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はてなキーワード: お笑い芸人とは

2011-08-12

まり知られていない「お笑い界で行われている継続的な実験

プロローグ

一部の人は知っているが、ほとんどの人が知らない、お笑い界で行われている継続的な実験について、書いてみようと思う。

お笑い界というのは、そのまんまの意味で、「お笑い芸人などが中心の芸能界の一つ」である吉本興業とかが中心のあれである

そこで行われていた、ある実験について語ってみようと思う。その実験とは、至極簡単で

である

この話は、別にタブーではない。なのにも関わらず、さほど語られない理由は、ただ一つ、実験の結果がでていないから、としかいいようがない。

それでも複数回の実験をしたことで、結果の傾向はでていると私は思っている。お笑い界の内部にいる人間が語ることはできない。しかし、私のような人間が語ることで、何かの知識の共有になればと思い、筆を取った。

スター定義

お笑いスターとは何か?」という問いに対しては、業界的な答えはない。お笑い関係者は、それぞれの個人的な意見を持っているが、どれが正しいかの答えはもちろんない。議論は交わされるが、それも酒の肴以上の価値はなく、個々人が正しいと思うことを思っているだけである

私の個人的な定義としては、「あらゆる道具を使って笑いを生み出すのがうまい」がお笑いスター定義だ。

お笑い芸人には二通りの人間がいる。一つは「お笑いの道具になる」人間で、もう一つは「他のお笑い芸人も道具として笑いを生み出せる」人間だ。

たとえば、一発屋と呼ばれるような芸人は前者だ。爆発的な笑いを生み出すことができるが、しかしそれは道具としての価値なのだ。道具は浪費され消費され摩耗される。要は自分を切り売りして笑いをとっているのだ。最終的には自分という財産がなくなって、芸人として生きていけなくなる。

後者ダウンタウンくりぃむしちゅー爆笑問題などがそうだ。他の芸人をいじったり、司会をやったりして、笑いを生み出すことができる。もちろん、自分自身を道具として笑いを生み出すこともできる。映画コントを作ることもある。要は周りの道具をうまく使えるプロデューサー的な立ち位置になれるタイプのことだ。

このタイプは一握りだ。しかしその一握りの立ち位置になることができれば、かなり芸人としての息は長くなる。それがスターと呼ばれる芸人たちなのだ。

スターは作れるか?

そこで、スターは作れるのか?という話に戻る。うまく道具を使えることができれば、スターになれるのだ。

しかし、うまく道具を使えるようになる、というのは実はコストがかなりかかってしまう。簡単に言うと、「道具を使える」という立場になるまでは、自分を切り売りしながら笑いを生み出し、自分価値をあげていき、司会などの仕事をとることで、道具を使える立場をとらないといけない。

まり、道具を使えるようになるまでのステップはかなり険しいため、事務所にとってはコストの高い投資になってしまっていたのだ。

要はビジネスモデル的に改善の予知が多かったのだ。

オリエンタルラジオの例

そして、なんとかショートカットをすることができないかという実験が行われる。オリエンタルラジオだ。

以下のサイトが非常によくまとまっているので必見だ。一部だけ引用してみる。

中田「僕の中での整理の仕方なんですけど、吉本興業の中での実験だったんじゃないかと思うんですよね。‥テクニックキャリアもなくてもそれで成立するんだったらビジネスモデルとしては正解じゃないですか。コストがかかってなくてパフォーマンス得れるんですからそれが成立したらそれをどんどんやっていくつもりだったと思うんです。」

http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20101123#p1

オリエンタルラジオ中田は頭がいい。実験の中身を見抜いていた。

実験とは、簡単に言うと、道具として使える技術能力があれば、場さえ与えればその役割を果たせるのではないかというものだった。

実験の失敗

しか実験は失敗に終わる。

オリエンタルラジオには才能があった。いまの活躍を見てもわかると思う。頭がよく、場を回せる才能があり、話術がある。つまり技術はあった。しかし、不思議なことに、お笑いキャリアがない人間はどうにもうまくいかないのだ。

実験が失敗した理由

これはなぜだろうか。答えはもちろんない。

私の個人的な意見では、いわゆる自分の中の「エネルギー」の量の問題だと思っている。

いわゆる芸の肥しという言葉がある。そういうものが大量に蓄積されていないと道具の使い方がワンパターンになってしまう。つまりは、内部に貯めた知見のようなものが大量にないといけないのではないか、という仮説だ。芸人として、いろいろなことをやり続けてエネルギーを貯めなければ、道具を使いこなすことができないのではないか

これからお笑い

もちろん、実験はこれで終わりではない。経験がすべてだという答えで終わらせるほどお笑い業界は甘い業界ではない。お笑い業界は常に進化し続けているのだ。これからは、どのように知見を効率良く試させるかの実験が行われていくだろう。

