、世界観的なところが引っかかってるわけだから。
ああいうリア充シミュレーションゲームの中のデートは
キャピキャピした可愛い彼女が「遊園地行きたい!」とか提案して
しゃーねーなー、とか言いながら興味ないけど渋々付き合ってあげちゃう懐の広いオレ、みたいな感じなんじゃね?と想像してみる。
いやいや オレがはやく趣味のシミュレーションゲームを完成させないからだよ
あれに手をつけて以来ロクなことがないんだよね世の中に
制作が順調なうちは平穏だったんだけど、滞ったとたんに震災だもんな
がんばらんといかんよホント
AIの頭の悪さに引きずられて、本来全部コマンドを指定できれば勝てた相手に負けるのは、戦略性じゃなくて、サクサク感が重要視されているからだろ。
全てのコマンドを1つ1つ指定した上で、MPなどの数字的縛りがあるゲームで、仲間が5人も6人も同時に動けるゲームと
全てのコマンドを1つ1つ指定できず、MPによる縛りもなく、ATBで時間制限があり、仲間が高々3人のゲーム。
アクションゲームとシミュレーションゲームを比較して、アクションゲームに戦略性があるっていわれても、そらあるだろうけど、一般的には、そういうものは、戦略とは呼ばずに、戦術もしくは、戦闘技術というのだよ。
RPGにおける戦略というのは、長いダンジョンを踏破するに当たり、HP回復薬とMP回復薬の個数に制限があるから、ザコと戦うときにMPが全部使えない。という所にも起因してるんだよ。
将棋のように考えるときは、何分も考え 決まった相手には、ボタン連打で数秒でって事も昔はできたが
今は、たかだか、ザコ相手に 呪文唱えたり、攻撃準備したり、 いったい何秒またせるんだ?っていう クソみたいな、ATBのロード時間と
例の「デキビジ」でのひろゆきと勝間和代の対談、とそれによってネットで起こった勝間批判を受け、ホリエモンが仲を取り持って鼎談(ていだん)するという態の本。昼休みに本屋に行ったら平積みされていて、他にも何冊か買う本があったのでついでに買ってしまったのだけど面白かった。内容は、「デキビジ」であんなにギスギスしたのはなんだったのかと思うほど三人で仲良くお喋りしているという感じなんだけど俺は特に今まで知らなかった勝間和代の意外な一面に心打たれたので「萌え勝間」な箇所を以下に引用する。
・「結局女はキレイが勝ち」が叩かれた件
西村 勝間さんはギャグをやるタイプだとは思われていない。そこが問題だったんですね。
勝間 (首をかしげて)あれは大真面目に出した本なんですよ。タイトルも大真面目につけましたし。
西村 えっと。勝間さん、自分で自分のこと美人だと思いますか?
勝間 あれは読んでいただければわかるんですけど、”当社比”と書いてあるんですよ。つまり、当人比でキレイになりましょうと。
西村 ああ、なるほど。読んだ人はわかるんだ。でも、タイトルだけを見た人が「キレイが勝ち」という部分から、「勝間さんは自分のことをキレイだと思っているんじゃないか?」と思ってしまう可能性を、なんで感じなかったのかが不思議なんですよ。
勝間 まあ、多少は炎上するだろうとは思っていましたけど、その多少の見込みが多少違ったと(笑)
――勝間は天然だったということが判明(俺の中で)。
西村 勝間さんは、自由のために使うお金はあって、手元にも結構なお金があるわけじゃないですか。そうしたら、もう働かなくても自由は手に入っているわけじゃないですか。
西村 勝間さん、何かのテレビ番組でコスプレしてましたけど、コスプレをする仕事も働きたい仕事だったんですか?(笑)
勝間 いやコスプレがしたかったのではなくて、番組ではデフレの話をしたくて、その部分を見てほしかったんですよ。でも「コスプレをすると視聴率が上がって、デフレの話も聞いてくれるよ」ち言われたので、そうかなやってみようかなって……。
勝間 そうなんです。やってみたら、みんなからデフレのデの字も出なくて、コスプレの話しかしなかったんです(笑)
――なんか上京した女優志望の田舎娘が騙されてAVに出るみたいな話である。
2.モーニングを「ホワッツマイケル」の頃から20年以上読んでいる。(そういや「エンゼルバンク」のおまけコラムを連載してましたね)
