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はてなキーワード: シミュレーションゲームとは

2009-12-22

自分重症だなと思うとき

シミュレーションゲーム恋愛エロゲではない)をやっていて、

登場人物との会話で常に一番無難選択肢を選んでいると気づいたとき。

その結果、複数のキャラと仲良くなるフラグが立ったら、本気で困って「どう断ろう…」と悩んでいるとき。

2009-11-12

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20091112/1257981327

これなんですが

> あなたはこの「普通選挙の実施」を求める人々に「で、メリットはなんですか?」とお尋ねになるんでしょうか。

徴兵制とのバーターなんだから尋ねるまでもないよね

> あなたはこの「女性選挙権付与」を求める人、それを支持する人に対して「で、メリットはなんですか?」と問いかけるのでしょうか?

大戦時の総動員体制で女性産業に参加させることに対するバーターなんだから問いかけるまでもないよね

と、しれっと考えてしまう自分に愕然とした。

歴史シミュレーションゲームのやりすぎなんかなあ。

あるいは基本的人権というものに対する疑念が意識下にあるのかな。

たまたま民主主義政体の国家がうまく回っているので人権もあるということになっていてラッキーなだけで

風向きがすこし変われば吹き飛んでしまいかねないもの、

吹き飛んだあとには微塵ものこらないもの、とみているのかもしれない。

2009-11-08

エンタメ小説の書き方を考える(私論・Ver0.2.1)

小説を書こうとしているが、なかなか長編が書けない。

色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。

今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。

議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。

正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。

まず、物語パターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。

話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。

もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。

では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。

(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要

(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力バランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルSFミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。

(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)

(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。

(5)主人公の精神的成長によるカタルシス

つまり、教養小説ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説

また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?

(1)読者の想像力を喚起させる事

例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?

(2)読者の欲望を刺激する事

例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子かわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。

(3)教養としての側面

さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?

(4)虚構と現実の境界性

例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。

(5)比喩表現の面白さ

暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。

(6)気の利いた会話

最近流行りの会話劇だが、コント漫才ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分言葉による体験的要素も問われるのではないか。

(7)説得力のある説教

ガンダム富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。

(8)笑いの要素

ギャグユーモアパロディ言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。

(9)恐怖の要素

笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近トレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリル快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。

(10)恋愛的な要素

いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想ヒロイン像を具現化して駆け引き思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近食傷気味。

(11)バイオレンス

闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。

……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。

(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間お話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザ業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry

あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。

これに関しては、下のWeb引用本質に近いかも知れない。

テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する



物語の中だるみについて。

Webより引用タイトルは、「物語の推進力」。

途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。

主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。

主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。

考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。

文章力の磨き方。

基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。

(Webより引用

正しく見るためには二度見よ。

美しく見るためには一度しか見るな。



努力不足について。Webより引用

スクラップビルドの不足。

実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。

書いちゃ捨て、拾っては直しのスクラップビルドが必要なんだが、

フツーの指南本はそこを省く。本書には「デッサン」の線が沢山見えてくる。

ダウンタウンコントの作り方。

まずはオーソドックスネタを考える、と。

例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックス医者コントを、だーっと全部考える。

それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベスト裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。

例えば、小説創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。

その他。

ハッカー的に小説を書くとするとどうなるか。

「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。

まだよく分かっていない事。

あかほりさとる新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近ドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。

次に、再読に耐える小説とはどういう小説か、という問題。

文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。

最後に、まだ消化できていない、村上春樹言葉

何かを創り出そうというタイプ人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。

その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。

もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。

問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。

中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。

それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。

 人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。



まとまらないけど、以上。

補足。

(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。

(2)色々本の紹介、ありがとうございます。

(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルメモ帳コピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。

(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとる新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分

2009-10-20

日本の政治が拙いのはKOEIの責任

タイトルは半分本気、半分冗談

http://anond.hatelabo.jp/20091020061931

政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。

施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)

予算が限られている以上、企業経済ではなく国民へ直接に施した分のお金に相当する分の開発が、犠牲になる。

君のおかげで日本人政治観に関する面白い発見をした。

 