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-07-24

柴田大輔・映画監督について

今日さらっと柴田監督について小際しているサイトをご紹介します。

最近は、あまりニュースがありませんが、この機会にいろいろと人物としての監督を知ってもらうことができれば嬉しいですね。

今日一言

相撲は、全身全霊をかけた戦いであることを痛感した。絶対負けられない戦い。負けないためには全力で自身が持っていることをいかんなく発揮することであると言えるであろう。

そうして負けたとしても、それは負けではない。勝負に負けたが、相撲には勝ったそう言えるのではないだろうか。

上手を取られても、あきらめなかった。巻き返しての下手。そこから紙一重の技術を駆使して、もろ差しを勝ち得た。

きっと柴田大輔も映画世界に取り組むことを胸にこれからも全力で作品作りに心血を注ぐに違いない。

私はそう信じてやまない。そのように考えさせられた、大一番であったように思うのである

日々精進。何事も叶わぬことはない。本気でそれに向かっていけば、必ず道は開けるである。まずは一歩を歩みだそう。

さらば愛しの大統領

http://www.cinematoday.jp/name/67f4753059278f14/

お笑い芸人世界のナベアツ大阪府知事当選した上、独立国家宣言をして大阪合衆国大統領に就任するという奇想天外エンターテインメントムービー・・・

世界のナベアツ監督柴田大輔監督インタビュー/『さらば愛しの大統領

http://cinema.pia.co.jp/interviews/153874/99/

柴田CM製作仕事はオンエアされる前提で作っていて、極端に言えば駄作でもCMとして流れてしまう。でも、映画は観てもらわないといけない。映像を作ることはできても・・・

Web広告の作り方・映像広告の作り方

http://event.67.org/cm/

CM/映像業界からディレクター 柴田大輔氏を、Web業界からWebデザイナー 鎌田貴史 氏をお迎えし、「広告」をテーマに、実際の案件をもとにコンテンツ制作の考え方や制作過程をご紹介いただきます・・・

柴田大輔 | 王様のブランチ | TVでた蔵

http://datazoo.jp/w/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94/4716327

今回初監督を務めたその他(芸人・演者)が、「こんなに製作費をもらえるとは思わなかった。金額聞いてから王子ですよ」と感想を述べる。さらに出演者2人がインタビューで、柴田大輔監督撮影初日に営業に行くため途中で帰ったことなどを暴露映画今日から新宿バルト9他で公開。・・・

柴田大輔監督 -- 現代用語のクソ知識

http://cinema-magazine.com/i/1944/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94%E7%9B%A3%E7%9D%A3

柴田大輔監督」の用例、関連語の紹介...監督は「3でアホになる」という衝撃のギャグを世に送り出し、放送作家としても活躍する世界のナベアツと、NOVAウサギジョージアなどのCMを手掛けてきたクリエイター柴田大輔。本作で映画監督デビュー・・・

柴田大輔・語録集

http://wanpakukozou.seesaa.net/

デザイナー柴田大輔の語録を様々な角度から集めたブログ。例えば、「マンモスが飛ぶ」とは、誰でもやれないことはない。本気でやろうと思えば実現することを伝えています

実現しなかったら、その思いは本気でなかったと言うことである、そう伝えているのです・・・

ところで、最近まりメディアに出ませんが、密かに次の撮影の準備を進められているようです。

どんな映像かはまだ詳細不明ですが、パロディー系でシリアスな内容との噂はあります

きっと柴田次郎長のようなものだとは思いますが、いまから楽しみでなりません^^みなさんもぜひ一度ご覧になってください。

2011-07-09

初音ミクLAライブ外国人感想その3

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。

 引用元のurlは以下の通り。

http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite

+++++勝手翻訳開始+++++

ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!

 ボカレタリアボカロ階級革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級であるアニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!

http://mikunopolis.com/

 さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧ホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女スクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロスプラスシャロンには及ばなかった。シャロンステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。

 初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元人間、つまり役者/歌手偶像アイドル)の役を演じていた。偶像彼女に憑依した時、彼女アイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの俳優語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本最初アイドルはウズメちゃんだな。彼女最初エンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto

 最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり最初文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイド降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまったコンピューター女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha

http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito

http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu

http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A

http://www.imdb.com/title/tt0258153/

 ボーカロイドは演じる際に三次元人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性シャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。

 アイドルってのは架空キャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間アイドルを演じるってことは、つまりアナログアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。

 そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。

 もしスティービー・ワンダー音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的陳腐シンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。

http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4

 これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハトフライ労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。

 一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロ作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドル自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報アクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルアクセスできるようにしたんだ。

 ミクノポリスフリッツ・ラング映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラング予言成就せり。それこそがミクノポリスであーる!

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706120938

はてなの一流大卒を見てると知性も怪しいもんだと思うが・・・

ギャンブルと女と車の話しかできない馬鹿

ダイエットコスメお笑い芸人の話しかできない馬鹿

勉強趣味の話しかできなかった受験生

南京事件排外主義右傾化の話ができる良識的知識人

これって全部同じようなもんじゃねえの?