3.よしながふみの「大奥」が好き。「のだめ」、「デスノ」は全巻所持。「ベルセルク」も普通に読む。その他少女漫画は割と読んでいるようだ。
4.コンビニに行くと漫画雑誌を2時間くらい立ち読みしてしまうタイプだが、最近は紐で縛ってあるので買って読んでいる(邪魔だから1回読んだら捨てる)。
5.学生時代、隠れオタクだったが漫画研究会の人と漫画の貸し借りを行っていた。
6.大学ではシミュレーションゲーム部で「ダンジョンズアンドドラゴンズ」をやったりしていた。
――2時間立ち読みしちゃうのは良くない! けど俺も学生時代金がなくてよくやってたので共感できる。そしてマンガはともかくTRPGとかやっちゃう系の人だったとは知らなかったぜ。でも絶対隠れられてなかったと思うけど。
前書きでホリエモンが言っている通り「いじられキャラとしての勝間和代」がよく表現されていて面白かった。誰かが言ってたけどひろゆきと勝間和代が結婚したら案外いい夫婦になるんじゃないかとすら思った。ただしゃべってるだけの内容で1500円なんで本にお金を掛けたくないという人にはあれだけど、まあおすすめですよ。
図星を指された勤め人たちが、自分のアイデンティティを守るためにブコメで必死に増田を叩いてるのが笑える。
http://anond.hatelabo.jp/20100725230513
やりがいの定義は色々あるにしても、勤め人じゃ努力は報われないでしょ。
ベンチャーの社員がどんなに努力して成功しても、自分の働いた対価に見合った報酬なんてもらえるわけがない。
そりゃそうだよね。リスクを取らない(というよりリスクを自分でコントロールすることを放棄した)、
飼い犬の人生を選んだ人たちなんだから。
まともなベンチャーの役員なら口が裂けても言わないけど、社員なんて創業メンバーの懐を潤すための「コマ」だからね。
ある程度以上会社が大きくなると、人材がシミュレーションゲームの部隊数みたいにしか考えられなくなる。
日本のサラリーマン、特に中間管理職のみなさんは、ベンチャーに入るような人でさえ、本当にピュアで従順で、勝手に空気を読んで、
狭い土俵で勝手に競争心を持って頑張って、お互いに牽制しあってくれて、本当に使いやすいです♪
よくある自分への言い訳として、「きつい仕事は成長のチャンス」、「若い時の苦労は買ってでもしろ」、「転職へのステップ」、
「将来起業するための勉強」、「ベンチャースピリットに惹かれた」、「若いうちから裁量を任せてくれる」、「達成感と充実感」、
「会社と一緒に成長したい」、「大企業の安定志向よりも将来性のあるベンチャーのほうが」等々。
それ全部、不安定な労働環境で労働力を安く搾取されてるだけだってことに、気づいてる?
デスマーチみたいなつらい仕事ほど終わった後の達成感があるのって、SMプレイにハマってるだけだから。
どんなにリスクを取ってもあなたにはリターンありませんから! リターン得られるのは創業メンバーだけですから!
あと、起業したいって言ってる奴で、5年以内に本当に起業した奴なんて100人に1人もいないよな(笑)
こういう愚痴だらけ、言い訳だらけの生き方が本気で嫌な人は、俺みたいに早いとこ起業したほうがいいよ。
【追記】
ブコメで「ベンチャーに入るのは起業前のステップアップとか勉強のため」とか言ってる人が多いけど、
いやマジで実際働いてる奴でも死ぬほど多いけど、そのうち何人が本当に起業してるんでしたっけ? って話。
で、具体的にその経験ってどんな仕事に活かせて、それでいくら収入上がったの? って話。
思考実験の類か。シミュレーションゲームの攻略法を練っているような気分なのかなすると。
考えること自体が楽しい。
考えて、それで何かが劇的に変わると信じている。
といったわけではないなら、そういう趣味も全然アリですね。
これなんですが
> あなたはこの「普通選挙の実施」を求める人々に「で、メリットはなんですか?」とお尋ねになるんでしょうか。
> あなたはこの「女性の選挙権付与」を求める人、それを支持する人に対して「で、メリットはなんですか?」と問いかけるのでしょうか?