たぶんKOEIの「三国志シリーズや「信長の野望シリーズを念頭においていると思うけど、そうしたシミュレーションゲームって維持費に関する考えに乏しいよね。せいぜい、軍の維持費ぐらいしかない。

つまり、大軍を保有すれば、それだけの軍を維持するための兵糧と金が定期的にかかるという考えはあるが、馬や鉄砲の保管にかかる維持費の概念はない。城壁の耐久度を上げる工事お金はかかるが、城壁の維持費という概念はない。

都市住民の君主に対する忠誠度は、税率と施しによってほぼ単純に決まる。一度施しをすれば、徴兵をしたりや災害が起こらない限り忠誠度が下がることはない。つまり、忠誠度の維持費という概念がない。(マキャベリがこれを聞いたら憤死すると思う)

こうしたシミュレーションゲームでは基本的には、開発すればするほど、徴税によって得られる兵糧と金は増える。しかも線形的に。そして都市人口・開発度は予め決められた上限まで上昇するが、その上限を左右するような選択肢は通常存在しない。

 

これは、単純にこうしたシミュレーションゲーム合戦シミュレーションゲームだからだと思う。

国力・内政に関する項目を極力単純化して、プレイヤー合戦フォーカスさせているわけだ。

 

ところが、もっと俯瞰的シミュレーションゲームである「シヴィライゼーション」を見ていくと、国力・内政に関する考えがより複雑化されている。

例えば、都市人口加速度を増やすために穀物倉庫が必要だ(もちろん維持費がかかる)。また、人口を一定以上に増やすためには都市水道を敷かないといけない(もちろん維持費がかかる)。

人口が増えれば、税収もあがり、都市生産力や科学力が向上するが、人口が増えることは、必ずしも良いことではない。

人口が増えると都市で暴動が発生しやすくなる。暴動を抑えるために、都市常設軍を増やして不満を押さえ込む(もちろん維持費がかかる)か、宗教施設(もちろん維持費がかかる)や娯楽施設(もちろん維持費がかかる)を増やさないといけない。人口が増えたら環境汚染も起こる。これを取り除くためには厚生施設(もちろん維持費がかかる)が必要だ。

 

こういったシミュレーションゲームリアルさっていうのは、やっぱり欧米のそれに劣るところがあるんじゃないだろうか。外交政策にしたって、KOEIのゲームでは、せいぜい同盟とか政略結婚ぐらいしかない。謀略もあってないようなもの。しかも満寵さんの人材登用能力は異常だ。

 

つまるところ、増田が想定しているシミュレーションゲームである「三国志シリーズや「信長の野望シリーズは、合戦国士無双武将や知将が大活躍するゲームだ。

あれ、これって・・・。

そう、「大艦巨砲主義」的なのだ。

「巨大な国力、優れた人材」というドグマに囚われすぎているゲームなのだ。

巨大な国家の維持は難しいし、優れた人材だけで戦争をするわけではないのに、だ。

日本人政治観は未だに「大艦巨砲主義」だし、維持費に関する視点も乏しい。開発すれば税収は増えると思い込んでいる。

 

こうした「大艦巨砲主義シミュレーションキャラクターゲーム日本の政治を拙くさせているのではないか。KOEIにしても、こういう形のゲームにしないと売れないと思っているのだろうけども。

2009-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20090813130252

あ、もちろん、「麻雀ゲーム」としての出来のよさと、「麻雀シミュレーションゲーム」としての出来のよさは別だね。ゲーセンにあるふたり打ちの脱衣麻雀ゲーム、いまはもうどこにもないんだけど、いい感じに温くて好きだった。

2008-09-08

メモ

http://web.archive.org/web/20031226022939/japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2000/08/31/20000831000016.html

【30秒経済学MSゲーム李舜臣将軍登場

 マイクロソフト(MS)の新作ゲーム李舜臣(イ・スンシン)将軍と亀甲船が登場する。MSは30日、戦略シミュレーションゲーム「エイジオブエンパイアー2」のハングル拡張パック「征服の時代」を来月5日、一般に発表すると明らかにした。

 このゲームは、ゲーマーが直接世界史の中の戦争の英雄となり、有名な戦闘の陣頭指揮をとるという内容。今回の拡張パックには壬辰倭乱当時の露梁津(ノリャンジン)の海戦が登場、ゲーマー李舜臣将軍となって亀甲船に乗り、日本征服に乗り出すというものが入っている。