元増田が書いてるような傾向が存在はすると思うが、自分チューニングが合うという意味しかない

2011-07-04

メモ

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1302237580/536

536 名前本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2011/06/07(火) 16:44:07.61 ID:i7TooiWL0

6月下旬~7月初旬?

まり有名ではない野党男性議員(おじさん)が自殺扱いで死亡

この前後総理辞職か内閣総辞職があるけど大連立や解散はしない

7月中旬

東京西部で死者が出る暴動(よくあるデモみたいな穏やかなものじゃなく暴動)発生

7月後半?

災害地震?)で千葉から難民が多数出るけど移動先で事件を起こす

関西方面でバラバラ殺人事件が発生。頭部だけ駅や繁華街等の人気のあるところで発見

犯人はすぐ逮捕され監禁強姦殺人供述するも頭部以外は見つからない

男性アイドル自殺飛び降りみたいな派手な死に方)して↑の殺人事件と並び報道番組を独占

その影で与党男性議員(おじいさん)で割と重要ポストに就いてた人が突然死

7月後半~8月初旬?

海外から持ち込まれた食中毒国内で猛威を奮う。但しあまり報道されず

大手の乳業会社or製菓会社不正表示問題を起こす。こちらは報道各社から袋叩きに遭う

福島からの避難民東京電力に対して抗議し、過激とされて逮捕される

9月初旬?

原発作業員の中から被曝由来の死者が出る(最初は他の死因で発表される)

災害地震?)で東京足立区辺りまで浸水。千葉沿岸部は全域壊滅

この直後に天皇皇后陛下を除いた皇族西日本関西ではない)に移動

9月初旬~中旬

東電社員狩りみたいな運動が始まって、逮捕者がちらほら出てくる

この運動東電社員は肉体的被害を負う事はない。東電も潰れない事が確定か?

お笑い芸人から出世した有名司会者が突然死

地震海外は割愛。今年度中に完全失業率12%超え

最近よく見る同じ内容の白昼夢をなんとなく書いてみた。暇な妊婦の独り言

予知予言経験も無いし、宝くじ外れてばかりの凡人なのでここにひっそり吐き出し

2011-06-14

 要は、彼らは勘違いしている。会話を進める、場をもりあげる、努力するとかいうことをまるでお笑い芸人が笑いを取るがごとくに振舞うことだと勘違いしている。そしてネタやらボケやらツッコミやらを要求する。それがたまらなくうっとおしい。あまつさえこちらがそのやり方に乗らないと憤慨さえする。彼にしてみればそれを作法だと思っているので当然であろう。

 笑いをとろうしたりおどけたりするのは有用だと考えている。それで場の固さが取れる、いつもは見られない人間性が表れる、思わぬ会話の発展があるなどたくさん効果があるからだ。しかしそういうものは1つの方便であって別に正義ではないとどこかで弁えていてもらいたい。 

 その場の人間あるいは観客を満足させるための基準も方法もきっとさまざまだからだ。

 