大戦時の総動員体制で女性を産業に参加させることに対するバーターなんだから問いかけるまでもないよね
と、しれっと考えてしまう自分に愕然とした。
歴史シミュレーションゲームのやりすぎなんかなあ。
あるいは基本的人権というものに対する疑念が意識下にあるのかな。
たまたま民主主義政体の国家がうまく回っているので人権もあるということになっていてラッキーなだけで
風向きがすこし変われば吹き飛んでしまいかねないもの、
吹き飛んだあとには微塵ものこらないもの、とみているのかもしれない。
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
http://anond.hatelabo.jp/20091020061931
政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。
施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)
たぶんKOEIの「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズを念頭においていると思うけど、そうしたシミュレーションゲームって維持費に関する考えに乏しいよね。せいぜい、軍の維持費ぐらいしかない。
つまり、大軍を保有すれば、それだけの軍を維持するための兵糧と金が定期的にかかるという考えはあるが、馬や鉄砲の保管にかかる維持費の概念はない。城壁の耐久度を上げる工事にお金はかかるが、城壁の維持費という概念はない。
都市住民の君主に対する忠誠度は、税率と施しによってほぼ単純に決まる。一度施しをすれば、徴兵をしたりや災害が起こらない限り忠誠度が下がることはない。つまり、忠誠度の維持費という概念がない。(マキャベリがこれを聞いたら憤死すると思う)
こうしたシミュレーションゲームでは基本的には、開発すればするほど、徴税によって得られる兵糧と金は増える。しかも線形的に。そして都市の人口・開発度は予め決められた上限まで上昇するが、その上限を左右するような選択肢は通常存在しない。
これは、単純にこうしたシミュレーションゲームが合戦シミュレーションゲームだからだと思う。
国力・内政に関する項目を極力単純化して、プレイヤーを合戦にフォーカスさせているわけだ。
ところが、もっと俯瞰的なシミュレーションゲームである「シヴィライゼーション」を見ていくと、国力・内政に関する考えがより複雑化されている。
例えば、都市の人口増加速度を増やすために穀物倉庫が必要だ(もちろん維持費がかかる)。また、人口を一定以上に増やすためには都市に水道を敷かないといけない(もちろん維持費がかかる)。
人口が増えれば、税収もあがり、都市の生産力や科学力が向上するが、人口が増えることは、必ずしも良いことではない。
人口が増えると都市で暴動が発生しやすくなる。暴動を抑えるために、都市常設軍を増やして不満を押さえ込む(もちろん維持費がかかる)か、宗教施設(もちろん維持費がかかる)や娯楽施設(もちろん維持費がかかる)を増やさないといけない。人口が増えたら環境汚染も起こる。これを取り除くためには厚生施設(もちろん維持費がかかる)が必要だ。
こういったシミュレーションゲームのリアルさっていうのは、やっぱり欧米のそれに劣るところがあるんじゃないだろうか。外交政策にしたって、KOEIのゲームでは、せいぜい同盟とか政略結婚ぐらいしかない。謀略もあってないようなもの。しかも満寵さんの人材登用能力は異常だ。
つまるところ、増田が想定しているシミュレーションゲームである「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズは、合戦で国士無双の武将や知将が大活躍するゲームだ。
あれ、これって・・・。
そう、「大艦巨砲主義」的なのだ。
「巨大な国力、優れた人材」というドグマに囚われすぎているゲームなのだ。
巨大な国家の維持は難しいし、優れた人材だけで戦争をするわけではないのに、だ。
日本人の政治観は未だに「大艦巨砲主義」だし、維持費に関する視点も乏しい。開発すれば税収は増えると思い込んでいる。
こうした「大艦巨砲主義」シミュレーションキャラクターゲームが日本の政治を拙くさせているのではないか。KOEIにしても、こういう形のゲームにしないと売れないと思っているのだろうけども。
あ、もちろん、「麻雀ゲーム」としての出来のよさと、「麻雀シミュレーションゲーム」としての出来のよさは別だね。ゲーセンにあるふたり打ちの脱衣麻雀ゲーム、いまはもうどこにもないんだけど、いい感じに温くて好きだった。