 「エイジオブエンパイアー」シリーズは全世界ゲーマーの間で人気を呼んでいるソフトで、昨年売り出された2編は販売開始後6ヵ月で250万枚も売れた。しかし、1編で朝鮮日本属国と表現、2編では日本中国モンゴルを背景に入れているのに朝鮮が入っておらず、韓国内のゲーマーの怒りを呼んだ。MSは今回の拡張パックでは韓国の他アステカマヤ・フン・スペインなど5つの文明を追加した。

2008-09-01

ゲーム人間失格

今までは「趣味ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど

そろそろそれも終わりなのかもしれない。

ゲームがつまんないw

楽しめてないというのが正しいかもしれない。

理由は三つ。

ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。

自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか

グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、

特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら

高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンター

勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも

それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。

でも少しも上手くならなかった。

下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。

「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、

読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし

シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。

腕前としては

格闘ゲームはある程度歴史の長いゲームとはいえ

キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。

ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームネット対戦をやったりしたけど、

ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。

シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。

(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX虫姫さまふたり、スマブラXタイマン。)

何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。

基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど

負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要

自分は基本操作はそれなりにはできたけど

「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く

応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。

「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので

どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。

何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。

最近は何でもインターネット情報交換される時代だけど、時間が無かったし

学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから

上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。

勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。

ふたつは、

以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも

RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど

そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、

確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間無駄と思うようになってしまったこと。

いわゆる江川達也的発想。

三つめは

ゲームに関連したコミュニティに全く入れなかったこと。

スパロボ』のコミュニティには熱心に参加してたけど

ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや

コミュニティオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。

オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。

元々会話下手で友達いない人だった。

ゲームセンターに関しても

シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし

いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。

格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし

こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。

ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは

自分をすごく疎ましく思うようになってきた。

(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。

「対戦後感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、

逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、

その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)

特に「趣味ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。

別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど

自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。

ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。

他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。

だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。

別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みゲームを出してほしいわけでもなく。

ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。

(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。

他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)

自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。

2008-07-19

面白いゲーム

面白いゲームを作るにはどうすれば良いかを考えて書いてみた。まだまだ書き足りない気もするけど(各節との相互作用を書いた部分は「局面の価値と因子」しかない)投稿。

面白くないゲームを作りたい人或いは面白いゲームを作りたくない人は読まなくても良いと思いますし、呼んでる人も途中で読むのをやめても良いとも思います。

局面

ゲームの状態。但しプレイヤーゲームの状態に含まれます。これはプレイヤーの操作可能な因子が非常に少なくルールによる束縛性が強いがプレイヤー以外によって動かされている或いは存在する因子が非常に多いゲーム存在し、それらのゲームプレイ目的はある種の受動的鑑賞と同じだからです。プレイヤーゲームに対して何か反応をする訳でもなく、ただ受け止めるだけをします。ゲームを作る上でこの主観的思考状態も考慮しなければいけません。例としてLSDプレイヤーが可能な行動は移動とリンクのみですが、移動できる範囲が広大で鑑賞可能な対象もまた膨大です。多人数でのゲームでは主観的思考状態に加え相手の思考状態を客観的に判断する必要性も出てきます。ポーカーの熟練者は相手のプレイに対する態度、心理状態から自分の行動を絞っていきます。これらの様なゲームも成り立つと言う事も頭のどこかにでも置いていてください。

因子

ゲームにはプレイヤーが操作可能なものが因子として存在します。将棋チェスで言えばそれは自分のコマであるし、ビデオゲームであるならば自分の操作するキャラクターにこれが該当します。しかしこれらは静的に決まるものではなく、ゲームの局面それぞれに対して刻一刻と減少したり増加したりと動的に決まるものです。自分の推論結果の行動によって直接操作が可能な因子がルールによって縛られたまま、相手やコンピュータの管理する因子を自分の思った通りに動かす事も可能であるし、その逆もまた然りだからです。