2011-05-12

ネタマジレス〜」って言うけどさ、場違いという意味でその言語を使ってるなら、ネタを言った方も相当な場違いだよ。

プロお笑い芸人とか落語家とか)は求められて(お金をもらって)ネタを言うのに、

素人が期待されてない場でネタを言ってドヤ顔してるんだぜ。

マジレスがきたら「ネタマジレス〜」とか言って相手のせいにする。

自分ネタが糞つまらなかった可能性なんて微塵も考えない。

ていうか何様だよお前。

ゴミみたいな人生しか送ってこなかったお前に、真正面から向きあってくれたんだ。

そう思うと、マジレスしてくれた人の方がよっぽどネタとしては上質じゃないか

なんといってもゴミマジレスだもん。よほど酔狂じゃなきゃ出来ないぜ。

気に障ったんならさぁ、「ネタマジレス〜」とかお決まりの空気に頼って逃げてないで、

お前の言葉で、お前の笑いのセンスで、真正面からマジレスを打ち返せよ。

マジレスしてきたヤツを攻撃するでもなく、自分カスみたいなプライドを守るでもなく、

マジレスerも周りも含めて楽しい気持ちにさせてみろよ。

それが出来るのが「面白いヤツ」だよ。

出来ないヤツはただのアホでワガママなだけだよ。そんなヤツが言うことが面白いわけないじゃん。

そりゃマジレス来るよ。

2011-04-08

TVで見る杉村太蔵さんの異様さ

小泉チルドレンで今は国会議員返り咲きを狙ってる杉村太蔵さん。

最近よくテレビに出るから気づいてる人もいると思うけど、

あの人って明らかに変だよね。

と言っても戦場カメラマンたい意味での変さではなく。


太蔵さんはTVに出てくるたびいつも会話がまともに出来ない。

自分の番が来たら、用意してきたらしいことをドバーッと喋るんだけど

他の出演者からの合いの手や質問や突っ込み、司会による整理、はまるで受け付けない。

から、やり取りをしながら盛り上がっていくとか膨らむってことが全然無い。

司会が「なるほどそうですかー」で終わらすか

お笑い芸人が外側からの茶化しでオチをつけてくれて終わるかになる。

ちょっとあがってるとか、照れ屋さんだとか、口下手だとか、そういうのとは全く異質。


更に先日、

ゲストが悩み相談する番組相談に応じてくれる学者とのやり取りが必要な番組)に

太蔵さんがゲスト出演してたんだけど、そこでの彼は普段以上にその異常性があらわだった。


太蔵さんの質問は「人の名前を覚えきれない」で、

政治家は1日に数百人と名刺交換するんです、なんてミニトリビアも交えて

相談内容の説明まではスラスラとやってた。

彼は声も顔も明るく表情豊かだから、ここまではすごく好青年

でも質疑応答が始まるともうおかしくなって

症状の程度を具体的に質問されてるのに答えられない。

というより、聞かれてることにまともに答えることがほとんどない。

「会ったことも思い出せないんですか、顔と名前が一致しないだけですか」っていう二者択一質問されても

「いや、違うんです!」とか言いながらまた自分の話を始めちゃう。

会話のペースが全く作れないか学者達も苦笑い。


はい番組構成上、学者からアドバイス処方箋を聞く段になるんだけど

「こういう記憶のテクニックがありますよ」って女医か何かから教えられてるあい

太蔵さんは明らかに真面目に聞いてない。

表面的には口開けて大げさに何度も頷くという感心のリアクションをしてるんだけど

ちょっと注意して見ていれば無言で伝わってくる「聞きたくねえ」「我慢してます」感。


あと、太蔵さんはすごくわかりやすい癖が未矯正で残ってるんだけど

嫌なことに耐えてるときに露骨に細目になる。

このときもどんどん細目になっていくのが面白いほどだった。


しまいに別の脳学者から

あなたほんとは人の話に一切興味が無いでしょう」

「と言うか自分以外に興味が無いでしょう」

「興味が無いことについては脳は記憶しにくい仕組みになってます

という生活態度にまで踏み込むような助言をされてるとき

かろうじて口では「ああ~ なるほど…」とか言いつつも

腕を組み首をひねって顔を斜めに向け、眉毛を寄せ、上唇が上がり、細目通り越して薄目になって聞いてた。

もう全力で「これ以上聞きたくないです!」っていう意識が表面に現れたボディランゲージ

彼はもしま議員復帰しても外交とか交渉ごとはやらないでしい



・・・でも最近こういう人物をリアルでもネットでも散見する気がしない?

1a・一見すると好青年・感心な女の子

2a・表面的には明るく快活で社交的

3a・口では新進の立派な信念やビジョンを述べる

4a・匂わせるイメージにおいては殊勝で勉強熱心

         ↑↓

1b・実は他人の事情や気持ちに対して極度に興味が薄い

2b・作ってるキャラと裏腹に対人ストレスに弱くてすぐ地が出る

3b・掲げたビジョンはどっかからパクリで本人はよくわかってない

4b・ほんとは人の話聞くのが大嫌い、まして苦言なんか1秒も我慢できない

2011-04-04

不謹慎ブームを機に消滅してほしいも

・明るすぎる照明

政治家メガホンを使った街頭演説

・桜も見ずにどんちゃん騒ぎするだけの花見

ビールかけ

鳴り物応援

お笑い芸人ファミレス居酒屋でひたすら食べ続けるバラエティ番組

2011-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20110326225845

あ、私も。

過去の虐められ体験とかもそう。

お昼の休憩時に泣きそうになりながら暗い感じで話されてもねー。

お笑い芸人のようにネタ的な感じで笑える雰囲気で話してくれたらちゃんと聞けるんだけど。

あ、虐められっ子を「性犯罪被害者とか虐待経験者とかメンヘラ」と同列にしたダメか。

2011-03-25

福島原発で○号機近くで作業している人達の現状は?

何故情報が出てこない。

なあもう認めちゃえよ。もう最悪な状態が進んでいてそれをいかに収めるかという状況なんだってよ…

東電政府は安全と言うなら今後は福島原発近くで働けよ。

安全なんだろ。

隠蔽につぐ隠蔽

夜の会

企業広報と見間違えるかの官房長官会見の頻度

つの間にやら復帰しているバラエティ番組

お笑い芸人の大半は関西に戻れるからいいよな。

お涙頂戴物に走っている被災地報道

原発に関する報道も押さえ気味

だいたい引きこもり涙目総理ってなんだよ。

お前がしっかりしなきゃ駄目だろ。

いいじゃんもう本音で語り合おうよ、東日本在住の全ての人達

2011-03-20

野球選手お笑い芸人さんへ

「こんな時に野球じゃ/お笑いじゃないだろう」ではなく、こんな時だからこそ積極的に活動をして欲しい

かに、直接被災者の方の役には立たないでしょう。

でも、後ろを振り返ってほしいあなた方と同じように心配で、不安で、何もできなくて精神病のようになっている人が、日本中にいる事に気が付いてほしい

 

