はてなキーワード: 押し足とは
当日は気恥ずかしさから詳細書く気になれなかったものの、2日、3日、と経って行くにつれて記憶が薄れると全ては白昼夢だったのではと思い始め、今では完全に自分の妄想だったのではと疑い始めたので増田に書き残したいと思います。
120分 6万円
支払→手洗い→待合室でアンケート記入&会員登録→時間を少し過ぎた辺りで名前を呼ばれエレベータ内でご対面して部屋へ。
電話含めて非常に丁寧、いちいち膝をついたりする辺り無駄に行き届いてる。
やや手狭な割には小綺麗な応接間のような待合室でお絞り、お茶、茶菓子あり。
まず新人は除外し、当日出勤の指名ランカー2名から選択。もう1名の方はパネル写真の表情がやや不自然に見えた。
2時間も初対面の人間、それも異性と一体何を話すんだというのが最大の疑問だったが、やはり色んな客を相手してるだけあって話を振ってくるのが上手いのだと思う。
ただ、自分が全て本当のことを言わなかったように嬢もまた全て本当のことを言っている訳では無いのだろうぐらいの判断は付いた。
入室後、ソファに腰掛けて話ながら胸揉みと乳首舐め。舐めてると徐々に硬くなるって本当だったんだというエロゲ知識を確認できた。
風呂側に移動して椅子洗い。えっちなビデオでよくみる変な形した椅子だ!とちょっと感動しつつ、密着してバックから挿入。心の準備できてないのもあっていまいち感覚がないしこれで正しいのか全く分からない不安しか無い。
しばらく動いて無理そうな空気を察したか風呂で潜望鏡。正直、一番期待したのだけど全くといっても良いほど感覚がない。
風呂から出た後はマット。俯せ、仰向け、どちらも独特の感触で単純に気持ちよいと思う。
マットからの流れで二度目の挿入は背面騎乗位。この辺りで、触られると立ちはするのに気が緩むと折れそうになるのは視覚情報による刺激が足りないのが原因と悟り始める。人間の視界とAVやエロゲで描かれる目線というのは実は全く違うという気付きたくも無い真実に気付いてしまった。
とはいえ先ほどのバックに比べれば内部の刺激を感じたこともあって無事射精。
ベッドで飲み物飲みながらいちゃいちゃし、触られて復活したところでバックで挿入。が、やはり感覚が無いというか膝立ちでこの不自然な動きが異様に疲れる。嬢が察して背面騎乗位に移行したものの一押し足りず。
マッサージを終えると何となく終わりの空気が漂って服を着る。この辺りで漸くキスすらしてないことに気付いたけど言い出せず。
嬢が連絡を入れて、エレベータで降りて外へ。
無知であるが故に、お任せという安易な手を打ってしまったのが最大の失敗だったのではないか。よくよく考えれば嬢にとって客が童貞かどうかなんてことに意味はなく、ただただ迷惑な告白でしか無い。これでは禄に要件定義もせず全てを丸投げしておきながら、後で「思っていたのと違う」等と言い出すDQNユーザ企業そのものではないか。
開始と終了が定義される共同作業はプロジェクトと呼ぶ。ならばセックスもまたプロジェクトだった。せめて冒頭の5分だけでも、スコープの定義、達成すべきゴール(QCD)の共有に充てるべきだった。
ただ2回目の対戦は全く別の店の嬢にするか、同じ嬢に敢えて入ってみるか、はちょっと悩んでる。
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)