プレイヤー目的

対局型のゲームで言えば、目的は常に勝利となります。しかし因子の種類や数が多い場合には目的を達成する為に必要な子目的が自ずと発生します。しかもこれは静的に決まるものではなく、動的に決まる場合も多いです。自分以外に属する因子が目的或いは子目的の達成を阻害しようと働きかける事で新たな子目的が生まれます。それらの子目的を発生させる因子は必ず自分との利害関係が衝突するものによって動かされていますから、両者のどちらかに不確定さが含まれていれば動的に子目的が発生するでしょう。

動的な不確定さ

動的な不確定さはゲームの子目的の生成を自動化したり、バリエーションを与えたりします。シューティングゲームでは狙撃の際にランダムにブレる照準を合わせタイミング良く発砲ボタンを押すという子目的が発生し、シミュレーションゲームでは自分の資金の一部を要所で賭けて確率的に増やすか増やさないかの判断が迫られ、アクションゲームでは敵がランダム配置されそれらにプレイヤーが順応する事を要求します。プレイヤーの最終的な目的にこれらの様な不確定さが直接関係してはいけません。最終的な目的論理的でなければならず、確率的な要因はそれに包括されなければいけません。技法的に確率的要因を潰せる余地が残っていなければならないのです。そうしなければプレイヤーはあらかじめ提示された最終的な目的以外に楽しみを見出そうとするか、ゲームを放棄してしまいます。

静的な不確定さ

将棋チェスの様にゲームが完全に前回の局面に依存しているモデルであっても、読まなければいけない先がプレイヤー限界を超えている場合に静的な不確定さが発生します。プレイヤーはこの問題をできるだけ論理的に解決しようとしますが、無理ならば技法的に解決しようと試みます。局所的な判断を求められる場合に論理的に、大局的な判断を求められる場合に技法的に解決される傾向があります。この種のゲームは往々にして全ての判断が論理的でありプレイヤー責任となるので、これがゲームの最終目的に直接関わっても問題ありません。

駆け引き

動的及び静的な不確定さをまとめると、不確定さから来る駆け引きは常に論理的判断に結果が帰着しなければいけません。駆け引きが失敗に終わった後の事も論理的に判断できる余地が残されてなければいけません。

局面の価値

現在の局面がどれだけ勝利した状態の局面に近いかと、どれだけ敗北した状態の局面から遠いかによって決まります。因子の数が多ければ多い程局面の価値を完全に把握する事が難しくなり、これも技法的に解決される場合が多くなります。

局面の価値と因子

因子が全体の局面に寄与する価値を動的に決定します。例えば、ある将棋のコマがどれだけその局面において重要視されるかを考えるとそのコマの重要性は配置によっても決まると考えられます。つまりコマの局面に寄与する価値には固定値、そのコマがどれだけ貴重なものかという属性に加えコマの配置によって局面ごとに変わる重要性という属性もまた存在する訳です。将棋においてのみ考えてみればこの事当たり前の様に思えるかもしれませんが、これを一般のゲームの因子にも当てはめてみるとこの性質がどれだけ重要かが分かってきます。因子は別の因子と相互作用し、因子を縛るルールに静的な整合性がありながらもそれぞれの局面によって動的に因子の実質的価値に差を付け、時にはゲームの局面そのものをも大きく変化させます。勿論これは自分の因子同士の相互作用でも良く、相手の因子を利用した相互作用でも構いません。後者の場合は相手の因子は自分の因子としても一時的に属する事になりますから、相手のコマの価値は基本的に自分にとってマイナスですが重要度もマイナスになればマイナス * マイナス = プラスで自分にとって有利な状況になります。

2008-01-15

基礎

家族の人がシミュレーションゲームにハマっています。歴史上の人物がちょくちょく出てくるゲームらしく、「はとちゃん(ハトシェプストさん)がさー」などという話を聞かせてくれます。先日インカのカパックさんも出ているらしいことが伺えたのですが、ファーストネームは聞けずじまいでした。聞いたところでその後のリアクションにも迷うので、カパックさんがどのカパックさんかはずっと謎のままだと思います。私の心の中では九割方あのカパックさんで定まってますが。