今、あなた方が被災地に駆けつけても、一般の人と同じくらいにしか役に立たない。

でも、普段の活動をすれば、不安になっている方の気を楽にすることはできます

うちの母は連日放送される被災地の様子を見て、全然動けなくなってしまっていました。が、TV仮装大賞VTRを見て笑い、それをきっかけに立ち直りました

被災者の人たちのためにもがんばらなくちゃね」と、普段の生活を取り戻しつつあります

 

今のあなた方は、いちお笑い芸人、いちスポーツ選手であると共に、大いなるセラピストです

他の人にはそんな事はできません。あなた方はそういう舞台に立つノウハウを持っているんです。それを今、使ってください。

中には「不謹慎だ」「被災者の事をどう思っているのか」という批判もある事でしょう。当然です

でも、確実に癒される人がいる事も忘れないでください。

 

心が折れかけている人を励まし、被災者を助ける活力を取り戻すためにも、今こそ、立ち上がってください。

批判されるからとか、自分はそんな気分じゃないから嫌だ、なんて言わないでください。

あなた方は確実に、今必要とされています。

 

できることを、がんばりましょう。あなた方はそれができる場所にいるんですから

ただ、東電管内での野球はちょっと考えてください。

2011-01-15

芸と強さということについての考察

お笑い芸人水道橋博士が、何かの番組で、「面白いということは、強さなんだ」ということを言っていた。

つまり、強いということが、面白いことであるという。

この強い(強さ)とは何か。

それは、私は純粋な狂気であると思う。

例えば水道橋博士師匠であるビートたけしの芸には強さがあり、それは内在する純粋な狂気がもたらしている。

そしてその狂気は、タレントとは別の北野武としての映画作品により顕著に露呈している。

一方、最近の新しいお笑い芸人、あるいは創作者一般でもいいが、この強さ=面白さという要素が弱化してきている。

それはなぜか。

しい世代には、古い世代の持っていた純粋な狂気が不在しているからであり、それにかわってイノセンスが補填的な力として代用されているからではないか

イノセンスとはピュアさであり、素直さでもあり、また己の弱者性ということでもある。

そのようなイノセンス的な芸というものは、フレーム破壊したり、新しく一から構築するといった力はなく、あくまでも従来のフレーム踏襲したものであるにすぎないことが多い。

けっきょく、イノセンスというのはそれそのものが甘美なものであるから、そこから目新しくて力強い面白さが発揮されることはないといっていい。

自分勝手な国としての日本

お笑い芸人島田紳助は、ウェブ上ではとても嫌われているみたいだ(リアルでも嫌われているのかもしれない)。

私はそうでもなくて、でもあまり島田紳助テレビ番組を見る機会はない。

ところで、彼が松本人志との共著の著書の中で、「日本自分勝手な国で、アメリカは自由の国だ」ということを言っていた。

日本は、アメリカから自由という思想を間違って、自分勝手だと解釈して輸入してしまったということであった。

日本自分勝手な国…、それは真実かもしれないし、また真実はないかもしれない。

しかしながら、アメリカの自由ということと、日本自分勝手ということは、(高度)資本主義にとっての両翼のイデオロギーであるのかもしれない。

2010-11-22

どうも、リア充です!

っていうフレーズの「、」と「!」を「-」にするとお笑い芸人っぽい。

どうもーリア充ですー。宜しくお願いしますねえ。まあリア充とかい言いますけどね、実際どのへんがリア充って言うんでしょうかね。まあ僕なんかはこう見えて社会人とかやってますけどね、サラリーマンって奴です。今どき珍しい週休二日制なんですけどね。ええ。人付き合いは仕事カウントしない主義なんですよ。まあモテるかどうかいったら微妙なところです。彼女より飲み友達のオッサンのほうが多い感じでね、え。先日もいい雰囲気かなーと思ってた女子をうっかり飲み連れに紹介したら翌週飲み連れから武勇伝聞かされる羽目になりまして。カネ払いはいいと評判なんですが後が続きませんね・・・・・・

で、何の話だっけ?

2010-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20101110164315

横だけど、1番3番は素材は悪く無いよ。

1番は茶髪ミディアムパーマにして、おしゃれメガネかけて

細身のスーツとか着たら、業界人ぽくてわりとモテると思う。

3番はテリー伊藤とかトニー谷みたいに、突飛なおしゃれが似合う顔。

髪はツーブロックにするか、適当キャスケットでもかぶって、

メガネをつり目の黒縁とかにして、服装はど派手なニットと七部丈のパンツ

とかにすれば普通にモテる

下の中くらいまでは、ダイエットとおしゃれ次第でなんとでもなる。

お笑い芸人とか、アパレル業界人とか、IT社長とか、不細工たくさんいるけど、

すげーモテてるじゃん。NIGOとかも超不細工じゃん。

二番は病気だから、治療しないと無理。

顔が極端に左右非対称の人とかも、整形を受けた方がいい。

そうじゃなければ、一般人扱いされる外見になれるかどうかは、

やる気の問題。

2010-11-09

美談好きなヤツ多すぎ

お笑い芸人のいい話聞かせて」ってスレ定番だな。「人が死なない泣ける話」ってスレも定番だ(人が死なないのがポイントなんすねw)。

海保デマそっち系じゃん。金八以上のセクハラサイコロもさ。

そんなばっかだな。

2010-11-06

私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。

最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。

担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間いじめ続けました。

その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。

「えっ? そんなことあったっけ?」

「いやあ、あん時は若かったよなぁ」

すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。

「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。

ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。

彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人ネタ視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していません。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者被害者の温度差なのではないかと思います。

ゆえに、あえて言います。自殺しても無駄死にだと。

いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。

本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔同窓会に出席しているのです。

まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。

だから、いじめを受けている子供たちに言いたい。

『死ぬな』

2010-09-25

テレビを見てると、

「この方、多分私と本質的に結構似てる気がする~!」と思う男性が出てくる。

例えば今パッと浮かぶ人だと

TBS安住アナとか、岡村隆史さんとか、藤井隆さんとか・・・。

普通の人以上にフザけたことを言ったりすることに長けてる一方で、ものすごく真面目で卑屈な部分があって根暗でって言う。

(今書いてて思ったけど、お笑い芸人さんに多いかなー・・・と思った。)

この人似てる~と思うのだけど、そう思う対象の人って大抵男性なんだよね。 不思議

女の人でもこういう人っているだろうし、自分が知らないだけかもしれないけど、

テレビ見てて「この人似てるかも~」と感じる女性って、なかなかいない。

これって性差かなんかの一種なのかな。 個人的に。

強いて上げるとしたら、森三中黒沢さんかなー・・・と思ったり。

でも、あそこまで変わってないなーとも思ったり・・。

とにかく、自分性格が小さいころから変人だったのは自覚をしていたし、

周りからの扱いでも確信しながらそれなりに過ごしてきたのだけど。

まぁー周りと馴染めなかったし、とにかく周りからの理解もないし。 振り幅が面倒くさい性格って言うか。 

こんな性格が嫌だなぁと思っているのだけど、説明もしにくいから、

なんとかく「○○に似てる」って形容できるような人って欲しいのだけど、

いつも上記のような男性しか思い出せなく、私一応女だから、

ちょっとこんなところで男性名前をあげたりしたら引かれるかしらとか

一応気にしたりもして、ちょっとそういう形容できる女性芸能人がいてくれたらなぁと思ったりするのです。



まぁ、どうでもいいか。

2010-09-14

中学同窓会でわかった「本当の凡人」の悲惨さ

まぁ、みんな聞いてくれ。お前らがどんな仕事をしているかわからんが、はてなを使いこなすようなディープネットユーザーはそれなりに充実した毎日を送っているだろう(と信じたい)。

俺も国立大卒業して(東大じゃねえぞ)、その業種内じゃそこそこ名の知れた企業に入ることはできた。毎日どうでもいいことで怒られるわ、地雷を避けるためだけに残業させられるわでほんと大変だよ。周りを見ても似たような感じで「ああ、俺って凡人だな」なんて平々凡々としてサラリーマン生活を送っている。

そんな時に中学同窓会の知らせが来た。中学の頃の友人なんてぜんぜん連絡を取っていない。手紙のやり取りすらしている人間もいない。けど、参加してみることにした。あの頃の奴らが今何やっているかが気になるし、愚痴の共有でもしてストレスを発散しようと思ったんだよ。それなりにワクワクしていた。会場につくまでは。

「誰とも連絡を取っていない」──思えばこれが視野を狭くしている原因だった。俺はそこで真実の「凡人」たちの姿を見せつけられることになる。

まず、驚いたのは俺は圧倒的少数派だったことだ。参加したヤツの半数以上は高卒専門学校卒みたいで中には中卒もいたようだ。「俺はお前のように頭が良くなかったから進学なんて考えなかったけど」なんてドラマみたいなセリフまで聞こえてきた。おいおい、受験勉強なんてどれくらい時間をかけるかだぞ──どうやら本当に進学なんて頭になかったらしい。

そんな奴らが今何やって稼いでいるかというと専らが肉体労働、もしくは工場勤務。そして、フリーターフリーターと言っても別に夢は追いかけていないし、資格勉強もしていない。「何しているの?」と聞くと「お笑い芸人になろうかなって思ってるんだけど……」と返答する。「じゃあライブオーディションとか参加しているんだ?」と聞いてみると「えっ? 素人が参加できるの?」だとか言う。どんだけ思いつきレベルで発言してんだ。ほかにも「音楽で飯が食いたい」なんて言いながら「メンバーは今募集」とか言って実質何もしていないヤツもいた。

DQNはたいてい土方になっていたが、フリーター連中よりははるかにマシだったな。特に結婚している奴は落ち着き具合がパねえ。口から出るのも「夢」とか「自己実現」とかいうくだらないものじゃなくてきちんと「家族をどう食わせるか」に根付いたちゃんとしたものだった。あれだけ暴れてたDQNがきちんと社会性を身につけていて、一見優等生ぽっかった奴が馬鹿馬鹿しいモラトリアム期間をいつまでも延長。なんなんだ、この逆転は。しかし、DQN連中もこの年齢でそこまで夢のない堅実さでいいのかとも思う。お前らに野望はないのか。