2007-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20070905201526

欲しいって言うのはペット感覚じゃなくて、ちゃんとヒトとして育て上げる教育哲学を持ってる上で言ってるので誤解の無きよう。

育てて教育するのが楽しみってことだね。

それペット感覚とどう違うのか分からん。

いや、ペット感覚というより、シミュレーションゲーム感覚に近いな。君のそれは。

自分の支配下にあり、自分の教育どおりにその成果が出ているうちは楽しんでやるだろうが(ていうかそんなん、誰だって楽しいわな)、

思うように育たずグレたりしたら、君はリセットしてしまいそうだ。(殺すって意味じゃないよ)

ペット感覚にも及ばないように思う。ペット感覚はそう甘いもんじゃねえぞ。

2007-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20070516144741

いろいろ勉強されているようだから、著作権法ゲームが問題となったいくつか判例を紹介するね。

パックマン事件

東京地裁平成 6年 1月31日判決

影像をディスプレイ上に映し出し、極めて短い間隔でフレームを入れ替えることによってその影像が連続的に変化しているように見せる方法で表現されているビデオゲームパックマン」につき、著作権法2条3項にいう「映画効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものに該当し、また、ディスプレイ上に映し出される影像がコンピュータシステム記憶装置(ROM)の中に電気信号で取り出せる形で収納されているのであるから、同項にいう「物に固定されているもの」に当たるとし、さらに、著作者の知的精神創作活動の所産が具体的に表現されているものであるから、同条1項1号にいう「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ということができるから、前記ビデオゲームは同法10条1項7号にいう映画著作物に該当するとされた事例。


三国志事件

東京高裁平成11年 3月18日判決

パソコンシミュレーションゲームについて、ディスプレイ上の影像の流れを楽しむことが主ではなくユーザー思考の積み重ねに主眼があり、ディスプレイに現れる影像及び効果音に関するデータ容量は極めて限られたものとなっているほか、影像は、静止画像が圧倒的に多く、同じ内容の定型的な画像及び効果音がたびたび現れるのであって、映画効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているとはいえず、映画ないしこれに類する著作物とはいえないとされた事例。

講学上、よく引き合いに出されるのがこの二つ。

パックマン事件ではゲーム映画著作物として著作権法による保護を認めたけど、

三国志事件ではこれを認めなかった。

これは一見矛盾するんだけど、実は、パックマンは画面がちょこちょこ変わるのに対して、三国志ほとんど画面が変わらないっていう理由で認めなかったんだ。

普通アクションゲームなら映画著作物として著作権法による保護を受けると思う。

こんなのもある。

ドラゴンクエスト2事件

東京地裁昭和62年 2月24日決定

ファミリーコンピュータゲームソフトウェア「ドラゴンクエスト2」を実行して表示される映像画面の掲載及び当該画面を掲載した雑誌の発売の禁止を求める仮処分申請が認められた事例。

(R)TKC

2007-04-13

増田宇宙通信所 施設一般公開のお知らせ

増田宇宙通信所では、アルファブロガーからの電波を受信し、ブロゴスフィアが正しい軌道や位置及び姿勢を保っているかを監視したり、搭載している人工無脳などが正しく機能しているかを知るためのデータを、筑波宇宙センターに送っています。また状況に応じて、分裂勘違い君にコマンド(指令)信号を送信し、小飼弾の軌道や姿勢の制御及び搭載機器の調整を行っています。 小飼弾の追跡管制とは別に、otsuneからの電波を受信し、飛行状態の監視を行うとともに受信したotsuneデータ鹿児島宇宙センター種子島)に送っています。

科学技術週間」施設一般公開のお知らせ

日 時:

 平成19年4月21日(土)10:00 - 16:00

イベント

詳細はチラシ(PDF:280KB)をご覧ください。

http://www.jaxa.jp/visit/masuda/index_j.html

2007-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20070306184031

年がら年中三国志とか信長の野望とかヴィクトリアとかハーツオブアイアンとかやってる私の意見を書くと、戦国ランスはすげえ面白くて三国志なんかよりよほど嵌まったけど国取りゲーって感じはあんまりしないかなあ。

内政の部分ほとんど無いからかなあ。

勿論内政部分が無ければシミュレーションゲームとは言わない、なんてことはないけど、「大戦略」とかは国取りゲーって言わないと思って。あれは内政ないよね。

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