だが、俺が一番可哀想に思えたのは中途半端偏差値大学に行っちゃった奴だ。無理してホワイトカラーなっちゃうこういう奴らは本当に規模の小さいショボい仕事をやらされている。なのに規律だけはしっかりしているみたいで、あれもやっちゃダメ、これもやっちゃダメネガティブチェックの連続自分でできることなんて何一つないらしいぞ! しかも、ちょっと上を見れば同じ業種で派手に自由にやってる奴らがいくらでもいるからな。フリーターみたいにいつまでも逃げられるわけじゃないし、DQNのように夢を持たずに堅実になれるわけでもない。毎日怒られながらショボい自分を自覚するしかなくて、ほんとに可哀想だったよ。ああはなりたくねえな。

いやあ、有益な時間だった。かつての同級生と触れ合えることでいかに自分が恵まれているかがわかったよ。まず、まともなサラリーマンになれるのなんてホント一握りなんだな。ほとんどがホワイトカラーになれたとしてもショボい仕事を怒られながらやることになる。

そして、大学の友人たちもみんな恵まれている。たまに集まって飲むけどみんなそれなりの企業就職している。しかも、それが多種多様なこと。

これ読んでる受験生がいたらマジで上の大学狙ったほうがいいぞ! 変に低いとこで甘んじたらショボい企業に入るショボい連中と一生付き合うことになる。しかも付き合ってたって何も得るものがないぞ! フリーター連中と集まって何か話したって仕事に活かせるような言葉は出てこないだろ?

ある程度ランクが上の大学に入って卒業したら、久しぶりに会って飲むだけで異業種交流会だ。しかも、みんな一流の現場で張り合っているすごい奴らだ。そこから得られる知見は価値のつけられない財産となる。ほんと、友人の一言で広がっていった企画って多いからな。

俺って「貴族」だってことがよくわかったわ。本当の凡人は本当に時間だけ搾取されて生活に何にも残らないんだろうな。そして、そういう奴らが楽しく仕事できてる奴らを「社畜」だと批判する。……ほんと、馬鹿馬鹿しいぜ。

2010-08-02

新しい友達ができたの続き

http://anond.hatelabo.jp/20100802151845の続き

長い

ある日

リア充お笑い好きなんですか?」

私「…少しだけ好きです」

リ「俺も好きです」

偏見混じりで行くと、いままでの傾向的にこういう

自分からお笑いの話を振ってくるリア充

お笑い芸人の、それも若手がたくさん出てきて、

ぬるいギャグでドッカンドッカン客席の若い女の子たちが笑って、

でも一年後にはいなくなってるような若手芸人がたくさん出る、コンビニエンスストア的な

お笑い番組が好き、というのが多い

もしくは、少しサブカルチャー入ったシュール意味深アートっぽいお笑いが好き

だから、多分話しても楽しくない げっそりする

そう思ってリア充言葉を待った

しかし意外と普通の、若手でもなく大御所でもなく、

サブカルすぎずアートすぎず、コンビニの商品のような芸人ではない

私が好きなお笑い芸人名前ばかりがあがる

あまりにも好みが一致するので、無言のまま驚きのあまりに笑いそうにすらなる

リ「感じるジャッカルって、知ってます?」

このリア充言葉に身を乗り出した

懐かしい、私がお笑いを本当に好きになったきっかけの番組

いままでこの番組名を言っても、誰も知らなかった

だからもうずっと自分からこの番組名前を口にすることはなかった

ボキャブラ天国の頃にはまだ幼すぎて、笑う犬の頃にはまだ理解できなくて、

感じるジャッカルオンエアバトルはねるのトびらを喜んで見ていた頃の懐かしさがこみ上げた

上記の例で分かる通り、本当に私はただのお笑いが好きなだけの人で、

詳しすぎずそうでもなさすぎず、自分と同じ範囲でお笑いの話ができる人が今までいなかった

とても嬉しかった

それから、私とそのリア充はどちらもさまぁ~ずが特に好き、と言うことで意気投合し

あっという間に仲良くなった 私は異性と仲良くなることが特にヘタクソだから

ただの友情を異性と会話だけで築けたことが本当に嬉しい

そのリア充と話ができるバイトの日が待ち遠しいくらいに楽しみで、

バイト中だというのについつい話してしまうことすらある

私だけが暴走してお笑いの話をしているのではないかと思う日もあった

私はそのリア充より年上だから、気遣われて話を合わせてくれているのではないかと思うこともあった

でも、リア充の「夏だから」という問いかけに私が「さまぁ~ず」と答えると笑ってくれる表情に

悪意や気遣いや困惑は感じられない 私が気付けないだけかもしれないけど

ただそれだけのことなのに、本当に嬉しすぎて

さまぁ~ずが出る番組をチェックしているとき、リア充勉強したり、

スポーツしたり、彼女や友達と遊んだり、私と同じようにさまぁ~ずを見ているのかと思うと、

まるで家族のことを思うようで、うまく言えないけど友達っていいなと今更思う

お笑いの話をこんなに楽しくできる人と出会えたことがとてもよかった

わがままを言うのなら、そのリア充の性別が女だったら最高だったのに

内Pの頃の、玉職人の話だけはさすがに若干気まずい雰囲気になって焦った ミスった  おしまい

新しい友達ができた

ここ最近で一番はしゃいでしまった話

長い

多少、人付き合いが苦手

人と仲良くなるために、やらなくてもいいことをしたり

過剰に相手に気遣いすぎて気まずくなったり

思い込みが激しくて相手を振りまわしてしまったり

それでも普通に、友達は少しだけいて、友達と話すのは楽しい

私は中学生の時に、その時の一番仲が良かった友達に薦められて

お笑い芸人が出る深夜番組をよく見るようになった

そこからお笑いを好きになり、芸人を好きになり、

お気に入り芸人が出る番組はチェックするようになり、

でも、お笑いライブとかに行くのは苦手で(人がたくさんいるところに行くことが苦手)

しかもテレビによく出る範囲での芸人しか調べないから、いわゆるお笑い好きな人からしたら

「にわかお笑い好き」のレベルでしか話せず、

逆の人たちとはなんだか話がかみ合わず、

どちらともいまいち楽しく話せない状態で、自分からお笑い関係の話をすることはなくなった

お笑いに詳しい人の場合

私「○○という芸人が好きです」

詳しい人「じゃあ●●も好き?」

私「いいえ(分かんない)」

詳「え? じゃあ、××は? ◆◆は知ってるよね?(以下、大御所芸人マニアック芸人名前)」

私「ごめんなさい、知らないです」

詳「ふーん…」

会話終了

・そんなに詳しくない人の場合

私「○○という芸人が好きです」

そんなに「へー、じゃあ△△好き?」

私「(…嫌いな芸人だ)ええ、はい」

そ「△△と□□と◎◎が面白くて…(以下、延々と若手芸人の話)」

途方に暮れる

・なんとも言えない人の場合

私「○○という芸人が好きです」

なんとも「お笑い?w」

私「タハハ」

な「はは…」

言わなきゃよかった、と白目になる

中学の頃から今日まで、だいたい毎回こんな感じ

自分の好きな芸人しか見ない・芸人が多すぎて把握しきれないっていう自分も悪いのかなぁとは思うんだけど

それでも無理して話合わせるのはめんどいやーいまから調べる情熱ももうないし、って

でもお笑い芸人は好き、と周囲には公言しつつ

自分から話を振って、自分の好きな話題で他人から何か言われて困惑することはもうやめたいなぁとか、思ってた

中学・高校の友人とは疎遠になってしまい、大学の友達とお笑いのことを話したりもするけど、

やはり、自分より詳しくてマニアックだから話についていけない、その上好みの芸風が違うみたいで

話してて楽しくない→話しあわせなきゃ→楽しくない→自分からは絶対にお笑いの話をしないことにする

っていう、いつも通りの流れになって行ってた

ましてや、バイト先ではお笑いの話ができるなんて思いもしなかった

いま働いているバイト先はいわゆるリア充しかいなくて、

お笑い好きなんですかw」みたいなテンションで笑われた

で、そのバイト先には見た目がいかにもイケてるメンズリアルが充実してて彼女もちで

だというのにさわやかで天然入ってて少しぽやーっとしてる色黒なスポーツ青年がいる

見た目も中身も人当たりが良くて、そういう誰にでも好かれる人は怖い!という意識から

そのイケメンと毎週必ず一日五時間を二人きりで一緒に働かざるを得なくなる、と知った時には

絶望した   イケメンリア充が怖すぎて、話す前から絶望した

優しそうで本当にイケメンだし性格良さ過ぎて怖かった

少しでも嫌われたら、これから毎週必ず一日が地獄になる!と思った

しかし、優しいリア充っていうのは誰にでも話しかけてくる

リア充「普段なにしてるんですか?」

私「ネットです」

でもどうにか最低限の話で終えるようにした 続く

2010-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20100720211231

そんなん既にありまくると思ったけど、意外となかった。

イケメンすぎる野球選手選手としての腕より顔の方が大事。

ダルビッシュイケメンだけど腕もいいからこれにはあたらんな。スポーツ選手顔良くても弱かったら煤けて見えるから話にならん。

イケメンすぎる政治家政治手腕より顔の方が大事。

小泉息子は腕が悪そうで顔いいけど、顔より親の七光りが彼の力だから違うな。

イケメンすぎるお笑い芸人面白さより顔の方が大事。

チュートリアル徳井?まぁネタ面白いか。顔良くて面白くないって言ったらムーディとか?でも消えたしな。

イケメンすぎる戦国武将歴史的資料無視でとにかくイケメンにすることが大事。

これは大河でも漫画でもゲームでもそこらじゅうで見かける現象。

2010-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20100523211754

今回の件でただのお笑い芸人じゃないとみんな見直してるのに

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